河を渡れ


「起きてください、室内まで浸水しています」
 その声で、私は目覚めた。目の前には上は自衛隊員のような迷彩、下はウェットスーツでダイバーのような。でも長靴履いてる・・・・・けど、多分自衛隊員なのだろうと思う・・・・・・。そんな男の人が2人がかりでベッドの上の私の肩を揺すった。
「はいはいどーも」
 きっとこれは夢なのだ、という意識が強くもう一度瞼を閉じようとした。しかし自衛隊員のひとりが大きな声で、
「昨夜からの〜大雨で〜、このあたり土砂崩れが起きて〜、河川が氾濫して〜、この付近の住民全員はぁ、避難命令がでたんです〜!!」
 と、私の耳元で叫んだ。はぁ?と言って飛び起きると、2階を降りるとすぐの玄関を見に行った。階段の下から2段目までが浸水し、水浸しである。
「ほらねっ、言ったでしょう」
『何も得意げに言わなくても・・・・・』
 自衛隊員の一言に、本当だと気づいた。しかし私はその時焦りを感じないでいた。まだ寝ぼけていたのだろうか。もう一人の自衛隊員にどうすればいいんですかと尋ねると、
「あなたはまだ若いから、貴重品をもって、15区の高台まで歩いて行ってください。白い旗が目印です。そちらが避難場所となっています」
 と言われた。確か・・・・・・今日は講義もないはずで昼過ぎまでゆっくり寝るつもりだったのに、とぶつぶつ呟きながらボストンバッグに服にタオル、下着等詰め込んだ。さっき訪ねた自衛隊員から、
『両親共々すでに避難所へ向かわれてしまって、後は私だけでなかなか起きてくれなかった』
『担架で取り敢えず運んで、起き次第係員に事情を説明させようかと思っていた』
と嫌味口調で言われた。私はただはぁ、と肯くだけで、テキストの入ったA3手さげに無造作に財布と通帳を入れた。そしてすたすた一階台所からチョコレートとあんぱんを見つけ同じ袋に入れて、さらに靴を一足入れた。
 再び2階の部屋へ戻ると、自衛隊員が土足なのに気づき、
「どうして私だけパジャマで裸足なのよぅ」
 と文句をつけた。二人ともえっ、と顔を見合わせたがもう遅く、
「ちょっと着替えますからー向こう向いててくださいー!!」
 と命令口調で二人に移動していただくことに・・・・・・。すぐに二人ともハイハイ、といってドアの外に出てくれていたので、さっさと半ズボンとTシャツに着替えた。
 ドアを開けると、案の定二人が待ち構えており、
「では私たち途中まで先導しますので、ついて来てください」
 というので、私は海水浴にしか使わないようなビーチサンダルを履いて、すでに腿まで浸水している玄関に降り立った。しかも両手で荷物を担ぎながらえっさえっさと玄関ドアを開けて道路へ出た。
 道路・・・・・・・・・というよりも、正直言って川・・・・・と言ったほうが当てはまるかも知れないと思った。前方は道路であるはずが、いつのまにか灰褐色の水があふれ、川と化していた・・・・・・・。
「付近の住民は、すでに避難しています。只今、雨は止んでいる状態ですが一時的ですのでおはやめにどうぞ」
 自衛隊員が言う通り、全く人の気配がしなかった。近所の路上駐車の車も動かさずでそのまま。植木鉢や崩れたブロック、ママチャリや空き缶が流れてきていたり、腿まで泥水が上がっていたので足場がとられそうだった。
 この辺りの裏手には、渡ると2.5kmほどの大きな河があり、何十年も前の台風で洪水が起きたという話を聞いたことがあった。自衛隊員の話によるとやはりその河も氾濫しているらしく、そこから5km先に行けば海岸へ繋がるが、もうその周辺は津波で立入禁止区域となっているらしかった。当然向こう岸に渡るいくつかの橋も全面通行止めとなっており、あと4,5日は休講なんじゃあないの、と言われた。そしてうちから15区まで徒歩30分の道のりのうち約5分ほど先導して貰った。
「こっから、わたしひとりだけですかぁ」
 5分足らずで、すそをギリギリまで折り曲げている半ズボンがびっしょりであった。
「仕方がありませんねぇ、では私が15区の手前まで付き添います」
 自衛隊員二人のうち一人が、私のボストンバッグを取って肩に担いだ。脚にかかる重量が少なくなりとても助かってしまった。
 そうして自衛隊員一人を道連れにしてしまい、15区まで歩くことになった。しばらく歩くと、向こうから50枚以上はあるかも知れない、市販のチョコレートの群れが流されてきた。それらは殆ど板チョコだった。付近に商店でもあり、浸水で流れてきたのだろうと思った。
「あのぅ・・・・・・・ちょっと拾っちゃって、いいですか」
「ご自由に・・・・・ですが全部はやめてください」
 自衛隊員その2(まだ名前を聞いていない)が返事をする前に、私は目を輝かせ、5,6枚鷲掴みにしてテキスト袋の中へ2度3度押し込んだ。そして足早についていった。そんな姿を見たその2氏はややひきつり気味の表情を浮かべ、見ない振りをしてざぶざぶと流木や空き缶たちを避けて行ってくれた。
 12区あたりで、大きな十字路へさしかかった。ここから左へ曲がるとすぐ河沿いで、私たちは右へ曲がることになっていた。
「げぇえぇっ!!!!!」
 すでに私の腰まで水が押し寄せてきていた。
「危ない・・・・・・・・・・・・こちらへ!!!!」
 その2氏は私の左腕を掴むと、通り沿いにあるビルの入口まで引っ張った。
 ドドドドドドドドドド・・・・ギュ〜〜ン!!!! ドロロロロロロ・・・・・・・
  いきなり、軽トラが逆方向へ向かって突っ走って行った。タイヤがどっぷり浸かっているうえ、水飛沫がこちらまで飛んできた。・・・・・・・・・水上自動車のごとくであった。
「こんな時に危険ですよあんなのは・・・・・・・、途中で止まらなければ良いのですが」
 そう、あの状態で走っているとエンジンが故障して走らなくなるのだ。トラックが見えなくなるとまた水をかきながら歩き出した。
「ワンワン!! ワンワン!!」
「・・・・・・・・・・・野良犬のようです」
十字路のなかを、河に向かって犬が必死に泳いでいた。ペットはすでに避難されていたらしく、残るは野良だけのようであった。12区から15区まではそう遠くなく、坂道を登れば歩けるようにはなる・・・・・・・・・はずだった。
「あの犬・・・・・・・河に向かってます。向こう岸に渡る気なんじゃないでしょうか」
 私は、野良犬を指差した。
「向こう岸って・・・・・・・・河は氾濫してますから渡れませんよ」
 私は、何故だか河が気になって仕方が無かった。そしてばしゃばしゃ走り、十字路の左側の道へ入って叫んだ。
「隊員さぁぁぁん!!!ちょっとぉぉ〜〜!!!!!!」
 危ないから戻って戻って、といいながら手招きをされた。・・・・・・・・がしかし、私は、ある光景を目の当たりにしてしまった。
 と、いうのは。
「隊員さぁぁぁぁん。何ですかアレは?河に遊覧船が出ててぇ、橋の上に屋台がでてるんですけど〜〜!!!!!!!」
 ・・・・・・・・その2氏ははぁ?と首をかしげ急ぎ足で水をかき、私の横に並んだ。
「ああ・・・・・・・・・アレ・・・・・・・・アレね」
 すでに承知のとおりですと言わんばかりの、やけに冷めた態度だった。その2氏は『アレね』とはいったものの、氾濫している河のはずなのにまるで急流くだりのような遊覧船が出ていた。よく眺めると、10人くらい派手な着物や袴を着た男女と、頭にはちまきを巻いて法被を着た船頭さんふたりが、ざぶ〜りざぶりと船を漕いでいる。この付近では実際何台か遊覧船というものがあった。普段は、主に観光客に利用されていた。またそのずっと右手ではサーフィンが行われており、3,4人ほどちらりと見えた。そして、橋の上ではお面やいか焼きのような屋台が立ち並んでいるのが分かった。 「・・・・・・・・なんなんです?」
 自衛隊員その2氏は、ハァ・・・・・・・・とため息を漏らし、
「行けばわかりますよ」
 と、だけ言った。例の場所には興味も無い様子だった。・・・・・そこで私は、
「行ってもいいんですか?」
 と言うと、その2氏は困った顔をして、
「私はアレとは関係ありませんから、ご自由に・・・・・・・。ただしここでもう私の役目は終わりです」
 と私にボストンバッグを差し出した。避難して高台に向かうことより、例の連中が気になって仕方が無かったので、早速その2氏にお別れを告げてしまった。
 その場所にしばらくその2氏は佇んでいたが、河を目の前にして振り返るとその2氏の姿はもうどこにもなかった。
 ・・・・・・・・気がつくと、私はボストンバッグもテキスト入れも無く遊覧船の中で座っていた。そこでは私だけが着物を着ていないので、やけに目立った。周りは全員見知らぬ若い男女で、あはは・・・・おほほほ・・・・・・と笑っており、会話という会話は一切していなかった。
「ヘンなの・・・・・」
 と呟いた私だったが、隣に座っていた19,20歳くらいの女性に尋ねてみた。
「すいませんけどー、私のバッグ・・・・・・知りませんか」
 すると女性は一瞬だけ笑うのをやめたかと思うと、
「屋台ぃ〜」
 と橋の上を指さした。はぁそうですか・・・・と言うとまた女性は、笑い出した。私はこのままずっと船に乗せられているのだろうか、と思ったが次の瞬間いきなりぐらっと船が揺れたかと思うと、くるくるくるくる・・・・・・・ひゅ〜〜ん、と風に飛ばされて橋の真ん中へ飛ばされてしまった。
「この橋って!!! 渡って歩いていけば構内に入れるわ・・・・・」
 そう思った瞬間のことだった。向こうから歩いてきた、5,6歳くらいの浅黒い色で、茶髪の少年がテキスト入れだけをくれた。無言で渡されて去られてしまった。私のボストンは・・・・・と聞く間もなかった。
 私は『やっぱりこなきゃあ良かった、どう考えても変なのだし』・・・・・・と思ったが、橋の両側にずらりと屋台が立ち並んでいるのを見ると、どうしてもそのひとつひとつを見て廻りたい気がしてならないのであった。
 屋台にはそれぞれ客が一人来ているか来ていないかだった。屋台自体は普通の屋台で、たい焼きだったり、たこ焼きだったり、お面だったりとあった。そして橋の終わりは両側とも、濃い霧がかかっており、雲のような気がした。さしてお腹も空いていないせいか、屋台では何も買う気も起こらず、一通り見るだけであった。
 そして橋のたもとでは、来る前見たとおり、ウェットスーツを着た数人の男たちがいた。彼らは波乗りのごとくボードに乗っており、その眺めは小船のようにも見えた。
「一体、ここは何なのかしら」
 私は、今朝自衛隊員2名に揺すり起こされていたことを思い出してしまった。洪水で家が浸水してしまったので、避難所までいくところだったのに・・・・・・・。
 急いで橋の向こうへと歩き始めた。霧がかかってはいるが、辿り着けばどちらかの街の中には出られるだろう、と思い歩いていったのだった。
   ・・・・・・・・霧の中へ入ろうとしたその時だった。すぐそばのお面屋から一人のおじさんがでてきてこういった。
「帰りなさるのかね。・・・・・・・・・やはりあんたには退屈かの」
「いいえそうでも・・・・・・・・・」
と、答えてしまった。おじさんはにこっと微笑んで、
「本当は帰れないんじゃがの〜」
と、言った。この先はどちらかの町では無いの、と霧の中を進もうとしたが、おじさんに引き止められた。
「ちょっと待ちなされ・・・・・・・・、ほれこれだ」
 とってのようなものを貰ってしまった。・・・・・・・・・それは、私のボストンのとってのみ・・・・・・・であった。
「何なのよー本体が無いじゃないの!」
 だがしかし、私は追い風とともに霧の中へ放り込まれてしまった。
「起きてください!!」
「・・・・・・・はぁ?」
「眠っていると、単位出しませんよ」
 ふと気づき、辺りを見渡した。
 ・・・・・・・・・・只今、某大学内にて講義の真っ最中。ついでに『起きてください』と教授に注意されていた。
「辿り着いたんだわ・・・・・・」
 つぶやくやいなや、今日は朝から晴れていたこと、遅刻寸前だったことを思いだした。 ここは大学の講堂で・・・・・・・・・周りを見渡すと、全員長袖でなかには厚手のジャケットを羽織っている学生もいる。 窓の外は雪がちらちら降りだしていて、自分も長袖のトレーナーにコーデュロイのパンツで。机の下にロングコートと鞄が置かれているのに気づき・・・・・・。
『夢だったんだわ』
 私は立ち上がると教授にスイマセン、と素直に謝り着席した。
 それにしても昼間っからリアルな夢で・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 私は、講義の間じゅう、何度も夢の内容を思い出していた。
『・・・・・・・・・・その2氏の名前、聞くの忘れた・・・・・・』


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