思い起こせばもう遠い昔、私が12,3歳、季節は夏のころの話である。
町のスーパーに行くにも、電車で約1時間半・・・・・という山の中に住んでいたので、私は殆ど田舎から町へ出たことがなかった。当時は中学生で、学校が終わると友人宅へお邪魔したり、お寺近くの公園のベンチで座って喋っていたりのんびりとしたものであった。
当然、夏休みともあれば、登校日という決まった日以外は殆ど暇といっても良いくらいである。私はごく普通の田舎の女の子らしく過ごしていた。毎朝ラジオ体操に出かけて、家に帰ると朝食の手伝いと洗濯、昼はまた昼食の手伝いに午後から宿題をしたり本を読んだり、またうとうとと昼寝をしたりしたものであった。時々友人たちが誘いにきて、近くに流れている大きな川のほとりでお話したり、泳いだりしたこともあった。それが終わると、仲間同士で近所の食堂に行き、当時300円だったカキ氷を作ってもらうのだった。夏休みなので、時々みかけない人も居たが、食堂のおばちゃんは愛想よく相手をしていたことを覚えている。
私とその頃仲良しだった沙実ちゃんという子が居たが、その子も食堂のカキ氷が大好きだった。川で泳いだあとは必ず一緒に350円出していちごミルク味を注文した。
お盆の日だったろうか。私と沙実ちゃんはしぶしぶながら、川のほとりに足を浸しながら暫くの間いろいろと喋っていた。この日は二人とも泳ごうとはしなかった。何故なら、この付近に伝わる独特の言い伝えで『お盆に川で泳ぐと川の中からお迎えがくる』と言われていたためだ。日差しもきつく、泳ぐこともできない私たちは、つまらなくなったので例の食堂へと向かった。
「あれまぁ、いつもありがとね」
食堂はお盆でも営業していた。食堂は、座敷が3つと4人がけのテーブルが3つ。テーブルはどこも一杯だったので座敷に座ることにした。座敷というのは特別な気(大人たちが座るところのように思っていた)がしていて、今まで座ったことがなかった。隣の座敷では、今日も暑いのにスーツ姿のおじさんがふたりと、白髪まじりでパーマの髪型で紺のワンピースを着たおばさんが座っていた。いかにも外(都会)から来た様な人たちが、定食を食べに来ているようだった。今日はおばちゃんの娘らしき人が注文を取りにきてくれ、いつものようにいちごミルクを頼んだ。
「またお盆がきたねえ」
と、私。
「うん、今年の大灯篭は3軒なんだって」
家の人から聞いてきたのか、沙実ちゃんがそう言った。
『大灯篭』というのは、昨年の盆明けから今年の盆までに亡くなった人の家から出される、大きな灯篭である。大きさ約1m程の木の船の上に縦横50センチ四方の灯篭が乗せられ、その周りには供え物として造花の菊や野菜が飾られる。そして盆の最後の晩、川の上流から下流へ向かって流すのである。一方それ以外の家は大体高さ15cmから20cmくらいの灯篭を流すのである。
二人の家は当時祖父母とも健在であったので、毎年、『灯篭流し』は祖父母の役目であった。毎年祖父母たちの流した灯篭の数々を、下流で待機して眺めていたのであった。その時間になると、盆踊りもしばらく中断されて誰もが流れていく無数の灯に両手を合わせ、先祖の霊を見送るのである。
私は、食堂の座敷の外を見やると、今日はお客さん多いねえと、ひそひそと沙実ちゃんに話しかけた。すると、
「・・・・・・・・・もんちゃん(当時の私の仇名)の浴衣ってどんなのだった?」
違った答えが返ってきた。だが私は別に気にも留めなかったので、
「うんとねえ、紺色で白い大きな牡丹の柄で、赤い帯だったよ」
と、答えた。沙実ちゃんはふーんと答えてからぼんやり食堂の中を眺めた。そして、今年は灯篭流しが終わってからも少し居ようとか、3日目に行う仮装行列が待ち遠しいことや、灯篭は幾つ位流れてくるかななどと言った話をした。
しばらくして、ふたりともいちごミルクを食べ終わって、食堂をでてそれぞれ家に帰った。
家に帰ると、仏壇のある畳の間に、すでに高さ1mの室内提灯が二つ置かれていた。そして仏壇の横にはきゅうりやなすが供えられていた。それを見ながらお盆がきたなあ、と思っていると、
「もんちゃん・・・・・・百子〜、浴衣を出して置いたよ〜」
と、おばあちゃんの声がしたので部屋まで急いだ。
沙実ちゃんに話した通り、紺色で白い大きな牡丹柄で、その横ではハンガーに赤い帯が吊るされていた。今年もこれを着る時が来た、と思って心が弾んでいた。
同じ部屋でおじいちゃんが灯篭をつくっていた。障子紙のような花の絵が描いてある紙を、おばあちゃんが毎年近所の食品雑貨で買ってきていた。そしておじいちゃんが裏山へ行き小さな竹を鋸で切って、紙を貼るための軸と土台をつくっていた。そして出来上がればその中に小さな蝋燭を入れ固定し、お盆最後の夜には蝋燭に火をともして川へ流すのである。そしてその日の夜は、この辺り一帯の家々から灯篭を流すので約300世帯とあれば、『大灯篭』も含めて300から400くらいの炎が川を下っていくのが見られる。・・・・・・昨年も私は沙実ちゃんをはじめ友人たちと、灯篭流しを眺めた。その時、ちょうど川の中流沿いの広場で行われる盆踊りに来ており、一時中断となったため河沿いに座り込んで見ていたのであった。
約2時間半もすれば、灯篭は下流へと流れて見えなくなってしまう。それまで人々は灯篭をみながらそれぞれの話に時間を費やすのであった。ようやく盆踊りが再開されるのが12時を廻ったころである。昨年までは灯篭を見終わればみんなで家に帰ってしまうのだったが、中学生になったのをきっかけに、今年は沙実ちゃんと少し残ってみようかということになっていた。
「もんちゃん、浴衣着てみなさい」
・・・・・・・と、おばあちゃんに言われ、浴衣の袖を通してみた。丈の長さはあまり変わらない気がした。何センチか身長は伸びて裾が短いような気がしたが、『これくらいはなんともないよ』と言われた。きっと来年は丈を直してくれるのだろうと思った。
そして盆の二日間は、私はお昼前に起きて素麺を食べて、親戚のおばさんやおじさんが来て話をし、夕方風呂に入ってから浴衣を着て、お寺参りと随分昔に亡くなったご先祖のお墓参りに出かけた。そしてそれが終わり夕食を済ませると、お寺の広場で沙実ちゃんたちと待ち合わせをして、盆踊りに行き、家に戻ると夜中の2時になってしまうのだった。
さて、盆も3日目、最後の夜となった。
私はいつものように、風呂に入ったあとおばあちゃんに浴衣を着せてもらい、家族でお寺とお墓へ出かけた。その途中に見覚えのある人たちとすれ違った。すぐさまおばあちゃんに、
「あの人たちねー、食堂に来ていたよ、都会のひとかな」
と、言うと、このへんで都会へ出ていた女の人が、若くして亡くなり今年が初盆・・・・・そういう訳でその客では無いか、ということを教えてくれた。・・・・・・・また途中で沙実ちゃんの一家ともすれ違い、二人とも浴衣でご挨拶をした。
「あっ・・おばんです。・・・うふふふ」
「おばんです〜ふふふ・・後でねー」
お互い浴衣を着て、しゃなりしゃなりと歩いているところに出くわし、少し恥ずかしいような気持ちがした。その時は父をはじめ、一家同士寺の前で数分間立ち話をして別れた。
その夜、予定通りの八時過ぎに、私たち数人でお寺の横の公園で待ち合わせをした。皆『今日は仮装行列だよー!!』『灯篭はどれくらい流れるかなあ』などとはしゃいでいた。待ち合わせをしてから、盆踊りの行われる場所へと歩いて行った。私と沙実ちゃんのほかに女の子が3人居たが、それぞれ浴衣を着て下駄を履いていた。歩くたびにカラカラと下駄の音が鳴った。夜風に揺られて、その音が響き渡るのがまた心地よかった。
盆踊りの場所は、公園から少し離れた場所にあった。砂地の平らなところで、ゲートボール場だった。毎年決まった日になると櫓が組み立てられて、太鼓やマイク、オーディオデッキが設置される。当日は付近に屋台が4,5軒ほど並ぶ。8時半くらいになると、地元の青年団がきて準備をし早速盆踊りがはじまる。踊りは昔から伝わるもので、この辺りでは大半の子が、保育園に入る前から家の人などに踊りを教わる。盆唄としていくつかあるのだが、中学生にもなると大抵すんなりと輪に入っていけるのであった。
今日は3日目で、遠くから来ている人たちもいるのが分かった。青年団の太鼓と唄い手がスピーチをしてからはじまった。踊りの輪も3つ出来、私たちは一番外側の輪に入って踊った。老若男女が集まる中で浴衣の子も多く、私も沙実ちゃんも張り切って輪の中で踊った。またこの日にはお侍さん、ドラキュラ、河童、ピエロ、熊や猿の着ぐるみ・・・・・など仮装の扮装をした人たちなど数十人が通りを練り歩いた後、踊りの輪に加わってきた。これも数年前からの青年団の意向だったのだが、これをこの辺りでは『仮装行列』と呼んでいる。
8時から9時までの間、一本の通りを通行止めにして、それぞれの役に扮した人々で一種のパレードとなる。そして、だいたい9時までに、ほぼ全員が踊りの輪へやってくることになっているのだ。
・・・・・・・・踊りは一時間半経過した。一旦中断され、生音からデッキへと変わった。私たちは青年団が居なくなるのと同じくらいに、今度は屋台へ回った。
「はぁ〜疲れたねえ」
「よく回ったよね・・・・・」
いつもの食堂のおばちゃんが、毎年屋台を出しているので、私たちはそこでまたカップ入りの氷イチゴを買った。・・・・・氷イチゴは私と沙実ちゃんで、他の子は氷メロンや氷抹茶という具合だった。それから踊り場から道路を挟んですぐ、土手を降りていくと『灯篭流し』の行われる川につきあたる。今いる場所は川の中流付近にあたった。先ほど青年団がデッキに代えてどこかへ行ってしまったが、きっと灯篭を見に行くのに違いないと思っていた。
案の定、私の予想は当たって青年団らしき集団は土手の下流のほうに見えた。缶ジュースを片手に十数人の影があり、がやがやと声が聞こえた。
「早いよねー、もうそろそろかな」
と、言って私は沙実ちゃんに話しかけた。ところが沙実ちゃんはじっと黙って踊りの輪を見ている様子だった。
「沙実ちゃん、沙実ちゃん!!」
そういって私が肩を叩くと、申し訳なさそうな顔をし出した。その隣で他の子達は灯篭流しを待ちながら話をしているようだった。
「どうしたの・・・・・・・・・?」
と私はひそひそ声で聞いた。すると、沙実ちゃんが踊りの輪のほうを小さく指さした。
「こないだ食堂で見たひとが来ていたの」
多分スーツを着ていたおじさんだと思い、私はおばあちゃんから聞いた話をした。そしてあのおじさんそんなステキだったあ?と茶化してみた。しかし沙実ちゃんは首を横に振った。
「・・・・・・・・違うの。着物を着た女の人」
私は多分あのおじさんたちと一緒に居たおばさんだと思い、どうかした?というように尋ねた。
「おばさんじゃなくて・・・・・あっ、お坊さんの後について行った・・・・・」
えっ?と私はびっくりした。まだ盛り上がっている踊りの輪の中で、中年のお坊さんを見つけた。そして、
「あのお坊さん、お寺の住職さんで〜ほんも・・・の・・・・・・・・・あ!・・・・・・」
言いかけたとき、分かってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・その後ろを、ゆっくりついて行く、若い女の人が。しかも沙実ちゃんの行ったとおり、着物を着ていた。・・・・・・・・・・・・・よくよく目を凝らすと、足元の部分が透けてるように見えた。
「さ、沙実ちゃんの言ってる人ってば薄い黄緑の着物の人?」
「足が透けているの」
・・・・・・・・・・・・・・・当たったらしい。
そうこうしているうちに、川の上流から無数の灯篭が流れてきた。しばらくしてから、盆唄と屋台が一旦中断となったらしく、少しずつあたりが静かになってきた。
「沙実ちゃん・・・・・、灯篭流し・・見よう」
私が横からそういうと、うん、と沙実ちゃんが小さく頷き、遠くを眺めた。
そして私たちは、上流から流れてくる何百個もの灯篭たちを、川の土手でじっと見つめた。・・・・・・・・沙実ちゃんの言った通り、3つ、『大灯篭』が流れてきた。
「ちょっと失礼・・・・・」
後ろからぱたぱたと草履の音がしたかと思いきや、先ほど踊りの中に居た住職が現れた。そして、私たちが座っている場所を横切ると、土手の一番下まで走り降りると、読経を唱え始めた。
「住職の・・・・横・・・・・」
「う、うん・・・・」
と、私と沙実ちゃんがひそひそと言い合った。例の薄黄緑の着物の人が、住職の隣に立っていた。シマダと呼ばれる髪型で、時代劇の町娘のように見えた。足元さえ見なければ、仮装の人である。
沙実ちゃんの横の子が、
「うわぁ〜でかいしきれいねえ・・・・あの大灯篭。今年の初盆さんのよねー」
と感嘆の声をあげた。
ゆるゆると、大灯篭が近づいて来た。カヌーのような形の船の上で、チューリップやコスモス、グラジオラス、といった四季折々の花の絵が描かれており、炎で色鮮やかに照らされていた。
私は、きっと前にいる女の人のなんだろうと思った。・・・・・・・住職が読経を唱えているうちに、女の人の姿が足元からどんどん薄くなっていくのに気づいた。それにつれて、川の横を大灯篭がふたつ、みっつと横切っていく。
・・・・・・・ついに、私達の前を3つめの大灯篭が通りすぎたと思いきや、女の人の姿は消えてしまった。・・・・・と、同時に住職の読経も終わった。まだ川では多くの灯篭たちがゆっくりと流れていく。だが、住職はくるりと向きを変え、ぱたぱたと土手をあがり、私の横に腰をおろしふぅ、とため息をついた。
「あのぅ、私と、沙実ちゃんは見ていたんです。沙実ちゃんは盆が始まった日に食堂で見たんです・・・・・」
と、私は恐る恐る話を切り出した。また、はぁぁ、と住職が深い深いため息をついた。
「あの人もしつこくてねえ・・・・・、病気になってしまってとうとう帰れなかったようなことを言っていたよ・・・・・・・・」
住職は少々早口だった。そして『結局わしが見送ることになってしまった』、とぼやいた。やはりあの人は、おばあちゃんが言っていた女の人らしかった。
私と沙実ちゃんはほっとした。あの女の人は、大灯篭と一緒に帰っていったのだ。
・・・・・・・・・・・・ゆっくりゆっくりと、多くの灯のともった灯篭が流れ去って行く。最後の灯の群れたちが通り過ぎると、誰も皆静寂の中一斉に手を合わせる。・・・・・・・・・今年の盆もこれで終わりとなった。
残された川は月の光だけできらきらと反射し、上流は闇に包まれていった。
「・・・・・・・・・・・・・踊ろっか」
「・・・・・・・・そだね」
そして、私と沙実ちゃんを先頭に再び踊りの輪へ戻って行くのだった。
完