キノコで笑って止まらない

「ふう…なんで秋はこんなにセンチな気分なんだろう…」
 安い貧乏下宿に寂しげな女の声が響く。ミリアはまったく似合いもしない台詞を呟くと、窓の
外を舞う枯れ葉に視線を落とした。季節は秋。ぼちぼち銀杏の実がおいしくなる時期である。
「姐さん、センチはどうでもいですけれど、この前貸した銀貨十枚返してくださいよ」
 部屋の奥に座り込んだ、貧相な顔の男が悲しそうに言う。しかし、その意見をミリアはまるで
無視し続けた。
「ランヌ。この自然の美しさに比べたら、銀貨十枚なんてちっぽけんものじゃないの」
 くるっと背後を振り向いてミリアは作り笑いをした。後頭部に汚い筆のようにぶら下がってい
るボサボサの髪が震えている。コミカメには小さく青筋が浮かんでいた。
「本当は銀貨十枚に利子がついて十一枚なんですけれど…」
 なおも借金取りの催促をランヌは恐る恐る続けた。ランヌ・ゼーニヒ。職業は売れないシーフ
である。場末のしがない情報屋として銀貨、銅貨をちまちまと稼いで暮らしていた。当然恐ろし
いほど貧乏である。銀貨十一枚といえば彼にとって大金だ。
「ええい、うるさいな!いつかは返すって言ってるじゃないか!それ以上惨めったらしくあたしに
話しかけるなっ!」
 いきなり怒鳴り散らすとミリアはぐいっとランヌの胸元を掴んだ。そして思い切り床に向かって
ランヌの貧相な肉体をたたきつける。
「わぁ〜」
 情けない声を上げるとランヌはごろごろと床を転がり、安下宿の壁に激突した。殺風景な部
屋にもうもうと埃が上がる。部屋の中は椅子とテーブル。そしてオンボロのベッドしかない。後
は壁にかけられた巨大な両手剣と汚い革製の鎧だけである。剣士としての最低限の商売道具
を残して、後はすべて質屋にとつっこんでしまっていた。
「まったく、男なら借金くらい潔くあきらめろってえの」
 自分で金を借りておいてそんなことを言うと、非道にもミリアはぴくりともしなくなったランヌの
頭をグリグリと足で踏みつけにした。ミリアの特徴である僅かに尖った長い耳がまだ怒りに震
えている。貧乏は人の気をいらだたせるというが、こいつは人でない人でなしであった。そう、
それは外見と内面の両方に適応する。
 ミリア・カジネットはハーフ・エルフの女戦士である。つまり、人間としての性質は半分しかな
い。僅かに先端が尖った耳と、大きな猫目がその特徴である。しかしエルフとしての性質も半
分しかないので、姿形はそれほど人間と大差はない。
 森の妖精と言われるエルフ族は、長い耳と不老長寿。線の細さと優雅さ、エレガントさ、魔法
の才能等のすべてを合わせ持つ。しかし中途半端なハーフ・エルフはその一部分しか受け継
がない。
 結局、老化の遅さと長い耳だけがミリアに残った。そう、これでも年齢は百五十を越えてい
る。
 そして、魔法の才能は全くないので、戦士という仕事で身を立てるしかない。その結果、金も
無い、良識はない、すべて無い自堕落女は、こうして安下宿に泊まりながら、悪党達から金を
せびって暮らしていた。泥棒だってもう少し仕事をする。
 そんな時不幸にも、ミリアに貸した金を取り立てにランヌがやってきたのである。その結果、
彼は見事にこの女のウサ晴らしの道具となっていた。
「ううっ…あきらめられないっす…銀貨十枚といったらあっしの三日分の収入じゃないっすか
…」
 ぐりぐりと踏みつけられる足の下で苦しげにランヌがうめいた。貧相な面である。腕も悪く信
用も低く、加えて頭も悪いこの悲惨なシーフは、所詮ミリアにいじめられて金を巻き上げられる
だけの存在にすぎない。
「じゃあ、また三日働いて稼げばいいじゃないか」
 あまりにも冷徹にミリアはいってのけた。まったく、極悪人ぶりもここまでくれば立派である。
「ううっ…そりゃないっす…」
 つう、と一筋の涙がランヌの目から流れ落ちた。稼ぎの悪いランヌにとって、銀貨十枚は大金
である。しかし、現実に言えば、それほどたいした金額ではない。せいぜい定食を二回食えば
消え失せる金である。
「泣くなよ、男らしくないねえ。あたしはそういう湿っぽいのは嫌いなんだ」
 少し口元をゆがめると、ミリアはしくしくと泣くランヌをのぞき込んだ。そう言いながらも右足は
しっかりと顔を踏みつけにしていたが。
「ううっ…姐さん…せめて半分でもいいからお金を返してくださいよ…」
「返してはやりたいけれどさ、仕事がなにもないんじゃ話になんないよ。あんたが仕事を紹介し
てくれるなら別だけれどさ」
 さも困ったような口振りでミリアは両手を広げた。もはやお手上げというポーズである。実際、
本当に仕事はなかった。なにしろこのところ平和で、モンスターが出たという話は聞いたことが
ない。戦士など、化け物を倒してなんぼの世界である。敢えて言うならミリアがこの周辺で一番
の化け物だが、まさか自分で自分を退治するわけにはいかない。
「仕事ですか…一応紹介だけならできますけれど…」
「え?なんだって?」
 意外とも思える返答がランヌから帰ってきた。一瞬ミリアは耳を疑った。この腕の悪いシーフ
がそんな物件を持っているなんて考えもしなかった。
「ひょっとして、また便所掃除のバイトか?あれは全然金になんなかったぞ」
 仕事と聞いて、少しミリアの顔色が変わった。そう、ちょっとだけ機嫌がよくなったのである。ミ
リアはランヌの顔を踏みつけていた足を除けた。よっこらしょっと声を上げてランヌが起きあが
る。
「そんなんじゃないっすよ。美しく着飾って踊るというのがこの仕事っす」
 ランヌは懐からごそごそと手帳を取り出した。いつもくだらない仕事ばかりが書かれている手
帳である。普通のシーフの手帳には山ほどそういう情報が書かれているが、ランヌのこれには
ちょっとしか書かれていない。
「ええと、『踊り児募集…日給金貨十枚』だそうで…」
 つらつらとランヌは手帳の内容を読み上げた。キラッと獣のようにミリアの目が輝く。金貨十
枚。しかも日給である。そんなに大金が入る仕事なんて滅多にない。
「よしっ!そいつに決めたぞっ。善は急げだ。ランヌ、その仕事の場所を教えろ」
「えっ?」
 やる気満々になったミリアを見て、ランヌは思い切り怪訝な顔をした。顔を僅かにつきだして
視線が空中を泳いでいる。
「姐さん、なんでまた出来もしないことをやろうとするんですか」
 ランヌの一言はきつく効いていた。たしかに、ミリアと踊りなんて無縁である。せいぜい酔っぱ
らって酒場でボン踊りをしたのが関の山である。
「うるさいなっ!いいんだよ、とにかく教えろっ。確かにあたしには向いてないかもしれないけれ
ど、給料が抜群にいいからいいじゃないかっ!」
「あっ…あっしの手帳…」
 無謀にも敢えて聞くランヌを怒鳴りつけると、ミリアは強引に手帳を奪い取った。手帳にはミミ
ズののたくったような字でなにやらいっぱい書き付けてある。
「ええと、なになに…『美しく着飾った十二歳までの男の子を募集します』………なんだ、これ
は?」
「だから、踊り児って言ったじゃないですか。姐さんもマイケル・ピーターソンの劇場は知ってい
るでしょう」
「ああ?あのホモの成金野郎か。あちこちから少年を集めて着飾らせているという」
 どこの世界にも性的倒錯者はいる。この町でもそういう成金が金にまかせて男の子を集めて
いるのは有名だった。
「このネタはその話なんですよ」
「おい、ちょっと待て。じゃあ、あたしにはできない仕事じゃないか」
 ミリアは百五十三歳。どう考えても条件に合わない。そして少年でもない。こんな調子でも一
応こいつは女である。
「なんでこんなできない仕事を紹介するんだ?」
 不思議が30%。そして残りを怒りに満たせてミリアはランヌをにらみつけた。既に右手の拳
は震えている。
「ええ…ですから、仕事の紹介だけはしました。紹介したら姐さん、借金返してくれるって言った
じゃないですか」
 確かにミリアはそう言った。しかしこの仕事は紹介されても出来ない仕事である。
「アホかっ!」
 次の瞬間、見事にミリアの右ストレートが炸裂し、ランヌは開いた窓から秋晴れの空に向かっ
て吹っ飛んでいった。



「しょうがないな…市場に野菜クズでも拾いにいくか」
 貧乏なことを言うと、ミリアは安宿の共同炊事場に向かった。一応煮炊きも出来るカマドがこ
こには備え付けられている。ただし、ここのところはこの炊事場に立ったことはない。市場があ
ったとしても、必ず野菜クズが手に入るというわけではないからだ。
 カマドの側に積んであるホコリまみれの中華鍋を取ると、ミリアはそれを数度叩いた。
「うっ、クモの巣だらけだ…」
 中に張っていた特大のクモの巣を取り払うと、中華鍋を担ぐようにしてミリアは頭上にかかげ
た。ちょっと見ると、珍妙な帽子のようにも見える。
「いい加減に秋になったからね。腐ったキノコでもあるといいんだけれど」
 惨めなことを呟きながら、安宿の階段をミリアは下りていこうとした。
「ちょっと、ミリアさん。鍋なんかかぶってどこに行くつもりですか?」
 階段の一歩目を踏みしめようとした時、後方から不意に声がした。
「はあ?」
 訳がわからずにミリアは振り向いた。別段中華鍋をかぶっているつもりは全然ない。
「なんだ、カサルじゃないか。いやね、食料を調達に市場に行くところなんだけれど。あんたこ
そ、そんな格好してどこに行くつもりなんだい?」
 ミリアが顔を向けた先には一人の男が立っていた。青年というには少し若すぎる彼は、魔術
師のローブと杖を持っている。
 ただ、ミリアの言った「そんな格好」とはこのことではなかった。カサル青年の背中には巨大な
背負いかごがあった。そしてその中には、剣やハンドアクス等の物騒な品々がてんこ盛りに入
っていたからである。
「いえ、ちょっと仕事に行くんですよ」
「仕事って、男娼館で痴漢プレイでもやるの?」
「違いますってば!」
 大声で血相を変えてカサルくんは否定した。こういう純朴な青年をからかうのもまたミリアの
暇つぶしの一つである。
「おいおい、冗談だってばさ。そんなに本気で怒らなくてもいいじゃないの。ところで、本当のと
ころはなんなのさ?」
「えっ…」
 カサル青年は慎重そうに周囲を見回した。誰かが聞いていないか確認したのである。ただ、
そんな心配はとんと無用だった。時刻は夕方近く。こんな時間にはたいていの連中は酒場にシ
ケ込んでいる。当たり前だが、ここにいるのは金のないミリアと、品行方正で知られるカサルく
んのみである。
「実はですね…キノコ狩りに行くんですよ…」
 慎重に、ゆっくりと言葉を選びながら、カサルくんはミリアに耳打ちした。
「ほほう、そいつは美味しい話だね」
 ニヤリとミリアの猫目が細くなって口元がゆがんだ。うっすらと口の橋には涎まで浮かんでい
る。
「そうですか?これは大変な仕事なんですよ。僕はテンゴの村から頼まれて、この仕事に行くこ
ととなったんですが、大変ハードな仕事で、本当に僕には務まるかどうか…」
「なるほど、その背負いかごに入った刃物はそのためか」
 納得した面もちでミリアが篭をのぞき込む。いろいろな種類の刃物が盛りだくさんとなってい
る。
「そうです。あわててこれだけ用意したんですが…これだけで大丈夫でしょうか?」
 カサル青年の顔には明らかに不安の要素が浮き出ていた。とにかく彼は生真面目な男であ
る。そしてミリアとは違って人生をまっすぐに生きている。
「おいおい、たかがキノコ狩り程度でなにを言ってるのさ。まあ、あんたは魔術師で、力仕事に
は自信がないんだろうけれど」
 そう言いながらミリアは、半袖の袖口から見えている腕に力を込めた。握力数百キロに達す
る馬鹿力の拳が岩の用に固まる。
「おいカサル。よかったらその仕事、あたしにも手伝わせてよ」
「えっ…ミリアさんにですか…それはいいですけれど…たいした報酬は出せませんよ」
 少し躊躇しながらカサルはおそるおそる返答した。雇われ人に助っ人を付ける場合、助っ人
の報酬は雇われ人のリーダーのポケットから出ることになる。この場合はカサルがキノコ狩り
に雇われているからカサルが払うことになる。
「ああ、報酬ね…銀貨十五枚もらえればいいよ」
「えっ、そんなものでいいんですか?」
 カサルもびっくりする安い報酬でミリアは助っ人を引き受けていた。しかし、本人としては完璧
な計算のつもりでいた。銀貨十枚をランヌに返し、残り五枚で定食を食べに行くという魂胆であ
る。
「その代わりといってはなんだけれどね。狩ったキノコの幾らかをあたしにくれないかい?」
 安い報酬の交換条件に、ミリアはそんなセコイ提案を持ちだした。
「そ、そりゃあかまいませんけれど、そんなものをどうするんですか?」
 これまた不審そうにカサルくんがミリアの顔をのぞき込む。この、いい加減で計画性のまった
くない自堕落生物は、自信満々で答えを返した。
「馬鹿なことを聞くなよ。食べるに決まっているじゃないの。余った分は干物にすれば長持ちす
るしね」
 これでOKという風にミリアは親指を立てた。この町、ガダル市の周囲は平原が広がり、キノ
コを取りにいける山はそうそうない。うまくキノコを持ち帰れば、しばらくの生活費には困らな
い。
「まあ…理論的にはそうなんですけれど…うーん…まあ、いいとしておきましょう」
 少し首を傾げて悩んだ結果、カサルは承知した。しかし、なぜか顔には少し不安の色が強
い。
「本当にいいですね、後悔しませんね」
 なおもしつこくカサルは確認して食い下がった。少し、ミリアの顔に不服そうな色が浮かぶ。こ
の短気な生物はくどいのは嫌いである。
「後悔なんかするわけないじゃないか。もし後悔したら天空神ヴァイルのパンツでも盗んできて
やるよっ!」
 あまりといえばあまりな発言だが、それはミリアの威勢の良さを示していた。世界の最高神、
風を司る神ヴァイル=フォード。そのパンツなんかどうやって盗ってくるのか解らない。まあ、そ
れだけ後悔はしないということである。
「じゃあ、行きますよ。これは大変な戦いです。覚悟しておいてくださいね」
「わかったわかった」
 けだるそうに言うミリア。あまりにも気楽に気軽に引き受けたが、これが実はとんでもない事
件の始まりになるとは全く考えていなかった。



 テンゴの村。それはガダルの町から北へ一日ほどいった山岳地帯の中にある。カサルの財
布で飯を食いつなぎながら、ミリアたちはあっさりと村へたどり着いていた。
 昔からこの町はキノコ栽培で栄えていた。シイタケ、ナメコ、エノキといったキノコが栽培され、
秋になると村人たちはキノコを持って、ガダルの市場にたどり着くのである。もっとも、時々、わ
けのわからないキノコも混じっていると評判だが。
「あれ、なんだ、この村の荒れっぷりは」
 村でミリアが発した第一声がそれであった。確かに、村は荒れ放題になっていた。村の広場
には村人たちが落としたと思われる籠や鍬が散乱し、煉瓦造りの家のいくつかはヒビが入って
傾いている。
「おお、魔術師カサル様がいらっしゃった!これで村も安心じゃ!」
 不意に井戸端から老人達の声があがる。と、同時に壊れた家々の扉が開き、疲れ果てた
人々が一度にカサルの周囲に集まり始めた。
「なんだよ、この連中」
 いぶかしがるミリアを無視して、カサルは早速村人との応対を始めた。
「皆さん、詳しい話はすでに僕の師匠である導師さまから伺っています。僕たちが来たからに
はもう大丈夫です。かならずこの村に平和を取り戻してみせます」
 なにやら物騒なことをカサルは語った。既に目は真っ赤に燃えている。暑苦しいくらい燃えて
いる。この正義の魔術師は基本的に熱血好きである。それにしても、何かキノコ狩りとは違うよ
うだが。
「大丈夫ですか、魔術師様。敵は強大ですぞ」
 集まった群衆の一人である疲れ果てた貧相な顔の老人が、心配そうにカサルの顔をのぞき
込んだ。カサルはにっこり笑って、あっちでそっぽを向いて口笛を吹いているミリアを指さした。
「ええ、問題ありません。たしかに、僕一人では苦しい戦いを強いられるかもしれません。でも、
今回は力強い助っ人がいるんです。ガダルの町でも有名な戦士、ミリア・カジネットさんが付い
ているんですから」
「えっ!」
 一度に村人達の視線がミリアに集まった。退屈を紛らわすために口笛を吹きながら頭を掻い
ていたミリアが振り向く。
「あんな汚い乞食のような奴が戦士ですと?」
 村人その一の驚きの声が挙がる。ミリアはいつもの錆びた両手剣と、カビの生えかかった革
の胸当てをつけていた。ほとんどルンペンか、よく見ても貧相な追い剥ぎ程度にしかみえない。
「あれはカサル殿の従者ではなかったのですか」
 また別の村人が言わなくてもいいことを言う。確かにカサルはきちんとした魔術師のローブを
きている。汚いミリアが従者に見えても問題はない。
「いや…まてよ…ミリアという名前は聞いたことがある。なにもせずに無駄飯を食らい、貧乏人
から金を巻き上げ、平穏無事を混沌の渦に変えるというあの最悪の冒険者だ!」
 また誰かがそんなことをいう。ミリア・カジネット。確かにガダルの町では有名人だが、決して
いい意味での有名ではない。
「全然大丈夫じゃありません。こんな戦士がいたら村が滅びますぞっ!」
 先ほどの老人が代表して叫び、カサルの足下に跪いた。その瞬間、言われたい放題でいた
ミリアの怒りが爆発する。
「ええい!さっきから聞いていたら失礼なことばっかり言いおって!なんだよ、いったい!お前
ら全員ブチのめすぞっ!」
 素早く黒豹のように動くと、ミリアは老人の胸ぐらを掴んだ。敬老精神などこの女にはまったく
ない。いや、実際の所、一五三歳にもなるミリアの方が年上なのだが。
「ひいい、やはり噂通りの大悪魔じゃあ!」 
 胸元を掴まれて老人は絶叫した。と、同時に村人全員がミリアの足下にひざまずく。
「ちょっと、ミリアさん。いけませんよ。ご老人にそんなことをしては。僕たちはここに乱暴をしに
きたんじゃありません。キノコ狩りにきたんですよ」
 さすがに見るに見かねて、常識人カサルがミリアと老人の間に割って入る。
「でもさ、カサル。いくらなんでも、可憐な乙女に向かってあんまりな言いぐさじゃないか」
 ほっぺたを膨らませてさも不満げにこの怪物は言った。
「そんな冗談は後で聞きますから、とにかくここは手を納めてくださいよ。ほら、僕の持っている
おにぎりをあげますから」
 カサルはかなり失礼なことを言いながら、腰に吊した携帯弁当箱からおにぎりを取り出すとミ
リアに渡した。
「おっ、おにぎり」
 一気に顔をほころばせてミリアはおにぎりをがっつく。先ほどの老人のことなど忘れた様にお
にぎりをむさぼっていた。
「さて、みなさん。こんなことより、問題はほかにあるはずです。敵はいったいどこから攻めてく
るのですか?」
 おにぎりをパクつくミリアを後目にして、さっさとカサルは本題に戻った。愚民を煽動する宣教
師よろしく、彼は威厳正しく聴衆に語りかける。
「ええ、奴は村の背後のシイタケ山から現れるのです。そして村の水源である井戸を狙ってや
ってくるのです。今年の干ばつのせいで、山には水が少なくなっています。しかし我々も水源が
大事。奴によって井戸が汚染されるようなことになれば、我々のシイタケ栽培は窮地に陥るで
しょう」
 先ほどミリアに首根っこを捕まれた老人が両手を広げて一生懸命身振り手振りで説明した。
テンゴの村は背後になだらかな斜面の山を抱えている。ここがもっぱらキノコ栽培の用地とし
て使われているのだ。村の広場には共同の井戸がある。この土地は水が得にくく、井戸はこの
一カ所しかない。ただしこの井戸はいつも豊富な水をたたえている。村の大切な水源でもあ
る。
「わかりました。奴の活動時間は何時ですか?」
 深く納得した面もちでカサルは深くうなずいた。横でミリアはまだおむすびをかじっている。
「奴は必ず真夜中に来ます。不気味な緑色の燐光を放ちながら山から下りてくるのです」 老
人が恐ろしそうに顔を引きつらせておののいた。カサルは再度深く首を縦に振る。
「わかりました。早速、今晩から見張ることにしましょう。まもなく日没ですね。僕たちは食事が
終わり次第見張りにかかることにします」
 カサルがその言葉を言い終わったと同時に、ちょうどミリアは特大おむすびを食べ終わって
いた。周囲を見回すと、哀れな民衆はカサルの指示にすっかり聞き惚れて、尊敬のまなざしで
彼を見つめている最中だった。



 やがて日が暮れた。そう、山沿いの村の平和な夕暮れである秋晴れの夕焼け空に炊煙が立
ち上り、ねぐらに帰る鳥たちが一列に連なって飛んでいく。なんの変哲もない平和な夕方であ
る。
「ふう、食った食った」
 そしてその村で、三升炊きの釜を空っぽにして、幸せそうにミリアは地面に転がっていた。い
や、本当に地面に寝そべっていた。地面がひんやりとしていい気持ちである。
「ようやく食べ終わりましたね」
 あきれ顔のカサルがため息をつく。彼はとっくの昔にお茶碗一杯で夕飯を終わらせていた。
対するミリアは腹一杯にしないと落ち着かなかった。
「よし、これでキノコ狩りにでもなんでも出かけられるぞっ」
 程良く膨れた腹をポンと叩いてミリアは自信満々に両手剣を片手で振り回した。女にあるまじ
き馬鹿力、まさに文字通りである。
「ところでカサル、やけに深刻そうにしていたけれど、そんなにキノコ狩りは大変なのかい?」
 あまり話をまともに聞いていなかったミリアは怪訝そうな面もちでカサルの方に視線をやる。
「ええ、たいへんですよ。このとおり、村もすっかり荒廃するほどですから」
「そうか、確かにね。過疎地域の人手不足は深刻だものな」
 何か微妙に食い違いながらもつじつまの合う会話を成し遂げながら、二人は夜になるのを待
った。次第に薄暗くなり、村全体が漆黒の中に落ちていく。時間だけが淡々と過ぎていった。2
人は相変わらずじっとして待っていた。村は次第に闇に包まれていく。家の明かりがぼんやり
あちこちに見えるだけの、寂しい山村の夜となっていた。
「おい、カサル。いつまであたし達はこんな調子でいるんだい」
 時間がたつにつれ退屈になったミリアはしびれを切らし始めた。二人は村の広場にある井戸
に背をもたれてぼんやりと時間を過ごしていた。
「キノコ狩りなら山にいかなきゃ駄目じゃないの。なんでこんなところでぼんやりしている必要が
あるのさ」
 村の背後にあるなだらかな山。そこではシイタケをはじめとする様々なキノコが栽培されてい
るという。
「むやみに足場の悪いところへ行って、不利になるのも嫌ですから。ここは待ち伏せといきまし
ょう」
「はあ?なんだ、そりゃあ?」
 さすがにミリアも少しずつおかしいと気が付き始めていた。なんでキノコを待ち伏せしないとい
けないのだ。普通、キノコは木から生える。それ以上、それ以下はあまりない。まれに馬糞から
生えるキノコもあったりするが、そんなものは食料にはならない。
「キノコが自分で勝手に歩いて山から下りて来るとでもいうのかい?」
 少し眉間にしわを寄せて、まさかという顔つきでミリアはカサルの顔を伺った。
「しっ!何か気配がします」
 カサルは素早くミリアの口を手で押さえると、呪文の杖を持って立ち上がった。村の北、山の
入り口となっている門の方から幾人かの悲鳴が上がる。と、同時に、ぼやっと光る、何か縦長
の棒状のものが近づいてきていた。遠目にもそれは巨大に見えていた。軽く家の雨樋の高さ
は突破している。
「あれがこの村を荒らしている悪いキノコです」
 カサルは少し言葉におびえを見せながらも呪文の杖を体の正面に構えた。そうしているうち
に巨大な発光体はどんどんと近づいてくる。
「ミリアさんは前衛になってください。僕がバックアップします」
「えっ!ちょ、ちょっとまってくれよ。キノコ狩りってのは…」
「そうです。キノコを狩るんです。退治するんですよ」
 慌てふためくミリアをよそに、カサルはあっさりと言ってのけた。そうである。キノコ狩りとはキ
ノコを退治することであったのだ。その誤解に今の今まで気が付かなかった。なんとも悲惨な
言葉の行き違いである。
「おいっ!じゃあなんだ、あたしはたった銀貨十枚であんな化け物と戦うのか!」
 ミリアは吠えた。当然である。化け物退治なら最低でも銀貨百枚は相場だ。いや、確かにそ
の相場は正しい。村人は金貨十枚、すなはち銀貨百枚でカサルにキノコ退治を依頼している
のである。そんなところに銀貨十枚で引き受けたのはミリア自身だ。
「後悔しました?」
 カサルは「ああやっぱりね」という表情でうんうんとうなずく。
「後悔するわっ」
 心の底からの絶叫でミリアはがなる。
「じゃあ、天空神ヴァイルのパンツを僕にくださいよ」
 少し口元を皮肉にゆがめてカサルは口をつきだした。うっとばかりにミリアが言葉に詰まる。
そうである。そんなことを言って無理矢理この仕事を引き受けたのが悪い。
「ああもう!わかったよ、あのキノコをブチ倒して丸焼きにして食えばいいんだろうっ」「なにもそ
こまで…」
 ヤケクソにならなくても、とカサルは言おうとしたが、既にミリアの目は怒りに燃えていた。馬
鹿なことを言ったといえば馬鹿なことだった。しかし普通キノコ狩りといえば、単にキノコの収集
と思うのが当然なのだが。「くそう、この怒りと空腹は全部あの化け物キノコにぶつけてやる」
 片手で巨大な両手剣を持つと、怒りに燃えてミリアは立ち上がった。とたんにおなかの虫が
グーと鳴る。腹が立つと腹が減るのもこの貧乏戦士の特徴である。
 やがて人々の悲鳴と共に、村の広場に巨大なキノコが近づいてきた。
「夜食はキノコの丸焼きだっ!」
 まだ食うのかとばかりに、ミリアは剣を持って化け物キノコに襲いかかった。こうして、言いよ
うのない馬鹿なバトルが始まっていったのである。



「で…でかい…」
 目の前に近づいて来たキノコをミリアは下から見上げた。それは実にグロテスクな姿だった。
 薄く山の端にかかる三日月。ぼんやりとした淡い月明かりが村全体に降り注いでいる。そん
な薄い明かりの中でそいつは立っていた。高さ三メートル以上のキノコ。その傘は大きく平たく
開き、その下にデブの男の胴ほどもある茎が地面に向かって伸びていた。
 地面と接している部分はキノコの本体、菌糸溜まりとなっていた。そこから数本のびた菌の白
い糸が足の役目を果たしている。これでこの化け物キノコは動き回るのだ。
 その姿だけでも十分に気持ちの悪い姿だったが、さらに輪をかけて不気味なのは、傘の裏
のひだひだの部分が、月の光を受けて、鮮やかな黄緑色に輝いていることだった。
「こいつは月光茸ですよ」
 驚きに口を開けてカサルが呟く。このキノコは傘の裏に月の光を溜めて養分の一部にするの
でそんな名前がつけられている。
「ちっ、汚い植物め。おとなしくあたしの腹に入りなっ」
 これから頂戴しようとしている食物にそんな暴言を吐くと、ミリアは両手剣を構えてキノコに向
かって突撃した。
「まずはスライスだっ」
 僅か十分の一秒でミリアはキノコの懐に飛び込んだ。頭は悪くても剣士としての腕前は抜群
である。ミリアは剣を横に構えると、その太い茎に向かって横なぎにその剣を切り払った。ザシ
ュッと音がして、わずかに生臭い臭いと体液が飛び散る。
「ふっ、きまったね」
 剣先は確かにキノコの肉を切り裂いて裏側に突き抜けた。キノコの流した汁が剣の身にこび
りつく。
「あれ?倒れていないぞ?」
 ミリアの驚きをよそにして、キノコは全然倒れていなかった。間違いなく、ミリアはキノコの胴
体をまっぷたつにしていた。その証拠に横の地面には、スライスされた円状の茎がタイヤのよ
うになって転がっている。
 しかしキノコは微動だにせずミリアに向かって突撃をかけてきた。
「げっ」
 キノコの激しい体当たりによってミリアは地面に頃がされた。いくらこのハーフ・エルフが怪力
でも、不意をつかれればその力は十分に発揮できない。
 ミリアは回転して転がり、井戸端に無様に転がった。前進が赤土にまみれて汚れる。
「な、なんで?確かに切ったはずだぞ」
 膝をついてキノコをにらみつける。ミリア。素早くそばにカサルが駆けつける。
「あれがキノコの持つ再生能力です。奴らはズダズダにしない限り、いくらでも再生してしまいま
すよ!」
 そう言いながらもカサルは両手で杖のグリップを握りしめた。先端に青い宝石の埋め込まれ
たこの杖は、使用する者の魔力を増幅させる役割も持つ。
「大気よ轟け!空気よ、稲光となりて敵を討て!」
 目を閉じて、素早くカサルは精神を集中した。魔術師は精神を集中することで様々な現象を
引き起こすことができる。
「ライトニング!」
 単語の名詞節がカサルの口から気合いと共にこぼれる。すると握りしめた杖の先端から、疾
風のように稲妻が発射された。それは勢いよく目の前のキノコに突き刺さる。幾本も放たれた
矢のように、小さな稲妻が次々とキノコに襲いかかった。
 フシューと音を立てて香ばしい香りがキノコからあがる。稲妻がキノコの本体を貫いていた。
しかしそれは微々たるダメージにすぎない。
「むう…あまり効いていません…」
 僅かにひるむ巨大キノコを見て、忌々しそうにカサルは顔をしかめる。今の稲妻の魔法は中
級程度の難易度を持つ魔法である。これで片が付くとは思っていなかったが、あまりにもキノコ
に効いてなさすぎた。カサルは腕のよい魔術師だが、なにぶんまだ若すぎた。経験が少ない分
だけ、実戦が長引くと不利になる。
 キノコは多少あちこちを黒こげにしながらもまだ堂々と立っていた。それはしばらくの間微動
だにせずに立っていたが、やがて全身をブルブルとふるわせ始めた。とたん、キノコの傘の裏
側から、小さな粉末がぱらぱらと周囲に飛び散り始めた。まるで蛍のように燐光が宙を舞う。し
かしそれが蛍なんかではないことはもう分かり切っていた。
「うわっ、胞子をまき散らし始めたぞっ。ごほっ…ぐっ…」
 そう、それはキノコの胞子であった。闇に輝く胞子は、月光茸が溜めていた月明かりの一部
だ。それが胞子に宿り、あたりにまき散らされたのだ。
「し、しまった…あの胞子を吸うと…ごほっごほっ…」
 カサルがローブの袖で口元を押さえる。しかしそんな努力もむなしく、幾らかは期間に吸い込
まれたのは間違いない。
「ど、どうなるのさ。ひょっとして、あの胞子は毒なのか…ううっ、そういや、ちょっと気分が…」
 血相を変えてせき込むカサルを見て、ミリアもあわてて咳をする。
「いえ…胞子そのものに強力な毒はないんです。ごほっ…これは僕の持病の喘息です」
 口元を押さえてカサルはせき込んだ。ズルっとミリアはこける。
「でも、注意してください…ん…あの胞子は目の前に幻覚を作り出すという作用があるんです
…」
 ようやく咳も収まってきていたカサルはハンカチで口元を拭いながらよろめいた。
「なにっ、幻覚だって?ど、どんな幻覚だよ」
 今度こそ恥をかいてたまるかとばかり、慎重にミリアは訪ねる。
「そう、それは現実とかけはなれた、恐るべき幻覚と聞き及んでいます」
 カサルの言葉を引き取って、ミリアは周囲を見回した。別段変化はなかった。壊れかかった
村、そして目の前には化け物のような巨大キノコ。悔しいが、これは現実である。
「おや、目の前に化け物のようなキノコがある。これって幻覚だよねえ」
 僅かに銀貨十枚ぽっちのキノコ退治。もうこんなものは全部幻覚で終わらせてしまいたい気
分である。
「駄目ですよ。それは現実です。そんな冗談で誤魔化さないでください」
 カサルの冷ややかな視線が冷たく後頭部に突き刺さった。
「ちっ、駄目か」
 悠長にもミリアは足下の小石をけっ飛ばした。キノコは相変わらず動きもせずに目の前に突
っ立っていた。その傘の裏側からは、まだ緑色の胞子が飛び散っている。
「駄目ですよ…ううっ!」
 不意にカサルは額を押さえて膝をついた。がっくりとばかりに彼は体勢を崩す。右手で目と眉
の部分を押さえ、カサルはおそるおそるミリアの方を見やった。
「ち…違う…これは幻覚だ…幻覚なんだ」
「ど、どうしたんだい、カサル」
 急に膝を付き、血相を変えて全身をふるわせるカサルを横にして、柄にもなくミリアはうろた
えた。カサルという魔術師、年齢の割にしっかりとしていて、戦いの参謀には向いている。しか
し彼の指示が得られない場合、ミリアの馬鹿な頭脳で判断しなければならない。
「そ、そんな馬鹿な…ミリアさんがおしとやかで可憐に見える…そんな、そんな馬鹿な…これは
幻覚なんだ…ううっ!」
 グレートソードに革の胸当て鎧。ズボンはぼろぼろで、来ているシャツは長袖が破れて半袖
になったシャツ。こんな奴はどう見てもおしとやかで可憐ではない。それは間違いなく幻覚であ
る。
「…おい、どういうことだよ?」
 カサルの台詞がはなはだ失礼であることにはさすがのミリアでも一秒あれば理解できた。怒
りで半分開いた口元を震わせて、ミリアはぐいとカサルの胸元を掴む。
「ああ、なんてことだ!こんなに美しい幻覚は見たことがない…だめだ、これは幻なんだ…現実
にはあり得ない…」
 胸元を掴まれながらもカサルはちらちらとミリアの顔を見やっていた。いったいどれほどの変
わり様だったのか。それは幻覚を見ているカサルくんのみが解る恐怖である。
「あ、あんたねぇ…可愛い顔と思って、あたしが手加減しているのに甘えるなよっ」
 歯をたてて怒鳴り散らすと、ミリアは掴んだカサルの体を片手で軽々と持ち上げた。ほとんど
力は入っていなかった。片手で両手剣を振り回すほどの、とんでもない馬鹿力である。
「カサルッ、目を覚ませっ!」
 99%怒り、1%の作戦という割合で、ミリアはカサルの体をキノコ向かって放り投げた。
「きゃあ」
 女の子のような悲鳴を上げてカサルが空中を飛んでいく。そして彼はキノコの傘に頭から命
中した。カサルの体はキノコにぶつかるとボヨンと跳ねる。
「うっ」
 一声短い悲鳴を上げて、ドサリとカサルは地面に落ちた。そしてぴくりとも動かなくなる。
「さあ、今度は化け物、あんたの番だ!」
 怒りの余勢を駆ってミリアは目の前の化け物キノコを指さした。キノコはもう胞子をすっかり出
し終わっていた。そしてカサルが激突したのを期にして、再度動き出そうとする。
「よくもこのあたしに恥をかかせたなっ」
 まったくないプライドの存在を強固に主張しながら、ミリアは大剣で斬りかかった。まじめな
話、本気になればこの程度の化け物キノコごとき敵ではない。ただ、あまり本気になると腹が
減る。
「うおりゃあ!」
 勢いよくミリアはキノコに対して斜めに斬りつけた。肩口から切って落とす斬りつけ方である。
 キノコの胴体、茎の部分に大きな裂け目が入った。しかし化け物にはすさまじい再生の生命
力が備わっていた。すぐさま傷口は埋まり始めた。裂けた茎はスローモーションの逆回しのよう
に、みるみる埋まり始める。
「ふん、それがキノコの再生能力かい…しかしっ!」
 少しだけ真面目な顔になると、ミリアは両手剣をきちんと両手で持って体の正面に構えた。自
分の身長よりも長い剣全体に気合いがこもる。
「再生する前に切り裂けばいいっ!」
 ミリアは剣をめちゃくちゃに振り回した。一、二、三、四とばかり、すばらしく早い速度での連
続攻撃が決まる。戦士とよばれる連中の強さは、一度にいくつもの回数で斬りつけることがで
きることだ。魔術師であるカサルが一度に一回しかできない攻撃を、普通の戦士は四回斬りつ
けられる。それだけの攻撃回数があれば、もう戦士としてはベテランのクラスだ。
「五、六っ!」
 しかし、ミリアはその普通の戦士よりさらに二回多い回数でキノコに斬りつけた。性格破綻し
た馬鹿でも、それだけの実力は十分に持っている奴である。深々と六つの傷がキノコの胴体に
刻まれる。さすがにこうなると修復速度も追いつかない。
「まだまだだ!今度はみじん切りだぞ。炊き込みご飯の材料にしてやる」
 ズタボロになってふらふらしているキノコに対して容赦のない攻撃が飛ぶ。全長1,8メートル
もある両手持ちの剣。それを軽々と振り回してミリアは目の前のキノコを料理していった。すば
らしい勢いでキノコはうすっぺらなスライス状になっていく。市場の新玉ねぎでさえここまで奇麗
には斬れないというほどにキノコが薄くカットされていく。大きな山野ようだったキノコからぺらぺ
らの紙状のものが落ちていき、それに従ってどんどんその形がなくなっていく。
「ふう、こんなものでいいか」
 そしてミリアが額にうっすらと浮かんだ罪のない汗を拭った時、目の前には山盛りとなったキ
ノコのかけらが積まれているのであった。



「おい、とりあえずキノコ狩りは終わったぞ」
 ものすごい不機嫌な顔をして、ミリアは気絶しているカサルを揺さぶって起こした。
「えっ?」
 慌てて飛び起きるカサル青年。確かにキノコは消え失せていた。変わって目の前にペラペラ
になった薄切りの品物が堆く積まれている。
「ほ…本当だ。さすが、ミリアさんだ。カダルの町でも屈指の戦士だけはありますね」
「どうも、その有名って内容が、気に食わないんだけれどね」
 誉められたのにもかかわらずミリアは相変わらず渋い顔のままだった。このキノコを退治す
る前に、村の連中にあれこれ言われたことをうっかりと思い出したのである。
「まあ、いいや。おい、カサル。約束通りこのキノコはあたしがもらうぞ」
 どっさりと目の前に小山となったキノコを親指でミリアが指差す。
「えっ…それはいいですけれど、そんなもの、どうするんですか?」
「きまってるじゃないか。食うのさ」
「ええっ、そんなものを」
「なんだ、このキノコは食べられないのかい?」
「さあ、それはこの村の人に聞いてみませんと」
 さすがのカサルもそこまではわからなかった。いくら魔術師が知識人とはいえ、キノコの食用
の是非までは知らない。
「おい、さっきのジジイを呼んできてよ」
 有無を言わせない口調でミリアはカサルに言いつけた。仕方なく肩を落としてカサルは村の
一軒の家に向かう。しばらくして一人の老人がやってきた。そう、それはこの村に着いた時、ミ
リアと大喧嘩をしたあの老人である。
「おお、凄い!あの化け物キノコを倒すとは、さすがは泣く子から銭を取り上げるミリア・カジネ
ットじゃ」
 あまりにも酷いことを言う老人だが、ミリアは素知らぬ顔でそっぽを向いて口笛を吹いてい
た。実はこれは身に覚えがある。近所のガキが飴玉を買いに行くところでカツアゲをした。こう
いうセコイことはよくやっている。
「ところで、申し訳ありませんが、報酬のほうを」
「おう、そうじゃった」
 そういうカサルに対して老人は気前よく金貨十枚をわたした。これで一応依頼は無事に終了
である。
「それはそうと、ジジイ。このキノコって食っても大丈夫なのかい?」
 カサルが報酬を受け取ったことを確認すると、ミリアは肘でジジイの横っ面をつついた。
「うん?こいつは月光茸の残骸かのう?」
「そうだよ。上手くスライスできたからね。一つ食ってみようと思うんだけれど。月光茸ってのは
食えるのかい?」
「まあ、食えんことはないが」
 ジジイは数度首を傾けながら言った。そして不思議そうな面もちでミリアに対して向き直ると、
ジト目で視線を流しながら嫌みったらしく言う。
「まさかこれを喰うつもりか?おぬしも大悪魔なら、そんなセコイことをせずに、おとなしく国に
喧嘩を売るくらいの良識をもったらどうじゃ」
 口から泡を飛ばして老人はまくし立てた。ヒクッとミリアの額が動く。
「いやだなぁ、クソジジイ。冗談キツイよっ!」
 苦笑いというか作り笑いを浮かべて、ミリアはエルボーで老人の体を突き飛ばした。ゴキッと
鈍い音がしてジジイが地面に転がる。
「げふっ」
 そして彼は仰向けになって伸びると、口から泡を吹いて倒れた。
「さて、肝心な事は聞いた。おい、ジジイ。ちょいとあんたの家の薪と竈を借りるぞ」
 倒れている老人が返事できないのをいいことに、ミリアはすたすたとキノコを山盛り持って、こ
の老人の家に居着いた。このジジイの家も、他の村の家と同じで、家の背後にカマドを持ち、
側には薪が堆く積まれている。「さて、あたしのフライパンの出番だ。久しぶりに料理ができる
ぞ」
 ルンペンから取り上げた自分の中華鍋を取り出すと、ミリアはそれをかまどの上に置いて薪
に火をつけた。そしてフライパンに、スライスしたキノコを入れた。後は手近に置いてあった塩
で味を付ける。あっさりとしたキノコの炒め物の出来上がりだ。
「さて、喰うとしまますか。おい、カサル。よかったらあんたも喰う?」
「えっ、いいんですか?」
 すべての仕事も済んで手持ちぶさたになっていたカサルを呼ぶと、割とあっさり彼は承知し
た。2人は地面に腰を下ろすと、フライパンを囲んでキノコを摘んだ。あっさりとした淡泊な味だ
が、なかなか美味いことは美味い。ただ、上から照っている月のせいで、キノコがぼんやりと光
っているのが気になるところだったが。
「ふう、喰った喰った」
「案外、おいしいものですね」
 フライパン山盛りになったキノコの炒め物をあっさりと平らげ、2人は地面に座って休憩をとっ
ていた。別に戦闘で疲れたというわけではない。ただの食べ疲れである。
「はっはっは、しかし、なんだね。金も入り、腹も一杯になるなんて、あたしは笑いが止まらない
ね。やはり、山はいいな」
 まったく見当違いで山の存在を賞賛すると、ミリアはカラカラと大口を開けて笑う。豪快なとこ
ろは生まれながらの馬鹿戦士というべきだろう。
「はははは、そうですね。まったく、ははは…あれ…どうしたんだろう…はははは…」
 突然ミリアの目の前でカサルが体を二つに折り曲げて笑い始めた。この熱血少年には珍し
いことだ。時々暑苦しくもなるほど熱血するのがカサルである。なのに、彼はエビのように体を
二つにして、腹をよじらせて笑っていた。この姿は相当みっともない。
「はははっ…助けて…ははっ…苦しい…」
「な、なんだぁ?」
 別にミリアには何も起こらなかった。しかし目の前のカサルは腹をよじって苦しがっている。こ
れはいったい、どういうことなのか。
「おお、魔術師どの!あんたまで月光茸を食べてしまわれたのか!」
「はぁ?」
 突然背後から老人の声がしたのでミリアは振り返った。気が付けばさっき殴り倒したジジイが
いつの間にか復活して、元気に杖を振り回しながらミリア達のすぐ側まで近づいてきていた。
「てっきり、ミリア・カジネットだけが食べると思ってわしはああ言ったのに」
 老人は悲痛な声でつぶやくと、肩を落としてカサルの側に座り込んだ。
「おい、ちょっと待て。あたしらが喰ったキノコは毒キノコだったのか?」
 今まで以上に血相を変えて、ミリアは老人の胸ぐらを掴んだ。下手をすればこのまま殴りか
かりそうな勢いである。まあ、当然だ。毒キノコを喰わされてはたまらない。
「い、いや、そういうわけではないんじゃ」 
 慌てて老人が首を左右にブルブルと振る。しかし現実に、目の前でカサルは笑い続けてい
た。これが毒でないならなんだというのかわからない。
「あのキノコは頭の悪い奴には害はない。お前さんが無事なのがいい例じゃ。しかし、インテリ
とよばれる連中には、神経系統を刺激して笑い転げさせるという効果がある。下手をしたら死
ぬかもしらん。しかも解毒剤はないときておる」
「な、なんだとぅ」
 怒り、驚き、そしてミリアは激怒し、怒髪天を突いた。無理もない。食べて無事だったというこ
とは、自分の馬鹿を証明しているようなもんである。
「ジジイ、こ、殺すぞっ!」
 あまりの激情に拳をミリアは握りしめた。ほとんどもう怒りは爆発寸前である。
「わあ〜、そうやってか弱い老人を殴るような無神経な奴じゃから、お前さんには毒が効かない
んじゃぁ!」
 殴られそうにる寸前で老人は両手両足をバタバタさせてわめいた。ピタリ、と老人の顔面寸
前でミリアの拳が飛ぶ。
「ほほう、どういう意味だ?冥途の土産に聞いてあげようじゃないか」
 もはや聞く耳を持たないと言う風でミリアは老人の顔を見つめた。
「ふふん、ならば教えてやろうではないか。お前さんはとても無神経な奴じゃ」
「ほーう」
 もはや笑いになっていない怖ろしい形相でミリアは問いつめる。ジジイは幾分ひるみながら
も、その後を更に続けた。
「神経の無い奴に神経毒は効かない。まあ、当然じゃな」
「戯れ言はそれだけかっ!」
 言うとミリアはジジイに飛びかかった。渾身のパンチが一撃。そして見事にアッパーが老人の
アゴをえぐる。
「うぎゃぁぁぁぁ!」
 そして、山間の、今は平和になった村にジジイの悲鳴が響きわたる。傍らではカサルが不謹
慎にも笑い続けていた。
「ははは、そんな、ははは、ミリアさん、いけませんよ。暴力は…はは、おかしい…」
 まるで説得力のないカサルであった。もちろん、そんな仲裁で止まるわけがない。ミリアの喧
嘩はまだ続く。殴る、蹴る。そして叩きのめす。そんな調子で、キノコとの戦い以上のものが更
に続いてしまう。しかも相手は肉体的には無抵抗な老人というのに。
「わはは…どうしよう、…わははは…」
 悲しげにカサルの高笑いが響き渡る。笑いは止まらない。そして喧嘩も止まらない。どうにも
止まらないのであった。
              (おちまい)