ある年の9月15日の夜、私は母方の実家であるお婆ちゃんの家に月見に招かれた。75歳になるお婆ちゃんの息子であるおじさん夫婦は今日は留守であり、お爺ちゃんは何年か前に亡くなってしまったので二人きりであった。
市内からバスに揺られて約1時間、徒歩10分足らずで宅に辿り着く。約束は午後の6時半であったが、6時に到着した。郊外にあるこの家・・・・・といっても庭つきで風情のあるお屋敷で、一階建ての平屋で部屋数が6つか7つくらいあり土間があるなど随分と古いが月見をするにはもってこいである。一週間前お祖母ちゃんから電話があり、『ひとりで留守番しなきゃあならんから、月見がてらおいで』と言われ、丁度土曜日で都合も良かったため、すんなりOKしてしまったのだった。しかも盆や正月くらいしか会ったりしないのだが、
何故か、私宛に電話をくれたからなのかもしれない。
自分の通う高校がバスでほんの5分だったため、1時間も退屈だわと思いつつ、気がつくとすでに土曜日が来てしまい、
「あらあ、早かったねえ」
と、出迎えられてしまうのだった。
「今年でいくつになるのかね」
「ええと、17になります」
などと云う会話から始まり、まだ外は半そででも良いくらいの暑さだったので母の時代の浴衣を着せてもらった。紺地に小さく青いあさがおの浴衣で袖もぴったりだった。
そして座敷と呼ばれる畳の間へ通されると、庭が見えるくらいに納戸が開けられており広い庭には直径3mくらいの池に大きな牡丹の木、池の周りにはススキの穂が無数に生えていた。
夜空に雲はなく、立待月の光が明々と縁側を照らした。今日が満月ならば本当にお月見にはもってこいだ。毎回通される客間も和室で畳がしいてある部屋だが、そこからはブロック塀とか道路しか見えなかったのだった。
「ススキは庭にあるからねえ」
そう云ってお祖母ちゃんは縁側に団子が上品に詰まれた三方を持ってきてくれた。それからお団子だけじゃないからね、とささやかながら夕食を座敷の卓袱台でいただいた。
「今日は息子らは旅行で明後日まで帰ってこないんだよ、ゆっくりしていって頂戴ね」
「うん」
はじめは何故自分が呼ばれたのか不思議に思っていたのだが、浴衣を着せてもらった時から上機嫌であり、
ご飯も二杯おかわりして、時折出るお祖母ちゃんの昔話の後のため息もさして不快ではなかった。夕食の後の片付けも手伝って、孫娘が来たのでお祖母ちゃんも機嫌が良い様子だった。
それから順番にお風呂へ入ってから、又座敷で二人でテレビをみながら話をして8時半を過ぎた。
「おや、こんな時間だ。そろそろはじめようかね」
お祖母ちゃんはゆっくり立ち上がると、私を縁側へ手招きした。
縁側にはすでに二人分の座布団が敷いてあり、三方を挟んで二人で腰掛けた。
「お祖父ちゃんが生きていたころにもこうしてお月見をしていたんだよ」
「おじさん達は?」
「ううん、あの人たちはこういうのは向かないの。ほらおたべ」
そして三方に並べられた赤・緑・白の団子を取り皿へ運び、2,3個口の中にほおりこんだ。色粉で着色されたのだろう、昔ながらの素朴な味がした。白い団子には餡が入っておりすすんで皿に取ってしまった。
「お爺ちゃんは色つきのは気味悪いって言ってたよ」
「気味悪い?なんだか笑える・・・・・」
餡が入ってないから口にあわないんだよ、といってふたりで笑った。そして今度は台所からお祖母ちゃんが黒いおちょうしと杯を持ってきた。
「これは特製の甘酒。飲んでごらん」
黒い杯に月の光で白く濁っている部分がはっきりとしており、たしかに甘酒だった。そして私は勧められるままごくりと飲み干した。
「甘いねぇ」
「甘酒はそんなもんだよ」
へえぇ〜といいつつも、杯なので、もう一杯、二杯と・・・・・・
結局20cm位の高さで横は6,7cm、のおちょうしを空にしてしまった。しばらく庭を眺めてさらに気分の良くなった私は、
「外涼しいねえお祖母ちゃん。ちょっと庭を眺めてもいい?」
「ああいいよ、でもススキの方は奥へいっちゃあ駄目だよ、蛇とかでるかもしれん」
「はーい」
とお祖母ちゃんの許しを得て、下駄を履いて玄関から庭へ廻ることにした。
「・・・・・・確か、こっから100mくらい先に喫茶があったなあ」
気がつくと私はお祖母ちゃんの家の前門から抜け出しており、街頭がぽつぽつとある家並みの中を歩いていた。周りの家々はとても静かで、明かりが付いていてもぼんやりとしており人の気配はなかった。
「あったあった」
この付近で『商店街』と呼ばれる通りがあり、昔一度だけ父に連れられて来たことがあったのだ。『商店街』・・・・・・そうお祖母ちゃん達は呼んでいるのだが実際のところは手前から魚屋さん、駄菓子屋兼雑貨屋さん、八百屋さん、床屋さん・・・・と小売店など10軒近く並んでいるのだった。その中で『喫茶店』があり昔夜遅くまで開くのを聞いたことを思い出した。
『きっさ』と木の板に墨で書いたような文字の看板が目に付いた。
・・・・・・ところが、昔通った時と雰囲気が違っていたので一瞬戸惑った。しかし酔いが醒めきっていないのと田舎だからというイメージが強く、その看板はきっとレトロなものなんだろうということにしてしまった。
「お財布、持ってきたからコーヒーくらい飲めるよね〜」
私はカラカラカラとまるで玄関のような、入り口をあけた。
「ハイ、いらっしゃいませ」
中は6,7畳くらいか、ホールは狭く4人がけの木でできたテーブルが4つにカウンターはなく客は全員浴衣の70歳から80歳くらいのお祖母ちゃんが2人3人とそれくらいの歳のおじいちゃんが1人。奥からお茶らしきものを運んできた店員さんもまたおばあちゃんだった。お客は全員上目使いで私を見るとすぐにまたぼそぼそと会話をしているようだった。
「・・・・・・・・。」
一瞬、こんな夜にお年寄りばかり・・・・・・?
と少々びっくりで、焦ってもみたが、今日はお月見の晩なので遅くともいるんだろう、ととっさに考えた。
「今日は、お月見の晩じゃ。若い娘さんよ。わしの前の席に座らんかね」
取り敢えず残りの空いているテーブルにつこうとしたが、呼びとめられるので断る理由もなく、前の席にちょこんと腰を下ろした。
「わたしも、お月見に来たの。おばあちゃん家が近くにあって・・・・・・」
正直言って少しホッとした。何故ならこの喫茶店・・・『茶店』と呼んだほうがいいような気もするがここに入るのははじめてだからである。そしてテーブルの隅に木でできたメニューがあることに気づき手に取った。
・・・・・そのメニューも裏表墨で右から書かれており、しかもひらがなで擦れている箇所もあり読みにくく、全部目を通すのをやめた。
『おしながき 一、まつちや 二、せんちや 三、こおひい 四、せんべい ・・・・・・・』
「アイスコーヒーを、ひとつ・・・・・・」
全部読む気にもなれず、普通の喫茶店では必ずある飲み物を注文することにした。
「あいす、こおひい?」
大きな声でおばあちゃんの店員さんが叫んだ。
「冷たい、コーヒーですけどぉ」
「冷たいのだって? 贅沢だね娘さんよ」
目の前のおじいちゃんがひそひそと話しかけてきた。
「今こおひいはやってないって、言っておくれよ!!」
コーヒーはないのだということがわかると、『田舎・・・・・。』と嘲笑がありまた注文し直さないという面倒臭さがよぎった。
「アイスクリーム、とか」
店員さんを呼ぶ前にまずおじいちゃんに聞いてみることにした。メニューがあてにならないからだったからだ。
「あいすくりー・・・・・ん〜あいすくりんはねえ、あいすくりん屋さんが疎開しちゃって皆食べれないよ〜」
「疎開?そかいって・・・・・」
おじいちゃんの言葉は確かにそかいと聞こえ、その『そかい』は『疎開』にしか当てはまらなかった。もう一度聞き返すのもしゃくだった私は、もう一度違う方法で尋ねることにした。
「おじいちゃん、ここって冷たいものないの、頼んでくれない?」
するとおじいちゃんは片手をあげて、
「オーイ、クニさん奴をやっとくれ〜、うんとひやいやつをねえ」
「えっ、豆腐でしょ?・・・・・・冷奴!?」
なんじゃ〜こんな店ってありなの?と思ったが、せっかくおじいちゃんが頼んでくれたこともあって、黙って暫くの間じっと待っていた。
約10分ほどで、本当に冷奴が運ばれてきた。
「はいよ、今朝から漬けてたから冷やいよ」
・・・・・・透明なガラスの小鉢に入れられた冷奴は半丁ちょっとあり、ほんのりところどころ冷たく、少なめにかかった醤油でも美味しかった。
「ここの奴はねえ、早起きして井戸水に漬けてあるから旨いんだよ〜」
まるで自分の店のように自慢げなおじいちゃんだった。続けて『まつちや』らしきものをすすりながら語りはじめるものだから、食べながらうなずいていた。
「ここにわしが来たときはねえ、あのクニさんもべっぴんで。そうそうあんたのいう『あいすくりん』とか『こおひい』とか皆で毎日来てたのんどった・・・・・」
「いい思い出なんだねえ」
何やらひそひそと周りのおばあちゃん達が私達を見て話している様子だったので、そちらへ耳を傾けてみた。
「あいすくりんだって・・・・。若いからねえ・・・・・」
「みんなとられたようなもんじゃないか・・・・」
「きくいちさんとこも、・・・・・・・でなかったか?!」
何だか、思いきり怖くなってきてしまった。ここは街からバスで一時間の田舎とはいえども冷たいものっていったら冷奴で、おじいちゃんは『そかい(疎開)』だなんて今時・・・・・・。
いきなり、ドン。と机のうえに透明の瓶が置かれた。どこから見てもラムネかソーダ水のようだ。
「キクさんのご馳走になったらいいよ。今夜はお月見だからねえ」
「おや、らむねがあったのかい!」
よく観ると白地で右からラムネ、とカタカナで書かれており、ラムネはラムネであることは間違いなかった。
「レトロな瓶〜。おじいちゃんありがとう!!」
冷たいものにはやはり目がなく、店員さんとおじいちゃんにお礼をいうと抹茶を飲んでいた器とラムネ瓶、半分ずつで飲むことにした。少々温かったが、のどが渇いていたのでよしとしておいた。
それからしばらくはクニさんという店員さんと、本名はきくいちさんでキクさんの昔話で盛り上がった。
ふと気づくと案の定、周りのおばあちゃん達は静かで、何から時折こちらを見てぼそぼそと話をしていて少々心細くなった。
「そろそろ娘さんを返してやろうかね」
柱時計(これもやっぱり古めかしくて、文字盤の下で鐘がなるやつ)が12時を回ろうとしていたときに、キクさんがすっと立ち上がった。きっと、そろそろ閉店なのだろうと思った。・・・・・・他の客も時計を見てはひそひそと囁きあっている。
「おいくらでしょうか」
私は財布の中に500円玉があることを確認した。すると、キクさんが懐から折りたたんであるお札をクニさんに渡した。
「今夜はわしの奢りだ、娘さんよ」
キクさんに丁寧にお礼を言って、ふたりで店を出、そして店の前で別れて別々の方向へと帰ることになった。
お祖母ちゃんの家に戻ると、納戸は閉まってはいるが座敷の明かりは点いておりお祖母ちゃんは寝てしまっているようだった。
私はそのまま寝室へ行き、持ってきていたパジャマに着替えをした。着替える時、浴衣の袖から何かがゴロリと転げ落ちた。それは今日奢ってもらったラムネの瓶だった。しかし私は疲れていたので、何も気にせず寝てしまった。
翌朝。『昨日は遅かったねえ』といいながらお祖母ちゃんが起こしてくれた。
パジャマのまま朝食に着くと、昨日の喫茶店での出来事を話して聞かせた。・・・・店のなかにお年寄りしか居なかったこと、メニューが読みにくかったこと、きくいちさんという人と仲良くなってしかもご馳走になってしまったことなど、楽しかったよと言った。
最後まで話を聞き終えたおばあちゃんは、静かな声で言った。
「きくいちさんはね、お祖父ちゃんのお友達だった人」
そう聞くと、昨日奢ってもらったラムネの瓶が袖に入っていたことを思い出し、席を立って寝室まで走って行き、ラムネの瓶をとってきてお祖母ちゃんに手渡した。
「これ、キクさんにご馳走になったよ。・・・・・お祖母ちゃんも行ってみない?」
ところが、お祖母ちゃんは真っ青になって、首を横に振って黙ってしまった。
「・・・・・・・・どうかした?」
お祖母ちゃんは、青くなったままで箸を持って黙っていた。しばらくしてから箸を置くと、
「だって、もうこの世に居ないんだよ。きくいちさん・・・・キクさんはね、お祖父ちゃんより少し前に亡くなったんだよ」
と、言ったのだった。
「それに、あの喫茶店は何十年も前から閉まったまんまだよ」
・・・・・・・・思い出してしまった。確か父に連れられて来た商店街の一角に居酒屋のような後の木造の建物に、入れないよう×印みたいに板が打ち込まれていたのを見たことを。そのとき父に向かって『なあにここ』、と
聞いていたこと・・・・・・・。
私も思わず箸を置いて、食べるのを辞めてしまった。
・・・・・・・・それからお祖母ちゃんの話が続いた。
キクさんは若い時からあの喫茶店の常連さんで、40過ぎまで通っていたのち病気で倒れて入院して亡くなったのだと聞いた。お祖父ちゃんとは戦争が終わったあとに出逢ったのだという。キクさんはそのときすでに空襲で奥さんを無くし、それと同時に、旦那さんが兵隊で亡くなったクニさんと親しかったのだということも聞いた。また、キクさんが倒れてからすぐにクニさんが亡くなってしまい、喫茶店もする人が無く、今でもあのままではないか、とお祖母ちゃんは言った。
「キクさんは、お月見の晩は必ずあそこにいたらしくてねぇ、毎年お祖父ちゃんも誘われていたよ」
それで話は終わった。
朝食が済むと、お祖母ちゃんは昨日私が持って帰っていたラムネの瓶を仏壇に備えた。
私はというと、急いで服を着替え、走って昨日の喫茶店のあった場所へ行ってみた。
・・・・・・・お祖母ちゃんの言った通り、そして思い出した通り、古い小屋に×印の板に釘が打ち込まれていた。
「キクさん・・・・・」
ぽつんとひとり、何故か呟いていた。
「お祖父ちゃんの代わりに、私が呼ばれたのかしら」
そう思って、また元来た通りを引き返した。
『どおりで、あのメニュー・・・・・それから・・・・、それから・・・・・・・・・。』
・・・・・最後に、キクさんの出したお札は薄くて緑色をしていたことを思い出した。
・・・・・・不思議な晩の想い出となった。
完