助けて!おネェ様

「くそっ、骨の筋までダシが取られてる。ちょっとは残してくれればいいのにケチな店だな」
 頭の悪いことを言いながら、ミリアはレストランの後ろのゴミバケツを力任せに蹴っ飛ばした。
煉瓦で造られた四角いゴミ溜めにピシリとヒビが入る。恐ろしいパワーだ。
「まったく、ちょっとは肉も残してくれないと、こっちは日乾しになっちゃうよ」
 ブツブツ言いながら特徴的な猫目を眉間に寄せて、不機嫌そうにミリアは口に啣えた出し殻
の骨をガリガリと噛った。本当なら多少は肉の味がするはずなのだが、スープのダシ取りに使
われたその骨はまるでまともな味がしない。
「まずっ」
 ペッと音を立ててミリアは骨を吐き捨てた。ハーフエルフ特有の中途半端に尖った耳がショボ
ンと垂れ下った。この耳は気分の変化でコミカルな動きを見せる。
 ミリア・カジネットはハーフエルフの剣士である。森の妖精エルフと人間の間に生まれるハー
フエルフは、その数は極度に少ないながらも、人間とエルフの特徴をいい意味で受け継いでい
た。人間の万能な部分に、エルフの長寿と知性が加わったのがハーフ・エルフである。
 しかし、このミリアの場合、知性も万能さも存在しなかった。存在したのは戦士だった父親か
ら受け継いだバカみたいな怪力と、頭の悪さと自堕落な生活態度である。
 パワーだけが取り柄のこのバカは、やっぱり戦士しかやることがなかった。しかし、そんな仕
事、戦争でも起こらないかぎり、そうそう就職口があるわけもない。そのくせ酒好きときている
から、毎度貧乏して悲惨な目を見ることになる。
 今朝も朝から食堂の裏のゴミ捨て場になにか無いか探していた。かなり、生活はいかんとも
しがたい状況になってきている。ただし、家賃は平気で数年分をツケにしているので住む所に
は問題ない。問題は食料である。
 さっきもスペアリブと思ってゴミ箱から拾った骨は、ただのダシガラであった。文字通り、骨の
髄まで貧乏な奴である。
「あ、い、痛いわ…痛い…」
 ふと、ミリアがさっき骨を吐き捨てた方から女の声がした。どこか、涙声に近いような女のわ
ななき声が耳を刺す。
「あれ?ゴメン、ひょっとして骨が当たったかな?」
 恐ろしくいい加減な詫びを入れて、ミリアは骨を投げ捨てた路地裏を覗き込んだ。赤い煉瓦
作りの建物の間に挟まるようにして、一人のフードを被った女が頭を押さえてしゃがみこんでい
る。額まですっぽりとフードを被っていたが、その耳の部分は破れて、中途半端に長い耳が露
出していた。
「ん?ハーフエルフ?」
 ミリアは不審げにしゃがみこむ女をジロジジロと見つめた。この世界、エルフの数はかなり少
ない。もともと繁殖力の低い種族だからだ。そのエルフを母体としているハーフエルフは更に繁
殖率が悪い。異種族婚姻がまず無い世界なので、こんな連中は滅多にいないのである。
「そうなんです…わたしはHなエルフ…あれ…?あなたもハーフエルフなんですか?」
 フードを後頭部にサッと回して、女はしゃがんだままの体勢でミリアを見上げた。肩の所で切
りそろえた、おかっぱの様な髪型に、少し怯えたところのあるような目が特徴的である。
「あっ!」
 ミリアの顔を見ると、女はいきなりダッシュして、ミリアの胴体を抱き抱えた。いわゆるベアハ
ッグの体勢である。彼女はガッシリと両手をミリアの腰に回してウエストの部分に顔を擦り付け
た。
「な、なにするんだよ?」
 呆気に取られてミリアは呆然と立ち尽くした。いきなり女に抱きつかれる経験なんかあったた
めしがない。
「こ…この…凹凸の少ないボディーラインは…」
 妙に艶かしい、感心したのかバカにしたのか解らない声が女の口から漏れる。
「あぁ?なんだと?」
 悪口を言われて怒るより先にミリアは毒気を抜かれた。呆然を通り越して表情は唖然となっ
た。まあ、当然であろう。いきなり見知らぬ女が抱きついてきたら、さすがにこんなバカな奴でも
十分びっくりする。
「しかもこの貧乏たらしい皮鎧…さてはミリア姉様ねっ…」
 正面から腰をガッチリと掴む、傍から見たらかなり誤解されそうなポーズで、おかっぱのハー
フエルフは僅かに涙を浮かべた。潤んだ目から小さな雫が滴り落ちる。
「は?あんた、誰?」
 まるきり思い出せないという顔をしてミリアは首を捻った。ズルっとベアハッグをしていた女が
そのままの体勢で崩れ落ちる。
「酷いです、姉様。妹をお忘れですか?」
 必死に体勢を建てなおすと、両目に一杯涙を浮かべておかっぱハーフエルフはミリアをもう
一度見つめた。
「いや、忘れた。あんたなんか知らん」
 本当に記憶していない口調でミリアは否定した。かなり真顔である。再度脱力して、ズルズル
とおかっぱハーフエルフは崩れていく。
 まあ、これは仕方がないのかもしれない。ミリア・カジネット。若くは見えるが年令は百五十歳
を越えている。しかもその兄弟は二十人を越えている。ただでさえバカなのに、そんな沢山の
兄弟を長い間記憶できているわけがない。
「この姿を見て、思い出しせませんかっ」
 少しヒステリック気味に言い放つと、おかっぱハーフエルフはミリアの正面にスクッと立った。
まだ暑さの残る初秋なのに、全身をすっぽりと覆う茶色のローブに身を包んでいる。その右手
には両手持ちのスタッフが握られていた。指に填まった銀色のリングが美しくきらめいている。
「ん?ああ、わかったわかった。すぐ下の妹で、雑貨屋をやっているリオーネだね」
「ち…違うの…」
 瞬間、おかっぱエルフは引力地場に飛込み、見事に地面に突っ伏した。全身ローブに魔法
の杖と指輪。どこから見ても魔法使いである。これをどう見たら雑貨屋に見えるのか。
「んん、違ったか?なら、二番目の妹で、踊り子になったセイネだなっ!」
 かなり自信満々にミリアは主張した。どう見たらこのスタイルが踊り子に見えるか教えてもら
いたいところである。
「違うのっ!わたしは三番目の妹のミレーユですっ!」
「ちっ、後一歩で正解だったのにな」
 舌打ちしてミリアは指をパチンと鳴らした。名前を兄弟の上から順番に言っていくのが正解の
わけではない。確かにいつかは突き当たるが。
「そ、それはそうと」
 なんとかこの場を正常に戻そうと、必死でミレーユが会話を取り繕う。
「姉様、お願いがあるのですけど…」
「ああ、金ならないよ。じゃあね」
 その時間僅か0,1秒。あっという間にそのような返答を返して会話を終了させると、まるで誰
にも会わなかったように、ミリアは踵を返してスタスタと歩き始めた。
「まっ、待って!」
「嫌。これから行くところがあるんだ」
 そろそろ市場が終わる夕暮である。案外、腐った野菜が残っているかもしれない。そうすれ
ば野菜クズのスープくらいは作れる。こんな馬鹿な奴でも料理はそれなりに出来る。今夜の夕
食は野菜の塩水スープである。そっちの方が、こんな妹よりはるかに大事である。
「そんな…姉様が待ってくれないなんて。なら、話だけでも聞いてください…」
「いや、聞かない」
「そんな、わたしの顔を見て…」
「いや、見ない」
 まるで相手にしない素振りをしてミリアは歩き続けた。どこか嫌な予感がして背中に悪寒が走
っていた。だいたい、身内がわざわざ訪ねてきた時はたいていロクなことがない。借金でないな
らきっと無理難題である。
「わぁぁ!姉様が話を聞いてくれなぃ!うわぁぁん」
 あくまでも無視しつづけるミリアの背後で、いきなりミレーユは泣き始めた。小さな子供が泣き
じゃくるように、顔を上にやると地面に座り込んで、口を大きく開けてわめくように泣き散らす。
「うわぁぁ!姉様の意地悪!うわぁぁ!」
 年はいったいいくつかと思えるほどの泣きじゃくり方でミレーユはわめき散らした。道行く人は
みな眉をひそめて口々に囁く。
「ちょいと、あの女の子、可哀相にミリアに泣かされているよ」
「残念だが相手が悪い。奴は泣く子から銭を取り上げるミリアだ」
「きっとまた飴玉か小銭を取り上げられたんだろうな」
 かなりスケールの低い陰口がアチコチから聞こえだした。まあ、これは仕方がない。ミリアと
いう奴、この街ではその程度の評判である。
「わっ、止め!泣くなっ、ミレーユ!」
 突発的に起こった予想外の出来事に泡を喰ってミリアは取って返した。たいていの出来事で
は驚かない図々しい神経の持ち主だが、湿っぽいのは嫌いな女である。
「ひっく…グスン…じゃあ、言うこと聞いてくれます?」
 女が男に欲しいものをねだるような小悪魔チックな顔で、ミレーユは慌てふためく姉を見上げ
た。
「くっ…」
 口をヘの字に曲げて、ミリアは渋い表情になった。仕方がない。こうなったら完全に敗北であ
る。
「しょうがないな、分かったよ。とりあえず、ねーちゃんに話してみな」
 諦め切った顔で唇を突出しながら渋々ミリアは承知した。
「えっ、本当!」
 たちまち、パッとミレーユの表情が明るくなる。まるで計算していたような変わり身の速さで笑
顔が戻ってくる。
「しかし、ミレーユ。このあたしに話を聞いてもらうには高くつくよ」
 無料では済まないという風にミリアは皮鎧の懐をまさぐった。もっともその下にあるのは、貧
相ではないが凹凸の少ない肉体があるだけである。
「とりあえず、ヤキソバ定食大盛りは、おごってもらわないとね。普通盛りなんてケチくさいこと
は言わせないぞっ」
 さも、それが高い報酬であるように、ミリアは傍の食堂を指差した。定食一食銀貨五枚。大盛
りで銀貨六枚。少しまじめに働けば山ほど食べられる金額である。
「姉様…そ、それは…」
 嬉しさを体で表して姉に飛び付こうとしていたミレーユは三度、ズルズルと崩れる。こうして、
馬鹿な姉妹は久しぶりの再会を遂げたのである。
             *
「姉様に、わたしのおネェさまを救って欲しいんです」
「なんだ、そりゃ?なんか訳わかんないね」
 大盛りヤキソバを口に運ぶ手を止めてミリアは怪訝そうにこの妹を見た。場所はあっさりと酒
場に移動していた。意地汚いミリアが注文したのはヤキソバ大盛り。しめて銀貨は四枚であ
る。
「実は、わたしにはとても大切に思っているおネェさまが居るんです」
 かなり真面目な顔で、堂々とミレーユは言い放った。
「大切に思っているなら、ねーちゃんの生活もなんとかしてくれ」
 二十人兄弟の一番上。それがバカのミリアである。両親は初っ端から酷い外れくじを引いた
ようなものだ。
「違います、ミリア姉様なんかじゃありません。あとの二人でもないですけれど」
「あいつらでもないってのも当然だろうけれどさ」
 少し嫌な顔をしながらミリアは再度ヤキソバをがっついた。この連中の姉妹はまた大概な奴
である。一番目は見た通りのバカだが、二番目のリオーネは雑貨屋をやっている。こいつは頭
はいいが、行動はハエが止まるほどにトロい。三番目のセイネは踊り子。美少年好きで、いつ
も世界をフラフラと放浪している。そんな、どこか間違った連中ばかりだ。
「こんな、中途半端なハーフエルフのわたしを、おネェさまはとても大事にしてくれるんです」
 仏頂面の実姉を放っておいて、ミレーユはうっとりとした顔で話しはじめた。どこか遠い世界
のお花畑でも見つめているように、その眼はキラキラと輝いている。
「わたしたちは一緒に冒険を続けてきました。腕のいいシーフのおネェさまのおかげで、わたし
は幸せだったんです。ところが…」
 突然、ミレーユは顔をわっ、とばかりに伏せて、またもや泣きだしはじめた。
「そのおネェさまが、この町の悪い魔法使いにさらわれてしまったんです…うわぁぁぁん…おネ
ェさま…いまごろいったいどうしていらっしゃるのかしら…」
 テーブルに突っ伏してさめざめとミレーユは泣く。それは本当に号泣というのにふさわしかっ
た。目の前に置かれたミリアのヤキソバの皿が涙でビシャビシャになるのもおかまいなしであ
る。
「うわ、やめろっ。ヤキソバが冷やし中華になる」
 慌ててミリアは皿を持ち上げて避難させた。しかし、いくら涙に濡れてもヤキソバは冷やし中
華にはならない。こんな時までバカである。
「ううう…わたしの大切なおネェさま…きっといまごろはガダル市港町三丁目1−2の建物の中
で、悪い魔法使いに…うっうっ…」
 先程どこで、どうして、と言った割にはやけに具体的な番地名を挙げてリオーネは泣いた。泣
きながらも指は窓の向かいにある裏路地を指差している。
「ううっ…あの細い小路を奥まで進んで、つきあたりを左に曲がって三件目の建物に掴まって
いるおネェさま…うっうっ…」 しかもご丁寧に道順まで付属した号泣である。これはなかなか用
意周到というべきだ。間違いなく計画的泣き落としである。
「おいおい、止めろってば。あたしはそういう湿っぽいのは嫌いなんだ」
 飛んでくる涙からヤキソバを守りながら、ミリアはなんとかミレーユを黙らせようとした。もとも
とが能天気でバカなので、深刻な話や湿っぽい雰囲気は苦手である。それに今は焼きそばが
大事である。
「なら、おネェさまを助けてくれます?」
 急にパッと顔を明るくしてミレーユは顔をあげた。待ってましたといわんばかりの変わり身ぶ
りだ。
「むう、仕方ないな。こんな馬鹿でもあたしの妹だもんな。あーあ、ヤキソバがすっかり塩味にな
ってら。海味シーフードって奴だね、こりゃ」
 涙味のヤキソバをがっつきながら、訳のわからない回答を返す。しかし、一応依頼は了承さ
れたらしい。
「本当!嬉しい、姉様!」
 ヤキソバを必死ですきっ腹に掻き込むミリアにミレーユが飛び付く。たいして良くないスタイル
を覆う革の胸当てに、ミレーユは顔をスリスリと寄せた。
「な、何してんの?」
「ああ…皮鎧に触ると、おねえさまの感触を思い出すわ…待っていて、おネェさま。わたしがき
っと…おネェさまを助け出しますから…ああっ…こうして革に触っていると…いやん…」
 ミリアの胸当ての部分に顔を摺り寄せてミレーユは身悶えた。何かアヤシイ妄想にでも浸っ
ているらしい。時折「あはん、うふん」という変な声が漏れてくる。
「おネェさま…きっと助けだしますから待っていてください…あーん…」
 悩ましそうに体を捩らせながらミレーユは姉のたいしたことないバストにしがみついていた。
「おーい、誰かあたしを助けてくれ〜」
 茫然と、不気味な発作のように悶える妹を眼下にしながら、ミリアはそう言って情けない声を
挙げるしかなかった。もちろん、いつもの人徳の無さ故に周囲の人間はそれを遠巻きにして見
守るしかしてくれなかった。
             *
 ガダルの町に夕暮が訪れる。日が沈み、やがて暗やみの夜が来る。しかし、人口五千を数
えるこの町は、夜でも町に明かりが燈り、様々な人々でごった返す。
 ガダル市はいわゆる港町である。このファウド大陸随一とされる大きな港で、他の大陸との
航路も盛んである。
 この街の裏路地は、そのような仕事の水夫たちが女を買う、いわゆる遊廓街であった。そん
な建物に交じって、目指す建物がある。
 酒場の横の細い小路を奥まで進んで、つきあたりを左に曲がって三件目の建物。ガダル市
港町三丁目1−2の番地。そこに目的の建物はあった。
 その前の通りをふらりと歩く女二人。一人は革鎧と巨大な剣を装備した軽戦士。もう一人は
肩から足先までローブを羽織った魔術師。言うまでもなくミリアとミレーユの姉妹である。
「姉様、ここがその、悪い魔術師の住んでいる建物です」
 煉瓦作りのその建物をミレーユは指差した。オーソドックスな三階建ての宿屋風の建造物
だ。ただ、普通の宿屋なんかじゃないことは、大きな看板が入り口の所にかかげられ、その縁
の部分に、魔法で灯されたピンクと紫の明かりが交互に点滅していることからわかる。ライトの
魔法の応用技術だ。
 そして、その看板にはしっかりとこう書かれてあった。
 【SMクラブ】と。
「おい、本当にこんなところにおネェさまとやらが掴まっているのかい?」
 眉を寄せて猫目を四角くしてミリアは不審そうに横の妹を見る。右手は剣の握りを掴んでい
た。相手が魔術師なら剣でなんとでもなるが、何かちょっと守備範囲が違っていそうな雰囲気
だ。
「そうなんです。ここにわたしのクレアおネェさまが捕われて…」
「なんか、魔術師がいるような場所じゃないんだけれどさ」
 ミリアは嫌な顔で看板を指差した。ペンキで書かれたSとMの文字。これのどこに魔術師と関
係があるのか。
「なにを言うんです、姉様。しっかり、魔術師に関係ありますってば」
「で…でも…なんかSMクラブって書いてあるぞ」
「あれはソーラサー・マジッククラブの略です」
 魔法使い。ソーサラーとも呼ばれ、マジックを使いこなす連中だ。
 ソーサラーはS。
 マジックはM。
 しかし、それがどうした。
「ああ、なるほど!」
 ポン、とミリアは納得して手を叩いた。本当の馬鹿とはこのことである。
「この建物の三階奥の301号、通称百合の間にクレアおネェさまは掴まっているんです」
 やけに詳しい監禁場所をミレーユは言った。そして上を向いて、一番左の、明かりが煌々と
燈っている窓を指差す。
「あの部屋なんです」
「やけに詳しいね」
「わたしはここの常連…いえ…下調べをきちんとしたんです」 何やらわけの解らない不安なセ
リフを言いながらミレーユは鉄格子のついたその窓を示す。
「よーし、わかった。たかが魔術師程度なんかひとひねりにしてやる。この通り、剣も返ってきた
しね」
 ミリアはオンボロのグレートソードをいとおしそうに撫でた。さっきまで質屋に入っていた剣が
戻ってきた。全てはミレーユのサイフのおかげである。自分ではとうてい質屋から出せなから
だ。
「でも姉様、ここの連中はなかなか手強いんですよ」
 勢いに任せ、今にも突っ込んで行きそうなミリアを慌ててミレーユが押し止める。
「なーに、相手が魔術師なら、魔法を使わせなけりゃいいのさ」
「いいえ、ここの魔術師は全員ムチを使いこなします。しかも、特殊プレイ…いえ…警護のため
に、触手の付いたモンスターも飼っているんですよ」
「な、なんだ、そりゃ!」
「だから、危険なんです」
 真面目な顔でミレーユは唇を咬んだ。ミリアはすっかり当てが外れて口をぽかんと開けてい
る。
 しばらく経つと、ミリアはやっと、自分がとても面倒な仕事を引き受けたことに気が付いた。
「だぁ!ミレーユ、なんて面倒なことをねーちゃんに頼んだんだぁ!」
 いまさらのようにわめきたてるミリア。しかし、もうここまで来たら引き返すことは無理である。
なにしろ依頼料代わりのヤキソバ五人分をしっかりと腹に納めた後である。これを原型で返却
するのはかなり無理である。
「だって…こんなこと、姉様にしか頼めそうになかったんです。ううう…」
 たしかにこんなこと、ミリア以外にはあんまり頼めないだろう。普通の人間なら本当に怒り、呆
れて帰る可能性が大である。
「ううっ…わたしのおネェさま…」
 うつむいてやや涙目になりながら、ジト目でミレーユは姉を見つめた。もう、一押しされれば泣
き出しそうである。
「うわっ!泣くな泣くな。あたしはそういう湿っぽいのは嫌だっ」
 今にも慟哭しそうな雰囲気のミレーユを慌ててミリアは押し止めた。真面目、悩み、お通夜と
いう暗さが大嫌いな女である。特に、泣いてウジウジしている奴は最悪に嫌いである。
「くっ…ええい!相手はたかが触手のバケモンだっ。ミレーユ、あたしの実力を見ていな」
 歯を食いしばりながらミリアは自身の親指を立てた拳を突き出した。自信満々が二割。残り
はほとんどヤケクソである。
「なにがSMクラブだ。サドとマゾのクラブみたいな看板を出しやがって」
 忌ま忌ましそうに言って、ミリアは目の前の建物を睨み据えた。どっちかというと、この建物は
本当にその通りであるはずだが。
「よし、ミレーユ。その、おネェさまとらやの特徴を教えなよ。聞いておかないと、あたしはその
おネェさまとやらまで真っ二つにするかもしれないぞ」
 一度ミリアが戦闘モードに入るとそれは強い。強いが実に見境がない。正気な内に相手の特
徴は聞いておかなければならない。
「おネェさまは耳が長くて、革の鎧を着けているんです。ちょっと眼は吊り眼です」
「誰があたしの特徴を言えって言った!」
 耳が長いハーフエルフで革鎧を着込んだ戦士はミリアのことである。耳とは違って気短なミリ
アはポカリと妹の頭を殴り飛ばした。たちまち、ジワリとミレーユの眼に涙が浮かぶ。
「うう…酷い…別に殴らなくてもいいのに…うわぁ…ミリア姉様が殴った…うわぁぁぁ…」
 またもや泣きだすミレーユ。いい加減にミリアは嫌になり始めた。もう、考えるのは面倒臭か
った。
「ええい、この魔術師クラブめ!こうなったら全部ブッ壊してやるっ!」
 威勢もよく、ミリアは剣を構えると目の前の煉瓦造りの建物の入り口へ向かって突撃した。後
から涙をハンカチで拭きながらミレーユも従う。すさまじい土煙と共に、怒りでパワーの有り余
った人間機関車が突撃していった。
 その様子を見ていた通行人たちは一様にこう囁いていた。
「いくらあそこがSMクラブでも、あんなモノまでは雇われないだろうになぁ」
             *
「うぉりゃあ!どいたどいた!」
 疾駆、疾風、突撃、破壊。ミリアは目の前につぎつぎと立ちふさがる相手を撃破していった。
それはもう、ヤケクソも手伝った怒涛のごとき突撃である。
 この快進撃を止めようと、つぎつぎと相手がミリアの前に立ちふさがる。そのほとんどが身体
にピッチリとした黒いゴムスーツを着た女達であった。しかもなぜか皆が一様にムチを装備し
ている。
「あら、可愛い子猫ちゃんね。このムチでいじめてあげるわ」 何人もの黒ラバースーツの女が
そう言ってミリアの前に現われてくる。
「どけ!」
「きゃあ」
 しかし、誰しもが次の瞬間には、見事にこの怪力剣士のショルダータックルの餌食となってハ
ネ飛ばされていた。
「おい、ミレーユ。ここの魔術師はなんか皆、昔の悪い女魔術師みたいな格好だねえ」
 ドスドスと地響きを立てて廊下を駆け抜け、何人もの立ちふさがる相手をフッ飛ばしたミリア
は訝しそうに背後のミレーユ向かって話し掛ける。たしかにそんな感じだった。なぜか、一昔前
の悪の女魔術師といえば、お色気たっぷりの黒い水着風スーツである。
「それがここの制服ですの」
「制服?なかなかヘンテコな魔術師クラブだな。つくづく主催者のセンスを疑うよ。そりゃあ!」
 相変わらずこの建物の存在を勘違いして納得しているミリアは目の前に登場した新手を突っ
張りの掌で一撃のもとに倒していた。本職は剣士のはずだが、ここまで剣の一振りも使ってい
ない。
「あっ、あそこの部屋です。あそこにクレアおねえさまが掴まって…」
 ミレーユが息を切らせながら指を前に出す。階段を登って、三階の廊下の一番奥。そこには
【VIP専用・百合の間】というプレートが下がっていた。
「でも、あそこにはバケモノが…」
「な、なぬ?」
 すっとんきょうな叫び声を挙げた姉妹の姉の目には、その部屋の真前に立ちふさがる一匹
のバケモノが飛び込んできた。
 そう、それは本当にモンスターというのに相応しかった。一応、上半身は美しい女の姿であ
る。真っ赤な髪の毛をストレートで左右に分け、ランランと燃える瞳をした女だった。胸には黒
い革製の胸当てを着ている。
 しかし、その下半身は触手で覆われていた。腰から下は植物の根が広がるように長い触手
がうじゃうじゃと広がっていた。これは、いわゆる、スキュラと呼ばれる魔獣である。
「くっ…な、なんだ、カジネット家の小娘。約束が違うぞ。これはいったい、どういうことだ…」
 右手に魔法使い用の小さなロッドを持って、その怪物は人間の言葉でしゃべりかけた。吐息
からは妙に生臭い匂いが漂ってくる。水棲の藻が放つ腐臭混じりの臭いだ。
「なに?ミレーユ、あれがあんたのおネェさまか?ずいぶん変わった奴とあんたは付き合って
いるんだね。悪いけれど、あんまり趣味がいいとは思えないな」
 スキュラの前で足を止めて、真顔でミリアは妹の方を向いた。確かにこの怪物は革の胸当て
をつけていた。しかし、何かが違う。ズルッと音を立ててスキュラとミレーユはコケた。
「だ、誰がそんな小娘なんか相手にするか!私はここの経営者を務めるスキュラのラマーヤ
だ。そこの貧乏くさい女、なにが理由でこのカジネットの小娘に荷担する?」
 女性というにはかなり荒々しい口調でスキュラは語りかけた。この種族は基本的にこのような
形を取る魔獣で男女の性別はない。
「は?なんだ、ミレーユ。こいつはあんたのおネェさまとやらじゃないのか?」
 今だによく解っていないミリアは首を傾げてミレーユの顔を見つめた。
「と、当然ですっ!」
 慌ててミレーユは首を横に振る。だいたい、相手が名乗った名前からしてすでに違う。
「わたしのクレアおネェさまは、あの扉の向うに掴まっているんです」
 金切り声を挙げてミレーユはスキュラの背後のドアを指差した。
「ふっふっふ、残念だが、お前の愛しいクレアの拘束時間はあと四十八時間ある。それが済ま
ないうちは解放はできないね」 ラマーヤと名乗ったスキュラはペロリと蛇のような舌なめずりを
した。爬虫類のように目付きが恐怖感を漂わせる。ミレーユは慌ててミリアの背後に隠れた。
「ミリア姉様、あのバケモノをやっつけてください!」
 姉の後に隠れて、その凹凸の少ない腰にしがみつきながらミレーユはスキュラをピシッと指
差した。
「むむっ、ネェ様だと?むう、僅か二日ですでに新しい主人を見つけるとは、マゾ奴隷の身分で
僭越なっ!」
 スキュラはギリギリと歯を慣らしてミレーユを睨み付けた。もう、ミリアは口をあんぐりと開けて
この両者のやりとりを見守っていた。単純馬鹿な頭では、いったいこれが何なのか、さっぱり解
らなくなってしまっている。いや、かといって普通の頭脳でも理解できるか不明だが。
「あー、ミレーユ。あたしはよくわからんが、要するに、このスキュラをブッ飛ばせばいいんだよ
ね?」
 半分口をぽかんと開けて、やる気の無い声でミリアはスキュラとミレーユを交互に見なおし
た。
「そ、そうです」
「じゃあ、とっととやるか。ミレーユ、あんたは下がっていなよ」
 実に気怠そうに一つ大きくあくびをすると、ミリアは腰の剣を地面に投げ捨てた。この狭い廊
下では、巨大なグレートソードは使えない。
「おい、あたしははっきり言って、面倒臭い。とっととそのドアの中のおネェさまとやらを開放し
た方があんたのためだぞ」 眉間を寄せた仏頂面で、ミリアはスキュラの前に立ちふさがった。
実にすごい迫力である。一瞬、スキュラの顔が恐怖で曇った。
「な…なんだ、お前は…」
「ああ、あたしだって、こんな面倒なことはしたくはないがね。なにしろヤキソバ五杯で雇われち
ゃったからな」
「ど、どういうことだ、それは…」
「ええい!聞く耳がないなら、とっととくたばれっ!」
 相手に質問の機会を与えず、ミリアはスキュラに向かって突進した。もう、これ以上問答に付
き合うと容量の少ない脳味噌がパンクする。
「もらったぁ!」
 ミリアはダッシュでスキュラの間合いに入った。そして、その下半身から伸びている触手を数
本、両腕で抱え込むようにしてがっしりと掴む。
「うおりゃあ!」
 気合い一閃。ミリアはスキュラの触手を掴むと、渾身の力でそれを肩口に投げ捨てた。重量
数百キロになるはずの、スキュラの巨体が浮かび上がる。岩をもアイアンクローで砕く、ミリア
の怪力である。そしてそのまま背負い投げの要領でスキュラの巨体をヒョイとばかりに投げ飛
ばした。
「ぎゃあ!」
 およそ女性らしくない叫び声を挙げて、スキュラは宙を舞い、頭から廊下の部屋側の壁にブ
チ当たった。ドカンと音がして建物がグラグラと揺れ、ガラガラと壁が崩れる。スキュラは崩れ
た煉瓦壁の瓦礫の中に埋まった。
「やったか?」
 本当にスキュラが片付いたかどうか、ミリアは注意深く瓦礫の中を覗き込む。スキュラはうつ
ぶせになってうめいていた。まだ、息はあるようである。
「くっ…こ、この程度では負けん…」
 フラフラになりながらも、頭を振って立ち上がり、なんとかスキュラは戦列に復帰した。しか
し、さすがにダメージは大きい。女形の上半身が揺れて、顔には苦痛の表情が浮かんでいる。
「ちいっ、さすがにタフだね」
 一つ軽く舌打ちをして、ミリアはスキュラに再度対峙する。しかしその態度には余裕が見られ
た。実際、パワーではミリアの方がスキュラを軽く上回る。
「ふう…ふう…信じられないが、どうやらパワーではこの私がかなわないようだ。百年の間、
様々な女を相手にしてきたが、貴様のような馬鹿力は初めてだ…」
「はん、残念だが、こっちとら百五十年以上生きてんだ」
 ハーフ・エルフの寿命は長い。老化速度も人間に比較すると1/6以下である。こうして見る
と、バケモノはどっちかという問題だ。
「なるほど、その経験の差か。百年生きてきて、こんな経験は初めてだ。その五十年の差を埋
めるためには…」
 スキュラは呼吸を継ぎながら長話しで時間を稼ぎ始めた。このタイプの魔獣は強力な再生能
力がある。時間が経過すればそれほどダメージも回復する。もちろん、自分でその事を十分に
承知している悪賢さも備えている。
「姉様、速攻で片付けないと、スキュラはダメージを回復します!」
 少し間合いを取ってこの派手な戦いを見守っていたミレーユが素早く進言する。その言葉の
とおり、スキュラは次第に負っていた傷を直し始めた。煉瓦壁に突っ込んだ時に受けていた傷
の半分位はあっという間にふさがっていく。
「なにっ!」
 ようやく事の次第を悟ったミリアは再度拳を構えてスキュラとの間合いを取り直した。一気に
殺気が周囲にほとばしり始める。
「ちっ、カジネットの小娘め。余計なことを言いおって。こうなったら、わたしの魔法で片付けて
やるっ」
 スキュラは上半身の右手に持っている青いロッドを高々とかかげた。そこには水の精霊の紋
章が刻んである。スキュラは元は水棲の魔獣なので、水の精霊との縁は深い。
「水より生まれし、生きものよ。我を主人としての盟約を果たせ!生まれよ!そして、喰らい尽
くせ!全てを裸にして、恥辱を与えよ!」
 スキュラはそのロッドを頭上でさっと振りかざした。たちまち杖の先端に魔法力が集まってく
る。そして、天井の空間に、何やら水の固まりがあらわれ始める。丁度二個のその物体は、透
き通ったゼリー状のものに見えていた。
「な、なんだ?」
 ミリアが上を見上げるのと、その固まりが頭上に落下してくるのはほとんど同時だった。
「ミリア姉様、危ない!」
 ミレーユが叫ぶが、もう遅い。二つの固まりはそれぞれの頭上に落ちてくる。
「うげっ!」「きゃあ!」
 がさつっぽい悲鳴と、イジメられっこの女の子のような悲鳴が一つ。ボテッという締まりのない
落下音がして、姉妹は見事にゲル状の物質に全身を覆われていた。
「な、なんだ、こりゃ?」
 ミリアは自分の身体を見回した。透明でブヨブヨした物体に全身が覆われていた。気色悪い
ゼリー状のものが身体にまとわり付いている。
「ミリア姉様、これはスライムです!」
 背後で絡めとられてもがいているミレーユが叫ぶ。スライム。それはアメーバ状の原始生物
の一種である。単細胞生物であり、知能はほとんど無い。しかしそのゼリー状の身体から強酸
を分泌するために恐ろしい存在である。
「ふふふふ、そのスライムは特別制でね。ここの客が羞恥プレイをするために造ったものさ。寿
命は二時間しかないが、その間はどうあがこうと抜け出せないよ」
「し、羞恥プレイ?」
「ふふ、すぐに解る」
 スキュラは美しい顔にぞっとするような微笑をたたえた。チロリと赤い舌が下唇の上を這う。
「きゃあ…ふ…服が…」
 再度ミレーユの叫び声が挙がる。ミレーユの周囲から、シュウシュウと白い煙が挙がり始め
た。スライムはミレーユの服を中心にまとわりついている。そして、ローブの繊維は次第に煙と
共に、スライムによって消化され始めていた。
「ふははは、そのスライムは、服だけを溶かすようになっている。恥ずかしいプレイのために、
私がこしらえた傑作さ」
 邪悪な薄笑いを浮かべてスキュラは腕組みをして笑った。ミレーユは薄いローブしか着てい
なかった。どんどんすごい勢いで服が溶かされていく。
「な、なんだと、この変態めっ!」
「いくら泣いてもわめいてもムダだよ…ふふふ…」
 スキュラの不敵な笑い声を背景に、ミリアは必死でスライムを振りほどこうとした。しかし、が
っちり全身は固められてしまっている。そうしているうちに、装備の薄い足の先のほうから服が
シュウシュウと音を上げて溶け始めた。
「うわっ!やめろっ!あたしはこんな所でストリップなんかしたくないぞ!」
「おやおや、無駄な抵抗を。あんたの連れの子猫ちゃんはそうでもないみたいなのにね」
 スキュラは笑い顔のままで触手の一本を持ち上げて、ミリアの背後を差した。そこには服が
半分くらい溶かされかかったミレーユが転がっている。
「はぁ?」
 なんとか動く首をずらしてミリアは後を向いた。ミレーユは何かうっとりとして眼を閉じて身体
を捩らせている。
「ああっ…わたし…恥ずかしい所を見られてしまうのに…なに…この快感…ああっ…」
 このどうしようもないM娘は、全身をのたうち回らせて、何かまちがった快感にあえいでいた。
しかも、ほんのりと頬が赤く染まっている。
「ど、ドアホ!」
 あまりのことにミリアは怒鳴った。しかし、それでどうしようというわけでもない。どうにもならな
い。なにしろ全身はガッチリとスライムに固められてしまっている。
「さあ、無駄な抵抗は止めて、おとなしくあの娘のにようになったほうがいいさ。心配ない。羞恥
プレイの料金は二人で金貨二百にまけておいてあげよう」
 ニタニタと笑いながらスキュラは地面でのたうつミリアを見下ろしていた。ミリアのズボンはい
い加減にかなり溶けてきた。一番薄い、擦り切れかかっていた膝の部分が溶けて来ている。た
だ、溶解速度はかなり遅い。なにしろずっと着たきりなので、汚いことに服が垢で固まっている
のだ。ちょっとやそっとの酸ではこいつの服は溶けない。
「くっ!こんなもんであたしを倒せるなんて思うなよ。なにがスライムだ。しょせんは元は水
だ!」
 うつぶせの体勢から首だけ上げて、ミリアはスキュラに噛み付いた。一応、正論ではある。主
に沼沢地に住むスライムは全身の97%が水分である。
「だから、どうだと?」
「つまり、スライムはトコロテンのようなもんだ!」
「いや、違うだろう…」
 真顔で、冷静な突っ込みを入れたスキュラだったが、ミリアの欲望に飢えた目には、しっかり
とスライム・イコール・トコロテンと書いてあった。
「食ってやる!」
 やおらミリアは顔をスライムの中に突っ込むと、勢い良くそれを吸い込み始めた。ズルズルと
いう、メン物を啜る時のような、変な音がその辺りから発せられ始める。
「ば、馬鹿な!」
「うん、塩味が聞いててコシも悪くないじゃないか」
 驚くスキュラを尻目に、ミリアはどんどんスライムを吸い込み始めた。ツルツルと汁を啜るよう
にスライムがどんどんとミリアの胃袋に吸い込まれていく。
「ス、スライムを食べる…?」
 眼を丸くして呆気に取られているスキュラ。しかし、ミリアは平然としてスライムを飲込み続け
た。実際、この程度は問題ない。なにしろ何でも食う奴である。
 チュルッ、チュポッという気味がいい音と、気味の悪い光景がしばらく続いた。その間、食事
をしている当の本人以外は、あまりの光景に凍り付いていた。
「ふう、満腹だ」
 僅か十秒足らずのうちに、ミリアはスライムを喰らい尽くしていた。ゼリー状の単細胞生物は
全て消えた。実に問題なく、ミリアの身体は自由になっている。
「うっ、ひっく」
 一つ、ミリアは大きくしゃっくりをした。こいつの胃液は強烈である。さしものスライムもミリア
の胃袋の中でオダブツとなった。
「こ、この非常識な奴め!」
 やっと我に返ると、焦りと驚きの表情を同時に浮かべてスキュラは身構えた。形勢は再度、
圧倒的に不利になった。
「やかましい、覚悟しろっ!」
 後ず去るスキュラ目掛けて再度ミリアは身構え、突進した。あちこちが溶けてますます貧乏臭
くなったズボンで突っ込んでいく。
「たぁ!」
 一度、小さく身を屈めると、ミリアはスキュラに向かってジャンプした。
「食らえっ!」
 そして、スキュラの後頭部に蹴を喰らわせる。この時ばかりは一瞬だけ格好良いポーズにな
った。見事にスキュラの後頭に延髄切りの一撃が炸裂する。
「うぎゃっ!」
 一声挙げてスキュラがよろめく。そして、その巨体は地響きを挙げて地面に落下した。スキュ
ラは俯せになって、気の毒なまでに地面に伸びる。
「なんだ、口ほどにもない」
 ペッと唾を地面に吐き捨てて、ミリアはグリグリとスキュラを踏み付けにした。戦いは終わっ
た。そして勝った。後はミレーユの言う、おネェさまとやらを助けだすのみである。
「あーあ、面倒臭いたっらありゃしない」
 ここまで建物を破壊しておいて、面倒臭いもないだろうんが。こうして、この、スキュラ以上に
訳のわからない生物は、禁断の領域の扉を勢い良く開いたのである。
             *
「は?」
 【百合の間】と書かれたプレートのかかったドアを開けたミリアは絶句した。
 そう、そこは異様な風景だった。部屋の中には様々な拷問道具が置かれていた。その拷問
器具には、こともあろうに、何人かの女が据え付けられて、しかもうっとりとした表情であえいで
いた。
「ふふっ、どう?気持ちいいでしょう?」
 その、拷問の快感に喘ぐ女たちを、ムチで一人の女がピシピシと叩いていた。身体にピッタリ
とフィットするタイプの小さな皮鎧。そして釣り上がったキツイ目付き。その耳は僅かに小さく尖
っている。ミリアと同じハーフエルフだ。
「おい、変態二号。なんだ、あんたは?」
 呆気に取られて顔を僅かに強ばらせながら、ミリアはそのハーフエルフの胸ぐらを掴んで引
き寄せた。そう、ここにも変態が一匹。ハーフエルフを表すH・ELFの略表記は、HENTAI・EL
Fの間違いではないかとまで思われる変態含有率の高さである。
「な、なによ、あなたは。ここは順番待ちだから、ちゃんと待つのよ」
「あたしは別に変態プレイなんかしに来たんじゃない。ここはいったい、何なんだ」
 まったく訳が解らずにミリアは部屋の内部を見回した。おそらくはぱっと見た感じのままであ
ろう。山ほど積まれた未使用のローソク。三角木馬に石抱き拷問。専門のSM拷問部屋という
以外に何もない。
「え?あら、知らないのね。ここは子猫ちゃんに快感を教える部屋よ。私はクレア。この部屋の
女王サマよ」
 キツイ視線のハーフエルフは何も悪怯れずにいってのけた。というより、この事情がまるで理
解できていないようである。「あ…あんたさ、うちの妹のミレーユって知っている?」
 声を震わせながら、ミリアは精一杯の作り笑いをした。
「もちろんよ。私の可愛い子猫ちゃんよ」
 クレアはにっこりと笑って返答する。ズルズルとミリアは脱力していくのがわかった。いったい
何かと思えば、こんな調子である。もはや、呆れてどうしようもない。
「じゃあ、このスキュラはなんだ?」
 ミリアは目の前の女王さまハーフエルフを捕まえると、無理遣り廊下に引きずりだした。そこ
には先程延髄切りをかました気の毒なスキュラが伸びている。
「あれ、店長。いったいどうしたのよ?」
「て…店長…」
 さすがに馬鹿なミリアもだんだん事情が飲み込めてきた。SMクラブ。それがソーサラー魔法
クラブなんかでないことがようやく完璧に理解できた。
「あっ、ミレーユ。これはいったい何?」
 スライムに服を溶かされ、地面に裸で横たわるミレーユを目ざとく見つけたクレアは素早くそ
の傍に駆け寄った。
「駄目よ。勝手にこんなところで露出プレイしちゃ」
 後ろで聞いていたミリアは、クレアの台詞にズルっとこけた。そういう問題では決してない。
「あっ…お、おネェさま…」
 愛しいおネェ様の登場に、ミレーユは僅かに目を開けると、ほとんど反射的にそのバストに飛
び付いていた。
「う…、お…おネェさま…もうお仕事しなくてもいいんですよ…」
「えっ、じゃあ、借金はチャラなの」
「ラマーヤ店長は撃破されましたから。もう女王さまなんてしなくてもいいんです」
「私のためにそんなことまで…」
「だってわたし…おネェさまが他の女の人を苛めているなんて耐えられないんですもの…おネェ
さまがこの店の売れっ子なのは嬉しいですけれど、どうかおネェさまはわたしだけを苛めてくだ
さい…」
「うふふふ、可愛い子だね」
 この二人の馬鹿な会話を、後ろでミリアはじっと聞いていた。すでにそのコミカメには青筋が
浮かんでいる。所々でプチップチッと亀裂が入って、血管がブチ切れる寸前である。
「おや、ちゃんと、私が着けた縄を着けているんだね」
「だって、おネェさまに縛ってもらった縄ですもの」
 よく見れば、ミレーユは全裸ではなかった。身体のところどころに縄が巻き付いている。ミレ
ーユがこの暑い日に全身を覆うようなローブを着けていたのは、どうやらこの縄を隠すためだ
ったらしい。
「さあ、今晩はどうして苛めて欲しい?」
「ああ、どうしましょう…色々あって、困りますわ…」
「おやおや、なんて贅沢なマゾっ娘なんだろうね」
 尚も、自分たちの世界に浸り続けるレズカップルを見て、ミリアはついに怒りを爆発させた。
ついにプチッとコミカメの青筋が切れて、汚い静脈血が吹き出す。
「てめぇら!そんなに苛めて欲しいなら、存分にやってやる!」
 水量世界最大のイグアス滝の水落下のごとく、コミカメから血を吹き出してミリアはゲンコツを
握り締めた。そして、その凶器を振りかざして二人に掴み掛かる。もう、それは激怒なんてもん
ではない。亀裂の入ったコミカメから血を吹き出すほどの激昂である。何が起こるかわかった
もんじゃない。
「うわっ!な、何?」
「あぁ!姉様!悪いのは全てわたしなんです。苛める…いえ…怒るのはわたしだけにしてくださ
い」
 慌ててミリアの前に立ちふさがるミレーユ。しかし、なぜかその顔には少し期待の表情が見ら
れる。
「何よ、姉様って、ミレーユ。あんた、まさか浮気をしていたんじゃ」
 姉様という言葉を聞きとがめたクレアが血相を変える。しかし、姉様は姉様でも、こちらは本
当の姉だ。
「うるさい!このクソエルフどもめっ!そんなにSM好きなら、存分に体験させてやるっ」
 自分もハーフエルフなのに、そんな罵倒のセリフを吐くと、ミリアは全力で二人のハーフエル
フのレズカップルに躍り掛かった。まずはガシッとばかりにクレアを捕まえる。そしてその女王
さまスーツを掴んでクレアをビリビリにひんむく。
「うわぁ!止めて止めて!姉様、乱暴はダメ!乱暴ならわたしにお願いします…」
 少し涙目になりながらも、何か期待した顔で艶っぽい吐息を吐きながらミレーユが姉に取りす
がる。何か、形容しにくいムカつきを覚えて、ミリアはさらにポカポカとクレアを殴り飛ばした。
「うわっ…女王さまに下僕が殴りかかるのはSMのルール違反…」
「うるさい!あたしがルールブックだ!何が女王さまだ。今日はおまえをとことんまで苛め倒し
てやるっ」
 怒りに任せて叫ぶと、ミリアは手近に転がっていたムチをひっつかみ、ピシピシと二人のハー
フエルフを叩き始めた。小気味よい音が室内に響く。二人を女は揃って身悶えを始めた。とは
いっても、それは痛みのためではない。
「うわっ…何、他人を叩くのとは違うこの快感…」
「ああぁ…ミリア姉様…叩くのはミレーユだけでいいの。どうかクレアおネェさまは叩かないで
…」
 そして、頭の悪い時間が始まった。その晩、この裏通りを通り掛かった人々は、この館から
一晩中二人の女の歓声が響きわたっていたことを後に証言する。
 こうしてここに一つの仕事が終了した。名付けて[おネェさま救出作戦]。しかし、あまりにもく
だらないミッションであった。
 ただ一つ確定的なことがある。それは、この事件の後、ガダルの街にマゾでレズのハーフエ
ルフが新たに二匹住み着いたということであった。
                    (おちまい!)