[第一章 岩山独奏]

 時刻は黎明前。オルドスの砂漠の地平線にうっすらと明かりが差し始めていた。先程までぼんやりと大地を包んでいた霧も一度に晴れ 渡り始め、澄んで冷たい空気が白み始めた空と共に広がっていた。
 真夏といえども砂漠の明け方は凄まじい冷込みを見せる。熱をさえぎるもののない荒涼たる大地がそこにはあった。自然の厳しいこの 西涼の土地。しかしここにも人々は住み、幾つもの歴史を積み重ねてきた。
 時は宋の時代。五代の戦乱と呼ばれた中原の乱れがようやくにして収まり、大宋帝国がその武威を四海に広げようとしていた頃であ る。
 場所はオルドスの西である涼州近郊。黄河を東に望んだ岩山の頂上である。そこには幾人もの武人の姿があった。遊牧民特有の彫り の深い顔立ちに、細く切れ上がった目付きは、塞外の人々の大きな特徴である。専らを戦いに費やすための、小柄ながらも頑健な肉 体。始終を馬上で過ごすために湾曲した脚のかたちは彼らがこの寂寞とした土地で厳しい生活を営んでいることを伝えている。その場に いるものは皆、一様に鎧に身を包み、武人たる姿をそこに見せていた。明け方の寒さより身を護るために、皆羊の毛皮を肩口より纏って いた。
 一行は岩山の頂上の見晴らしのよい場所を目指して足を進めた。しばらくして目的の場所に着くと、一人の男が進みで、西の方を向い て指をさした。
「あれが西涼府か。二万以上の兵は集まっているようだな」
 指差した先には城壁に囲まれた城があった。周囲に水地を持つのか、未だ城の回りはぼんやりとした霧に包まれている。僅かに城の 尖塔の先が明け方の光を浴びて、その姿を現していた。
「継遷殿、ここは用心を重ねるべきでしょう。敵兵は多く、城は堅固です。慎重に軍を動かねばなりません」
 継遷殿と呼ばれた男は折り畳みの床几を広げるとそこに腰を落ち着けた。眼前に広がる寂寥の砂漠。彼の腰掛ける岩山はその砂漠 にそびえていた。眼下にした砂漠の先には小さな都城があり、そこが西涼府と名付けられて、この地方の交易の中心となっていたのであ った。そして、その都市が彼らの攻撃の目標となっているのである。街は高く聳える城壁に囲まれていた。外敵の襲来を避けるため、中 原の例に同じくして、この地方の城塞も、街と城が一体となっている。西涼府は大きな城であった。その堅固な作りは攻める上で懸念す べき問題であったが、そのような事を李継遷は歯牙にもかけなかった。
 李継遷はこの年で四十二の厄を迎えようとしていた。遊牧民族である党項族の族長となってから早くも二十二年の歳月が流れようとし ていが、まだ武人としては働き盛りの年令である。大きく盛り上がった肉付きのよい肩が証明するとおり、勇猛な武人として部族の者から の尊崇を受けていた。
 李継遷の率いる党項族はこのオルドスに住し、牧畜を生業として、首長のもとに穏やかな暮らしを営んでいた。しかしその勢力は小さ く、常にどこかの国に属さなくてはならなかった。
 しかし中原が戦乱の渦中にある間は党項族も安全であった。三百年近くに渡って西域を支配していた大唐帝国が滅びた後、中原では 戦国の時代となり、幾つもの小さい国が興り、そして滅びた。中原が戦乱に明け暮れていれば、誰も党項族に対して服従を強要しなかっ た。彼らはそのような中で平和を享受し、幸せな生活の中で民族としての力を貯えていった。
 しかし、その平和はやがて破られる時がきた。中原に突如として興った宋帝国は、五代十国の戦乱を収めるべく、太祖皇帝趙匡胤の 元で次々と中原の国家を滅ぼし、二代目皇帝趙匡義の時には遂に天下を統一したのである。そして宋はその軍事力を対外に向け始め た。半世紀以上にも渡って護られていた党項族の独立は宋によって脅かされ始めたのである。宋は当然のように、党項に服従を要求し てきた。
 この宋との争いに対して敢然と立ち向かったのが李継遷であった。この時の彼は歳僅かに二十。その性質は豪胆にして武略に長じ、 党項族の王族の中でも千里駒として部族の屋台骨であった。若くして一方の将軍として軍勢を率いていたが、彼の運命は彼が二十歳の 時に突如として変わった。党項族の首長であり、彼の従兄李継捧が宋の脅迫に遂に屈し、全土をあげて宋に降伏したのである。
 李継捧の降伏を機会として、党項族の治める城は次々に宋の手中に落ちていった。宋は党項の城を次々と占領し、己れが領土に加え ていった。
 この時継遷は夏州城主として軍務に就いていたが、宋の進攻に対して敢然と立ち上がったのであった。兵は僅かであったが、彼は降 伏を潔しとしない党項族の誇りを持って宋と対峙した。その反抗は螳螂の斧にも等しいかのように見えたが、継遷の戦いは長期に渡って 宋と張り合うほどのものであった。
 継遷の反抗から二十年あまりの時間が流れていた。宋に対抗するために彼は北方の遼帝国の援助を受けて、夏王に任ぜられ、遼の 臣下として遼皇帝の娘を正妻とした。この屈辱的な外交も、全ては宋に対抗するためであった。彼は遼帝国の力を背景として宋との戦い を続けた。丁度遼が宋との戦いを始めたこともあり、極めて微力に過ぎなかった継遷も、辛うじて宋との戦いを遂行することができたので ある。宋からの独立を志す民族の期待を背負って継遷は各地を転戦した。そして今までの間には宋に奪われた領土はほぼ取り返して 己れが手中に納めた。かつての宿願を達したとき、かつては威丈夫たる青年も既に四十の坂を越していた。
 しかし戦いはまだ終わらなかった。西方に位置し、党項族の交易を脅かしている回鶻族との戦いがまだ継遷には残されていた。
 岩山の上から継遷は西涼府にもう一度視線を移した。城はさして大きなものではなく、一気に攻勢をかければ、それほどの労苦は必要 ではないと彼は判断した。
 回鶻は涼、甘の二州を押さえ、シルクロードの拠点に勢力を張ることで莫大な交易の富を手中にしていたのである。その軍事力は強大 で、党項族としては回鶻と雌雄を決しないわけにはいかなかったのであった。
 継遷は床几に腰を下ろしたままで微かな笑みを浮かべた。また戦いが始まろうとしていた。彼の武人としての血は体内で炎のように燃 え立ち、それがようやく初老に差し掛ったこの男の肉体に再び活気を与えていた。
「張浦、またお前の心配症が出たな」
 継遷は笑い顔のままで先程用心をすべきと唱えた男の方を向いた。彼は眼の細い党項人と違い大きく見開かれた顔立ちをしていた。 ほぼ継遷と同じ歳に見えるであろう。兜の端から覗いた髪の生え際に、数本の白髪が姿を見せている。
「人間、誰しも歳を取ると心配性になるものですぞ」
「お前はわしより二つ年上なだけではないか」
「それだけあれば歳をとったと言うのに十分です。一気に攻め立てるには我が軍はいささか力不足です」
 張浦は継遷の軍師であった。彼は党項族ではなく漢人であったが、その若い頃は漠地で牧人の親方をしていた男で、同じく遊牧を生業 とする党項族に深い由縁があった。慎重で落ち着いた性格の彼はやもすれば臆病者と罵られる所もあったが、この軍師の言葉には常 に注目すべきところがあった。たしかに張浦の進言は的を突いていた。急拵えの継遷の軍勢は僅か一万二千の兵力しか持ち合わせて いなかったのである。
「馬鹿な」
 軍師張浦の言葉に対して継遷は強い口調で言い捨てた。しかしその顔に笑みは絶やさなかった。彼は笑顔のままで側近の方を向い た。
「小理をこれへ連れてこい」
 兵士の一人は一礼すると素早くその場より立ち去った。そして僅かの合間を置いて、彼は一人の幼童を連れていた。また二つにも成ら ぬ様相のその幼児は、しっかりと目を見開いてこの兵士たちの群れを凝視していた。これが継遷の孫であった。富貴という意味の理とい う幼名を付けられ、皆からは小理と呼ばれていた。兵士は幼児を抱えると継遷の前に立った。
「渡せ」
 継遷は兵士の手からこの小児を受け取った。多少老いたとはいえ、まだ筋骨隆々たるその腕に幼児を抱いた。その身体を左手で軽々 と支えた。そして継遷は再び右手を突き出し、目の前の風景全てを指差した。小児に、そしてその場にいる人々全てに対して継遷は己れ の考えを述べた。
「皆の者よ。見よ、この土地を。これらを全て我が党項族のものにしなくてはならない。創業の時代は終わり、今や拡張の時代が到来し ている。回鶻との決戦なくては我が民族の未来はないのだ。張浦よ、お前の慎重策、たしかにもっともな進言だと思う。しかし、宋と遼が 対峙しているこの機会を逸するわけにはいかない。今度攻めねば、何時我々は西涼府を奪取できると言うのだ」
「まもなく、遼と宋は和解すると言われております。確かに、今が好機と言えばその通りでございましょうが」
 北方の遼、そして中原の宋。二つの帝国は現在互いに軍を発し、燕雲十六州と呼ばれる地方の帰属権を求めて争っていた。二つの強 国が数十年に渡って対峙していたからこそ、継遷の進撃があったのである。宋が対遼に力を入れていたからこそ、微力に過ぎない継遷 でも宋と戦いを続けることができたのである。また遼も、宋の権勢のために、継遷の軍事行動を支援し続けてきた。しかし、この両国の 戦いは軍事力の強大な遼が一応の勝利を収め、近々両国の間に和睦が行なわれるという話が伝わってきている。
「そうだ。その前に我々は西涼府をおとさなくてはならない。富を手に入れ、あの強大な帝国たちに立ち向かうために。宋と遼が争ってい るこの時ほど好機なことはないのだ」
「しかし、西涼府の兵は二万以上、こちらは一万一千です。数的な劣勢は明らかです」
「心配するな。戦は単に兵の多寡では決まらぬ。この時のために、回鶻の敵将藩羅支との間に内通の密約を取り交わしておいた。奴の 寝返りを期待して攻めればよい」
 継遷の西涼府攻略に対する気概はたいへんなものがあった。そのために彼は彼方此方から戦いの手を搦めていた。藩羅支という回 鶻の武将を調略するために手紙を取り交わしたのもその一つである。藩羅支はその密約に応じていた。それも好機の一つと継遷は言 う。しかし張浦軍師はそれを安堵の言葉とはしなかった。生来の心配性もあったろうが、そうでなくては参謀というものは勤まらないのか もしれない。彼は眉の上に刻まれた皺の彫りを深くして憂慮の表情を浮かべた。
「それはますます怪しく思えます。藩羅支という男は心底からの親回鶻の将軍です。裏切るとは到底思えません。これが敵の謀略であっ た場合、取り返しがつかなくなります。もう少し、慎重な行動が必要ではありませぬか」
 短慮な攻撃を否とする張補に対して継遷は向き直った。そして彼は口元に軽い笑みを浮かべると少しだけ笑い声をあげた。
「ふふ…まあな。お前の言うことは確かなことだ。しかし、それだけで戦を止めるわけにはいかん。これは一種の博打だ。乗るか反るかの 最後の賭けなのだ。ここで回鶻を滅ぼすことができれば、我が党項族の繁栄の未来が開けるのだ。回鶻の支配する河西回廊を手中に すれば、奴らに代わって我ら党項が東西の交易路を支配できる。我々の暮らしのために我々は剣を取らなくてはならない。ここにいるも のは皆党項の勇者達だ。わしと共に生死を誓ってくれたものだ。たとえ破れることがあっても後に恨みを残さないとわしは信じている。張 浦よ、わしの賭けをどうか許してくれ」
 継遷は今までとは違った、どこか淋しさの憂いを含んだ微笑を顔に浮かべた。命令、というのにはほど遠かった。どこか、哀願というに も等しいものがあった。継遷は張浦の言うことを十分に承知していた。解っていながらも、彼は賭けに出るしかなかった。それが党項の ためとなれば張浦は黙って頓首するしかなかった。もはや軍師として最大の助言は果たしたのである。彼が何を言おうとも、決めるのは 主君である継遷自身であった。
「小理よ。この光景をよく覚えておくのだぞ」
 継遷は腕に抱えた童子の方を向いた。羊皮の小さな皮衣に身を包んで、童はその祖父の身体にしがみついていた。継遷は小理を抱 いたまま幕僚たちの方を向いた。猛く逞しい偉丈夫達の姿がそこにはあった。
「これが党項の勇者達だ。この勇者達がお前の未来を切り開いてくれる。将来お前が成長し、一軍の将となってもこの光景を思い出し、 常に雄々しい武人であれ。党項族の民として、その誇りを永遠に忘れるな」
 幼児はその賢そうな澄んだ瞳で祖父を見つめた。小さいものの眼前には幾人もの党項の兵士たちがいた。皆たくましい武人の姿をし ていた。そしてその男達に囲まれて継遷がいた。そして幼児は一つ大きくうなずいた。祖父の言葉が分かっていたのかどうかの詮索は誰 にも必要なかった。孫の首肯きに対して継遷は満足げに微笑んだ。
「張浦。夜明けと共に我々は出陣し、西涼府に攻撃を仕掛ける」
「はっ、攻撃の準備をすぐに整えましょう」
 張浦は力強く発言した。一度決まればあとは主君の命に従うのが軍人というものであった。先程の躊躇もどこかに押しやり、凛然とした 声でこの軍師はこの場に対していた。
 しかし、継遷は急に表情を険しくした。真顔を張浦に向け、低いがよく響き渡る声で命令した。
「張浦よ。お前は小理と共に西平府へと帰れ」
 継遷が彼にかけた言葉は、彼のその気勢をあからさまに削ぐものであった。
「なんですと?」
 驚きのあまりに狼狽の表情を見せた張浦に継遷は童子を手渡した。驚愕の表情未だ消え去らないままで張浦は主君の孫をその両手 に収めた。
「どういうことですか。この私は継遷殿のお役にはもはや立たないとでもおっしゃるのですか。もし先程の慎重策が不興をかったことが所 以ならばあまりにも酷い仕打ち」
「まあ、まて」
 気色ばみ、激して拳を振りかざした張浦を継遷は押し止めた。
「お前には小理の補弼をしてもらわなくてはならん。わしの身に万が一のことが起こったとき、後を頼めるのはお前しかいないのだ」
「何を言われますか。継遷殿には嫡男徳明殿がいらっしゃるではないか。それとも何ですか。徳明殿を差し置いて、党項の運命をこの童 子に委ねるとでもおっしゃるのか」
「そうだ、と言ったら?」
 否定もせずに継遷は冷たい声で返答を返した。途端、張浦は身体の血が冷えて目の前がふらりと揺れたような気がした。
 李徳明は継遷の長子で、若年から軍人として父に従って各地を転戦していた。それほどの軍功があるわけでもなかったが、温和な性 格で深く仏道に通じており、慈悲の心をもって将兵たちの間で人気があった。
 だが後継者としての徳明は、継遷にとっていささか頼りなく思えていたのも事実であった。
 この戦の前、継遷は徳明を先年攻め落としたばかりの都城西平府に止め、万が一の時のための後事を託すに至った。その時、徳明 は父の出陣を強く諌めたのである。
「我が党項族は父上のおかげで威光を手に入れ、宋の干渉を受けることもなく暮らしております。今更何を好んで回鶻と雌雄を決する必 要がございましょうや。もし父上の身に万が一のことが起こればそれは党項族の危機です。どうしても父上が出陣するならば、この私が 替わって指揮を取りましょう」
 徳明は強く言ったが、その意見を継遷は退けた。そしてこの西平府に残存の兵力を置き、徳明が自身の後継者であることを宣言した のである。継遷は遼帝国から夏国王としての地位を授けられていたので、徳明はこの後継者指名を受けたと同時に王太子となった。そ して継遷はその補佐に実弟の継潤を任命し、有事に備えさせたのである。
 継遷が息子の出陣を断ったのは、徳明自身の軍事的才能が彼にはるかに及ばなかったということもあるが、それ以前に彼は息子の 戦嫌いを見抜いていた。
 それは継遷の実弟継潤に対しても同じであった。戦を厭う弟を彼は同じ思想の我が子の補佐に付けた。それが継遷の執った方策であ った。思想の違うものを補弼の役目にすることはできない。
 もちろん、継遷自身は平和が決して悪いとは思わなかった。しかし、そのような消極的考えの息子に軍の指揮をまかせるのはあまりに も心許なかった。だから継遷は今度の戦も自身で指揮をとることに決めた。平和の道は己れの屍が砂漠に転がった後に行なえばよい。 彼はそう考えていた。だから息子に後事を託したのである。徳明ならば考えは違えど、この国をうまくまとめていくにちがいないと思った。
 ただ、こうして全ての始末をつけると、彼は妙な淋しさを覚えていた。それは自身の戦ってきた二十二年の歳月を思えばのことであっ た。継遷はほとんど徒手空拳で国を興した。彼を信じた幾人もの強者たちがその後に付いてきてくれた。
 もし自分が死んだならば、その古強者達はどうなるのか。そのようなことを継遷は思う。きっと徳明は平和を手に入れることに終始し、 党項の強者達のことを忘れてしまうに違いない。それは戦いを続けてきた彼にはあまりにも残念なことであった。
 だから、彼は孫である小理に期待を抱いた。この幼児が自身の志を継いでくれればよいと思った。だから彼は敢えて、この国随一の知 恵者と呼ばれた張浦を小理の補佐に任命したのである。
「張浦。わしは二十二年戦って来た。この間に党項の力は強勢となった。わかるな」
「それがどうしたとおっしゃいますか」
「わしが死んだら徳明が跡を継ぐ。あいつはあいつなりにうまくやるだろう。しかし、あいつは戦を嫌っている。戦を厭うあまり、我が党項 の誇りを忘れてしまうやもしれん。わしの考えがせめて孫には伝わるよう、張浦、お前が教え諭してやってくれ。この継遷の考えをな」
「そこまで考えていらっしゃいましたか…」
 張浦は肩を落とすと大きなため息をついた。それを受けないわけにはいかなかった。死地を避けることは決して名誉なことではなかっ た。しかしその不面目を覆い隠すほどに、継遷の言葉は大きな重みをもっていた。
「この人を…」
 張浦は温和そうな丸い顔立ちを幼児に向けた。子供は喚きも騒ぎもせずに、真摯な面持ちで張浦の方を見ていた。これから自分が仕 える主君がこれであった。彼は身体のどこかで身の引き締まる想いにとらわれて背筋の肉を引き締めて姿勢を正しくした。
「解りました。継遷殿、存分に戦われませい。後顧に憂いを残しめさるな。たとえどんなことがあろうとも、この小理殿に武人の心得を教え てしんぜましょう」
「なに、そこまで気張らなくとも大丈夫だ。必ずわしが負けるわけではないからな」
「それはもちろん、勝ってもらわなくては困ります。戦う前から負け戦などと総代将が口にされては士気にかかわりますぞ」
「どこまでもお前は軍師だな。わしはお前を得た御蔭でここまで来れたようなものだ」
 意気軒高として励ましの言葉を放つ張浦に向かって、淡々と、しかし深い感慨を継遷は漏らした。兵士の内には確かに党項族以外の ものも多数いる。しかしそれらは利害で継遷に着いているだけで、本当の忠誠ではない。継遷の幕僚の中でただ一人張浦だけが漢人で あった。彼は西涼地方の名族の末裔と言われていたが、その出自は明らかではない。本人はかつての西涼国の王族の子孫と語ってい たが、それも彼の地位を飾るための嘘であった可能性が高い。ただ言えるのは彼が若い頃牧人であり、継遷と深い付き合いであったと いうことのみである。
「世辞はいりませぬ。それより、急いで幕に戻りませんと。まもなく日が完全に昇ります」
 張浦は総大将である継遷が感情に押し流されかかっているのを認め、あわてて彼の心を戦の方に戻そうとした。指揮官があまりにも 感情的になっては困るのである。喜怒哀楽の情を戦場では圧し殺さなくてはいけない。張浦は妙に感傷的になっている継遷が気に掛か った。自分と同じようにこの人もやはり老いたのだなとも思った。積み重ねられた年令は若年の時の決断力、意志の強固さを少しずつ削 り取っていった。若くはないのだと張浦は改めて思わざるをえなかった。
「どうされましたか継遷殿。今日のあなたは少しおかしい。大将がそのように感傷的になってはいけませぬ」
「まあ、少し待て。これは党項族の浮沈の別れ目の戦いだ。わしが多少動揺したとしても仕方がないとしてくれ」
「しかしそれでは兵達に…」
「だから少し待つのだ。わしにも心を落ち着けるだけの時間を僅かでよいからくれ」
 継遷は早口で、しかしよく澄んだ聞き取りやすい声で己れが心中を述べた。張浦は静かに首を縦に振った。継遷は満足気に首肯くと懐 中より一つの笛を取り出した。それは煤けた竹で作られたもので、漆も何も塗られていない簡素な作りのものであった。
「一曲の間、それだけでよいのだ」
 継遷は笛を口に押しあててゆるゆると息を吐いた。物悲しい、しかし遠くまで響く音が宙を舞った。黎明前の凛とした鋭い空気を音が切 り裂いて人々の耳朶を突く。幕僚の中には思わず涙を浮かべたものさえもいた。
 この曲は羊飼いのものであった。まだ継遷夏州の城主であったとき、彼はよく夏州城外で羊を遊ばせ、しばしばこの笛を吹いた。城主 といっても所詮牧人の親方程度にすぎない。まだこの時代の辺境は安寧で、だれもが日々を平和理に過ごしていた。閑があれば継遷は 羊と共にいた。羊を放ち、草を食わせ、夕刻になれば笛を吹いて羊を寄せる。遊牧を生業とした党項族の平穏な毎日が継遷の暮らしで あった。そしてその仕事仲間として継遷の笛に聞き惚れていた若者達が張浦であり、ここにいる幕僚達であったのである。牧人の一団は 戦いの運命を背負い、党項のために戦う武人となった。そして彼らは今、継遷の笛の音によって昔を取り戻していた。
 延々と続くかと思われたその旋律は終わりに近付くと一層力強さを増した。継遷の顔にも力強さが漲ってきていた。
 最後に一際高く音を奏で、余韻の内に継遷の演奏は終わった。
「今となっては懐かしいだけだがな」
 吹き終わると継遷はやや自嘲気味の視線を張浦に向けた。まったくだと軍師は思った。党項族の独立を目指し、兵を挙げて二十二 年。その間に牧人の一団は戦闘集団、軍人の衆にとその性質を変えた。張浦とて例外ではない。今や彼は継遷の懐刀であり、もっとも 頼れる武将の一人となっていた。
「皆のものよ、もはやわしには迷いはない。我々は党項のために、先に進まねばならん。感傷に浸ることは今を限りだ。このようなものも 必要がないわ」
 継遷は空に向かって己れの笛を投げた。笛は回るようにして宙を舞い、足元の岩にぶつかる。カランと音が響き、笛は岩山の間に落ち ていく。煤けた竹の黒色が一瞬だけ朝日の破片を帯びて煌めいたが、すぐにそれは漆黒の谷間の闇へと消えていった。
「王朱敏よ、これへ」
「はっ」
 先程継遷の孫である小理を連れてきた若い武将が再び継遷の前に進み出た。堂々たる体躯であった。彼もまた党項の若者であった。 継遷の思想に感じ、党項のために命をかけようとしていた。彼は勇猛な武将であった。
「お前が先陣を務めろ。城内に侵入したらわしが後詰めとして入場する。手引きは回鶻軍の藩羅支将軍がやるはずだ」
「寝返りですな」
「そうだ。北門を開放する予定となっている。あの城は大軍が配備されていても、内部での防衛が難しい。だから一度侵入すれば必ず落 とせる。」
「解りました。死力のかぎりを尽くしましょう」
「他の将はわしの後詰めに参戦し、わしの下知に従え。前軍三千は全て王朱敏が指揮をとるのだ」
 今までの感傷的な態度とは違えるように継遷は素早く下知を下した。幕僚たちはその言葉に身を震わせ、まもなく訪れる戦の渦の前哨 に心を震わせていた。
 一同は山を降り始めた。誰もが終始に無言で言葉をかわさなかった。これから武将たちは戦いの場に臨んでいく。ただ一人張浦だけ が西平府の城に戻り、童子小理を補佐する役目を担っていた。
 岩山を下りながら、張浦はやはり嫌な予感を頭に覚えていた。あまりにも継遷は回りくどすぎた。それは逆にいえば、そうでもしないと自 身を奮い立たせることができなかったということだ。今までの継遷はそのような男ではなかった。死地を恐れない、勇猛な男が継遷では なかったのかと自問自答した。


 結果的に張浦の嫌な予感は的中することとなった。この戦いで李継遷の軍は寝返りを約束していた藩羅支将軍の軍に背かれて挟み 撃ちをくらい、流れ矢を胸にうけた。そしてその傷のために四十二歳を一期として戦いにあけくれた英雄としての生涯を閉じたのである。
 そしてまた、党項族にとって雌伏の時代が訪れた。これは、そんな時代の物語である。

(続く)二章 西涼争乱へ