
「は?魔人刈り?」
宿屋のカウンターでズルズルとラーメンをすすっていた貧乏クサイ女剣士が妙な驚き声を発する。
「うーん、あたしは百五十年以上生きているけれど、そんな変な話は聞いたことがないな」
ラーメンを摘んだ箸を置いて、ミリアは大きく首をかしげた。特徴のある、先端の尖った耳が首の動きに合わせて左
右に触れる。
「でしょう?あっしもさっきギルドで親方に聞いたんすよ」
いかにも嬉しそうに、ミリアに横に座っていた貧相な革鎧の男が相づちをうった。のっぺりとした長い顔に、間の抜け
た締まりの無い顔は、彼がいかにも無能ということを見事に証明している。
「しかし…魔人刈りとはね。そいつはスゴイな。で、どこの床屋でやっているんだ?」
「は?」
いかにも本気の表情をして聞き返すミリアの顔を、ケチな盗賊ランヌは『本気で言っているんですか?』という疑問の
表情で見つめ返した。
「なんだ、あんた。ケチケチせずに教えなさいよ。そういうヘアースタイルが今年の流行だから、あたしに教えにきたんじ
ゃないの?」
ミリアはカラカラと笑ってランヌの背中をポンポンと叩く。ランヌはあんぐりと口を開けたままでいた。文字通り、開いた
口は見事に塞がらなかった。
ミリア・カジネットはハーフ・エルフの女剣士である。しかし、彼女はただの女剣士ではなかった。そう、その尖った耳で
も解るとおり、人間の血と森の妖精エルフの血の両方を受け継いでいる。ハーフ・エルフと呼ばれるこの連中は普通の
人間よりも老化速度が極めて遅く、1/6のスピードでしか歳をとらない。
たいていのハーフ・エルフはその長い生涯を知識の探求に使う。しかし、このミリアは違った。「六倍の人生なら六倍
遊ぼう」と、徹底した快楽主義をチョイスしたのである。まあ、元からの堕落性とでもいうべきだろうか。おかげで今は剣
一本で生計を立てる、傍目で見たらカッコイイ、実際はどうしようもなく貧乏な生活に突入していた。ちなみにこのラーメ
ンは一緒に居るランヌにたかって奢らせたものである。
「あ…あのう、姐さん、何か勘違いしていませんか?あっしが言っているのは魔人狩りですよ」
弱気なランヌはおずおずと口を開いた。貧乏で稼ぎの悪いシーフのこいつが町をぶらついていて、頭の悪い女剣士に
捕まったのは三十分ほど前のことである。おかげで奢りたくもないラーメンを奢るハメになった。
「勘違い?なんだ、あんた、アタシには魔人刈りは似合わないとでも言うのかい?」
猫目の視線を厳しくすると、ギロリとミリアはランヌを睨み付けた。こんな奴でも一応百戦錬磨の腕前である。しかし、
頭の中は財布と同じくらいにカラッポである。
「い…いえ…その…」
「なにぃ?」
「あ…姐さんにはそのヘアスタイルがいちばんっす…」
うつむいて恐怖で肩を奮わせながらランヌは恐る恐る言った。これ以上こいつを怒らせると、いったい何をされるか分
かったものではない。
「む、やっぱり、そうかなぁ?」
ミリアは嬉しそうに汚い歯を見せて笑うと、持っていた箸で自身の後頭部にぶらさがっている髪の毛を掴んだ。ポニー
テールというにはおこがましい、汚い筆のようなものがそこにぶらさがっている。
「ところで、真面目な話、その魔人刈りって、どこの床屋でやっているヘアスタイルなんだい?」
あっという間に機嫌を直してラーメンに向き直ると、ミリアはズルズルと丼の汁をすすりながら怯えるランヌを横目で見
た。言っておくが、魔人狩りとは魔人が倒されていることで、トラ刈りやスポーツ刈りとはまったく違う。
「いや、床屋じゃないっす。姐さん、土の魔人のリッシルト・ゼンが倒されたって知っていますか?」
「あ?あの、リュルの坑道に巣食っていた、あいつか?」
「ええ。突然やってきた青い髪の魔法剣士に、あっという間にやられたらしいですよ」
「むむ?」
やけに神妙な面持ちでミリアは首肯いた。しかし、それとは裏腹に、丼のラーメンは汁までしっかり飲み干してある。
この湊町ガダルから山を二つ越えた所に鉱山町リュルがある。銅を掘り出している鉱山で、斜面にたくさんの坑道が
掘られている。その一つに、土の魔人リッシルト・ゼンが住むと言われていた。
「ええ。その女剣士はワザワザ土の魔人を挑発して喧嘩を吹っかけてから、奴を一撃の元に葬ったそうです。その戦い
のおかげでリュルの町は損害を受けて、復興作業に大忙しだそうです。まったく、困った話ですよ」
ランヌは苦々しそうな口調で舌を突き出した。別に、土の魔人リッシルト・ゼンというのは悪い魔人でもない。ただ、太
古から坑道の一つで眠り続けていると言われるだけである。誰も、別段迷惑はしていない。
「そりゃ、そうだ。普通は魔人の頭なんか散髪なんかしないもんね」
何かおもいきり勘違いした事を言うと、ミリアはしかめっ面で氷水の入ったグラスを傾けた。貧乏なので酒を買う金は
ない。
「それで、どうも、その女剣士は自らを魔人ハンターと名乗ったそうです。全国各地に封じられた魔人を退治して回って
いるとか」
「はあ?なんてヒマな奴なんだろう」
おもいきりミリアは呆れ果てた。思い切りヒマな奴にヒマと言われるとは、救いの無い話ではあるが。
魔人と呼ばれる連中は、自然の精霊と人間との間に出来た人間の亜種である。一説では精霊が人間の女に宿ること
で生まれると言われている。彼らはそれぞれの精霊力の化身であり、莫大な魔力を持つ、非常に魔法的な存在であ
る。特徴としては体の一部が動物のものと入れ替わっていて、ほぼ無尽蔵に魔法を使うことができる。
魔人は、敵に回せばかなりの強敵となる。そんなものとワザワザ戦うのは愚の骨頂というべきであろう。
「いえ、姐さん…これは馬鹿にできませんぜ。聞いた話では、その女剣士、土の魔人、リッシルト・ゼンを片付けるの
に、僅か五秒、剣の一振りで終わったそうです」
「僅か五秒で?」
当年とって百五十とン歳。それだけ生きているミリアは魔人とも知り合いである。額の広い、筋肉質の中年で、両手が
モグラの手をしていたのが土の魔人リッシルト・ゼンである。素早い動きと強力なパワーで知られるファイターでもあっ
た。
「まあ、あの魔人、かなりハゲてたからねぇ。そりゃ、散髪も早く終わるだろうさ」
まだ勘違いしているミリアのセリフに、ズルっとランヌは椅子から転がり落ちた。
「あ…姐さん…何言っているんですか…」
呆れる、というよりは言うべき言葉が見つからなくなって、ランヌはヨロヨロとカウンターにすがり着いた。
「なんだよ、まあ、あのハゲ魔人の散髪なら、そんなもんだろう。しかもあいつ、弱っちいから、それくらいはなんとかなる
んじゃないの」
ミリアは特に同ぜずに言い放った。そして、丼をカウンターに返すと、もう一杯の御代りを注文する。
ミリア・カジネット。普段はラーメン一杯の食事にも事欠く貧乏剣士だが、実はかなり強い。戦争でも起これば、傭兵と
しての働きは抜群だ。しかし、あまりにも頭が悪いので他の仕事ができない。加えて金遣いの荒さも抜群である。
「えっ…もう一杯食べるんですか?」
ランヌがあからさまに困った顔を近付けてきた。ランヌ・ゼーニヒ。同期の連中が皆盗賊の親方となっているのに、い
まだに下っぱを続ける三十前の貧乏シーフである。当然、そのサイフは軽い。
「文句あるっ?」
「いえ…いいっす…」
何とも言えない、魔人さえも睨み殺すような眼力に押されて、ランヌは大人しく首を縦に振るしかなかった。ラーメン一
杯で殺されてはたまらない。
「へい、お待ち!」
カウンターの向こうからマスターがドンと中華丼を持ち出した。ガダルの町名物であるシーフードラーメン。ちなみに値
段は一杯が銀貨五枚である。
「さーて、いっただきまーす!」
嬉しそうに、猫目を細くして、ミリアは箸を持つと、二杯目のラーメンに取り掛かった。
「へい、らっしゃい!」
ふと、酒場のマスターがそんな声を上げた。背後に新たな気配を感じてミリアはラーメン丼を摘んだままの体勢で振り
かえった。
そこには一人の女が立っていた。美しいブルーのストレートヘアをなびかせ、腰には青色のロングソードをぶら下げて
いる。小さくまとまった胸当て鎧は青みがかった色に染められている。金属板が美しく瑠璃色に綺羅めいていた。
「ねえ、ここに、ミリア・カジネットって人、いる?」
女はふと、そんな事を言った。
「あ?なんだい、用事なら、ラーメン食ってからにしてよ」
ズルズルと二杯目を掻き込みながら、ミリアはうっとおしそうに手を振った。相手が誰であろうと、今はラーメンの方が
大事である。
「ああ、今すぐ終わらせるからいいわよ」
そう言い放つと、女は両手を自身の胸の前でクロスさせた。そして深く息を吸い込む。すると、一度に強烈な魔力が彼
女の全身から溢れ出し始める。
「ラーメンの続きはあの世で食べなっ!」
「なっ…」
ラーメンを前歯で噛み切りながらミリアは絶句した。女の全身から、凄い勢いで高圧の水蒸気が吹き出しているのが
見えた。ぼんやりとしたミストが闘気のように女の周囲にまとわり付く。
「スチーム・ダイナマイト!」
女はクロスした両手を大きく広げ、天を仰いだ。瞬間、大きな水蒸気爆発が、起こり、酒場全体が爆音と共に崩れ落
ちた。
厚い霧が宿屋の跡地に濛々と立ち篭めていた。バラバラになった煉瓦と角材の断片。二階建ての酒場は見事に崩
壊して崩れ落ちていた。ガタルの町の名物シーフードラーメンを食わせる宿屋『黄金のサンマ亭』もこれでその歴史にピ
リオドである。
あっという間に変貌した酒場跡地の奥のカウンター。そこにまだ奴は無事で居た。瓦礫だらけになったドンブリを両手
で包み込むように持ち、ミリアは相変わらず座っている。
先程魔法を放った女は、宿屋の入り口があった所に突っ立っていた。その顔には明らかに驚きの表情が見て取れ
る。
「ぶ…無事?」
あまりのことに女は目をパチクリとさせた。先程の呪文にはかなり高いレベルの魔力を込めたはずである。少なくと
も、中級程度の魔人なら余裕で吹き飛ばすことができるパワーだ。
「ペッ!」
ミリアは腹立たしそうに口から小石を吐き出した。爆発の時に口に入ったものである。そしてミリアはゆっくりとドンブリ
の中に視線を落とした。さっきまでおいしく食べていたラーメンの器の中は、石や柱の破片などが入って食べられなくな
っている。
「おい、よくもあたしのラーメンを駄目にしてくれたな」
猫目の締まりのない顔を無理にシリアスにしてミリアはカウンターから立ち上がった。そしてパンパンと両手で体のホ
コリを払い落とす。
「ふっ、この爆発で無事とはね。さすがは炎の魔人、ミリア・カジネットだね」
女は忌ま忌ましそうに正面からミリアを睨み据えた。美しいコバルト・ブルーの髪が海風になびいている。
「はあ?誰が炎の魔人だ?」
訳のわからないことを言われてミリアは首を傾げた。今まで、地上最低剣士、人間ゴミバケツ、借金増大計画書等の
不名誉な陰口を叩かれたことはある。しかし、炎の魔人などと言われたことは今までない。
「ふっ、とぼけてもムダさ。貴様が炎の魔人であることは調べがついているからね。さあ、大人しくアタシの軍門に下りな
よ」
少しも臆することなく、女は剣を抜き放つと体の正面でそれを構えた。少し幅広のロングソードは、それもまた青いコ
バルト色の刀身をしていた。うっすらと刃から水煙が立ち上っているのが見える。
宿屋の爆発を見て、ガダルの町の野次馬は集まって来た。場所は港を背後にした船乗り達の盛り場である。野次馬
はたいてい屈強な荒くれどもだ。
しかし、その連中でさえ『うわっ、ミリアに喧嘩売る馬鹿が出たぞ』と遠巻きにして、あまり近寄ろうとはしていない。
「さあ、アタシと勝負だ。あんたも炎の魔人なら、まさか臆して逃げるなんてことはないだろうね」
女はコバルト・ブルーのソードを構えたまま、口元に少し皮肉めいた笑いを浮かべた。それは自分の腕前の自身から
来るものだった。
「へへん、誰が臆するかい。このあたしに喧嘩を受る命知らずがまだいようとはね」
爆発で着いた瓦礫の破片を振り払い、ミリアは立ち上がった。簡素な革鎧と、大きな両手剣一本だけの単純な装備で
ある。ただ、別にポリシーがあってそういう格好のわけではない。単に貧乏で鎧と盾が買えないという経済的事情があ
るだけである。足もやっぱり裸足だ。
しかし、そんな貧乏たらしい装備でも、この馬鹿の強さはガダルの町では知られていた。何しろ一人でドラゴンを退治
に行って、その肉を薫製に、皮はハンドバックにしたほどの生活力の持ち主である。
「さては、魔人刈りとかいうヘアスタイルを広めている謎の床屋とはあんたのことだな」
腰の剣に右手をやりながらミリアは乾いた唇を舌で濡らした。
「は?」
言葉の意味が解らず、女はおもいきり不審そうな顔をした。それはそうである。魔人狩りと言ってヘアスタイルを想像
する馬鹿など普通はいない。
「でも、そうはいかないからね。この爆発でも、あたしの髪型はこのとおり無事なのさ」
自信満々に言って、ミリアは自身の後頭部を指差した。そこには相変わらず、汚いボサボサの筆がぶらさがってい
る。ただ本人はあくまでもポニーテールの線を譲らない。
「あたしはリッシルト・ゼンのように簡単には料理できないよ」
ようやく、マトモに近いセリフを吐くと、ミリアはスラリと両手持ちの大剣を抜いた。店では売れないほどのナマクラを、
鍛冶屋に頼み込んで銀貨二枚で売ってもらった剣だ。ミリアが持つ、数少ない金属でもある。たいていの金属製品はす
ぐにクズ屋に直行して飲み代になってしまうので持つことがない。
「ふふふ、そうだね。アタシもミリア・カジネットはあっさりと片付けられるとは思っていないさ。話には聞いているよ。こ
の、ファウド大陸最凶最悪の魔人だってね」
「ほほう、なかなかいい誉め言葉じゃないか」
眉間にシワを寄せてミリアは奥歯をガリガリと鳴らす。そしてグレートソードを片手で軽軽と持ち上げると、右の肩口に
柄を当てて構えた。
「でもね、一つだけ言っておこうか。このあたしに喧嘩売って、タダで帰れるとは思うなよ」
「ふふふ、もちろん、自信があるから言っているのさ。この魔人ハンター、ミスティー・ブルーの名にかけてね。どうだ
い?聞いたことがあるんじゃないの?」
女は、ミスティーと名乗った彼女は意味ありげにブルーの髪の毛の生え際をサラリとかき上げた。サラサラと髪がこ
ぼれる音と共に、水の粒子がキラキラと飛び散る。
「へっ…?いや、そんな名前は全然聞いたことも無いね」
まるで知らん、という真顔でミリアは首を横に振った。いい加減に百五十年も自堕落な生活を続けていると、世間のこ
となんかたいして気にならなくなってくる。
「姐さんっ!大変ですぜ。ミスティー・ブルーと言ったら、あの有名な魔法戦士じゃないですかい」
その時、積み重なった瓦礫の山をモグラよろしく掻き分け、、ひょっこりとランヌが姿を表した。こいつもどうやら無事
だったらしい。貧相な顔が泥まみれでますます貧相になっているが、どうやら傷一つ負ってはいないようだ。
「ありゃ?ランヌ、生きていたのかい?」
「まあ何とか…姐さん、このミスティーって女は危険ですよ。何しろ、剣だけじゃない。水の魔法を使いこなす、稀に見る
強さの魔法剣士って話です。と、いうわけで、さっさと降伏した方がいいっす」
弱いものにはとてつもなく弱い。それがランヌという男である。彼はあっという間に両手を上げると、素早くミスティーの
後にカサカサと逃げ込んだ。要するに、あっさりと降伏したのである。
「いけぇ!魔人ハンターのねーちゃん。ガダルの町に平和を取り戻してくれ!」
ふと、気が付けば、周囲に集まったヤジ馬達が口々にそんなことを言っていた。もう、ほとんどの民衆はあっさりとミス
ティーを味方していた。仕方がない。ミリア・カジネットという奴、別に魔人ではないが、無害な人間では決してない。なに
しろ、年中貧乏で人にタカっている奴である。泣く子も黙るどころか、泣く子から小銭を取り上げる奴である。
「皆さん、ありがとう。アタシは魔人ハンターの名にかけて、かならず炎の魔人ミリアを倒すよ」
ミスティーはそのさわやかな顔を民衆に向けると、軽く左手を上げてウインクをした。たちまちスケベな荒くれ達の間
から歓声があがる。
「な、なんのっ!魅力なら負けないぞっ」
対抗してフトドキにもミリアは民衆に顔を向けてウインクをやり返した。たちまち人々の間から「視線を合わすな!石
化するぞ!」という悲鳴があがる。負けないどころか、完璧な敗北である。
「ふふふっ、どうやら、町の人もあんたには味方しないみたいね」
群衆を味方につけてミスティーは微笑んだ。まあ、これはどうしようもない。それほどまでにミリアという奴、町では人
気が無い。ほとんど厄介者扱いされているのが正解である。
「くっ、よくもあたしの恥を暴いたな。くそっ、最初は金貨五百枚で許そうと思ったが、こうなったら千枚に格上げだっ」
左手の中指を突き出してかなり下品なポーズを取ると、ミリアはミスティーの付けている品物を頭の先から爪先までジ
ロジロと値踏みし始めた。魔人ハンターと名乗るだけあって、なかなかミスティーの装備は高級そうである。
こうして両者は殺気の火花を散らした。見つめあった視線は巨大なエネルギーの衝突のようにカチ合うと周囲に冷た
い恐怖を撒き散らす。実際、両者とも並々ならぬ実力の持ち主である。
「さすが魔人だけあって、大口はすごいわね。でも、このアタシは今だに魔人には遅れをとった事はないのさ」
舌先をわずかに唇の上に重ねながらミスティーは薄い笑いを頬と口元に浮かべた。しかし、その笑いとは裏腹に額に
はわずかに汗が浮かんでいた。この女も実力者な分だけ、ミリアという剣士の恐ろしさを承知している。
「ほざくなっ!」
ミスティーの挑発を合図にしてミリアはグレートソードで切り掛かっていった。こうしてガダルの町のゴミが片付くかどう
かの戦いが、市民の願いと共に始まっていったのである。
「うぉっ!」
ミリアは一声上げるとおもいきり跳躍した。重さ五キロもある両手剣を片手で構えたまま、軽々と三メートル近く飛び
上がる。ほとんど超人的な跳躍力だ。まあ、たしかにこいつは人でナシではある。
「ガラ空きだっ」
構えた両手剣をミリアは馬鹿力任せに水平に振り回した。ブーンと鈍い音がして、巨大な刃物がミスティーの横からフ
ッ飛んでくる。
「ていやっ!」
素早くミスティーは逆手に剣を持つと、体を半身捻り、ミリアが放ったグレートソードを受けとめる。
ガキィンと火花が散り、金属の悲鳴があがった。両手剣はミスティーの顔三十センチのところで止まる。
「くっ!」
ミスティーは必死になって右手に力を込めて、ミリアの剣を防いでいた。受けとめるのには成功したものの、ミリアはと
てつもない怪力でグイグイとグレートソードを押しつけてくる。「へっへぇ、どうしたのかな?脂汗が滲んでいるじゃないの
さ」
ほとんど余裕の表情でミリアはペロリと舌を出した。顔は苦しむ相手を嘲笑うかのように悪戯っぽく笑っている。
「な、なんて力…」
刃を噛み締めて両足を地面に踏み止まらせ、ミスティーは渾身の力で鍔競り合いの戦いを続ける。しかし、ミリアの方
が遥かにパワーでは勝る。その証拠に、せっかく一度は受けとめたミスティーの青い片手剣が、ジリジリと押し戻され
て、次第に体勢が不利になっていく。
「くぅ、馬鹿力め…」
端正な顔を歪ませてミスティーが喘ぐ。それはそうだ。ミリアというバカの力を甘く見てはいけない。他人が力試しに指
で曲げた銅貨を、いともたやすく元どおりにして、また使うようなパワーの持ち主である。
「しかも両手剣を片手で使うなんて…」
次第に不利になっていく体勢を呪うようにミスティーは呻く。一メートル八十センチの長さを誇る巨大なグレートソード。
こんなものは筋肉マッチョの戦士でも両手でしか扱えない。
「なっ、なんだって?」
その途端、ミリアはふっと顔色を変えた。急にフッと力が弛む。
「こ、これ…両手剣だったのか…今までずっと片手で使っていたから解らなかったよ」
唖然としてミリアは自分のグレートソードを見つめた。どう考えても、こんな物干しサオは両手でしか扱えない。
そんな馬鹿なことを言い出したミリアに僅かに隙が出来た。その合間を盗むと、ミスティーは素早く額の生え際から自
分の髪の毛を数本引抜き、ミリアの前に放り投げる。
「ウオーター・ショット!」
目の前に放り投げられた青い髪の毛はミスティーの言葉と共に、数本の水の矢に形を変えた。そして一斉にミリア目
掛けて短く軌道を描く。
「ぐわっ!」
見事に水の矢がミリアに命中し、この馬鹿はもんどりうって引っ繰り返った。全弾が革鎧の胸当ての部分に命中した
のである。水で作られたこの矢には殺傷能力はない。しかし、間合いを取ったり相手に隙を作るには十分である。
「ち、ちぇっ。油断したよ」
しぶとくミリアはすぐに立ち上がると体勢を整えた。この辺り、どんな馬鹿でも歴戦の戦士だけはある。
「ふふふ、アタシは全ての水の呪文を扱える剣士なのさ。こいつがアタシの強さの秘密よ」
ミスティーは意味有りげに水色の髪をサラサラと撫でる。髪の毛の先から美しい水滴がポタポタと地面にしたたり落ち
る。
「くっ、髪の毛から水を出すとは、さすが魔人刈りの床屋だけあるね」
まだミリアはそんな事を言った。ズルっと音を立ててミスティーがコケる。同時に見守っていたヤジ馬達も足を滑らせ
た。
「でも、負けてたまるか。このヘアスタイルをあたしは死守するぞ」
どう考えてもボサボサ頭にしか見えない汚い頭を押さえると、ミリアは今度はしっかりと両手でグレートソードを構えな
おした。
「だ…誰が床屋なのっ!」
あまりの頭の悪さに今度はミスティーがブチきれる番だった。そしてそれは丁度彼女の攻撃の順番に達している。
ミスティーは自分の薄青に輝く剣を構えると、小さく息を吐いて呼吸を整えた。瞬間、凛と空気が張り詰め、冷たい空
気が周囲に走る。
「たあっ!」
気合いの入った掛け声と共に、ミスティーはミリアの間合いに踏み込んだ。ミスティーの装備は薄い胸当て鎧のみで
ある。しかしこっちは貧乏というわけではなく、単に動きを重視しただけの攻撃だ。
一撃、二撃、三撃とミスティーは切り付けていく。その太刀筋といい切り込みの素早さといい、普通の魔法剣士では到
底達することの出来ないレベルでだ。魔法剣士は普通、剣と魔法の両方を学ぶので、自然とその技量が中途半端なも
のに陥り易い。しかしミスティーの剣技は熟練の剣士とほとんど互角がそれ以上をいく。
素早く、華麗にブルーの剣がヒラヒラと舞った。鋭い剣が全部で五回切り込んでくる。
「なんの、その程度っ」
しかし、ミリアは本職で熟練の戦士である。重たいグレートソードを盾代わりにして、次々と繰り出されるミスティーの
攻撃を受けとめていく。左右、そして上下から迫る青い刃の次々と、強弱を付けながら弾き飛ばしていく。ミリアにとって
この程度は容易いものだ。
最後の一撃を軽く剣の握りの切っ先で弾き飛ばすと、ミリアは軽く息を継いでミスティーに向き直る。
「五回攻撃とは恐れいったね。でも、その程度ならあたしにもできるぞ」
かなり自信満々にミリアは言ってのけた。簡単に五回攻撃というが、熟練の戦士でもようやく到達できる回数が一度
に五回の攻撃である。たいていの魔法剣士と呼ばれる連中は三回切り付けるのが関の山だ。しかしミスティーは五回。
これはその実力のすばらしさを十分に証明している。
「さて、今度はあたしから行くぞ。あたしの攻撃は五回なんかじゃないぞ」
大胆不敵に、両手を腰に当ててポーズを取ると、ミリアはカラカラとまるで悪役よろしく笑った。たちまち群衆から「似
合わないことするな」という罵声が飛ぶ。
「ま、まさか…六回攻撃ができるというの?」
ミスティーは整った眉を寄せて顔をわななかせた。伝説の六回攻撃。それは大陸を揺るがす実力の英雄にのみ許さ
れる攻撃の回数である。ただ、ミリアの場合、大陸をお騒がせするという点ではピッタリだが。
「へへっ、まあ、そんなものさ。食らえっ、床屋っ!」
相変わらずどこか勘違いした意見を大声で怒鳴り、気合いを入れると、ミリアは再度グレートソードを構えてミスティー
の間合いへと突撃していった。
金属の悲鳴、というにはあまりにも悩ましい金切り声が上る。
「きゃぁぁ!」
ミスティーは片手持ちの剣をしっかりと両手で握り締め、自分の体の正面で構えていた。一瞬の呼吸の隙も許されな
かった。隙を見せればあまりにも鋭くパワフルなミリアの剣戟がたちまちミスティーを弾き飛ばす。
「かっかっかっ!」
汚い刃を見せて笑いながら、ミリアはグレートソードをブンブンと振り回した。せっかくこれが両手剣だと教えられたの
に、相変わらず片手で軽々と振り回している。
一撃、二撃と凄まじいスピードで大剣がミスティーに切り掛かってくる。この程度の重さの剣なら、ミリアにとっては普
通の片手持ちの剣を扱うのと大差ない。
「うっ、くっ!」
今度は逆にミスティーの方が片手剣を両手で持って、このパワフルな攻撃を受け流す。こうでもしないと、剣ごと吹き
飛ばされてしまいそうな強力な攻撃だ。
「な…なんのっ…」
三回、四回とグレートソードが襲いかかる。歯を食い縛り、両足でしっかりと上半身をささえて、必死でミスティーはそ
の攻撃を交わす。幸いなのは、ミリアの剣は所詮パワーだけなので太刀筋は単純に見切れるということか。
ブーンとうなりを上げて五回目の攻撃が襲いかかる。ミスティーは両腕に力を入れて、しっかりと剣の鍔近くでグレート
ソードを受けとめる。
(これで終わり?)
普通、どれほど熟練した剣士も、五回攻撃以上は不可能である。六回目というものはまずない。というより、これがミ
スティーの防御できる回数の限界でもある。六回目の攻撃は受けとめるも躱すことも難しい。
「油断したなっ!」
一瞬の隙がミスティーに生まれたことをミリアは確認した。そしてサッとグレートソードから手を離すと、瞬きもせぬうち
に、素早くミスティーの背後に回りこむ。
「えっ、な、なに!」
背後を取られたミスティーが驚愕と後悔の叫び声を挙げる。まるで影のようにしてミリアは彼女の背後に回り込んだ。
そして、やおら両手でミスティーの背中から胴体をガッチリ掴む。「とりゃぁ!」
そして背筋に力を入れると思い切りミスティーの体を持ち上げて背中をエビ反りにする。いわゆる、バックドロップの
体勢だ。
ベゴッと音がして、ミスティーは頭から煉瓦の残骸に突っ込んだ。この格好のいい魔法剣士は見事に情けない格好で
頭を地面に埋られてしまう。
「ふう、おそれいったか」
得意げにミリアは大口を開けて目を細めると、裸足でグリグリとミスティーの背中を踏み付けた。時間にして五分と三
十秒。すかさずランヌが傍でカウントを数え始める。
「ワーン、ツー」
一応、こんな剣士同士の戦いにもマナーはある。ダウンを取られてスリーカウントを取られたら、公式にはその敗北
は決定する。
「スリ…」
しかし、ミスティーはさすが魔人ハンターの異名を取るだけの剣士であった。貧相な顔でランヌは必死のカウント三つ
目を叫ぼうとした刹那、ガバッと身を起こして再度ミリアに向き直る。
「ななっ!このあたしのバックドロップを食らって立ち上がるとは」
「はん、残念だが、アタシの髪は水で出来ていてね、頭部への攻撃は全て防ぐのさ」
ミスティーのブルーの髪がサラサラと風に揺れる。相変わらず、その先端からは瑞々しい雫がポトポトとしたたり落ち
ていた。
「アタシは水の魔法剣士さ。しかし、さすがに今の攻撃は少し効いたね…」
軽い頭痛の残る額を擦りながら、ミスティーは再度ファイティングポーズを取った。腰を落とし、水色の剣を再度体の
前面に構える。
「さすがはファウド大陸最悪の炎の魔人だけはあるね…しかし、この技には勝てるかっ!」
ミスティーは戦闘体勢のまま、一度後に飛んだ。ミリアとの距離は十メートルほどに開く。相手は近接戦が得意とみた
ミスティーは掴まれない間合いを取った。
「はあ?その、あたしが炎の魔人ってのは何だ?」
「問答無用!アイス・ニードル!」
めずらしくマトモな質問をしたミリアの言葉をまったく無視すると、ミスティーはその整った眉毛を親指と人差し指で挟
んで抜いた。抜かれた毛はたちまち堅く冷たい氷の針と化す。
「ショット!」
左手をミスティーは振りおろした。指先から数本の氷の針が飛んでいく。狙いは一直線にミリア目がけてだ。
「しまった!剣が無いっ」
慌てて防御しようとしてミリアは焦った。さっきのバックドロップのために剣は投げ捨ててしまったのである。剣士が剣
を捨てるあたり、この女の無計画さが見事に証明されている。
「これだっ!」
ミリアは慌てて足元に落ちていた銅製のビールジョッキを拾い上げた。戦闘場所がさっきまで酒場だったところなの
で、このようなものはゴロゴロ落ちている。
ミリアは素早くビールジョッキを構えると一直線に飛んでくる氷の破片を下から救い上げた。
キンキンキンと鈍い金属音がする。氷の針はビールジョッキに吸い込まれ、その底に氷の破片溜りを作り上げる。
「な、なっ…」
予想外の行動に出られてミスティーは目を丸くして呆然とした。まったく、とんでもない防御である。長年水の魔法を使
ってきたが、まさかビールジョッキで防いだ奴が現われるとは思いもしなかった。
「おっ、こんな所にウイスキー発見」
さらに、ミリアは足元の瓦礫の中から、幸いにして無傷だったウイスキーのデカボトルを拾いあげた。その栓を軽く捻
って開けると、中身をトクトクとビールジョッキに移す。たちまち芳醇な香りが周囲に漂い始める。
「うーん、オンザロック。ここで飲めるとは思わなかった」
馬鹿なことを言うと、ミリアは嬉しそうにビールジョッキを口元に運んだ。今が戦闘中であることなど、てんでおかまい
なしである。
「おい、床屋のねーちゃん。今度は水割りがいいなあ」
上機嫌でその一杯を飲み干すと、カラッポになったビールジョッキを逆さまにしてミリアは笑う。
「な…なんて魔人…」
唇を噛み締め、瞳に憎しみの色を浮かべてミスティーは呟いた。精神的にも体力的にも次第に押され始めていた。当
然だが、こんな戦いは今まで一度も経験したことがない。
「よし、ならばこっちもフルパワーよっ。このアタシ、ミスティー・ブルーの真の実力を見せてやるわっ」
サラリとミスティーは自分の額に手をやった。そして何か呪文らしい言葉をつぶやきながら、ゆっくりとその長い髪を撫
で始めた。
「アタシの名は、アタシが水の魔法剣士だから付けられたものさ」
その青色の髪を絞るように手のひらをゆっくりと滑りおろす。すると、その青い髪の色が次第に茶色の髪の毛にと変
わりつつあった。
それと平行して、水の壁がミスティーの前に姿を表した。やがてそれは竜巻のように渦を巻き始める。
「へっ?な、なんだぁ?」
呆気に取られてミリアはビールジョッキ片手に眼を丸くした。丁度空気が旋風を造るように、水が渦を巻いてミスティー
の前に現われている。
「こいつで終わりにしてあげるさっ!ウォーター・トルネード!」
右手で大きく溜めのポーズを取ってから、ミスティーは勢い良くその手のひらをミリアの方に突き出した。魔力は十分
に充実した。轟々と渦巻く水が、ミリア目掛けて地面の上を滑り走る。
「うわたっ!」
ミスティーの剣戟とほとんど同じ速度の素早さで、水流が襲いかかってきた。一瞬早くミリアは身を躱し、その渦の攻
撃をやり過ごす。
「ふう、やり過ごしたぞ」
「甘いねっ」
ミスティーはクイッと右手で「こっちへ来い」の合図をする。すると、過ぎさった水流がUターンしてこちらの方へと戻って
きた。
「なっ、ななな!」
側面からすばらしい速度で水渦が再度襲いくる。間一髪のところでミリアはまた身を躱した。しかし、渦が発した微細
な水粒子を全身にかぶってしまう。
「つ、冷たいぞっ!」
「ふふっ、この渦巻きは零度とはいかないけれども、十分に寒いのさ」
切札が十分に効果を発揮していることに満足してミスティーは満足気にうなずいた。両手を組んで仁王立ちのポーズ
のまま、逃げ惑うミリアを見やって嘲笑う。
「その渦巻きはアタシの意志でいつまでもアンタを追い続けるのさ。さあ、これで火の魔人ミリア・カジネットも最後だね」
自身の圧倒的な優勢を確認してミスティーは口元に手を当てて楽しそうに笑った。ミリアはただ逃げ惑っている。
しかし、それで終わらないのがこのミリアという奴である。もちろん、逃げながらも反撃のチャンスはうかがっている。
そして、それは意外と早く訪れた。と、いうより、ミリアが開き直ったのである。いい加減にこうして逃げていても埒が明
かないと判断したのか。実際のところはただ気が短いというだけなのもあるが。
「くっ…たかが水ごときめ…所詮はアルコールで割られる液体のくせにっ」
おかしな価値観の言葉を言うと、逃げていたミリアは一転して正面を向いた。そこにはうなりを挙げて水の渦が突っ込
んでくる。ミリアの手にはビールジョッキが握られていた。その顔は、何か堅い決意のようなものが見られる。
「水なんか、こうしてやるっ」
ミリアは構えた手に持ったジョッキで水の渦を勢い良く汲み上げた。ジョッキの中に、よく冷えた水が並々と溜まる。
「へへへっ、いい冷え具合だね」
そして、非常識にもミリアは向かってくる水の渦をビールジョッキですくって飲み始めた。確かに、よく冷えていい飲み
ごろの温度だが、あまりにも変態だ。
「ぷはぁ、もう一杯っ」
あっという間に水を飲み干すと、ミリアは今度は二杯目を奪った。ザバザバと水がジョッキで汲まれていく。渦巻きは
だんだんとその大きさを小さくしていった。いくら魔法が強力で、どこまでも付いていく渦巻きであっても、水分が減れば
大きさは小さくなる。
「の、飲むなっ!」
だんだんと小振りになっていく渦巻きを見てミスティーが叫ぶ。しかし、時すでに遅かった。人間の背丈ほどもあった水
の渦はあっという間にリンゴ大の大きさに変わり果ててしまう。「おうりゃ!」
しかし、聞く耳持たないミリアは最後の一杯の水を再度ビールジョッキですくい上げた。ジョッキの中では水が渦を巻
いている。その中にウイスキーを流し込むと、不純物を入られた水はたちまち死んでしまう。
「ひ…非常識めっ!渦で水割りをするとはっ」
あっと言う間に大量の水はミリアの胃袋の中に納まった。オンザロック一杯に水割りは二十杯以上。お勘定は金貨十
五枚というところである。
「やかましいな、ガタガタ言うなよ。そんな飲みたいならアンタにも飲ませてやるさっ!」
うっとおしそうに言い放つと、ミリアは飲みかけのウイスキーをミスティーに向かってブチ巻けた。思い切り不意を突か
れてミスティーは頭から強かにウイスキーをかぶる。
「あっ…しまった」
避ける間もなく、ミスティーは頭部にウイスキーを受けてしまった。たちまち、吸水性の良い、水を溜められる髪の毛
がアルコールの水を吸い取り始める。
「あっ…酔いが…」
ミスティーはよろめいた。この魔法剣士、水の魔術を使う反面、酒のような水の汚染物質に非常に弱い。しかも髪の
毛に貯水できるならばなおさらだ。あっという間に吸い込まれたアルコールが全身に行き渡ってしまう。
「くっ…ま…負けた…」
ガックリと膝を落とし、そのままミスティーは地面に転がる。ウイスキーの強烈なアルコール度数によって全身が弛緩
してしまっていた。
「おっ、何か知らないが勝ったみたいだね。さて、祝杯を挙げるとしようかな」
そして今や完璧に勝利を確信したこの馬鹿な貧乏剣士は、カウンターの跡地に腰を降ろすと、ジョッキの中の水割り
をさも美味そうに飲み干していた。
こうして二人の実力者の激闘は終わった。後は町の警備隊による戦後処理を待つだけである。
「だからっ!なんであたしまで牢獄行きなんだ」
数分後、駆け付けてきたガダルの町の警備隊によってミスティーは逮捕され、護送された。そこまではまったく筋書き
どおりだった。後はお決まりの通り、地下の牢屋に監禁しておしまいである。
「この女が暴れるといけないから、一緒に着いてきてください」
警備隊の連中にそう言われて、愚かにもミリアはのこのこと着いていった。そして気が付けば見事に騙されて牢屋に
閉じこめられていた。もちろん、町の人々は拍手喝采である。
「酒場を壊したのはどうせお前の仕業だろう?まあ、詳しい取り調べが済むまでここに入っていろ」
警備隊の隊長は忌ま忌ましく呟くと、牢獄の地面にペッと唾を吐き捨てた。こういう時に、普段の信用がものを言う。
「こらっ!あたしは何もしていないって!本当なんだぞっ、こらっ!」
鉄格子の向こうから喚くミリア。しかしそんな叫びを少しも気にせずに、スタスタと警備隊長は去っていく。後にこの警
備隊長には町に平和をもたらしたとしてガダル市民平和賞が授与されることになるのだが。
「あんた、よほど信用無いようね」
牢獄の奥の壁にもたれ掛かり、ようやく泥酔から醒めたミスティーが二日酔い気味のとろんとして眼で語りかける。
「うるさいっ!だいたい元はといえば、あんたのせいじゃないかっ!」
宿屋を呪文で破壊した。たしかにそれはミスティーの仕業である。しかし一緒にブチ込まれてしまうミリアの信用の無
さもたいしたものだが。
「ふふん、もう、どうでもいいわよ。所詮アタシは魔人を倒すのに失敗した魔人ハンターなのさ」
ミスティーはいくらか自嘲気味に唇を突き出すと、やや虚ろな視線を天井に向けた。
「あのさ、一つ言っておくけれど、あたしは魔人なんかじゃないんだぞ」
この騒動の大本はそこであった。どんなにバカで怪力で頭がカラでも、ミリアは魔人ではない。
「はん、このミスティー・ブルーを床屋と間違えるような奴の言うことは信用ならないね」
まあ、そうである。普通はそんな間違いを犯さない。
「この人名録に、アンタのことが書いてあるからね。ここを見なよ。きちんと火の魔人って書いてあるじゃないか」
捨て鉢気味にミスティーは腰のベルトポーチから、一冊の小さな手帳を取り出した。皮の表紙には金の塗料で『世界
のマ人録』と書かれている。
手帳は地面に落ちて、丁度このファウド大陸の所のページが開いた。ミリアはサッとそれを拾って中身を覗き込む。
「なになに…湊町ガダル、ファウド大陸最凶最悪のヒマ人、ミリア・カジネット…なんだ?こりゃあ!」
あまりの馬鹿馬鹿しさにミリアは手帳を放り投げた。たしかにそこには自分の名前が書いてある。そして確かにマ人と
明記してある。しかし、それは魔人は魔人でもただのヒマ人だ。
「何が火の魔人だっ!このバカタレっ!」
怒りに任せてミリアは手帳のページを見せてがなり立てた。これ以外にもニューハーフのオカ魔人や、ライカンスロー
プのク魔人など、どうしようもないマ人がこの手帳にはいっぱい書かれている。
「ほ…本当…」
思ってもみなかった展開に、ミスティーはガックリと肩を落とした。というか、こんなアホな人名録を使った方が悪い。
「くっ…この魔人ハンター、ミスティー・ブルー一生の不覚よ」
というか、本は内容をきちんと見てから買いましょうといういい見本である。
「ところで、なんであんたはそんなに魔人って奴らを付け狙っているんだよ?あんな連中、別に倒しても金になんない
ぞ」
思い切り落ち込んで、逃避世界で地面をホジくるミスティーをミリアは無理遣り現実に引き戻した。とにかく、そのこと
が腑に落ちなかった。魔人など別に放っておいても害はないし、多額の賞金がかけられているわけでもない。
「そ、それは…思い出すのも嫌だけれど…」
「うるさい!さっさと話せ!」
こんな牢屋に閉じこめられた腹いせも手伝って、ミリアは怒りの表情でミスティーの胸ぐらを掴む。
「アタシが子供のころ、村が酷い飢饉に見舞われたのさ。そんな時、村の僅かな貯えを狙って、一人の魔人が村を襲っ
たんだ」
「へえ?そいつはさぞ強力な魔人だったんだろうね」
魔人とは言っても、その大半は普通の人間よりちょっと強い程度の実力である。村を滅ぼすほどの力を持った魔人は
そうはいない。
「そいつは村をメチャクチャにすると、村の僅かな貯えを奪って行ったのさ。それからアタシはずっと魔人という連中を付
け狙っているんだ」
「そいつはヘビーな話だね。でも、そんなのに間違いで巻き込まれたらこっちは堪らないよ」
「ああ…アタシが悪かったよ」
いかにも迷惑そうに文句を垂れるミリアに対して、ミスティーは素直に頭を下げた。
「解ればいいさ。しかし、村を滅ぼす魔人とはとんでもない奴だな。案外、あたしの知っている奴かもしれないね。どんな
特徴だったか言ってみなよ」
勝ち誇った勝者の余裕満点な態度でミリアは腕組みをして何度かうなずいた。その様子を見て、少しミスティーも口を
開く。
「ああ…忘れもしないね。そいつの耳は長かった。エルフとはまた違う長さだった。中途半端に長かったよ」
「ふんふん、なるほど」
ミリアの中途半端な長さの耳がヒクヒクと動く。ハーフ・エルフは純正エルフより耳の長さが短い。その点、ちょっと見
ると、体の一部が動物である魔人達にそっくりである。
「それで、奴は猫のような眼をしていた。いかにも狡そうにカラカラと笑っていたさ」
「魔人のくせに、なんて下品な奴だろう」
真摯な面持ちで猫目を細めてミリアはうなずく。
「奴は剣の達人だったよ。馬鹿みたいに大きな両手持ちの剣を片手で使っていたさ」
「また、変わった奴だね」
「そのくせ、装備は貧弱で革鎧しか着ていなかった。しかも裸足だった。とにかく、貧乏臭い魔人だったことを覚えている
よ…ん…ちょっと待った!」
ミスティーはジロジロと再度ミリアを頭の天辺から爪先まで見つめ直した。猫目で耳が中途半端に長い。そして革鎧に
バカみたいに大きな剣。どこから見ても記憶の中の魔人そっくりである。
「あ…あんた…二十年前、ゴビウスの村を襲っていない?…」 怒りに唇を奮わせながら、ミスティーはゆっくりとコブシ
を握り締めた。そこには鉄製のナックルが嵌められている。剣は没収されたために使えないが、この隠し武器でそれな
りに戦える。
「ん?ああ?旅の途中で食料が尽きたことがあってさ。困っていたら、目の前にそんな名前の村があったね」
「そ…それで?」
「いや、おかげで腹一杯になったよ」
いかにも嬉しそうにミリアはカラカラと眼を細めて笑った。その光景は見事にミスティーの記憶の中の魔人と一致す
る。
「おのれっ!ここで会ったが二十年目!」
怒りに任せてミスティーはミリアに飛び掛かった。狭い牢獄のなかで、たちまち凄まじいバトルが再開される。
「なっ、あたしが昔襲った村はひょっとして!」
ようやく気付いたミリアは牢屋の中を走り回る。しかし、こんな狭い空間で逃げ切れるわけはない。
「ええい、村の敵のヒ魔人めっ!」
ようやく目指す敵を見付けたミスティーは一転して元気百倍でミリアに殴りかかる。
「死ねっ!死ねっ!」
「くそっ、テメエこそ死ねっ!」
狭い牢獄の中で、二人の実力者は上になったり下になったりで殴り合い…いったい誰が悪いのか。それはもう、ミリ
アとしか言いようが無い。
このどうしようもなく不毛な実力者の戦いを、後の人は『ヒ魔人達の狂演』と呼ぶ。
(おーしまっい)