おっ金ぇ戦い!

「なぬ、アン殺だって?」
 薄暗い盗賊ギルドの一室。部屋の片隅に置かれた机の前で、オンボロの革鎧を着た女が吠
える。
「するてっと、使う武器はマンジュウかなんかか?」
 怪訝な顔で、猫目の女が顔を突き出す。ズルっと音を立てて、椅子に座っていた、四十絡み
の肥えた男は転がり落ちた。
「違いますよ、姐さん。暗殺は、こっそり人を殺す奴です」
 女の傍に突っ立っていた、貧相な顔の小男が、見かねたように口を挟む。
「あん?だから、武器にマンジュウを使って殺すんじゃないのか?だからアン殺の依頼なんだ
ろう?」
 どこか根本的に誤りを犯した猫目の女は、ボサボサの頭をボリボリと引っ掻き回した。後頭
部に付いている、ボロ縄で縛っただけの汚い髪がバサバサと揺れる。
「ミ、ミリア・カジネット…聞きしにまさるアホウだな…」
 脂汗をハンカチで拭きながら、どうにか気を取り直した肥えた男が椅子に座る。
「はぁ?なんか言ったかイクシオン」
「い、いや…何も…」
 悪口が聞こえた瞬間、ミリアの猫目が鋭い眼光を放つ。途端にイクシオンと呼ばれた男は、
まるでネズミのように縮こまった。
「頭領、そんな事より、早く依頼を出した方がいいっすよ」
 ミリアの傍に立っている、貧相な顔の男が急かす。彼もまた、革鎧に短刀の軽装をしていた。
ここはガダルの町のシーフギルド。シーフと呼ばれる、盗みや軽業などの特殊技能を持つ者達
が集まる組合である。シーフという連中はその性質上、自分たちの技術が悪用されないように
組合を作って自分自身を管理している。シーフギルドはそのための組織であった。暗殺や商売
など、裏手の事情に絡んだ、世界的な規模の組織である。
「う、うむ、そうだな。そのためにミリア・カジネット。お前を呼んだのだ」
 イクシオン頭領は脂ぎった顔をハンカチで拭きながら、目の前の女を再度困った顔で見やっ
た。ミリアは革鎧を付けているがシーフではない。背中に背負ったオンボロのグレートソード
は、どこから見てもファイター以外の何者にも見えない。ボサボサの頭の両脇からチョコンとは
み出している尖った耳は、混血種族のハーフエルフの特徴を現している。「そうかい。まあ、あ
たしの腕前を買ってくれるとは嬉しいね」
 あまり誉められたわけでもないのに、この頭の悪い女は猫眼を細めると、上機嫌でドスッと机
の上に腰を降ろした。
「で、今回の仕事はなんだい?」
「…人を殺して欲しいんだが…」
「あ、そうだった、そうだった」
 しかし、格好をつけても、仕事を記憶できないのは意味がない。
「まかせてください、頭領。こういう時に、外付け記憶装置のあっしが居るんですよ」
 貧相な小男が代わってイクシオンの傍に寄る。この貧相なシーフはランヌ・ゼーニッヒ。盗賊
ギルドの一員であるが、箸にも棒にもひっかからない、最下級ランクのシーフである。もちろ
ん、腕前は限りなく悪い。
「う、うむ…そうだな。ランヌ。もはやお前が我がギルドの頼りだ」
 酷く頼りない事を言うと、イクシオンは机の引き出しから一枚のスケッチを取り出した。スケッ
チには、何やら年若い女の顔が書かれている。
「この女を殺してもらいたいのだ…」
 ようやく依頼の内容に辿り着くと、イクシオンは脂汗を手で拭ってため息を一つ付いた。



 ミリア・カジネットはハーフエルフの剣士である。森の妖精エルフと人間の間に生まれる混血
種族だが、その数は限りなく少ない。長命で老化の遅いエルフの特徴を半分だけ受け継いで
いるので、ミリアも外見は若いが実質百歳は突破している。
 その分腕前はたいしたものだった。十数キロのグレートソードを振り回し、ドラゴンの一匹二
匹は退治してハンドバックにする。そういう恐ろしいファイターが彼女なのである。
 しかし、そんな実力とは裏腹に、ミリアはとてつもなく貧乏だった。酒好きの宴会好きという、
至極困った性格と、自堕落無軌道なライフスタイルが転落に拍車をかけていた。というわけで、
百五十歳を越えるこの年になっても、家賃が月に金貨六枚の安宿に住み、あまつさえその家
賃を二年位踏み倒し、毎日をゴミ箱漁りに費やす、どうしようもない毎日を送っていたのであ
る。
 そんな時、振って湧いたように来たのが、今回の暗殺依頼であった。まったく仕事が無いこと
で有名な、これまた貧乏シーフのランヌがこの物件を持ってきたのである。慌てて剣を取り出し
てこのギルドにやってきた。そして見たターゲットのスケッチは、若い女のものであった。
「で、あたしがこの女を殺ればいいわけだ」 親指で羊皮紙を挟むと、ミリアはまじまじとスケッ
チを見つめる。
「ありゃ、こいつもハーフエルフか」
 木炭で書かれた精密な似顔絵を、ミリアはしげしげと見つめた。ぱっちりと開いた大きな眼
に、頭の両サイドから、尻尾のようにブラ下がる髪の毛が特徴的である。年の頃は一見すると
15〜16くらいに見える。しかし老化速度が極端に遅いハーフエルフなので、本当の年令は知れ
ない。逆に言えば、とんでもない手だれの可能性が十分にある。
「その通りだ、その女を殺ってもらいたいのだ」
 イクシオンは相変わらず暑そうに汗を流していた。というより、手が小刻みに震えているか
ら、ひょっとしたら文字通り脂汗なのかもしれないが。
「ふん、こんな小娘程度殺せないとは、ガダルの町のギルドも痴れたもんだね」
 汚い油をダラダラ垂れ流すギルド長を前にして、ミリアは大胆にもそう宣言した。イクシオン
は格好こそ不細工だが、ギルド長を務めるだけあって、実力は相当なものである。
「いや…それが、そうでないのだ。その女は実はマーチャントでな」
「マージャンだと?賭博師かなんかか?」
「違うっす。商人のことっすよ」
 またヘンテコな間違いをしたミリアの台詞を引き取って、ランヌが解説を始めた。商人。それ
は町ならばどこでも見られる存在である。行商人、小売人、仲買人に故買屋と、様々なタイプ
の商人がある。
 その中で、自らをマーチャントと名乗る、正真正銘の商人たちがいる。彼らはただの商人で
はない。彼らは商人として一流のテクニックを備えた、文字通りの商売人である。彼らの恐ろし
いのは、商売のテクニックに通じているだけではない。たいていは戦闘能力を備え、相当に戦
える。また、商人として特別な第六感のようなものを備えていて、横領や帳簿をごまかし、人を
魅了するという恐ろしい力を持っている。
「あっしの親父も商人でしたからね。目の前で呪文を唱えると、帳簿の文字がパッと書き替えら
れましたよ。まあ、それでも初歩の初歩らしいんですが」
「ふーん、でも、戦闘能力は戦士ほどじゃないんだろう?」
「まあ、それでもシーフとどっこいか、やや上くらいっす」
「なるほど。ということは、こいつはイクシオン、あんたより上の腕前ってわけか」
 一つ舌打ちをしてミリアは目の前のマスターシーフを意地悪そうに笑った。半分以上が嫌味
であった。
「ま、そいつがいくら辣腕の商人でもどうせあたしには適いっこないけれどね」
 純粋なファイターでしかも超腕利きのミリアの戦闘力は、イクシオンの遥か十倍以上である。
「いや、そうではない。そうではないのだ…そいつが恐ろしいのは力ではない…」
 汗をタラタラと流しながら、イクシオン親分は困った顔で、机の引き出しから一冊の帳簿を取
り出した。
「まあ、これを見てくれ」
 ミリアは帳簿を手に取った。何か数字がたくさん並んでいる。
「ああ、数字だね」
 おもいきり頭の悪さを発揮して、ミリアはさらっと言った。
「で、この数字がどうかしたのさ?」
「ま、まあ、姐さん。ここはあっしにお任せください。これでもちょいと簿記はできるんすよ」
 慌ててランヌが横から帳簿を取って覗き込む。帳簿はガダルの町の盗賊ギルドの収支であっ
た。一月前までは見事に二十三万金貨の黒字が出ていた。しかし今月に入って、なぜかマイ
ナス百八十万の赤字に転落している。
「な、なんすか、頭領。この赤字は」
「それが、その女の仕業なのだ」
 イクシオン親分は大きくため息をついた。なんでも、それは些細なやり口から始まったという。
突然町中で出会ったこの少女に、ナイフや道具を売り付けられたのが始まりだったという。
「その女に売り付けられたギルド員は、なぜか全財産をはたいてそいつから品物をどんどん買
い付け始めたのだ。しかも定価の百倍以上でだ。気が付けば構成員のほとんどが前借りし、
あまつさえ金庫から持ち出しまでしていた。私が気付いた時には金庫はカラッポ。そして、誰も
いなくなった…」
「ありゃ?」
 そういえばとミリアは辺りを見回した。いつもならここには事務員のシーフが何人か詰めてい
る。しかし今いるのはイクシオン一人で誰も見えない。おまけに、ただっ広い部屋の中には机
が一つだけである。
「構成員は皆あの女の元に行ってしまった。おかげで残ったのはそのランヌだけだ」
「ふふん、まあ、さすがはあっしという事で」
 妙に自信満々に腕組みをして、ランヌは貧相な顔を突き出した。
「まあな。なにしろお前は女のために金を持ち出す度胸もないし、ギルドに借金しかないから
な」
 イクシオン親分が分厚い唇を皮肉っぽく歪めて突き出す。売れないシーフのランヌは、ギルド
に食わせてもらっている身分である。ただ今の借金は金貨十六枚。いまだ返済できない今日こ
のごろである。
「とにかく、金を持っている人間では駄目だ。その女の使う技術は、相手の財産を巻き上げる
のだ」
 落ち込んで机の傍でいじけるランヌを一瞥すると、イクシオン親分は真っ赤になった帳簿をパ
タンと閉じた。
「なぬ?するってっと、あたしが呼ばれたのは…」
「察しがいいな。お前は借金しか持っていないからな」
 誰から見ても、間違いなくミリアは貧乏である。まず、外見からしてかなり汚い。そして使って
いるグレートソードが錆びているあたり、明らかに貧困生活真っ最中と知れる。「な、なんだ
と!」
 屈辱を感じて、ミリアはドンと目の前のテーブルを叩いた。ゲンコツでおもいきり殴ると、分厚
い机の天板にヒビが入る。
「あーあ、これで、お前のツケがまた増えたな」
 イクシオン親分はヒビ入った机を見て、忌ま忌ましそうに舌打ちをする。
「な、なんだそりゃ!」
「お前の借金の話は、市長から聞いているぞ。この前、酔っ払って停泊中の船を一つ破壊した
らしいな」
「あ…いや…あれはその…」
 酔っ払って気分よく剣を振り回していたら偶然船に当たった。そして沈没した。バカの極み
で、言い訳にすらならない。
「まあ、借金だけのお前も、たまにはこの町のために働いてくれてもいいだろう。そうすれば市
長は五十万金貨を…」
「くれるのかい?」
「いや、借金から棒引きしておくそうだ」
「ひでぇ!」
 ミリアは喚いたが、結局引き受けざるをえなかった。ただでさえ町で持て余されている身分
だ。いい加減にこの辺で仕事の一つでもしておかないと、ツケで酒が飲めなくなる。
「仕方ないな。で、この女はどこに居るんだ?」
「ああ、東にずっと行ったドレスデン山脈の麓辺りに、でっかい塔を築いている。このギルドや
町から巻き上げた金でもってな」
「ああ、わかったわかった。さっさとブッ壊して片付けてくるから」
 こんな、金が入らない仕事はとっとと片付けてしまいたい。ブツブツ文句を言いながら、ミリア
はルートを頭の中に思い描く。だいたい徒歩で二日とちょっと。正味一週間もあれば足りる仕
事だ。
「まあ、そういうな。成功したら、酒場の連中が、ビールのタダ券を何枚かくれるそうだ」
 部屋がミリアのブツブツ言う声で埋まらないうちに、慌ててイクシオンが先手を取る。「マジ?
それゃあ、グッドニュースだ」
 だからといって、それが大した報酬のわけでもないが。こういう所でこの女の価値観はズレて
いる。
「それにな、どうもこの事件はお前に関係しているらしい」
「は?」
 イクシオンは先程の似顔絵の羊皮紙をもう一度取り出すと、右端に小さく書いてある文字を
指差した。そこにはその女の名前らしいものが書かれている。
 ラピス・カジネット。
 そういう名前がそこには書かれてあった。



「姐さん、ラピスってのはいったい、姐さんの何なんですか?」
「知らん」
 あまりにそっけない返事で、ミリアはランヌの質問を打ち切った。
「あ、あの…そんなにあっさり言われると後が続かないんですが」
「だってさ、兄弟だけであたしゃ二十人居るんだぞ。それでもって、二代前にとんでもない女っ
たらしも居たしね。同じ名字があったって、そんなに不思議じゃないよ」
 どっちかというとランヌは、その姓を持つ人間が、騒動を引き起こす迷惑さを喧伝したかった
が、さすがに命が惜しいのでそれは止めた。
「しかしまあ、商人というのが、どの程度の強さか知れないが、たいしたもんじゃないだろうさ」
 錆びてボロボロのグレートソードを右肩に背負い、猫目を細めてカラカラとミリアは笑った。現
在地はガダルの町から二日ほど行った所である。湊町を出て、街道を東のガルメシア王国側
に向かえば、ドレスデン山脈の入り口にさしかかる。このファウド大陸を真ん中で分断する大山
脈だ。辺りは木々が点在する、のどかな田舎である。
「いえ、姐さん。やつらを侮っちゃいけません。何より奴らには財力があります」
「あん?だから何だってんだ?そんなのはブッ潰しちゃえばいいじゃないのさ」
 そうは言うが、ミリアが毎度潰しているのは自分自身の財産である。
「この前も言いましたけれど、奴らは一種の魔術師っす。ともかく、金を使うことに関しては奴ら
に叶うものはないっすからね。十分、注意しても注意しすぎるってことはないと思いますよ」
 貧相な顔をめずらしく真面目のオーラで包んでランヌは警告した。もっとも、ただ言うだけであ
ったが。
 腕の悪いシーフがブツブツ言っている間に、ミリアは目の前の道を、別な意味で注意深く見つ
めていた。何か、あるような、特殊な感が働き始めていた。
「ん?どうしたんす?」
 ニヤけ顔のミリアが不意に真面目な顔つきになったのを見てランヌは怯えて肩を狭める。下
等シーフのランヌには、戦闘能力そのものはほとんどない。
「よし、ランヌ、そこを動くなよ」
 震えるシーフを左手で制して、ミリアは足を一歩前に摺りだした。その顔が殺気に満ちたのを
みて、ランヌも首肯いて顔を強ばらせる。
「よし、そのままにしておきなよ」
 左眼の端でランヌの動きを止めながら、ミリアは前方の地面の距離を計る。小さく呼吸が二
回続く。
「たあっ!」
 それを合図として、ミリアは前方の地面向かって腹ばいにジャンプする。目標は五メートル先
の地面。そこにキラキラ輝く何かがある。
「よっしゃあ!」
 ミリアの右手が円を描くようにして一閃した。パシッと何かを掴む手応えがしたかと思うと、ミ
リアは前転でクルリと一回転した。何かを握ったまま、彼女は嬉しそうに泥を払って立ち上が
る。
「な、なんすか。どうしたんすか」
 どうやら事が終わったらしい事を察して、ランヌが貧相な顔で擦り寄ってくる。ニカッと汚い歯
を見せて笑ったミリアの手には、キラキラひかる何かが握られている。
「見ろっ、こんなところに…」
「な、なんです、それは」
「銀貨だ!大もうけだぞ!」
 一銀貨。せいぜいが買えて野菜一山のコインである。ミリアが飛び込んだのは、そのコインを
拾うためであった。
「あ、姐さん、な、なにやってんスか!」
 さすがに呆れて、この気弱なシーフも大声を張り上げる。
「ん?金拾っただけじゃない。お、さてはあんた、先にあたしに拾われて悔しいってか?残念だ
けれど、落ちている金は先に拾ったもんが勝ちだぞ」
「いえ…あの…そうでなくて…」
 何と答えていいのか解らなくなって、ランヌは口の中でもぐもぐと言葉を潰した。目の前の貧
乏剣士は銀貨を拾ってご機嫌である。
「いや、よかったよかった。借金棒引きとビールのタダ券しか入らないと思ったら、ちゃんと現金
も手に入ったじゃないのさ」
 たかが銀貨一枚でご機嫌になれる女。ミリアとはそういう奴である。ボサボサ頭から突き出し
たトンガリ耳が上下に動くときはご機嫌の証拠だ。
 しかし、そのご機嫌は長く続かなかった。突然周囲に殺気がして、ミリアは不機嫌に顔をしか
める。背中に背負ったグレートソードを抜くと、錆の鉄粉がパラパラと落ちてくる。しかし、ともか
く戦闘準備はできた。
「何者だい?あたしらを付け狙っているのは?」
 ボロボロの剣を構えて、油断無くミリアは辺りを見回す。数本の木と、農機具の小屋。そして
小さな岩が所々に突き出た田舎の光景。しかし、人が身を隠すような場所には事欠かない。
「ほう、気付いたか。ただのコ汚ねぇ女と思っていたが、なかなかやるな」
 お決まりの下品な台詞を吐きながら、屈強の男たち数人が、物陰から姿を現した。ロングソ
ードにシールド。ブレストプレートとゴツい肉体。どこからどうみても、純粋なファイター連中であ
る。
「まあね。こっちも一応プロと言えばプロだ」
 グレートソードを杖のようにして斜めに構え、自信満々という表情でミリアは鼻で笑う。
「ふん、プロだと?何のプロだ?落ちている銀貨を拾うプロか?」
 ファイター達のリーダー格らしい、顔一面がビケモジャの筋肉男が舌を突き出して笑う。ピク
リ、とミリアの額に青筋が立った。
「…ふーん、で、あたしに何か用か?」
 一本、二本と増えていく、こみかめの怒りマークをヒクつかせて、貧乏戦士は男たち五人を眺
め回した。オーソドックスな装備だが、なかなか程度は良さそうだ。
「あるから来たのよ。その拾った銀貨はやるから、とっととここから失せな」
「ほう?そりゃ、なんでだい?」
「ここから先はラピス様の土地だ。ちゃんと不動産登記も済ませてあるれっきとしたものだ。逆
らうとテメエは法律に触れるぞ」
 男たちは顔に似合わない知的な単語を使うと、木々の向うを指差した。【関係者以外立ち入
り禁止】と書いた札が立っている。
「で、その立て札が、どうかしたのか。残念だが、あたしゃ、ラピスとかいう奴をマンジュウで殺
すためにきたんだ」
 剣に寄り掛かり、猫眼を細めて不敵に笑いながら、少しニヒルめいた格好をつけてミリアは
笑った。とはいっても、後半の台詞は完全に勘違いをしていたが。
「と、いうわけだ。お前らこそ、どっかに消えろ」
 ゲットアウト!という風に、ミリアは真上の空を指差した。視界から消えてなくなれという程度
の嫌味である。
「なにぃ!死にたいか!」
 次の瞬間、五人の男たちは一様に剣を構えてミリアに突進する。プレートがガチャガチャ音
を立て、金属の塊が一気に突撃してくる。
「ああっ!見ちゃいられない!」
 ランヌは慌てて両手で顔を覆った。大惨事になることが予想された。そしてその後、ミリアが
この五人にした所業は、確かにランヌには酷すぎて見ちゃいられなかった。



「おいランヌ。この剣とシールドとアーマー、その辺の見つかりにくい所に隠してきなよ」
 激闘数分。その間、静かな山中に阿鼻叫喚の声がこだました。男たちの実力は実際たいし
たものだった。何でも自称、戦士歴十五年の強者らしい。
 しかし、百五十年も生きているハーフエルフのバケモノには適いっこない。というわけで、男た
ちは見事全ての装備を奪われて、パンツ一丁の情けない姿で血ダルマとなり、街道に死屍
累々と積み重なっているのであった。
 下僕ランヌが男たちから巻き上げた金属製品を隠しに行くと、ミリアはしかばね山の、いちば
ん上に積んである男のクビ根っ子をグッと掴んで持ち上げた。
「おう、このあたしに喧嘩売って、一銭も持っていないとはいい度胸だな」
「か、勘弁してください…」
 ヒゲだらけ血だらけ筋肉ダルマの顔に涙が浮かぶ。
「オレ達も、ラピス様に、一文残らず搾り取られたんです」
「なにい?」
「あの方は、人から金を巻き上げる名人なのです…」
 今までとはうってかわって情けない態度で男は哀願しはじめた。もっとも、それを素直に聞い
てやるほど、相手は心優しい生きものではなかったが。
「ちっ、駄目な奴め」
 腹立ちにまかせてミリアは男をバチンと平手で一撃した。一声悲鳴があがって、男が白目を
向く。
「姐さん、取り敢えず、木のうろに隠して来ました」
 顔に落葉をいっぱいつけたランヌが、男の気絶とほぼ同時に帰ってくる。
「よし、よくやった。これでラピスを退治して帰ったら、奴らの剣と鎧を売り払って悠悠自適だぞ」
 それは、あまりにもせせこましく慎ましい野心であった。つくづく、目の前の利益に弱い女であ
る。シールド、プレート、ソードのセット。全て売り払えば結構な金にはなる。それを自分で使お
うという方に頭が回らないのはさすがだが。
「あそこの木のうろっすからね。忘れないでくださいよ」
 ランヌはすぐに忘却してくれそうな相手に向かって、指差し確認を行なった。ちょっと向うの荒
野の真ん中に立っている大きな木。確かに装備品を隠すには都合がよさそうだ。 その時であ
った。どこかで、大きなベルが鳴るような音がした。
「な、なんだ?」
 ミリアの尖った耳の先端が、鋭いくらいにとんがった。その音は、ベルというには可愛らしすぎ
た。まるで、大きなドラが鳴らされるような金属音が響いてきた。
「うん?なんだ、あんな所に塔が立っているぞ?」
 ミリアは目の前に連なっている山脈の麓を指差した。馬車一台分の街道がそこへ向かって続
いている。山脈は大陸の中程を占めるドレスデン山脈だ。一山を越えれば鉱山町リュルがあ
る。その街道が山にかかるところに、まるで関所のように煉瓦造り六階建ての塔がそびえてい
る。
「ああっ、剣が!」
 ふと後ろでランヌが喚いた。鐘の音が重苦しく周囲に響いている。すると、まるでそれに共鳴
されるかのように、木のうろから鎧や盾が次々と飛び出していく。
「げっ、銀貨が!」
 ふと、ミリアがズボンのポケットに入れていた銀貨も空中に飛び出した。そして、それはゆっく
りと塔の方に向かって、宙を飛んで引き付けられようとする。
「なっ…あたしの銀貨を」
 唖然としてミリアは銀貨を右手に掴んだ。しかし、銀貨は宙に浮いたままだ。逆にミリアの体
の方が地面に浮いてしまう。
「おっと!」
 慌ててミリアはグレートソードを背中に背負うと、両手で空中に浮いている銀貨を抱え込むよ
うにする。
「ななっ、姐さん、どこに行くんですか?」 
 銀貨を掴んで空中に浮上してしまったミリアを見て、ランヌが眼を丸くする。
「しるか!…って言いたいところだが、どうやらこれはそのラピスって奴の仕業っぽいね」
 銀貨を掴んで、空中にプカプカと浮きながら、割に冷静にミリアは反応した。地上ではすっか
り色を失ったランヌが、キュウリのような長い顔を青ざめさせて、口を半開きにして上を眺めて
いる。
「どうやら、こいつに捕まっていれば、ラピスとやらの所まで行けそうだ」
 正面に見える、茶色い塔に視線をやって、ミリアは乾いた唇を舐めた。銀貨より先にとらえら
れた、剣や鎧はとっくに先に進んでしまっている。ミリアと銀貨も、今はまだ小走り程度の速度
だが、次第に加速してその速度を早めている。
「よし、ランヌ。あんたはそこで待ってなよ。あたしがそのラピスとやらを退治してきてやる」
 不意に起こったアクシデントを良いほうに解釈すると、ミリアは笑ってウインクをランヌに飛ば
した。任せろという程度の意味だったが、ランヌは悍ましい気がして背筋が震えた。
 やがて加速がついて、貧乏剣士の姿は、煉瓦造りの塔の方に消えていく。後には戦士五人
の死屍累々と、ポツンと残されたランヌ一人。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっス。こんな所であっし一人っスか?」
 ランヌは慌てて辺りを見回した。ここはとっくに町から離れている。はっきりいって、決して安
全な場所ではない。こんな筋肉戦士たちが闊歩するような場所である。
「待ってくださいっス〜」
 貧相な顔に情けない声で、ランヌは塔目掛けて走り始めた。もちろん、走っても走っても、す
ぐに追い付けない距離であるのは明白だったが…



「うっふっふ、お金がみんな、私の所に集まって来ますです…」
 ラピスは塔の最上階で、目の前に積み上げられる宝物を見ながら悦に入っていた。
 年令は、スケッチで見た通りに十五、六歳程度にしか見えない。しかし、尖った耳が、長命で
老化の遅いハーフエルフ種であることを証明している。実際、何才であるかわからない。さもな
くばこんな恐ろしい仕業を企めるはずはない。
 髪の毛は束ねて両側に垂らしてあり、一見すると可愛らしい少女にしか見えない。着ている
服も、またごく普通の服装だ。長袖の襟付きシャツに、ごく短いスカート。胸もとに下げられた小
さいネクタイだけが、ちょっと違った雰囲気を醸し出す程度である。
 右手には、エストックと呼ばれるタイプの剣が握られていた。これは先端が針のように尖って
いて、突いて使うタイプの武器である。刃はまったくついていない。そして軽く、細身である。商
人という連中には、それなりの戦闘力は備わっている。ただ、どうしても戦士などの白兵戦専
門には適わない。また、それほど力があるわけもないので、装備は金のかかった特別製にな
る。
 場所は塔の六階。直径が十メートルと少しほどある、円形の空間がそこにあった。塔の四方
の窓は大きく開いていて、六階のみほとんど吹き抜けというにもふさわしかった。
「あと少しでまた、資産が成長するのです」 ラピスは部屋の中央に積み重ねられた宝から離
れると、西側の窓に向かって足を進めた。初夏の日差しと風が窓から舞い込んでくる。ふと、ラ
ピスの眼は、整然と隊列を組んで空中を飛ぶ、五組の剣盾鎧に引き付けられた。
「あれは…なんです?」
 今までの少女声から、いきなり太い中年めいた声で呻くと、ラピスは一つ舌打ちをした。大き
く可愛らしい猫目が、一瞬三角になって裏返った。
 やがて、風とと共に五組の剣盾鎧が塔の内部に飛び込んで、けたたましい音を立てて、宝の
山の上に積み重なった。途端、塔全体に、棒読みの声が響き渡る。
「資産満額。塔ノ増強ニ入リマス」
 途端に宝の山から閃光が走り、一瞬のうちにそれらの財宝は塔の空間に吸収される。途
端、塔はその直径を僅かだが増した。煉瓦の壁が新しく継ぎ足され、外見にも僅かに改善され
た跡が見受けられる。
「これでまた、塔がグレードアップです」
 ラピスは顔を元通りの少女に戻すと、満足気に首肯いた。この塔には自動的に増改築をす
る機構が組み込まれている。また、勝手に彼方此方から借金の取り立てができるという、やっ
かいにして便利な機能も積み込まれていた。
 この塔は、プラチナ・マーチャントと呼ばれる腕利き、ラピスが作り上げたものである。売買の
売り掛け金や、貸し付けた金などを、ここに居ながらにして取り立ててくれるのである。
 集まった財宝は塔の六階に積み立てられ、一定額に達すると、塔の維持管理に使われる。
要するに魔法の金融機関なのであった。
「先程の鎧は奴ら五人のものですね…」
 ラピスはむつかしい顔をして西の窓際によった。視線は西のガダルの町へと続く街道に向け
られている。そこに五人の戦士を配置して、侵入者に備えていたはずであった。
「と、いうことは?」
 かなりの腕利きを配置したのに。これは危険と感じ、ラピスはエストックを右手に構える。と、
その瞬間に、轟音と共に、巨大なグレートソードが窓からつっこんできた。
「きゃあ!」
 ラピスは仰け反り、素早く左手一本で側転してその場から離れた。回転したとき、ミニスカート
からパンツが覗いたのもご愛敬。商人とはいえ、戦闘力はあるからこの程度はできる。
「な、何だろうです?」
 慌ててエストックを前で構え、ラピスは部屋の中央に注意を置く。巨大なグレートソードと思っ
たのは、実はグレートソードを背負った女戦士だった。
「財宝捕獲。価値ハ1ゴート銀貨一枚。グレートソード価値ナシ。ハーフエルフノ生命体ハ価値
ドコロカ負荷価値ノミ」
 一応、中央に着地したので、塔の機構がそれら収穫物の評価額について説明しはじめた。
「あったった…」
 腕を強かに石畳に打ち付けながらも、ミリアは無事に塔のなかに侵入した。あっという間に、
労せずに最上階まで辿り着いたのである。
「おやあ?都合がいい。ビール券の元が、目の前に突っ立ってるじゃないのさ」
 塔の中を見回した結果、すぐ近くにスケッチで見たハーフエルフが立っているのを発見した。
ミリアの口のなかに、ビールのほろ苦い味が、まるでパブロフの犬のように条件反射で出現し
た。
「うーん、やっぱりビールは生に限るね」
「な、なんなのです、貴様!」
 ラピスは剣を構えて強い語調で気合いを入れる。しかし、相手が剰りに唐突な出現の仕方を
したためか、声には怯えが感じられる。「ふん、あたしはミリア・カジネット。ビール券をもらいに
来た」
「は?」
「おっと、違った。ビール券のために、お前を遣っ付ける!」
 ビシッとグレートソードを突き出して言い放ったものの、最初に勘違いしたのでどうにも決まら
ない。
「な、なんです?今、確かカジネットと言ったです?」
「まあね。ま、どうやらあんたもあたしの一族らしいけれどね」
 片や外見十五歳の少女。片やボサボサ頭のどうしようもない自堕落戦士。同じ一族と言われ
ても、もう一方は否定したい気持ちであろう。
「む…むむむ…くっ」
 ラピスはエストックを構えたまま歯をギリギリと噛み締めた。その可愛らしい大きな瞳は裏返
って逆三角の凶悪な人相に変わっている。
「おのれっ!貴様のような貧乏たらしい奴がいるから、我が一族は世間から後ろ指を指される
のですっ!」
 今までの丁寧な口調、可愛らしさの仮面を脱ぎ捨てて、少女ラピスは怒号した。は?というよ
うな気の抜けた表情でミリアが半分口を開ける。
「な、なんだそりゃ…」
「私は商人です。これまで、色々な大陸を回って旅を続けていたです。しかし、ガダルの町に来
てみたら!カジネットの名を持つだけて人々は私をバカにするのです!我が一族の名誉にか
けて、私はガダルの町を叩き潰さなければならないです!」
「それで、こんなバカデカイ塔を建てたってわけ?」
「その通りです。私は商人だから、富を動かすことに関しての自信はあるです。だから、この塔
を作って、ガダルの町を破産させようと思ったです!」
「ふわぁーあ。なんてヒマな奴だ。ま、その根性には感心するよ」
 相手が一通り演説したのを見ると、ミリアは大きくあくびを一つする。そしてグレートソードを
構えると唇を舌で濡らす。
「ヒマと言うですか!」
「ま、いいや。あたしはとにかく、あんたをマンジュウ殺ししないと駄目なんだ」
「は?」
 何度も間違えるが、しなければならんのは暗殺であって餡殺ではない。
「とにかく、あんたはブッ飛ばす!」
 グレートソードを構えてミリアは相手目掛けて突進する。慌ててラピスが同時に戦闘体制に入
る。こうして、ガダルの町の将来をかけた、本当にいいのかという戦いが開始されたのである。



「サモン!ユニフォーム!」
 ラピスが左手をかかげて一声叫んだ。途端、空中にエプロンとタイツが現われる。
「装着!」
 エストックを構えてラピスが叫ぶと、それらの装備が一瞬にして彼女の体に張りついた。
「へえ、いいもん持ってるじゃないの」
 突撃をかけながらミリアはその一瞬の装着劇を素早く察知する。すぐに突撃を止めて、相手
の出方をうかがう作戦に変える。いくらミリアが馬鹿でもこの辺りの駆け引きは抜群だ。
「私の母、ブラックマーチャントのエリスに伝えられた装備なんです」
「ほほう、そうかい。で、そいつは誰だ?」 
 当たり前だが、ミリアの頭では誰が誰かなどという事はメモリーしていない。外付け記憶装置
のランヌが居るならまだしもだが。
「わ…私の先祖は、ヤード・カジネットです。その十五男ワーガンから四代目なのです」
 その後に何やらラピスは言葉を続けたが、どうにもミリアはよく解らなかった。何にしろ、それ
なりに遠い血縁関係らしいことは理解できた。かといって、近い血縁なら許す奴でもなかった
が。
「我がワーガン家のシンボルはコインです!金こそ、世界を動かす力なのです!その力で、私
はカジネット家の名を辱めた、ガダルの町を壊滅させるのです!」
 エプロン、タイツのフル装備でラピスは等々と演説する。口調が荒くなると目が逆三角に裏返
るのは、本性が相当に汚いためであるらしい。
「ま、やれるもんならやってみな。まずはこのあたしから倒してみなよ」
「何を戯言をおっしゃいますです。その汚く貧弱な装備で、このラピスを倒せるわけありません
です」
 装備が整って立派になったのに比例するように、ラピスの口調も横柄になりつつあった。可
愛らしかった大きな目の端がやや釣り上がり、瞳の色に殺気が宿る。
「ま、倒してやるよ。あたしの借金を踏み倒すためにね!」
 珍しく、頭の線がつながった台詞でミリアは怒号する。そして、グレートソードを後ろ手に構え
ると、そのまま正面目掛けて突っ込んでいった。



 ブーンと空気を引き裂く、重苦しい音がした。ダウンスイングでグレートソードがミリアの脇腹
から飛び出てくる。錆びた破片を辺りに撒き散らしながら、巨大な刃が繰り出される。
「は、早いですっ!」
 スイング速度の速さにラピスは目を向いた。グレートソードを扱うファイターは多数見てきた
が、それはパワーで勝負するタイプであった。
「ディフェンス!」
 一声上げて、ラピスはエストックの先でグレートソードを払う。刃の軌道を変える受け流しのテ
クニックだ。
「きゃあ!」
 次の瞬間、受け流したはずのラピスは、もんどりうって引っ繰り返った。ミリアのグレートソー
ドはもちろんスピードだけではなかった。同時に恐ろしいパワーも備えている。 ラピスは後方
に弾き飛ばされ、石作りの地面を後転した。
「な、なんてパワーなのです…」
 素早く一定の距離を置いて、ラピスは立ち上がる。この程度の身のこなしはさすがに出来
る。
「エ、エストックが…です…」
 右手のエストックの剣先を見て、ラピスは唖然とした。針のように尖った剣の切っ先が、まる
で釣り針のようになって曲がってしまっていた。
「ミ、ミスリル銀のエストックがこんな風に…です…」
 ラピスはそう呟くしかなかった。一見して細い鉄線のようで、強度もさしてなさそうに見える剣
である。しかし、実際は金に任せて作り上げた、恐るべき強度のエストックであった。魔法の補
助として杖の役目も果たし、その先端は十センチの鉄板さえ貫くことができる。しかし、そのエ
ストックは、見事にグニャリと曲がってしまっていた。
「だから、装備じゃないって言ったじゃないのさ」
 ミリアは継ぎ当てだらけのズボンの腰に手を当て、右手一本でグレートソードの握りを持っ
て、背後でブラブラ動かしていた。重さ十数キロのこんなものを、片手で扱えるような奴は、確
かに装備以前の問題である。
「ぬっ、ぬぬぬ…」
 屈辱に顔を歪めてラピスは呻いた。確かに、戦闘力には格段の差があることが明白となっ
た。
「ならばこれはいいかがなのですっ!」
 ラピスは曲がったエストックを手前に突き出した。途端、何やら魔法語のようなものが口から
漏れる。
「レーザー・ショット!」
 刹那、光の精霊ウィルオー・ウィスプがエストックの先端に結集した。そしてそれは一丈に輝く
光の弾丸となって、ミリア目掛けて襲いかかる。
「ははん」
 しかし、歴戦の強者だが貧乏な剣士は慌てなかった。右手でグレートソードを握り、左手の手
のひらで剣先を支えて体の真っ正面に持ってくる。
「よっ、とっ、はっ」
 タイミングを取る声は実にマヌケだが、ミリアは剣の平らな部分を左右に動かして、何気なく
レーザーを反射させる。
「ま、まさかですっ」
 奥の手の魔法攻撃を、あまりにもあっさり躱されて、ラピスが顔面蒼白となる。
「何がまさかだ。いくらあたしがノーマルなファイターでも、これくらいは出来るさ」
 三発連続で放たれたレーザーを弾き返すと、ミリアは意地悪く汚い歯を見せて、ラピス向かっ
てニヤニヤ笑いかける。
「商人って奴らが、そこそこ戦えるとは聞いていたが、やはりあたしの敵じゃないね」
「そ、そんな…こんな汚い奴がこれほど強いなんてオカシイです…」
 ラピスの顔には明らかに怯えが見えていた。先程まで自信が、どこかに逃げてしまっていた。
怯えたその顔は、確かに外見年令相応のものだ。
「さてと。あたしの借金踏み倒しのために、あんたは倒させてもらうぞ」
 錆だらけのグレートソードをゆっくりと撫でながら、ミリアはジリジリと相手との距離を詰める。
「う…ふ…ふふふ…」
 張り詰めた空気のなかで緊張感が高まっていく。ふと、ラピスが笑い始めた。甲高い笑い声
が吹き抜けから入ってくる風に乗って響き渡る。
「なんだなんだ?勝てないと思って、キチピーのマネでもしようってか?」
 突然の大笑に、さすがのミリアもいくらか警戒を覚える。ラピスは大きく口を開けて笑ってい
た。目は、可愛らしい大きな瞳ではなく、逆三角の意地悪な目付きになっていた。
「うっふっふ…私は商人です!確かに戦闘力ではミリア、貴女に劣りますです…」
「で、負けを認めて降参しようって事かい?」
「違いますです。戦士には戦士の、商人には商人の戦い方がありますです」
 ラピスは曲がったエストックを再度構え直した。そして左手を襟の裏側に差し入れる。
「戦士には戦士の、商人には商人のやりかたが…」
 ラピスの言葉に合わせて、ゆっくりと場に不思議な空気が出来る。それは、いままでのものと
はまったく違った、微妙な戦いのオーラであった。
「な、なんだあ?」
「レストア・メタル!」
 ラピスが叫ぶ。それは誰も聞いた事のない、不思議な呪文の詠唱だった。それとともに、ぐに
ゃりと鉤型に曲がったエストックの先端が元に戻ってピンとなる。と、同時にラピスがミリア目掛
けて突っ込んでくる。
「弱いっ」
 やや身を引いて、グレートソードをミリアは正面に構えた。所詮白兵戦での実力は全然違う。
いくら不意をついてもこの程度の太刀筋なら見切ることができる。
「商人には商人のです!」
 ラピスは叫びながら、襟の下に差し入れた指先を抜いた。そこにはキラキラ輝くターバル金
貨が挟まっている。
「げっ、金貨!」
 めったに拝めない黄金の輝きを前にして、ミリアの猫眼の瞳孔が細くなった。ラピスは素早く
スナップを効かせて、ミリアの足元に金貨を投げ込む。
「おうっと」
 グレートソードを投げ出して、ピョンとミリアは金貨に対して蛙のように飛び付いた。当たり前
だが、そんな姿は隙だらけだ。
「頂戴いたしますです!」
 やけに丁寧な口調でラピスは叫び、エストックを一閃される。僅かな時間経過の後、スコッと
いう鈍い音がした。
「げっ!」
 金貨を握り締めたまま、ミリアはどさりと崩れ落ちる。ボサボサ髪で半分隠された額の真ん中
に、深々とエストックの先端が突きささっていた。
「丁度いただきましたです。お釣りはございませんです。ありがとうございましたです」 目の前
で血を流して崩れ落ちる戦士の頭の傍に立ち、ラピスは深々とそう一礼した。



「さて、この、ビタ一文にもならないゴミを、いったいどうしたものです?」
 足元に転がる、ゴミみたいな死体を汚らしそうに一瞥し、ラピスは幼い顔を少ししかめた。ち
ょっと見では、年ごろの少女が困ったように見えるが、その内実はとんでもない悩みである。
 しかし、その悩みは一層深いものになった。突然、誰かがその右足をギュッと掴んだのだ。
「きゃあああ!」
 悲鳴をあげてラピスは飛びのいた。スポッと音がして、彼女が履いていた桃色の可愛らしいヒ
ールが脱げる。
「誰がゴミだい!勝手に殺したつもりになるな!」
 手に掴んだヒールを投げ捨てて、血の海からミリアは立ち上がった。額の真ん中には相変わ
らずエストックが深々と刺さっている。十センチはミリアの頭のなかにめりこんでいる。
「な、なぜです…?」
 どう考えても、生きているはずのない致命傷だが、目の前では貧乏戦士が現実に再起動して
いた。
「ふふん、あたしだって戦士だ。戦士には戦士なりの武器って奴があるのさ。つまり、タフネスっ
て奴がね」
 とはいうものの、額を貫かれて無事な戦士は普通はいない。
「まあ、あと数ミリも突き抜けていたらヤバかったけれどね」
 エストックの先端は、親指と人差し指の間くらいの距離がめりこんでいた。後数ミリの余裕が
あるというのが既におかしい。
「よっ、とっ」
 ミリアは頭に刺さったエストックの握りを持って引き抜いた。ビョョーンという金属が震えるヘン
テコな音がしてエストックが抜ける。
「バ、バケモノです!」
 素直に、心のままの感情でラピスが叫ぶ。
「誰がバケモノだ!」
 いっちょまえにもその言葉にミリアは怒りを感じる。彼女は再度グレートソードを拾って立ち上
がった。そしてエストックは、後で払い下げようと、しっかり背中に装着してしまう。
「さて、見せてやるよ。本当の戦士の戦い方をね!」
 再度グレートソードを振り回し、怒涛のごとく戦車が突っ込んでいく。装甲板は何もないが、な
ぜか耐久度のみがマックスな、この世のものとは思えない存在である。
「うっ…くっ…です」
 危機を感じて、素早くラピスはスカートの中の右足に手を差し入れる。カチッと音がして金具
が外れる音がして、右手に黄金のナイフが納まった。
「これでですっ!」
「ふふん、そんなものが今更あたしに通用すると思っているのかい?」
 少しも揺るぎない自信でミリアは突撃の速度を上げた。ラピスがナイフを投げても、速攻で弾
き返す自信はある。幅広のグレートソードは、単に攻撃のみの武器ではない。
 例え、懐に飛び込んできても、すぐに蹴をくらわす準備はしてある。ナイフを投げるか懐に飛
び込むか。その二つに一つをミリアは想像していた。しかし、ラピスが取った行動は、その二つ
ではなかった。
 ラピスはシャツの襟の内側に左手を回した。そこにはもう一枚金貨がボタン状に縫い付けら
れている。それを引き千切って指に挟むと、ラピスは突撃するミリアの頭越しに、それを向うに
放り投げる。
 金貨が床に着地してチャリーンという音を立てる。
「えっ、金の音っ?」
 思わず、というか、ほとんど条件反射のようにミリアは後を向いた。突撃中なのに器用な体で
ある。当然、後頭部がガラ空きとなった。そこを狙ってラピスはナイフを投げる。
「うぐっ…」
 ミリアのボサボサな後頭に、サクッと音を立ててナイフがめりこんだ。ナイフの刃は深々と根
元まで刺さっている。今度こそ、ドウと音を立ててミリアが倒れる。
「はあ…はあ…です…。オリハルコンのナイフはお気に召しましたです?」
 うまく決まったのを見てラピスは呼吸を整える。全てを貫く金属オリハルコン。金に任せて作り
上げた高価なナイフだ。万が一の時の切札だだが、それがこの時に役に立ったというわけだ。
「恐ろしい相手でしたです…」
 後頭の真ん中にナイフを突き立てて、うつぶせに地面に突っ伏すミリアの傍に、ラピスは感
慨深そうに立ち尽くす。
「しかし、ここまで私に立ち向かうことができるのに、汚名を被るミリアとは一体何者だったんで
す」
 確かに、その実力はたいしたものである。しかし、ラピスはまだ気付いていない。なぜミリアが
恐れられて、汚名を被っているのかということを。
「ほう、それは誉めてくれているのかな?」
 またもや、血の海の中から声がした。ギョッと目を丸くしてラピスは足元を見る。死体と思って
いた奴の右腕が動いて、素早くラピスの左足を掴んだ。
「きゃあっ」
 間一髪で逃れるものの、左足のパンプスも脱げてしまう。めぼしい装備を全て失って、ラピス
は塔の中央部に走り寄る。
「いったった…さっきのはちょっと効いたぞ」
 深々と後頭部にナイフをめりこませたままの姿勢で、ミリアは立ち上がる。
「本当に、あと数ミリずれていたら、命はなかったよ…」
 その割に、どう見ても中央部にヒットしているナイフを引き抜くと、これもまた売り捌くべく、回
収されて腰にぶら下げられる。
「お、恐ろしいです…」
 様々な意味が一つに入り交じった感想が、怯えの声となってラピスの戦慄く口元から零れ
る。可愛らしい少女のようだった顔は恐怖に引きつり、ほとんど殺戮される寸前の悪役という
風だ。
「よくも、あたしの頭を二回も刺してくれたな!パアになったらどうするんだ!」
 と、いうか、もうなっている。ただ本人が気付いていないだけだ。
 ミリアは怒りの形相で、グレートソードをブンブンと振り回し始めた。ラピスは悲鳴を上げて逃
げ回る。
「も、もう!こうなったらです!」
 さすがに自分が完璧な窮地に陥ってしまった事をラピスは悟った。主武器のエストックも、隠
し武器のナイフも奪われた。あまつさえ足に履いていたパンプスまで無くした。残っているのは
シャツとスカートとタイツだが、それで戦えるほど戦闘は甘くない。
 ラピスはぐるりと、塔の外周に添って逃げ回る。後からミリアは追いすがってくる。その一瞬
の隙をついて、ラピスは塔の中心に滑り込んだ。
「最終手段です、仕方ないです!」
 ラピスはその場に両膝をついた。そして両手の手のひらを広げると、塔の床に向かってそれ
を設置させた。ちょうど土下座するような格好に見える。
「なんなんだ、今更詫びでも入れようってのかい?」
 卑屈に屈んだ商人の様子を見て、ミリアは嘲ら笑う。しかし、ラピスの表情は、不思議に自信
に満ちている。
「それは貴女の方です。商人には商人の戦い方が有ることを教えてあげますです」
「何い?」
「リゲイン・マネー!」
 ラピスが叫ぶと、その広げた両手から、不思議な魔法のパワーが発揮された。世の中には
商人のみが使用できる特殊な呪文がある。これは、相手の品物を自動的に徴収する魔法であ
る。
「システム起動。対象相手、ミリア・カジネット。債券ノ回収にハイリマス」
 どこかでまた、あの棒読みの声が響いた。この塔に備え付けられた金銭の回収システムが
作動しはじめたのである。
「うげっ!な、なんだ!」
 不思議な棒読みの声が響いた直後、ミリアの身体全体は、オレンジ色の不気味な光に包ま
れる。それと同時に、背中に持っていたエストックが消え失せた。
「エストック、時価八万金貨。回収シマシタ」
 棒読みの声がそう答える。呆気に取られたミリアの腰から、ぶら下げていたオリハルコンの
短剣も消え失せる。
「オリハルコンナイフ。時価十五万金貨。回収シマシタ。塔ノ増強に入リマス」
 二つの価値ある品物が回収された。それで塔はまた自動的に増築される。
「その金回収システムは、相手の財産を全て奪うです!」
 今度こそ、という顔で勝ち誇ったようにラピスが叫ぶ。
「貴女はこれで丸裸です!お金も何も、全て無くなってしまうです!」
 ラピスの目は、またあの邪悪な逆三角になっていた。両手を腰に当てて、次々に回収が行な
われるさまを彼女は見つめていた。目の前で、ミリアのグレートソードがサッと掻き消えた。
「グレートソード。単体デ価値ハ無イモノノ、ツケモノ石トシテ銅貨五枚ノ価値」
 恐ろしいことに、錆だらけのグレートソードまで無理遣り価値を付けて没収された。恐ろしい
機構がミリアの身の上に降り掛かっていた。
「へえ、その場合、あたしの借金はどうなるんだ?」
 エストックとナイフが消え、ブロードソードまで取り上げられたのを見て、ミリアは苦々しげに舌
打ちをする。
「しゃ、借金?」
 不意に借金のことを持ち出されてラピスは面食らった。このシステムは、借金を回収するた
めのシステムである。しかし、自動である分だけ、注意しないととんでもない結果を引き起こす
ことがある。
「ま、まあ、その場合仕方ないです。塔は多少縮んでしまいますですが、やっぱり貴女は一文
無しのすっからかんです」
「ほほう、そりゃありがたい!」
 歯を立てて口を開け、猫眼を補足してにんまりとミリアは笑った。その瞬間、塔全体が物凄い
地響きを立て、当たり全体に煉瓦の破片が粉末状になって飛び散り始める。
「ミリア・カジネット本体。負荷価値アマリニ多シ。システム処理オーバー…」
 借金処理システムの声が、とぎれとぎれになって、フッと消えせた。それと共に、塔全体は
濛々とした煙の中に飲み込まれ始めた。



「まったく姐さんも酷いっす。こんなラブリーなあっしが、何者かに襲われたらどうする気っすか」
 ランヌはブチブチ言いながら、ラピスの塔の道をまだあるいていた。辺りは寂しい岩山であ
る。確かに何かが出そうな雰囲気だが、ラブリーさで襲われるほどランヌは可愛くは決してな
い。
 目の前の道がぐにゃぐにゃと曲がって、山の中腹にある塔に続いている。煉瓦造りの六階立
ての塔だ。ランヌはふと、目を凝らした。目の前の塔から粉塵と破壊音が挙がっている。
「え?な、何があったっすか?」
 慌てて塔にランヌは走り寄る。そして塔の前まで辿り着いた瞬間、塔は一階部分から順番
に、ガラガラと地面に沈み込むような感じで崩れ落ちた。
「な、なんすか?」
 最後の六階部分が半分崩れると、その内部からまた例の、システムの放つ棒読み風の声が
響いてきた。
「ミリア・カジネットノ債券処理終了。現在値マイナス百二十万金貨。コレ以上ノ処理不能…」
 システムの声はか細くなる。と、同時にミリアがシャツとパンツ一丁の、あまり格好良くないス
タイルで転がり出てきた。右手にはラピスの首根っ子が掴まれている。
「あ、姐さん!」
「システム、起動不能…」
 最後にシステムはそううめいた。そして、残っていた六階部分も崩れ落ち、その場は瓦礫の
山になる。
「あ、姐さん。これはどういう事で?」
 ランヌは崩れた塔と、気絶してくったりとなっているラピスを交互に見つめる。
「ああ、何のことはないよ。ただ、あたしの借金が減ったってことさ」
 嬉しいのか嬉しくないのか解らないような顔をミリアはした。要するに、苦笑いという奴であ
る。
「どういうことで?」
「ああ、まあ、貧乏戦士には貧乏戦士の戦い方があるってことだね」
 何のことはない。塔はミリアを金に換算して吸い込もうとしたが、あまりの借金の多さに、処理
しきれなかったのだ。こいつ自身が巨大な不良債券のようなものである。
「あたしの借金も、三百万金貨から、百二十万金貨に減ってくれたよ。ああ、嬉しいねぇ」
 という割にあまりうれしそうでないのは、どうせ払う気などない借金だからである。
 それより、今回は実質的に損をした。グレートソードは無くした。オンボロのレザーアーマーも
なくした。道で拾った銀貨も無くし、戦利品の金貨や剣に盾鎧。全てがきっちり清算されてしま
った。あとはラピスを突き出せば依頼は完了だが、訳のわからない借金が五十万減るだけで
ある。
「ランヌ…」
 どうににも納得のいかない仏頂面でミリアはシーフの貧相な顔を見つめる。
「なんすか?」
「貧乏って悲しいねぇ。結局、一文の得にもならなかったよ」
 はあ、とミリアはため息をついた。どうにもならない戦いであった。借金は減った。だからどう
した、というのが本音である。
「何言ってるんすか。ビール券がもらえるじゃないですか」
 不意に思い出してくれたランヌがその事をアプローチする。途端、パッとミリアの顔が明るくな
った。
「あっ、そうだった。そうなると、今回もまるで無駄じゃなかったわけだね。よーし、さっそく帰って
乾杯だ!」
 こうなると、ミリアの行動は素早い。ラピスを抱えたまま素早く町に向かって走りだす。慌てて
ランヌも町への道をとってかえしはじめた。
「うう…恐るべしです…ミリア・カジネット」
 首根っ子を掴まれ、ぐったりとなったラピスは、荷物としてブラ下げられながら、呻いた。この
後彼女は盗賊ギルドに引き渡されて、また一悶着を起こすのだが、それは別の話である。
「まさかです…こんなにおっ金えな人とは…」
 似合いもしない下手な洒落をポツリといったが、さすがに誰もそれは聞いていなかった。後は
ひたすら、目の前のちゃちな欲望に取りつかれた貧乏剣士の怒涛の行進が、町に向かって続
けられているのであった。
             (おしまい)