大地の笛

 荒野のただ中、マールマン砦の歩哨にハワード・ジョンストンが立ったのは、夜半を過ぎてからのことだった。
 ハワードが合衆国騎兵隊に入隊し、西部進出の最前線であるこの小さな砦に赴任して、インディアンの掃討に参加し始めたのは半年前だった。砦付近にテリトリーを持つ凶暴なインディアン、パルチア族と戦い続け、何人ものインディアンの戦士を撃ち殺した。自身も手傷を何回も負った。幸い、大事には至らなかったが。
 なにもない、ただ果てしなく広い荒野の中心に所在する砦を、丸い銀色の月が照らしていた。
 ハワードは見張り台の上から月を眺め、ゆっくりとあぐらをかいて腰を下ろした。
「今日の戦闘は激しかったな。死ぬかと思ったぜ」
 彼はつぶやき、大きく息をついた。
 パルチア族の戦士たちが今朝方より砦を襲撃してきた。騎兵隊の兵士たちは必死に防戦し、何とか夕暮れまで持ちこたえた。日が暮れると、インディアンの戦士たちは自分たちの集落に戻っていった。
 ハワードが経験した中でもっとも激しい戦闘だった。両陣営とも、多数の死傷者を出した。
 騎兵隊の損害は甚大だった。インディアンの放った毒矢を受けて多くの兵士たちが命を落とし、この時点で生き残っている兵士は十人を切っていた。
「明日また奴らが攻め込んできたら、間違いなく全滅だろうな」
 彼は月を眺めながらふと思った。
「クリスマスには家に帰ると母ちゃんには言ってたんだが…」
 どうやら果たせそうにないな。その言葉の最後は胸の奥にのみこんだ。
 ライフルや拳銃で武装している騎兵隊に対して、弓矢と手斧のみで果敢に襲いかかってくるインディアンの戦士たちの姿が彼の瞳の奥に焼き付いていた。
「装備で劣っていることを知っているのにあの果敢に挑んでくる姿はなんなんだ。あれが勇敢なインディアンの戦士なのか…」
 敵ながら天晴れだな。彼はインディアンたちの勇猛果敢さを称賛する気持ちになった。
 だが、その考えをすぐに打ち消した。
「ちぇっ、どうかしてるぜ。あいつらは野蛮人で、俺たち白人の敵なんだぞ。誉めるべき奴らじゃないんだ」
 彼は自分の故郷、イーストコリンズの教会の神父の語っていた言葉を思い出した。
「キリスト教を信じない者は野蛮人です。この大陸の土人はキリスト教を信じないばかりが、クリスチャンたちに対して無差別に攻撃してきます。さらに、彼らは凶暴で教養がなく、戦いでとらえた捕虜の頭の皮を生きたまま剥ぎ、その人肉を食らう悪魔のような存在です。願わくば、神がご自分の御手を出して、このアメリカ大陸よりあの蛮族を根絶してしまわれんことを」
 故郷の教会の神父は、ハワードが騎兵隊に入隊し、西部の最前線に赴任することが決まると、神の加護と祝福を祈ってくれた。
「俺は神の手先として戦っているんだ。神父さまはそう言っていたじゃないか。あんな野蛮なマンイーターどもに情け容赦をかけるべきじゃないんだ」
 彼はその場に立ち上がると、大きくのびをした。
「ふああ。それにしても、夜中の歩哨は眠くてたまらないぜ。見張ったことにしてさっさと寝ちまおうかな」
 大きな月があたりを青白く照らしている。その色を眺めているとだんだんと眠気を催してくる。
 彼の耳に、かすかに笛の音が聞こえてきた。
「あーあ、本当に眠いぜ。かすかに笛の音なんて聞こえてきやがる」
 彼は眠い目をこすった。
 笛の音は彼の耳に、かすかにではなく、ややはっきりと聞こえてきた。
「…幻聴じゃないのか?」
 彼は砦の正面の大地に目を凝らした。音はそっちのほうから聞こえてくるのだ。
 月の光に照らされて、人影がひとつ見えた。それはこっちに近づいてくるようだ。
「だれだ?」
 彼は拳銃を握り、見張り台から砦の外に飛び降りた。
 砦の外にはインディアンの娘が一人、月の光の中で横笛を吹き鳴らしていた。
 娘は笛を吹きながら砦のほうに近づいてきた。ほかのものには目もくれず、一歩一歩砦に近づいてくる。
「そこにいるのはだれだ」
 ハワードは娘に近づき、声をかけた。
 娘ははっと驚きの表情で顔を上げた。驚きの表情は一瞬にしておびえの表情に変わり、娘はくるりと身を翻すと、荒野の反対側にかけて逃げ出した。
「待ってくれ!」
 ハワードは逃げる娘のあとを追った。
 女の足とはいえ、大地を常日頃歩き回っている原住民である。その走る速度はかなりの速さだった。
「あっ」
 ハワードの視界から一瞬、娘の姿が消えた。おそらく石か何かに足を取られたのだろう、娘は荒れた大地に転倒して伏せていた。
 彼は娘の肩に手をかけた。娘は恐怖感を隠せない表情で、ふるえながら彼の顔を凝視した。
「殺さないで」
 絞り出すような声で彼女は言った。
「大丈夫。なにもしやしない」
 彼は娘の手を取って、起きあがらせた。そして、持っていた拳銃を娘のほうに差し出した。
「不安なら、こいつを預けておこう」
「…あなたを信用する」
 娘の顔からおびえの表情が薄らいだ。でも、まだ完全に警戒を解いているわけではない。白人とインディアンは戦いあっている敵同士、互いに信頼できる仲ではない。
「俺はハワード・ジョンストンだ。きみはなんて言う名前だ」
「ティカル。パルチア族の祈祷師の娘」
 ハワードは辺境生活をしているだけあって、インディアンの言葉をある程度知っていた。本人は、インディアンの言葉でインディアンと話をすることはないと思っていたのだが。
「さっき笛を吹いていたのはきみだろう?」
 ハワードの問いかけに、ティカルはこくりとひとつうなずいた。
「なかなかいい音の出る笛だな。ちょっと吹いて聴かせてくれないか」
 ティカルは首を横に振った。
「この笛は、部族の祈祷師に代々伝わる特別な笛。生きている者に聴かせるためのものではないの」
「え?」
「これは大地の笛と呼ばれる、部族の宝。これは、死んでいった者の魂を大地に還すために音楽を奏でるための笛なの。死んでいった者が安らかに眠れるようにと言う祈りを込めて」
「そうなのか」
 ハワードはひとつうなずき、
「砦での戦いで死んでいったきみの仲間の戦士たちの魂を大地に還すために、きみはここでその笛を吹いていたんだな」
「そう」
 二人は月の光の照らす真夜中の荒野を、連れだって砦に向かって歩いた。荒野に生きる小さな爬虫類の活動する音がかすかに聞こえた。
 ハワードはティカルの横顔をじっと見つめていた。この愛らしい娘も俺たち白人の不倶戴天の仇敵なのか?この娘も野蛮人のひとりなのか?そんな疑問が彼の頭を駆け巡った。
「多くの部族の男たちが死んでいったわ。その中には…わたしの兄もいた」
 砦の近くには、片づけられていないインディアンの戦士たちの遺体がまだ転がっていた。その中の一体の前に、ティカルはかがみ込んだ。
「これが…わたしの兄」
 左胸に弾痕の残っている戦士の遺体をのぞき込んだハワードは、一瞬目を見開き、はっと息を飲んだ。そして、拳銃を地面に起き、かがみ込んで頭をたれた。
「すまない…この男を殺したのは俺だ」
 ティカルは彼の顔を見つめた。
「きみは兄を殺されて俺を恨むだろう。ここにいる限り、どうせ俺は死ぬ身だ。俺をこいつで撃って、兄の仇を取るがいいさ」
 パルチア族との激しい戦闘を経験して、ハワードはいつでも死ぬ覚悟ができていた。どこで死のうとも、俺の地獄行きは決まっている。それなら、いっそのことこのインディアンの娘に兄の仇を取らせたほうがいいだろう。そう考えた。
 彼女は拳銃を拾い上げようともしなかった。そして、落ち着いた、ゆっくりした口調で彼に質問した。
「兄は、勇敢に戦って死んだのかしら?」
「ああ。戦闘中に弓が折れると、この男は小さな手斧を握って俺たちのほうに突っ込んできた。俺は夢中で銃の引き金を引いた。…この男のあの姿は、今思い出しても戦慄がする」
 彼の脳裏に、手斧を振りかざして砦に向かって突進してくるインディアンの戦士の姿がよみがえってきた。戦士はまっすぐに、彼に向かって走り込んできた。そのとき彼は負傷した仲間を助けるために砦の外にいた。もし、あのとき銃弾一発でこの戦士を仕留めていなければ、彼は戦士の手斧で頭蓋骨を砕かれていたことだろう。
「ならいいわ」
「?」
「兄が勇敢に戦って死んだのなら、戦士として本望だったかもしれない。そうでなかったら、こんな安らかな顔で死んでいないと思うわ」
 彼はティカルの兄の死に顔をのぞき込み、じっと見つめた。その顔は、まるでいい夢を見ているかのような表情だった。
 ティカルの兄だけではない。砦での戦いで戦死したインディアンの戦士たちはみな、同じように安らかに死に顔で地に倒れていた。みな、意志を貫き通した、満足そうな表情で倒れている。
 合衆国騎兵隊の戦死した仲間たちとの、この違いはなんだとハワードは疑問に思った。彼の仲間たちの死に顔は、決して安らかなものではなかった。苦悶の表情で死んでいった者、死にたくないと泣き叫んで死んでいった者、ほか様々。死への恐怖に対する反応だった。インディアンの戦士たちのように、安らかな死に顔をしていた者はひとりもいなかった。
「これが、勇敢なインディアンなのか…?」
 彼はつぶやいた。それが、今の彼の素直な感想だった。
「兄を殺されたことはとても悲しいし、悔しい。でも、仇を取るためにあなたを殺したって、兄が生き返ってくるわけじゃない。兄の魂はこの大地に還ったんだもの。わたしは、兄や死んだ部族の民の分も生きなければならないわ」
 ティカルは大地の笛を手に取り、立ち上がった。
「兄たちの魂を大地に還さなくては」
 彼女は笛に口を付け、吹き始めた。繊細で、透き通った笛の音色は、月夜の荒野に溶け込んでいった。
 ハワードは地面に腰を下ろし、月光に包まれて大地の笛を吹き続けるティカルと、彼女の頬に伝わる幾筋もの涙を眺めながら、大地の笛の吐き出すレクイエムに耳を傾けていた。そして、彼は自分の頭の中で、何かが壊れそうなほど揺れているのを感じた。

 夜が明け、ティカルは自分の集落に急ぎ足で帰っていった。騎兵隊の兵士に見つかったら、殺されるか捕虜にされるかのどちらかだからだ。
 ハワードは彼女の姿が見えなくなるのを確認し、砦の裏手に回ると、銃を一発発射した。起きていた騎兵隊の仲間が数人、砦の裏手に集まってきた。
「どうした?何かあったか?」
「裏に何者かがいたから、インディアンの斥候かと思って、出ていって威嚇射撃してみたんだ。ただの鳥だったよ」
「なんだ、人騒がせな」
「それより、俺は塀を飛び越えて外に出たものだから中に入れないんだ。門のかんぬきをあけてくれないか」
「お前な。世話焼かすなよ」
 仲間たちは門のかんぬきを外すため、砦の正面側に回った。
 ハワードの仕組んだ芝居だった。ティカルを無事に集落に帰すため、砦にいる仲間たちの注意を反対側の裏手に向けさせたのだ。
 彼は砦の中に入り、隊長室に向かった。
「夜間歩哨終了しました。異常なしであります」
「うむ。ご苦労だった、少し休め」
「はっ」
 マールマン砦守将のブロストン少佐は、椅子に座って自慢の口ひげをしごきながら、ハワードに言った。
「仮眠は二時間までだ。非常事態がいつ起こるかわからんから、膝を伸ばして寝るな」
「はっ、わかりました」
 彼は隊長室を対質し、兵営の中に潜り込んで、しばらく休んだ。
 眠りにつこうと目を閉じると、頭の中にティカルの吹く大地の笛の音色が響いてきた。笛を奏でるティカルの姿が、まぶたの裏にはっきりと浮かんできた。
「神父さまの言っていたインディアンの姿とは大違いだ。あの娘が本当のインディアンの姿なのかな。それとも、野蛮人の中に彼女みたいなのがいるのかな。…どっちが本当でも、俺はだまされてる」
 彼は、死んでいった者のためにレクイエムを奏でる彼女の姿と、彼女の流していた涙を思い浮かべた。
「どうして、ティカルが野蛮なマンイーターだなんていえるんだ。そんなことが信じられるか。神父さまの言っていたことが嘘に違いないさ。もし、そうでないならば、俺はずっとだまされていたい…」
 彼はしばらく、夜中の出来事に思いを馳せていたが、そのうち眠くなって、眠りの世界に引きずり込まれていった。

 昼前、騎兵隊の生き残った兵士たちは隊長室に呼び集められた。
「全員整列しろ」
 ブロストン少佐が号令した。そして、横に整列した隊員たちを見渡した。
「激しい戦いの連続を生き残ったのは七人ほどか…」
 ハワードがこの砦に赴任してきたときには、騎兵隊の兵士たちは総勢五十人を超えていた。それが、パルチア族との激しい戦いで、六分の一程度にまで減っていた。激しい損失だ。
「みな、よくぞここまで耐え抜いた。そこで、わしの話を聞いてくれ」
 隊長室内が水を打ったように静まり返った。
「もはや援軍も救援の物資もここには来そうにない。輸送部隊の幌馬車がここに来る途上で賊どもに襲われ、退却したそうだ。もはや、この砦は潰滅寸前だ。かといって、ここから撤退しようとしても退路をふさがれる恐れがある。そこでわしは決断した。いっそのこと、パルチア族に投降しよう」
「投降って、敗北を認めるのですか?インディアンどもに」
 隊員のひとりがうわずった声で聞き返した。
「無駄死にするよりましだろう。インディアンとて、話がわからん連中ばかりでもあるまい。命あって物種だ」
 淡々と話すブロストン少佐の言葉に、隊長室内は沈黙に包まれたが、同時に混乱の渦に包まれていた。
「ハワード・ジョンストン。お前はあの部族の言葉がわかるはずだな」
「はい。多少のことなら…」
「ならば、お前が使者だ。パルチア族の酋長と交渉しろ」
 ハワードは緊張した。重要な任務である。騎兵隊全員が生き長らえるか、全員犬死にするかは、彼の交渉次第なのだ。
「はっ、了解しました」
「この交渉に成功しなければ、我々全員の命はない。心して行なうように」
 彼は自分の馬に乗り、一路パルチア族の集落に走った。
 与えられた任務の重さを感じながら、彼はなにが何でもこの任務を成功させる決意を腹に決め、唇をかみしめた。
 ただ、投降を決断したブロストン少佐の言葉や表情から、感じられるはずの悲壮感が全くなかったことが、ハワードにはどうしても腑に落ちなかった。

 その日の夕刻、白い旗を掲げたブロストン少佐を先頭に、ハワードを含めた騎兵隊の生き残った兵士たちは、馬を引きながらパルチア族の集落に入った。
 集落の人々がほぼ全員出てきて、黙って、あるいは恐いものを見るような顔で、遠巻きにして彼らを見ていた。
 騎兵隊の一行は、集落の広場に足を止めた。
 色とりどりの羽で身を飾った、いかめしい顔つきをした初老の戦士が、鹿の毛皮でできた敷物の上にあぐらをかき、厳しい目つきで見ていた。パルチア族の酋長だ。ハワードは酋長に近づき、彼と話を始めた。
「酋長殿はこう言っています。あなたたちは我々の男たちを殺し、土地を奪おうとした憎き敵。だが、投降してくる者を襲うのは我々の部族の誇りに反する。あなたたちがこの集落から逃げ出さず、集落の中で乱暴狼藉を働かないなら、あなたたちは我々の兄弟だ」
 ブロストン少佐は酋長の前に進み出ると、頭を垂れ、「感謝する」と言った。それをハワードが土地の言葉で酋長に伝えた。
 酋長は少佐に、自分の傍らに座るように言った。少佐がそうすると、酋長は鳥の羽で飾られた長煙管を吸い、それを彼に回した。少佐は渡された煙管を吸った。
 これはインディアンの行なう友好の証の儀式だ。
「我々の部族はあなたたちを歓迎する。まずは食事をとるがよいだろう」
 その言葉をハワードが騎兵隊の兵士たちに伝えた。兵士たちは食事と聞いて、一様に緊張した表情をゆるめた。

 一ヶ月、パルチア族の集落の中で何事もなくハワードたちは暮らした。
 集落の近くにテピー(インディアンの円錐型テント)を建て、その中でインディアンたちと同じような生活を続けた。ハワードはそのような生活をしてみて、この先住民の文化と生活の知恵に驚きと新鮮さを感じた。
 インディアンたちは土地からとれる産物に対し感謝を捧げ、部族の仲間を大切にし、正直を愛し決して嘘を言わなかった。
 出される食事は大平原に棲息するバイソンの肉や、トウモロコシなどで、故郷の街の教会の神父が言っていた人肉などはいっさい出てこなかった。彼らが人肉を食べる習慣を持たないことは、ハワードの目に明らかだった。
「やはり、神父さまの言っていたことは間違いだったんだ…よかった」
 彼は本心からそう思った。
 パルチア族の言葉を話せる彼は、すぐにこの人なつこい民とうち解けた。よく集落の人々と談笑した。パルチア族の人々はみな陽気であり、部族としての強い誇りを持っていた。そして、他の人を掛け値なしに愛する人々だった。そのような人々の中に暮らしていて、彼は毎日が楽しかった。これまで先住民に対する誤解からインディアンを憎み続けてきたことなど、今ではとても考えられなかった。
 なによりも、あの晩に砦の外で出会ったパルチア族の少女、ティカルと話している時は、彼にとって一番楽しい時だった。
「なあ、ティカル。俺、きみたちインディアンを憎んできたことが信じられないよ。ここにいる人たちはみんないい人たちだ。俺が故郷で聞いていた、悪魔のような野蛮人というイメージじゃない」
 広大な大地の果てに沈んでいく夕日を見つめながらそう言う彼の横顔を、ティカルは屈託のない笑顔で見つめていた。ハワードたちが集落にやってきてから、彼女はよくこの花の咲いたような笑顔を彼に見せるようになった。
「わたしもこれまであなたたちのことを変なふうに聞かされていたの。白人は自分の目の前にいる者を無差別に殺す野獣で、夜に光る目と長い鈎爪、鋭い牙を持っているって」
「おいおい、そんなふうに思われてたらかなわないぜ。まあ、お互い様か」
「でも、現実に見たあなたたちは全然違うわ。とくにあなたは違う。あなたが部族の民を愛してることはよくわかるわ」
「この人たちといると楽しいからさ。それに、親切にしてくれる。本当なら、俺たちはこの人たちにぶっ殺されても仕方ないのに」
 はじめの頃、ハワードや騎兵隊の兵士たちは、いつこの集落の住民に引き出されて殺されるかとびくびくしながら生活していた。しかし、二、三日する頃にはそのような恐れを抱く必要がないことに彼は気付いた。酋長の言っていたとおり、彼らは降伏してきた者に対して兄弟のように扱う人々なのだと理解したのだ。
「ティカル。俺はこの大地を眺めていると、これまで俺はなにを考えて生きていたんだろうと思うよ。合衆国政府に貢献しようと騎兵隊に入って、この土地全部を白人のものにするためにインディアンたちと戦って…。この大地を独り占めしようなんて欲張った考え自体が間違っているって、このごろつくづく思うんだ。きみたちは、大地はすべてのものが生まれ、すべてのものが還るところ。だから、それを誰かがではなくて、みんなで所有するものなんだって言っているけど、本当にその通りだなって思うんだ」
 大岩に腰を下ろし、彼はじっと沈みゆく夕日を見つめていた。
「大地も、空も、太陽も、月も、星も、風も、すべてがみんなのもの。独り占めにすることなんていけないし、できない。それに、そうすると不幸になる。昔から伝わる部族の教えよ」
「…君たちの先祖は偉いな」
 彼は本心からそう思った。
「俺、きみたちと暮らしていて、このままこの人たちと暮らしたい、そしてこの大地に自分も還りたいと思うようになったんだ」
「ならそうすればいいわよ。部族の民は絶対に歓迎するわ」
 ティカルは顔を輝かせて言った。
「そうか。安心したよ」
 彼は安堵したように微笑んだ。
「きみの死んだ兄さんやその他の戦士たちがいい顔で死んでいたのに、俺は疑問を抱いていたんだ。どうしたら、こんないい死に顔になるんだろうかってね。ここの人たちと一緒に暮らして、何となくわかってきたような気がする」
 地平線の彼方に夕日が沈み、あたりが暗くなってきた。集落の方向からたき火の光が見えた。
「そろそろ帰らないと。急ぎましょう」
 暗がりの大地を、二人は集落に向けて歩き出した。
 空に星が数個、瞬きはじめた。

 自分のテピーに潜り込んだハワードは、そのまま眠りにつこうとした。
「おい、ハワード。いるか?」
 外から、誰かのくぐもった声が聞こえた。
「いるぜ、入れよ」
 その言葉に従って、騎兵隊の仲間が入ってきた。
「この時間に何の用事だ、ロビン」
 ロビンは、麻の袋の中から、筒状の水筒と一丁の拳銃を取り出し、それをハワードに渡した。
「なんだよ、これは。これは…俺の銃じゃないか」
「隊長の命令だ。明日の明け方から、ここの集落の住民を片端から撃ち殺せ」
「なっ…!」
 ハワードは愕然とした。眠気はどこかしらに吹き飛んでいた。
 そんな彼の様子をロビンは冷ややかな目で見ていた。
「驚くことはないだろう。元々の任務はここのインディアンを一掃することにあったんだからな。まさか、インディアンたちに奴らの愚かな考え方をすり込まれてしまったわけではあるまい。奴らに情けをかけるようになったら、合衆国騎兵隊員失格だぜ」
「ちょっと待て。武装解除していたはずだぞ。どこからこんなものを出してきたんだ」
「簡単なことさ。拳銃は分解して持っていたのさ。弾薬は水筒に詰めてな。元々この投降はこの集落に潜入するための策略だったんだ。奴らはまんまとかかったわけよ」
「そうだったのか…!」
「明日の早朝に作戦を決行する。わかったな」
 ロビンはテピーから立ち去った。ハワードはあまりのことに声もあげられなかったが、とにかくじっとしていられなくなった。

 夜半、集落のはずれにある菩提樹のそばにハワードは隠れた。この巨木は「精霊の宿る木」と呼ばれる、パルチア族の聖木なのである。夜半ごろ、ここにティカルがトウモロコシ酒を供えにやってくる。彼はそれを待っていた。
 星空の淡い光が大地を包んでいた。
 集落は一筋の明かりもなくなり、ひっそり静まり返っていた。
 トウモロコシ酒を入れた器を両手に捧げて、白い貫頭衣の上から外套をまとったティカルが集落のほうから歩いてきた。そして、巨木の根本に捧げ物の酒をそそぎ、ひざまずいて祈りの文句をつむぎだした。
「ティカル」
 祈りの文句が終わったとき、彼は木の陰から姿を現し、彼女に呼びかけた。
「ハワード?どうしてそこへ?」
「いいから、ちょっときてくれ」
 彼女は首を傾げながら彼のところに近づいてきた。彼は彼女のそばに来ると、手を出して彼女を抱きかかえた。
「!」
 彼女は悲鳴を上げようとしたが、彼の手で口をふさがれていて声を出せなかった。
 彼は彼女を抱きかかえたまま、集落から離れた場所に向かって駆けだした。
 どこをどのように走ったかは覚えていなかった。とにかく、集落から遠くに離れるという目的しか頭になかった。
 彼は集落から遠く離れた大岩の陰に来て、そこで立ち止まり、彼女をその腕から解放した。
「ハワード…いったいなにを…?」
「ティカル。すまない」
 ハワードは彼女に向かって深々と頭を垂れた。
「俺たちはきみたちをだましていた。この集落の人たちを皆殺しにするつもりなんだ。俺はきみを殺せない。殺したくない。だから、遠くに逃げてくれ」
「えっ…!」
 ティカルは目を大きく見開いて彼をじっと見つめていた。
「そんなの駄目。ハワード、わたしを殺して。部族の民と一緒にわたしも死なせて。わたしだけ生き残って逃げることなんてとてもできない」
「馬鹿なことを言うな。そんなこと、俺にできるはずないじゃないか」
 ハワードの熱のこもった言葉は大岩に跳ね返り、広大な大地に響いた。
「俺はきみが好きだ。愛してる。それなのに、きみを殺すことなんてできるものか」
「わたしのことを愛しているというならなおのことよ。わたしにとって部族のみんなは兄弟と同じ。そんなわたしにとって大事な、部族の民がみんな死んで、わたしだけ生き残ったら、わたしはこの先どれだけ苦しまなければいけないというの」
 逃げろ、殺して、という押し問答は長く続いた。どちらも一歩も譲らない。ハワードは焦りはじめた。時間はないのだ。空が白めば、虐殺が開始されるのだ。
 東の空に茜がさし、雲を紅色に染めた。そして、空が次第に明るくなりはじめた。
 ダーン、と言う大きな銃声が、集落のほうから聞こえた。ついで、銃声はその方向から数多く聞こえてきた。
「隊長殿…くそっ!」
 ハワードは拳銃を握ると、集落のほうに走って引き返した。
「ティカル!きみはそこでじっとしていろ!」
 途中で振り返って彼女のほうに向かって叫んだが、彼女に聞こえたかどうかは彼にはわからなかった。

「ハワード、どこに行っていた」
 ライフルを持ったブロストン少佐がハワードを見つけて話しかけた。
「はっ。外れのほうから回っておりました」
「ふうん。で、何人仕留めた?」
 ハワードはブロストン少佐のそばに、酋長とその家族、それと部族の祈祷師が転がっているのを見つけた。少佐が彼らを殺害したことは明白だった。
 ハワードの胸に沸騰した怒りがこみ上げてきた。
「まだ撃っておりません」
「なんだと。ぐずぐずせずに早く作戦にかかれ。さもないと、職務怠慢で軍法会議にかけるぞ」
 ハワードは拳銃を胸のあたりに持ち上げ、
「俺のノルマは七人です」
「それは少なすぎるぞ」
「いいんです。俺のターゲットはそれだけだから。そのひとりがあんただ」
 彼は少佐に銃口を向けた。
「きっ、貴様、裏切るか!」
「悪いが、あんたたちを裏切らせてもらう。あんたたちの卑劣な行動に肩入れするわけにはいかない」
 ハワードの銃が火を噴いた。
 彼の銃は口径45ミリの大型リボルバーで、殺傷力はかなり高い。
 ブロストン少佐は頭を撃ち抜かれ、その場に倒れ、動かなくなった。
 ハワードは集落の中を走った。
 頭の中は半ば混乱していて、考えはまとまらなかったが、とにかくブロストン少佐と騎兵隊が憎くてしょうがなかった。許すわけにいかない。そう思いこんだ。
 騎兵隊の仲間のひとりが、幼子を抱いてうずくまる母親に銃口を向けていた。幼子は母親の腕の中で泣いていた。
 ハワードは自分でも驚くほどの跳躍で一飛びにそこに追いつき、兵士の腕を蹴飛ばした。そして、その兵士の胸を撃ち抜いた。
「危険だから逃げるか隠れるかしろ。それにしても、抵抗できないのか」
「はい。いつの間にか弓は全部おられ、斧や刃物はすべてなくなっていましたので…」
「少佐たちの仕業だ。どこまでも卑劣な手を使う…。早く逃げろ」
 母親は幼子を抱えて、集落の外へと駆けだしていった。
 彼は集落の中を駆け回り、片端から騎兵隊の兵士を射殺していった。自分のかつての仲間だったが、殺すのになんの躊躇もなかった。
「ハワード!」
 集落に向かって、ティカルが駆け込んできたのが見えた。
「ティカル!あそこから離れるなといったはずだぞ!」
 彼は彼女に向かって叫ぶが、テピーの陰から騎兵隊の軍服を着た男を見つけ、瞬間に走り出した。
「殺してやる!」
 テピーの陰から、拳銃を持ってロビンが躍り出た。そして、銃口をティカルに向けた。
「ティカル!伏せろ!」
 ハワードは叫び、ロビンの前に立ちふさがった。
 ロビンは銃の引き金を引いた。
 拳銃が火を噴き、弾はハワードの胸板に突き刺さった。
「うぐっ!」
 体中に熱い電撃のようなものが走り、彼の口から血の泡が吹き出た。
「ハワードか。裏切り者は死あるのみだ」
「ティカルは殺させん。集落の人々の怨念、ここで晴らしてやる!」
「愚か者め!死ねぇっ!」
 ハワードとロビンの両者の拳銃は同時に発射された。
 ハワードは下腹部に熱いものを感じた。彼はがくりとひざを折り、地面に転がった。
 一方、仰向けに倒れたロビンの眉間からは、血が噴水のように吹き出ていた。
「ハワード!」
 ティカルが悲鳴に似た声で叫び、倒れたハワードのところに駆け寄ってきた。
 打たれた胸板と下腹部をかばうように押さえる自分の両手の指の間から、血がどんどんにじんで流れ、彼はもう立ち上がることができないほど苦しんでいた。

 日が昇った。晴れ渡った空から、太陽の光が燦々と降り注ぐ。
 騎兵隊の虐殺を生き残ったインディアンたちは、死んだ者たちを地に埋めてから、自分たちのテピーを畳み、荷物をまとめはじめていた。
 ティカルは部族に伝わる薬などを用いてハワードの手当に徹したが、彼女の懸命の手当と介護もむなしく、彼の容態はみるみる悪くなっていった。
「本当にすまない。俺たちはきみたちの親切を踏みにじった」
 かすれる声でハワードはティカルに謝った。その顔からは血の気がだんだんと薄れていった。
 ティカルはゆっくりと首を横に振った。
「あなたはわたしたちを守るためにひとりで戦ってくれた。あなたが謝ることはないわ」
「俺はまったく馬鹿な男だよ…。でも、なんか不思議だな。なんかこう、達成感みたいなものがある。もう、悔いも残らないような」
「・・・」
「パルチア族の戦士たちがいい死に顔をしていた理由が、今はっきりわかったような気がする。この、部族の誇り、インディアンの誇りを貫いた達成感なんだろうな」
 彼の言葉はだんだんかすれていき、聞き取るのも困難になってきた。
「ハワード…あなた、とってもいい顔をしているわ。わたしの兄やほかの勇敢な戦士たちと同じように」
「ありがとう」
 彼の顔は土と血にまみれて汚れていたが、まるで天使のような安らかな表情をしていた。
「わたしたちはここから少し離れたところにある、アバホ族の集落に頼ることにしたわ。アバホ族は我々の遠縁に当たる部族なの。わたしたちのために最後まで戦ってくれて、本当にありがとう。感謝してもしきれないくらいよ」
「…感謝されると、なんかこそばゆいぜ」
 そのうちに、ハワードの息はだんだんか細くなっていった。
「最後に、頼んでもいいかな」
「なあに?なんでもするわ」
 ハワードはティカルの目を見つめた。自分の目がだんだんとかすんできているのがわかった。自分の命がもうもたないことははっきりとわかっていた。
 かすれる声で、それでもはっきり彼女に聞き取れるように彼は言った。
「あの笛を、俺に吹いて聴かせてくれないか。俺を、勇敢なパルチア族の戦士たちと一緒に、大地に還してくれ」
 ティカルはひとつうなずいた。そして、いつも肌身離さず持っている笛を取り出し、それに口を付け、吹き始めた。
 大地の笛の透き通った音色が、風に乗って、広大な大地に広がっていった。