「たぁぁぁ!」 セイネの太い、よく響く声が響き渡った。長いステッキを両手に持ち、上段から一気にミリア の頭頂部向かって振り下ろす。 「なんのっ!」 剣を水平に構え、切っ先の刀身を左手でカバーしながら、ミリアはセイネの一撃に対処する。 「ふん!」 ミリアは気合いを入れて腰に力を入れる。と、同時にセイネの渾身の一撃が上方向から炸裂 した。 「きゃあ!」 セイネの艶めかしい悲鳴があがる。一撃は見事に剣によって受け止められていた。スピード ではやや劣るが、パワーでは姉の方が数ランクも上である。 バランスを崩して尻からセイネはもんどり打ってひっくり返った。転がり方さえどこか様になっ ている。 「わははは、そんなもんか。大口たたいた割にはたいしたことないねぇ!」 ミリアは両手を腰に当てると、大口を開けて転がったセイネのことをあざ笑った。こっちは全 然様になっていない。なによりもバニースーツが似合わない。 「くっ、残念ながら、私のパワーでは太刀打ちできないようね…」 「どうしたい?降参するかい?」 「勇者は窮地に追いつめられれば、必殺技を放つものよ」 片膝をついて立ち上がると、セイネは頭に被っていたシルクハットを取りのけた。 「冥途への土産代わりに、私のマジックを見せて差し上げます」 「なに?魔法かっ」 たちまち血相を変えてミリアは後ずさった。頭が空の戦士であるミリアは魔法が使えない。従 ってこういうジャンルの攻撃には弱い。とにかく、苦手という先入観がある。 「ハンカチーフ・ショット!」 一声叫ぶと、セイネは右手をシルクハットの中に突っ込んだ。そして一握り、何かを掴み、そ れらをかけ声と共に放り投げた。 「なんだ、こりゃ?」 文字通り、ミリアは目を丸くしてそれらに見入った。セイネが放り投げたものは、赤白黄色、 色とりどりのハンカチの束であった。それらがまるで蝶の様に空中に浮かび、ヒラヒラとミリア の周りを飛び始める。 「きれいだけれど、これがどうしたってのさ?」 首を傾げ、怪訝な表情でミリアは一枚のハンカチに手を伸ばした。赤い色のハンカチを左手 でひょいと掴む。 と、その瞬間、真っ赤なハンカチが爆発した。小さな爆音とともに、ミリアは煙幕に包まれる。 「ぐへっ、げほっ!なんだ、こりゃ!」 「ふふふふ、そのハンカチ一枚一枚には魔法が込められているのよ。そしてそれらは私の思う ままに動く…」 セイネは薄く目を閉じると、両手を合わせて精神集中の体勢に入った。今まで勝手気ままに 浮遊していたハンカチ達が、その動きを一度に止める。 「レッド・ボム!」 一呼吸の後、カッと目を見開いたセイネが右手を大きく振り回した。すると、赤いハンカチが 一斉にミリアめがけて襲いかかる。 「ぐわぁぁ!」 数発の爆音が断続的に響く。ハンカチがミリアにぶつかり、爆発とともに大きな衝撃を発し、 ダメージを与えていく。 「イエロー・サンダー!」 セイネが再度叫ぶ。今度は一気に黄色いハンカチが襲いかかる。ペタッと次々に黄色い布き れが張り付いていく。そして、部屋には稲妻の光が満ち溢れた。雷鳴が轟き、ガラス窓にヒビ が入っていく。 「うぎゃぁぁぁ!」 「ふふふ、それは、電気ウナギの体内から取り出した発電帯から創られた布よ。八百ボルトの 高電圧はお気にめしたかしら?」 ステッキを支えにして、斜めに構えてセイネがほほえむ。薄く化粧をした白い頬に余裕の笑 みが浮かんでいる。 「そして白のハンカチは絶対零度の吹雪を発するのよ。手強かった貴方も、もはやここまで ね。どうぞ、観念して頂戴」 片目を瞑ってセイネはウインクを一つする。もはや勝利を確信した余裕の笑みだ。 「こ、こんちくしょう!」 爆発と電気ショックでぼろぼろになりながらも、まだミリアはなんとかそこに突っ立っていた。 さすがは丈夫と馬鹿力だけが取り柄の奴である。まだ耐久度は半分以上も残っている。しか し、冷凍詰めにされてしまっては、抜群の頑丈さも意味がない。 「しまった。こんなことならゲンブを残しておくべきだったよ」 渋い顔でミリアは倒れているゲンブをチラリと見やった。うつぶせになって、汚いケツをさらし て中年が死んでいる。助けを呼びたくても、他に助けはない。こんなに騒がしくしていたら誰か やってきそうなものだが、いつも酔っぱらって騒いでいるので、いつもの事くらいにしか思われ て誰も来ない。こんな時にまで普段の生活がものを言う。 「さあ、覚悟はできたかしら?」 「ちょ、ちょいと待ったぁ!最後に一つだけ、頼みがある」 「あら、なんなの?悪人にしては往生際が悪いわね」 セイネは唇の端に薄笑いを浮かべて皮肉な視線をミリアに送る。しかし、油断はしていない。 ミリアの周囲には相変わらず白いハンカチが渦を巻いている。少しでも変な動きを見せたら、 一度にそれらが襲いかかってくるはずだ。 「いや、本当にくだらない頼みなんだ。あそこに死んでいる、汚い中年のサムライがいるだろ う?」 「サムライ?」 セイネはステッキを持ってつかつかとゲンブの側に近寄った。確かに、その後頭部にはチョン マゲが結ってある。そしてドドメ色の薄汚いフンドシ。それらでようやくサムライと判別出来る程 度だ。 「この、汚いのがどうかしたの?」 ステッキを構えると、セイネはその先でゲンブの頭をツンツンとつついた。ゲンブは微動だに しなかった。 「実はさ、あたしはそのサムライに恨みがあったんだ。こうしてようやく倒して、とどめを刺そうと いう時に、セイネに邪魔されちゃったんだよ」 「でも、もう死んでいるみたいだわよ」 「いいや、違うんだ。そのサムライには弱点があって、そこにとどめを刺さないと死なないんだ よ」 ミリアはセイネが、かかとの尖った、ハイヒールのようなブーツを履いていることを確かめなが ら、必死で本気の声色を創った。こんな大根でも命がかかると名優になる。 「あたしはやられてもいいけれど、このサムライを放っておくのは心残りだ。頼むから、あんた が止めを刺しちゃってよ」 「まあ、そのくらいなら問題ないわ。いいでしょう、死にゆくものの最後の願い、このセイネ・カジ ネット、確かに引き受けました!」 ステッキを支えにして構えたポーズを取り、セイネは高らかに宣言した。僅かにミリアの目の 奥に笑いが浮かぶ。 「じゃあ、そのサムライのケツを思い切り踏んでしまってくれよ」 少し苦笑いに似た笑いを浮かべて、ミリアは床に寝転がるゲンブを指さした。えっ、という顔 をしてセイネが一瞬こわばった。 「こ、この男の尻を踏む?」 「そう、そうしないと駄目なんだ」 「な、なんでそんなことを」 「そこが弱点だから仕方がないんだよ」 「わ、わかったわ」 ためらいながらも、セイネはその優雅な右足を高々と挙げた。そしてハイヒールのかかとのよ うになっているブーツを、ゲンブの尻の上に向かって下ろす。ブニッと嫌な音がする。 「あはん、いいわ〜」 瞬間、ゲンブの目がぱっちりと開いた。聞くのもおぞましい歓喜の声を上げ、ゲンブは一瞬に して死地から舞い戻る。その所要時間はほとんど光速に等しいほどのおそるべき速度であっ た。一度に全身を回復させてゲンブが跳ね起きる。 「なにっ!」 まったく予測できない事態にセイネは絶句してその動きを止めた。当たり前だ。誰が尻をブー ツで踏んで生き返る奴が居るというのか。天性の変態であるゲンブは、尻を踏まれるという強 烈な快感により、その負傷をたちまち治療したのである。 「よっしゃあ、今だ!」 セイネの動揺により、精神集中が一瞬途切れたことをミリアは知った。馬鹿だが戦士として の腕前は一流である。構えていたブロードソードを高々と投げ捨て、身をかがめてハンカチの 隙間をくぐり抜ける。 「くっ、ホワイト・フリーズ!」 慌てたセイネが白いハンカチに攻撃命令を出す。しかし目測は完全に外れていた。ハンカチ はミリアが高々と放り投げた剣に向かって張り付いていく。剣が白く凍り付き、氷塊となって床 に転がる。 「捕まえたぞっ!」 その合間を縫ってミリアがセイネにタックルをかけた。油断を突かれてセイネがもんどり打っ てひっくり返る。弾みでセイネの持っていたステッキとシルクハットが落ちて地面に転がった。 「いまだ、ゲンブ!杖と帽子を取り上げろ!」 「な、なんかわからんが、わかった」 事態のよく飲み込めないままに、復活したてのゲンブは素早く転がった二つの品物を拾い上 げた。 「ああっ、帽子と杖が…」 悲痛の表情で、セイネはゲンブの方へ向かって体を乗り出す。しかし、後ろから怪力のミリ アがしっかりと羽交い締めにしてその動きを封じている。 「ぐははは、もう抵抗しても無駄だよ、おい」 セイネをがっちりと取り押さえて、ミリアはご満悦の笑い声を上げた。何しろそのパワーときた ら、掘っ建て小屋くらい軽く放り投げるものである。 「ああっ、セイネさんが!」 今まで部屋の片隅で縮こまり、事態を眺めるだけの存在であったアレク皇子も、この期に及 んではセイネの敗北を認識した。 「くっ…ごめんなさい、皇子様…」 がっくりとセイネは首を垂れる。姉妹喧嘩はとりあえず、姉の勝利である。 「よし、ゲンブ。とっととエスナに連絡を取るぞ」 勝利者は常に非情である。そして、常に財布の中身が非常事態のミリアとゲンブは、さっさと 賞金をもらうべく、エスナに連絡を取る手続きを始めていた。 「よくやったな。さすがはガダルの町でも最悪の剣士だけのことはあるな」 僅か一時間の後、エスナは海の向こうの大陸からもうやってきていた。魔術師ギルドが世界 的ネットワークで行っているテレパシー通信とテレポートサービス。それらを利用して、あっとい う間に彼女はこの町に舞い戻った。もちろん、これには超高額な費用がかかるのだが、そんな ものをためらう将軍ではない。 「港で部下がバニースーツを着た女に倒されたと聞いてもしやと思ったが、やはりここに居た か」 忌々しげに言うと、エスナは縛られて部屋の角に放っておかれているセイネを横目で一瞥し た。 「あそこまで腕利きの部下をあっさりと片づけるとは、さすがセイネだ」 一つ舌打ちをすると、エスナは大きく高らかなブーツの音を立て、くるりとミリアの方を向きや る。 「しかし、なんで、貴様までヘンテコなウサギ姿なのだ?」 相変わらずバニー姿のミリアを、不審そうにじろじろとエスナは見回した。これでも一応バニ ーガールのつもりなのであるが。 「ああ、これかい?いや、皇子とやらがウサギ好きって聞いたもんだから、この格好でおびき寄 せようと思ってさ」 「馬鹿か、貴様?」 まるで汚いようなものを見るような目つきでミリアを一瞥すると、エスナはブーツの音も高らか に、床に座り込んだアレク皇子の元に歩み寄る。 「さあ、こいっ!この、搾取と専制政治の権化め!」 「うわぁ、助けてぇ!」 少年は涙目で部屋を見回した。しかし、彼を助けるものはそこにはいない。ミリアはエスナの 罵倒からこみ上げる怒りを我慢するのに必死であり、ゲンブはぼんやりと耳クソをほじってい た。もっとも頼りにすべきセイネは、ロープで縛られ、猿ぐつわをかまされて床に転がっている。 「では、行くぞ。皇子よ、潔く抵抗は諦めるのだな」 「うううっ…」 もはや自分がどうにもならないことを悟った少年は、おとなしくうつむいてエスナに従った。エ スナは懐中から手錠を取り出すと、それで少年と自分をつなぐ。 「では、失礼する」 高らかに軍靴の音が響き渡った。歩き方も整然と、エスナはこの安宿を立ち去ろうとした。 「おい、ちょっと待った。あたし達にくれるはずの一万金貨はどうした?」 右こみかめに怒りのマークを浮かべながら、ミリアは引きつった笑い顔でエスナに詰め寄っ た。ぐい、と胸元を掴み、汚い歯茎をむき出しにして顔を近づける。 「焦るな。これを渡そう」 エスナはあからさまに顔をしかめると、腰に挟んだ一通の封筒を取り出した。 「な、なんだよ、これ?」 「読めば解る。では、さらばだ」 虚を突かれ、ぽかんとして封筒を見つめるミリアを置いて、エスナはさっさと部屋を出ていっ た。後には、事態がよく解らない馬鹿と変態。そして縛られて転がるバニーが一匹である。 「なんだってんだ、あいつ。あたしのことを馬鹿呼ばわりするとは失礼な奴め」 本当のことを言われて額に怒りマークを浮かべながら、ミリアは茶封筒の封を開けた。中に は一枚の紙切れが入っている。 「はぁ?」 不思議に思いながら紙切れを取り出し、ミリアは二度びっくりした。封筒にはなにやら訳の分 からない暗号のようにものが書かれている。 「おい、ゲンブ、こいつはなんだよ?」 よく解らないまま、ミリアはゲンブの顔の名前に紙切れを差し出した。フンドシイッチョウにセ イネから取り上げたシルクハット、そしてステッキという、わけのわからないスタイルの中年は、 油ぎった顔を紙に近づける。 「うむ……む?なんだ、エルフ文字ではないか」 森の妖精であり、自然界と密接な関わりを持つエルフ種には独自の文字がある。自然に語り かけ、その力を利用するときに使われる一種の魔法文字。それがエルフ文字である。一般の エルフはすべてこの文字を知っている。もちろん、ハーフエルフも例外ではないはずだ。 「なんで貴殿、これが読めない?」 「え…いや、その、たぶん忘れていたはずだと」 「では読んでくれ。拙者もエルフ文字はほとんどわからん。かろうじてエルフ文字と判別出来る 程度だ」 ゲンブは不機嫌にナマズヒゲを捻りながら、その書類をミリアに突き返した。渋々ミリアはそ れを受け取る。もちろん、馬鹿なので読めるわけもない。 「………」 「ちょっと待て、まさか、読めないというのでは…」 「ええい!こんな難しいもん、あたしにわかるわけないよ!」 結局、自分の馬鹿を見事に照明した。怒りにまかせてミリアは書類を床に投げ捨てる。ハラ リと紙が空気に浮かび、パサッと音を立てて、縛られて横になっているセイネの顔の上に覆い 被さる。 「あっ、なんだ、ここに便利な奴がいるじゃないの」 セイネもハーフエルフであることをようやく思い出すと、ミリアはしゃがみこんで猿ぐつわを解 き始めた。ものの数秒もしないうちに拘束が外れ、セイネの口が自由になる。 「うう!この悪魔!人でなし!」 口がきけるようになったセイネの第一声はそれである。 「おい、ちょっと頼むから、この書類を読んでみてくれよ」 ミリアはかがむと、セイネの鼻先に、その紙切れをつきだした。 「なんなのよ…これ…」 眉を顰め、気の進まない表情でセイネは書かれた文字を読み進める。その顔は次第に明る くなり、口元には皮肉な笑いが浮かび始める。 「ほほほほ、これは喜劇!あなた達、だまされたのね」 「な、なんだよ!だまされたって!」 「ここに書いてあるわ。『手元不如意のため、革命成功の時まで一万金貨を債務として引き受 けるものとする。なお、債権者は一切これに対して抗議の権利を得ない』ほほほ、はめられた のよ、あなた達、あのエスナに。ほほほほ!」 狂ったように甲高い声を発してセイネは高笑いを続けた。ゲンブは事の重大さにすぐに気が 付いた。彼は拳を握ると強くそれを床にたたきつける。 「むう…エスナ・デ・リ・ホーゲンドープ将軍め!約束を違えるとは武士の風上にもおけんわ!」 腹の底からの咆哮でゲンブは叫んだ。こんな変態でもサムライ故に、一応審議や義理は大 切にする。それを易々と違えられた。今や、この変態のナマズヒゲ中年は本気で怒りを覚えて いた。 それに引き替え、ミリアは無表情で立っていた。それは、この短気な奴にとっては不思議すぎ るほどの落ち着きぶりだった。もちろん、それが冷静さから来るものではないことは分かり切っ ている。 「ゲンブ、何怒ってんだよ?」 怒りに震えるゲンブを横目に、ミリアはナチュラルにそんな台詞を吐いた。つまり、事態がな んなのかさっぱり解っていなかったのである。 「あのな、貴殿はだまされたのだぞ」 この後、だまされたことをゲンブが説明するのに一時間ほど時間を要した。もちろん、その後 はすさまじい絶叫とともに、激昂の叫び声がガダル市中に響き渡ったのである。 |