その夜、山陰道の空は暗く厚い雲に包まれ、冷たい秋雨がしとしとと降り注いでいた。山の陰と呼ばれるこの地方で は珍しくもない天候だが、瀬戸内の温暖な気候に生まれ育った人間には身に染みる冷気と湿気である。
 吉川元春は一つ身を大きく震わせ、滴り落ちる雨水を払いながら、ようやく自身の居城である月山富田城の大手門を くぐった。夜中故に城はしんと静まり返っている。夜警の兵も寒さのために力なくしか元春に会釈を返さない。彼はそれ をとがめる暇もなく城門の石段を駆け登ると本丸に辿り着いた。安芸の吉田郡山城を発してから僅か一日程の道程で あった。元亀二年の晩秋のことである。
 元春は昨日実父元就の葬儀を終えたばかりであった。そしてそれが終わると彼は引き止める周囲の人々の声を気 にすることもなく単身で安芸を立ち、恐ろしいほどの勢いで、自身の軍務を果たすべくこの月山富田城へと戻ってきた のである。
 吉川元春の父は毛利元就だった。この英雄は僅か一代で安芸吉田の小領主より国持ち大名にまで成り上がり、そ の晩年には中国地方をほぼ統一して覇者としての名声を天下に轟かせた。しかしその元就も老齢には勝てず、つい数 日前に七十四を一期として没した。
 吉川元春はその元就の次男だった。毛利家中では随一の勇将として名高かったが、嫡男との差異は明らかにすべき 戦国の掟ゆえ、豪族吉川氏の養子となってその名跡を継いでいた。毛利氏の地方の長官として石見、出雲、伯耆の山 陰道を支配し、月山富田城を本拠として武威を四方に知らしめていた。
 ようやくにして着替えを済ませると、元春は遅い夕食を掻き込むようにしてたいらげ、ごろりと床に横になった。城の板 張の床は晩秋の湿気を吸い、冷たく冷え込んでしまっている。その寒さが山陽育ちの元春の身にはことさらに沁みた。 自身も既に若くはない。四十の不惑はとうに通り過ぎ、隠居さえも願わねばならないことを近年徐々に感じるようになっ ていた。
 そのまま彼はしばらく横になっていたが、やおら身体を起こすと大きなため息をついた。少しでもよいから眠ろうとした が、それができなかった。
「以外と、まだ冷静になれぬものだな」
 彼は独り言をつぶやいた。周囲には近従一人の影も見えない。彼の言葉は燭台一本が煌々と燈る広い山中御殿の 暗やみの中に吸い込まれていく。
 彼の頭の中には父元就の姿が浮かんだ。彼は長い間父の姿を見つめ続けていた。元就は人知を越えた謀将として の名前を欲しいままにしていた。まだ元春が幼いころ、次々と軍団に下知を下す父の姿は彼の憧れだった。そんな英 雄が父だった。しかし今、彼の脳裏に浮かんだのは、すっかり老耄してくどい程に毛利家の将来を元春に頼む父の姿 でしかなかった。
 元就に息子はたくさん居たが、家臣達よりその才覚を認められ、毛利家を嗣ぐ資格があると認められたのは三人だ けであった。すなはち嫡男毛利隆元、次男吉川元春、そして三男の小早川隆景であった。嫡男隆元が血筋から言って も人品より言っても毛利家の後継ぎにふさわしいと思われていたし、元春もこの兄のことを深く敬愛し尊敬していた。し かし不幸にも彼は七年前にまだ四十一の若さで卒中のために死去してしまっていた。
 問題となったのは後継ぎであった。その頃元春は既に毛利軍団の一員として中核におり、元就の次男という立場も手 伝って次代の毛利家当主として目されたこともあった。長男がいなくなれば次男が跡目を嗣ぐ。それが当然の原理のよ うに思えた。
 しかし蓋をあければ隆元の長男でまだ十二歳にしかならない毛利輝元が嫡孫として後継ぎに指名され、元春その人 の出番はなくなっていたのである。
 それから七年。元春は苦難の日々を堪え忍んできた。彼は毛利家随一の名将であったし、その吉川軍団は精強であ ったから、常に一番苦しい場所に放りこまれて転戦を続けていた。山陰道を支配する大名尼子家と何年もの間戦いを 繰り広げ、幾多もの犠牲をはらってその居城月山富田城を下したのは僅か五年前のことだったのである。
 多くの傷を負い、衰えた身体の元春に、寒い山陰の気候は身に沁みた。しかし彼は泣き言一つ言わず、軍務を遂行 した。山陰道の安定と整備に務め、日々を毛利家のために尽くした。
 そんな多忙な彼の元に、元就の危篤の報せが入ったのは、十日ばかりほどの前のことであったのである。
 急いで徒歩装束に着替え、父の居城である吉田郡山の城に入ったのがほんの七日ばかり前のこと。それから今まで は思い出すだけでも嫌なことだと元春は思い返した。
 徒手空拳で国を起こし、中国地方の覇者と呼ばれた父。しかしその病床に当たっては、後のことをくどいばかりに頼 むただの老人に過ぎなかった。
 この偉大な英傑の死を、周囲の人々は冷たい薄ら笑いを浮かべて見ていた。純粋に悲しんでいるものなどあの場所 にはいなかったと元春は思い起す。
 その場所にいたのは、祖父の死にとまどうばかりの愚かな若者輝元と、自分たちを押さえ付けていた強力な指導者 の死をほくそ笑むだけの家臣達だった。その中で元就だけがくどいばかりに元春に孫輝元のことを頼んでいた。
 俗に毛利三本の教えというが、これは後世の人々が作り上げただけの架空の話である。元就が病床についた時、三 人の息子達を集め、弱い矢でも三本集めると折れないから、三人力を併せて毛利家を守り立ててくれと遺言したのが その話である。しかし実際は、この時長男隆元は既に死んでいたのだから、その場にいるはずがない。もう一人の息 子小早川隆景は、本家のことなど何食わぬという様相で、自身の領土拡大に力を費やしていた。従って元就の臨終に 立ち合わせたのは元春だけであったのである。
 偉大な祖父の臨終の床にすがる輝元。その周囲を囲んで悲しそうな素振りをみせる家臣。そして老耄し、幾度も同じ ことを繰り返す元就。そのような苦況に元春は望んでいた。そして父の死を見届け、葬儀を済ますと彼は早々に戻っ た。
「あれが、父上の死に様か」
 元春は思う。なさけないものだと強く感じる。あれほどの英傑が、一度は捨てた息子にまで、後の事を頼むと言い残し ていた。しかしそれでいて家督は決して元春のものではないのだ。
「歴史は繰り返すというが、あれは何だ。まるで尼子経久殿のようだった。あの父上が…」
 彼は低くつぶやいた。この彼の居城はその尼子氏から奪い取ったものなのである。
 元就がまだ壮健で英傑の才を失ってなかったころ、中国地方を席巻していたのは尼子氏であった。出雲の月山富田 城を本拠としたこの一城主は四代経久の時にほぼ中国地方全域にその支配権を拡大し、覇者として恐れられていた。 百戦錬磨の強者尼子経久は文武に長じ、かつては元就もその傘下として仕えていた時期があったほどなのである。
 その尼子を元春は滅ぼした。自身が滅ぼした相手なのだから、さすがに彼は尼子家の滅亡に至った理由を熟知して いる。その最大の原因が巨星経久の死であった。
 元春は幼い頃にこの山陰の英雄に相対したことがある。初対面では温厚そうな顔の好々爺という印象しかなかった。 手づから菓子を分け与えてくれたほどだから、ただの老人と呑んでかかっていた。しかし、その老人は軍団を率いれば 鬼神と化した。その戦略眼の鋭さに身震いをしたのを今でも覚えている。
 だが、それが尼子家の弱点だった。経久も元就と同じように、いや、元就が経久と同じようにというべきか。嫡男政久 を早く失い、仕方なく嫡孫晴久に跡目を譲らなくてはならなかった。しかし巨星経久の死後、この晴久という大名は国を 誤り、ついに元春がこれを滅ぼしたのである。
 尼子経久にもやはり三人の息子がいた。早世した政久以外にも次男に尼子随一の勇将と讃えられた新宮党国久、 三男に塩冶興久がおり、それぞれが壮年に達していた。しかし尼子家の後継ぎは器量の劣る晴久に決まってしまって いた。
「輝元殿は…」
 元春は思う。いまや毛利百二十万石の全権は、まだ二十歳にもならぬ輝元の手中にあった。元春はこの甥の力量を 思う。冷静に判断すればすぐに解った。この甥は残念ながら一国を統べる総帥としての力量に著しく欠けている。
 だから父はあれほどくどく後事を言い残したのだと元春は悟った。しかし、それでは何の解決にもなっていないことは 解っていた。所詮輝元では、この毛利家を統括していくことはできない。
 輝元がいかに支配者に向いていないかということに関しては、元春も薄々気が付いていた。四年程前、まだ元就の頭 脳に衰えが無かったとき、元就も古希を迎え、輝元も十五歳になったので家督を譲ることにした。しかしその時に輝元 は泣いて「私はまだ十五歳ですので」と言って固辞した。その後に元就が元春に送った手紙に「情けなく候」と書き綴っ てあったのがまざまざと甦ってくる。
 これではまずいと元春は思う。しかも輝元の器量はどうひいき目に見ても、元春自身が滅ぼした大名尼子晴久の半 分にも及ばないのだ。
 大きな疲れを元春は感じた。ため息をつくとそれは小さな風音となって城内に響いた。この城は尼子家八十年に渡っ ての累代の居城だった。ここから英雄経久は天下を伺い、名を轟かせ、そして死んだ。
 歴史は繰り返す。そう元春は思う。しかしそれには恐ろしい予想が付きまとった。
 毛利元就は尼子経久。毛利輝元は尼子晴久、では吉川元春は何だというのだ。彼はその答えを追い詰めた。そうす るとそこには自然に新宮党国久の姿が浮かんでくる。
 新宮党国久は尼子の勇将だった。次男のために別に家を起こして新宮党と呼ばれ、父経久の死に及んでも家督は 嗣げなかった。彼は一門衆として尼子家のために尽くしたが、結局報いられず疎まれて弑逆されている。
「わしもそのようになるのか…」
 元春の呼吸は燭台の炎を揺らした。明かりがぐらりとよろめき、長くのびた影までもが揺れた。明かりのなかで元春 は自分の両手をまじまじと見つめた。この手で幾人もの尼子の一族を葬ってきた。血の深くしみついた、老人のように 衰えて皺だらけの手だった。これも手を血に染めてきた報いかと元春は思った。
 これまで元春は深く毛利家のために尽くしていた。しかし、彼がいくら精勤しようとも、甥である輝元はこの叔父を快く 思ってくれなかった。彼はむしろ甘言を弄する小早川隆景の方を好んだ。領国にしても、隆景は気候のよい山陽道を 任されたのに、元春が山陰道を与えられたのはその辺りが無関係だったとは言い切れない。
「なぜにに父上はあのような…」
 小僧に家督を譲られた。さすがにその言葉は口には出さなかった。しかし彼はこの時に初めて不平を口にしていた。
「輝元を頼む…なぜ、隆元は死んでしまったのだ…」
 そのようなことを何度も父は繰り返していた。しかしそれは元春とて同じ思いだった。兄の隆元さえ生きていれば、こ んな不安を抱かなくてもよかったのだ。
 おそらく経久殿も同じ思いだったのだと元春は思った。かつての英雄もやはり「晴久を頼む…なぜ政久は死んだ」と言 ったに違いない。そしてその枕頭で英雄の遺言を聞いたはずの次男という奴は新宮党国久であり、今は吉川元春であ ったはずだ。
 元春はようやくにして立ち上がると御殿の縁側へと足をすすめた。ぼんやりと夜明けの明るさが城下を覆い始めてい る。月山の山からは広瀬の街が一望できた。山間の小さな狭い城下町が薄暗い闇の中に煙っている。
 雨は相変わらずしとしとと降り続いている。やがてこれが雪に変われば、元春はこの国に閉じこめられてしまうのだ。
 結局、こうして元春は閉じこめられて生きていくしかなかった。自身が衰亡の道をたどっているということが彼にははっ きりと解った。しかし悲しいことにそれを食い止めるだけの気力というものが、不惑を越えた今の彼からは決定的な迄 に欠けて失せていた。
 ふと、彼は背後に影を感じた。振り返れば御殿の上座に老人の幻があった。優しい笑いの年寄りだった。元春がまだ 十歳の時に、にこやかに菓子を割ってくれたあの老人だった。
「経久殿…」
 憑かれるように彼は足を踏み出した。しかしそれは所詮幻覚にすぎなかった。瞬間にしてぐにゃりと歪んだ視界の 先。それをもう一度目を凝らして見つめても、そこにはただ闇しか転がっていなかった。
 雨はいつまでも降り続いていた。山陰の秋は静けさの内に深まりを見せていた。
                                  (終)