ボケッと突っ込め!

「おい、ネエちゃん。あと指輪三十個追加じゃ」
 ヒゲを豊かにたくわえた鍛冶屋の親方が、手に持っていた鉄の固まりをドンと床に降ろす。
「はいな、そんくらいは夕飯三回分だ」
 やけに具体的な報酬を要求すると、机に座って作業をしていたハーフエルフの女は鉄の固ま
りを手で千切った。いや、嘘ではない。まるで粘土細工でもするようにこの金属を手にすると、
彼女はそれを指先で引き伸ばしはじめた。丁度指先くらいの大きさに鉄を取ると、今度はそれ
をくるくると輪っか状に丸めて指輪を形づくる。
「けっこう高いな」
 あからさまな賃金要求に、鍛冶屋の親方は渋い表情をした。このハーフエルフの馬鹿力女
が、ドワーフ並に飲み食いすることを知っているからである。
「その分働いてるからいいじゃないのさ。あたしのおかげで随分人件費が安くついてんでしょう
が?」
 そう言いながらハーフエルフは次々と、ほとんど粘土細工のように鉄を引き千切って指輪を
作っていた。何げに恐ろしい作業を平然とこなしていた。
 ミリア・カジネットはハーフエルフの剣士である。森の妖精エルフと人間の能力を中途半端に
受け継いでいた。美貌のエルフだった母親の影響でみてくれはそんなに悪くはない。釣り上が
った猫目がチャームポイントである。しかし、反面では馬鹿力の戦士だった父親の能力も引き
継いでいた。
 そのパワーはたいしたもんだった。二メートルの両手剣を軽々と片手で振り回し、並み居る
敵をブッた斬る。こういう奴は戦争がある時には強いが、平和な時代にはまるで無用の長物で
ある。
 家賃が月金貨六枚の安宿を半年くらいは平気で滞納し、食うものもなくてゴミ箱あさりを繰り
返していたミリアに舞い込んだ久しぶりの仕事は鍛冶屋の仕事だった。最初はドワーフと勘違
いされているのかと思ったが、来てみればなるほど、ミリアにしかできない仕事だった。素手で
金属加工ができる奴はそうそういない。
「まあの。おかげで今年はドワーフのボったくり連中に頼まなくて済むわ。なにしろ、あいつらと
来たらよく食うし飲むからのぅ」
 森の妖精であるエルフに拮抗するのが、大地の妖精ドワーフである。背が低く、筋肉質で手
先が器用な彼らは、一流の細工もの師であった。指輪の加工などの細かい作業は、全てドワ
ーフに頼むのが例となっていた。
 しかし、ここに降ってわいたようにミリアが表れた。その恐ろしいパワーは、ドワーフの技術な
どに頼らなくても、十分に金属を加工できる。いわば、生きた板金プレス機である。
「毎年、奴らに金貨百枚は払い込んでおったからな。今年は安く済むわい」
 鍛冶屋の親方はにこやかにほくそ笑んだ。しかし、ここに大きな間違いがある。ミリアという
女、確かに食事で雇われた。それはまだいい。問題はこいつがドワーフと同じかそれ以上に飲
み食いするということである。
「しかしな、あまり喜んでばかりはおれんぞ」
 そこで親方は白髪混じりのあごひげを右手で抱え込むようにして押さえた。
「なにがだよ?」
 特徴的な猫目を釣り上げると、ミリアは怪訝そうな顔で親方を見やった。
「いやの、ワシん所はネェちゃんを雇って大助かりじゃ。何しろ安いからな。しかし、あんたに仕
事を奪われたドワーフ達が息巻いているらしい」
「なに?あのジジイ言葉のタル連中が?」
 ヒクッと眉間を寄せてミリアは額に怒りの表情を浮かべた。ドワーフは身長130センチそこそ
この小柄な種族である。しかしその身長に似合わず、がっしりした体格と器用な手先を持つ。
「若くともジジイみたいな話し方をする筋肉馬鹿に、あたしがどうにかできると思うなよ」
 憎々しそうに笑ってミリアは指先をポキポキと鳴らした。ドワーフという連中、男は皆豊かなヒ
ゲを生やしている。そしてその年令がいったい何歳かわからないほど外見に変化がない。彼ら
の口癖として、全て語尾には「〜じゃ」というジジイ言葉が出る。
 また、身長が低いのに体格はがっしりしているので、まるでタルの様に見える。心ない連中が
ドワーフを罵る時に使う常套文句である。
「なら、安心じゃがな。奴ら、ネェちゃんに仕事を奪われたもんで、何かたくらんでいるようじゃ。
あいつらは細工ものの腕はいいが、何しろ偏屈だからの」
 自分もドワーフのように見える鍛冶屋の親方は短い首を何度も捻った。
「ドワーフなんざのことは考えてもよくわかんないからね。襲ってきたら返り討ちにするまでさ」
 唇を苦々しげに曲げると、ミリアは再度指輪を作りはじめた。ドワーフでもこうはいくまいとい
うほどの人間板金装置である。指輪が終わると、今度は剣の制作である。これも鉄を手で引き
伸ばし、粘土のように捏ねて形にしていく。どう考えても尋常ではない鍛冶屋の風景である。
 その時、不意に工房のドアがノックされる音がした。と、同時に、ドアの向こうから妙な訛りの
女の声がする。
「おいちゃん、今日はミリアっていてへんの?」
「うっ!」
 急に親方は顔色を変えた。血色のよさそうな赤ら顔がたちまち青ざめる。
「なんだよ、どうしたのさ?」
 ただならぬ様子を察して、ミリアは現在作成していた、粘土細工モドキの剣を手に取った。
「しぃっ!奴じゃ…早く裏口から逃げんか…」
「なにっ、さてはジジイ言葉のタル野郎が来たのか!」
 威勢よく啖呵を切ると、素早くミリアは工房の入り口のドアに近寄った。
「なんや、今日はおるみたいやな。ほな、入らしてもらうでぇ」
 妙な訛りとイントネーションの声が向こうから聞こえてくる。ミリアは思わず耳を疑った。
「なんだ、てめえは!」
 思わず、大声でミリアは怒鳴り付けた。素早くドアの向こうから喜びの声色で返事がやってく
る。
「あっ、居るんやな!そりゃあ!」
 不意にドアがバリバリと音を立てて弾けた。木製の扉に亀裂が入り、ドアが真っ二つに裂け
る。そして、その裂目をくぐって、一人の女が姿を表した。身長は140センチ程度の小柄だ
が、全身は筋肉質でしまっている。流れるように両側の肩にかかる黒髪が美しい。両手持ちの
大きな斧を持ち、女はその四角い、どちらかというと垂れ目の大きな瞳でミリアを見据えた。女
の着ている、鉄輪を繋ぎあわせたリングメイルが音を立てる。
「あんたがミリア・カジネットやね?」
 一呼吸置いて、女は口を開いた。
「ああ、そうだよ」
 慎重に間合いを計りながらミリアは剣を構えた。剣というより、引き伸ばした鉄の固まりを手
にして、やや強ばった面持ちで対峙する。
「よっしゃぁ!」
 女は大声で気合いを入れた。そして次の瞬間、その筋肉質の体を震わせて、勢い良くミリア
に向かって突進していった。



「やったやった!ドア破壊二十枚目にしてようやっと辿り着けたわぁ」
 酷い訛りのある共通語でそう叫ぶと、女はいきなりミリアの肩をポンポンと叩いた。かなりフレ
ンドリーな対応に、さすがのミリアも毒気を抜かれた。
「な、なんだよ、いったい?そもそも、あんた何だ?」
 上目使いの猫目で困惑するミリアに気付くと、黒髪の女はポンと一つ手を叩いた。
「おお、紹介まだやったね。うちはドワーフのヴィルナっちゅーもんや」
「ド、ドワーフ女?」
 疑わしそうにミリアはジロジロと目の前の女を眺め回した。確かに、そのスタイルにはどこと
なくドワーフに共通するものがある。ちょっとガッシリした体格で、しかも獲物は定番のバトルア
クス。そして人間との違いである、円に近い形の耳が特徴的である。
「なんや、ドワーフに女がおったらおかしいんか?」
「そりゃ、おかしくないけどさ。その口調はどうも気になるぞ」
「ああ、これな、ドワーフの女の訛りなんや」
「しかもアンタたちって、女が人里に姿を見せることってないんじゃなかったの?」
「まあ、時代の流れって奴やね。男女平等や」
 寡黙な連中が多いドワーフにしてはあまりにも冗舌で、すっかりミリアは気合いが抜けてしま
った。てっきり戦闘になるかと思ったのだが、あまりにも目の前の女は友好的である。
「で、いったい、あたしに何の用だよ?」
 不審な顔でミリアはドワーフ女を凝視する。
「おっ、そうや。うちがアンタを探していたのは他でもない。あんたのパワーが欲しかったんや。
噂は聞いてるで。ガダルの町でも一、二を争うバカってことやんか」
「なに?なんだと?」
 ピクッとミリアのコミカメに青筋が浮かんだ。このハーフエルフの狂暴さは街の誰もが熟知し
ている。二人の女の横では鍛冶屋の親方が血相変えて見守っていた。もちろんそれは身を案
じたためではなく、こんなところで暴れられては困るという保身的な考えからである。
「あんたねぇ…あたしが誰と思ってそういう口を聞いているんだ?」
 怒りに声を震わせてミリアはガシッと右手でヴィルナの顔を掴んだ。身長が低いので丁度掴
みやすい位置にある。
「うわぁ、痛い痛い!お願いやからやめてぇな!」
 メリメリと頭蓋骨が不気味に軋み、ドワーフ女は大声で喚く。しかし、あまりにも不用意な発言
である。
「頼むから止めてぇな。うちはあんたに仕事を持ってきたんや!」
「なに?」
 仕事と聞いて、思わずミリアは手を話した。ようやくドワーフ女はその拘束から離れて、顔を
鉄の爪から解放される。
「ふう、なんちゅー力や。なるほど、馬鹿なんは力もあるっちゅー意味なんやね」
 訳の解らないドワーフ訛りで感心したようにヴィルナは数度首肯いた。ミリアは何かとてつも
なくバカにされたような気がしたが、本当に馬鹿なのでよく解らない。
「まあ、ええわ。うちの村を代表して頼みがあるねん」
 ヴィルナはやおら真面目な顔になると、見上げるようにしてミリアの顔を見つめた。頭の両再
度に、アイアンクローの後がクッキリと残っているのが笑わせる。
「実は、ア・ホを倒して欲しいねんか」
「なに?」
「ア・ホを倒せるのはバカのあんたしかあらへんねん」
 訳の解らない発言に口をあんぐりとさせたミリアを襲ったのは、またもや訳のわからないヴィ
ルナの台詞であった。訳が解らず、怒ることさえ忘れて、開いた口がふさがらないミリアは、目
の前でコミカルに跳ねる女ドワーフを上目遣いで見やる。
「頼むわ。ア・ホを倒して欲しいねんか」
「ちょ、ちょっと待て。だいたい、アホっていったいなんだ?」
「あ、ア・ホのことな?うん、ア・ホっちゅーのは小ボルトやねん」
「なに?なんだって?小さいボルトがアホ?」
「そうや、コ・ボルトや!あかんがな、そこは突っ込んでくれんと。そんなんじゃア・ホには勝てへ
んで!」
 ビシッとヴィルナはその大きな手のひらでミリアの胸元目掛けてチョップを咬ました。普通なら
パフッという音がするところが、ドスッという鈍い音がする。
「よくわかんないが、要するに、コボルトの奴を倒せばいいんだよね?」
 あまりに素早い展開に、ポンコツの頭は到底理解をしてくれない。しかし、どうやら相手がコ
ボルトであることだけははっきりと理解できた。
「そうや、あいつらは強敵や!」
「まあねぇ。たしかに、あいつらは賢いからな」
 コボルトは金属のコバルトに魔力が宿って生まれたとされる犬頭の連中である。小柄で非
力、臆病といういいところのない種族だが、その分知力としては申し分がなかった。単純バカと
噂されるドワーフなどよりは遥かに哲学的で統制が取れており、軍師として各国の顧問となる
ものもいる。
「そうや。奴らは賢い。でも、ウチらはコボルト達を潰さんとあかんねん。あいつらのせいで、ウ
チの集落の金属はみんなダメになってしまうんや」
「あ、そうか。あいつらは金属を腐らせるからねぇ」
 ミリアのスカスカな頭でも、その程度のことは思い当った。金属から出来たコボルトは、コバ
ルト以外の金属全てを腐らせる力を持つ。となれば、鍛冶や鍍金などの仕事を生業としている
ドワーフ達には死活問題である。ミリアも金属製品を葛屋に売り払っては暮らす身なので、金
属にはそれなりに詳しい。
「よし、わかった。いいともさ。いくらコボルトが賢いとは言っても、このあたしにはかなわないは
ずだ。おっちゃん、ちょいと行ってくるわ。仕事はその後でね」
 ほとんど二つ返事で安請け合いをすると、ミリアは親指を立てて汚い歯を剥出しにして笑っ
た。まるで昼飯でも食いにいくような感覚である。
 十分後、珍しくグレートソードに胸当て鎧を着込むと、割りときちんとした戦士スタイルとなっ
た馬鹿のハーフエルフは、ドワーフと共にコボルトに戦いを挑むのであった。



 鉱山と鍛冶の街リュルから徒歩で二日。ドレスデン山脈の中にドワーフの集落が点在してい
る。このファウド大陸を東西に分割するドレスデン山脈は、大陸のおおよそ半分を占める巨大
な大きさだ。山脈の中に盆地や斜面が点在し、その幾つかが人間の街であったりドワーフの
住みかになっていたりする。
 南方へ二日ほど向かった所は、摺り鉢のようになって開けた盆地だった。この辺りは剥出し
の岩山がほとんどで、茶色い岩はだがゴツゴツと露出している。斜面にいくつもの穴が掘られ
て、その入り口付近では、のんきなドワーフ達が陽なたぼっこをしているのが見える。
「ふう、帰ってきたで。しかし、あんた、ようけ食ったなぁ」
 ドワーフ女ヴィルナは、空っぽになった自分のリュックサックを軽く揺さ振った。その後ろで
は、ミリアが最後の干し肉を意地汚くがっついていた。
「ふう、ごっつぉさん」
 たちまち干し肉を平らげると、ミリアはポンと膨れた腹を叩いた。昨日から、ほとんど休みなく
食べ続けて、見事に保存食を全部喰らい尽くした。
「うちらドワーフでも、こんだけ食うには一週間はかかるで」
「いや、そのさ。腹が減ったら食べなきゃならんって言うじゃないの」
 思い切り間違った諺を引用すると、ミリアは真顔でそう主張した。プッとドワーフ女は頬を膨ら
ませて吹き出し、そのまま笑い転げた。
「あははは、おもろいわ。あんた、流石や。その具合でボケてくれたら、ア・ホのコボルトも倒せ
るで〜」
 別にボケたつもりではなく、馬鹿なだけである。何か笑われて憮然とした面持ちのミリアの背
中を叩くと、ヴィルナは集落の中心に迎う下り坂を走っていった。
 やがて二人はドワーフ村の中心部についた。摺り鉢の底である村の中心では、むさくるしいド
ワーフ達が固まって井戸端会議をしていた。ここは本当に井戸が掘られていた。山で井戸を掘
る場合、水脈の都合で裾野に掘る。逆三角形の頂点に井戸が掘られ、その井戸の水を汲んで
水割りを作りながら、ヒゲだらけのドワーフが車座を組んでいた。
「まいど、おいちゃん達。今、助っ人を連れてきたでえ〜」
「なにっ!」
 昼間からビールジョッキ片手に、酒に酔いどれていたドワーフ達が一度に振り向く。全員、年
令不祥のヒゲダルマなので、かなり不気味だ。
「おお、これがお前の相方か!」
「さすが、見ただけでもバカそうだ!」
「これであの小癪なコボルト軍団に勝利できるぞ!」
 明らかに非知的そうなドワーフは口々に、称賛しているんだか罵倒しているんだか解らない
言葉を投げ掛ける。
「なんだと、この!」
 悪口には敏感なミリアは、ボケッとばかりに手近のドワーフをゲンコツで殴り付けた。ゴチッと
鈍い音がして、ドワーフが頭を押さえる。
「おお、いたた…突っ込むタイミングはいいが、ちと痛いぞ」
「そうじゃな。テンポはよかったが、コミカルさは足りんな」
「まあ、そこは相方のヴィルナ次第という事じゃ」
 仲間がドツかれたにもかかわらず、ドワーフたちはミリアが怒ったタイミングについて口々に
批評しはじめた。もう、わけがわからない。
「なんだ、ここのドワーフ達はバカなのかい?」
 何か通常とは違う雰囲気を感じて、ミリアは不安そうに辺りを見回した。村のあちこちでドワ
ーフたちがビールを飲んでいるのが見える。平和な光景である。
「いいや、あんた程ちゃうで。このおいちゃんたちがバカだったら、あんたを相方に頼まへん」
「なに?」
「とにかく、うちらはコボルトを倒さんとあかんねん」
 訳の解らないまま、ミリアは雌ドワーフに引きずられて、村の村長の住む洞窟へと連れてい
かれた。また坂を登って岩山を過ぎていくと、一際大きい洞窟があった。
「おい、村長。相方を連れてきたで〜」
「な、なんじゃとぉ〜」
 ヴィルナが雌ドワーフ訛りで叫ぶと、奥から雄ドワーフ訛りの声がして、ドスドスと大きな樽型
生物が姿を現した。四角い顔に一面のヒゲ面。どこからどうみても典型的なドワーフである。
「おお、あんたがヴィルナの相方か?」
「らしいね。要するに、コボルトのバカをブッ飛ばせばいいんだろう?」
 次から次へと好機の視線が飛ぶので、いい加減にミリアはうっとおしくなった。目の前のドワ
ーフも、暑苦しい筋肉の樽である。なんでこんな奴ばかり出てくるのかわからない。
「違うんじゃ。コボルトのア・ホじゃ」
「どっちでもいっしょだろう」
「違うんじゃ!」
 突然ドワーフは頭から湯気を出して憤激しはじめた。ドスン、ドスンと足音が穴蔵にこだます
る。
「ワシはジジイではない!まだ50じゃ!」
「それってジジイなんじゃないのか?」
「バカモノ!ドワーフの寿命は人間の倍じゃぞ!そんなこともわからんのか!」
 コミカルに、幅のある肉体を揺すって村長は地団駄を踏んだ。ドワーフ達の寿命は人間の二
倍。老化速度もやはり半分。このジジイ言葉は彼らの方言なのである。
「村長はドワーフ族のアイドルなんやで。そんなん言ったら失礼や」
「なに、これがアイドル?」
 ミリアは一瞬、耳の穴が詰まったのかと思った。そして、ひょっとしたらこの場に幻影の魔法
がかかっているのかもと思って、何度も目を擦った。しかし、相変わらず目の前には樽が居
る。
「そうじゃ。井戸端の連中と共に、人気戦士チーム、バレルキッズを結成しておる」
「そうそう、おいちゃん達は格好いいもんな」
 横で雌ドワーフのヴィルナが何度もうなずくのを見て、ミリアは思い切り吹き出した。井戸端
の樽達がアイドルとは、どう考えても冗談としか思えない。
「わっはははは、なんだ、そりゃ。その顔でアイドル?わっははは、こりゃおかしいねぇ…」
 腹を捩り、涙を流して地面を拳でドンドンと叩きながら、ミリアは地べたを転げ回った。当たり
前だがおかしくてしょうがない。何がアイドルだ。こんな連中、よくてホモのバラドルが関の山で
ある。
「なんじゃ、何を笑っておるんじゃ。ヴィルナ、これが本当に相方として通用するのか?」
「いや、その実力は相当なもんやで。うちはこの女なら、コボルト達をやっつけられると踏んだ
んや」
 真面目な顔をして二匹のドワーフ達は言葉を交わす。ミリアはようやく笑いを収めて立ち上が
った。村長は黙って椅子を指差した。まだ顔に笑いが残るミリアは、なんとか村長の顔を見な
いようにして座る。見るとまた思い出して吹き出すからだ。
「では、コボルトを倒すことを正式に依頼するとしようかのう。しかし、その格好はまずいぞ。奴
らはカミナリの魔法を使って来るからの」
「なにっ!」
 村長の言葉に、ミリアは正面を見てまた吹き出した。とは言っても、面白かったからではなく
て、今度はマジの吹き出しである。
「うむ。ア・ホはカミナリの魔法を使い、我々の金属をことごとく駄目にする。ア・ホに対抗出来
る戦士は、この集落ではヴィルナのみじゃ。頼むぞ、ええと…」
「ミリア・カジネットだよ」
「ミ・カ殿、コボルトを倒してくれ」
「なに、なんだそりゃ。変に縮めるなよ。ミリアって呼んでくれよ」
 ミリア・カジネット。縮めてミ・カ。そんな呼ばれ方をしたことはまるきりない。
「ミリア殿、コボルトのア・ホをやっつけてくれ」
「よし、わかったよ。でも、相手が魔法を使うとなると、依頼料はちょいと高いよ」
 やや浮かぬ顔でミリアは答えた。この女、戦士としては抜群のパワーを誇るが、魔法の方面
はまるで不得手である。武器戦闘では抜群の強さを誇るが、魔法が絡むとちと弱い。
「ビール一月分でどうじゃ」
「よし、乗った」
 あっさりと条約は締結された。満面の笑みを讃えて、ミリアは村長の手をがっしりと掴む。
「お、御主、現金じゃの…」
「なに?現金も付けてくれるってか。いや、そんな、悪いね」
「な、なんじゃと?」
「まあ、その辺は誠意を見せて欲しいところだよね」
 信じられないほどの厚顔無恥ぶりで村長に付帯条件を認めさせると、ミリアは力強くガッツポ
ーズを取った。その横では相方となるヴィルナが、これもまた腹を抱えて笑っていた。



 その番はお決まりのように宴会となった。ドワーフという連中、酒と飲み食いを三度の飯にプ
ラスして好む。そんな訳で、その夜は集落の戦士たちが総出で集まって大騒ぎとなった。
 むくつけき樽どもが山ほどぞろぞろ集まり、井戸のまわりにビール樽が山ほど積まれた。そし
て、辺りの山が割れるかと思うほどの大騒ぎが始まったのである。
 しかし、それは同時にむさくるしい宴会でもあった。なにしろ女はミリアと雌ドワーフのヴィル
ナしかいないのである。ほとんどの雌ドワーフは、洞窟の奥にひっそりと住み、外に出ることも
なく内職をして暮らす。女で戦士になるのはほんの一部である。そのような特例がヴィルナであ
ったわけだ。宴に参加できるのは戦士だけなので、ドクダミのような女二人の宴会となったわ
けである。
 そして翌朝、集落を見下ろす、岩山の頂に、女二人は揃って座り込んでいた。井戸端では二
日酔いのドワーフ達が山となって水を争っているのが見えた。
「なんだ、あの程度で酔うとは、ドワーフ達も弱いもんだね〜」
 街では生体ゴミバケツの異名を取ったミリアは、宴会明けでも涼しそうな顔をしていた。横で
は雌ドワーフのヴィルナが、頭を押さえて黄色い胃液を吐いている。
「ちがうんや、アンタが強すぎるんや」
「あはは、そうかもね。ナイスな突っ込みだよ」
「これはマジや〜」
 オエー、オエーと嘔吐の音を響かせるヴィルナを見やると、ミリアは懐から紙巻きタバコを取
り出して、火打ち石で点火した。昨夜ドワーフたちが酔い潰れた後にチョロまかしてきたもので
ある。
「さて、迎え酒とでもいくか〜」
 昨晩の宴会で残った酒を詰めたボトルを地面に置くと、ミリアはタバコをスパスパやりながら
酒をあおり始めた。つくづく鉄火な奴である。
 そうしているうちに昼も過ぎたが、まだドワーフ達は井戸の辺りでゲーゲー吐いていた。昨晩
飲んだ酒は、ほぼ集落の貯蔵量に匹敵する。しかしそれでもミリアは平気である。こういう奴に
酒で取引すると、つくづく高くつくのだ。
「うえ〜、ようやく、マシになって来たで〜」
 太陽も随分と低く為り初めてから、ようやくヴィルナが可動体勢を取り戻した。まだ、広場のド
ワーフ達は動けない。
「駄目だね、ありゃ。こんな状況でコボルトに襲われたら、ひとたまりもないよ」
 どう考えても役に立ちそうにない二日酔いの集団を見つめて、ミリアは山と積まれた目の前
の吸い殻を木刀の剣先で突いた。
「でも、どうせおいちゃんたちはコボルトには立ち向かえへん。奴らのカミナリであっちゅー間に
やられるのがオチや」
「そうか〜。相手はサンダー系の魔法を使うんだよね。取り敢えず、鎧は外しておいたから、大
丈夫か」
 ミリア、ヴィルナの両人とも、雷撃の魔法に備えて、金属性のものはことごとく身から外してい
た。鎧は革制。しかし、ドワーフの加工技術で作られているので金属性と比較しても遜色はな
い。後は木製のシールドに、木刀に木製メイスの類である。
「そうやね。あとは、いかにしてアホを笑わせるかだけや」
「ちょっと待ってくれ。あたしはその笑わせるってんのがどうも…」
 何か腑に落ちないものを感じて、ミリアが口を開いたその時であった。場所は摺り鉢状の岩
山の淵。その対岸の山ぎわが急に一転して黒くかき曇った。
「なんだ?」
「や、やつらや!奴らの魔法や!」
 二人は叫んで身を乗り出す。とたん、黒くもから閃光が走り、耳をつんざく爆音が山脈に響き
渡る。空から巨大な稲光が走ったかと思うと、それは井戸端に横たわっているドワーフ達を直
撃した。
「ぐわぁぁぁ!」
 物凄い悲鳴と汚物を撒き散らしながら、ドワーフの山が四散する。
「ああっ、おいちゃん達!」
「フフフフ、お気にめしていただけましたかワン、品性愚劣なドワーフ達」
 不意に、背後の森から、犬の泣き声が交じったような共通語が響いた。あわてて二人は後を
振り向く。いつのまに近付いたのか。小柄な、犬頭の男が一人、手に魔法使いの杖を持って突
っ立って居た。紫のローブに身を包み、額に填めた魔力増強のサークレットは、典型的な魔術
師のスタイルである。
「あっ、アホ!なにするんや!」
「何と申されましてもワン。美的センスの狂ったドワーフをたたきのめしただけですワン。あの
顔で自分たちをアイドルと言い張るなど、どう考えても世間の精神衛生上で悪いですワン」
 コボルト混じりの標準語で、正統な事実を淡々と彼は述べた。ミリアは腕組みをしてうんうん
とばかりにうなずいた。
「こらぁ、なに首肯いとるねん!あかんがな、おいちゃん達のカタキを取るんや!」
「あ、そうか。感心してばかりはいられないよねぇ」
 一応、なんとか自分の使命を思い出すと、ミリアは木刀を右手に、木製シールドを左手に構
えると、ジロッとコボルトを睨み付ける。
「ほほう、今日は助っ人がいるのですかワン」
「そうや!いつもは女はうち一人だけやから、あんたを笑わせることができへんかった!しかし
今日の笑いは一味違うでぇ」
 雌ドワーフも木製シールドとメイスを構えると、ジリジリとその戦闘距離を詰めながら威勢よく
啖呵を切った。コボルトはその犬頭をぐるぐる大義そうに回すと、濡れた鼻からフンッと強い吐
気を漏らした。
「相変わらずバカかワン、貴様」
「あ〜、言うたな、このア・ホ!」
 コボルト訛りとドワーフ訛り。どうにも緊張感のないやり取りが続く中、ミリアはそろそろと間合
いを詰めて、コボルトの背後に周りこんでいた。
「ほらよっ!」
 そして、構えた木刀を素早く振り降ろす。ボケッと鈍い音がした。
「クーン」
 悲しい犬の泣き声を発して、コボルトはドサリと地面に倒れる。
「な、なんや?」
 目の前で急にコボルトが倒れたことを見たヴィルナは状況が解らずに目をパチパチさせる。
「ほら、とっととコボルトを捕まえなよ」
「な、なんや、何が起こったんや?」
「ええい!ガタガタ言わずにとっととそいつを捕まえろ!」
「なんで、こいつ、倒れたんや?」
「そりゃ、あたしが殴ったからに決まってるじゃないのさ」
「え?でもな、こいつ、何も面白い事言ってへんで。そんな時に殴るのは反則やで」
「何の話だ!いいからとっとと捕まえなよ!」
 どうも話が通じにくい雌ドワーフに向かってミリアは大声でがなり立てた。もちろん、その間に
コボルト魔術師はちゃっかりと息を吹き返していた。彼は小柄な体を利用して素早く二人の間
を擦り抜けると、魔法を使うべく一気にその距離を開かせる。
「ふう、なんだ、油断したワン。ドワーフ達の攻撃方法とは微妙に違うだワン。お前はドワーフじ
ゃないんだワンね」
「おう!こちらと来たら、可愛らしいハーフエルフの女の子だ!」
「ワ、ワン?」
 コボルトはつぶらでラブリーな瞳を数度パチクリとさせた。その後、彼は濡れた鼻先から断続
的に息を吹き出した。
「物凄い冗談だワン。でも、その冗談は悪い冗談だワン。精神衛生上悪いワン。お前のような
奴は魔法でお仕置きだワン!」
 結構真面目に言ったはずのミリアの台詞を笑い飛ばすと、コボルトは手に持ったマジックロッ
ドを高々とかかげた。紫色の稲妻が彫りこんである杖は、雷の魔術を増幅するものである。
「はあああ、天よ!地よ!大気よ!三つの力を融合し、その名を呼ぶものを打ち倒し給え…ワ
ン!」
 語尾の最後にヘンテコなコボルト訛りを付けると、犬コロは杖を空にかかげた。すると、晴れ
ていたはずの天空に一瞬にして再度暗雲が立ち篭める。
「はあ!」
 コボルトは突如、自分の履物を脱ぎ始めた。紐で固定するタイプの、いわゆるサンダルであ
る。彼はそれを一揃いで持つと、それを二人の女戦士の前に見せ付ける。
「これはなんだ、ワン!」
「なにって、〈サンダ〉ルじゃないのさ」
 瞬間、黒くもを巨大な稲光が炸裂して、数万ボルトの超強力な雷撃が、二人の女ファイターの
上に降り注いだ。
 辺りは瞬時に、影と光が交互に工作するモノクロームの世界に包まれる。地面は電熱によっ
て一度に黒焦げの地面と化し、辺りには焦げ臭い匂いが立ち篭める。
「ふはは、愚かな奴らめワン。自分から雷の名前を〈呼ぶ〉とは馬鹿な話だワン」
 コボルトは呪文の威力を確かめると杖を持ったまま手を腰に当ててほくそ笑んだ。コール・ラ
イトニングの呪文は、その名の通り、雷を呼ぶことができる。しかし、この呪文の使い勝手はよ
くない。なぜなら、〈呼んだ〉雷は、その名を呼んだ者の上に落雷するのである。このため、相
手に雷の名前を言わせないと落雷させられない。さっきはミリアがサンダ・ルと口走ったため
に、雷が落下したのである。
「ん?ワン!」
 しかし、コボルトは次には目を向いていた。ジュウジュウと地面の草木が焦げる音がまだする
爆心地。そこでは二人の女戦士がまだ無事に立っていた。装備も何一つ傷ついていない、い
わゆるノーダメージである。
「な、なんで無事なんだワン?」
「は?」
「わっはっは、ウチが説明したるわ!」
 どうも、事態がよく分かっていないミリアを尻目に、自信満々でドワーフ女が腕組して答える。
「ウチらは女や!キン属は持ってへんから、落雷せぇへんねん!」
 ズルっと見事なまでに脚を滑らせて、コボルトとミリアはズッこけた。あまりにもムチャクチャな
話である。そんな理由で落雷が効かないとは、どんな呪文だ。
「む…むう…抜かったワン…」
 ギリギリとコボルト魔術師は真面目に歯を噛んだ。ミリアはますます訳がわからなくなった。
「ほらっ、はよ突っ込んでな!そこで、はよ!手を水平にして、チョップの要領で『なんでやね〜
ん』ってやるんや!」
 マジに悔しがるコボルトと、ここでお笑い的突っ込みを要求するヴィルナ。あまりにも馬鹿馬
鹿しい戦いではある。何か、このまま帰りたい気もしてきたが、取り敢えずクライアントの頼み
は聞かなければ報酬がもらえない。
「あっ、そ、そうか、そうなんだよね。こ。こうかな?」
 よく解らないまま、ミリアは右手をチョップのようにかかげると、その手刀を、ドワーフ女向か
って振り降ろす。
「な、なんでや、ね〜ん」
 力なく、ヘロヘロと叫んだものの、空手チョップは勢い良くドワーフ女の胸元を直撃した。ボス
ッという、豊満なんだか筋肉なんだか解らない音がして、ヴィルナは勢い良くフッ飛ぶ。
「ぐはっ!」
 体をエビのように曲げて、格好よく雌ドワーフは宙を待った。頑健な肉体が浮き上がり、苦悩
するコボルト魔術師に向かって飛んでいく。
「ワ、ワン!」
 それは見事なまでに犬コロに命中した。二匹のバカモノはもんどり打って引っ繰り返る。そし
て、二匹はピクリともしなくなった。いったいこれは何だというのか。ミリアは虚ろな眼で、振り降
ろした突っ込みチョップの先を見守っていた。



「ワ、ワン…油断したワン。この僕をここまで酷い眼に遭わせるとは、なんという奴何だワン」
 しばらくすると、コボルト魔術師はモゾモゾと動いて、再度活動を始めた。その間はほんの十
秒程度。しかし、相手に止めを刺すのには十分な時間である。だが、ミリアはあまりにも呆気に
取られすぎて、コボルトに止めを刺すのを怠ってしまった。
「この、コボルトの天才魔術師、アルカディウス・ホノリウスが、ここまでコケにされるとは思って
いなかったワン」
 コボルトは魔術師の杖を支えにしてヨロヨロと立ち上がった。その長ったらしい名乗りに、ミリ
アは再度猫目をパチパチさせた。
「なに、アルカディなんたらホノなんたら?」
「アルカディウス・ホノリウスだワン!まあ、それだけ言えればマシだワン。ドワーフ共なんか、
僕の名前が覚えられないから、縮めてア・ホって呼ぶんだワン!」
 アルカディウス・ホノリウス。確かに長い名前だが、無理遣り縮めるほどのものではない。縮
めた結果がア・ホでは、それはコボルトも不満であろう。
「この僕がここまで苦戦するとは思っていなかったワン。確かに雷はキン属がないと落雷できな
いワン。少しはドワーフ達も頭を使ったもんだワン」
 本当にこれが頭を使った作戦と言えるのかどうか。ほとんど、お笑いにしかならない戦いであ
る。
 しかし、これは魔法的な見地からごく当然の事象なのである。魔法はきわめて言語に密接し
た現象である。したがって、駄洒落のようにしかならないやり取りでも、十分に効果を及ぼして
しまうのであった。
「落雷魔法が使えない女には、これだワン!」
 ア・ホことアルカディウス・ホノリウスは再度魔法杖を構えて高々とかかげた。一気に大気の
気圧が変化し、杖の先端に魔法力が集中していく。
「空よ、風よ、二つは融合し、稲妻を起こしたまえ…ワン!」
 やはり語尾にコボルト訛りを匂わせると、アルカディウス・ホノリウスはサッとばかりにマジック
ロッドを差し出した。その先端が青白い稲光に包まれると、電撃が杖から発射される。
「ぐわぁぁ!」
 電撃は見事にミリアに命中した。頭の毛の先端まで、電気が走って全てが逆立つ。
「ふふふ、痺れろ、痺れろだワン。落雷ほどのパワーはないが、それでも二百ボルトはあるん
だワン」
「ぐ、ぐぇっ…」
 木刀を地面に突き立てて支えにすると、ミリアは敗残の兵士よろしく、ガクッと片膝を付いた。
いくら電圧が低いとはいえ、電撃の攻撃はさすがにダメージが大きい。
「な、なんだぁ?なんで落雷は効かなかったのに、どうして稲妻は効くんだ?」
「ふふふ、だワン。それは、お前が独身だからだワン」
「なにい?」
 気にしていることを言われてミリアは焦げた顔の唇を歪めて眉をひそめた。当年とって153
歳。まあ、そろそろ青春も黄昏の年令である。しかし、それと稲妻が何の関係があるのか。
「なにい、ミリア。あんた、まだ独身だったんか。そら、あかん。うちはてっきりあんたが既婚者と
思ったからスカウトしたんやで。未婚だと、稲妻は効いてしまうんや!」
 いつのまにか、気絶から回復してきた女ドワーフが、木製のバトルアクスを構えて立ち上がっ
ていた。黒焦げのハーフエルフはコミカメに大きな怒りマークを浮かべる。
「悪かったね、どうせあたしは独身だよ!そういうあんたはどうなんだ!」
「ウチけ?ウチの旦那は五人ほど居るで」
「な、なに?」
「ドワーフは一妻多夫なんや」
 その通り。それがドワーフの女が少ない要因の一つである。出生率は圧倒的に男の方が多
い。それで、一人の妻が五人まで夫を持つことが許される。哀れミリアはそんな所でも敗北で
ある。
「ここは妻であるウチが出るわ!あんたは援護してな」
 ヴィルナは木製戦斧を振り回すと、アルカディウス・ホノリウスに向かって突撃していく。
「行けワン!稲妻!」
 慌ててコボルトは稲妻攻撃を繰り出してくる。何本もの青白い閃光が飛び出て強かにドワー
フ女を打ち据える。しかし、それは何の痛痒も与えない。ヴィルナはブンブンと戦斧を振り回し
てコボルトに切り掛かる。
「ムダや!妻のウチに稲妻は効かへん。なんたって、稲妻は妻でないんやからな!」
「くっ…ワン。稲妻が否妻であることをよく見破ったワン!」
 アルカディウス・ホノリウスは感心して吠え、背後でミリアはズルズルと崩れ落ちた。妻ではな
い。否である妻。それが稲妻の魔法の正体である。しかたがって妻には魔法は効かない。頭
の悪い事実の一片である。
「な、なんだ!魔法って奴は!」
 物凄く理解不可能な言葉の事象を見せ付けられて、ミリアはヤケクソになって剣を投げ捨て
た。木刀は摺り鉢山の斜面を転がり落ち、ドワーフ村の方へと滑り落ちていく。
「はあぁ〜」
 何度目かの脱力を覚えて、ミリアは口を半開きにして目の前の戦いを見やった。目の前では
相変わらず、ア・ホのコボルトとヴィルナの激闘が続いている。
「えい!えい!えい!」
「おおっと、よっと、ほっと、ワン」
 ヴィルナは力任せに斧を振り回す。その威力と力強さはたいしたものだ。空気を切り裂く音が
響いてくる。
 しかし、それとは裏腹に、攻撃は一つもコボルトに命中していない。ドワーフという連中、怪力
で戦闘には向いている種族だが、武器を使いこなせるかどうかはまた別の問題である。
「何してるんや、ミリア。ボケッとしとらんで、突っ込んでぇな!」
 ヴィルナの攻撃は一つも命中しない。これだから、助っ人が必要だったのである。たしかに、
このままでは戦いはほぼ永劫に続きそうである。しかし、肝腎の助っ人は、あまりのくだらなさ
に戦意を全く喪失していた。
「つ、突っ込むのかい?」
「そうや!何でやねーんって」
「分かった…」
 ポツリと、やけに不似合いなオクターブの声を発すると、ミリアはぶらりと脚を前に進めた。そ
の瞬間、ダルそうに半分閉じていた眼がカッと見開かれる。そして、ハーフエルフは、怒号を挙
げると張り手で突っ込んできた。相撲レスラーの突き出しも真っ青の勢いである。
「何でだ!何でこんな訳のわからんコボルトにてこずるんだよっ!」
 すり足で素早くにじり寄ると、ミリアは瞬きもせぬ間に、コボルト魔術師のすぐ傍らにスクッと
立った。
「な、なんだワン!」
「うるさいわい、ア・ホ!」
 怒りの雄叫びと共に、ミリアは張り手をコボルトの鼻っ面に一発ブチ噛ました。パッシーンとい
う、やけにいい音が高らかに響く。
「キ、キューン」
 可愛らしい泣き声を挙げて、コボルトは白目を向いてその場に転がった。と、その手から魔
法の杖が転がり、地面に落ちる。
「おっ!ナイスな突っ込みや!」
 魔法の杖がコボルトから離れたのを見て、素早くヴィルナがそれを拾い上げた。これで、もう
魔法は使えない。あとはコボルトを縛り上げてしまえばいいだけである。
「はあ、はあ、はあ…」
 僅か一撃でコボルトを葬り去ったミリアは、形を怒らせて荒い息を継いでいた。八重歯を噛み
合わせるようにして口を横一文字に開け、怒りとムカツキで全身を震わせている。かなり、恐い
状況だ。
「いやあ、さすがはバカのミリアやったね。いまのタイミングはナイスやった。これでア・ホは滅
んだ。ウチの村も平和になるで。いい突っ込みやったわ」
 しかし、雌ドワーフは、この場の雰囲気をまるで考えていなかった。いや、相手が激昂してい
ることに気が付くような知力があれば、コボルトにてこずる訳がない。
「さあ、村に帰って宴会や。ミリアのナイスな突っ込みを、みんなに伝えるんや〜」
 実に明るく、無神経に、ドワーフ女はポンポンと肩を叩いてきた。とたん、ジロリと黒い視線が
ハーフエルフの猫目から流れて来る。
 そして、再度咆哮に近い叫びが響いた。
「何でだ!何でドワーフはそんなにパーだ!コノヤロー!」
 ミリアの右ストレートがうなりをあげると、それは狙い違わずドワーフ女のドテッ腹をえぐった。
雌ドワーフの四角い眼が苦痛に歪み、口から舌が飛び出て反吐が飛ぶ。
「き、キツイなぁ…そんなとこまで突っ込まんでも…」
 最後まで芸人根性を忘れない雌ドワーフは、そういう台詞と共に、摺り鉢の斜面を転がって
村の方に落ちていった。あまりにも無駄な、不毛な争い。それは口にするだけでも恥ずかしい
戦いの記録である。
 頭の悪いドワーフ村の依頼。後世の人々は、このような悲劇が二度と起こらないようにする
ため、慎重に行動し、やたらと突っ込むことは避けるようになったという。
    (END!)