その5 リベンジの旅立ち

「くそっ!エスナの裏切りものめ!チビデフでハナミズ垂らしのオカチメンコ!」
 およそ五分間、あらゆる類の悪口を絶叫してミリアは荒れ狂った。
 エスナ側が一万金貨の債務を背負う。つまりは借金である。エスナは賞金の支払いを、借金
することでごまかした。しかも支払期限は革命を成功させるまでとある。革命の成功とか簡単
に言うが、それが何を意味しているのかはさっぱり解らない。要するに空手形をまんまと食わさ
れたわけである。
「金をよこせぇ!」
 安普請の天井を向いてミリアは怒鳴った。それは、おそらく、周囲の商店や酒場がミリアに対
して思っている台詞である。この女、借金することには慣れっこだが、借金される方に関しては
まるでよくわからない。
「ほほほほ、天網恢々疎にして漏らさず。悪に栄えた試しはないのよ!」
 ロープで簀巻きにされたままのセイネが吠えた。台詞はばっちり決まっていたが、どうにも格
好はよろしくない。
「なにぃ!」
 怒りにまかせてミリアはセイネに突進した。げんこつを固めて怒りの一撃を食らわそうとす
る。
「妹の分際でよくも、ねーちゃんを馬鹿にしてくれたな」
 思い切りのいい拳の一撃が振り下ろされる。
「あらっ」
 素早くセイネは身を半身によじってそのげんこつをかわした。刹那、バリンと音がして、パワ
フルなパンチが板張りの床に穴を空ける。
「ちいっ、かわしたか」
「ちょ、ちょっと待つのよ!私があんたみたいな悪役の妹ですって?」
 床に芋虫のようになって横たわりながら、セイネは怪訝な顔でミリアを見上げる。
「そうだよ。あたしはミリア・カジネット。あんたのねーちゃんじゃないか」
「えっ、ミ、ミリア姉さん?」
 つり上がった長方形の目を上目遣いにして、セイネはミリアを上から下まで見つめた。耳の
長さといい顔立ちと言い、どことなく共通するものがある。
「ちょっと!なんで早くそう言ってくれないのよ!」
 今更のようにやっと気が付いて、セイネは大口を開いてがなり立てた。先ほどまでの優雅さも
どこかに吹っ飛んで、口から唾を飛ばして騒ぎ立てる。
「言ったじゃないか、あたしだ、ねーちゃんだってさ!」
「言い方が悪いわよ!アタシダ・ネーチャンダが名前かと思ってしまったわっ」
 それが過剰すぎた自己陶酔故の末の聞き間違いと言うことに、さすがのセイネも気づいてく
れない。
「ともかく、ほどいて!」
 縛られて簀巻きになったままの体勢でセイネは身をよじって騒いだ。
「仕方がない、ミリア、縄をほどくのだ。このままではうるさくてかなわん」
 ゲンブが相変わらずのフンドシイッチョウ姿で顔をしかめ、ステッキで暴れるセイネを指し示
す。一瞬嫌な顔をしたが、結局ミリアは妹の縄を解き放った。このままではどうしようもないから
である。
「よいしょっと」
 べりべりと片手で縄の結び目を易々と引きちぎり、ミリアはセイネを自由にした。バニースー
ツから露出した手の部分に縄の後が着いていた。見ようによってはなかなかエロティックであ
る。
「ふう…」
 うつむき顔を押さえてセイネは息を継いだ。自由になって、彼女は大きく深呼吸をする。しか
し、いつまでも休んではいなかった。すぐさまセイネは立ち上がり、つかつかとミリアに詰め寄っ
た。
「なんてことをしてくれたのよ、姉さん。よりによって、アレク皇子をエスナに渡してしまうとは」
 薄く形のよい眉を眉間に寄せてセイネはミリアに詰め寄った。基本の身長はセイネの方が1
0センチほど高い。しかも背丈のあるブーツを履いているだけに、迫力は結構なものがある。
「そ、そんなことを言ってもさ。あたしも生活って奴があるんだよ」
「目先の欲望にとらわれるからいつも姉さんは失敗するのよ。昔、学校の帰りにお腹がすい
て、何度も熊捕り罠にひっかかった経験がまるで生かされていないわねっ」
「む、昔のことは放っておいてくれよ!」
 過去の恥をばらされて、さしものミリアも赤面した。姉妹の物凄いやりとりを聞いて、変態サ
ムライゲンブも開いた口がまともにふさがらない。
 昔、とは言っても140年くらい前のことである。まだミリアが少女と呼ばれていた、遥か太古
の時代である。こんな馬鹿も一応学校には通っていた。朝早弁をし、昼には友人からカツアゲ
をし、それでも帰り道には尚腹が減っていた。そんなとき、時々漁師の仕掛けた熊罠に出くわ
した。そして漁師は、鉄の罠に足を挟まれ、蜂蜜をむさぼる、知的生物としてはどうかと思われ
るハーフエルフをしょっちゅう目撃する羽目となった。
「どんな過去だ、貴殿…」
「ええい!人間、食欲には勝てないんだよ!」
「その後で熊罠を仕掛けた漁師をカツアゲして、慰謝料をせしめたのもミリア姉さんだったわ
ね」
 しれっと、冷たい声でセイネの追い打ちが飛ぶ。ゲンブのあきれ顔は益々酷いものとなった。
ミリアはもういいわけも出来ず、あさっての方を向いて口笛を吹いている。
「昔から極悪非道だったけれど、今も全然変わっていないのね」
 とどめの一撃がグサリとミリアの心をえぐった。苦笑い、というにはあまりにも引きつった笑い
を浮かべて、げんこつを握りしめてミリアはセイネの方を向く。
「ほう…よく言うよ。ショタコンの美少年マニアのくせに。いつも草むらに潜んで、学校帰りの少
年を拉致しようとしていたのは誰だったっけ」
「な、何を言うの、姉さん」
「嘘じゃないからね。あたしが熊罠にかかって居たとき、あたしを助けようともせず、向こう側の
草むらの中にいたいけな少年を引きずり込んで…」
「うわぁ、やめて!私が悪かったわよ」
 結局、どっちもどっちという結論を出してゲンブは「おおアマテラス」とばかりに天を仰いだ。
「それで、貴殿達、これからどうするのだ?」
 しかし、祈るだけではなんの解決にもならない。ゲンブは怪訝そうに首を傾げると、今にも掴
み掛かりそうになっている姉妹の間に割って入る。
「へ?どうするって?」
「忘れたのか?賞金は手に入らなかったのだぞ」
 仏頂面でゲンブは痛い事実を指摘した。ゲンブは脱ぎ捨てた自分の軍服の胸元をまさぐっ
た。そして火打ち石を取り出してセイネに顔を向ける。
「すまぬが、紙巻きか何か頂戴できぬか」
「そのシルクハットの中に葉巻が入っているわ」
 セイネがゲンブが被っているシルクハットを指さす。ゲンブは中に手を突っ込んでしばらくごそ
ごそとしていた。やがて一本の葉巻を取り出して口にくわえ、火打ち石で着火する。数度吸って
煙を吐き出しながら、ゲンブは真面目な表情で口を開く。
「ホーゲンドープ将軍は拙者達との約束を破った。信義を破ることはサムライとして拙者は揺る
せん」
「忘れていたよ!エスナめ!こうなったら、ぎったぎったにしてやる!」
 ぱちんと一つ手を叩いて、ミリアは当初の目的を思い出した。目はかなりマジになっている。
「ちょっと待って、姉さん。エスナって、あのエスナ・デ・リ?毎日姉さんに顔を殴られて、つぶれ
た饅頭のような顔になっていたエスナ・デ・リ?」
「そうそう、あたしが毎日弁当を取り上げていた、あのエスナだよ」
「うっそぉ!まるで見違えていて、全然気が付かなかったわ。昔はスイカみたいなブタマンだっ
たのに」
「ああ、あのへしゃげた饅頭がよくもまああんなに偉くなったもんだ。きっと、顔面整形の魔法と
か使ったに違いないよ」
 昔の思い出を発掘してしまったセイネとミリアの間に、あまり芳しくない幼少の思い出話が花
開いていた。ゲンブはもう右から左に聞き流しながら、葉巻を吸っては煙を吐き出していた。
「あの、ブスデブのエスナにこのミリアがだまされるとは捨てておけないね。あたしは絶対にエ
スナを叩きつぶしてやる。もう一度つぶれ饅頭の目に遭わせてやるぞ」
 声も高らかにミリアは危険な宣言をした。エスナ・デ・リ・ホーゲンドープ。かつてはいじめられ
っこであったかもしれないが、今やレオリア共和国の軍事全権を掌握している恐るべき人物で
ある。
「待って、姉さん。頼みがあるのよ。エスナをつぶすのは構わないけれど、アレク皇子を助けて
あげてくれないかしら?」
 似合わないバニー姿で意気軒昂としているミリアに、横からセイネが口を挟む。
「はぁ?何言ってんだよ。そこまでは知らないよ。というか、面倒くさい」
「そんな事を言わないで、私の皇子様を助けてあげて。私一人の力では難しいの。前回は一瞬
の隙をつけたけれど、今度はそううまく行くとは思えないのよ。あのブスチビデブバカのエスナ
は、昔のエスナとはひと味もふた味も違うわ」
 会話の度に増えていく罵倒の形容詞。まあ、二人にとってエスナという奴はその程度の認識
でしかない。
「なに、エスナって、そんなに偉くなってんの?」
「軍事に携わるものなら、一度は名を聞くはずだ。レオリアの常勝将軍、エスナ・デ・リ・ホーゲ
ンドープの事はな」
 ゲンブは大きく葉巻を吸うと、灰を灰皿代わりの空き缶に落とした。
 レオリア共和国。それはまだ王政をもっぱらとするこの国では、例外というべき共和国であ
る。絶対の平等を旗印とした、狂信的なまでの平等主義を貫く恐るべき国家である。その平等
主義は、通常は忌み嫌われる妖魔、妖怪の軍勢までも正規軍として包括している。事実、中央
政府の半数はエスナのように忌まれるべき種族で占められていた。ゴブリン、コボルド、ダーク
エルフといった怪物たちにも普通の市民権が与えられている。
「ホーゲンドープ将軍は、卑怯な作戦と機敏な軍事行動で百戦百勝。国内での人気も随一で、
次期大統領候補の筆頭だそうだ」
「なんだ、そりゃ?大統領って」
「まあ、一種の王様のようなもんだ」
「なにぃ、しまった!こんなことなら、ガキのころ、あんなにいじめるんじゃなかった!」
 歯がみをしてミリアは地団駄を踏んだ。しかし、もはや太古の祭りである。
「姉さん、ここはエスナに対抗するために力を貸して」
 両手を合わせ、お願いのポーズをして、セイネは姉にしなだれかかった。しかし、身長差があ
るのであまりしおらしく見えない。
「やっぱり嫌だ。だいたい、あんたの場合、下心が丸出しじゃないのさ。どうせ、あの皇子が可
愛いから、手に入れたいだけなんだろう?」
 そういう自分の方こそ、私怨丸出しである。どっちもどっちだ。
「うう…そ、そんな…」
 ジワッとセイネの麗しい顔に涙がにじむ。どこからともなくハンカチを取り出すと、彼女は鼻孔
下にそれを当ててヨヨヨとばかりに泣き崩れた。
「ひどいわ、姉さん。妹がこんなに困っているのに、どこまでも冷たい態度を取るなんて。ああ、
かわいそうな私の皇子様。きっと今頃エスナに捕まって、いろいろひどいことを…うっうっ…」
 体を横に倒して足を横に投げ出すというおきまりのポーズで、シクシクとセイネは嘆き続け
た。さすがは演技派だけのことはある。場は一度に湿っぽくなった。
「気の毒な私のアレク皇子…あの悪の権化エスナに捕まって、むち打ちや石抱きの拷問を…」
 悲しみの顔でセイネは様々な拷問方法を語り出す。ものすごくウェットな雰囲気があたりに立
ちこめてくる。
「ああ!もう、止めてくれよっ!皇子救出でもなんでもするからさ!あたしはそういう雰囲気は
嫌いなんだよ」
 ついに堪らなくなり、ミリアはテーブルを平手で叩いてそう怒鳴った。一度にパッとセイネの顔
がバラ色に変わり、さわやかな笑いがあたりに溢れる。キラリ、とばかりに白い歯が笑みに映
えた。
「ああ、なんたる幸せ!百人力の助けを得、我らが皇子を今助けん!」
「はいはい、わかったわかった。あんたの大好物の美少年とやらを助ければいいんでしょうが」
 やれやれ、という風に首を振って、ミリアはお手上げという風に手のひらを上に広げた。身も
蓋もない言い方である。
「ゲンブ、それでいいか?」
 一応、相棒でもあるゲンブの了解を得ようとミリアは無言で煙草を吸い続けているフンドシ男
に目を向けた。
「おい、どうした、ゲンブ?」
 ミリアはゲンブの肩を揺さぶった。ナマズヒゲの中年は、燃え尽きた葉巻を持ったまま、ぼん
やりと空中を見つめている。
「あ、いや、これは失敬。アレク皇子について、少し考え事をしていたものでな」
「なに?良い考えがあるならあたしに聞かせてくれよ」
 一応参謀格の男の言葉に、ザッとミリアとセイネが詰め寄った。ゲンブは真摯なまなざしで二
人を見つめると、一つ息を継いでぽつりと漏らす。
「あの少年のケースだと、どんな形の拷問が、一番気持ちいいのかと思ってな。石抱きがいい
のか、三角木馬がいいのか、ううむ、むつかしい問題だ…」
 次の瞬間、二つのバニーガールが飛びかかり、不気味な筋肉サムライは、その原型がとど
められないほどまでにボコされてしまうのであった。


「よし、姉さん、エスナの本営に向かうわよ」
 心ゆくまでゲンブを殴り飛ばした後、姉妹は鉱山町シュトルガットへ向かうことに決めた。現
在レオリア共和国とバランヒルト帝国が激戦を続けているアルモラード大陸。その北部の中枢
となる市がそれである。
「向かうって、どうやって行く?テレポーターなんか使う金はないぞ」
 なんやかんやで、エスナからもらった金貨も十枚そこらに減っている。魔法の発達したこの世
界では、魔術師組合が相互にネットワークをつなぎ、都市から都市へテレポートすることも可能
となっている。しかし使用料金は一回につき金貨千枚はかかる。とても気軽に利用できるもの
ではない。
「そんなもの使わなくても、このシルクハットさえあれば大丈夫よ。姉さん、荷物をまとめたら裏
口の方へ出て」
 自信満々にセイネは言い放った。ミリアは首を傾げながらも、荷物をまとめる準備を始めた。
とは言っても、たいしたものではない。バニースーツからいつものオンボロ革鎧に着替えるだけ
である。あとは地面に転がるゲンブを引きずっていっておしまいである。
 白目を向いた変態サムライをズルズルと引きずってミリアは宿屋の裏に出た。正面から出る
と、また大家の愚痴を聞く羽目になって面倒臭い。
「な、なんだ、こりゃ」
 そしてミリアは驚きの声を挙げた。そこには巨大な帽子が広がっていた。セイネの被っていた
巨大シルクハットは八畳間ほどの大きさに巨大化していた。その天辺にはセイネが座って、ス
ラッとした格好良い足を投げ出している。
「よし、姉さん、乗って頂戴」
「なに、これでどうする気だよ」
「うふふふ、セイネ秘伝のスペシャル・マジックを見せてあげるわ」
 セイネは帽子の上に立ち上がると、ミスリル銀製のステッキをクルクルと回し始めた。そして
帽子の上に、なにやら文字のようなものを二回ほど刻んだ。
「キィ、キィ!」
 突如として、巨大化したシルクハットから高音の鳴き声のようなものが発せられた。ジーンと
鼓膜が痛くなるような高周波がわき上がってくる。
「フライ!」
 セイネが高らかに命令すると、その場に一度に強力な浮力が巻き起こった。二人と死体一個
を乗せて巨大なシルクハットが宙に舞い上がる。
「うわっ、すごい!帽子が飛んだ!」
 帽子のつばの部分に立ち、せり上がっている中央部にしがみつきながら、ミリアは次第に小
さくなる地上を見下ろしていた。
「セイネ、これって空飛ぶ絨毯の変形のようなもんかい?」
 魔法による飛行のための品物も多少だが存在する。空飛ぶ絨毯、箒などはその典型的なも
のだ。しかしそういったものは希少価値が高く、たいていは国家の至宝である。
「いいえ、これはそんなものじゃないわよ。私だって別に金持ちってわけじゃないんだから」
「でも、これは空飛ぶ帽子だよ」
「帽子が一番加工しやすいものだったのよ。他の品だとちょっと手間がかかるの」
 決して早くはないが、それでも危なげなく帽子は飛んでいた。死体のゲンブは縄で結んで下に
垂らし、ヒラヒラと帽子が飛んでいく。
「加工?さてはまさか、浮遊能力のある布でも見つけたのかい?」
「そんなものがそうそう見つかるものですか。これよ、これ」
 少しうんざりしたような表情をまなじりに浮かべると、セイネはステッキで帽子の頭頂部を指し
示した。そこには点が二つ書かれてあった。″という風に、白い塗料が黒い布地に塗りつけら
れている。
「この白い点がどうかしたのさ?」
「鈍いわね、姉さん。これは、帽子に暗示をかけてあるのよ」
「暗示?」
「そうよ。ハットに濁点を付けるとバットになるでしょう。一時的にこの帽子はコウモリになってい
るのよ」
 ミリアは開いた口がふさがらなかった。そんな魔法のかけ方はまず聞いたことがないし見た
こともない。
「どこが魔法だ!」
「魔法じゃないわ。マジックよ、手品よ」
 不審を遙かに通り越して、信じがたいという顔をする姉を、妹があっさりとたしなめる。これ
も、スポットライトの当たる人生と、そうでない裏街道を生きてきた人生の違いかもしれない。
 こんなむちゃくちゃな方法で帽子を空にとばしながらも、二人と死体一つは、確実に海の上を
ブッ飛んで行った。