「なにっ!街で闇鍋だって?」 食欲で眼をギラギラと輝かせながらミリアは振り返った。思わず口の中からヨダレがあふれ 出して来る。 「どこだい、どこにあるんだよ、その闇鍋ってのは」 なぜか右手にブロードソードをひっ掴んで、ミリアは情報源である貧相な顔のシーフに詰め寄 った。動物のように先端が尖った耳が嬉しさに 震えている。ハーフ・エルフの特徴である動物 のような猫眼は、既に焦点が合っていない。 「ち、違いますよ。闇鍋じゃなくて闇討ちですよ。いったい、どういう耳しているんですか?」 ミリアに掴み掛かられて喘ぎながらも、貧相な顔のシーフは冷静に話題を否定した。闇鍋と 闇討ち。語感は多少似ているが、内容はまったく 別物である。 「なに、違うのか?」 頭の悪い聞き間違えをしたミリアの尖った耳は、いきなりヘナヘナと倒れていった。耳はどう やら感情の変化で動くらしい。 「ちっ、なんだ、つまらん。くだらない用事で来るんじゃないよっ」 一瞬にしてミリアはシーフの方に背を向けると、先程まで向かっていた安宿の炊事場に立っ て、何やら勢い良く刻み始めた。使っているのは 先程のブロードソードである。どんなに貧乏し ても、剣だけは手放せないのが戦士であるが、この場合何かが違う。 ミリア・カジネットはハーフ・エルフの戦士である。森の妖精エルフと人間の間に生まれた中間 種族がハーフ・エルフである。エルフの華奢で優 雅、魔法の才覚と、人間のバランスの良さを 受け継いでいる種族だ。 しかし、このハーフ・エルフはとてつもなく頭が悪かった。その上に自堕落である。いつも、楽 ばかりすることを考えて食っちゃ寝生活を夢見て いる。 こんな、どうしようもない奴が辿り着いたのは、冒険者という、はなはだ不安定な仕事であっ た。しかも、チョイスしたのはズバリ戦士である。 魔術師が学院の講師をしたりして日銭を稼ぐ のに比べ、こんな職種にはバケモノ退治くらいしか仕事など来ない。加えて酒好きの浪費家と いう とんでもない性格が加わって、日々の生活は貧乏なんて一言で済まされるものではなかっ た。そう、それは実に惨めったらしいものだったので ある。 そういうわけで、家賃が月々金貨六枚程度の安宿に落ち着き、借金で酒を飲みながら日々 を自堕落に過ごしていた。そんな彼女の所に、シ ーフのランヌがやって来ていた。何もないヒ マだけらの昼下がりのことであった。 「くだらない、なんて言わないでくださいよ。姐さん、戦士ともあろうものが、闇討ちに興味がない んですか。卑怯とか思わないんですか?」 少し困った顔でランヌは後からミリアをゆさぶった。縦長の締まりの無い顔が珍しく真面目に なっている。 「思わないよ。そんなの、殺られた奴が悪いんじゃないか」 平然と言い放つと、ミリアは流し場でブロードソードを振るう。シャッ、シャッと何やら削れる音 が重苦しく響く。 「それはそうですけれど…でも、このままじゃマズイですよ。街の治安が悪くなるじゃないです か」 「そんなこと、あんたらシーフギルドの連中がやればいいじゃないか。なんでわざわざあたしの 所にそんな話を持って来るんだよ」 口を横に開いて、実に面倒臭そうな口調でミリアは応対した。 シーフと呼ばれる連中は、盗みの業を身につけた、いわゆるプロの泥棒集団である。鍵開 け、登攀、忍び足などの特殊能力を彼らは身につ けている。そのような、常人離れした能力を 持つ彼らは、その技が悪用されないように、組合を作って管理していた。もちろん、勝手に仕事 をさ れないためでもある。また、この組合は、同時に街の治安維持をする役割も担っていた。 自分たちの縄張りの間では勝手な仕事はさせないと いう気構えである。 「いや、それがですね。今回はどうも一筋縄じゃいかないんですよ。ギルドもそう思って、一家 総出でこの事件に臨んだんですけれど」 「あ、ひょっとして、返り討ちにされたとか?」 猫目がニヤリと意地悪そうに笑った。ランヌは悲しそうに一つため息をつくと首をうなだれ る。 「ええ、イクシオン親分を含めて、全員が瀕死の重傷っす」 「うわっ、いい気味だ」 不謹慎にも、ミリアはカラカラと大声をあげて笑った。人の不幸を顧みない女。それがこいつ である。 「ザマみろってんだ。あいつ、あたしがこんなに貧乏してるのに金を貸してくれなかったもんね。 いや、いいニュースを聞いたよ。じゃあね、ラン ヌ」 一頻り大笑いをした後、ミリアはまた黙って何かを削り始めた。今までとは変わって軽やかな 調子で剣の音が響いていた。かなり気分もよくな ったらしい。 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。ここまで聞いて、姐さんは何もしようとしないんですか?」 ランヌはミリアの肩を揺さ振った。細く垂れ下った貧相な眼に焦りが見えている。 「なんであたしがイクシオンの野郎のために、何かしてやらなきゃなんないのさ?」 うっとおしそうにミリアはランヌを見やった。わずかに殺気を感じてランヌは肩をすくませる。こ の女、戦士という職業からして、気は長いほうで はない。おもいきり粗暴な上に頭の中は瞬間 湯沸器である。あまりしつこく言って怒らせるとこっちの生命が危険である。 しかし、ランヌはその恐怖に耐えた。彼は両手の拳を握ると、震えながらゆっくりと頭を下げ る。 「盗賊ギルドの存続の為っす。お願いします」 実に惨めったらしい顔でランヌは哀願した。声の調子も震えている。まるでこれから死刑執行 台に立つ囚人のようだ。 「このままじゃあ、ガダルの街の盗賊ギルドは潰れてしまうっす。盗賊ギルドが潰れたら、あっし みたいに腕の悪いシーフはどうやって生きてい けばいいんですか…」 ほとんど泣き出しそうになりながらランヌはコアラよろしくミリアにしがみついた。この男、卑屈 な態度からも解る通り、シーフとしての腕前は ほとんど最低である。それは同期の連中が次々 とギルド長になっていくのに、今だに平シーフでしかないのを見てもよくわかる。 「お願いしますよ、姐さん。闇討ちの事件を解決してくれるなら、あっしの全財産をあげますか ら」 いそいそとランヌは腰に下げたガマ口を取り出して中身を手の上に乗せた。ジャラッと音を立 ててコインが抱えた手のひらに広がる。 「おっ、銀貨じゃないの」 「あっしの一週間分の稼ぎっす。これを全部あげてもいいっす」 悲壮な顔でランヌは銀貨を握り締めるとミリアに手渡した。こうして見ると、さぞ大金に見える が、たいしたものではない。せいぜい銀貨が二 十枚という程度である。金貨ならたったの二 枚。普通のシーフの一日分の稼ぎにもなりはしない。この程度がランヌという奴の全財産であ る。 「よし、わかった。ランヌ、あんたも大変なようだね。うん、あたしとあんたも長い付き合いだ。親 友の危機を見過ごすわけにはいかないよな」 今までの冷たい態度はどこ吹く風。いきなりミリアは愛想よくなった。そしてポンポンとランヌ の肩を叩きながらも、しっかりと僅かな銀貨を懐に 入れるのを忘れない。 「お願いしますよ、姐さん」 「ふふふっ、任せなさいって。あたしが乗り出したからには、大船に乗ったつもりでいなよ」 ミリアは大きく口を開けると豪快に笑った。こんな奴だが、戦士としての腕前は抜群にいいの だ。しかし、安心できるような大船ではなく、どち らかといえばドロ船だ。 「ふう、これでようやくあっしも安心できます。ところで姐さん、何を作っているんで?」 大きく息を継いでほっとしたランヌは、ミリアの肩ごしに炊事場を覗き込んだ。石作りで作られ た共同の流し場。そこにはマナ板が置かれてい た。木で作った、安物のタイプである。その上 に、こんもりと茶色の削り節が山になって詰まれていた。「あっ、カツオ節っすか。いいっすね、 あっしはこれが好物なんですよ」 腕が悪いシーフのランヌもやはり貧乏人である。カツオ節のような高級品はめったに食べら れない。 「あっ、何するのさ」 ミリアが止める暇もなく、ランヌは指先で削節を摘むと口に放りこんだ。モグモグという、物を 噛む音がする。 「ぐ、ぐおうっ!」 突然、ランヌは眼を白黒させて転げ廻った。共同炊事場の石畳の上をランヌは転げ廻る。そ の口からはおびただしい鮮血が飛び散ってい た。 「ぐへっ、ごほっ…な、なんですか、これは」 咳き込み、口から血を流しながらランヌは流しに削り節を吐き出した。それはカツオ節ではな かった。どうやら、木を削りだした時のカンナ屑 のようである。 「バカだねぇ。マナ板の削りカスなんか食べられるわけないじゃないの」 自分もバカなのに、そんな酷いことをミリアは言う。ランヌは唖然とした顔でミリアを見つめ た。なぜ、こんな所にカンナ屑があるのか解らな い。 「な、なんでそんなモノを作るんですか」 至極当然な疑問であった。いくら似ているからといっても、カンナ屑は所詮木材である。カツ オ節ではない。 「いや、腹減っても何もないからねぇ。マナ板でも煮れば、板に染み込んでいるダシでも取れな いかと思ってさ」 まるきり悪怯れずに言うと、ミリアは怠そうな顔であくびをすると、ボリボリと頭を掻いた。ラン ヌは開いた口がふさがらず、唇の端にまだ削り 節を付けたままでミリアを情けない顔で見つめ ていた。 「闇討ちをかけたのは、どうもダーク・エルフの女らしいっす」 しばらくして、ようやく自分を取り戻したランヌはそんなことを語った。 この世界の種族には様々なものが存在する。その中で、特に邪悪とされているのが、ダー ク・エルフと呼ばれる浅黒い肌のエルフであった。 銀色の髪に釣り上がったきつい眼差しを持 つ彼らは恐るべき戦士であり、同時に魔法使いでもある。そしてタチの悪いことに、殺戮と混沌 を大 いに愛する連中であった。今回の事件も、ダーク・エルフが関わっているとなれば十分に 納得ができる。 「イクシオン親分の話では、相手は非常に剣に優れ、魔法のレベルも抜群だったそうです。奴 は邪悪な笑みを浮かべながら、ギルド員をなぶり ものにしたそうです」 口から血を流しながら、ランヌはようやくそれだけを言うと、ほうほうの体で逃げ帰った。これ 以上ここに居ては、何をされるかわかったもんで はない。 そういうわけでミリアは夜になるのを待って、さっそく街に繰り出していた。とはいっても、闇討 ちのダークエルフを倒すためではない。当然な がら一杯ひっかける為である。 そして、わずか一時間であっさりと銀貨二十枚を使い果した。一杯一銀貨のジャンクスピリッ ツをしこたま空けると、ミリアは上機嫌で酒場を 後にした。 「さて、奴さん、出てくるかねぇ」 酒臭い息を吐き出しながら、ミリアは天空を仰いで首を上に向ける。月が煌々と照る美しい 夜空がそこには広がっていた。「いい気分だねぇ。 あとはこれで向こうから闇討ちしてくれる と、仕事も簡単に終わって万歳なんだけれども」 随分飲んだにも関わらず、少しも乱れない足取りでミリアは家を目指した。こういう風にどうし ようもない奴だが、一応格好だけは戦士のもの になっている。腰から下げた、ナマクラ過ぎる ブロードソードと、これまたアチコチに継ぎ目の入った革製の胸当て鎧がミリアの標準装備で あ る。金属鎧はとうの昔に質屋で流れた。小手や兜も装備するより先にクズ屋行きである。一 応戦士ではあるが、あまりにもお粗末な装備であ る。 「あれ?なんだ、ありゃ」 上機嫌に鼻歌混じりで歩いていたミリアはふと足を止めた。場所は丁度スラムの裏路地に差 し掛っていた。 こういう所は当然治安が悪い。普通の人間なら恐ろしくて近寄れない場所だが、ミリアは平気 で近付く。むしろ、誰か襲ってくれないかと常に 思っているのだ。 もちろん、そのような事態が起こった場合、正当防衛の名の元に戦闘が行なわれる。そし て、哀れな犠牲者の死体が道路に転がり、僅かな 金を握り締めて酒場に直行となるのだ。 「あいつはゲンブじゃないか。何やってんだ?」 ミリアは顔をしかめた。それは酒場でよく見る汚い中年の顔だった。ボサボサの汚い頭にチョ ンマゲ。鼻の下からブサイクに伸びたナマズヒ ゲ。がっしりした体を軍服で包み、腰から下げ た日本刀。それが街でも有名な、ゲンブと呼ばれるサムライであることは瞬時に分かった。 サムライと呼ばれる東方の剣士は剣と魔法の両方を使いこなす。ゲンブもその例に漏れず、 両方を使いこなす。 ゲンブはキョロキョロと周囲をうかがっているようだった。すると、彼は懐から何か木製のアタ ッチメントを取り出した。長い、エルフの耳のよう なものが二つ。彼はそれを耳に装着する。 「よし」 うんうんとうなずくと、ゲンブはまたもや何かを取り出した。それは靴墨のビンである。それを 顔一面に塗りたくると、顔が真っ黒になった。 「さて、仕上げだ」 独り言をつぶやくと、今度はゲンブはコンパクトミラーと口紅を取り出した。そして、しっかりと 唇にルージュを引いた。それはもう、見てはいら れないほどのブサイクぶりである。 「さて、仕事にかかるとするか」 どこから見てもほとんど変態としか思えない出で立ちで、ゲンブは辺りを再度見回した。そし て腰の日本刀を抜く。どうやらこのまま追剥ぎでも やるつもりらしい。 「おい、変態。なんだ、その格好は?」 さすがのミリアも頭が痛くなってきた。思わず吐き気をもよおしそうになりながらも、ミリアはゲ ンブの背後からケリを喰らわす。見事に後頭部 に命中してドスッと鈍い音がした。 「痛!」 一声発してゲンブは普通に振り向いた。ミリアの蹴りなどまるで効いていない。頑丈で丈夫な ファイター。それがサムライである。 「むっ?拙者を変態呼ばわりとは命知らずな奴は誰だ?まあ、いいわ、身ぐるみ出せば命は 助けてやろう」 アゴに手を当ててゲンブは嬉しそうに笑った。やっとインネンをつける理由を見付けて彼はほ くそ笑んでいた。月明かりの中に浮かぶ墨だら けの顔は、どう見てもただの変態だ。 しかし、喜んでいた彼は、次の瞬間恐怖のどん底に叩き落とされる。 「な、なんだと…そこに居るのはミリアではないか!」 相手を格好の獲物と思って調子こいたゲンブの声は驚きに変わった。靴墨で黒くなった顔が 油ギッシュに月光の中でテカテカと輝く。 「おい、これはどういうつもりだよ」 疑わしそうにミリアは中年のサムライの頭から下までをジロジロ見回した。耳についたアタッ チメントは、どうやらエルフの耳のつもりらしい。 顔に塗った靴墨はダーク・エルフのつもりらし い。そして唇に塗ったルージュは、どうやら女装のつもりらしい。 「いや、何、この格好で追剥ぎをすれば、責任を噂の闇討ちに押しつけられると思ってな。拙者 も生活が苦しくてな。こうでもしないと酒が飲めな いというわけだ」 まったく物怖じせずにゲンブは言った。普段からこのサムライは頭の線が三本位切れている という噂があった。今、噂は真実となったわけで ある。 「しかし、ここに貴殿が現われたということは、どうやらこれは徒労に終わったらしい」 エルフの耳のアタッチメントに靴墨とルージュ。わざわざこんなものを準備するとは、確かに 徒労以外の何物でもない。 「どういうことさ?」 「ふふっ、説明してやろうではないか」 ゲンブは不気味に微笑んだ。真っ赤になった唇が、黒い顔の真ん中で蠢いている。まさに変 態以外の何物にも見えない。 「つまり、闇討ちの犯人はミリア、貴殿ということだ」 ズバリと言わんばかりにゲンブは言ってのけた。口紅でタラコのようになった唇が動く。 「金の無いはずの貴殿が酒場に入っていくのでオカシイと思っていたのだが、やはり闇討ちの 犯人は貴殿だったのだな。貧乏な貴殿が金を持 っているわけがない。その金は闇討ちして巻 き上げたに違いない!」 万更間違いでもない推理をゲンブは述べた。そう、貧乏極まれば、そこまでやりかねない奴 ではある。 「おいおい、バカなのは顔だけにしておきなよ」 さらっとした口調でミリアは言ってのける。自身もバカなのに相手をバカと言い放つ。いい根 性である。 「だいたい、あたしはダーク・エルフじゃないし、魔法も使えないぞ」 不機嫌に唇を突出しながらも、割と平静な口調でミリアは言ってのけた。たしかにその通りで ある。ミリアは戦士ゆえに魔法は使えない。とい うより、頭が悪すぎて使えなかったために戦 士になるしかなかったというのが真相の話だが。 「ふふっ、そこは世間の勘違いという奴だ」 それでも自信満々にゲンブは言った。ゴツイ腕を組み、軍服と長靴で彼はミリアの前に立ち ふさがる。それで口紅をしているのだから、気持 ち悪い以外の何物でもない。マトモに顔を見 ていると戻しそうになる。思わずミリアは顔をしかめて背け、汚いものを吐き出すかのように舌 を出 した。 「ダーク・エルフはハーフ・エルフの聞き間違いだ。その証拠に、発音がそっくりではないかっ」 どちらも三文字だが、普通はそうそう聞き間違えない。というより、外見を見ればはっきりと違 いが解る。少なくともミリアの顔には靴墨は塗ら れていない。 「で、あたしが何時魔法を使った?あたしは魔法が使えないから、魔法のレベルはゼロだぞ」 いい加減に馬鹿馬鹿しくなりながら、ミリアはひそかに戦闘体制を整えていた。腰の後ろ手に 回したゲンコツに力が入る。こんな変態のサムライをいつまでも相手にしてはいられない。とっ とと片付けて闇討ちしてくる相手を探さないといけないのだ。 「魔法のレベルが高い戦士。ううむ、これも聞き間違いだ。本当は、アホウのレベルが高い戦 士だ。アホウのレベルが抜群な戦士とは、すなはち貴殿の事だっ!」 ビシッと指を指してゲンブは自信満々という。剣を使いこなし、アホウのレベルが高いハーフ・ エルフ。それなら確かにミリアのことである。 「さあ、おとなしく拙者と一緒に兵隊の詰め所に行くのだ。そうすれば拙者の手元には報奨金 がガッポリだ」 「ほう、なるほど。よくわかったよ…」 ミリアは額の端に大きな怒りマークの青筋を表した。もはや爆発の寸前である。 「とりゃあ!」 次の瞬間、気合いの掛け声と共にミリアの脳味噌は一瞬にして沸騰した。握り締めたゲンコ ツでもってゲンブに襲いかかる。僅かな時間、ミリ アは音速を越える。 「死ねい!」 「げふっ!」 見事にボディーブローを食らってゲンブが崩れ落ちる。ミリアの拳は本当に岩をも砕く。 「うりゃあ!」 そして続け様にコミカメ目掛けて回し蹴りが入り、ゲンブはもんどり打って倒れた。そして見事 に石畳の上に頭をゴチンと打ち付ける。 「む…無念…」 ガクッと首を落としてゲンブは気絶した。それは、あまりにも汚い敗北であった。 「うわ〜、こいつ、銅貨すら持ってないや」 数分後、ミリアはブツブツ言いながらゲンブの服のポケットを漁っていた。サムライの装備の 一つである軍服にはやたらとポケットが多い。し かし、その中から出てくるものはトカゲの尻尾 やカエルの干物などである。 「…まさか、こいつ、こんなもの喰ってるのか?」 思わずアゴに手を置いてミリアは首をかしげた。ゲンブという男、妙にたくましい所もある。魚 類どころか、両棲類やハ虫類の薫製くらいは平気で作る男だ。一緒に長年ゴミ箱漁りをした仲 なのでその辺はよくわかる。 「まあ、いいか」 特に深く考えもせず、ミリアはカエルの薫製を自分の口の中に放りこんだ。基本的に食料に 関して選り好みはしない。ボリボリという乾物を噛み砕く音が響く。 「ん、こいつは意外とうまいね。ビールが欲しくなってくる味だよ。でも、ビールは高いんだよな ぁ」 一杯が銀貨二枚。ビールの値段はせいぜいその程度である。頭の悪いことを平然と言うと、 ミリアは鼻歌をかき鳴らしながら家路に着こうとし た。酒を飲んで適当に食後の運動もした。こ いつにとって健康的な一日とはこのことである。 「ふーう、いい月夜だ。一曲歌いたくなるねぇ」 美しい漆黒の空には銀色の三日月が輝いている。確かにすばらしい月夜である。ただ、ミリ アにはまったく似合わない月夜だが。 「耳長一匹、エルフが一匹。靴墨塗ったらダークなエルフ〜」 妙な歌をミリアは歌い始めた。一応、ちゃんとした節がついているので、まともな 歌ではある ようだ。 月夜の晩に歌う女性。それは普通では優雅な行為であり、可憐という認識を周囲に与えるも のである。しかし、ここにいるのは酔っ払ってダミ 声でガナる自堕落な女である。 「暗い性格、ダークなエルフ。闇討ち不意打ち、大好きな奴〜」 しばらくの間、気持ち良くミリアは歌い続けた。周囲が騒音で迷惑しているなど、まるでおかま いなしである。街の人たちだって文句はいいたいのだが、こいつに関わると必ず悲惨な目に遭 うので誰も近付こうとはしない。 しかし、その独演会もついに終わる時が来た。神をも恐れない発言が頭上から響いたのであ る。 「ちょっと、ヘタな音楽はいい加減によしてくれない?」 「な、なぬっ!」 驚いてミリアは歌うのを止めた。この街でこいつに対する悪口を正面きって言う奴はいない。 因縁付けられて金を巻き上げられるのが嫌だか らである。しかしその声は確かにミリアをバカ にしていたのである。 「何い?あたしに喧嘩売ってるのか?」 口の端を上げて引きつり気味に笑うとミリアは声のした方に視線を向けた。歯の隙間にカエ ルの足が引っ掛かっているのが気になるところだ が。 「さっきの馬鹿な争いは見させてもらったわ。バカなのはサムライの方かと思ったけれど、あん たも相当なバカのようね」 先程の声が月夜の空に響き渡る。それは高飛車な女の声だった。スラムの平屋を照らすよ うに煌々と照る美しい三日月。それを逆光にし て、シルエットが一軒の屋根の上に浮かび上が る。細くて華奢な体に長い耳の影が翻った。 「とう!」 一声上げて影はジャンプすると、スラムの路地の石畳の上に舞い下りてきた。ミリアの目の 前僅か十メートルの所にスタッと影が降り立つ。 いや、それはもう影ではない。ガダルの街全体を照らす月光によって、彼女は正体を暴かれ ていた。銀色の髪に、浅黒い皮膚。細く釣り上が った眼差しに長い耳は、話に聞くダークエル フにそっくりである。 「ふっふっふ、あなたがミリア・カジネットね」 うっすらと口を開けると、ミリアの目の前の女は不適に笑った。ほっそりとした体に即して、装 備は軽装である。わずかに胸を覆う小さな皮鎧 があり、その下は銀色の糸で編まれたシャツ と短いタイトスカートが付けられているだけだった。 「あたしのことを知っていて喧嘩を売るとは、いい度胸じゃないのさ」 胸を反らし、口を大きく開けてカラカラとミリアは笑う。まったく対照的な笑い方だった。そして 装備も対照的である。同じ皮鎧でも、ヒビとツギ ハギが入り、長袖が破れて半袖になったシャ ツ。ズボンも見事にツギが入っている。 「あたしに喧嘩を売るとは馬鹿な奴だね。しかもわざわざ顔に靴墨なんか塗るなんてさ。こんな 時に、闇討ちのダーク・エルフと間違えられよう なんて、本当いい度胸だよ」 頭の悪い観察力を抜群に発揮して、ハハハとミリアは高らかに笑った。目の前では肝腎のダ ークエルフはズルっと足を滑らせる。 「あ…あなた…聞きしに勝るバカね…」 期せずくらった精神的なダメージにヨロヨロしながら、ダークエルフの女は額を押さえた。 「誰がバカだ!」 ミリアはその言葉に敏感に反応した。自分の悪口にだけはよく気が付く女である。 「このあたしをバカにして、ただで帰れると思うなよ」 またもやミリアの怒りは天を突いた。マナ板を刻んでいたブロードソードをすらりと抜き放つ。 一度に殺気が二人の間にほとばしった。 「ふふん、そんなつもりは毛頭無いわ。あなたも今までの連中と同じように、あっさり片付けてあ げるわ。このダークエルフのダフィネ・デ・ゾが ね」 薄く濡れた女の唇が小さく開いて自身満面の声が夜の街に響く。 「なにっ!ダーク・エルフだって?」 今頃気付いたようにミリアは眼を丸くして驚いた。ハーフ・エルフ特有の猫目が真丸となる。 「ひょっとして、あんた、あの闇討ちのダークエルフなのかい?」 「い…今頃やっと気が付いたのっ!普通、一目見たら解るわよっ!」 噛み合わない会話のタイミングに著しいダメージを受けながらダーク・エルフのダフィネが叫 ぶ。細長く釣り上がった眼はどことなく血走ってい る。 「いや、てっきり、靴墨を顔に塗ったエルフかなとも思っていたから」 そんなエルフは普通はいない。ダーク・エルフの女は頭を抱えてしゃがみこんだ。聞きしに勝 るバカどころか、本当にバカである。 「こいつはラッキーだよ。あんたがダーク・エルフというなら、話は早いや」 ミリアは神妙な面持ちで言うと、キョロキョロと辺りを見回した。 「どうするつもり?ふふっ、助けでも呼ぶつもりかしら?」 ダフィネは嘲笑うように鼻で笑うと、腕を組んでミリアを正面から見つめた。 「いやいや。誰かに、この現場を見られると困るなと思ってさ」 ミリアは首を回して周囲を確認した。スラム街の住宅の扉は堅く締まっている。それは当然で あった。街の人は「げっ、ミリア・カジネットだ。早 くどこかに行ってくれ」とばかり、家の中で身を 潜めている最中なのである。 「どうやら、誰もいないようだね」 ふう、と安心したようにミリアは息を継いだ。そんな様子を怪訝そうにダフィネは見つめる。 「だから、どうしたというのよ」 「いや、誰かに助けを求められたら困るなって、思ってさ。でも大丈夫、誰もいないって分かっ たからねえ」 嬉しそうにミリアは大口を開けて笑った。何か考え方が別の方面に向いているようである。そ して彼女は右手で剣を構えながら、左手で指を 一本ずつ折り始めた。 「ええと…まず革鎧で金貨三枚、着ている服で金貨二枚。おっ、腰に下げているロッドも売れそ うだなあ。後は…そうだね。髪も銀色で極上だか ら、カツラ屋にも売れそうだな」 ニヤニヤと笑いながら不気味な値踏みをミリアは始めた。まるで悪徳商人か借金取りのよう に嬉しそうに指折り数えている。 「な…何のことよ…」 少しだけ不安な顔色を浮かべながら、わずかにダフィネが後ずさる。 「いや、あんたの持ち物を叩き売ったら、どれだけになるかと思ってね」 歯を立てて笑い、猫目を垂れ下げて、いけしゃあしゃあとミリアは言ってのけた。 「うっかり警備隊も呼ばれたら困るけれど、これで安心してゆっくりあんたから追剥ぎできるぞ っ」 余裕たっぷりで剣の柄で肩を叩きながらミリアはいってのけた。もう完璧に勝つ気でいる。 「あ、あなた、どういうつもりよ…」 怒りに端正な顔を震わせ、薄い唇を噛み締めて、憎悪の表情でダフィネは目の前に突っ立 つみすぼらしいハーフ・エルフを見つめた。一般的 にエルフという連中は誰しもプライドが高 い。ここまでコケにされて黙っているわけにはいかない。 「ふふん、言ったじゃないか。無料では返さないよっ。アンタの装備一式、身ぐるみ置いていっ てもらうぞっ!」 どっちが追剥ぎか解らないような発言をすると、ミリアは勢い良く目の前のダークエルフに向 かって切り掛かっていった。 空気が激しく引き裂かれる音がした。強い風圧と共に、鉄の刃が弧を描いてダフィネの胸元 に飛び込んでくる。 「きゃぁっ!」 艶かしい悲鳴を挙げるとダフィネは身をそらした。体が感じた戦士の感がそうしろと告げてい た。しかし僅かに相手の攻撃が一瞬踏み込みが 速かった。 「あっ…」 ダフィネはあわてて左手で首筋をかばう。皮鎧の胸元、胸の谷間の部分に小さく痛みが奔っ ていた。小さな筋が浮かび、浅黒い肌の上に鮮 血が滲んだ。出血は僅かで傷も浅い。しかし 精神的な衝撃は大きなものだった。 「ちぇっ、擦っただけか」 残念そうに言うと、ミリアは持っているブロードソードで円をえがくようにした。その切っ先には ダフィネの浅黒い皮膚の欠けらが小さく張りつい ている。 「な、なによ…あなた、ただの馬鹿なハーフ・エルフじゃないわね」 驚きと怯えの色を顕著に浮かべてダフィネは身構える。浅黒い端正な顔の頬に、うっすらと 冷汗が浮かんでいた。そう、ミリアはただの馬鹿な ハーフ・エルフではない。物凄く頭の悪いハ ーフ・エルフである。 「なんだよっ!二言目にはあたしをバカ呼ばわりしてさ。もう、こうなったら追剥ぎするだけじゃ 飽き足らないぞっ。ズタボロのボロゾーキンにして やるぞ」 悪口を言われてミリアは血相を変えて吠えた。こんなバカでも、本当のことを言われるのは我 慢がならないらしい。 「い、一応誉めているのよ…」 緊張で顔を強ばらせながらダフィネはミリアを凝視した。一応賛辞のつもりだった。こんなに 強いハーフ・エルフの戦士は今まで見たことがな い。 「なんだ、誉めていたのか。ならいいや」 あっさりと顔をほころばせてミリアが笑う。決して手放しで誉められてわけではないというの に。 「まさか、こんな田舎町にこれだけの実力者がいるとはね…ならば、わたくしも死に物狂いで戦 わせてもらうわ。あなたのようなハーフ・エルフが いると、ダーク・エルフ一族としても厄介だか ら」 整った顔の眉間に深いシワを浮かべると、ダフィネは腰のロッドに手をかけた。それは長さが 二十センチ程度の小さな棒だった。先端は半球 状となっていて、その半球の上側の平面部分 の中央はわずかに凹んでいる。 「出でよ、我が闇のフォース!」 ダフィネはぐっと気合いを込めてそのロッドを握り締めた。するとその半球の凹面の中央か ら、漆黒の闇が飛び出して、細身の刃を形づくる。 「ん?そいつはフォースソードじゃないの。ということは、あんたはダークエルフでもかなりの金 持ちだね」 ミリアのだらしのない顔はますます締まりがなくなった。世の中には理力剣と呼ばれる類の物 がある。使い手の魔力を消費することで、魔力 の刃を作り出すという優れ物だ。切れ味、殺傷 能力とともに実体の剣より数段上で、なおかつ重さをほとんど感じさせない優れ物である。もち ろん、売れば物凄い金になる。 「そいつは金貨百枚プラスってところだね。嬉しいなあ。天丼に海老が二匹乗っているって気分 だよ」 やけにセコイ表現で嬉しさを丸出しにすると、ミリアは勝ってもいないのに左手を高々と挙げ てガッポーズを決めた。 「ほざくなっ!」 怒りに声を震わせると、ダフィネは素早くミリアの間合いに飛び込んできた。前傾姿勢にな り、彼女は闇を駆けた。しなやかな黒豹のように体 が跳躍する。そして黒い刃がミリアの首筋 を狙う。 「おっと!」 体を横にしてミリアは黒い刃の攻撃を交わした。大して難はなかった。 「わ、わたくしの剣を交わした…?」 信じられないといった風に、ダフィネは茫然と立ちすくむ。強ばったままの表情が、動揺の大 きさを表している。 「うーん、悪くはないけれど、その程度ではあたしに勝てないぞ。あそこでブッ倒れているゲンブ の方が実力的には遥かに上だよ」 ミリアはそう言いながら、向こうの方で大の字になって伸びている中年の変態を指差した。吐 き気をもよおすほどの変態でも、サムライはサムライ。十分に強い。 「そ、そんな…」 「さあ、どうする?怪我しないうちに身ぐるみ置いていくかい?」 ヘラヘラと締まりのない顔で笑いながらミリアは目の前のダークエルフを挑発した。こんなどう しようもない奴だが、剣士としての実力は超一 流である。 「しまったわ…本当にしまったわ…汚い外見からただの馬鹿なハーフ・エルフと思ったのが大 間違いだったわ。このダフィネ・デ・ゾ一生の不覚 よ」 「ふっふっふっ、不覚かい?」 自分がバカにされたとも知らず、下品に口を大きく開けてミリアはアゴを突き出した。どう考え てもこっちの方が悪役に見える。 「でも、わたくしは戦うわ。あなたのようなハーフ・エルフを野放しにしておいては、ダーク・エル フのプライドに関わるわっ」 自分を奮い起こすように言葉を噛み締めながら、ダフィネは細い体を奮わせた。すると、彼女 の全身を包むようにして、黒い影がぼんやりと その周囲を覆い始めた。 「そんなプライドなんか持っていても一文にもならないぞ」 ミリアはうっとおしそうに左手をヒラヒラさせた。確かにこいつにはプライドがない。巻き上げた カエルの干物を平気で食べるような奴である。 「こうなったら仕方がないわ。悔しいけれど、どうやら剣だけではあなたに勝てないようね…」 ふう、と大きなため息を吐くと、ダフィネは左手の手のひらを広げるとミリアの方に向かって突 き出した。 「なんだい?降参でもしようっての?」 退屈そうにアゴに親指を当ててミリアは目の前のダークエルフを見やった。完璧に気合いは 抜けていた。相手が頑張ってシリアスになってい るのもおかまいなしである。 「闇よっ!我が力となりて集まれっ!」 その一瞬の隙をダフィネは突いた。素早く彼女は呪文の詠唱を始めていた。魔法の言葉が たちまち薄い唇から漏れる。 「おっ?」 訳も分からすミリアは眼をパチクリさせていた。こいつは戦士なので魔法のことには疎い。何 がどうなっているかはよく分からない。 ダフィネの手のひらの中央には、黒いモヤのような固まりが集まり始めていた。それをまるで 野球のボールのように握り締めると、彼女は大 きくオーバースローで左手を振り降ろす。 「ブラック・ストライク!」 気合い一閃。掛け声と共にその黒い弾丸はダフィネの手を離れると、ほとんど光速にも等し い速さでミリア目掛けてつっこんでいく。 「げっ」 油断大敵とはこのことであった。大きな隙がミリアの側に生まれていた。避ける暇もなく黒い 球はミリアのアゴに命中する。グキッと音がしてミ リアの顔が上を向いた。 「あたたた…」 痛む顎をミリアは擦る。どっちかというとストライクというよりデッドボールである。今や完全に 隙が生まれていた。その瞬間をダフィネは見逃さ ない。 「ジャストミート!」 一声叫び、まるでバットのように黒い刃を両手に構えると、ダフィネはミリアの体を横殴りに切 り払っていた。今度は間違いなく、真っ芯でミリ アの身体を捉えていた。確かな手応えがあり、 一閃した剣が弧を描いて元の位置に戻る。魔法と剣との連続攻撃。それは両者に長けたエリ ートクラスにのみ許された特殊攻撃である。 「うわぁ…」 鈍い音と共にガックリとミリアは膝をついて地面にしゃがみこんだ。首がガクリと垂れて下方 を向く。 「ダークフォース・ソード。偉大な闇の力でこの世に斬れぬものなどないわよ」 やっと勝ったという風に大きく息を継いでダフィネはしゃがみこむミリアを見下ろした。自分で は全てが終わったのだと思い込んでいた。 そかし、その一秒後、彼女は自分がとんでもない失敗をしたことに気付くのであった。 「うわぁぁ!剣が!あたしの剣がぁ!」 ダフィネが勝利を確信してから僅か一呼吸の後、大きくわめいて、しゃがみこんだミリアは立 ち上がった。 「え?」 ダフィネは驚いて細い眼を大きく見開いた。確かに剣はミリアの胴体を直撃していた。しかし 目の前のミリアには傷一つついていなかった。 その代わり、足元には一本の剣が真ん中から二等分されて転がっていた。先程までミリアが 握っていたブロードソードである。 「くそっ!なんてことするんだ。あたしの大事な剣を!」 怒りに歯を鳴らせてギロリとミリアはダークエルフの方を見た。もう、怒りは完全に頭に回って いた。 「どんなに貧乏しても、この商売道具だけは質入しなかったんだぞ!銀貨五枚もしたのに っ!」 両手を振り上げてミリアは吠える。しかしたいした金額ではない。せいぜい日替わりの定食を 喰ったら消える程度の金である。 「もう、絶対許さないぞ!」 ぐっと力を込めてミリアは両手の拳を体の前に構えた。剣が無くなった以上は素手で戦わな ければならない。戦士だから格闘でも十分に戦え る。 「なるほど…剣のおかげで命拾いしたわけね。命が助かったことを有り難く思ったらどうかし ら?」 事情を理解すると、ようやくダフィネは冷静さを取り戻してきていた。ジャストミートとした一撃 は確かにこのバケモノのハーフ・エルフを捉えて いたのだ。そして剣を折ることに成功した。も はやミリアにはこの二段攻撃を防ぐ手段はないのだ。次の攻撃で確実に仕留めればよい。 「うるさいっ!この剣の分は絶対に取り返すぞ」 聞く耳持たないという風にミリアは首を大きく左右に振った。しかし、銀貨五枚くらい、半日も 真面目に働けばあっさり手に入るのだが。 「剣が無くなったということで、自分が不利と思わないの?なんて頭の悪いハーフ・エルフかし ら」 すっかり自信を取り戻したダフィネは冷静に、しかし的確にミリアを嘲笑った。 「あなたにはもう防ぐ剣はないわ。そしてわたくしのダークフォース・ソードに斬れないものなど ない…」 ダフィネは両手で剣の柄を握ると、体の正面、上段に闇の刃を構えた。棒状に広がる闇の空 間は、月の光も吸い込んで離さない。恐るべき 闇のパワーである。 「はぁん!やれるもんならやってみな!」 無謀にも素手でミリアは啖呵をきった。こうなっても相変わらず威勢だけはいい。 「いいわよ。ならば、頭から一刀両断にカラ竹割りにしてあげるわっ!」 素早くダフィネはミリアとの間合いに詰め寄ってきた。上段に振り上げた闇の刃。それがうな りを発してミリアに襲いかかる。 「なんのっ!」 瞬間、ミリアは腰を落として屈むと、頭の天辺に両手を挙げて合唱した。パシッと何かが捕ま えられる音がする。 「えっ、そ、そんな…」 「ふふっ、魔剣気合い取りだっ!」 無茶なことに、ミリアは素手で闇の刃を掴んでいた。闇の力によって作り出される魔法の剣。 それには実体がなく、手で取ることは無理であ る。しかし、闇の刃はしっかりとミリアの両手に 挟まっていた。 「な、なぜ?実体の無い剣をなぜ…」 顔を引きつらせて驚くダフィネを無視して、ミリアはしっかりと闇の刃を掴んだ。 「ぬ…抜けない…」 艶かしい顔を引きつらせてダフィネは悶えた。どんなに力を込めても、闇の剣はミリアにしっ かりと掴まれたままである。接着剤でくっつけられ たようにピクリともしない。 「はあっ!」 身悶えして焦るダフィネとは裏腹に、ミリアは肩に力を入れて気合いを込める。すると、漆黒 の闇が、ミリアの手のひらの中にどんどんと吸い 込まれ始めていった。 「け…剣が…剣が消える…」 弱々しい声をあげて、へなへなとダフィネは崩れ落ちた。一度に全身から力が抜けていくの がわかっていた。魔法の刃を作り出すのには使用者の魔力を多量に消費する。 「そ…そんな…闇の刃を吸い込むなんて…そんな、馬鹿な…」 もはやダフィネには新しい刃を作り出す力は残されていない。かぼそい、悲鳴と もつかない 声があがる。馬鹿なというが、ミリアは本当のバカである。 「どうして…どうして実体の無い剣を掴むことができるのよっ」 ヒステリックな悲鳴があがる。ミリアはグッと親指を立ててカカカとうるさい笑い声をあげた。 「そりゃ、根性があるからさ」 「こ、根性?」 信じられないという声のダフィネ。しかしこれは現実である。実際の話、欲望丸出しで物欲に 塗れたこのハーフ・エルフの邪悪な部分は、闇の 刃を平気で吸い取るくらいに巨大だったの だ。 「ふう、なんか妙に腹が減った気分だな」 刃がなくなって元のロッドに戻った魔法剣を片手にしてミリアはヘソの辺りを押さえた。丁度い い具合に腹がこなれてきた。 「もうちょっと運動すれば、適当な具合に腹も減るかな」 おかしなことを言ってミリアは両手を組んでボキボキと鳴らした。そして視線がジトッと、座り 込んで抵抗もできなくなっているダフィネの方を向 いた。 「さあ、身ぐるみ剥がせてもらうぞっ!」 一声あげるとミリアは極悪にも、無抵抗なダフィネ目掛けて掴み掛かる。 「いやぁぁぁぁ!助けてぇぇぇ!」 ダフィネは助けを呼ぶが、もちろん誰も助けてはくれない。周囲の家々の連中は、ただ息を 殺して身を潜めるだけである。「邪悪よっ!ダー ク・エルフからお金を巻き上げるなんて、なん て邪悪なっ!」 「うるさいっ、とっととその高そうな革アーマーを脱げっ!脱がないならあたしが脱がしてやる っ!」 「止めて止めて!誰か助けてぇ!」 「わははは、ねーちゃん、えー肉体しとるなぁ」 どこかのエロオヤジのような発言をすると、ミリアは両手をあげてダフィネに掴み掛かった。 「いやぁぁっ!」 その日、ダーク・エルフの虚しい悲鳴がガダルの町の夜空に響き渡った。そして、非人道的 なハーフ・エルフであるミリア・カジネットは、高ら かに笑いながらこの女を身ぐるみ剥がしてい くのであった。 「姐さん、闇討ちのダーク・エルフを倒したって本当っすか?」 数日後、ミリアの下宿を訪れる 男がいた。三日月のように細長く貧相な顔のシー フ。言わずとしれたランヌである。 「ああ、あの弱っちい奴か。まあ、適当に儲かったぞ」 生返事で答えながら、ミリアの顔は目の前の特大カツドンに向いていた。さきほど出前で取り 寄せた特大のカツドンは、お盆のようなドンブリ に乗っかっている。一食が金貨一枚もする、カ ダルの町でも名物のカツドンである。 「あれ、どうしたんです、カツドンなんて?」 意外な顔をしてランヌはテーブルを覗き込んだ。顔には「少しくれませんか?」と書いてある。 いかにも物欲しそうに彼はミリアの方にチラチラ と視線を送る。 そんなランヌをまるで無視して、山盛りのカツドンを平らげると、優雅にも湯呑みのお茶を両 手で持って口に運んだ。数日前のマナイタスープ とはえらい違いの食生活である。「ああ、闇 討ちのダーク・エルフが金目のものを持っていてね」 ふうと一息をついて湯呑みから顔を離すと、ミリアはアゴで机の上を無造作に指した。そこに は銀のイヤリングや魔法の指輪が宝の持ち腐れ ばかりに転がっている。 「げっ…姐さん、それ、戦利品っすか」 呆れたという風にランヌは目を丸くした。しかしいつものことである。金を巻き上げる理由さえ あれば、たとえ不死身の魔神でも相手にしては ばからない奴である。 「そうそう。かなり金持ちのダークエルフでさ。随分品物が手に入ったよ」 釣り上がった細い眼をますます細くして、ミリアは大口をあけてカラカラと笑った。鬼畜以外の なにものでもない。 「それで、ダークエルフはどうしたんすか?」 ランヌは思い出したように言うと、貧相な顔乗り出した。ほとんど貧乏神みたいな貧相っぷり である。 「あれ?会いたいかい?じゃあ、会わしてやるよ。おーい、ダフィネ!とっとと来いっ!」 ミリアは部屋の入り口から廊下に乗り出すと、廊下の奥でなにやらゴソゴソやっている人影向 かって怒鳴り付けた。 「は、はいっ!」 泣きだしそうな声があがると、ボロボロのローブを着せられた、気の毒なダーク・エルフがや ってきた。言うまでもなく、ダフィネである。 「あ、姐さん…これはいったい…」 ランヌは酸欠の金魚のように口をパクパクさせた。目の焦点は既に合っていない。 「ああ、こいつね。あたしの剣を壊した罰として、あたしが召使いにしているのさ」 まったく悪怯れずにミリアは言い放った。骨の髄まで極道な奴である。 「ううっ、もう許して…」 ダークエルフの可憐な瞳から美しい涙がハラハラとこぼれた。 「うるさいっ!銀貨五枚分はしっかりと働いてもらうぞっ」 「ぎ、銀貨五枚分なんて、とっくに働いたはずなのに…」 「ええい、あたしの計算ではあんたの日給は銅貨一枚だ」 恐ろしく極悪非道な賃金計算でミリアはこのダークエルフをこき使っていた。日給銅貨一枚な んて詐欺同然である。その計算では五十日働か ないと銀貨五枚が返済できない。 「ひ、ひどいわ。あなたはそれでも人間なのっ」 泣きながら地面にうずくまるダフィネ。もはや今までの高慢ちきな態度はどこ吹く風である。 「残念だが、あたしゃ、ハーフ・エルフだ」 だからといって極悪非道になっていいというわけではないが。 「あ、姐さん…このダークエルフはまずいっすよ…」 ようやくランヌは正気を取り戻した。いつもの貧相な顔は真っ青に青ざめていた。長い顎の先 はもうほとんど真っ白である。 「はあ?なんだ、あんた。ダークエルフなんか喰ったことでもあるのかい?いくらあたしでもそれ はちょっとねぇ」 何か、おもいきり勘違いしてミリアは怪訝な顔でランヌの方へ身を乗り出した。いくら悪食でも ダーク・エルフの肉は食べない。 「違うっすよ!姐さん。今日の情報板を見てください」 ランヌはゴソゴソと懐から一枚の紙を取り出した。汚い半紙に何やら文字が印刷してある。盗 賊ギルドが週に一回発行している情報紙で宅配 サービスもある一種の新聞である。 「なになに…ええと、『ダーク・エルフの王女が行方不明!次期王位継承者の失踪に部族間戦 争が勃発!』かぁ…ん?」 何か引っ掛かるものを感じてミリアは新聞を広げたままダフィネの方を向いた。そして新聞の 記事と目の前の奴隷との顔を何度も見比べた。 新聞には高慢チキでタカビーそうななダーク・ エルフの肖像画が併せて掲載してある。 「あれ、ダフィネ。ここ見なよ。このダークエルフ、あんたにそっくりじゃないの」 ミリアはニコニコ笑いながらあまりにも頭の悪い言葉を発した。その場に居る全員がズルッと 足を滑らせる。 「あ…あの…それはわたくし…」 「もうバカ言ってんじゃないよ。あんたみたいな弱っちいダーク・エルフが王女なんてわけないじ ゃないのっ、ハハハ」 あまりにも一方的に決め付けてミリアは再度新聞の記事に目を落とした。言っておくが、別に ダフィネは弱いわけではない。あまりにもミリアが強すぎるだけである。 「一応新聞の人相書きには似ているみたいだけれどさ」 なかなか出来の良い肖像画が記事と一緒に掲載してある。薄く目を閉じて胸元に細い指を置 いたダークエルフの絵だ。 「しかし、似ているなぁ」 周囲が再度ズッこけるのを尻目に、ミリアは何度も肖像画とダフィネの顔を見比べた。 「おい、ランヌ。一つ聞くけどさ、この王女とやらを見付けたら、報酬とは出るのかい?」 妙に目をキラリと光らせてミリアは横目でランヌを見た。こういう時のミリアはたいていロクな ことを考えていない。 「そりゃぁ、ガッポリでしょう。でも、そんなことは危険すぎますよ」 「よしっ、決めたぞ」 意を決してミリアは椅子から立ち上がった。そして、半泣きになって床に座り込んでいるダフィ ネの手を掴んで引き起こす。 「こいつでダーク・エルフ達を騙して報奨金を受け取ろう」 騙すもなにも、これは本物の王女である。 「あ、姐さん、そんなことをしたら、ただでは済みませんよ…」 恐れ、慄いてランヌは震えた。当然である。ダーク・エルフは邪悪で好戦的で、剣も魔法も使 いこなす。そんな相手を敵に回すなど、到底考え られない。 「ただでは済まない?当たり前じゃないか。金貨五百枚はもらわないとね。さあ、こいっ!」 「嫌ぁ…助けてぇ!」 ズルズルとダフィネを引きずりながら、ミリアは部屋を出る。ジタバタとオモチャを欲しがる子 供のようにダフィネは抵抗するが、所詮は怪力ミ リアにはかなわない。 平然としてダフィネを連れ去っていく極悪非道な女。それを見送って、一人残されたランヌは 一つ大きくうなずくと、ポツリと口を開いた。 「なるほど。ダークなレベルでいえば、姐さんの方が、遥かに上だったわけか」 (おしまい!) |