時空の旅人


 現在20:30。先ほどまで私はひとりオフィスでデータ入力をしていた。・・・・・・つまり残業である。
 ようやく、一区切りがついたので各フロア奥にある喫煙室までやって来てタバコをふかしているところだ。
「はぁぁ。疲れた・・・・・・」
 毎日残業しているので、疲れているのは当たり前だった。・・・・・・が今日はいつになく右腕が重く、いつもなら2本も吸っているうちにまた元通りになるはずなのにますます重く痺れてくるような気がしていた。
「・・・・・・・。」
 不機嫌になりたてつづけに3本目となった。残業で22時23時とあろうともこの12階建てオフィスビルには2階管理室があり、守衛さんが宿直しているのだから朝までいようとも別に問題ではなかった。大学を出てからこの会社でもはや10年目になろうとしているが、3ヶ月間の研修生活を終えてから殆どこの調子での生活だ。はじめは先輩と2人で商品発注とデータ入力、リスト作成などという仕事をしていた。が、一昨年の春にその先輩も辞めてしまったので新しく21歳の女子社員が派遣されてきたのだった。なんとまあこれが美人でそつが無く、頭もきれるので仕事上たすかっていたところではあった。 ・・・・・・当然彼女はすでに帰ってしまっていたのだが。なのでこうしてオフィス6階フロアの奥で悠々と昔の記憶をたどってみたりする。
「おやぁ、日川さんまったまた残業〜?」
「毎日です」
 突然、フロア横の非常階段の扉が開きそしてすぐ横のこの部屋(喫煙室)のドアが開いた。ドアを開けた主は同じ会社に所属する、唐木という男性だった。唐木さんは室内のソファに腰掛けると、1Fのコンビニから調達してきたであろうコーヒーとおにぎりを袋から出し、もぐもぐ食べはじめた。
「腹減った・・・・・昼ヌキだったんだっつの」
「お疲れ様でした」
  唐木さんはオフィスでは『出張サポート部』別名“出張部隊” という肩書きであり、商品不良が出た際には企業やお宅へ出向いてせっせと修理したり、最悪な場合には軽トラなどだし商品を引き取り新品と交換する。どうやら今日は出張先での修理にかなり時間がかかったらしい。
「・・・・・・他のひとは帰られました?」
 まさか、全部ひとりで修理したのじゃないわよねと思って聞いてみた。
「だって俺様ひとりでやったっちゅーの。いるわけないよ、あーあナカちゃんついて来てくれたらさぁ、もっと捗ったかもしれないのによー」
 ナカちゃん、とは例の21歳派遣社員のことである。社員数40数名、6つの部署を持つが2年もたつとすでに『ナカちゃん』呼ばわりである。そのナカちゃんが、仕事中雑談をしにくる男子社員の相手をしているので、この同年代の若造、(としか思っていない)唐木に対しては何も言わず聞き流すだけである。
 私は退屈しのぎに4本目に火をつけた。  半年前のオフィスの飲み会の時に、この唐木さんと同席していたことを思い出した。 『俺様にはガキが3人と嫁がひとりで、毎日俺様が帰ってくるのを待ってんの、だからおまえも飲め』と酔った勢いで隣の出張部隊の後輩にビールをついでいたり、『僕ってもてないからぁ朝まで残業してるんですぅ、君もご一緒しませんかぁ』などといって笑わせていたのだった。
「飯粒とかついてる?もしかして・・・・・」
 はっと気がついた。片手を振り、いえ何もと言った。唐木さんの顔をじっとみていたとしか言えないような雰囲気に伝わってしまったのだろう。あの飲み会の時と今とでは別人としか思えない。そんな事を思い出していたなどと悟られては困る。
「日川さんって、毎日残業してるけど彼氏とかいないの?」
・・・・・・・飲み会ではなかった質問。たしかに大学の時のサークルの先輩と付き合って別れたっきりで就職して以来何もない。
「いません」
 そんなわけではっきり答えた。
 すると唐木さんはコーヒーを一口飲むとニヤリと笑った。そのままくすくす笑い出している。
「・・・・・・?」
 仕事でも飲み会でもない、また『別人』・・・・・・が現れたようであった。まるで昔街で見かけた『ナンパサークル』の一団ではりきっているような男の子に似ていた。
「シラフですよね唐木さん」
「当たり前でしょ」
 即答だった。そしてまたコーヒーを一口飲んで、缶入れへ投げ入れた。
「やっぱり俺様は36になっても遊んでるって言われてるのかな、なんて思うと悲しいな」
 36歳だったのか・・・・・。どうみても30歳かそこらくらいに見えてしまう容貌だった。部署は違うし飲み会で同席したことがあるくらいだったので、歳など聞いてもいなかったのだ。
「奥さんと息子さんの話しされてましたよねえ飲み会で」
 またしても悟られたくなく、早口で捲くし立てた。
「36歳って本当だよ、俺様はね。それから君が今年か来年でアニバーサリーなのも知ってるよ」
 唐木さんはまた仕事の顔に戻ってしまった。しかも飲み会の時に私が横の席にいた上司に話していたことも覚えているようだった。・・・・・なんてもの覚えがいいんだろう。なんだかばつが悪くなってしまい、異例の6本目に火をつけて、何とか落ち着こうとした。そして室内の換気扇のスイッチを押してまた何食わぬ顔をして私はタバコを吹かした。
 さて、仕事の顔に戻ってしまった唐木さんではあったがまだコンビニの袋は膨らんでいる。ふうとため息をつくとすでに2本目のコーヒー缶が開けられていた。ここには外から見えるガラスの扉と壁、そして 黒いソファと灰皿の置かれたパイプテーブル。・・・・・と床にゴミ箱。自販機などない。そんななかでふたりしばらく黙ったまま過ごしていた。
 すでに8本目を終えたところで腕時計を見ると22:10。気がつくと右腕もまあ楽になっていた。ふと唐木さんを見ると、今度は銅像と化してしまったかのごとくコーヒーを片手に横向きで動いていない。また換気扇が古いのか分からないが3mくらい距離があるにも関わらず、唐木さんの方が煙に包まれているようで仕方が無かった。
 『また。午前様だわ・・・・』
  夜中に起きてくる母の心配気な表情が目に浮かんだ。こんな時間に居合わせると普通はビルの出口まで一緒に降りて解散、帰宅となるのが常識というかなんというかだったが、八時半に来てタバコ8本も吸って10時過ぎに帰りましたなんてのはちょっとムシが良すぎである。
 考えてみれば、まだ少し仕事も残っていた。
 そうなると、唐木さんもご一緒に階下まで・・・・・などというわけにはならないのだった。時間の経つのが早いようにも感じ、無性に腹立たしくもあった。
『ちょっと前に来たような、気がしていたのに・・・・・・』
 このままここにいると今度は唐木さんのせいにしてしまいそうで、申し訳ない気になり喫煙室を出ることにした。行き先はもちろんオフィスのデスクである。幸いバッグごと持ってきていたので、万が一閉められていてもオフィスの鍵はバッグの中にある。
「お先に失礼します。お疲れ様でした」
 やはりそんなことを悟られるのを恐れた私は、それだけ言って立ち去ろうとした。
「俺様、もうすぐやめるかも。最近ガキども冷たくなっちゃったし」
「はい?」
 何故いきなり、こんなところで退社宣言を・・・・。唐突な唐木さんのセリフに出られなくなってしまった。がしかしここはもう出て行かないと・・・・・・・。
 と思いきや。
「やめたいとか思ったことないの?毎日毎日同じ仕事で残業で」
「・・・・・・ありますよそれくらい」
 そして軽くお辞儀をして、私は喫煙室のドアを閉めた。ガラスの向こうではソファにもたれた唐木さんが、寛いでいるのか、お腹一杯でついひっくり返っているのか、私には判らなかった。
 オフィスに戻ると、鍵は開いてはいたがもぬけの空となっており、片付けるはずの書類の束をデスクの一番下にしまいこみ鍵をかけ、そして消灯し、オフィスを出てしまった。時刻はすでに22;38.私の右腕はもう楽になり軽くもなっていた。 念のため引き返してフロア奥を覗いてみたが、もう唐木さんの姿はなかった。
 「・・・・・やめようと思ったことくらい、あるんですけどね」  そう呟き、今夜は階下まで非常階段を降りていくのであった。

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