今日は、祖父の七回忌に当たり法要が行われ、秋分の日に約50名ほど私の家の座敷に集まった。法要・・・・といってもこの辺り一帯の地域では『法事』という。
法事は早朝寺へ行き全員でお参りと読経をしてから移動し、予約してあった食堂で身内の半数が食事を取り、家に戻り、順に家々を廻って来た住職が昼前に現れ、また全員で読経をする。読経が終わると今度は座敷内の座布団が隅に高く積まれた後、長机が置かれてから座布団が敷かれ夕方まで宴会となる。宴会が終わるまで残っているのは3分の1位の人たちで、そのうち女性は台所、男性は屋敷内や庭掃除など片付けにあたり、これで一日が終了となる。
この辺りは、ほとんど庭付き一戸建てで平屋建ての屋敷ばかり・・・・という、市街地から随分遠く離れた田舎で、街までは一時間に一本私鉄が通っている。交通手段は車か私鉄ということになる。なので、年2,3回黒服の人で満員の電車を見ると、法事か葬式かということがはっきりと分かるのだった。
今日も満員電車と同じように、駅に向かって喪服姿の客がわらわらと帰っていった。
「みなさん、お大事になさって」
「はい。今日はありがとうございました。お気をつけて」
最後の客を送りだしたのが、午後6時半だった。私はそれからしばらく薄暗い玄関に佇み、他に客が残っているかどうかなど確認した。客は誰も居ないようで残すところは自分の家族のみとなった。父、母、兄、祖母、曾祖母(未だにご健在とたまに嫌味を言われる)が奥の客間か自分の部屋で寛いでいるに違いないと思っていた。
「おや・・・」
玄関の隅を見ると、上等な黒い男物の革靴があった。さっき見落としてしまったんだろうか、と思い親戚のおじさんが酔って客間にでも居座っているんだろう、そして今日は靴を新調して来られたんだろうと思っていた。それから取り敢えず
玄関の外灯りをつけておくことにした。
廊下にも灯りをつけて、この辺りで(かろうじてある)二階の一室へ戻ろうと思った。その時私は妙な雰囲気を感じた。
「それにしては、静か過ぎる・・・・・・・・」
いつもなら、奥のほうからTVの音が微かに聞こえてきたり、二階から電話の話し声がしたりするものだった。だがしかし今日は違った。確かに、親戚のおじさんらしき人の靴も置いてあったし、家内に人がいるはずだった。・・・・・・・なのに、さっきから人の気配が全く無いことに気づいた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
くるりと向き直し、すたすた歩いて玄関へと戻ってみた。・・・・・・・靴はまだ置いてあるままだった。
念のため、玄関の隅に置いてある大きな靴箱を開けてみた。家族の余所行きの靴が並べて置いてあったので少しホッとした。が、しかしそれはほんの一瞬で、玄関にもともと履いている履物が誰一人のも無いことに気づいた。
「ひいばあちゃんの草履すら、無い」
今年で90歳となるひいばあちゃんは健在で、たまに杖をつきながら散歩に出るのでほとんど草履は玄関に置いている。どうして最初そのことに気づかなかったんだろう・・・・。首をひねりながら今度は台所へと向かった。
台所の勝手口にも、誰の靴もないし、台所の蛍光灯すら点いていない。
「・・・・・・・・・・・・・」
『みんな、どこへ行ってしまったんだろう』
急に私だけ屋敷の中に置き去りになってしまったのかと思い、台所の床下に置いてあった懐中電灯を取り庭を廻ることにした。
座敷の縁側から客間の縁側からばあちゃんたちの部屋と捜し歩いたが、靴は一つも見つからなかった。
私はそのまま玄関へ戻り、再び屋敷の中で家族を探すことにした。約20m程の廊下で、向かって左側全部『座敷』、小さくわけて三部屋、そのうち一番奥の部屋が『仏壇の間』と呼ばれ、七年前・・・・私が十五の時の祖父の葬式、そして今日の法事では襖を全部外して一つの間になるようにした。また向かって右は玄関手前から御手洗、客間、物置、風呂、台所となり、廊下をつきあたって左手にふたりのばあちゃんの部屋、右手がまた物置部屋となっている。
廊下のつきあたりには建て増しの際に階段がつくられており、二階に両親の部屋と兄と私の部屋が設えてあった。
私は、座敷以外の部屋ひとつひとつを隈なく開けて廻った。最後に開けたのが兄の部屋だったのだが、やはり誰も居らず蛍光灯の灯りも点いていなかった。
「あにきまでが居ない・・・」
私の兄は消極的で、私同様顔も地味で性格もパッとしなかった。法事ですら一日中大人しく植木を動かしたりお供え物を移動したりとほとんど目立ったこともなかった。
「私を残して、みんなで食堂にでもいったのかしら」
そんな風にさえ思えてきた。
仕方が無いのでまた二階から廊下まで降りた。・・・・・・すると、座敷の一番端の襖から明かりが縦にもれて光っていることに気がついた。
「みんな、あんなところに・・・・」
呟くと、急いで走って襖を開けた。
「・・・・・・あれ、お客さん?」
襖を開けると、蛍光灯の下で一つだけ長机が置かれており、喪服姿の若い男性が正座していた。そしてこちらを振り返った。・・・・・・・見慣れない顔の男性だった。今日の客の中で、こんな若い男いたっけ・・・・と思った。
「・・・・・・・・・・・・本日は、法事にお招き頂きまして。森坂と申します」
一言だけいうと、また向きを変え元通り正座した。あの靴の正体はこの人なのだろうと悟った。
「あの、実はウチの家族が全員いなくなってしまいまして。・・・・失礼ですが、みんなどこへ行ったのかご存知ではありませんか」
と、いって何も無い長机にお茶を運んだ。すぐ前の客間から運んできたのでそう時間はかからなかった。『森坂』となのったこの男は丁寧に一礼し、黙って一口お茶を飲むと、
「・・・・・お戻りにはなりません・・・・・・・ですから、あとあとのことは全て私があなたの面倒を見るようにと申しつけられました」
と、言いすぐに『何?』と動揺した私に見向きもせずまた喋り出した。
「ですから、先ほどお戻りではなりません、と申し上げました。みなさん、それぞれ事情がおありなんですよ。今日の法事限りで屋敷とあなたの世話は私が行うことが決まりました」
何を言っているのか、さっぱり分からなかった。この屋敷だけ残して他は全員行方不明・・・・・・。
「ちょっと森坂さんって言ったわね、どういうことよ」
突然の出来事に、声を荒げてしまっていた。
「みなさんあちらにおられます・・・・・・ですから、お戻りにはなりません」
森坂さんは、『あちらにいる』という。・・・・・・・・・・・・・『あちら』とは『あの世』のことなのか。もしそうだとしたらあっという間にみんな死んでしまったとでもいうのか。
座敷を見渡すと、襖も元に戻されてしんと静まり返っており、中央に長机が置かれその真ん中に森坂さんが正座していた・・・・・。森坂さんはこの辺りの人では無いのだろう、19歳か20歳位にも見え、やけに白い肌で、薄い眉と唇にはっきりした二重・・・・法事では目立つ顔つきではないかと思った。そこで私は意地悪く、
「今日の、この屋敷の、法事にいらしたんですってね」
と煽ってみた。・・・・・煽るような口ぶりで尋ねたのだ。しかし森坂さんは別に何とも反応せず、薄笑いを浮かべて言った。
「くくくく・・・・あいつと同じだ・・・・」
『あいつ』って、一体誰のことだろうと考えた。この森坂さんという人は父の知り合いでも無さそうだし、今年30歳になる兄の友人にしても見かけない顔である。ふうとため息をつくと、私は自分のぶんのお茶を注いだ。
「失礼、昔の連れにそっくりだったのでつい」
森坂さんはまた無表情になって、お茶を啜った。細長い指先でくるっと茶碗を一回転させ、ご馳走様と茶碗を置いた。
私はついくせで、茶碗が空いたのでまた熱いお茶を注いだ。これはこれは、といって森坂さんが一口啜った。しばらくの間座敷の中は静寂に包まれた。二人とも無言だったからだ。私のほうは、森坂さんは何者なのか、どのようにして本当の話を聞きだそうかということで頭が一杯だったのであった。一方で森坂さんはというと、空(くう)を見つめて何か思い描い ている様子だったり、脚が痺れてはいるものの正座し直したりしている様子だった。
ところが森坂さんのほうから喋り出した。
「私は、この屋敷とあなたの世話を申し付けられて正直言って動転しました。何故なら昔の連れの屋敷だからです」
「・・・・・・・・家はどちらなのですか」
私は話を塞いだ。本当のことを知りたいのだが、奇妙なことに続きを聞きたくもない気分になったからであった。それに家族がいきなりいなくなってしまって、この部屋に森坂さんという人がたったひとり正座していたことが不気味に感じてならなかった。そして街へ出てもなかなか見かけないような白すぎる顔つき・・・・。もしかして私が玄関にいる間に一家を殺した後、どこかへ死体を隠してしまい後は私だけなのかも知れない・・・・・などど空想してしまい、悪寒すら覚えていたのだった。
「お寺の近くでしたよ、昔は駄菓子売りの赤い暖簾が目印で・・・・・うちはその隣」
「はぁ・・・・・・・」
実のところ寺の近くに暖簾は見あたらなかったが小さな商店が一軒だけあったのだった。・・・・・それでわたしははぁ、とだけ頷くことができた。森坂さんはようやく長机の下で脚を崩した。・・・・・・・大体細長い体型だし、今日は何十人も法事には来ていたから大柄の人に混じって余計に覚えてないのだわ、と思えた。
その時外の遠くの方で落雷の音がした。まもなくしてザザーっという音とともに土砂降りとなった。
「今夜は大雨ですね。私が連れと最後に逢ったのもこんな天気でした。」
同時に、森坂さんが話しはじめたので、私は今度は黙って聞いていた。
「連れとは小さい時からよく遊んでいまして。・・・・・・・・・ですけども学生になって久々に逢ってみるとどうも気恥ずかしくて。ですが久しくても昔と変わらなくて・・・・」
兄の知り合いでこんな人があの辺りにいたなんて、と不思議に思った。古いアルバムにも似たような地味な子ばかりで、いるとしたら集合写真か隅っこにでも映っているはずだから、後で探してみようと思った。
「ご存知でしょうけど、相変わらず地味で平凡です。森坂さんとはタイプが・・・・」
そこまで口を出してしまったが、森坂さんは興味が無いような顔をしていたので一先ず話が終わるのを待つことにした。外は先ほどと同じく土砂降りで、やみそうな気配も無かった。時折森坂さんは外の気配を伺う様子で、また何か思い描いているように思えた。
「学生になってから何回か逢う機会ができましてね、しばらく親しくしていたんですが私が遠くへ行くことが決まると『話が急すぎる』と諍いになりまして・・・・・、そうそう、こんな雨の日で夕方頃でした・・・・・それから、それっきりです」
で、どうして法事なんかに紛れて兄に逢いにくるんだろう、と思っていた。そう思いながら森坂さんを見つめた。・・・・・今時で言えば、黒いスーツにネクタイを替えてしまえば単にお洒落しているだけにも見える。兄の友達なら30前後と言えども、何故だかあの兄に不似合いな気がしてならなかった。
「あいつは怒るとすぐ意地悪をしでかして・・・・・・」
くくくく・・・・・と、呟いたかと思うと、森坂さんは思い出し笑いをしはじめた。
「あのぅ〜」
私は最後まで話を聞こうとしていたが、彼が豹変し思い出し笑いなどしはじめたために、こちらの話がうやむやになったと思った。
「これは失礼、あいつらは私のこの笑い方が、どうもね・・・・・・」
森坂さんはそういうと、長机の下で細い足を動かし座り直した。あいつら、というのは兄を含めた友達なのだろうと思い納得した。
「だけれども、私にとっては、自然と落ち着きを取り戻すことができる大事な連れでした。・・・・・・あの雨の日にこんな物まで私に持たせて」
と、いってスーツのポケットからガーゼのようなものを取り出して机の上に置いた。よく見ると、紫と緑の糸で刺繍が施されたハンカチだった。刺繍は菖蒲で、菖蒲は毎年屋敷の庭に何本か咲いていた。・・・・・・・が、あの大人しい兄だが刺繍をしているなど見たことが無いので非常に驚いてしまった。
しばらく、森坂さんの『連れ』の話しは続いた。
兄と思われる人物と一緒に駄菓子屋に来たはいいが、財布を忘れて銭を貸してやったこと、学生時代に自分が被っていた帽子を後ろからいきなり被せ喧嘩になったこと・・・・・と延々と語り出した。
私は聞きながら外の天気を心配した。
同時に、誰も居なくなってしまったが兄の友人が面倒を見るということで、今のところ気持ちだけはおさまってはいるが明日からはちゃんとした捜索願いを出して、なんとかしないといけないと必死に考えてもいた。
・・・・・・・・ますます、雨が強くなってきている。と思った瞬間だった。
「みんなをどこへやったんですか。返してください」
私の口からとっさにそんなセリフがでていた。・・・・・・・・森坂さんはふふっ、薄笑いを浮かべて言った。
「・・・・・・私も、身体がもうもたないみたいです。やはりこの屋敷には来ないほうが良かったのかも知れない」
「どこの病院から来られたのか知りませんけど・・・・・・・・」
自然と、現実的な言葉がまた発せられた。途中、森坂さんは、『病院はね・・・・・』と呟くなり片目からひとすじの涙がこぼれ落ちた。
「やはり世話など・・・・私には・・・・」
森坂さんがまた呟いた。その時だった。ふっ、と座敷の蛍光灯が切れてしまった。
あたり一面真っ暗闇で、土砂降りが続いている。とうとう停電になってしまったらしい。
「森坂さん?ちょっと・・・・・?」
応答が無かった。私は急いで仏壇の間へ行き、マッチと蝋燭を数本見つけ戻ってきた。蝋燭をつけると、森坂さんの姿が見えた。長机で正座をして動かない。
「森坂さん・・・・・どうしたんですか」
固まってしまったかのような細い肩を揺すった。何回か揺すると、ハァと荒い息をしてその場に蹲ってしまった。病気なのは本当らしいと思い、
「しっかりしてください、救急車を呼びますから!!」
と叫んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・オヨウサンニ、『マイッタ』、ト・・・・・・」
それは、か細い声だった。森坂さんが動かず息もしなくなったと思った・・・と思いきや、
ピカーッ!!!!・・・・・・・・ガラガラガラガラ・・・・・・・ドォォォォォーン・・・・グワッシャーン!!!!!!!
閃光とともに、屋敷の庭にいなずまが走ったのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・私はふっと気を失ってしまった。
「まさ!! まさ!! 起きなさい・・・・・・」
母の声とともに、気がついた。見渡すとそこは何も無い座敷だった。長机も無く、森坂さんの姿も見当たらなかった。
「まさえ。あんた昨日の晩はどこへ行っていたのかね。あんなに大雨の中を・・・・・・」
祖母が座敷へやってきて座り込んだ。
「私、昨日の晩居なかったの?」
「妙な子だねえ、あんたは喜多家のおじさんを玄関で見送ったきり見えなくなったじゃないか」
はっきりと言われてしまい、ぞっとしてしまった。それから座敷に杖をついたひいばあちゃんまで現れて昨日の法事の後はどこにいたかと尋ねられた。私はすぐに兄の居所を尋ねたが、仕事に行って留守にきまってるよと言われ、私が朝になっても居ないし、座敷を開けたら寝ているのがみつかったけどなかなか起きないしで会社に電話しましたとまで言われて、しばらくの間放心状態が続いた。
ひいばあちゃんが、杖をつきながら客間からお茶を持ってきてくれたので、私は即座にそれを飲み干した。
「おやおや、喉が渇いていたんだねえ」
今度はばあちゃんが好きなだけ飲みなせといい、茶碗にいっぱいお茶を入れてくれた。
「あにきの知り合いかなんかで、森坂て人、いた?」
母はそんな人知らないと言った。
「森坂って、え?森坂!!!!!!」
ばあちゃんの顔色が変わり、真っ青になってしまい、あわわわといってへたり込んでしまった。少しの間、ばあちゃんはあわわわとか、なんでうちへまた、などとぶつぶつ言って混乱している様子だった。
「森坂っていったら〜ほーら寺んとこの店の横に家があるわ、ひいばあちゃんは、知っとるよ〜」
「昨日、法事に来てた・・・・・・」
ひいばあちゃんが家を知っていると分かり、昨日の法事の話を聞くことにした。が、あわわわわと言ってばあちゃんがそれを止めた。
「何で、じいちゃんの法事に、きたんよ〜、森坂さんは昔から意地悪で・・・・・・」
「で・・・も・・・、『参った』、って、言っていたような・・・・・」
は?とばあちゃんは怒り出して、またあわわわわと言って両手で頭を抱えてしまった。・・・・・・・ばあちゃんの名前はよう子といった。そこで、とても冷静になってしまった私は、どうやら昨晩ばあちゃんの連れ・・・・であった、かつての森坂氏の幽霊に遭遇してしまったのだと思った。・・・・・・・・・とはいうものの、イマイチふに落ちないことが多すぎた。
「あのぅ〜」
ボサボサ頭を掻き掻き、昨晩の一件を話すことにした。
・・・・・・・玄関で、喜多家のおじさんを見送った後家中人の気配がせず、ひいばあちゃんの履物が無くて、その前から黒い靴が置いてあって、台所も明かりが点いてないしで家中探し回ったけど、誰も居なくて、そうしたら座敷の明かりがついていて、それを見つけて入ったら男の人が居て『法事に来た森坂です』と言われたといった。
「・・・・・・・・・小さいころ、森坂さんは隠れ鬼でいっつも鬼でねえ。・・・・・・・・根にもってんだよ」
ばあちゃんが言った。
逢ったと思いきや『みんな戻りません』だの『屋敷と私の面倒を見る』と言ったことから、小さいころ一緒に遊んだことや学生時代に喧嘩したことなど、また刺繍入りのハンカチを貰ったと言って見せてくれたことなど話した。
「なんだってえ?」
今度は真っ赤になって怒り出した。・・・・・・・・・試しに私はくくくく・・・・・と真似て笑って見せると、
「・・・・・・・・・・・・・・そんな笑い方だったよ。あの人はねえ・・・・・・・・出陣したっきりで」
「でも、森坂さんが『私の連れはたまに意地悪で』みたいな事言ってたよ・・・・・」
そして祖母の話へ移り変わった。昔から色白で細かったが、身体は丈夫な人だったことや、森坂さんが言った通り雨の日の夕方に明日から出陣しないといけなくなったと言われ、頭にきたけどお別れだったからハンカチをあげてしまったことや、戻ってくるかと思っていたがとうとう戦争に行ったきりで、亡くなってしまったと聞かされ、今でも時々夢に出て来て困るなどと、ぷんぷん怒りながら語ってくれた。
「・・・・・・・・・菖蒲だったよ、ハンカチの刺繍」
私はちらっとばあちゃんを見た。
「あんなものをこの子に見せて、どうしようっていうのかねえ!!」
・・・・・・・・そしてついに、ばあちゃんの古い古いアルバムの中からそれらしき数枚の写真を発見した。若い頃、木綿のブラウスにもんぺ姿の祖母を挟んで両側に学生服の男の人が立っていたり、左端が祖母だったりと3人で、色褪せてセピア色である。庭先で写したのもあれば、寺の前で写したのもあった。男性2人のうちひとりは、昨晩遭遇した森坂氏に間違いなかった。
「この人が、黒いスーツ着て座ってたよ」
森坂さんを指差すと、ばあちゃんはあの人は・・・・・、と深いため息をついた。
祖母は私とは違い目鼻立ちははっきりしていたので、昨晩どうして私が呼ばれたのかとも思っていた。・・・・・しかし、森坂さんでない男の人がもう1人映っていたので、その人を指差した。
「ところでこの人だれ」
「・・・・・・・・・・・・・・死んだじいちゃんだよ、昔はあの寺の前の駄菓子屋に行ったもんだ」
そうなんだこれがじいちゃん・・・・・・と私はじっくり眺めた。私が物心ついた時はすでにしわくちゃのじいちゃんだったのですぐに分からなかった。他のアルバムを見てから、ようやくじいちゃんだったんだなと分かった。一番古いアルバムで集合写真か家族のようなものが殆どで、三人で写した写真が最後のほうにはってあった。じいちゃんの若きころは中分けの刈上げで黒縁の眼鏡をかけていて、真面目な青年に見えた。細い目つきで、色あせているせいか表情はよく分からなかった。
「どうして私が呼ばれたんだろね」
「・・・・・・・・・・・さてね」
内心、あわわわわ、を隠せないばあちゃんであったが、しばらくして仏壇の間へ行き独り言を言っているようだった。
私は、ボンヤリ昨晩のことを思い出しながらふわぁぁとあくびをひとつついた。それから縁側の窓を開けて、晴れ渡った秋の空を見上げるのだった。