作品タイトル

恋の淵

その参〜色恋のこと

 定省様の宮仕えの日々は足掛けて六年ほどにも及びました。元服なされた元慶六年から、御代が変わってお父上の小松帝が崩じられた仁和三年までのことでございます。小松帝のおかくれになったのは葉月の二十六日でございましたが、この日に定省様は親王となられました。そして即位されるまで親王という御位にいらしたことは僅か一日でございまして、この一日の間が次の帝となる春宮でいらした期間でもあるのでした。それは、一度ただ人と為られた定省様を再び皇族に戻すためには糊塗としか言えないものでしたが。
 どうして定省様は親王という身分に為られたのか。その詳しい経緯はまた述べていきますが、今は少し別の話をさせていただきます。それは、定省様がおそらく生涯でただ一度、真剣に女人を想われた時のことでございます。
 後に帝となられました定省様の後宮には幾多もの女人方がございました。その正妻であったのは、私の従妹という話の橘義子でございます。こういってはなんですが、この縁組は甚だ不釣り合いなものであったと私は考えておりました。
 定省様は一度源氏になられたとはいえ、間違いなく親王の御子でいらっしゃいました。官位も従五位下とはいえ、血筋も良い定省様に、四十になろうというのに従四位下右大弁程度の橘広相の娘というのは、いくら橘氏が家格が高いとはいえ、その官位からして不都合なのでした。
 ただし、その夫婦仲というのはそれほど良くも悪くもなかったものです。定省様は五日に一、二度は必ず広相殿の所に婿として通われていたのです。元服したとはいえ、官位もまだ高くなく、確固たる後ろ盾も無い定省様が独立して屋敷を持つことはまだ無理なことでございました。
 そんな風で定省様の通い婚が続いたのでございますが、その時に馬の手綱を引いて御供するのは常に私の役目なのでした。
 伯父の、つまりは広相の屋敷の西の対が義子の居場所になっておりまして、定省様がそこで一夜を過ごされる間は、私は寝殿の方でぼんやりと夜が明けるのを待ち続けているのでございました。
 伯父は当時の宮廷には珍しい儒者でして、とても学のある方でしたが、残念ながら、人間的な厚みや重みという点には欠けていたと思います。特に風流や風情があるということもない人でしたが、それでも私が定省様の御供をしてその屋敷に赴くと、時折一献を用意させて、夜が明けるまで私の相手をしてくれたものでした。
 彼がそういうとき、私に語るのはいつも私の結婚問題と出仕についてなのでした。定省様の家人でありながらでも宮廷務めは出来るから、せめて衛門尉くらいの地位にはつかぬかとこの伯父は私に言い続けたのでした。伯父としては、衰微する橘の氏を支えようと、一人でも自分の縁故に繋がる人間が欲しかったと思ったようでしたが、その期待に応えることは私にはできませんでした。橘の家の栄達を考えるには、私はあまりにも定省様に尽くしすぎていたのです。
 伯父の酔言は万事がそんな調子でしたが、ただ一度だけ、彼が酔いに任せて私の母の話をしたことがありました。私の母は、その頃はもう東国で亡くなっていたのですが、その話を伯父が唐突に話し始めたときに私は焦り、そして恐れたものでした。
 私の母に関しては、美しい女性であったということしか記憶にはありませんし、敢えてそのことを深く思い出そうとしたこともありません。しかし、女人に対して性情を抱くことが不可能である私がとにもかくにも「美しい」と記憶しているのは、よほど上手に慈母の仮面を被った娼婦であったに違いありません。その母のことを広相は話し始めたのでした。
 それは、橘の家に私が足を運ぶようになってから半年も過ぎた頃でございましょうか。雨の降りしきる皐月の晩のことでございました。一合の瓶子を三本も飲み干した伯父は、普段儀礼を喧しく言うこの人には珍しく、杯を片手に持ちながら、徳利を持って私の方に身を寄せて来たのです。
「似てない、とは思うが、お前にはやはり母の面影があるな」
 私の顔をまじまじと見つめながら伯父はそんな事を言うのです。私は母には似ても似つかない不器量だと、私の母と関係を持った方達は言っていたのです。そんなことを人から言われるのは初めてでした。それも、伯父というごく近しい人間から言われただけ、驚きはひとしおでした。
「私のことをそんな風に言うのは伯父上が初めてです」
「なんの、わしもお前をそのような目では見てはおらんかった。しかし、こうして直に接してみると、やはりお前はあの女の息子だと思うのだよ」
「どうしていきなりそのように思われたのですか」
 不思議に思った私がおずおずと口を挟むと、伯父はさも嬉しそうに一度盃を口にすると、私を上から下まで眺め回すような目付きをした後にこう言いました。
「情が強い。一度思い込んだら離さぬところが似ておる」
 ずしり、とこの言葉は私を刺しました。まさか、とも私は思いました。伯父はもう一度私の全身を、その大きな目で眺め回しました。あっけにとられた私はおずおずと口を開きました。
「そんなに母は情の強い人でございましたでしょうか」
「おう、恐ろしい強さであったわ。いまだから言うがな。わしは若い頃、正直言ってお前の母に懸想したことがあった。知っているとは思うが、わしとお前の母は異母兄妹だ。お互いが別々の屋敷で育ったから、お互いの気持ちなどは兄妹というにはほど遠かった。お前の母は婬奔な女だった。わしにその気があると知ると、あいつはわしを誘おうとした。わしはあやうくそれに傾きかけた。しかし、寸前でわしは思い止まった。一緒に育っていないならば、血のつながりもその程度でしかない。危うくわしは深みにはまる所だった。慌てて寝所から逃げ出したわしの背中にあの女の声が飛んだわ。『愛すればこそ何を恐れましょうか。深い淵とて二人を隔てませぬものを』とな」
 それは昔の恥と申すのでしょうか。しかし伯父の口調は恥じることなく淡々としておりました。それが却って真実の吐露という感触を私に持たせたのです。
「伯父上がそのように思われるほど、母は美しかったのでしょうか」
 好奇、というにはやや震えで上擦った私の言葉に、伯父は少しだけ微笑むと、ゆっくりと首をふりました。
「そうだ。あれは確かに普通の美女ではなかった。あれは男の心をとろかす魔性のものだ。あの女がわしの娘なら、わしは文句無しに定省にそれをやる所だ。しかし現実は違うな。息子のお前が定省に仕え、あの女はもはやこの世におらぬわ…」
 そこで伯父は大きく息を継ぎました。伯父の目はどこか遠い昔を見ているようでございました。はるか昔にすぎさった苦い思い出を噛み締めていたのでございましょうか。彼はゆっくりと呼吸をすると、また真面目な顔になって私に向かいました。
「しかし私はうれしい。とにかくにも、こうして私は娘を定省殿に差し上げることができたし、甥のお前はその側近なのだからな」
 彼はそう言うと、目の前の盃の酒をぐいと一飲みして、この人には珍しく大きな声で笑いました。厳格な儒者である伯父にしては珍しいことでした。普段は家の中ではけたたましくすることを厭うのでしたが、この時はなぜか少しも悪怯れもせずにそんな事を言うのです。
 私は伯父の言葉にはっとなりました。そしてその時に私は自分が橘の一族であることを思い出し、今、西の対の間で定省様に抱かれているはずの、従妹の義子のことを強く意識しました。
 私の体の中で流れる橘の血脈が、一世の源氏でいらっしゃる定省様と交じりあう。不意に私はその交情場面を自分の脳裏に浮かべました。禁忌の幻影に犯されている私がそこにいました。酔いも手伝って、私はその場面を明確に頭に浮かべていました。暗い闇の中に、人とまぐわう定省様の裸身が浮かびました。
 その時、私は自分の心の臓が貫かれるような痛みと、血液が逆流するほどの快楽を同時に味わっていたのです。これは罪でございました。そうです。それが私が定省様の性を強く認識した最初の機会であったのです。私は酔態を晒す伯父の前で、表向きは平然と杯を煽りながら、自分の血が犯されて混ぜ合わせられていくのを感じておりました。私は震えておりました。
 正直に申し上げまして、私は女の裸体というものが苦手でございました。かといって、時折あるいい加減な出家のように衆道が私の好みであったというわけでもありません。しかし、その時に私が感じたのは、定省様によって穢された想像が従妹の義子ではなくて、実は私自身であったということです。
 このことは私の大きな心のしこりとなって残りました。そしてそれは、私の中で定省様が義子以外の女性を愛することを拒む気持ちに変わっていったのです。そして、これからお話する綏子内親王様との出会いが、そんな時に起こったのでございます。


 それは葵祭りの時であったと記憶しております。ご存じでいらっしゃる賀茂神社の祭りでございますが、これは卯月の初夏の祭りで、霜月の臨時祭りではありません。賀茂の臨時祭りは定省様が御即位なされた寛平の初年より始まっておりますので、当時は賀茂の祭りと言えば文句なしに葵の祭りのことを指したのです。臨時の祭りは皆様もご承知の通りで、定省様が一天万乗の帝と成られてから始められたもので、霜月の終わり、酉の日に行います。これは定省様が賀茂の明神様の託宣を受けたことにより始められたと世間では言い伝えられておりますが、事実はそうではないのです。私はあの葵の賀茂祭を殊更に否定し、忘れ去ろうとした定省様の切ないお気持ちが、もう一つの賀茂祭りを作り出したのではと考えているのでございますよ。いくら忘れようとしても忘れられない恋の始まりが、その祭りの時に起こっていたのでございますから。
 さて、その葵祭は元慶七年のことでございました。その日は確か、紫野にあります斎院様の御所に斎院様が御帰りになられる、祭りのかえさの日であったと覚えております。御所より出でて北に向かわれる斎院様の行列を、私と定省様は内裏の東、東洞院の辺りで見送っておりました。いつも通りに私は定省様の乗る馬の綱を引いておりました。
 その頃、丁度めでたくと申しますのか、義子が定省さまの御子を身篭もりまして、自然と定省さまの足も、舅である広相の館より遠のきがちになりました。特に出掛けるべき場所を他に持たなかった私たち二人は、休みになると、こうして都の彼方此方を歩いていたのです。
 斎院の行列が北へと向かい、人の群れもそれに伴って一条大路の方へ動いていた時のことでございます。
「おや、あれはどなたの車であろうか」
 不意に定省様が指を指されました。そちらの方に眼をやりますと、昔の良房様の御屋敷、染殿がございまして、今はもうすっかり荒れ果てて住むものがなくなって蔦が生い茂った有様となっていたのですが、崩れかかった生け垣の影に身を隠すようにして、一台のみすぼらしい牛車が、人目を避けてたたずんでいるのでございました。
 牛車の傍には小さな女童が立っておりまして、何やら早口で車の中に声をかけておりました。すると、ふと御簾が僅かに上がりまして、そっとその中から、蘭たけたという言葉が言い表わしているような、どこかの姫様に思われる女の方がその顔を覗かせたのでございます。
「姫様、もう行列は行ってしまうようです」
 遠くでしたが、はっきりと女童がそう言って、遠ざかる行列を指差すのが解りました。その姫君は、静かに微笑むと、小さく頷いてまた御簾を降ろして、車の内へと引き込まれてしまいました。
「あれは、いったいどなたであろう。粗末な様相だが、たいへん美しい人だ」
 ぽつりと定省様は言葉を漏らされました。本当に、その女君は美しい方に見えました。世にときめく、煌めくばかりの美しさというのではなく、なんとなく、目の前にぼんやりと霧のかかったような白さと優しさがあり、まばゆい、というより、生暖かいといった清らかさがその姫君にはあったのです。
「蓼男、あの方はどなたのか、聞いて来てくれぬか」
「心得ました」
 私は素早く一礼すると、もうすぐにその姫君の車の方へと向かって走りだしていたのですが、心中では何か良くないことが起こりそうな気持ちと不安で一杯でございました。私は気付いておりました。姫の事を聞き出して欲しいと私に頼んだ時の、定省様の眼の輝きに。そこには大きな憧れが潜んでいたのでございます。
 私の従妹である義子に対して、定省様がそんな目付きをしたことは一度もありませんでした。義子との結婚は淑子様と叔父の間で仕組まれたことでございましたので、男が抱く性欲の結果としての子宝が授かっても、所詮そこには愛はなかったのです。
 まずいことにならなければ良いがと私は思いながら、足を車の所に向けました。私も一応橘の一族であり、加えて淑子様に仕える身分でありますので、もし万が一、定省様がよろめかれることなどがありましたら、その責任を私が背負わなければならない部分もありました。いや、実のところそれは建前です。本音を言えば、私は定省様の心が、他の女に熱く傾いてしまうことを極度に恐れていたのです。
 私にとって定省様は、幼い頃からお守りしてきたかけがえのない人であると同時に、永遠の憧れてございました。それが、私の嫌いな女人というものに傾くのが、どうしても私は我慢がならなかったのです。
 そんな気持ちを胸に秘めながら、私は女車の傍に近付きました。車は随分と使い込まれた古いもので、牛が引く轅の棒も、所々に傷と痛みが入り、御簾も一部は破れて、ほつれた糸がだらしなくぶらさがっているところなど、また全体の見窄らしさが際立っているのでございました。
 怪訝な顔をしている女童が牛の傍に立っておりましたので、私は童の傍に屈むと、聞き取りやすいように、ゆっくりと、しかし大きな声で話し掛けました。
「この御車はどなた様のものでございましょうか」
「これは綏子女王様の御車です」
「なんですと?」
 私は一瞬驚き、そして安堵しました。その時の私は不謹慎ながらも、正直ほっとしていたのです。私がまず驚いたのは、その車が女王という身分の人でありながら粗末なものであったということではなく、車の女主人が綏子様であったということなのです。そして、安心したというのは、その人が定省様の同母姉の方で、定省様がいくら恋めいた気持ちを抱いても、叶うはずのない相手であるからでした。
 綏子女王様は御父を時康親王様、母上を班子女王様とされる皇族の方で、定省様と母を全く同じにする姉弟であるのでした。たしかお年は定省様よりも一か二つほどの年上であったと思われます。お歳は二十歳の、女の盛りにあった綏子様でしたが、父である時康親王様があまりにも窮乏しており、婿を迎えて世話をすることもできないままに、こうして落ちぶれていらっしゃるのだという話を伺っておりました。
 私がちらりと顔を挙げますと、牛車の破れかかった御簾の間から、扇に顔を隠している綏子様の姿がちらりと見えました。扇の骨の合間よりかすかに、白く愛らしい顔がぼんやりと覗いて、唇が恥ずかしそうにはにかみました。
「そなたは、どちらの家の郎党ですか」
 静かな優しい声が、扇の後から御簾を越えて響いて参ります。
「私は、堀川の大臣の妹御、典侍淑子様の家人でございます」
「では、あちらに見えていらっしゃるのは定省殿ですか」
「はい」
 私は頭を下げました。ふと、視線が扇の上を通り過ぎて、通りの端で馬に乗り、様子を見守る定省様へと向かったのが解りました。
「長らく会うこともありませんでしたが、見事な男ぶりに育ったものですね」
 まことに嬉しそうな、綏子様の声でございます。普通は同母の兄弟姉妹は同じ母の家で育つのですが、母上の班子女王様には一家を支えるだけの財力がお有りにならなかったので、定省様は早くから家を出て、淑子様の屋敷で育てられたのです。したがってお二人が顔を合わせていた時間など僅かなものであるはずでした。
「あちらは淑子殿のお世話を受けて立派に成っているというのに、こちらはこのように零落して、恥ずかしいばかりです。本当ならば、姉としての言葉でも一つはかけなければならないのでしょうが」
 そんな事を綏子様はおっしゃいます。かと思うと、小さなため息が一つ綏子様の口からこぼれました。私も、定省様の御実家が、ここまで貧しく落ちているとは思いませんでした。時康親王様のお屋敷である小松殿では、日々の暮らしにことかいて、近隣の者より様々なものを拝借しているという噂が立っておりました。私は所詮噂と気にもとめなかったのですが、その噂はどうやら真実らしく思えて、この時は気の毒さで胸が塞がる気持ちでございました。
 綏子様は扇を僅かに倒しました。ふと、何やら筆が取られる音がして、微かに墨の匂いが私の鼻に香りました。綏子さまは扇の上に何か文字を書き付けているのです。
「これを定省殿に渡してください」
 綏子様がそういうと、女童が主人より手渡された扇を取って、私の手に渡します。それにはこんな歌が書き連ねてありました。

 風の上に在りか定めぬ塵の身は
 行方も知らずなりぬべきなり

 風に飛ばされる塵のような身のわたしですから、行方など知れたものではありませんよ。そういう事を綏子様は定省様に告げたかったのです。落ちぶれた身を恥じて、立派な一人前の男となった弟君に引け目を感じ、綏子様はそんな歌を詠まれたのでした。
 私にその歌を渡すと、綏子様は車を走らせて、私の目の前から去りました。わたしは緩慢に、しかしどこかで嬉しさを感じながら定省様の元に戻りました。
「どうであった」
 少し息を弾ませながら、定省様は私の言葉を待ちました。少し、ほんの少しですが、私は心に痛みを感じました。
「はい、あの御方は綏子女王様、定省様の御姉上でございます」
「なんと、私にあのような美しい姉上がいたというのか?」
 その時の定省様は呆れ、そしてひたすらに驚かれていました。他家に養子に出たような自身は実は幸せであり、実家に残された姉妹の姫君が、このように気の毒な暮らしを送っていることは、定省さまも夢にだに思わなかったのです。
「綏子様はこれを定省様にと」
 私は先程の扇を差し出しました。定省様はそれを奪い取るように受け取ると、しばらくじっとそれに見入っておりました。長い時間が流れた後、定省様は哀しげなため息をつかれました。
「そうか…あの人は姉上であったのか…」
 その言葉にどのような意味があったのか。邪推をすれば幾らでもそれは成り立ちます。しかしこの時の私は、恐ろしいことに、その定省様の心中を思って、一人心の中で大きな喝采をしていたのです。
「こんなことならば、何かことづけるべきであったなあ」
 悔しそうに定省様はおっしゃいましたが、もはや私はその言葉が心からの真実とはとうてい思えませんでした。
「これほどまでに私の姉が困っているならば、微力ながら、この定省も役に立ちたいものだ」
 最後にそう定省様はおっしゃいました。そこで私はふと気が付きました。定省様の心はいつしか打ち拉がれた状態を回復して、再び希望と力に溢れたものと変わっていたのです。それは本当に姉を思いやる弟の情愛から来ていたのでしょうか。いえ、私はすぐさまにそれを否と感じました。
 そうやって定省様が硬い決意を表している中、私はもはや都の喧騒も何もかも忘れるほどの恐ろしい気持ちと不安の中で、一人、本当にぼんやりとして佇んでおりました。
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