大学2年の夏、私は田舎へ一足早く8月初めに帰省した。理由はなんてこともない・・・単に暇だったからである。アルバイトでも行けば良かったのだが何となく今年は実家で過ごそうと決めて他の子よりも早々と戻ってきてしまったのだった。
当然、お盆前とは違って同い年くらいの子は昼間は仕事に出ていたり帰省していなかったりでテレビを見たり植木に水をやったりと最初の2,3日のんびり過ごしていた。そして今日さらに暇つぶしに散歩に行くことにした。
Tシャツにジーパンで家から一歩出ると蒸し暑く、さらに数十メートル付近で海が見えた。海辺には毎年相変わらずちらほら海水浴客がおり、波と戯れている様子だった。非常に蒸し暑いせいか、道路は時々車が2,3台通り過ぎていくだけで人が歩いているということはなかった。私はぶらぶら『変わってないなあ』なんて思いながら、適当にてくてくと街まで続いている一本しかない道を歩き続けた。
約1km・・・・・・歩いただろうか。昔・・・・といっても小学生くらいか。良く通っていた雑貨店の前を通りかかった。私はジーンズのポケットの中を探って500円玉があるのを確かめるとガラガラガラと雑貨店のガラス戸を空けた。
雑貨店は、いたって昔と変わらなかった。中に入るとすぐに昔夢中になった当てくじ・駄菓子などが並び、右がレジでその奥が家と繋がっておりおばあちゃん(昔はおばちゃん)が扇風機をつけて麦茶を飲みテレビを見ながら店番をしていた。おばあちゃんは私のことは誰なのかも覚えていない様子で『はいいらっしゃい』とだけ言ってまたテレビを見た。
私は店の左側を廻ってみた。たわし、ティッシュ、洗剤やノートや鉛筆などの日用雑貨がこぢんまりと並べてあった。全く覚えの無い風景だった。そしてレジを通って店内を一周した感覚でまた駄菓子の前まで戻ってきた。私は一瞬立ち止まっただけでそそくさとレジの横にあるジュースを一本取った。そしてレジまで進もうとしたが左隅にキャンディーの入った袋が目に入った。“くだもの飴 300エン”と札に書かれてあった。
『へぇまだあったんだ』
私はふとキャンディーの袋を手に取った。色とりどりのカラフルな柄でピンクの文字で“くだものミックス”とあった。そしてそのままレジに行き『全部で400円でお釣りが100円。ハイありがとね』と言われ白いビニール袋を受け取り、店を出た。
私はビニール袋を片手に、さらにもう数百メートルほど歩くことにした。途中でジュースの缶を空けふらふらと歩き続け缶が半分になった頃には小学校の校庭へ辿り着いていた。
校庭から校舎を眺めた。小学校はすでに夏休みに入っており昼間ですら全く人の気配がしなかった。校舎は木造でコの字型、向かって左側2部屋分が2階建てであり2階建ての部分には6年の教室が2クラス、それ以外は1階、体育館は校舎の裏付近に位置した。入口は右端と左端に一つずつあり右端が職員玄関となっているが、そこもどうやら鍵がかかっているようだった。私は誰も居ないのを確かめると、右端の職員駐輪場(屋根付き)にあるブロックに腰掛け一息つくことにした。
「ここも変わってない・・・・・」
昔通った母校の風景は今となっても同じだった。私は校舎を眺めながら早速ビニール袋の中から“くだものミックス”を取り出し、一粒口の中にほうり込んだ。いちごの味がしてとても甘い気がした。袋の裏には画像つきで『マスカット、イチゴ、メロンの3種類です』と書かれてあった。・・・・・・・そう、このキャンディーは今なら『卒業式教室で先生にもらったキャンディー』とでも言っておこうか・・・・・。
その時私は向こうに見える6年教室を遠く見つめながら、昔の記憶をたぐり寄せていた。
私の居た1組は左側、夏の日差しがふりそそいで何故だか蜃気楼のように感じた。私はイチゴ味が口の中に充満しているのにマスカットをほおばった。マスカット味が口の中全体に行きわたったとき、私はすべてを想い出していた・・・・・・・・・・・・。
卒業式を一ヵ月後に控え、私たちは放課後卒業制作に取り組んでいた。卒業制作は横1m・縦2.5mの大きなステンドグラスで、孔雀かなにかの鳥の絵だった。その年の学級委員長が絵画コンクールで特選を取り、それをモチーフにして枠組みをし型のとおりに大きなはさみを使ってフィルムを切っていくという作業だった。
「うわぁぁぁぁん・・・・」
「どしたのよっちゃん」
よっちゃん・・・という女の子は、黒板近くにあるストーブ付近で作業をしていたはずだった。ストーブ付近には男の子4人と女の子3人が何かこっちを指差しながらざわめいていた。けんかでもしたのかな、と私は思った。よっちゃんは泣きながら、
「やす子ちゃんがわたしにだけあめちゃんをくれないの」
「えっ、あめを持ってるの」
私はその時よっちゃんにだけあめをくれないやす子ちゃんではなく、学校にあめを持ってきているやす子ちゃんに驚いていた。・・・・・・・・当時我が家では学校から帰ると手作りのホットケーキやクッキーを母親がおやつに出し、今日のような遅いときはすぐに夕食があったからだった。
しくしくとよっちゃんは泣き続けていた。
「意地悪するなら、ここで一緒に切ったらいいよ」
と私はなぐさめた。すると学級委員長のわたる君が向こうから小走りでやってきた。
「よっちゃんどうして泣いてるの」
「やす子ちゃんがあめをみんなにくばって、わたしにだけくれないの!! どうしてもあげな〜い、っていうの・・・・・・」
「そいつはおかしいよね」
わたる君はすぐに例のグループにとりなしに向かった。するとやす子ちゃんが、
「委員長だからあげる」
と言ってあめを差し出し、わたる君は、
「ぼくはいいよ」
と言った。するとグループの男の子たちが『全く素直じゃないんだから〜』『もらっとけよ』とはやし立てた。わたる君はかなり強気で最後までいらないと言い続けた。その間に
他のグループの子たちが集まってきて、何人かはやす子ちゃんにねだってもらっていたのが見えた。結局あめは残り数個となりやす子ちゃんの巾着袋の奥ふかくへしまい込まれた。
ところが、口論はまだ続いていた。
「やす子ちゃん、どうしてよっちゃんにだけあめをあげなかったの」
「だって・・・・。・・・・いいじゃん別にー」
「みんなに配るべきだとぼくは思う!!」
「そーそー、委員長の言うとおりだよおれたちおんなじクラスの仲間だしー」
「ゆう君2個も食べる気?」
そんなこんなで言い合いとなり、クラス中大騒ぎとなってしまった。わたしは騒ぎの輪には行かずただただ俯いて目を真っ赤にしているよっちゃんをなぐさめていた。
「ひろ子ちゃんは、あめちゃんもらいに行かないの・・・・」
急に自分のことを聞かれてこう答えた。
「おうちに帰ればすぐごはんだし・・・・・・」
しばらくしてから担任の先生が駆けつけてきた。どうやら2組に聞こえていたらしく2組の誰かが先生を呼びに行ったらしかった。
「みんなでなにをしているんだ」
担任の先生は当時30前後の男の先生で、中川先生といい、一部のグループでは通称ナカガワと呼ばれていた。ナカガワはガラっと勢いよく戸を開け、全員席に着くようにと言った。全員が作業の手を止めて席についた。
まず委員長が席を立たされてことの成り行きを喋らされた。
「ぼくは向こうでよっちゃんが泣いているのを見つけたので、なんで泣いているのか尋ねました。よっちゃんは『やす子ちゃんがわたしにだけあめをくれない』というので、ぼくはやす子ちゃんによっちゃんにもあめをあげるようにと言ったんです」
先生は腕組みをし椅子に腰掛けた。そして委員長を座らせ今度はやす子ちゃんのグループを立たせ順番に話をさせた。先生はまず何か言いたそうなゆう君を指した。
「ぼくはやす子ちゃんの隣でフィルムを切っていて、やす子ちゃんがあめを持ってきているのであめを配ってもらえました。だけどやす子ちゃんはよっちゃんも見ていたのにあげなかったのでしつれいだと思います。よっちゃんも仲間だからあげてもいいと思いました」
先生は少し黙ってから、ゆう君にもういいから座ってと言った。そして『ほかに意見のある人』と言うと、私と同じで輪にも加わらなかった本多君が手をあげ、
「ぼくはあめももらっていないし、もう帰りたいでーす」
するとまた委員長が手をあげ、
「本多君はずっと別の場所にいたのでかんけいありません。ぼくたちのところに来なかったからあめもいらなかったんだと思います。帰ってもいいと思います」
としきりだした。後部座席の子たちがひそひそと『帰りたいよねーナカガワけちだよ』と囁きあっていた。
先生は『そこ静かに』と言い最後にやす子ちゃんを立たせて言った。
「学校にあめとか、お菓子・・・・そういうものは全部禁止。持ってこないように。やす子ちゃんだけに言ってるんじゃあないよ」
やす子ちゃんは小さくはいと頷き、残り全員大きな声で『はーい』と返事をした。先生は今日はもう帰ってよし、明日また引き続き作業をしますと言い残して解散となった。
ところが次の日の朝になっても、クラス全体の様子は不自然で『あめをもらったグループ』『もらえなかったよっちゃんをかばうグループ』とが対立しだしていた。私は『かばう』グループに入れられてしまい、また目を真っ赤にしているよっちゃんをひたすらなぐさめていたのだった。
給食の時間にはさらに対立が激しくなり、『委員長だからって威張らないでよ』と当番だったやす子ちゃんにわたる君がみそ汁を少なくされ、『どういうつもりだよ』と言っても無視で半分しかないみそ汁を持って帰らされたり、ゆう君が他の子たちに『ふたつももらおうとしたんだってねー』とつつかれたりしてけんか、結局先生が止めに入る始末。その日の放課後からは先生の監視つきでの卒業制作となってしまったのだった。
また一部の子たちが『ナカガワしつこいよねー』と囁き合い、咳払いをされたり、フィルムを型に貼ろうとしているよっちゃんが『汚いよね』と言われ。意味も無く指をさすやす子ちゃんのグループの子に『やめなよ』と言ったわたる君の隣の布佐さんが押されて転んでグループ全員先生に叱られていたり。布佐さんは布佐さんで『牧田さんがぶった』と言って保健室へ直行・・・・・・・・・。
こんな争いや騒ぎが一週間も続き、卒業制作どころでは無くなってしまった。次第に対立が激化してしまうと全員妙にびくびくしたり疑わしくなっていった。2月の半ばには殆ど無視のしあい・目が合えば口げんかが始まっていた。全員だんだん『やす子ちゃんがあめをよっちゃんにあげなかった事件・・・・・』でなく『誰々がわざと足をひっかけた』とか『誰々が誰々のフィルムを隠した』と全く違う方向でけんかが始まっていた。わたる君は『ぼくは委員長だから』といって必ず仲裁をしに行って『かっこつけやがって』と文句を言われてしょげ込んでいたり、クラス内の雰囲気は最悪な状況に達していた。
卒業式まで後2週間・・・・となったある日、さらに最悪な出来事が起こった。放課後やす子ちゃんとハルオ君という子が言い合いになってしまい、いつものようにわたる君が仲裁にやってきた。この時間は先生は教室にいなかったためになかなか言い合いが収まらず、ついにはお互い鉛筆やノートなど投げつけて、それも止めに入ったわたる君に向かってやす子ちゃんははさみを投げつけたのだった。
『うるさいよーかっこつけちゃってー!!』
「あぶないよわたる君!!・・・・・・・・イタッ」
「えっ・・・・・・・・」
・・・・・・・・・なんと、やす子ちゃんの投げたはさみの先がよっちゃんのすねにささってしまったやす子ちゃんの投げたはさみはよっちゃんのすねにささってすぐに床にコトリと落ちた。はさみの先がほんの少し赤く染まっていた。・・・・・・・・よっちゃんはわたる君の腕をひっぱってはさみをよけさせたのはいいが、自分の足にはさみがあたってしまったのだった。すぐにわたる君はよっちゃんを保健室に連れて行き、教室内は一瞬しんと静まり帰った。
「おまえわざとあてたんじゃねーの」
「ちがうよ!!」
ハルオ君にさらに攻撃を受けてしまったやす子ちゃんは、巾着袋を持って泣きながら教室を出て行ってしまった。
それからしばらくして先生が来て『よっちゃんのけがは大したことが無いので全員時間には帰るように』と言ってまた出て行った。
次の日、よっちゃんは右足に包帯を撒いて登校、この日以来やす子ちゃんは学校に来なくなってしまった。昨日の争いはおさまったのはいいがまだ放課後の小ぜりあいは続いた。
そして卒業式の3日前になり卒業制作はなんとか完成していた。・・・・・がこの日もやす子ちゃんは休みだった。
やす子ちゃんが再び現れたのは、なんと式が始まる一時間前のことだった。教室からわたる君とよっちゃんが出ていったかと思いきや、しばらくして3人一緒に教室へやってきた。それから3人揃って席に着くと先生がやす子ちゃんを立たせ『一言』と言った。
「さっき体育館で卒業制作を見ました。とてもきれいでした。・・・・・・・私の休んでいる間に迷惑をかけてごめんなさい・・・・」
それだけ言うと、先生はハイ、と言いみんなに向かって、
「ハイみんな、やす子ちゃんも元気になったしよっちゃんの足も治っています。みんなで卒業式をしましょう」
よっちゃんの足を見るとハイソックスを履いていたが、包帯をしていないことに気づいた。
・・・・・・・・・・・無事卒業式も終わると、しばらく教室で過ごす最後の時間が来た。外で待つ親がほとんど、大抵一時間足らずで毎年それぞれ帰っていく。
6年1組は全員黙って席に着いた。
中川先生は颯爽と教壇に立ち、ええっと・・・と呟くとよっちゃんとやす子ちゃんを教壇の横に立たせ、握手をさせた。
「よっちゃん、ごめんね」
「ううん・・・・昨日は来てくれてありがとう」
よかったねえ、と例のグループが拍手をし全員拍手となった。そして二人を席へ返した後先生は、小さな紙袋の中から飴を出して前列の子に『ひとつずつ取るように』と渡して行った。全員に行き渡った頃、
「・・・・・・・最後に、わたる君おつかれ様。委員長として一生懸命よく頑張りました。・・・・二人ともやっと仲直り出来ました。卒業式も全員揃って迎えられました。みんな、卒業おめでとう。今日はこの飴を、特別に全員にひとつずつ配りました。みんな覚えているだろうけど・・・・・これからけんかなんか無いように。・・・・・本当にみんなおめでとう!!」
一斉に拍手が巻き起こった。
『ナカガワなかなかいい事言うよね』
『偉大だね・・・・ナカガワ』
ひそひそと後部座席の子たちが囁く。そんな中で私も大きく拍手をしていた。なんだかすべてがまるくおさまってしまった、何事もなかったんだというような雰囲気に包まれながら私は小学校最後の日を終えた。
・・・・・・・・・・・・帰りがけによっちゃんに話しかけて聞いてみると、卒業式の前日・・・・つまり昨日の夜、よっちゃんの家にやす子ちゃんが一人で訪ねてきたらしかった。玄関の前でうろうろしていたところをよっちゃんのお母さんが『どうしたの』と見つけ家に入れられてからやす子ちゃんが『ごめんなさい』と泣き出し、よっちゃんの部屋でしばらく話した後、何とか仲直りしたのだそうだ。なんとその時にやす子ちゃんは巾着袋の中から例のあめを全部出しよっちゃんの手のひらにのせて、『ほんとうにごめんね』と謝ったという。それからよっちゃんの家のお母さんの車でわたる君と先生の家に連れて行ってもらい、『卒業式は全員一緒に』と約束したと話してくれた。
そのとき私は『よかったね』といいよっちゃんは『うん』と微笑んでしばらくして別々に帰って行った・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・そして月日が経ち私は、こうしてこの校舎を前にしている。
・・・・あい変わらず、夏の日差しは眩しい。今私はあのキャンディーのメロン味をほおばっている。甘すぎるようなメロン感覚を味わいながら、あのとき嘘みたいな一ヶ月で嘘みたいな出来事だった気がする・・・・とぼんやり思った。中学になって同じクラスの子は殆どバラバラになってしまったし、今となっては誰も想い出すこともないだろうななんて思った・・・・・・。
私は空になってしまったジュースをビニール袋に入れ、キャンディーの入った袋を出してそろそろと立ち上がった。やっぱり蒸し暑くて、頭上で太陽がギラギラと輝いていた。
すべて思い出したころには散歩もおしまい。
「そうそう、私って何味もらったんだったかな・・・・・」
元来た道を、てくてくと歩いて帰るのであった。
完