CARIBBEAN LUCIFER

「また知事に皮肉を言われてたんですかい?ナッシュ海尉」
 待機所に入ろうとした俺に、副官のロジャー・ハンクスが声をかけてきた。彼は一海兵からのたたき上げの下士官で、俺より五つ年上の34歳。俺がジャマイカに赴任して以来5年間、共に戦ってきた戦友だ。
「ああ。それも三時間も延々とだぜ。まったく、我ながらハゲネズミ…ボストン卿によくつきあってられるぜ。で、俺の顔を見るなり、カリブ艦隊の英雄はちっとも稼がないとか、国庫が逼迫しているからもっと金を出せとか、手前勝手な嫌みや愚痴ばっかりさ」
 俺はいすに腰を下ろして、水差しから直接水を飲んだ。
「そうやって知事のところから帰ってくるたび、海尉の愚痴を聞かされる、あっしの身にもなってもらいたいですね、知事も」
「何だよ。それは俺に対する嫌みか?」
「まあね。とにかく、愚痴ったところでなにも変わんないんだから」
 ロジャーにはぐらかされた俺は、頬杖をついて、机の上の会計書類を眺めた。
 今月、俺の戦艦はスペイン人海賊を撃破して、三隻撃沈、二隻拿捕の戦果を挙げている。だが、部下の給料や戦艦の維持費は、撃破した海賊からの戦利品からまかなわなくてはならない。この額は馬鹿にならない。その上に、ジャマイカ知事のボストン卿が要求するように、上納金を支払っていたのでは、俺たちが食っていけない。それを「稼ぎが少ない」などと言われたら、誰だってとさかにくるだろうぜ。
「ボストン卿はああは言うけどな、ここの税収や、金持ちからせしめた賄賂を自分の懐にたっぷりとため込んでいるんだぜ。国庫が逼迫してるとか言うなら、そこから出しゃいいのによ」
「海尉の愚痴も止まりませんな。英国カリブ艦隊の英雄マイケル・ナッシュが、待機所じゃ愚痴男って知ったら、みんなどう思うでしょうね」
「うるさいな。お前は直接ボストン卿の嫌み攻撃に遭ってないからそんなことが言えるんだよ。あー、つまらねえ。酒でも飲んでハイになりたいぜ」
「そうですな。今夜は酒場に行ってたっぷりとのみますか。海尉のおごりで」
「やだよ。お前に飲ませると、月給がすぐに飛んでっちまう」
 ロジャーは英国カリブ艦隊一の酒豪を自負してる野郎だ。ほっとくとラム酒の20瓶は軽く飲んじまう。それでいて二日酔いになったことないってんだから、全くうらやましい限りの身体してるよ。
 俺は一月分の疲れが一度に出たかのようにだるかった。精神的に思いっきり疲れて、いすから立ち上がる気力も失せていた。
「なんかさぁ、俺、飼い殺されてないかなあ」
「どういうことですかい?」
「カリブ艦隊の英雄って言うのはさておいても、確かに俺はたくさん戦果を挙げている。そこらの海賊に負ける気はしねえ。海の上じゃあそうだけど、陸の上の俺は違う。ボストン卿の下でぺこぺこして、嫌みを言われて…。ちっとも楽しくねえ。もっと海の上で、俺は楽しく暮らしたいんだよ。だから海軍に入ったのによ」
 ロジャーはくっくっと押し殺した笑いをしたあと、
「海軍に入ったのが間違いなんじゃないですか。いっそ海軍を辞めて、賞金稼ぎか海賊になったらどうでやす?海尉ほどの活躍をしてたら、一財産は稼げてますぜ」
「賞金稼ぎはともかく、海賊ってのは考えたこともあるけどな…」
 俺はロジャーの顔をじっと見て言った。
「海賊たちが俺を受け入れると思うか。俺はこれまでで海賊の親玉16人を縛り首にしている。奴らから目の敵にされているんだぜ」
 俺たちがそんなことを話していたとき、待機所に部下の水兵が入ってきた。
「ナッシュ海尉。海尉に伝言があるとこの男が言うので、連れてきたのですが」
「俺に伝言?」
 とりあえず俺はそいつを通してみた。見たことのない奴だった。
「俺に伝言があるんだって?」
「へい。ある方から、海尉殿に『今夜の七時に、石の大船亭に来てもらいたい』と言う伝言をお伝えしろと言われましたので。お伝えしましたからね、頼みますよ」
「待てよ。そのある方って誰だよ」
「あっしの口からは申し上げられません。会ってのお楽しみと言うことで。では」
 そう言うが早いか、そいつは俺の前からそそくさと出ていった。
「なんなんだ、ありゃ」
「さあね。なんなんでしょうね」
 俺とロジャーは顔を見合わせた。
「でも、だれだか知らないが、酒場と言うことは、酒が飲めそうですぜ。よかったですね」
「お前は気楽だな。まあ、行ってみることにするか。石の大船亭ってどこだ?」
「場末にある、ちっぽけな安酒場ですぜ。流行らないけど、酒はうまいです。あっしは何回か行ったことがあるんで」
「ふーん」
 誰が呼んだのか知らないが、ボストン卿の嫌み攻撃で精神的に参っていたときだったから、無性に酒が飲みたかった。酒が飲めるのなら行ってみよう。

 日も暮れたキングストンの街、その町外れにある、小汚い安酒場に、俺とロジャーは入った。
「いらっしゃい」
「英国海軍のマイケル・ナッシュだ。俺をここに呼んだ奴がいるらしいが、誰だかわかるか」
 俺は酒場のマスターに尋ねた。マスターは、
「あちらの方です。待っておいでですよ」
「ありがとう」
 俺たちはマスターの指した、隅っこのテーブルに向かった。
 そこには、身体のがっしりした、ひとりの老人が座っていた。老人は俺たちのほうを向いた。
「よお、来てくれたか」
「あんたは…」
 俺は絶句した。ロジャーもだ。
「これでワシとおまえさんが顔を合わせるのは五度目か?」
「六度目だ。まさかあんたが俺を呼んだとはな。思いも寄らなかったぜ。カリブ海賊の顔役のひとり、[南海の竜王]ウィリアム・カース」
「そうだろうて。まあ、突っ立ってないで座りな」
 俺たちはウィリアムの言われるままに、彼の前に座った。
 彼はカリブ海賊の中でも最大級の勢力を持つ集団、カース一党の首領だ。俺とウィリアムはこれまで四回、海上で激闘を繰り返してきた。そのいずれも双方痛み分け。どちらかというと俺のほうが負けていた。それ故に、俺も一目置いている男だ。
「まあ、なんか飲みな。おい、ボブ。この兄さんたちにブランデーでも差し上げろ」
 ウィリアムはマスターに向かって大声で言った。マスターはグラスを三つ運んできた。
「ごちそうしてやるよ」
「海賊からおごってもらうのもなんか変だが、ありがたくちょうだいしやすぜ」
 そう言うなり、ロジャーはブランデーグラスに口を付けた。俺も同じようにグラスを口にした。
 うまい酒だった。
「ボブはな、元々ワシの手下なんよ。かたぎになりたいと言ったから、金を出してこの店を開いてやった。そのかわり、ワシら一党の情報集めをやらせているんだ」
「なるほど。それで海賊の情報に詳しかったわけですな」
 ロジャーがうなずいた。
「ロジャー。お前は知っていたのか?」
「へえ、海尉に教えていた海賊の情報は、みんなここのマスターから聞いてたんでさあ」
 酒を飲んだせいか、ロジャーは妙にご機嫌だ。
「とはいえ、もぐりの奴らとか、三下程度の海賊の情報しか、そこの兄ちゃんには教えてないですがね。当然、お頭たちの情報は教えてません」
 マスターのボブがカウンターから俺たちに言った。
「そんなことを俺たちに言っていいのか、爺さんよ」
「ワシは自分の見込んだ男に隠し事はせん。それがワシのモットーだからな」
「なに、じゃあ、あんたは俺のことを見込んでいるのか?」
「当然よ。ワシと戦って引き分けた男はおまえさんだけだからな。お、酒が切れてるじゃねえか。おーい、ボブ。ブランデーをもう一本もってきな」
 ウィリアムは手ずから俺とロジャーのグラスにブランデーを注いだ。
「へへ、ありがてえや」
 ロジャーはますます上機嫌だ。目の前にいるのがこれまで戦ってきた海賊と言うことも忘れてるかもしれないな。
「それはそうと、俺たちをここに呼んだのはわけがあるだろ。だいたい、何であんたがここにいるんだ?」
「一度に質問されても答えられんよ。まあ、ワシがここに来たのは、一種の不測の事態だな」
「は?」
「恥ずかしい話だがな、不肖の息子に隙をつかれたんだ」
「? どういうことだよ?」
「ワシの次男のロバートが、ワシにさっさと隠居して、首領の座を譲れと言って聞かない。こいつはな、ワシの息子や腹心たちの中でもとりわけ腕は立つ。だが、見栄っ張りでけち、意地悪で威張り屋ときている。とても大将の器じゃないと言って、ワシは断った。そうしたら、ワシに恨みを持ったのか、ワシの一党のごろつきどもを味方にして、ワシの寝込みを襲ってきた。あっけなくワシは捕まり、奴の船でここまで連れてこられた。キングストンに入港する寸前に、隙をついて海に飛び込んで逃げたから、領事館に突き出されずに済んだがね」
 そう言って、ウィリアムはグラスを傾けた。
 うーん、信じられん。味方のだまし討ちとはいえ、南海の竜王があっけなく敵に捕らえられるなんてな。
「つまり、あんたは息子に裏切られたわけか」
「そう言うことだ。まあ、これは隙を見せたワシも悪いがね」
「で、俺を呼んだのは、そのロバートを討って、仇を取ってほしいからか」
「そうじゃない。ロバートの始末はワシがつける。だが、おまえさんを男の中の男と見込んで、頼まれてほしいことがある」
 そう言って、ウィリアムは俺の目をじっと見た。
「なんだよ」
「ロバートはどうもここの知事に取り入ろうとたくらんでいるようなんだ。ワシを突き出そうとしたのもそのためだろう。現に、ワシの部下がここのところ何人も、隠れ家を襲撃されて捕らえられている。奴め、自分のためなら、親兄弟や仲間まで売ろうとしておる。畜生以下だ」
「愚痴ってないで、本題に行こうぜ」
「おお、そうだった。で、知事に取り入るために、ワシの孫娘を連れ去って、知事に進呈したようなんだ。知事の妾にするためじゃろう」
「進呈って、物じゃあるまいし」
 ボストン卿は金好き、女好きだ。だからって、物みたいに女を渡す奴がいるなんて、俺にはわからん。
「奴にとっては、ワシの孫娘も物同然さね。ワシの頼みというのは、その娘を知事のところから連れ戻してほしいということだ」
「難しいことを言うな。でも、俺は海軍軍人だ。海賊の言うことをほいほいと聞くわけにはいかんぜ」
 そう言うと、ウィリアムはにやりといやな笑いをした。
「マイケル、まさかワシの恩を忘れたわけではあるまい。一昨年、火薬庫の爆発事故で航行不能になった船からおまえさんたちを助けたのは誰だったかね」
「ちっ…あんただよ」
 そうだった。俺たちの乗った船は一昨年、トリニダード沖で爆発を起こして、沈没寸前になった。そのときに助けられたのが、この爺さんの艦隊だった。おまけに親切にも、俺たちをジャマイカまで送り届けてくれた。今思えば、でかい貸しを作ったもんだ。
「英国軍人は借りは返さないのが流儀なのかね?」
「借りは返すよ。あんたの頼み通り、その娘を助け出せばいいんだろ。で、その娘の名前は?年頃は?どんな顔だ」
「一度に訊くなと言うに。名前はジュリエット。歳は十六だ。金髪の、ワシの女房に似てかなりの美人だ。気だてもいい、いい子だったに…、ロバートめ」
「海賊の首領の孫にしてはずいぶんかわいらしい名前だな。十六か…ボストン卿の好み通りの若い娘だな。あんたの妻に似ているかどうかはともかく、美人と見ていいんだな」
「ワシの女房に似て、美人じゃ」
「俺はあんたの妻を知らないからな…。わかった、たぶんその娘は知事官邸にいるだろうから、隙を見て助け出すよ。助け出したら、どこに送ればいいんだ」
「ワシはしばらくここに隠れ住んでおるわい。だから、ここに送り届けてくれ。頼んだぞ」
 そう言うと、ウィリアムは階上に上がっていった。階上に泊まり部屋があるのだろう。
 彼の姿が消えると、ロジャーが俺に話しかけてきた。
「なかなかいい爺さんですね。あっしはもっとやな野郎だと思ってましたが」
「酒をおごってもらって見方が変わったんじゃないのか?まあ、とても海賊の大親分とは思えないほど、人の良さそうな爺さんだったな」
「ところで、あの爺さんの孫娘、本当に美人なんですかね」
「俺が知るか。とにかく、受け負っちまったものは仕方ない。そのジュリエットって娘を助け出さなきゃな」
「知事官邸はかなり警備が厳重ですぜ。郊外にある別邸はそうでないかもしれませんがね」
 俺は腕組みして、頭をひねった。
「そういや、三日後に官邸で舞踏会が開かれるはずだな。俺も行くことになってる。決行するとしたら、ボストン卿の油断しているその日以外にないな」
「そのときまでに、その娘が官邸にいるか別邸にいるか突き止めなけりゃいけませんね。そいつはあっしが引き受けましょう」
「ああ、頼むぞ」
 ウィリアムの爺さんの頼みを聞いてやるのも仕方がない。妙なことに巻き込まれたようだが、なすがままに任せてみるのも悪くはない。とりあえず、今夜はもう少し飲もう。
 俺たちはもう一杯ずつ、ブランデーを飲んだ。

 ウィリアムの爺さんと会ってから二日後の午後、俺は知事官邸の前で下見をしていた。官邸前は警備兵がマスケット銃を抱えて立っている。強行突破したら、邸内に控えている警備隊の奴らに捕まるだけだろう。
「強攻策はできないな…」
 俺がつぶやいたとき、ロジャーが俺のほうに走ってきた。
「ジュリエットの居場所が分かりましたぜ」
「本当か。どこだ」
「官邸じゃありません。別邸のほうです。別邸の地下室に閉じこめられているようですぜ」
「地下室?何でそんなところに」
「さあ。おおかた、知事が手込めにしようとして思いきり抵抗されたものだから、怒って閉じこめたんじゃないですかい」
「年端もいかない娘を手込めに、か。いやな話だな。で、別邸の警備は?」
「大したことありません。大きさの割に、鍵もちゃちですし、簡単に侵入できますぜ。警備兵はおろか、使用人も少ないみたいですぜ」
「なるほど、なら、あとはいかに舞踏会を抜け出すかだな」
 本当は俺は舞踏会なんか、面倒だから出たくはない。だが、そんなことをボストン卿に言ったら、嫌みと皮肉をさんざん食らうことになるだろう。たぶん、舞踏会に出ても同じだろうけどな。
「あっしひとりで乗り込んで助けましょうか」
「いや、俺も行く。ひとりより二人のほうがいいだろう。お前ひとりを危険な場所に行かすわけにはいかないしな」
「泣かせること言ってくれますねえ。とかいって、本当はその娘が美人かどうか見たいんでしょう」
「馬鹿、違う。…おい、ちょっと見ろ」
 俺は官邸の前に現れた男たちに気づいた。その真ん中に立っているアイパッチの男に、俺は見覚えがあった。
「おや、あいつは…」
「ロバート・カースだ。ちょいと挨拶してくるか」
 俺はロバートのほうに近づいていった。奴のほうも俺に気づいたらしく、こっちに向かってきた。
「よう、海賊ロバート・カース。知事官邸に何のようだ?」
「ふん。誰かと思えば、英国カリブ艦隊の英雄殿か。再会できて光栄だな」
 俺と奴は視線で火花を散らせた。
 俺たちは去年、プエルトリコ沖で戦っている。あのときは激戦の末、俺が奴の船を打ち負かした。
「我が国の西インド拠点に乗り込むとは尋常じゃないな。用件を言えよ」
「勘違いするな。俺様はあんたたちの味方をしに来たのさ。それで知事殿に会ってきた。現に、英国船を狙っていた海賊どもが、ほら、あそこに仲良く並んで縛り首になってるだろう」
 奴は港に並んだ絞首台を指さした。
 絞首台に、五体ばかりの海賊の遺体がぶら下がっているのがわかった。
「俺様がみんな突き出したのさ」
「なるほど、仲間を売ったわけか」
「知事殿への手みやげさ。まあ、あんたともこれから仲間だ。よろしく頼むぜ」
 奴は口元をゆがめて笑った。
「信用ならんな。お前の、その右目の傷の恨みがなくなったとは思えん」
 俺は奴に言い放った。
 奴の右目のアイパッチ、それは、去年戦ったときに俺が奴の右目を斬ってから、奴がつけたものだ。
「信用する、しないはあんたの勝手だ。じゃあな、英雄さんよ」
 そう言って、奴は取り巻きを連れて俺の前から立ち去り、港に向かっていった。
「奴は知事に取り入って、なにをしようとしてるんでしょうかね」
 ロジャーが俺の耳元にささやいた。
「わからん。だが、やっかいな野郎が現れたのは確かだ」
 俺は奴らの後ろ姿を見送った。
 仲間を売り、身内の娘を売り、父親を売ろうとしたゲス野郎。奴の背中につばを吐きかけてやりたかった。

 官邸のダンスホールに、着飾った男女が集う。派手好きのボストン卿は自分の官邸で、月に一度は必ずこういった舞踏会を催す。
 やってくるのは高官や高級士官、キングストンの町の名士や金持ち、及びその子女。みんな礼服を着込んでやってきて、互い同士慇懃に挨拶し、官邸の中に入っていく。
 出席を要請されている俺はいつも通り軍服を着て、官邸内に入った。俺は礼服なんて持っていないし、軍人はみな軍服に勲章を自慢げにぶら下げてきているからな。
「ナッシュ君、これは品性ある舞踏会だぞ。何だね、その格好は」
 中に入ってハゲネズミ…もとい、デズモント・ボストン卿の姿を見るなり、すぐに彼の小言が飛んできた。
「軍服は多少整えてあるようにも見えるが、髪ぐらいは整えてくるものではないかね。だいたい君は…」
「品性ある舞踏会のじゃまですから、お小言はあとでゆっくり聞きます」
 俺はその場を回避して、とりあえずワインとローストチキンをいただきにテーブルに向かった。
 俺は今朝ちゃんとひげも剃ってきたし、自分の、多少長めの黒髪に櫛は当ててきたんだが、髪のボリュームがありすぎるせいかうまくまとまらない。ちっとばかりハゲネズミ…もとい、ボストン卿にわけてやれば、ちょうどいいかもしれないな。
「見て、あそこの人。マイケル・ナッシュ海尉よ」
「まあ、あのカリブ艦隊の英雄って言われてる?」
「なんか、海の男の雰囲気を感じるわ。かっこいい」
「そうね。ワイルドで男っぽいわ」
 俺のところに、カラフルなドレスをまとった若い娘が三人寄ってきた。
「ナッシュ海尉。よろしければ、一緒に踊っていただけますか?あ、私、マクラーレン商会会長の娘で、ジェニファーと言います」
「ジェニファー、抜け駆けしないでよ!海尉はわたしと踊ってくださるんだから。あの、わたしはリンダ、ジョーンズ陸軍大佐の娘です。よろしければ…」
「ふたりとも邪魔よ。ちょっとどいて!私、西インド商会会長の娘で、メアリー・クロフォードと言いますの。今宵、私とおつきあいいただけませんこと?」
「あなたこそずるいわよ。ナッシュ海尉は…」
 …疲れる。舞踏会だといつもこれだ。もてるのは悪い気がしないが、俺はどうもここに集まってくるお嬢様連中は性に合わない。だから、俺は女性に声をかけることすらしない。別に女と抱き合って踊らなくたって、ごちそうさえ食えれば俺はそれでかまわないんだからな。
「相変わらず人気があることだな、ナッシュ君」
 ボストン卿が俺のところにやってくると、俺の周りにいた娘たちはそそくさと別のところに散っていった。どうやらボストン卿はまったく人気がないようだ。
「ああいった娘たちとつきあってもつまらんぞ。金蔓にもならんし、出世もたいしてできん」
 うるせえ、ハゲネズミ。打算で女とつきあうほど、俺はせこくないっての。
「それよりも、吾輩の娘とつきあってみてはどうかね。懇ろになれば、君の出世は約束されたも同然だよ」
 ボストン卿の指さしたところに、目が痛くなるほど真っ赤なドレスを着た、ボストン卿そっくりの女がいた。彼女はこっちを見ると、にっこりほほえんできやがった。
 冗談じゃない、なにが悲しくてあんなネズミ面の女とつきあわなきゃならんのだ。
「どうやら、向こうは君に気があるようだな。せいぜいがんばれよ」
 そう言うとボストン卿は別の客のところに行った。
 楽団が用意している。そろそろ次の曲が始まるんだろう。俺は半ば強制的に、ネズミ女とパートナーにされるに違いない。
 だいたい、こんなことをしてる場合じゃない。ボストン卿の別邸に行って、ジュリエットを救い出さなきゃいけないんだ。とりあえず、音楽が始まる前にここから抜け出すようにしなければ。
 …そうだ。
 俺はとりあえず、ネズミ女のところに行って声をかけることにした。
「お嬢さん、もしかしておひとりで?」
「ええ。殿方がまだ私に声をかけてくださらないもので」
 …まあ、その顔なら、誰も二の足を踏むな。
「よろしければ、俺…わたしがお相手いたしましょうか」
「まあ、うれしいですわ。あなた様は?」
「英国海軍士官、マイケル・ナッシュと申します。お見知り置きを」
「まあ、あのカリブ艦隊の英雄の名高いナッシュ海尉でしたとは」
 俺は用意しておいたグラス二つを取り、ひとつを彼女に渡した。
「とりあえず、お近づきのしるしに。乾杯」
 グラスを打ち合わせる…ところで俺はわざとよろけて、手を滑らせて、彼女のゴーディ・レッドのドレスにワインをぶちまけた。
「きゃああ!」
「うわ、これは失礼しました。少し酔っているもので…」
 俺はとりあえず平身低頭で謝っておく。
「なにがあった、フローレンス」
 案の定、ボストン卿がすぐさま飛んできた。
「お父様。この方が、私のお召し物にワインを…」
「おお、吾輩がかわいい娘のために特別に仕立てた美しいドレスにワインをぶちまけるとは…ナッシュ君、なんと言うことをしでかしたのだ!顔も見たくない。今夜はもう帰りたまえ!」
「は、はい…」
 俺はとりあえず肩を落として、官邸の外に出た。そして、外に出るや、道路端に留めてある俺の馬のところに駆け出した。
 脱出に成功した。早く別邸前にいるロジャーと合流しなければ。

 ロジャーは盗賊風のなりに変装して、別邸の正門前で俺を待っていた。
「うまく抜け出せたんですかい?」
「ああ、ボストン卿に追い出される形でな…お前、そのなりが様になってるな」
「あっしより、海尉のほうが様になると思いますぜ」
「それより、中の様子はどうだ。警備兵や使用人はどうしてる」
「中に人がいるためか、鍵はかかってないようでした。警備兵はさぼって寝ているし、使用人も部屋にこもってます。数も少ないから、あっしが突入して、使用人たちをふん縛っときましょうか?」
「乱暴だが、いいだろう。行け」
「合点で」
 ロジャーと俺は別邸の玄関を開け、中に入った。誰も気づいていないようだ。
 二階の使用人部屋に向かったロジャーを待っている間に警備兵の部屋をのぞくと、警備兵たちは酒をあおっていびきをかいて寝ていた。ボストン卿がいないとなまけ放題みたいだ。
「うまくいきましたぜ」
「そうか。ついでにここの部屋を外から鍵しておこう。出てこられるとやっかいだ」
「そうですな。鍵なら、使用人部屋からくすねておきましたぜ」
「やることにそつがないな」
 俺は警備兵の部屋の鍵をおろした。
「地下室の入り口はどこだ」
「こっち、この階段の下に、地下に向かう細い階段があります。そこの突き当たりですぜ」
 ロジャーがどうやってそれを調べたのかはわからないが、とりあえず俺たちはそこに向かった。
 明かりのない階段を壁づたいに下りると、突き当たりに古いドアを見つけた。
「ここだな」
「そうです…あれ、どれが地下室の鍵だかわかんなくなっちまった」
「面倒なのは嫌いだ。こういうドアは蹴破るに限る」
  俺は古いドアを簡単に蹴り破った。意外と安普請だな。
 部屋からかび臭いにおいが漂ってきた。
「くせえ部屋だな…。ジュリエット、いるか。…ちっ、暗いとちっともわからねえ」
「上からランプを取ってきます」
 ロジャーは階段を上っていき、俺は蹴破ったドアを乗り越えて地下室に乗り込んだ。
「ジュリエット、いるんだろ。出てこいよ」
 俺は何回も呼びかけるが、誰も呼びかけに答えない。
「ランプを取ってきましたぜ。中を探しましょう」
 ロジャーからランプを受け取り、俺は地下室を照らした。意外と広い部屋だった。たぶん物置に使っていたのだろう。木製の箱が山積みされていた。
「そこか」
 俺は箱の山の陰に動くものを見つけ、そこに行ってみた。
 思った通り、そこに一人の娘がいた。手を細布で縛られ、かわいそうなほどおびえて、ふるえていた。
「ジュリエットだな」
 俺が尋ねると、娘はこくりとうなずいた。
「安心しろ。ウィリアムの爺さんに頼まれて、お前を助けに来た」
「おじいちゃん…に」
 彼女はか細い声でつぶやいた。
「ああ。俺はマイケル・ナッシュ、こいつはロジャー・ハンクスだ。さあ、このくさい部屋から出してやるぜ」
「あの…」
 俺が娘を抱き起こそうとしたときに、彼女は言った。
「ここ三日間くらい、なにも食べさせてもらっていないんです。おなかがすいて動けません」
「そうか。ロジャー、何か食い物がないか」
「台所まで行けば、何かあると思いますぜ」
 俺は娘を抱き上げ、ランプをロジャーに持たせて、一階の台所に乗り込んだ。
 とりあえず、パンとチーズを見つけて、それを娘に与えた。
 ロジャーがともした燭台の光に照らされた彼女は、ウィリアムの爺さんの言ったとおり、金髪の美少女だった。
「ゆっくり食えよ」
「はい…ありがとうございます」
「礼はいらねえよ。俺のものじゃないしな」
「いえ、助けてくださって…」
「礼はあとでいいから、食べてしまえよ」
 娘は俺の言ったとおりに、ゆっくりと食べ、手をおいた。
「あのじいさんの孫娘だと聞いたが、ロバートとはどういう関係だ?」
「ロバートは、あたしの伯父です」
 娘はか細い声で答えた。声もまだ少し震えている。尋問するみたいで気が引けるが、俺もかかわった以上、あらましを知っておきたい。俺は質問を続けた。
「じゃあ、何でお前がここにいて、地下室に閉じこめられていたんだ。話してくれないか」
「海尉、そんなことを訊くより、さっさと逃げたほうが…」
「黙ってろ。俺は今訊きたいんだ」
 俺はロジャーを黙らせ、娘のほうを見た。
「あたしはカース一党のひとり、アンソニー・カースの娘です」
「アンソニーってったら、カルタヘナからガイアナの方面を荒らしていた奴だな。確か、金輸送船を専門に狙って、分け前を貧しい庶民に配ったという」
 アンソニー・カースとは戦ったことはないが、その名前はよく聞いていた。通称「青髪鬼」。カリブ海のロビン・フッドと呼ばれて、庶民の人気は高かったようだ。
「あたしたちの住処に、ロバートとその兵隊がやってきて、父さんと言い争うのを聞きました。娘と粘土板をよこせ、と言っていました。父さんは断固として拒否し…腹を立てたロバートに斬り殺されました。彼らは住処に侵入し、粘土板を持って逃げようとした母さんを…殺して…それを奪い、そして、あたしを捕まえ、無理やり船に乗せました」
「ひどいな、ロバートは」
「そして、あたしをネズミみたいな変な顔をした男のところに連れていって、それから、この家に閉じこめられました。そして…その男が…あたしのことを無理やり…」
 相当つらい思いをしたのだろう。彼女は目に涙をためて、言葉を詰まらせた。さすがにこれ以上状況を訊くのは酷だ。俺はそう思った。
「で、その男に逆らったから、地下室に閉じこめられたんだな?」
 俺の意図に反して、ロジャーが尋ねた。
「…はい。あたしがあまりに暴れるもので、強そうな警備兵に命令して、あの部屋に閉じこめられました。『いずれ吾輩好みの肉奴隷に調教してやる。それまでおとなしくしているがよい』と言い残して、男は出ていき、それ以来、あなた方に助け出されるまで、水も食べ物も与えられなくて…」
 …ロバートもひどいが、ボストン卿も鬼畜だ。いい加減に俺は愛想が尽きたぞ。
「つらかったな。でも、俺たちが助け出したからには大丈夫だ。安心しろ」
「はい」
 娘ははにかむようにほほえんだ。かわいい。俺は一瞬、心がときめいた。
「長居は無用だな。ロジャー、逃げるぞ」
「へい。じゃあ、表を見てきます」
 ロジャーは台所の燭台を消し、玄関のほうに向かった。
「俺たちも出るぞ、ジュリエット」
「はい、マイケル様」
 俺たちは連れだって食堂を出た。彼女はまだ体力が回復してないようだったから、俺が抱いて逃げることにしようとした。
 そこへ、ロジャーが走ってきた。
「海尉、大変だ!」
「どうした」
「兵隊がこっちに向かってる!」
「なにっ!」
 俺は近くの窓から外をのぞいた。
 英国兵の隊伍が、正門のほうに集まっているのが確認できた。
「二、三十人ってとこですが、完全武装してますぜ」
「本当にやっかいなのが現れたか。…裏から逃げるぞ」
 俺はジュリエットを抱き上げ、ロジャーの先導で裏口から庭に出た。
 それと同時に、兵隊どもは邸内に突入したようだ。
「おかしい、いないぞ」
「庭に逃げたかもしれん。二手に分かれて賊どもを追え!」
 俺は庭を見渡したが、垣が高くて、登っている間に追いつかれそうな気がしてならなかった。
「ロジャー、庭の出口がわかるか?」
「一応、見当はつきますがね」
「なら、お前はジュリエットを連れてここから逃げろ。俺は奴らを引きつける」
「海尉!そいつは無茶ですぜ!」
「このまま逃げたら三人共倒れになりかねん。俺が引きつけておけばジュリエットが逃げやすいだろう。ウィリアムの爺さんのところに、必ず届けろよ。…行け!命令だ!」
 俺はロジャーたちをせかした。そうこうしているうちに、兵隊どもに追いつかれちまう。そうなったらジ・エンドだ。
「マイケル様…死なないで」
「そんなどじはしないさ」
 別れ際にジュリエットが俺に言った。大丈夫だ。こんなところでくたばりはしない。
 俺は庭の植木の陰に身を潜めた。ロジャーたちが闇に消えるのを確認し、懐中から取り出した短銃に弾を込める。実戦で鍛え上げられた俺の射撃術は、狙撃にしろ早撃ちにしろ、そこらの奴らに負ける気がしない。一丁、派手にやってやるか。
 裏口から数人の兵士が庭に出てくるのが見えた。俺はそこにめがけて、短銃を一発お見舞いした。
「ぐあっ!」
 ひとりが悲鳴を上げて、地面に倒れた。
「あっちだ!賊はあっちにいるぞ!」
「相手は銃を持っているぞ!こっちも応戦しろ!」
 兵隊どもは、さっきまで俺が隠れていた植木のほうに、一斉にマスケット銃を発射した。俺はすでに別の植木の陰に隠れて、短銃に弾を込めていたところだ。
 そして、もう一発兵隊どもに弾をお見舞いした。
「うっ」
 弾を食らった男が地面に倒れた。俺はまた庭を走って別の隠れ場所を探した。
「あっちだ!一斉に発砲しろ!」
 どうやら逃げていく俺に気づいたようだ。庭にいた兵士、邸内にいた兵士が、俺めがけて銃を乱射してきた。
 へっ、どこ狙ってんだよ。
 俺は余裕で弾丸の雨をかいくぐり、とりあえず近くにあった薪小屋の中に身を潜めた。そして、薪の束の間に隠れた。
「痛てっ」
 足に痛みが走った。よく見ると、俺の軍服のタイツに血がにじんでいた。
 ちっ、一発食らってたようだ。かすり傷みたいだがな。
 俺は痛みをこらえてしばらく小屋の中でじっとしていた。ふと見ると、小屋の入り口にひとりの男が立っていた。
「知事別邸に侵入した盗賊め。そこにいるのはわかってる。おとなしく出てこい。でないと、俺様が始末するぞ」
 そう言って、男は長剣を抜いた。顔はよく見えない。
 暗がりだと戦いにくいが、それは向こうも同じはずだ。俺は静かにサーベルを抜き、男に斬りかかった。
「そこかっ!」
 男は俺の剣の一撃を受け止め、剣を横薙ぎに払った。俺はそいつをかわした。
 暗がりの戦いに勝つ鍵は、わずかな視界と第六感だ。俺は精神を集中して、相手の剣先を見切ってかわし続けた。
 暗がりだと分が悪い。だが、それは相手も同じはずだ。なのに、俺が完全に押されている。俺は剣術にも自信がある。実戦の経験だけが剣士としての俺を育ててきた。そんじょそこらの奴が俺にかなうはずがない。
 …こいつは俺より強いかもしれん。そんな考えが頭をよぎった。
 男の長剣が俺めがけて突き出された。俺は一瞬かわすのが遅れた。
「…っ!」
 突き出された剣の刃で、俺は左腕に傷を負った。多少深そうだ。
「そこまでのようだな。抵抗をやめて、おとなしくしろ。俺様が地獄に送ってやる」
 腕を傷つけられたくらいであきらめたりするかよ。なめんなよ。俺は男にめがけてサーベルを振った。
 俺の一撃は簡単に止められ、男のカウンターの蹴りが俺の腹に入った。
「ぐえっ」
 俺の身体は薪小屋の壁にたたきつけられた。衝撃で少し目がかすんだ。
「お前と俺様との剣の腕は歴然としている。あきらめるんだな。さあ、とどめを刺してやろう」
 くそっ、結構ダメージがきついぜ。このままやられるわけにはいかないのに…畜生。
 男が俺にじりじり近づいてくる。そのとき、
 ドカーン
 外のほうから派手な爆音が響いた。
 男はその爆音に一瞬ひるんだ。そこを逃さず、俺は男に向かって右肩からぶちかまし、薪小屋から飛び出した。そして、塀を乗り越えて、知事別邸から脱出した。
 振り返ってみると、別邸から火が上がっていた。
 俺のすぐ近くに、馬が止まった。
「海尉、無事でしたかい」
 馬の上から、ロジャーが俺に声をかけてきた。馬は俺の馬だ。
「あの爆音はお前の仕業か?」
「へい。ウィリアムの爺さんからみやげに炸裂弾をひとついただいたんで、早速使ってみたんです。派手に決まりましたな」
「おかげで助かった。ジュリエットはちゃんと送り届けたな?」
「ばっちりでさあ」
「よし。俺たちも石の大船亭に急ぐぞ」
 俺はロジャーの後ろにまたがり、馬を走らせて、場末の安酒場、石の大船亭に直行した。
 …今回は不覚をとってしまった。奴め、強くなってやがる…。

「無事に孫娘を助け出してくれたな。礼を言うぞ、マイケル」
 ウィリアムの爺さんは酒場で俺たちを待っていてくれた。そして、ねぎらいの一杯として、極上のブランデーをおごってくれた。
「ジュリエットはどうした」
「部屋で寝ているはずだ…おや、ジュリエット、どうした」
 爺さんが階段のほうを振り向いた。そこにはジュリエットが俺のほうを見て立っていた。
「マイケル様、無事だったんですね。おかげでおじいちゃんのところに逃げることができました。ありがとうございます」
 そう言って、彼女は頭を下げた。
「爺さんに貸しがあったからしたまでさ。礼なんかいらん」
「でも、助けていただいたことは事実ですから…あら、けがをされたのですか?」
 彼女は俺の腕の傷に気がついたようだ。
「手当をしてあげます」
「いいよ。ひとりでできるから」
「いいえ。あたしがします」
 そう言うなり、彼女はマスターのボブから薬箱を借り受け、俺の傷の手当をはじめた。
 俺は彼女に傷の手当をしてもらいながら、なんだかむずがゆさを感じていた。自分が自分でないような、そんなむずがゆさだ。
 俺はいろんな港をまわって、いろんないい女と出会った。売春婦から良家の娘まで、いろんな女と寝た。だが、ジュリエットを目にしたときのような心のときめきは、ずっと感じたことがなかった。
 まさか、惚れちまったのか?もうじき三十になろうとする男が、自分の半分しか生きていない、海賊の娘に。
「終わりましたよ」
「あ、ああ、ありがとう」
 俺は彼女に礼を言い、視線をウィリアムの爺さんに向けた。
「訊きたいことがある。ジュリエットの話の中に粘土板という言葉が出てきたが、それはいったい何だ?」
 俺が質問をすると、爺さんはにやっとした。
「質問に答えるには条件がある。それをおまえさんが聞いてくれたら、粘土板のことを話そう」
「何だよ、その条件って」
 爺さんは一息つき、
「ワシの跡取りになれ」
「なななな、何だって?」
 俺は思わずぶっ飛んでしまった。
「俺はあんたと何度も戦った英国軍人だぜ。なにとち狂ったことを言ってるんだよ」
「とち狂ってなどおらん。ワシの息子たちの中で優秀な男たちはみな死んだ。優秀な部下も、ロバートのせいで多く失った。ワシの兵隊たちを任せられるだけの男は、ワシの知る限り、マイケル・ナッシュという英国軍人しか思いあたらん。のう、海軍などやめて、海賊に転職してワシの跡取りになってくれんか」
「それがいいんじゃないですかい。海尉、海軍を辞めたいって言ってたじゃないですか。海尉は軍人よりも、海賊のほうが似合ってると思いますぜ。そん時はもちろん、あっしもお供しますぜ」
「黙れ!」
 俺はロジャーに一喝し、爺さんをにらんだ。
「誰があんたの跡を継いで無法者の親玉なんかになるか。今回のことで俺とあんたの借り貸しはチャラだ。失礼するぜ」
 俺はそう言って、酒場から出ようとした。
 だが、酒場の出口をふさがれて、外に出られなかった。ジュリエットに通せんぼされたのだ。
「マイケル様、おじいちゃんに謝って」
「は?」
「おじいちゃんは、ただの無法者の親玉なんかじゃないわ」
 そう言って、彼女は意志の強そうなまなざしで俺の目をじっと見据えた。
「おじいちゃんは、戦いで土地を追われた人や、返せない借金を抱えた人、主人の虐待に絶えられなくなって逃亡した奴隷、職に就けない人たちを自分のもとに集めて、面倒を見ている人なの。確かに海賊行為は犯罪だわ。でも、おじいちゃんのもとにいる人たちは、そうしないと生きていくすべのない人たちだけなのよ」
「ジュリエット…」
「おじいちゃんは海賊だけど、尊敬できる立派な人なのよ。むやみな殺戮はしないし、仲間のためなら我が身を危険にさらすこともあるし、貧しい人や哀れな境遇な人を助けてる。それに、自分の家族を大切にしてる。あたしはそんなおじいちゃんが大好きなの。だから、おじいちゃんをロバートみたいな無法者と一緒にしないで。おじいちゃんに謝るまで、あたしはここをどかないわ!」
 本当にジュリエットはてこで動かしても動きそうにない。彼女の言葉と、意志の強さに俺は負けた。俺は爺さんのほうを振り向いた。
「あんたをそこらの海賊と一緒にしたのは悪かった。謝るよ。だがな、俺は今のところ海賊になる気はない。…ロジャー、出るぞ」
「へっ、へい。それじゃ、ごちそうさんでした。どうぞご達者で」
 ロジャーは爺さんに愛想良くあいさつして、俺の後ろについて酒場の外に出た。
「海尉、本当にいいんですかい。海賊に転職したほうが、もしかしたら海尉のためだと思いますがねえ」
「・・・」
 俺はなにも答えなかった。と言うより、答えの言葉がわからなかった。あのじいさんとその孫娘に出会って、そしていろいろなことが周りで激しく動きすぎて、俺の頭はこんがらがっていたから。

 次の日の昼、俺はボストン卿のもとに出頭を求められた。いやな予感がしたが、行かなくてはならないので行ってみることにした。
 いつもはいすにふんぞり返っているボストン卿だが、この日は落ち着かない様子で、せかせかせわしなく歩き続けていた。
「昨晩、吾輩の別邸に火付け強盗が押し入った」
「別邸に強盗が?物騒な話です」
 俺はとりあえず適当に合いの手を入れた。
「賊を捕らえに来た陸軍中隊に対して賊は発砲し、二名に重傷を負わせ、火薬を使って屋敷を半焼させた」
「それで、被害は?なにを取られたので?」
「吾輩の妾がひとり、拉致された」
 そう言うと、ボストン卿は俺のほうをびしっと指さした。
「君は吾輩が舞踏会から追い返したあと、どこに行っていたのかね」
「酒場に行って、それから家に帰りました。それが何か」
 言っておくが、これはうそじゃない。知事別邸の襲撃について何も言っていないだけで、酒場に行って、帰ったのは事実だ。
「吾輩の別邸を襲撃した強盗のひとりは君だったと、報告してきた者がいる」
「誰です、それは」
「名前は言えぬ。だが、吾輩の信頼する者だ」
「証拠がないでしょう。俺はあのあと酒場に行った。そして帰った。これは事実です」
「証拠か…」
 ボストン卿は俺をまっすぐにらみ据えた。
「その証拠をつかみ次第、君を国家反逆罪で逮捕するからな」
 国家反逆罪だと?俺は略取されてボストン卿のところに連れてこられたジュリエットを助け出しただけだ。反逆罪は不当すぎるぜ。ボストン卿の横暴だ。
「失礼します」
「待て、ナッシュ君。君との話はまだ終わっていない」
 俺はボストン卿の言葉をまったく無視して部屋から退出した。こんなところに長居は無用だ。
 俺の前に、三人の兵士が立ちふさがった。
「マイケル・ナッシュ海軍海尉。国家反逆罪の疑いで連行します」
「うるせえ!どけ!」
 俺は俺をしょっ引きに来た兵士三人を殴り飛ばし、官邸の外に走り出た。
 どうやら追っ手はしばらく来そうにない。…ロジャーや、ウィリアムの爺さんとジュリエットが心配だ。俺は馬にまたがると、街の中に馬を飛ばした。

「それじゃ、ジュリエット嬢を助けるために別邸を襲撃したのが、あっしら二人だって、もうばれちまってるんですかい?」
 キングストンの裏路地。俺はロジャーと並んでそこを歩いていた。
 ロジャーのところにも兵士がやってきたらしい。ロジャーはちょうど外出していてやり過ごしたそうだが。
 俺たちは石の大船亭に向かっているところだった。  
「ああ。おまけに、国家反逆罪って言う罪状までついた」
「そりゃあんまりですぜ。知事のことだ、自分に刃向かう奴は国家反逆罪を適用するって考えなんでしょうな。それにしても、何でばれたんでしょうね」
「…ロバートさ」
 俺は厳しい顔で答えた。
「あの晩、別邸にやってきた兵隊を指揮していたのはあいつだ。あの剣裁きは奴に間違いない」
 ロバートは俺より剣の腕に優れている。ウィリアムの爺さんの言うとおり、おそらくカリブの海の男の中でもとりわけ腕が立つ奴だろう。
「じゃあ、ロバートはこの計画に感づいていたってことですかい」
「たぶん、そうだろう。そして、そうだとすれば爺さんとジュリエットが危ない。急ぐぞ」
 俺とロジャーは走って石の大船亭に向かった。
「あ、ナッシュの旦那!」
 酒場の前まで来ると、店の中からマスターのボブが出てきた。
「何かあったのか?」
「とりあえず、中に入ってください」
 ボブの言うとおり、俺たちは店の中に足を踏み入れた。
 ひどい状態だ。テーブルは割られ、いすはつぶされ、グラスはみな割られている。
「つい一時間ほど前、ロバートとその部下が店を襲撃してきまして、それでこのざまです」
「爺さんとジュリエットは?無事なのか?」
 俺は一番気がかりだったことを尋ねた。
「ワシらなら大丈夫だ。地下の酒蔵の中に潜んでおったら、奴め、見つけることができなかったようだ」
 カウンターの裏からウィリアムの爺さんとジュリエットが姿を見せた。よかった。二人とも無傷のようだ。
「ロバートは俺たちのやったことをすべて知っているようだ。そして、ロバートはすでにボストン卿と懇意だ。俺とロジャーは今、国家反逆罪の嫌疑をかけられている」
「国家反逆罪とは重過ぎるな。ともかく、ロバートに知られたからには、もはやここにはいられまい。しばらく隠れて時を待ち、本拠地に帰ろうと思ったが、そう言う事態ではなくなったな」
 ウィリアムの爺さんの言葉に、ジュリエットは不安そうな表情を隠さず、俺のほうを見つめた。
 俺もこの二人も追われる身…よし、ここは腹をくくるしかない。
「二人とも、俺の船に隠れてろ。俺が何とかする。ロジャー」
「へい」
「お前は部下を召集しろ。日暮れに、俺の船の甲板上に全員をだ」
「合点で。では、いますぐ行って来ます」
 そう言うと、ロジャーは店の中から走り出た。
「爺さん、ジュリエット、ついてこい。船まで案内する。ボブ、すまなかったな」
「わたしのことはよろしいんで。店を直すだけの蓄えはありますし、お頭のためなら、こんな損害、屁とも思いませんよ」
 ボブは笑って答えた。
「さあ、急ぐぞ。いつ追っ手が来るかわからないからな」
 俺は二人をせかして、港に向かった。

 日暮れ時のキングストン港。その一番端の目立たないところに、俺の指揮する40メートル級ガレオン艦、ローズマリー号がある。
 俺は横にロジャーを従えて、船首楼の上に立ち、甲板に集まった俺の部下総勢90人を見下ろした。
「こんな時間に急に呼び集めてすまない。どうしても言っておかないといけないことがある」
 俺が部下たちに向かって話しかけると、部下たちは静まり返って俺の言葉に耳を傾けた。
「俺は今、国家反逆罪の嫌疑をかけられている」
 ざわっと、部下たちの間にざわめきが走った。
「何のことはない。前に貸しのあった海賊に協力して、ボストン卿の屋敷から一人の娘を助け出しただけだ。だが、そのせいで俺は追われる身になった。そんなことで反逆罪になってたまるか」
「そうだ!知事の横暴だ!」
 部下たちが声を上げた。
「俺は決心した。俺は海軍にも、ボストン卿のもとで働くことにも何の未練もない。俺はこの船をいただいて海賊に転職する」
 さっきより大きなざわめきが部下たちの間に走った。
「お前たちは俺の部下だ。だが、いやがる者まで強いて俺につきあわせる気は俺にはない。海賊になるのがいやな者は、いますぐ船を下りてくれ」
 俺はそこで口を閉じた。
「いや、オレは船長につきあうぞ!」
「おれたちの大将はボストン卿なんかじゃない、ナッシュ船長だ!」
「船長が海賊になろうと、俺は船長にどこまでもついていくぜ!」
「オレも」
「おれもだ!」
 部下たちは拳を突き上げて、口々に言った。船を下りた者はひとりとしていない。全員が、俺につきあうと言ってくれた。
 俺は目頭が熱くなった。俺についてきてくれる部下がこんなにいるなんて…
「よし、決まりだ!俺は今日から海賊になって、自由の海に出る!お前たち、ずっと俺についてきてくれるな」
「おおうっ!」
 部下たちの声が大きく響いた。
「ありがとう。これから俺のことをお頭と呼べ。船長でもかまわん。だけど、二度と海尉と呼ぶな。早速、海賊の初仕事にかかるぞ!勇気のある奴はついてこい!」
 俺は先頭に立って陸上におり、部下を従えて街に向かった。目指すは海軍の兵器格納庫だ。

 格納庫襲撃に成功した俺たちは、次の日の早朝にキングストン港を出航した。
 さらば、大英帝国。さらば、ジャマイカ。俺は自由の海に出る。
 俺はキングストンの街のほうに手の甲を向け、人差し指と中指を押っ立てた。
「お頭、これからどうするんですかい?」
「ロバートの奴を待ち受ける。近いうちに、奴は港を出るに違いない」
 これは俺の憶測でしかなかったが、俺は間違いなくロバートが出てくると確信していた。
 キングストンの沖合に停船し、奴を待ち受けること二日。その明け方、見張りが大声を上げた。
「船が見えるぞ。あれはオーガーキラー号だ!」
 俺は望遠鏡で、近くを通る一隻の船を眺めた。ロバートの船、オーガーキラー号に間違いなかった。
 俺の船のメーンマストの上にはイングランドの旗が翻っている。ここは英国船の振りをして、奴の船に近づくことにしよう。
 オレの船は奴の船に併走する形で近づいた。
「ロジャー、あの船に声をかけてみてくれ」
「合点。おーい、お前たちはどこに行くんだ?」
 俺はハッチの陰に隠れて様子をうかがった。日除け用の仮面をかぶったロジャーが、うまくオーガーキラー号と話を付けているようだ。
「俺たちは海賊の本拠を襲撃に行くのさ。ついでに、伝説のお宝をいただきにな」
 同国籍の船だと思って油断しているのか、向こうの船はべらべらとしゃべっていた。
「そこはどこなんだ。俺たちも加勢しようか?」
「南米の、マラカイボ湖の奥にある村さ。加勢はいらないぜ。今、そこの親分は留守なんだ。俺たちだけで襲撃しても簡単に勝てるさ」
 奴らはウィリアムの爺さんの本拠地を襲撃しようとしているようだ。ここまで聞き出せばあとは訊くことはない。
 俺は砲撃手に合図を送った。
 船の左舷側の砲門が一斉に開き、艦砲が一斉に火を噴いた!
 ドゴゴーン
「うわああー」
 オーガーキラー号に動揺が走った。奇襲は成功したようだ。
「どうだ、ロバート。英国軍の秘密兵器、強化カノン砲の威力は」
「き、貴様はマイケル・ナッシュ!」
 俺の船に積んである大砲は、従来の鋳鉄製の大砲じゃなくて、鋼鉄二枚重ねの強化カノン砲。火薬を増やしてぶっ放しても壊れない、強力な代物だ。出航前に軍の格納庫を襲撃して奪ったものだ。
「もう一発お見舞いしてやるよ。撃てえっ!」
 俺の号令で、左舷側の強化カノン砲十門が火を噴いた。
 砲弾がオーガーキラー号にぶち込まれるや、それらは爆発して火を噴いた。
「な、なんだ!」
「こいつも英国軍の秘密兵器、炸裂砲弾さ」
 この炸裂砲弾も、格納庫からいただいてきたものだ。十発分しかないお宝だが、ロバートを倒すにはこれを使うしかないと踏んだから、もったいないけど使った。
 オーガーキラー号の甲板上はますます混乱しているようだった。
「鉄砲隊!撃ち方、始めぇっ!」
 ロジャーの号令で、船首楼、船尾楼に控えていた鉄砲隊がマスケット銃を敵に撃ちかけた。相手は反撃する気力さえないようだった。
「さあ、一気に片を付けるか。突撃だ!勇気のある奴は俺に続け!」
 俺はサーベルを引き抜き、敵船に飛び移った。部下たちが、板や梯子などを渡して続々と渡ってきた。
「くそっ、追い返せ!やっつけろ!」
 ロバートも必死に応戦するが、ロバートの部下の戦意は失われていた。戦意を失った敵など、俺たちの相手じゃない。
 俺たちは短時間のうちに、奴を船縁に追いつめた。
「くそう。貴様だけはぶっ殺してやる!」
 逆上したロバートは長剣を振り回して俺に斬りかかってきた。俺はその一撃をサーベルのみねで受け止めた。
 手が一瞬しびれた。
 俺も背が高いほうだが、奴は俺よりも背が高く、力もある。まともに打ち合うには、多少分が悪い。
 俺は後ろに飛んで、奴の剣をかわしながら逃げた。
「けっ、臆病者め。逃げるのか」
「逃げるんじゃない。今にわかるさ」
 俺たちはオーガーキラー号の船尾楼の前まで移動して、剣を打ちつづけた。
 頃合いだな。
 俺は身を翻すと、船尾楼の階段を駆け上がった。
「くそっ、逃げるな!貴様は殺すっ!」
 奴が船尾楼に登ってきた。
「父さんと母さんの仇。覚悟っ!」
 船尾楼にはあらかじめ、ウィリアムの爺さんとジュリエットを待機させていた。ジュリエットが叫びながら、マスケット銃をぶっ放した。
 弾はロバートの腹にぶち込まれた。
「ぐぉぉ!小娘が!貴様も殺すっ!」
 ロバートが鬼神のような表情で、ジュリエットに向けて長剣を振り上げたとき、爺さんが剣を取って奴の前に出ていった。
「親爺!」
「愚か者が。せめて、この父の剣にかかって散るがよい!」
 そう言うや、爺さんの剣はロバートの胴を叩き斬った。
「ぐあっ…馬鹿な!俺様は…海賊王に…な…れ…」
 ロバートは致命傷を負って、ふらふらと船縁まで、よろけるように歩き、海に落ちた。
 そして、カリブ海の藻屑となった。
「かたが付いたな」
 俺は爺さんとジュリエットのほうを振り返った。爺さんはロバートの沈んだ海を見つめてぶつぶつつぶやき、ジュリエットは銃を抱きかかえてうずくまった。
「父さん…母さん…仇を取ったよ…」
 涙を一粒流しながら、そうつぶやく彼女の声が聞こえた。
「お頭!」
 ロジャーがこっちに向かってきた。
「ロジャー、この船の中に粘土板が隠されているはずだ。すぐに捜し出せ」
「それは今部下にやらせてます。それより、こんな人を見つけましたぜ」
 部下が二、三人で、ひとりの立派な身なりの男を抱えてきた。それは紛れもない、ハゲネズミだった。
「ボストン卿、奇遇ですな。こんなところで会うなんて」
「な、ナッシュ君?き、君がどうしてここに」
「海賊退治をしてただけですよ。おい。知事をお見送りしろ」
 俺はボートに水と食料を詰め込ませて海面に降ろした。
「さあ、ボストン卿。今海に降ろしてあげますからね」
 俺がそう言うが早いか、部下たちは彼を抱え上げて、海に投げ込んだ。
 ボストン卿はしばらく海の中に沈んだあと、顔を海面から出した。文字通りの濡れネズミだ。
「ナッシュ君。君は、知事であり男爵であるこの吾輩に、こんなことをして、許されるとでも思っているのかね!」
「そんなことはもう関係ないんだ。俺はもう、搾取と賄賂の上にあぐらをかいて、いやがる女も権力にものを言わせて無理やり抱くようなあんたの下で働くのがいやになったんだ。俺は海軍を辞めた。ロジャーと、俺の部下たちもね。退職金はローズマリー号と、この船の戦利品で我慢するよ。辞表代わりに受け取ってくれ」
 俺はさっきまで着ていた軍服の上着を脱ぐと、それを海の中に放り込んだ。ロジャーも、そして部下たちも俺に倣って、次々と軍服を海に投げ捨てた。
「君のしていることは反逆罪だぞ!いいか、吾輩の生涯をかけて、君を絞首刑にしてやるからな!覚えていたまえ!」
 軍服の山から顔を出したボストン卿が俺たちに向かって叫んだ。
「それは結構。ご武運をお祈りします。じゃ、グッドラック」
 俺たちは戦利品をかき集めて、ローズマリー号に乗り移った。
「さあ、マラカイボ湖のほうに向かうぞ。帆をあげろ!進路を南に取れ!」
 俺が命令を出すと、船は帆を広げ、ゆっくりと南に向かって進み始めた。

 マラカイボ湖の奥にある小さな村。その沖合に俺の船が停泊している。
 俺は「ローズマリー」と書いた板を外し、そこに、ナイフでCARIBBEAN LUCIFERと刻み込んだ。これが、俺の船の新しい名前だ。
「『カリブの暁星』ですか。カリブの魔王とも読めるけど、なかなかいい名前ですね」
「ああ」
 俺は新しい船名の刻まれた船体を手でなでた。
「カリブ海ってのは、富と名誉と野望が渦巻く海だ。英国、スペイン、フランス、オランダが、その海を手中にしようと進出し、富を求めて海賊どもも群がる。そんな混沌した海の中で、俺は燦然ときらめく暁けの星になってみせる。一大決心をして祖国を裏切ったんだ。それだけのことはしてやるさ」
「そうですね。お頭とあっしらの名前を、この海に刻みつけてやりましょう」
 ロジャーは部下たちのいる船に乗り込み、俺は一度浜辺に引き返した。
 波打ち際で、ウィリアムの爺さんとジュリエットが待っている。俺はしばしの別れを二人に告げた。
 出航準備の前、爺さんは粘土板について俺に話して、こう言っていた。
「粘土板の破片は四つある。その四つを組み合わせると、かつてこの海を手中にしたという海賊エル=ドラゴンの財宝の在処が表される。アステカの知られざる秘宝とも、マヤの大いなる富だともいうが、その宝を手にした者こそ、真の海賊王だと言われておるのだ。ワシはこのひとつしか手に入れることはできなかったが、おまえさんならきっとすべての粘土板を見つけられるだろう。そして、宝を見いだすことだろう。ワシの跡継ぎにふさわしい男かどうか、示してくれ」
 そして、俺はこの伝説の宝を手に入れるべく、出航することにした。
「ワシの目の黒いうちに帰ってこいよ。マイケル」
「ああ。きっと早いうちに宝を見つけて、凱旋するさ」
 俺はジュリエットに近づいた。
「お前のために、俺は必ず戻ってくる。だから、そのときまで、待っていてくれ」
「必ず帰ってきてね。あたし、ずっと待ってるから」
「ああ、必ず帰ってくるさ」
 俺は彼女の翡翠色の目にたまった涙を指先で払ってやり、彼女の唇にやさしくキスした。
「じゃあ、行って来る」
 俺はボートに乗り込み、俺の船に向けてこぎ出した。
「マイケル!あたし、ずっと待ってるからね!ずっとあなたを待ってるから!」
 ジュリエットが、腰まで水に浸かりながら、俺のボートを追いかけ、俺に大声で呼びかけて、大きく手を振っていた。俺も手を振ってこたえた。
 約束する。俺は必ず帰ってくる。そして帰ってきたとき、結婚しよう。
 ボートが船に近づいた。
 俺は新たな航海に出る。俺を信じてついてくるロジャーや部下たちのため、俺を見込んでくれたウィリアムの爺さんのため、そして、誰よりも愛するジュリエットのために、俺は必ず海賊王の証を手にして帰ってくる。
 船から投げ降ろされた縄ばしごを登りながら、俺はジュリエットに向かってもう一度大きく手を振った。
「錨を上げろ!出航だ!」
 俺は部下に命令を出した。CAREBBEAN LUCIFERは北に船首を向け、青く澄みきったカリブ海に乗り出した。