会社の帰り、すたすたと街の通りを歩いていると向こうから『よぉ久々』と言い歩いてくる人がいた。
それは暫く・・・・・といっても3,4ヶ月逢っていない従兄であった。
「はるさん、お久しぶり」
塗装屋に勤める従兄は作業服、要するにつなぎという格好でありまさに先方も仕事帰りのようだった。グレー地のつなぎにところどころ白や黒、黄色等のペンキがこびり付いていた。
「こんな格好ですまんけど、久々だから茶店でも行かないか」
と、言うので帰りは何も無いのでいいですよ、と言った。そして私たちはすぐそばの商店街の一角にある、小ぢんまりした喫茶店に入ることにした。
一階はブディックで二階が喫茶店、という本当に小ぢんまりした場所にあり、中に入ってみると手前から4人がけが1つ、残り5席が2人がけと奥にカウンターがあった。客も少なく、私たちはカウンターから離れた2人がけに腰を降ろした。
「どう?仕事」
おじさんの家を訪ねる度に聞かれるセリフだった。いつもぼちぼちです、と私は言う。どうせコピー取りやお茶汲みがメインなので・・・・・・。取り敢えず高校を卒業して3年は働いた。
「はるさんこそ、今日は残業無いんですか」
と聞き返した。こうしたやり取りのうちに、マスターがみずからお冷を運んできてくれ、二人ともブレンドコーヒーを注文した。
マスターがカウンターでゴソゴソとし始めたのを見計らってから、その従兄は『実はよー』とひそひそ話し始めた。
「オレの女、他にも付き合っている奴がいるかもしれなくてよぅ」
「はい?」
すぐにブレンドコーヒーがふたつ、運ばれてきたので思わず従兄は驚き、静止してしまった。そしてまたマスターがカウンターへ戻ってしまってから、またひそひそ喋りだした。
「最近、ケータイにかかって来た奴を言わないし、外に繰り出した時に電柱の脇でひそひそ
ヤバそうな顔をしながら話してるし・・・・・・・しかもちらっとみたら「細本」っていう名前でよぅ、実は知ってるやつでそんな名前のがひとりいて」
「・・・・・・・・細本さんて人、男性の方ですか?」
いけない事を聞いてしまったらしいその瞬間、
「あったりめーよぅ・・・・・・・・」
と泣きそうな叫びが返ってきて、ええっとしたような顔でマスターがこちらをじっと見ている。私ははるさん、はるさん・・・・・とテーブルを揺らしながらなだめた。はるさんは、もう思い出すのも嫌そうなくらいに落ち込み、ガックリと肩を落としてしまった。
「話、変えましょう・・・・・」
そこで私は自分の出来事の話を思いついた。しかし、
「そこで相談だ」
と思い切ったような勢いで喋った。どうやらはるさんの彼女は、2,3ヶ月前に自分の会社の後輩に当たる『細本』という人物と親しく喋っているのをみかけたが、そのときは別にはるさんの気にはならなかったらしい。そもそも出会いは1年前のはるさんの会社と彼女の会社とのコンパで知り合ったらしい。彼女はレストランのウェイトレスをしており、大人しそうなロングヘアの女性で2,3度見かけたことがあった。
「はるさんの彼女ってあの長い髪の人ですよね、レストランで働いてる・・・・・」
「・・・おぉ、そうだ・・・・・・・・」
といったきり、また黙ってしまった。だがまもなくせきを切ったように喋り散らした。
「あの細本はよー最近何だか羽振りが良くてよー、ここんとこ毎日あいつがいる時間帯に飯食いに行ってんの。一緒に行こうだの、アレが旨いんですよってよぅー」
「あのレストラン、評判はいいですしねえ・・・・・」
「・・・・・・わかったような口を聞くんじゃねえ」
あわわ、と私は思わず俯いてしまった。はるさんはまぁ、いいけどと言ってコーヒーを飲み干した。
「パチンコとか」
「・・・・・でもねえみたいだ」
外したか・・・・・と思いきや、またはるさんの話が始まった。
「あいつによー細本きただろ、っていってやったら『うん、きてくれるよ』っていうんだよ。これがまた素直に『昨日はランチが安くて即頼んでくれた』とか『コーヒーをおかわりした』だのぬかしやがってオレの立場はよー・・・・・・」
「はるさんは一緒じゃあ無いんですか」
「バカヤロそんな毎日行けるかよぅ」
・・・・・・・またもや外したらしい。聞くところによると、コンパの時もしょっちゅう話しかけてきて邪魔だったとか、やっとお付き合いできたと思ったのに性懲りも無くレストランに出かけて行くし、たまに堂々と会社に電話もしている様子。・・・・・・『細本』さんというひとはかなり図々しい人のように思えて仕方が無かった。
「あのぅ、細本さんてルックスはどうなんですか・・・・」
肝心なことを聞き忘れていた。がしかし従兄のはるさんは引きつり笑いを醸し出した。
「・・・・・・オレより10cmも高くてよー184でー、骨太でガタイもよくてよ・・・・・」
「げっ、ヤバイかも・・・・・・」
私はとてもとても小さな声で、椅子ごと後すざりした。
「それに最近つめてーしよー」
「冷たいってそっけないんですか」
・・・・・・とうとう一年にして破局かと思いきや、
「『レストランが繁盛して忙しくなったし・・・・・』なんていい出してよ」
「本当に忙しいのでは・・・・・」
ガタッ、といきなりテーブルが動いた。
「おめーまでんなこといいやがる〜」
「だって、わたし今始めて聞いたんですもん。それに彼女の話も聞いてません」
カウンターではマスターが横目でちらりちらりと、私達の様子を伺っているようだった。しかしはるさんはそんなことはもうどうでもよさそうな雰囲気で、ぶつくさと細本さんの嫌味を散々言ったあげくに、
「オレから、別れてあげたほうが、いいんかな・・・・・」
などと弱気な発言をしだした。わーっ、待ってーなぜいきなりそんなところへ話を持って行くんだー!!ととめようと思った。
結局、
「・・・・・だいいち、証拠がありませんよ」
というしかなかった。そしてさらに証拠なんかねえよ、と言われ『〔あのレストランは本当に旨い〕だなんて胡散臭い奴』、『〔今日はこれこれのランチで〕、だってよ』と数々の細本氏の嫌味が散々始まってしまった。
「いらっしゃいませ・・・・・おや、細ちゃん」
「どーもっす、おひさし」
奥のカウンターからマスターが細ちゃん、と声をかけた。・・・・馴染みの客らしかった。はるさんの背になる部分が入り口に当たるので、はるさんには死角にあたる。私は気づいてしまった。『細ちゃん』という人と、連れの女性・・・・・・。
「・・・・・細ちゃん?」
しかし、従兄のはるさんは振り返ってしまった!!
「オイ、細本じゃねえか・・・・・・・げえっ優美子!?」
偶然にも、はるさんと同じつなぎを着た背の高いがっしりとした男性と、160cmくらいのロングヘアで、トレーナーにジーンズというカジュアルな服装の女性が入ってきてしまったのだった。
「いや〜ん、見られちゃった〜、マスターこのふたり従兄妹同士よぅ〜」
「どーもハルさん、レストラン行ったら丁度あがるところで、それならサテンてもって・・・・」
意外なセリフだった。そしてす〜っとはるさんの前を素通りして、カウンター横の二人がけの席に腰を降ろした。はるさんは振り返ってじーっと二人を見つめてなにやら我慢していた。二人は何事もなさそうな顔でお冷をもらうと、細本氏が『いつものふたっつ』と言った。その時マスターが意地悪く、『お連れさん彼女〜?』と聞き、細本氏は『優美子さんの彼氏はあの人っすよー』と言ってはるさんを指差した。
一部始終に耳がダンボとなっていたはるさんは、私を残してつかつかと奥の席へ歩いて行った。
「テメー今日は優美子と何やってんだよ」
後姿からしてもいかり肩で、語尾が震えている。
「いつものように飯食いに行ったら、優美子さんがもうあがるところでして。『それならつまらんなあ』って思ってお茶に誘ったんです」
「言い訳はそれかよ・・・・」
ふつふつと炎を燃やし始めた従兄を前に、細本氏は至って平然としていた。また『なんで?』というように、
「オレってーあそこの飯は旨いと正直言って思うんですよねー」
「またその話かよ」
「でもって連れが・・・・・・ってハルさんには失礼ですけど、働いてるから行き易いしー」
「それでサテンかよ」
「いやこれはたまたまでー」
「いや〜ん、コーヒー冷めちゃうよぅ〜」
「オメーは黙っとれ」
「まあまあ落ち着いて」
・・・・・・・・・・・・・う〜ん、困った。私は一体どうすればよいものか・・・・・。私には細本氏と優美子さんは友達同士にしか見えないし、従兄妹の話を思い出しながら話ぶりを聞いてみると
二人は話を合わせているような気もしないでもないし、単に優美子さんが優柔不断なだけに思えてきたり・・・・・。向こうでマスターを交えて言い合いが始まった。
「細本はよく毎日行く金があんのな」
「毎日行ってませんて」
「でも、常連さんなのよぅ〜・・・・・ねっ」
「あはは・・・・・是非私もランチどきに行ってみたいなぁ」
「ったく、オレはよー細本はよく働くとは思うけどよー」
「こんなところでなんなんですかぁー」
「もうっ!! ふたりとも、けんかはやめて〜」
・・・・・・・・・・・・・・・・う〜ん、困ったなあ。
と、結局取り残された私はどうしたかと言うと。
カウンターに『用事ができましたので、先に帰ります』のようなメモの走り書きと、二人分のお勘定を置いて、そそくさと喫茶店を出て、ちらっと振り返ると一階まで階段を駆け下り、さらに逃げるように商店街の入口まで走ってしまった。
従兄のはるさんは私のことはさておきだったので、思いのほか出てこれてしまった。そしてマスターも案外と人が良く、宥めたり仲裁したりしていたので下手したらそのままとんずらできたかも知れない・・・・・・という雰囲気であった。他の客が居たことは居たが、私が出るころにはもう居なかったので、従兄も他の客に修羅場を見られなくて良かったと思った。
さて明日は、『従兄のはるさん』にだけは出くわしたくないと思いつつ、私は帰路に辿り着くのであった。
そして、その後どうなったか・・・・・・・・・・なんて恐ろしくて、聞けない・・・・・・・。
完