作品タイトル

雨の日の殺人

 雨が降っていたから私は人を殺した。そうだ、こんな風に雨が降り続く日のことだった。
 殺したのは兄だった。一つ年上の兄で、私が勤める会社の社長だった。精力的に働く、社長としては良い男だったと思う。ただ、私を社長の地位につけてくれないことだけが、彼のもっとも悪い一点で、彼が死ななければならない理由だった。
 私は副社長だった。もちろん、そんな肩書きにはなんの意味もない。私は社長になりたかった。権力が欲しかった。しかし、兄が生きている限り、私は社長になれない。
 そんな時、雨が降った。そういうわけで、私は殺しを思いついた。
 雨というのは不思議なものだ。普段の晴れの日では考えつかない陰鬱なことでも容易に考えてしまう。体もどこか関節の内部が湿ったようになってどうにもならない。
 いや、それは単に気分の問題だ。私が雨の日に殺しを思いついたのは、私がアリバイをうまく作れると感じていたからだ。
 一つ違いの私と兄は、まるで双子のようによく似ていた。もっとも、注意してみればいくらかの違いがある。初対面の人間でも、ある程度よく見たら別人と分かる。普段の晴れた日ならば、私と兄の違いなぞ、社内の人間なら誰でも見分けられる。
 しかし、雨の日ならば?それが私のねらいだった。雨の日の薄暗さは、よく似た二人の人間を混同させるだけの力を持つ。また、その陰鬱とした冷たい湿り気は、気分を低下されて、普段とは違う、鈍った注意力を我々にもたらす。
 そんな次第で、私は殺人を決行した。毎日十二時半きっかりに、社の最上階にある社員食堂から、兄の部屋へ昼食が運ばれてくる。私はその時間を利用することにした。その時間に既に死んでいる兄が、まだ生きていたように見せることができれば、私から嫌疑を反らすことができると考えた。
 私は計画を素早く決行した。手に入れたのはサイレンサー付きの拳銃。それを持って私は兄のいる社長室に乗り込んだ。問答無用で拳銃を使い兄を打った。即死だった。脳天に弾がめり込み、憎い兄はもんどりうってひっくり返った。
 その死体を机の下に隠すと、私は兄の死体から服をはぎとって着た。時計は十二時二十分を指していた。あと10分で、社員食堂の調理員が食事を運んでくる。
 私の考えはこうだった。この、調理を運んできた時に、兄がまだ生きていれば、兄の死亡は12時半以降となる。その時、私が副社長室に電話をし、話しているそぶりをしたら?
 完璧だった。雨の日の薄暗さと、兄の背広。社員食堂の調理員は、必ず私を兄と見間違えるだろう。
 私は待った。十分すると、ノックがした。私は兄の声色で入れ、と命じて、電話をかけた。誰もいない副社長室にだ。やがて、ワゴンに料理を載せて、調理員が入ってくる。
「あ、私だ。副社長はいるか?なんだ、お前か。いや、たいした用じゃない。今度のオフクロの法事なんだが…」
 兄の癖、声色、それらを私はほぼ完璧に真似た。調理員は私が話し中と知ると、料理を置いて慌てて去ろうとした。
「ああ、そうだ。お前の方から交渉しておいてくれ。私も何かと急がせしくてな…」
 そこまで言って、私は肩に重いものを感じた。昔からそうだった。私は雨の日になると肩が無性に凝る。私は大きく首をまわした。ごきり、と首の関節が鳴った。
 調理員は去っていった。これで、全てがうまくいった。間違っても、この部屋で電話をしていたのが兄ではないなどと彼は思うまい。そう確信すると、私は兄の死体に再度背広を着せた。そして、誰にも見つからずに副社長室に逃げ帰った。

 結論から言えば、私の作戦は失敗だった。なぜ失敗したのか。それは、肩こりだった。普段はそんなことはないのだが、私は雨の日だけ肩が凝る。そして、死んだ兄は、全く肩の凝らない人間だった。
 私が電話の時に、肩を凝らしていたという些細な事実。しかし、その事実から、全てはぼろぼろに崩れていった。そして、それは私のアリバイ工作を見破って、私の罪を全て暴き立ててしまったのだ。
 そうだ、私は殺人を犯した。だから、こうして刑務所に入って君の目の前にいるというわけだ。なぜ、こんな話をしたのかって?ふふ、それはな、今日が雨の日だからだ。雨の日というのは、何ともいえない気分になる。普段とは違う事をしゃべることもある。普段とは違う気持ちにもなる。だから、私は殺人を起こしたのだ。
 そうだ、あの日もこんな日だった。私はむやみに殺したくなっていたよ。そうだな…君、こんな雨の日に、この部屋で私と二人きりなんてな…ふふ…ふふふふ…ふふ………

                               (終)
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