昭和34年6月10日早朝。福岡。
一軒の住宅の前に、福岡県警の警察車両が停車した。車から降りてきた男たちは、その住宅に向かい、来訪を告げた。
応対に出てきたオーストラリア人の男性、宣教者カーシーに、訪問した警察の担当者が切り出した。
「死刑囚、中川貴弘の絞首刑が、本日執行されます」
カーシーはいったん目を伏せ、そして、続けられる担当者の言葉を待った。
「中川はあなたに、死刑に立ち会って欲しいと依頼しました。宗教教戒師として、わたしたちに同行願いたいのですが」
「…わかりました」
身支度を整えると、カーシーは警察官たちと共に家を出た。そして、黒塗りの警察車両に乗り込んだ。
福岡拘置所に向かう道中、カーシーは中川貴弘という若者と出会ったときのことを思い返していた。
昭和20年8月15日。日本は連合国に無条件降伏し、太平洋戦争に敗北した。
日本列島は焦土と化し、働き手の多くは戦場の露と消え、経済的に苦境の状態のもと、人々は塗炭の苦しみの中にいた。さらに、戦時中に日本人の心のよりどころとして置かれていた、天皇崇拝と国家神道は廃され、よるべきところも信じてきた価値規準も失った日本人は、道徳的に退廃の道を歩んでいった。
この後、経済的に奇跡的な復興を遂げる日本だが、戦後しばらくたって昭和24年になったときも、経済的にも精神的、道徳的にもどん底の状態でもがいていた。
中川貴弘がヒットマンとして雇われ、二人の人間を殺したのは昭和24年のことだった。
彼は殺人容疑で逮捕され、その後、裁判で死刑が確定した。
彼が犯罪を犯したとき、まだ18歳の若さだった。
彼がもう少し遅く生まれていれば、あるいは彼が罪を犯したのがもう少し早い時期だったら、彼が死刑判決を受けることはなかっただろう。だが、現在よりも死刑の適用が厳しかった時代である。金で雇われて二人の人間を殺した罪は極めて重いと見なされた。
彼は福岡拘置所の死刑囚独房に収監された。
法律では、死刑判決を受けた者は六ヶ月以内に執行されることになっている。しかし、歴史上これまで、その期間内に執行された死刑囚はいない。そして、死刑囚には、死刑執行がいつかは直前まで知らされない。
だから、死刑囚は獄中で、死への恐怖にさいなまれ続けることになる。貴弘もまたそうだった。
死が定められ、それがいつ来るか、おびえながら待ち続けなければならない。その精神的ストレスは次第に彼の心を蝕んでいった。
彼はノイローゼに陥り、凶暴になった。独房の鉄格子をつかんでは、「どうして殺さない!ひと思いに殺せ!」と叫んで暴れだし、看守に取り押さえられた。そんなことが何ヶ月も続いた。
やがて貴弘は、精神的な助けを宗教に求めるようになった。聖書を入手し、興味を持って読み出すようになった。だが、聖書は彼にとって難解なところが多かった。
そんなとき、彼の知人が一冊の小冊子を彼に送った。送り主が自分にとって不要だった冊子だ。それは聖書の教えを解説する内容だった。
届けられた冊子を読み、貴弘は目の覚める思いがした。自分が疑問に思っていた聖書の難解な部分を理解できたからである。
「これこそ、自分が求めていた助けだ」
確信した彼はさっそく、冊子の出版元に獄中から手紙を送った。聖書についてもっと教えて欲しいという願いを書きつづった。
ものみの塔聖書冊子協会にその手紙は届けられた。
当時福岡にいたある宣教者が貴弘にキリスト教を教えることになった。
聖書の言葉、キリスト教の教えが彼の心の内に入り、そして芽を出し、実を結んでいくようになり、凶暴だった彼の性格はだんだんと柔らかくなっていった。
死刑判決への怒りと、死への恐怖しかなかった彼の心に、自分の犯した罪に対する反省が生まれた。目先の金に目がくらみ、二人の人間を殺めたことがいかに愚かだったか。自分が殺害した人間の、生存の権利を奪ったこと。その家族に大きな悲しみを抱かせたこと。今さらながら、自分の犯した過ちに気づいた。
死刑が定められた身であったが、彼は残るわずかな人生において、自分の生き方を改める決意をした。
凶暴な死刑囚が、温柔な人物にへと、目に見えて変わっていくのを知った拘置所所長は、面会室ではなく、所長室横の一室で、格子なしに面会することを許可した。一般に、死刑囚は家族および弁護士としか接見できず、それも回数が限られている。だから、この措置は特例中の特例だった。
その宣教者はやがて福岡を去ることになり、入れ替わりにカーシーが福岡にやってきた。カーシーが貴弘を紹介されたとき、そこには殺人者、死刑囚というよりも、ひとりの温柔なクリスチャン男性がいた。この二人が出会う直前に、貴弘は神に献身したのである。
オーストラリア、クイーンズランド州出身のカーシーは、若い頃は「タイガー」のあだ名で呼ばれる、故郷の街で名うての無法者として知られていた。中学で酒とたばこを覚え、毎晩のように、酒と博打とけんかに明け暮れ、ダンスホールで女をナンパするのが毎週の娯楽だった。飲酒運転で車を二台大破させ、オートバイの暴走で事故を起こしたものの、すんでの所で怪我は免れた。オーストラリア人らしく、好きなスポーツはラグビーだったが、中でもタックルで「敵を倒す」のがなにより楽しかった。それが目的で、試合ではいつもハードにプレイした。だが、それがたたって、相手の激しいタックルを逆に食らい、後遺症の残る怪我を負った。警察にも何度か世話になった。
彼はフィアンセから、聖書を深く学ぶよう勧められた。宗教なんて年寄りのするものと思っていた彼ははじめ乗り気ではなかったが、渋々ながら学んでいくうちに、自分の求めていた霊的必要物が聖書にあることを見いだした。彼は身を入れて聖書を読み、研究するようになり、やがて生活を改めるようになった。神を信じることによって、敬虔な生き方に希望を見いだすようになったからだ。
彼が生き方を変えたのは目に見えてわかるほどであり、地元では語りぐさになった。
恋人と結婚したカーシーは、妻と、親友のノーマン(もともとは互いに敵対するグループの闘士だった)と共に、宣教者になる道を選んだ。オーストラリア国内で聖書の言葉を説いてまわり、第二次世界大戦後、国際的な宣教者として活動をするようになった。最初に訪れた国が日本であり、奇しくもそれは昭和24年、中川貴弘が殺人の罪を犯した年だった。
かつては無法者として振る舞っていたカーシーは、犯罪者だった貴弘の心をくみ取ることができた。面会を重ねるうちに、二人は親密な間柄になった。
カーシーは貴弘の過去と自分の過去を重ねていた。自分ももしかすると、貴弘のように刑務所で暮らすことになったかもしれないが、すんでの所で人生行路を改めることができた。残念ながら、貴弘は人生行路を誤り、死刑囚として投獄され、それから聖書を知ることになった。遅かったかもしれない。
「そうは思いません」
カーシーのふと漏らした言葉に、貴弘は首を振った。
「僕がまだ生きているうちに真理を知ることができたのは幸せなことです。死んでからでは知ることができません。そして、神はご自分に近づくように、死刑を待つ身の僕に機会を差し伸べてくださいました。神の深い愛に違いないと思っています。ただ…」
彼はふと、鉄格子のはまった窓から、外の青空を眺めた。
「こういう青い空を眺めていると、塀の外で神の言葉を熱心に伝えている皆さんのお手伝いができたらどんなにいいかと、つくづく思います。それができないことを考えたら、真理を知るのが遅かったと言うことですね」
だが、彼は獄中にありながら、自らも宣教活動に携わった。
彼は自分が殺害した人物の遺族に手紙を書いた。悔悛の言葉と共に、自ら学んだ聖書の教えのすばらしさを伝えた。その手紙は、手紙の受取人である遺族に聖書に対する関心を呼び起こすことになった。
彼はまた、自分の家族にも手紙を送り、熱心に聖書の教えを説いた。家族の驚きはいかばかりのものだったろう。人殺しの罪で刑務所にいる息子が、牧師よろしく聖書の教えを語っているのだから。
また、彼は点字を学んだ。聖書を解説した書籍や小冊子を点字に翻訳して、それを盲学校を含め日本各地に送った。さらに、伝道活動に励む仲間の信者たちに、励ましの手紙などを書き送った。
長い間宣教者として活動しているカーシーも、貴弘はこれまで出会ったことのないほど熱心で精力的な福音宣明者だと思った。
貴弘にはもう一つ、しなければならないことがあった。
いずれ、貴弘には死刑執行の日が来る。その日に備えて、自分を精神的に、霊的に強くしなければならなかった。
もとより、彼は覚悟を決めていた。以前のような、死への恐怖にさいなまれるあまりの死への願望ではなく、冷静な覚悟だった。彼は淡々と語った。
「使徒パウロは言いましたね。『わたしがほんとうに悪を行う者で、何か死に値するようなことを犯したのであれば、わたしは言い訳して死を免れようとは思いません』と。パウロは神に従ったのであり、なにも悪行を犯してはいません。でも、僕は違います。僕は二人の人の命を奪いました。死刑は当然の報いです。そして、その報いを受け入れることは、公正である神の求めておられることと思います」
もちろん、死への恐怖がないわけではない。彼には、心の支えが必要だった。
心の支えは、希望。希望は、戦場で兵士のかぶる兜のように、嵐の海に翻弄される船を支える錨のように、逆境の中で人間が絶望しないために不可欠なものだ。
聖書には、希望となる言葉があった。それは、神の王国のもとで死者が生き返るという希望だった。それは、聖書の中で再三述べられている希望であり、キリスト・イエスも
「わたしは復活であり、命です」
「記念の墓にいる者が(キリストの)声を聞いて出てくる時が来る」
と言明しておられる。
死刑囚独房における孤独、迫り来る執行日…大きな精神的ストレスになる要素にまとわれる中、彼はその希望を鮮明に磨くことによって、冷静さを保っていた。
『なるべくなら、この日が来ないで欲しかった…』
カーシーは心の片隅でそれを願っていたが、それはかなわなかった。
そして、カーシーを乗せた警察車両は福岡拘置所に到着した。
「ありがとう。カーシー、よく来てくれました」
刑場の隣室で、貴弘はにこやかにほほえみを浮かべてカーシーを迎えた。
カーシーは少なからず驚いた。処刑を目前にした死刑囚は、諦念の無表情で淡々と従うか、激しい動揺で精神に異常をきたすか、恐怖で泣きじゃくるものだという。にこやかに笑みを浮かべることなどふつうはない。しかも、貴弘はこの日、まだ28歳の若さである。
「ワタシのほうが緊張しているようですね。貴弘、あなたが今日はほんとうに強く見える」
カーシーは、自分が悲壮な覚悟でこの場に臨んだことが逆に恥ずかしくなった。
「自分でも不思議なほどです」
貴弘は小さくうなずいた。
「僕はいま、エホバと贖いの犠牲および復活の希望に非常に強い確信を抱いています。僕はいままで生きてきた中で、今日ほど強さを感じたことはありません」
「貴弘、あなたはすばらしい人だ。神は必ず、あなたという立派なご自分の僕を忘れたり、見捨てたりすることはないでしょう」
カーシーは拘置所の所長と、教育課長のほうを見た。所長は、
「我々に語ることはありません。あなたが彼に説教をしてください」
と彼に言った。
正直に言うと、今の貴弘にカーシーも語ることは見つからなかった。この部屋で彼に出会ったときから、むしろ自分のほうがずっと弱いと感じていたからだ。
部屋の中に粗末なテーブルがあり、その上にケーキが置いてあった。死刑囚のために最後の一口として菓子が用意されるものだ(たいていの死刑囚はこれに口を付けることはない。死を目前にして、食べようという気も起きない)。貴弘はそのケーキをカーシーと二人で分け合って食べた。
二人は共に聖書を開いた。そして、神から王権をゆだねられたキリストの王国のもと、パラダイスにて死者が復活する根拠をひもといた。
それから、二人で賛美歌を歌った。
そして、最後の祈りを捧げた。
そのすべてはほんの短い時間だった。
宗教教戒師としての役目を終え、カーシーはまじまじと貴弘を見つめた。
やるせなかった。
今、親愛なる友が絞首台でその生を終える。カーシーももちろん、神に対する信仰を持ち、死者の復活を信頼しているのだが、今死にゆく友を目の前にして平静でいられない。いられるはずがない。
不意に嗚咽がこみ上げ、彼は肩を震わせた。
貴弘は腕を伸ばし、カーシーの肩に手を置いた。
「カーシー、どうしてあなたが泣くのですか。どうして震えているんですか。緊張するのは僕のはずですよ」
やはり、貴弘のほうがよほど強い。カーシーはつくづく思った。
「おねがいがあります。世界中の兄弟たちに、僕からのあいさつを伝えてください。僕は、エホバと、贖いの犠牲や復活の希望を固く信じています。しばらくの間、僕は眠りにつきます。ですが、もしエホバのご意志でしたら、パラダイスで皆さんとお会いいたしましょう」
「わかりました。必ず、あなたのあいさつを伝えます」
カーシーが確約すると、貴弘は安堵の表情を浮かべた。
二人の会話は終わった。
貴弘は刑務官たちに引き立てられ、刑場に向かった。背筋はぴんと伸ばし、目はまっすぐ前を見つめていた。絶望した犯罪者の姿ではなく、信念と希望のうちに堅く立つ、いわば聖者の姿だった。
そして、死刑囚、中川貴弘の絞首刑は執行された。
処刑が終わり、貴弘の亡骸が処置されると、先ほどの部屋で待機していたカーシーに拘置所の所長が面会に来た。
「本日は大変ありがとうございます。ご苦労様でした」
顔見知りになっていた所長は頭を下げた。
「所長さん。貴弘がこときれる直前に口が動いたように思いましたが、なにか口にしていましたか」
カーシーは、貴弘を看取るべく処刑に立ち会っていた。絞首台が落ち、縄が彼の頸部を締め付ける中、彼の口は確かに動いた。なにかをしゃべったようだったが、カーシーには聞こえなかった。
「はい。『エホバ、助けて』と…」
「そうでしょうね」
生きとし生ける者は死に面すると当然抵抗する。神に助けを求めるとしてもそれは当然で、そしられるべきものではない。彼は納得したようにうなずいた。
すると、所長は首を横に振った。
「『カーシーを助けて』と彼は言っていました」
カーシーは瞠目した。と同時に、両目から涙があふれてきた。
自分は死の眠りにつく。生きて神に仕え続ける、親愛なる友を助けて、常に保護と支えを与えて欲しいと願うとは。最期の願いとして。
『貴弘、あなたはほんとうにクリスチャンです。まさしく、最期までキリストの道を歩みました。ワタシは、あなたというすばらしい友を得たことを一生の誇りに思います』
カーシーはその場で祈りを捧げた。
友を失った悲しみも恨みもない。ただあるのは、血の罪を負った犯罪者からすばらしく人生を変化させ、死んでいった中川貴弘という無二の友を得たことに対する感謝、そして、必ずやパラダイスで再会させて欲しいという請願だった。