[終章]
多大な悲劇を孕んで戦は終わりを告げた。大将である夜洛隔を討ち取られた回鶻軍は恐惶の内に軍を返した。回鶻の侵攻から夏国は守られた。元昊は宴席
で公言した通り、ただの一兵も都興慶に近付けなかったのである。このような元昊をさしもの徳明王も放っておくわけにはいかなかった。都での彼の声望は上がる
ばかりであった。
元昊はそのまま懐水鎮に留まり、壊滅した軍隊の建直しに尽力した。彼は更に軍を進め、王を失って動揺する回鶻を遂に西涼府から追い払い、東西交易の拠
点を己れが手中とした。
こうなればもはや弟成遇がいかに陰謀を尽くそうともどうしようもなかった。元昊の歴々たる戦功は隠しようがなかった。その翌年、徳明王は遂に成遇を閉門さ
せ、元昊を王太子とした。夏国の後継ぎとして内外にその事を知らしめたのである。時に元昊は三十であった。
間もなく徳明王は世を去り、替わって元昊が王の地位を引き継いで夏国の主人となった。張浦の言葉はようやくにして達成されたのである。
その後も元昊は戦いを繰り広げた。西涼府の後は甘州、粛州、瓜州と次々と手中に収め、遂には沙州の曹氏も滅ぼして、西域一帯を全て己れの領土にした。
そして回鶻との戦いより七年後。元昊は西涼郊外の岩山、忘れもしないあの戦いが行なわれた岩山の上において祭壇を設け、皇帝の即位の大典を行なった。
遼、宋のどちらにも属さない新しい国の誕生を宣言するためであった。
彼は独自の年号を定め、その名を天授礼法延祚とした。中原に王朝が始まって以来の六文字の元号であった。これによって元昊は新しい帝国の存在を内外に
識らしめようとしたのであった。新しい帝国の国号は父祖以来のものをそのまま踏襲して大夏帝国と号した。遼帝、宋帝に続く、三人目の皇帝、武烈皇帝李元昊
の登場である。
即位に従って官製が定められ、各々の官職が定められた。新しく官位についた大夏帝国の幕僚たちは皆元昊の即位の式典に参加したが、なぜかそのなかで
宰相たる中書令と、軍事の責任者である大将軍の位だけが空位にされていた。そしてその両職はその後しばらく欠員のままにされていた。
また、即位の時に元昊は皇帝の冠を受け取ると、なぜか笛を懐中から取り出して独りそれを奏でたといわれるが、その意味を知っている人間は僅かにすぎなか
った。多数のものはこの新皇帝の行動に驚き、それぞれが心の中で様々な憶測を立てるに過ぎなかった。
元昊の建てた大夏帝国は約二百年の命脈を保った。その間、遼、宋と烈しい争いを繰り広げ、三国の一つとして天下を常にうかがった。元昊の望みは天下三
分という形で実現されたのである。
宋、遼の二大帝国の間に突如として表れた第三の帝国大夏帝国。後世の歴史家はこれを西夏と呼ぶ。その建国は英主李元昊の才覚のみによって行なわれた
と思われがちだが、その裏には一本の笛が深く関わっていた。今はもう、その笛のことを識るものも語るものも誰もいない。
(終劇)