その6 カウント・ダウン

「いてて…ここはいったい何処だ?」
 落下の時の強い衝撃から最初に立直ったのはミリアだった。強かに打ってガンガンする頭を
振りながら、眼をこらして周囲を凝視する。
 そこは洞窟を利用した地下牢だった。洞窟の一角がポケットのように凹んでいる。その部分
に鉄格子をはめ込んで牢獄のようにしているのだった。
「な?なんだ、この鎖は?」
 気が付くと、いつのまにかミリアの両手には、大きな鉄の鎖がはめ込まれていた。鎖の太さ
がミリアの腕周りほどもある、頑丈この上ない鎖である。
「おい、ワイド!たいへんだよ、起きろってば!」
 慌ててミリアは傍に転がっているワイドをゆさぶった。この極道少年の両手にもしっかりとした
鎖がはめ込まれている。
「う…うーん?嫌だな、ハニー。まだ夜明けは遠いぜ」
 ワイドを揺すると、彼は寝呆け眼で、さもけだるそうにミリアの手を払った。どうやら、どこぞの
女とでも一緒にいる夢でもみているらしい。
「アホっ!」
 グリっと音がして、ミリアの履いていたハイヒールのカカトがワイドの腹にめりこむ。当たり前
だがこれは痛い。
「うげぇ!」
 せっかくの楽しい夢もそこまでで終わってしまった。一撃でワイドは現実の世界に引き戻され
る。
「い…いてぇ…なんだ、ねーちゃんじゃないか」
 体を折り曲げてドテっ腹を押さえながらワイドが呻く。
「ねーちゃんか、じゃないよ」
「あれ?ここはどこだ?」
 ワイドもそう思ったのは同じだった。顔を回して辺りを忙しそうに見回し、彼は首を二、三回捻
った。そしてコクンと一回首肯く。どうやら、思い出したらしい。
「そういや、確かドリンさんが出てきて、オイラ達は落し穴に落ちたんだったっけ?」
「そう、根性の神様、ウエイターになっていたぞ」
 確かにドリンはタキシードを着ていたが、これでは説明に全然なっていない。
「で、なんでオイラ達がこんな所に閉じこめられなくちゃならないんだ?」
 訳が解らなくなって、ワイドは頭をボリボリとかきむしる。そんなこと、ミリアにも解らない。
「へえ、きちんと二人まとめて捕まえられたわね。さすがは策略のドリンだけあるわ」
 鉄格子の向こうから、不意に聞き慣れた声がした。二人は揃って顔をそちらに向ける。「あ
ら、ミリア、ワイド。大丈夫?」
 檻の外では二人の女が立ってこちらを見つめていた。片方はタキシードを来た女である。言
うまでもなく、ドリンだった。なぜか男の正装がやけに似合うこの謎の女は不適な笑いを浮かべ
ている。うっすらと濡れた唇が少しエッチだ。
 ここにドリンが現われただけでも不思議だったが、その横にいる女はもっと不思議だった。と
いうより、頭がおかしいのではとも思われた。そして、その女を見た瞬間、ミリアとワイドは二人
揃って絶叫していた。
「か、かーちゃん!なんだよ、その格好!」 そこには二人の母親サリナ・ル・ラがいた。ぴっち
りとした黒いラバースーツのボンデージ衣装を身につけ、右手には真新しい鞭を握っている。
ハイレグの切れ込み具合はなかなか際どい。スタイルが良くなくてはできない格好である。
「かーちゃん、じゃありません!今は女王さまですっ!」
 ピシッと鞭が飛んで鉄格子を強かに打った。あまりのことに、ミリア達は口をあんぐりとして声
も出ない。
「どう、サリナ。アタシの作戦は?」
 ムチを振るったサリナの横で、さも嬉しそうにウェイター姿のドリンが囁く。細い端正な眼が少
し小狡そうに微笑んでいた。
「上出来よ。どうやって二人揃って閉じこめようかと思ったけれど、うまくいったたわね。さすが
はわたしの親友だけあるわ」
 さも満足そうにサリナの唇が笑った。鋭い釣り眼の顔は笑うと凄味を帯びる。本当にサドの
気があるんじゃないかと思わせるほどの威圧感だ。
「な、なんだい、かーちゃ…じゃなくて、女王さま。なんであたし達がこんな所に閉じこめられな
きゃならないんだ」
 ミリアは鉄格子の傍に向かって突進した。しかしその前に、手にはまっていた鎖の守備範囲
が来る。金属音が虚しく響きわたった。鉄格子に到着する前に、鎖によってミリアは両手を取り
押さえられてしまう。
「くっ、なんだい。こんな鎖程度!」
 強く奥歯に力を入れると、ミリアは渾身の力を込めて両手を引っ張った。元からパワーには
自信がある。両手剣でさえ軽々と片手で扱える底無しの筋力だ。
 しかし、鎖の方は少しも壊れる様子が見えなかった。間抜けな娘の様子を見て、サリナはフ
フンと鼻で笑う。
「無駄よ。アンタのパワーくらい十分知っているわ。その鎖は特注なのよ。ヘンリーでもその鎖
を破壊するのには一日以上かかったわ」
「えっ、とーちゃんでもか…」
 ミリアは一度に全身の力が萎えていくのを感じた。人間のファイター、ヘンリー・カジネット。百
七十近い老人のはずだが、そのパワーは健在である。家の鉄骨程度なら、力任せにネジ曲げ
てしまう。しかし、この鎖は馬鹿力のヘンリーでも簡単に壊せない強度なのだ。脱力するのも当
然である。
「かあ…じゃない…女王さま。どうしてオイラ達はこんな所に閉じこめられなければならないんで
すか?」
 いかにも惨めったらしくワイドが口を開く。少し泣きだしそうな顔になっていた顔は、本当の奴
隷のように見受けられる。
「ああ、それね。そうねぇ、もう話してあげてもいいわ」
 サリナはボンデージスーツのベルトに挟んだ紙キレを取り出して広げた。彼女はそれをさも
得意げに、息子と娘の前に広げる。
「とりあえず、この紙を見れば全ては解るわ」
「は?」
 ミリアとワイドは慌てて視線をその紙に向けた。二人は確かこの紙に見覚えがあった。洞窟
から帰ってきた時、慌ててサリナが懐にしまいこんだ紙片である。
「なになに…カジネット家披露宴…へえ、誰か結婚するんだ?」
 ミリアはなるほどといった面持ちで紙片に書かれてある文字を読んだ。中身のカラッポなガス
頭だが、文字を読むくらいは当然出来る。
「ええと、新郎ワイド・カジネット…なんだ、ワイドが結婚するのか」
「はぁっ!、な、なんだそりゃ!」
 一気に顔色を青ざめさせたワイドが慌てて身を乗り出してくる。しかし、やはり彼も鎖の射程
に捕まった。鉄格子の寸前で鎖に捕まり、ジタバタと彼は身動きをする。それでもなんとか、紙
片に書いてあること読み取れる。
「新郎、ワイド・カジネット…ほ、本当だ…」
 瞬き一つせずに、ワイドは紙に書かれた自分の名前を読み上げた。紙にはテーブル配置図
が青いインクで書かれている。
「ああ、ワイド。アタシが媒酌人を務めさせてもらうわ。したがって、この結婚はエルフ一族とし
ても正式なものになるわよ」
 タキシード姿のドリンがさらりと髪を掻き上げた。
「ドリンは灰色エルフの長だからね。ワイドの結婚には仲人を頼むことになったわ」
 さらり、とサリナが付け加える。ワイドは声も出ずに愕然として口を開けていた。
 エルフ属の結婚には、人間と違って、部族の長に仲人を頼まなければならない。したがって、
族長に拒否されれば結婚はオシャカである。逆に言えば、長が引き受けた限り、その結婚はど
う足掻いても遂行されてしまうのである。
「えっ…ドリンさんがオイラと結婚してくれるんじゃないの?」
 更にショックを受けたワイドの声は小刻みに震えていた。母親であるサリナの発言も無茶だ
ったが、こいつの考えも無茶である。どうやったら昨日会ったばかりの人間と結婚できるという
のだろうか。
「残念ながら、違うのよ」
 冷たく言い放ちながら、クスリと乾いた微笑がドリンの唇に浮かぶ。全ての希望を失って、ワ
イドはがっくりと膝を付いた。その横ではミリアが腹を抱えて笑い転げていた。
「いやーっはっはっ。おめでとう、ワイド。いや、あんたみたいなロクデナシの弟も、ようやく身が
固まるとは、いや、ねーちゃんは嬉しいよ」
 ガハハと豪快な笑い声を立てて、ドンドンとミリアは弟の肩を叩いた。どこか父親によく似たリ
アクションである。
「おい…いいのかよ…そんなに笑っていてよ」
 ブスリ、としかめっ面でワイドはミリアの方を向いた。眼は完全に怒ってマジである。まあ、そ
うだろう。突然結婚が決まって、それを茶化されたら、面白いわけがない。もっとも、見ている
周囲は十分面白いのだろうが。
「いいか、ねーちゃん…新郎新婦のところの、新婦の所をよーく、見てみな」
 冷ややか、というには少し震えているトーンの低い声が響く。
「は?」
 そして、ミリアは己れが眼を疑った。
【新婦ミリア・カジネット】
 二つ並んだ新郎新婦の席に、自分の名前がデカデカと書かれていたのである。
「ぐわー、ここから出せ!結婚なんて嫌だぁ」
 数秒後、先程ワイドのことをさんざ笑ったことも忘れ、見事にミリアは喚いていた。
「見苦しいわねっ!もう決まったことなんだから、覚悟しなさいっ!」
 ピシッと鋭いムチの金属音が鉄格子を響かせた。手首のスナップを利かせて一撃を食らわ
せたのが、女王さまスタイルのサリナであることは言うまでもない。
「決まってねえ!なんでオイラがねーちゃんと結婚しなきゃなんねえんだ!」
 非力なワイドも必死の抵抗を試みる。鎖につながれながらも鉄格子の所までダッシュして、な
んとか鎖を引き離そうとした。もちろん、それが無駄なのは言うまでもないことだが。
「ジタバタしても、もう無駄よ。明後日の昼十二時から、この上の大ホールでアンタ達の結婚披
露宴が行なわれるわ」
 ぞっとするような微笑を浮かべてサリナは勝ち誇った。コールのレストランは王室が使う店で
もある。何かの行事に備えて、大ホールも備え付けられている。結婚式の披露宴も楽々に行な
える広大なものだ。
「式には国王陛下夫妻も見えられるわ。光栄なことね」
 ほっほっほ、と女王さま笑いでサリナは続ける。もちろん女王は自分であると言いたげだ。
「さあ、わたしたちは式の準備にかかるわ。ドリン、行くわよ」
「さようなら、サリナの子供たち。じゃあ、式で会いましょう」
 二人の女はそれぞれ違う笑い声をあげながらけたたましく去っていった。やがて訪れる不気
味な静寂。冷たい岩の床の上に、がっくりと力を無くして、ミリアとワイドはヘタり込んでいた。
「な…なんでこんなハメになるんだ…」
「ああ…ちくしょう…今日はオイラの人生最悪の日だ」
 二人はつぶやくと、同時に顔を見合わせた。じっとお互いの顔を見ていると、あまりに相手が
落ち込んだ顔をしているので嫌になった。ますます救いようの無さを実感してしまったのであ
る。


 二人は落ち込んだ。当然である。いきなり落し穴に落とされて、数時間後に結婚と言われて
平然としている人間がいたら、それこそ本当の無神経でしかない。
「おい、ガキども。無事か?」
 不意に野太い声がガンガンと鼓膜に響いた。同時にドスドスという地響きのような足音がす
る。
「なんだ、とーちゃんか」
 瞳の固定された、死んだ魚のような眼で、ミリアが顔を上げた。そこには筋肉親父のヘンリー
が突っ立っていた。ちょうど仕事帰りなのか、ランニングシャツに黒い土方スボンの出で立ちで
ある。また、不思議なくらいによく似合ったスタイルである。
「こんな目に遭うとは、お前らも、不幸な子供じゃな」
 ちょっとだけ哀れみを込めてヘンリーが言う。
「不幸と思うなら、助けてよ、とーちゃん」 すがり付くような顔をする姉弟二人。しかしこの筋肉
オヤジはゆっくりと首を横に振った。
「ダメじゃ。今度という今度は、サリナの奴が本気なんじゃ。なんとしても、お前らをくっつけると
意気込んでおる」
「くっつけるって…あたしとワイドは姉弟だぞっ!なんで、そんな無茶無茶なことをするんだよ
っ」
「そうだっ!オイラにも相手を選ぶ権利はあるぞ」
 近親相姦。そういう背徳な世界はポルノ小説の中だけで十分だ。まさか自分たちがそんなハ
メに陥るなんて、普通の神経では考え付かない。
「ああ…お前らは半分のエルフでも、人間育ちだものな」
 ふと、思い出したようにヘンリーは二人の子供を眺め回した。半分のエルフ。確かにそうだ
が、もっといい言い方もあるだろう。
「エルフ族って奴はな。知っていると思うが、人数が少ないそうな。それで、よく近親でも結婚し
おる。サリナの話では、エルフでは親子以外の結婚は問題ないそうなんでな」
 まあ、どうしようもないという風に、親父は手のひらを上に向けて指先を両側に開いた。
「あたしらは問題大有りだっ!」
「だいたい、なんでオイラとねーちゃんなんだっ!他にもっといい女だっているじゃないか」
 吠える二人の子供を視線の端でチラリと見やると、ヘンリーはダルそうに首を回した。ゴキゴ
キと間接の鳴る音がする。
「ふう、今日の解体作業はつかれたわい」
 まったく質問から外れた言葉で一呼吸を入れると、ヘンリーはどっかりとその場に座り込ん
だ。身長二メートルの巨体が逞しく揺れる。
「サリナは、どうしても、エルフの赤ん坊が必要だと言うんじゃ」
 ゆっくりと、低い声が洞窟に響いた。二人はその言葉をしっかりと聞き取っていた。
「エルフの赤ん坊?だ、だって、アタシらは純血のエルフじゃないからそんなもんは無理だよ」
 ミリアはそのことをアピールするかのように、自分の耳を両手で掴んだ。尖ってはいるが、ノ
ーマルエルフよりははるかに短い。その耳の短さも、ハーフ・エルフの証である。 人間とエル
フの中間に出来る種族がハーフ・エルフである。両者の特徴を中途半端に受け継いだ半端
者。人間ほど万能ではなく、かといって、エルフのように魔術に長けたわけでもない。それがハ
ーフ・エルフという連中である。この世に存在する絶対数は、エルフよりも希少な存在である。
「確率は1/4だがな。ハーフ・エルフ同士でも、エルフは生まれるんじゃ。有名な魔術師のソー
ン・メンデルスがそう言っておった」
 ハーフ・エルフの存在は、血液型のAB型のようなもんである。人間をA、エルフをBとすると、
その間にはABのハーフ・エルフが生まれる。このABのハーフ・エルフ同士の間には、人間、
ハーフ・エルフ、エルフがそれぞれ1/4、1/2、1/4の確率で生まれることになる。この法
則は音楽好きの魔術師ソーン・メンデルスが発見したと言われる公式である。
「まあ、確実というわけではないが、サリナはそれに賭けてみる気らしい。あいつめ、どうしても
エルフの赤ん坊が必要だと言っておる」
 そこまで言うと、ヘンリーは自分の土方ズボンから紙巻きタバコとマッチを取り出して火を付
けた。きつい臭い煙が周囲に漂う。
「な、なんでかーちゃんは、エルフの赤ん坊なんか必要とするんだ…」
 そういうワイドの額には汗がびっしょりと浮かんでいた。いったい、母親が何を企んでいるの
かさっぱり解らない。
「さあな、ワシにはよくわからん。しかしあいつのことだ。何か邪悪な魔神でも甦らせようとして
いるのかもしらん。その触媒…と考えればすべては説明はつくと思うがな、どうだ?」
 一見すると、ただのSM女王さまにしか見えないが、サリナ・ル・ラといえば、数あるエルフ魔
術師の中でも、トップクラスの実力の持ち主なのである。
「とにかく、あいつは本気だ。サリナがああなったら、もう誰にも止められん。たとえ、〈邪女王〉
と言われたドリン・カ・ムでもな。そもそも、あの女を復活させるということ自体、サリナが本気な
証じゃ」
「げっ!ドリンさんって、あの邪女王だったのか…あの、フィルデ四天王の一人だったという」
「なんじゃ、今頃気が付いたのか」
 ひどく臭い煙草の煙を吐き出しながら、バカにしたようにヘンリーが首を傾けた。
「えっ、フィルデ四天王って、ヤードじいさんと一緒に世界を荒らしまわったという魔人の一人じ
ゃないの?」
 さすがにミリアもことの事態に気が付いた。多少だが声が上擦っているのが解る。
「そうだよ、ねーちゃん。なんでオイラ、今まで気が付かなかったんだろう…」
 次々な襲うショックの連続に、二人は動揺を隠しきれないでいた。パニックに陥る二人の子供
を哀れみの視線で見つめながら、ぷかぷかとヘンリーはタバコをふかし続けていた。
「いかに、サリナが本気かわかったか?なんでも、ドリンとサリナは昔からの友人だそうじゃ。
あの女を仲人代わりにして、この結婚を完璧なものにするつもりだ。もう、いかにお前らが足掻
いても無理じゃ」
「ううっ…マズイぜ、ねーちゃん。冷えきったカツ丼よりマズイ事態だ…」
 頭を抱えてワイドは座り込んだ。半ズボンで体育座りが少年好きのマニア心をくすぐる。しか
し、現状はそんな冗談では済まされないものだった。伝説の魔人であるドリンが一枚噛んでい
ることで、サリナがいかに本気か思い知らされたのである。
 今から百五十年前、世界は戦乱の中にあった。暗皇帝と呼ばれた大魔術師フィルデ・ル・ウ
が、世界征服の野望を果たすべく、人間と激烈な戦いを繰り広げていたのである。
 この暗皇帝には四人の部下がいた。フィルデ四天王と呼ばれた彼らは、一人で軍の一個大
隊に匹敵するほどの実力の持ち主として知られていた。
 その四天王の一人がドリン・カ・ムである。レイピアと風の精霊魔法を使うエルフの魔法剣
士。とにかく、狡猾という評判の彼女は、邪女王という異名を取っていた。もちろん、個人の戦
闘力も伊達ではない。
 このフィルデ四天王にプラスして、ミリア達の祖父であるヤードも従っていた。ヤードもまた、
相当な実力者だった。この四天王プラス1で、彼らは世界を荒しまくった。しかし、古代三王国
と呼ばれた国の三国王達によって彼らは封印されてしまった。そして、戦争はようやく終わりを
告げたのである。
 つい最近、ヤードを封じ込めていた封印が破れ、彼がミリアの所に転がり込んできていた。
四天王達もヤードと同じように各地に封印されていたのである。しかし、サリナに乗せられて封
印を解いてしまった。見事にドリン・カ・ムは甦った。これではもう、いかんともしがたいのが現
状である。
「いくらお前らが強くても、サリナとドリンの二人には勝てんじゃろう。その辺、サリナはしっかり
と計算しておる。さすが、ワシの給料の90%を一人で使うだけのことはあるわい」
 とーちゃんの給料が取り上げられているのは関係ないだろうとワイドは思ったが、それを突っ
込んでいる余裕はなかった。このままでは本当にウェディングベルである。しかし、それを回避
する方法は考え付かない。
「と、いうわけだ。可哀想だが、あきらめろ」
 あっさりとヘンリーは言った。身も蓋もない言い方である。
「と、とーちゃん…アタシらがそんな目に遭ってもいいの…」
 ウルウルと猫目を潤ませて、ミリアは鉄格子にしがみついた。せっかくドレスで正装しても、ポ
ーズがこれではあまり哀れに見えない。
「別に、のう。どっちかというと、ワシも、お前らが早く片付いた方が、気が楽だし」
 丁度煙草を吸いおわった親父は、岩の床に煙草を押しつけて消した。そして、尚も食い下が
ろうとする哀れな二人に視線を落とす。「おっと、いい加減に本題に入ることにしよう。これをお
前たちに渡しておくことにしよう」
 ヘンリーは土方ズボンのポケットをまたゴソゴソと探った。取り出したものは五枚のチケットで
ある。
「ほら、これで、友人を五人まで呼んでおけ」
「な、なにさ、とーちゃん、これは」
 落ち込んでしゃがみこむワイドに代わって、ミリアはそのチケットを受け取った。綺麗なゴシッ
クの字で『カジネット家結婚式招待状』と書いてある。
「こいつか?なかなかのすぐれモノじゃぞ。こいつはマジカル・チケットと言ってな。招待状に書
いた相手を強引に連れて来てくれるのじゃ。これをやるから、招待したい奴を連れてきておけ。
せっかくの結婚式じゃ。友人がおらんとお前らも寂しいじゃろう」
 ガハハと大きな笑いが洞窟の中にこだました。まったくもって余計なお世話である。そんなこ
とより、この現状をなんとかして欲しいというのが本当のところだ。
「さて、ワシも明後日の準備に帰るとするか」
 ほとんど死刑宣告にも近いことを方言して、親父はのっしのっしと巨体を揺らして帰っていっ
た。まったくもって、助けにも何にもなっていない。
「うう…こ、このままじゃマズイ…」
 ミリアのような鈍感バカでも、今の事態がピンチであることは理解できていた。母親のソリナ
がマジである。それだけでも十分危険な話だ。しかし、黙っているわけにはいかない。
 横目で視線を送ると、ワイドは地面に座って膝を抱え、ブツブツ言いながら指で床をいじくっ
ていた。かなり暗い、いじけたポーズである。
(くっ…いくらなんでも、ワイドと結婚はゴメンだよ)
 しかし、事態は着実に進行している。ミリアは目の前のチケットに目をやった。こんなものが
造られているということは、とにかく結婚式の準備は着々と進んでいるということである。
(ん…まてよ!)
 その時、唐突にミリアは閃いた。珍しく、考えられない頭が起動していた。名案。というには程
遠い考えだったが、とにかく、やらないよりはずっとマシである。
「おい、ワイドっ!ペンとインクを出せ!」 一人でいじけ続ける弟の頭をミリアは叩いた。バカ
力なので、ワイドは易々と地面に転がる。
「いてっ、なんだよ。ねーちゃん」
「いいから、とにかくペンとインクだっ」
「わ…わかったよ…」
 勢いに圧倒されながら、ワイドは懐からペンを出した。魔術師は呪文を書くためのペンをいつ
も携帯している。三つボタンブレザーの七五三スタイルでも、それだけは手放していない。
「こうなりゃヤケだ。結婚式なんかマトモにやられて堪るもんか。メチャクチャに引っ掻き回して
やるぞ」
 奥歯を噛み締めてそう宣言すると、ミリアはペンを取って、招待状に何か名前を書きはじめ
た。一枚目、二枚目、三枚目…全てが同じ名前が続けられている。
「な、なんだ、ねーちゃん、それは?」
 招待チケットに書かれた名前の所をワイドが不審そうに覗き込む。
「へへっ、どうだい。こいつを呼べば、結婚式はたいへんなことになるぞ。なかなか、ナイスなア
イディアでしょうが」
 五枚目、全てのチケットに同じ名前を書くと、ミリアは誇らしげに招待状をヒラヒラと動かした。
「いやさ、そうじゃないんだよ。字が汚くて、なんて書いてあるか読めないんだよ」
 いかにも困ったようにワイドが言う。確かにミリアの字は汚かった。ミミズがのたくったそれ
は、普通では解読できない。しかし、ワイドはその事を言うべきではなかった。
「うぎゃぁ!ごめんなさぃ!」
 次の瞬間、ワイドの悲鳴がほとばしり、周囲は、紅に、染まった。