団扇


 今夜は、毎年恒例で行われる花火大会がある。私は、私の住む1DKアパートの窓から、一杯やりながら見るつもりである。と、いうのは数年前から単身赴任をしており、50を過ぎてひとりで行くのも気恥ずかしいのが一番の理由である。
  花火大会は毎年お盆前の日曜に行われ、町の河沿いには屋台が立ち並び、夕方から家族連れで賑わう。皆浴衣や小洒落た格好をして、今夜のために駆けつけてくる。
  この3階建てアパートの3階、ちょうど私の部屋からは花火が良く見える。私は冷蔵庫からビールとつまみを出してテーブルの上に置き、始まる頃には部屋の電気を消し、花火を眺めようと思っている。・・・・・それまでの間はぼんやりとTVでバラエティーでも、と思った時だった。テーブルの上に置いている目覚まし時計の針が、ちょうど8時を差していた。私はおやっ、と思いいそいそと室内のクーラーを切ってから窓を開け網戸にし、蛍光灯の紐を引いた。そして押入れにしまってあった団扇を持ってきて、そよそよと風を起こした。
 ドーン、という音がしたかと思うと『毎年恒例』の花火のはじまりである。実のところ私は毎年この日を楽しみにして、今夜はひとりでビールを呑む。そして花火を見つつ故郷を思い出しながら、一週間の疲れも癒すのだ。
 ドーン、ドーンと続けて音がした。すると窓のずっと遠くで、ここからだと直径10センチから15センチほどの大きさだが、赤や黄色の火花が夜空に咲いているのが見えるのだ。私も歳を取り、近頃物が見えにくいので、さっとテーブルの上から眼鏡を取ってかけ、網戸からじっと眺める。
 目の前には5階建ての古い雑居ビルがあり、向かって右半分景色を占拠している。なのでお楽しみは半分だけであった。しかし私にとっては何の気にも無く、悠々と花火を見る。こんな花火大会の日、灯りのついている窓など1,2軒しかないので気兼ねなく見るのである。
「おやおや・・・・・・」
 窓から向かって左側で花火が上がっているのを見ていて、気がつかなかったとしか言いようがなかった。右手は雑居ビルであるが、今日に限って、珍しく1軒だけ赤々と灯りがともり、開け放した窓からは一家がテーブルで食卓を囲んでいるのが見えた。4階の左端の部屋だった。こちらは灯りを消しているので、向こうから見てなんとも思わないであろうとは思った。しかしアパートから向かいの雑居ビル、歩いて2,30メートルあるかないかの距離で、何気に悪い気がした。
 ・・・・・・・・・開け放した窓からは、子供の笑い声がこちらまで聞こえていた。小さな幼稚園くらいの男の子と小学1,2年くらいの女の子がテーブルから離れ、窓際でしゃがみ玩具らしきものを取り合っている様子だった。まだテーブルで食事をする若い両親の声がぼそぼそと聞こえていた。
 私はふと、他の部屋を見渡した。どの部屋にも灯りはついていなかった。
「今夜は花火大会なのに、なぜまた・・・・・・」
 そんな疑問があってか、花火を見ることより4人家族が気になっていた。
 ・・・・・・・一軒だけ灯りのついた室内では、別段変わった様子も無く食事が終われば母親らしき人物が食器を片付け、すぐそばのキッチンで片づけをしだした。父親はテーブルに座ってビールを呑んでいる。両方とも20代前半のように見えた。母親は白いTシャツに柄のついたピンクのロングスカートで白のエプロンをかけ、父親はランニングシャツにジーパン、男の子は白いTシャツにジーンズの半ズボン、女の子は黄色いシャツにジーンズの半ズボンで出かける服装でもないようだった。母親が食事の片付けをする頃になると、姉弟は仲良くひとつの玩具で遊んでいるように見えた。  すると、同じビルの1階の端から2番目で灯りがついた。灯りがつくとすぐに窓が開け放された。80歳くらいの、かなり年老いた男性が見えた。そして、奥のほうで同じくらい歳のいった女性がちらりと通るのが見えた。今帰ってきたばかりらしい、と思ったがこの老夫婦も外出の服装では無く、男性はトランクスのように見える薄い半パンにランニングで、女性の方はシュミーズのような、薄ピンクのワンピースだった。部屋に室内クーラーなど無い様で、窓は網戸で扇風機をつけていた。私も何だか蒸し暑く、生温くなりだしたビールを呑み団扇で扇いだ。それでもビール1本瓶、空にしたので、台所の冷蔵庫から2本目を取ってきてグラスに注いだ。今度のは冷たいぞ、と思い外を眺めると、今度は子供たちがベランダで線香花火をしているのが見えた。
「はてさて、変わったうちだな」
 よくよく考えてみれば、昼間は仕事で窓を開けることも全く無い。それに向かいの雑居ビルの、前の住人が引っ越してしまったのかも知れない、今は別の人が住んでいる、と思った。また、何か訳でもあって、花火大会には行かないのだとひとりうなずいてみた。
「おや・・・・・?」
 今度は2階の真ん中の部屋で灯りがともった。案の定、窓がひらかれてすぐに白いレースのカーテンがひかれた。・・・・・・・・・・どこかでみたことのある、女性だった。そう、時折駅で見かけたことがあった。よく終電で一緒になって、同じ駅で降りて、同じ方向に歩いていると思ったら、住まいが向かい側のビルだったのだ。30半ばの女性で、たまに同年代の男性と一緒で終電で見かけたこともあった。どうやら今夜は一人らしい。レースのカーテンがひかれてはいるものの、ここから室内が分かってしまう。
 ふと私は顔を赤らめ、団扇で部屋を隠すように後ろを向いた。そしてテーブルの上のグラスを取って、ビールを一口含んだ。 女性の着替えを覗くのは失礼だと思ったからである。
 『今日は休日出勤なんだな』と思いつつ、ぱたぱたと団扇で扇いだ。・・・・・・・・・・・実はこの団扇は5,6年前のもので、当時会社の受付嬢が何十本か持っていたのを譲ってもらったのであった。受付嬢の父親がその年の花火大会の役員をしており、回りに配ろうと持って来ていたのだった。
『そうそう、そうだった・・・・・あの年は得をしたなあ・・・・・』
 すっかり色あせてしまった団扇を眺めた。表は白地に赤い文字で『町内花火大会』とあって、赤・青・黄色と花火の絵が描いてあり、裏には協賛店が黒字で縦に3,40軒は書かれてあった。私は他に団扇を買う必要も無かったし、彼女・・・大して親しくも無い受付嬢、から譲ってもらったこともあり今まで大事にしてきた。
「そういや・・・・・・・・あの年だったかな、火事があったのは・・・・・・・」
『・・・・・・・・・・・・・あっ・・・・・・・!!!!!!!!!!』
・・・・・・・・・・・私は何か、を思い出してしまった。呟くやいなや、最後に見た雑居ビルの女性は確か・・・・・・・・・・。
『・・・・・・・・・・・・・。』
 受付嬢が団扇をくれたその年、花火大会の晩に、火事で向かいの雑居ビルは全焼してしまっていた。原因は未だに分かっていない。あの晩、2階の左端の部屋から煙がでて、ガスが爆発し建物が古かったのと風が強かったのとあってか、一気に燃え広がり次から次へと移って、炎は5階建てビル全体を埋め尽くし、火の粉が隣の民家5,6軒先へまで飛び散ってしまった。幸い通報が早かったので、民家は壁と屋根が焦げていた程度だった。その時風向きは強かったが、こちらから向こう側へと吹いていたので、あいにくこのアパートには被害はなかった。
「通報、したのは・・・・・・・・この私だった」
 ぱたりと、団扇が右手から転がり落ちた。
 そう、さっき私が見た女性は・・・・・・・・・・・、もう、この世には居ない。
 ・・・・・・・・・・あの晩のニュースで、全焼したビル内で死者7名とあった。その中にさっき見た女性の顔写真が出ていたのを思い出した。・・・・他には・・・・・・・・ニュースによると、『花火大会が終わり、早々と帰宅してきた一家4人』『近所で花火を眺め、帰宅した老夫婦2人』、だった。それぞれ顔写真と名前が出されていた。駅で見かけたとき、たまに一緒にいた男性とは部屋に戻るまでに別れていたに違いない。
 ・・・・・・・・・あの晩、私はこんな風に窓を開け、花火を見ながらビールを呑んでいた。9時ごろになってようやく花火も終わったかと思いきや、なにやら焦げ臭い匂いがするのに気づいた。ふと窓の外・・・・・向かいのビルの2階からもくもくと煙が立ちのぼっているではないか。すると、ドカーン!!、という音とともに上の部屋二つと横の部屋と一階の部屋一つが爆発してしまった。私は急いで消防車を呼ぼうと電話を掛けたあと、貴重品を持って外へ飛び出した。・・・・・・・そして炎が消えるまで、呆然として、ずっと道端に座り込んでいた・・・・・・・・。
 私は、あの年のあの晩のことを、総て思いだすと残っているグラスの半分を一気に呑み干した。それから、恐る恐る窓の外をもう一度確かめようと、振り返ってみた。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 私の目の前に見えたのは、鉄線の施された草ぼうぼうの空き地と、その向こうの民家の塀と屋根だったのだった。  あの火事があった翌年から、半分しか見えなかった花火の風景が全面見えていたのだった。・・・・・・・・・私はそれを花火の最中に好都合と思ったことがあったのは事実である。空き地になってしまい未だに鉄線が張られていることで、いい思いをしていた・・・・・・・・・・・・と情けなく思えてきた。
 そして思わず私は窓を閉めた。ビールとつまみを片付けてから押入れを探り、線香とマッチを片手にアパートを出た。歩いてほんの1,2分の空き地に辿り着くと、昔雑居ビルの正面玄関があった付近に、まだ真新しい花束が供えられていた。よく見ると、その隣には半分まで燃えている線香が供えられていた。そのほか、幾つかの古くなった花束や燃え尽きた線香の山が、ところどころ鉄線の周りに散らばっていた。私も急いで線香に火をつけ、まだ新しい花束の横に供え手を合わせた。
 ・・・・・・・・辺りを見渡して見ると、静かでどの家の明かりもついていなかった。やはり、今夜は皆花火を見に行っていて留守であるように感じた。
 しばらくしてから、歩いてまた自分の部屋へ戻った。
 部屋に戻って灯りをつけ、テーブルの上の目覚ましを見ると午前12時になろうとしていた。
『・・・・・・・・・・・・・・・・いつのまにか、花火は終わってしまったらしい』
  テーブルの下に団扇が転がっていたが、それはすでにところどころ破れていたことに気づき、思い切ってゴミ箱へ放り込んでしまった。
 ・・・・・・・・・・今夜のこと、あの年の晩のこと・・・・・・・・私はもう忘れはしないだろう。


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