剣を振り上げて肩口に構えると、ミリアはサリナ目掛けて突っ込んだ。今は動きにくかったハ イヒールもない。軽快に、素早くミリアはサリナの間合いに飛び込む。 「あっ!」 あわてて打ったサリナのムチをミリアはたやすくかわした。いくら魔法で強化されているといえ ども、所詮は魔術師の腕前である。本物のファイターが避けられないスピードではない。 スルっと伸びてきたムチを身体をひねってかわすと、ミリアの身体はサリナの手元に飛び込 んできていた。鎧という装備が無い分、動きのスピードは上がっている。ただ、反撃を受けた場 合は致命傷となるだろうが。 「甘いよ、かーちゃん!」 手首を返すとミリアはサリナに切りかかった。もう、怪我がどうのとか考えてはいられない。相 手は本気なのである。こうなれば殺か殺られるかの勢いでいくしかない。 「危ないっ!」 ほとんど反射的にサリナは水のシールドを身体の前に持ってきていた。炎を固めて作られた 刃が水のカーテンに激突する。瞬間、すさまじい水蒸気がほとばしり、剣の中程までの刀身が 水に包まれて消え失せた。 「げっ!」 あわててミリアは飛びのいて剣を見つめる。一メートルほどの剣は、丁度半分の長さになって いた。この剣はワイドの炎の魔術で作られたものである。したがって水の属性には弱い。 もちろん、サリナのシールドもただではすまなかった。実際、ミリアのソードよりもその被害は 甚大だった。反する属性の剣を正面から受けとめたのだ。一撃で水のシールドは消滅し、サリ ナを守る防御壁はなくなった。「ふう、恐ろしい娘ね。わたしに冷汗をかかせるとはね」 そういうサリナのこみかめには汗が浮かび、一緒に化粧も流れ落ち始めていた。目蓋に塗っ たアイシャドウが汗と共に流れ落ちてくる。白い顔に青い線が何本も入る。こうしてみると、本 当に悪魔に近付いてきている。 「フリーズ・シールド!」 サリナはまたもや呪文を唱えた。今度は水よりも一ランク上の、氷の楯が左手に表れる。水 の楯は炎の剣の前に、一撃で破れ去った。しかし氷ならば、二発まで耐えることができる。 「でも、アンタはわたしに勝てないわ。わたしの魔力はほぼ無限。でも、あんたの剣はもうボロ ボロじゃないの」 「うっ…」 魔法の剣といえども、所詮はワイドの魔術で作り上げられた剣である。その魔力は決して無 限ではない。実際、剣の上半分は水の精霊の力で削り取られてしまった。ワイドは火の魔術師 としては相当に強力だが、火は水には弱いのである。 「ワイドっ」 焦ってミリアは背後を振り向いた。そこではドリンとワイドによる死闘が続いていた。ワイドは 杖を武器にして殴りかかりながら、要所要所で魔法を使っていた。ドリンもまた同じ戦法でワイ ドに対抗する。 「ウインド・シュート!」 ドリンが例のレイピアを振ると、剣からキラキラと輝く粒子がこぼれ落ちた。しかし、それは危 険な風の刃である。切れ味の鋭いかまイタチがワイドに向かって一斉に襲いかかる。 「なんの!ファイア・ウォール!」 ワイドがスタッフを振ると、目の前に大きな炎の壁が表れた。そして、風の刃が炎の壁に激突 する。 わずかに鈍い音がして、二つの魔法は跡形もなく消え失せた。精霊を使う魔法は、相対する 元素以外の攻撃は無効とする。 すなはち、風と土。火と水。光と闇。それぞれが対応する元素の魔術師でしか打ち破れな い。それ以外の魔術師が対峙しても、どんなに両者の魔法に実力差があっても、魔法がぶつ かると中和されてしまうのである。 ワイドは炎。ドリンは風を操る魔術師である。したがって、魔法合戦ではなんの意味もない。 ワイドは身体の正面でスタッフを両手で構えた。かなり巨大なこのマジックロッドは、武器とし て殴っても十分使えるものである。「ちくしょう、ドリンさん…好きだったのに…ちくしょう…」 女々しくグチを叫びながら、ワイドはドリン目掛けて突っ込んでいった。ドリンは顔色一つ変え ずにそれを受けとめた。逆三角の冷ややかな眼が光り、濡れた唇に吐息が浮かぶ。 さして苦労もせずに、ドリンはワイドの杖を受けとめた。中途半端とはいえ、さすがは魔法剣 士である。魔術師の攻撃くらいならやすやすと受けとめてしまう。 「どうしたの、坊や。その程度?」 余裕たっぷりにドリンはほほえんだ。相手がワイドだから、そんなことも出来る。これがミリア だったら、尻尾を巻いて逃げ出してしまっていたかもしれない。 「坊やって言うな!くそう、オイラ、本当にあんたが好きだったのに。少年の純情、踏み躙りや がって!」 百十五歳の、やけに老けた少年は、じわりと悔し涙を浮かべると、メチャクチャに杖でドリン を殴り付けた。一撃、二撃、三撃と、三回強かに杖がドリンを打つ。一度に三回の攻撃は、ドリ ンの攻撃回数と同じである。 ワイドとドリンの緊迫はそうやって延々と続いていた。とても、ミリアの援護に回れるような状 態ではない。 「じ、じーさん、魔法を…」 ミリアはくるっと首を回して、窓の外で戦いを繰り広げているヤードとヘンリーに視線を移し た。町の広場には見物人がいっぱい集まっていた。その中央で、美青年と筋肉ダルマの老人 が激闘を繰り広げている。 「死ねっ!このバカ息子め!」 若い方がなぜか年寄の方に言うと、左手の手のひらを大きく広げた。その手のひらには闇の 呪文印が刻まれている。 ヤードの操ることの出来る属性は闇だ。出で立ちの黒いスーツと同じ色の呪文を使うことが できる。 「ダーク・ネット!」 ヤードが呪文を唱えると、手の平の中央から黒い布のようなものが放射状に広がった。それ はまるで網のようにヘンリーの巨体を搦めとろうとする。 「なんの、これしき!」 ヘンリーは一声吠えると、両手でグレートアクスを振り回した。すさまじい風が巻き起こり、巨 大な刃が音を立てて舞う。特大級のパワーで振り回された斧が、魔法の闇を切り裂いた。 「くっ、やるな!」 魔法が破られたのを見て、ヤードは瞬時に攻撃モードを剣に変えていた。彼もどちらかという と、スピードで勝負するタイプのファイターである。細身のロングソードが素早く繰り出された。 狙うは筋肉ダルマの胸元である。 「甘いわ、オヤジ!」 老人は若者をそう一括すると、クルリとグレートアクスを反転させた。柄の部分を身体の前に 構え、ヤードの攻撃を待つ。 一回、二回、三回、四回とヤードは切り付けた。そのことごとくがヘンリーの持つアクスの柄 に邪魔されて本体に届かないい。 「それでは蚊も死なんわい!」 ヤードの攻撃が一段落すると、今度は代わってヘンリーが反撃に出た。グレートアクスを振り かざすと、彼は、なぜか自分より若い父親に向かって突進する。 「うおりゃあ!」 重さ数十キロはありそうなグレートアクスを軽々と振り回し、ヘンリーはヤードに斬りかかる。 一度、ニ度、三度。重いグレートアクスでもヘンリーは五回切り付けていた。 「うわっ、わっ…」 最後の一撃をヤードはなんとか受けとめた。しかし、次に五回攻撃が来たら、かわせる自信 はあまりない。 「どうした、オヤジ。やはり貴様は本当の戦士ではないようじゃの」 ヘンリーは大口を開けてヤードを嘲笑った。いくらヤードの戦闘バランスがよくても、肉弾戦で はヘンリーの方が格上である。 少しだけヤードが形成不利になっていた。この調子ではミリアが応援を頼めるような状態で はない。 「どうしたの、ミリア。他人にすがろうと思ってもダメなようね。あんたはわたしと一対一で戦わな いといけないのよ」 サリナは娘の窮地を嘲笑うと、右手の手首のスナップを効かせた。鋭く空気を切り裂く音がし て、しなやかなムチが地面を這ってくる。 「おっと!」 素早くミリアは身を躱した。しかし、わずかにムチの先端が左の肩先を擦めていた。 「し、しまった!」 ミリアの顔が一瞬青ざめた。ドレスの肩口を擦ったムチは炎に包まれていた。火の精霊力が ムチにフル装備されているのだ。当然のように、ドレスに火が燃え移った。 「あち、あちちち!」 あわててミリアは右手で肩を叩いた。幸い、ドレスの上地が焼け焦げただけで済んでいた。し かし、このムチは恐るべき武器である。直撃しなくとも、炎でダメージを与えることができれば、 恐怖は単純に二倍だ。 「あら、当たったかしら」 嬉しそうにクスクスと口を押さえてサリナは笑った。いくら腕前がよくなくても、擦らせることくら いはできるようである。そうなると、ミリアとしては不利になる一方だ。何しろ、剣の上半分は既 にないのである。 「当たった、じゃないよ。あたしは今日という日ほど、魔法が強いとは思わなかったよ」 悔しそ うにミリアは右手の半身な剣を見やった。もう武器はこれしかない。剣にパワーを補充しように も、ミリアは魔法が使えないのである。これも全て、子供の頃からサボっていたツケが回ってい たのだ。 「ふふふ、やっと分かったようね。このサリナ・ル・ラは最強の魔術師なのよ。わたしには火の 魔法も水の魔法も効かない。さあ、覚悟しなさい。大丈夫よ。半死半生にしておいてあげるか ら。あんたが気が付かないうちに結婚式は終わっているから」 今までよりも一層悪役らしく眼を釣り上げてサリナが笑う。黒のハイレグスーツがその悪役ぶ りをさらに際立たせている。かといってミリアが善人というわけではないが。 「水の魔法も…火の魔法も効かない?」 ふと、ミリアの頭の中でそんな言葉が繰り返された。精霊を使う魔術師には、相反する魔法 でしかダメージを与えられない。火には水、水には火である。 なるほど、とミリアは納得した。サリナが最強と言われるわけである。なにしろ弱点が無いの だ。たとえ水の魔法をぶつけても、サリナの持つ水の魔力がそれを中和してしまう。火に関して も同じことだ。サリナには相反する魔法というものが存在しないのだ。 (でも、あたしの火の剣はかーちゃんのシールドを破壊できたぞ…これはどういうことだ?) 極端に回転の遅いミリアの頭脳の回路がめずらしくつながった。というより、普段は使うこと を拒否しているという話でもあるが。(よし、ものは試しだ) 戦闘に関することなら、ミリアの直感も十分信頼に足りる。ミリアは折れた剣を水平に構え た。しかも利き腕ではない左手にその剣を持つ。刃を寝かせ、横にする形で逆手に折れた剣 を持っていた。 「勝負だ、かーちゃん!」 今度は跳躍はなかった。ミリアは身を二、三度震わせると、サリナへと向かって突進した。ま ともに正面から戦っていては、サリナに対して勝ち目は薄い。こうなれば、直感に頼るしかなか った。長い戦いで鍛えた戦士の感。ミリアはそれに賭けてみることにしたのだ。 「ふん」 鼻を鳴らしてサリナがムチを放つ。わずかに身体を屈めてミリアはムチを躱した。丁度肩口 のところをムチが飛んでいく。それを横目で見やりながら、ミリアはサリナの間合いに限りなく 近付いた。 「たあっ」 掛け声とともに、サリナの懐に飛び込んだ。ほとんど至近距離ともいうべき数十センチにまで 間合いを詰める。 「盾の反対側はガラ空きさ!」 一声挙げると共にミリアは左手の上腕で弧を描いた。剣が半円を描き、サリナの身体の右 側、ムチを構えた方を襲う。 「ああああっ!」 恐怖に引きつった表情で、サリナはあわてて左側のシールドを構えた。やはり、とミリアは思 った。サリナは本当の戦士ではない。だから、サウスポーからの攻撃に素早く対処できないの である。 ぎこちなく、焦った左手が剣に構えた。あまりにも、技のない防御姿勢だった。 「今だっ」 その一瞬をミリアは見逃さなかった。折れた剣の刃身が強かに右側のムチの手元を打つ。 「ああっ!」 焦りの声は一度に恐怖に変わった。サリナのムチは剣によってはじかれた。そしてそれは予 定どおりに左手のシールドに重なる。 「しっ…しまっ…」 失態を嘆くサリナま声は途中で止まった。瞬時にすさまじい魔法力の狂いが生じる。閃光と 共に白煙が上がった。思わず目を伏せるほどの強烈な光が辺りを包み込む。 「きゃぁぁ!」 氾濫する魔法力の中心でサリナの絶叫があがった。水蒸気、というにはやや黒い煙が立ち 上る。光は徐々に治まり始めたが、黒煙だけは火事の後のように立ち上り続けていた。そし て、サリナの両腕から生臭い煙が発せられていた。 「し…しくじった…わ…」 苦悶の表情で呟くと、ガックリとサリナは膝をついた。せっかくの黒いハイレグスーツはビリビ リに破れていた。身体のアチコチが焦げて、全身は頭から氷水をかぶったかのようにびっしょ りと濡れていた。 相反する二つの精霊。そう、サリナの場合はそれが両腕にあった。片方の弱点を、もう一方 でガードする。それがサリナの無敵の秘密だった。しかし、その両腕が重なってしまえばどうな るか?水は火を打ち消し、火は水を打ち消す。その結果すさまじいほどの魔力の暴走が一気 に起こったのであった。 「負けた…わ…」 バタンとうつぶせにサリナが倒れる。この天才魔術師にもついに敗北する時がきたのであ る。 「はあ…た…助かった…」 強いプレッシャーから開放されて、ミリアは大きなため息をついた。一応、勝負には勝った。 ただ、それは一対一の勝負に関してである。 ミリアは再度周囲に眼をやった。まだヤードとヘンリー、ワイドとドリンの戦いは続いている。 問題はこの連中だった。これをうまくまとめなければならない。 「はあ…どうしようか…」 ミリアはまたもや深いため息をつくと、勝利の味を噛み締める間もなく、地面に突っ伏してい る母親のところへと走りよっていった。 「おい、かーちゃん。大丈夫、しっかりしてよ」 サリナは文字通り地面に伸びていた。うつぶせになって背中をホールの天井に向け、かすか なうめき声をもらしていた。 「う…ミリア…うううっ…悔しい…悔しいわ…」 ゆっくりと肩口に手をかけて引き起こすとサリナは意識を取り戻した。途端、この完璧な悪の 女王さまは、ボロボロと美しい涙をその両目からこぼし始めた。今までの強気の表情などどこ にいったのやら。ひたすら泣き顔になってサリナは涙を流しつづける。 「エルフの孫が…孫が欲しかったのに…ああ、またわたしは同窓会で肩身の狭い思いをしなく てはならないのね…」 しゃくり上げるようにしてサリナは泣き続ける。思い切りミリアは困惑した。こんなサリナを見 るのは初めてだったからである。 「な、なんだよ、かーちゃん。泣かなくてもいいじゃないか。待っていなよ。そのうちあたしが金持 ちのエルフの男を見付けてくるから」 エルフは基本的に森に住む種族である。貨幣経済に疎いので、基本的に金持ちなどいな い。既に言うことからして間違っている。 「ううっ…あんたには無理よ…人間の男さえ捉まえられない出来損ないの娘に、エルフの男な んて捉まるわけないわ…」 ひくっ、ひくっと啜り泣きながら、酷いセリフをサリナは続けた。ミリアは仏頂面でそれを聞くし かなかった。自分でも薄々感付いていることだから言いたくても言い返せない。 「じゃあ、ワイドでいいじゃないか。どこかからエルフの女を連れてきて見合いでもさせればどう だよ?」 「ううっ…だって…わたしの種族はあんたが滅亡させてしまったじゃない…」 あ。思わずそんな風に口を開けてミリアは天を仰いだ。視界にはホールの天井が映ってい た。 そうである。昔、サリナの実家に忍び込んで、エルフ族の至宝を盗んで売り飛ばしたのはミリ アである。そのおかげで、サリナの一族は滅んでしまった。ただでさえ絶対数が少ないエルフな のに、肝腎のコネクションがなくなっては見合い相手もロクに探せない。 かといって、ハーフ・エルフを探すのもホネが折れる。だいたい、見つかるまで何年がかかる だろうか。それだけハーフエルフとは希少価値のある種族なのである。 「ああ…もう…見合いもダメ…ミリアとワイドは結婚してくれない…わたしにはいつまで経っても エルフの孫は出来ないのね…」 さめざめと湿っぽくサリナは泣き続けた。ミリアは実にいやな気分で母親を見つめていた。こ ういうウェットな雰囲気はとても嫌いである。しかし、それでもワイドとくっつくのはゴメンである。 ただでさえ、ヤードというお荷物をかかえているのに、もう一匹似たようなものが増えてはたま らない。 しばらくミリアは知恵を振り絞った。普段使わない頭脳でも、自分の危険となると調子よく動き だす。 「ん?待てよ?そうか、エルフか」 二秒の後、ミリアはポンと手を叩いていた。 「かーちゃん!朗報だ!すぐに結婚式の準備を続けなよ。ピッタリの相手が見つかったぞ」 ニヤリと歯茎を剥出しにして、下品にミリアが笑う。サリナは呆気に取られた顔で娘を見つめ た。物凄い自信満々の態度がやけに気に掛かる。 「ど、どうしたのよ…結婚式って…あんた、ワイドと結婚してくれるの?」 いきなり態度を軟化させた娘を不思議そうにサリナは見つめた。ミリア笑い顔のままで首を 横に振った。そして、向こうの方で、ワイドとバトルを続けている風の魔法剣士ドリン・カ・ムの 方を指差す。 「ほら、あそこにエルフが居るじゃない。かーちゃんの友人なら、ちょっと歳は喰っているかもし れないけれど」 少し危険なセリフを織り交ぜながら、ミリアの人差し指はドリンを追っていた。ワイドとほとん ど互角の戦いをする闇の軍団の四天王。ということは、ミリアとサリナの二人でどやしつけて、 言うことを聞かせるくらい簡単である。 「本当だわ!」 今までの負傷などすっかり忘れたようにしてサリナは立ち上がった。既に眼は野望で爛々と 輝いている。どうてなのかとも思ってみた。なんでそんな簡単なことに気が付かなかったのだろ うか。彼女は急いで二人の傍に足を進めた。こんないいアイディアは、さっそく実行されなけれ ばならない。 「ドリン、ワイド。二人とも止めなさい!」 ドスの効いた一声がサリナの唇から響きわたった。 思わず身を震わせてしまうほどの迫力だ。いや、実際にワイドとドリンはピタッと止まってしまっ た。この辺り、ミリアと違ってどうも小物らしい。 「な、なによ。サリナ?」 おずおず、という風にドリンがこの恐い友人の顔をうかがう。サリナの顔はニコニコ笑ってい た。本当に、感情の変化が激しいエルフである。 「ドリン、結婚おめでとう。友人として祝福するわ」 さも嬉しそうに、しかしたっぷり含みを持って、サリナはドリンの顔を見つめる。 「な、なによ、結婚ってなに?」 「決まっているじゃない、ドリン。あなたとわたしの息子ワイドの結婚式よ」 先程の予定をまったく忘却したかのように、さも始めからそうだったというようにサリナが言 う。 「な、なによ、それ。ちょっと、どうしてそんなことになったのよ」 「えっ、かーちゃん。それマジ?本当にドリンさんと結婚させてくれるんで?」 あっさりと変更された予定に眼を裏返させるドリン。そして、この決定に対して顔をほころばせ て喜ぶワイド。とにかく、対照的な二人であった。 しかし、サリナ・ル・ラとは酷い女である。自分の利益と見れば、同盟を組んだ友人でもあっさ りと見捨てる。この辺り、本当の大悪魔であることがよくわかる。 「本当よ、ワイド。だから、ドリンを取り押さえて」 命令、というにはあまりにもやさしいサリナの声が響く。ドリンは恐怖に顔を歪めて後ずさっ た。 「サリナ…う、裏切ったわね」 悲痛な声と表情でドリンはサリナを凝視する。 「裏切った?あら、最初からこの結婚式はあなたのためのものだったのよ。さあ、おとなしくワ イドと結婚して、わたしにエルフの孫を抱かせてちょうだいな。これもみんなあなたのためよ。 わたしと同じ歳でまだ独身なんて、人聞きが悪いわ」 奇弁にもならない説得をサリナは弄した。もちろん、そんなことはただの時間稼ぎに過ぎな い。 「う、嘘よっ!やめて、ねぇお願い…サリナ…」 サリナの表情がただならぬことを悟って、ドリンは恐怖に怯えて身を縮めた。勝ち目というの は万が一もなかった。ドリンはワイド一人にすらかなわなかったのである。そこにサリナ、ミリア が加わっては、もはやまるで勝機はない。 しかもこの間に、ミリアとワイドがトライアングル体勢になってドリンの周囲を包囲していた。美 しい曲線を持つ灰色の鎧も、風を操る魔法のレイピアも、カジネット一族の前にはほとんど通 用しない。 「さあ、楽しい結婚式が待っているわ、ドリン」 人差し指を一本立てると、サリナはそれを顔の前で止めてみせた。それを合図にして、ドリン のサイドから、戦士と魔術師が一度に襲いかかる。 「覚悟しなっ!」 右からミリアが飛び掛かる。 「わーい、ドリンさんだ」 左からはワイドがベッタリと飛び付いた。まるで甘える子供のようにワイドはドリンにくっつき、 スリスリと頬っぺたを刷り付けてくる。 「いやぁぁぁぁぁ!助けて!」 一秒後、助けを求める声も虚しく、ドリンはに取り押さえらてしまっていた。抵抗も虚しかっ た。相手の方がはるかにパワーが上ではどうしようもない。 「いやぁぁ!どうして、こんな目にあうのよ!」 絶叫が響いたが、もちろん何も起こらなかった。ただ、ドリンが発した悲鳴は、海の向こうの ガダルの町まで届いたという。そしてすべては片付いた。五分の後、結婚式場の整備は再開さ れた。こうして一名の犠牲者を出しながらも、着々と結婚式の準備はすすめられていったので ある。 大円談? 一時間後、二人の新郎新婦は席に座っていた。もちろん、その場についていたのはドリンと ワイドである。 二人は実に対照的だった。顔や身体に包帯を巻いて、仏頂面で新婦の席に座るドリン。格好 は純白のウェディングドレスに着替えさせられている。その横では、相変わらず三つボタンブレ ザーのワイドが、ニコニコしながら胸に着いたバラの花をいじっていた。 「ワイド…あんたの立派な姿を見れるなんて、おかーさんはもう嬉しくて嬉しくて…」 後の席では着替えたサリナが一人ハンカチで鼻をすすっていた。もちろん、嬉し泣きであるこ とはいうまでもない。なぜ嬉し泣きであるかは深く突っ込めないところだが。 「では、あたしが媒酌人として、乾杯をさせてもらいますよ」 気が付くと式場の中央に、ビールジョッキを持ってミリアが進み出ていた。黒いタキシードは、 ここのホールの従業員のものを借りたものである。さすがに、あのドレスはボロボロになってい て使えなかった。あと、これ以上ハイヒールを履くのはごめんである。 「では、我が弟、ワイドの結婚を祝して乾杯!」 ミリアがジョッキを持ち上げると、会場の人間も一度に乾杯の声をあげた。客層は色々とバラ バラである。ただ、どちらかというと、冒険者のたぐいが多かった。父親のヘンリーがそういう山 師のような仕事をしていたこともあって、どちらかといえば柄の悪い酒好きが多い。 「ふは〜、飲んだ、飲んだ。ねえ、かーちゃん、結婚式っていいもんだねぇ」 宴会もたけなわになった頃、ビールのジョッキを片手にして微酔加減のミリアはサリナに近付 いた。 「そうねえ…でも、何かひっかかるわ」 何かが違うという風な顔をしてサリナは首を傾げた。何かが違うという点では、ドリンという女 をまるで無視した結婚に問題があるのだが。しかし、もちろんサリナの悩みはそんなことではな い。ただ、何かが忘れられているような気がしてならないのである。 「とても嬉しいけれど、なにか忘れているような気がするのよ…いったい何だったかしら…」 ウイスキーのグラスを肩向けながら、サリナは首を捻る。今の彼女は落ち着いた黒いドレス に姿を変えていた。さすがに女王さまルックでは式に出られない。 「あれ、そういえばそんな気がするぞ。何を忘れているのかな?」 首をひねるミリア。しかし、今の彼女はそんなことに気を取られる状況にはなかった。とにか く、今は酒がある。ならば飲まねば絶対に損である。 「さあ、今日は徹底して飲むぞ〜」 調子よく言い放つと、ミリアは再度ジョッキを持って宴会に突入していった。サリナがカンドレ ーン王に命令して集た酒がなんと千一樽もある。これを飲み干さなければ宴会も終わらない。 「いや〜楽しいな。乾杯!」 そう言って、今回一番得をしたこのハーフ・エルフは、嬉しそうにジョッキを高々とかかげた。 さて、その頃、忘れられた男たちはまだ外にいた。しかも、戦いはまだ続いていた。そう、優 男と筋肉戦士の戦いである。日はもうとっぷりと暮れて、町には闇が訪れていた。二人はカツ ン、カツンと申し訳程度に剣と斧をカチ合わせる。しかし、もうとっくに精も根も尽き果てている のであった。 「のう、オヤジ…」 げっそりとした顔でヘンリーが言う。 「なんだ、ヘンリー…」 ヤードの顔もすっかり憔悴しきっていた。いったい何時間もこうして戦い続けているというのだ ろうか。 「今日はなにかあるんじゃなかったのかのう…」 「さあ…確かになんかあったような気が…」 疲れ果てた二人を尻目に、コールの店ではまだ宴 は続いていた。ワイドとドリンの結婚式。一名の意向をまるで無視した結婚式だったが、ともか くこうして無事に式は行なわれていた。 「もう…どうでもいい…ワシは疲れた…」 「オレもだ…」 そういうと二人は同時にうつぶせに倒れこんだ。剣と斧を投げ捨て、二人は地面に寝っころ がる。 「ぐぅ…ぐぉぉぉ」 「ごう…がぁ…」 二人はすぐに大きなイビキをかきはじめた。十二時間以上も戦い続けていたのである。疲労 も極限状態になっていたのだ。 こうしてカジネット家の披露宴は無事に終わりを告げたのである。しかし、この二人にとって は、披露宴どころか疲労宴にしかならなかったのが今回の事件であったのだ。 (おわり) |