その日オレは、手配中の連続強盗犯を追ってカゾフの港町にまで来ていた。その手配犯が
カゾフから船で国外逃亡するという情報をつかんだオラン官憲が、ファリス神殿のオレ達神官 戦士団に協力を要請したのだ。おかげで、二十才の誕生日を家で迎えることができなかった。 オレはガイアット=パルサー。みんなはガイという略称で呼ぶ。実家はオラン在住の学者にし
て冒険者の家で、オレはそこの次男だ。そして、先程言った通り、秩序と正義を司る至高神フ ァリスの神官戦士団に所属している。ファリスの神官戦士団はその性質上、官憲の手助けをす ることが多い。今回のように応援に駆り出されることもあれば、町のパトロールをしたりすること もある。 オレはカゾフの町を回りながら、人相書きにあった手配犯の顔を探していた。カゾフはオラン
の国最大の港町で、南方のロードス島への交易船も出ている大きな港町である。 町は初夏の陽気に包まれていた。道行く人も暑そうにはしているものの、あっちで船の荷下
ろしをしていたり、こっちで市がにぎわっていたりと、活気に満ちている。仕事で来たのでなけ れば、ゆっくりと港見物でもしたいところである。 (仕事が終わったら、家のみんなに何か土産でも買っていくか‥‥)
市に並んでいる珍しい品を見ながらふとそんなことを思ったとき、少し遠くのほうからピィーと
いう鋭い音が聞こえた。衛視が使う呼び子の音だ。 「あっちか!」
オレは急いで音のした場所に向かって走り出した。走り出してしばらくして、こちらのほうに一
人の男が駆けてくるのが見えた。間違いない、人相書きにあった手配犯だ。男の後方には衛 視や神官が数名、後を追いかけている。オレは男の前に立ちふさがった。 「ファリス神殿だ。そこまでにすることだな」
オレは腰の長剣を抜きながら落ち着いた声で警告した。しかし、男は足を止める事なくこちら
に駆けてくる。 「へん、公僕の手先になんか捕まるかよっ」
そういうと男は懐から何かを取り出すと、オレに投げつけた。オレは慌てず剣で払った。しか
し、剣がそれを払った途端、何やら粉のようなものが宙に舞った。 「これは‥‥‥‥。は、ハークション!ハークション!」
その粉を吸った途端、オレだけでなく、道の端に非難していた市民達もクシャミをしだした。そ
の上、涙が止まらない。男が投げたのは、短剣などの類ではなく、何かの粉の入った袋だった のだ。匂いからして、毒や麻薬ではなく香辛料のようだ。 (そうか、港町なら香辛料は手に入りやすいし、内陸よりも比較的値段は安い‥‥。くそ、こん
な切り札を持っているなんて‥‥) オレはショボショボする目で奴を見た。手配犯は香辛料にやられて動きの止まったオレの横
を走りすぎるところだった。用意のいいことに、ハンカチで鼻を覆っている。 「残念だったな、あんちゃん。こんなこともあろうかと用意した特殊ブレンドだ。死にゃあしない
から安心しな」 バカにしたようにそう言うと、男はそのまま走り去ろうとしている。どうやら相手を甘く見ていた
ようだ。 (だが、お前もオレをただの役人と甘く見るな!)
オレはまだ鼻がムズムズするのをこらえながら解毒の神聖魔法を唱えた。たちまちのうちに
クシャミと目のショボショボがピタリと止まる。オレは即座に男を追いかけて走り出した。 「待てぇっ!」
「げげ、もう立ち直りやがった!」
オレが追いかけてくるのを見て手配犯は顔色を変えた。それでも逃げ続けようと前のほうに
向き直った男がいきなり転倒した。手配犯がこちらを向いているうちに野次馬の中から一人の 男が突き出した腕に、手配犯が突っ込んだ、ようするにラリアットを勝手に食らった形になった のだ。 「て、てめえ何しやが‥‥」
腕が突き出されたほうに向かって悪態をつこうとした手配犯に、追いついたオレが手をつか
んだ。 「ここまでだ。神妙にしろ!」
そう言って、手配犯が抵抗する間もなく腕を捻りあげる。そして、たちまちのうちに相手を組
み伏せた。 「早く!こいつに縄を‥‥!」
オレは地面に押えつけられながらももがく手配犯を押さえ込みながら、こちらに駆けてくる衛
視や神官戦士に呼びかけた。 「縄なら私が持っている」
そう言って野次馬の中から皮鎧を着た大柄の男が出てきて、縄で手配犯を縛り始めた。さっ
き男にラリアットをかました男だった。 「あ、これはどうも‥‥」
と言いかけたオレの言葉が途中で途切れた。男の顔に見覚えがあったからだ。
「ラルグ!ラルグ=アーシェルじゃないか!」
「久しぶりだな、ガイアット」
驚愕の声を上げるオレに、男はにこやかに答えた。
その夜、オレとラルグは酒場で酒を酌み交していた。カゾフの官憲が犯人逮捕に協力したラ
ルグに金一封を出そうとしたのが、本人は断った。そこでオレが、 「代わりといっては何だが、オレに一杯おごらせてくれ。うまい店を知ってるんだ」
と、誘ったのである。
「しかし、こんなところでお前と出会うとはな」
エール酒のジョッキを傾けながら、ラルグはしみじみと言った。
ラルグはオランの近くにある「草原の国」ミラルゴの遊牧民族の出身の狩人にして慈愛を司
る大地母神マーファの神官である。ミラルゴはその二つ名の通り、広大な草原の広がる国で、 数多くの部族が草原を旅して回っている。中には人間だけではなく半人半馬のケンタウロスの 部族もいるらしい。ラルグの部族は鳥の羽をトレ−ドマ−クにしていて、彼の左手の甲には鳥 の羽をかたどった入れ墨があるし、彼が着ている皮鎧の肩にも鳥の羽が飾られている。 ラルグとの出会いは四年前、オレが神官戦士団に入ったばかりのときだった。オラン近くの
街道から少し離れた森にゴブリンが住み着き、神官戦士団が新米の研修も兼ねてその森に派 遣された。その中にまだ駆け出しだったオレもいたわけなのだ。 ゴブリン退治そのものはうまくいったのだが、オレ自身は仲間とはぐれた上に、オレはまだ子
供のゴブリンと戦うはめになった。ファリスの教えでは、大抵の魔物は邪悪であり、討つべしと されている。悪事をはたらく妖魔の代名詞であるゴブリンはその際たる例である。しかし、いくら 邪悪な妖魔とはいえ子供をためらいなく倒すことはこのときのオレにはできなかった。いや、ひ ょっとしたら今でもためらうかも知れない。 その一方で、子ゴブリンは死に物狂いで襲いかかってくる。結局は倒すしかなかったのだが、
おかげでかなりの大怪我を負ってしまった。回復呪文を唱えようにも、ここまでで魔力を使い果 たしてしまっていた。心も体もボロボロになったオレはその場に倒れて気を失ってしまった。 気がつけば、オレは森の近くの村のベッドに寝かされていた。その村のほうでもゴブリン退治
に冒険者を雇っていたのだが、彼らがオレを見つけて、村まで運んでくれたのだ。その冒険者 の中で、オレを治療してくれて、さらにファリス神殿にオレのことを知らせてくれたのがラルグだ った。 年のほうはラルグが三つばかり上だったし、宗派も違ったが、何故かウマが合った。その
後、ラルグと一年ほど友達付き合いを続け、何回か仕事を手伝ったこともあったが、一年後に ラルグがミラルゴに帰ってしまい、それ以来会っていなかった。 「それはこちらの台詞だよ。しかし、三年ぶりだがアンタは変わってないな」
オレはそう言うと酒とつまみの追加を頼んだ。
「そうか?でもお前は変わったな。前は『このままファリスを信じていていいのか』なんて悩んで
いたのに」 「オイオイ、それはアンタと初めて会ったときのことだろ」
ラルグの言った通り、前述のゴブリン退治のあと、しばらくはそうやって悩んでいた。ラルグが
無益な殺生を禁じているマ−ファ神官ということもあって、宗旨替えしようか本当に毎日悩んで いたのだ。結局、その時はもうしばらくファリスを続けて見て考えようということになった。 「それはそうだが、お前の答えが保留のまま私はミラルゴに帰ってしまったからな。どうだ、い
い加減答えはでたか?」 少し赤い顔でラルグはオレに聞いた。
「まあな。‥‥信仰をどう理解して行動するかはその人次第だろう?まあそのおかげで時々信
仰を曲解する人も出てくるんだけど。だったら、魔物の子供とか悪意のない者を倒すことをた めらうファリス神官がいても不思議はない。そう思ってファリスを続けることにしたんだ」 運ばれてきた酒を少し飲んで、オレは言った。
「なるほど。私としては、お前のような有能なものがマ−ファの同胞となってくれたら嬉しかった
のだが」 口ではそう言いながら、ラルクの表情には安堵が混じっていた。
「ところで、何でオラン国内に戻ってきたんだ?」
オレの何気ない問いに、ラルグの動きが一瞬だが止まった。
「‥‥あ、いや。ちょっとした人探しをな」
ラルグの態度に何か引っかかるものを感じつつも、オレは平然と訪ねた。
「人探し?誰を探しているんだ?オレでよければ協力するが」
「いや、これは部族の問題でもあるしな。それにその人が消息を絶ったのは十八年も前のこと
だ」 そう言ってラルグは首を横に振った。
「十八年?‥‥オイオイ、それだけ昔のことなら、なおさら一人で探すのは難しいぞ。オレは神
官戦士団所属だから、ある程度なら官憲にコネがあるけど」 オレがそう言うと、ラルグは少しの間ためらっていたが、やがて口を開いた。
彼の話によると、今から十八年ほど前、彼の部族に野盗の一団が襲撃をかけた。戦いの末
追い返すことはできたのだが、逃走時に、リファリサという名の当時五才だった族長の娘が連 れ去られてしまったのだ。族長の娘を盾にされては追撃できず、部族は野盗達を逃がすことに なってしまった。その後、族長達は何とか野盗達を探したのだが、一足遅くリファリオは人買い に買われていた。調査の甲斐もなく、その人買いは見つからず、消息が途絶えてしまった。 一旦はあきらめていた族長だったが、年を取ったためか、数年前から病気がちになり、すっ
かり気も弱くなってしまった。そして、死ぬ前に娘に会いたいと嘆く毎日を送っているという。そ こで、ラルグを始めとして部族の人間が各地に飛んで、再びリファリサの消息を探しているとい うのだ。 「生きていれば、今年で私と同じ二十三になる。彼女の右の手の甲には、三色に塗り分けられ
た鳥の羽の入れ墨があるはずだ。それが唯一の手がかりだ」 最後に、ラルグはそう言って締めくくった。
「なるほどな。わかった。オレは明日にはオランに帰るから、そっちで調べておくよ」
話を聞き終わると、オレはラルグにそう言った。
「済まない、ガイアット。私はもう少しカゾフで調べてからオランに行こうと思っている。その時に
お前のところによらせてもらっていいか?」 「もちろんだ。その時に吉報を伝えられるようオレも頑張るよ」
オレはラルグに笑顔でそう返した。ラルグはもう一度「済まない」と言って頭を下げた。
「そんなに頭を下げないでくれ。それよりも今日は飲もう」
オレはそう言ってジョッキを傾けた。
今にして思えば、この日がオレの一夏の物語の始まりだった。
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