その4 企みはスラスラ
何か納得いかないものを感じながら、二人は家に引き上げた。どうもよくわからなかった。い
ったい自分たちが何をしていたかもさっぱりなのである。
確かに言い付けどおりの洞窟に辿り着いた。何かわからないが「根性の神」らしき人物にも
出会った。そこまでは間違っていない。けれどもおかしい。何かが違うのである。
「ねーちゃん、なんかこれっておかしくねえか?」
ワイドがつくづく納得のいかない顔をしてミリアの方を向いた。童顔の眉をひそめて少し首を
傾けて姉を見る。
「は?何が?」
ワイドの方を向いた顔はだらしなく締まりがない。弟のそんな懸念はどこふく風で、このバカエ
ルフはスキップを踏んでいた。しかもかなりテンポがいい。
「おい…もうちょっと真剣に悩もうぜ!」
思わずワイドは眼をむいて怒鳴った。しかしいまいち迫力には欠ける。何しろ元の顔が可愛
らしい美少年顔だ。もっとも中身はゴミ以下の存在なのだが。
「何がさ?あんたがかーちゃんに紹介してもらうはずの女の子が美人かブスかってことかい?」
さもそれが当たり前のように、ゴミ以下の姉は返答した。真面目に考えなければ、それも相
当な問題ではある。
「確かにそれも問題だけれどさ」
どうやら、それも問題だったらしい。しかしワイドの言葉にはさらに続きがある。
「あのさ、何かオイラにはひっかかるんだよ。オイラ、どこかであの女を見たことがあるような気
がしてたまらないんだよ…」
まだブツブツワイドは言っていた。同時に何か嫌な予感もしていた。野性の勘という奴で、何
かとんでもないことが起こるのではないかという気がしていたのである。
そんな調子で二人は家に戻ってきた。ユニコーンを退治して根性の神様に出会うまで僅か半
日足らず。ほとんどちょっとした遠足でしかない。ただしオヤツはなかった。オヤツに含まれな
いはずのバナナもない。そして食料にいたっては現地調達であった。
ミリアは不気味にステップを踏み、ワイドは不審そうに首を傾げていた。悩むものと悩まない
もの。とりあえず二人とも歩みは進む。気が付けば例のボロ家に辿り着いていた。タリン市の
住宅地帯の一角。なんの変哲もない、古ぼけた家である。
「あなた!寄り道せずにとっとと買物だけすませてくるんですよ!」
家の前まで来ると、そんな声が唐突に聞こえた。ミリアとワイドの母親であるサリナの声であ
る。すると丁度玄関から、これもまたブツブツ言いながら、全身筋肉ダルマの老人が大きな袋
を抱えて出てくるところだった。老人、というにはおかしいほどの筋肉のつき方だが、真っ白に
なった頭とあごひげが妙に目立つ。
「ありゃ、とーちゃん。病気は治ったんだね」
父親であるヘンリーの姿を見てミリアは声をかけた。先程再会した時はベッドに寝ていたので
解らなかったが、こうして見るとこの老人がいかに大きいかがわかる。身長は二メートル近く、
白髪髭面だが、とても老人とは思えない筋肉ファイターだ。ヘンリーは寝たきり老人という言葉
をを忘れたかのように堂々と突っ立っていた。胸の筋肉の凄さは、いったいどこが老化してい
るんだろうと思うほどである。彼の着ている半袖シャツがはち切れそうなムキムキぶりだ。こん
な奴が百七十歳近いというのがすでに驚きである。
「おっ、帰って来たか。悪ガキども」
筋肉ダルマは帰ってきた二人の姿を見るとしかめっ面をほころばせる。ガハハという笑いが
大きく開いた口から発せられた。しかし、百歳を越えた娘と息子に悪ガキもあるまい。どんなに
年をくっても子供は子供ということなのか。
「まあ、なんとか根性の神様とかいう女に会ってきたよ。とーちゃんが治ったってことは、うまく
いったというわけか。で、とーちゃんは何処行こうとしてんのさ?」
見ると、親父は背中に大きな袋をかついでいた。右手には何か色々と食料品の名前が書か
れたメモを持っている。
「うむ、市場に買い出しじゃ。サリナめ、相変わらず人使いが荒いわ」
「その調子だとすっかり元気みたいだね」
「おう、元気も元気、大元気よ。力が余って困るくらいだわい」
筋肉ダルマは右手を高々とかかげるとその腕に力を込めた。丸太ほどもある太い腕に大き
な力瘤が生まれる。
「じゃあ、約束通り小遣いちょうだいよ」
口を横長に開けて歯を見せてミリアは両手を突き出した。用事は果たした。後は小遣いをも
らえば御の字である。
「ほい」
親父は腰に挟んだガマ口を取り出した。かなり年代もの爬虫類の革で出来ている。実はこ
れ、ヘンリーがかつて倒したドラゴンの革で作られたとんでもないガマ口である。彼はその恐ろ
しいガマ口の中から金貨を一枚取り出してミリアの手のひらに乗せた。
「おっ!金貨じゃないの」
思わず小躍りするミリア。しかしはっきり言ってたいした金額ではない。安物の定食を二回食
って消える程度である。
「このワシは銀貨なんてケチなことはいわんぞ」
余裕たっぷりで筋肉ダルマは腕組みをして自慢した。そんなに自信満々に言うことでもない。
銀貨に直せばたったの十枚だ。
「やった!とーちゃん、ありがとうっ!」
金貨を握り締めてミリアは大きくジャンプした。
「やっほ〜」
地面に着地したかと思うと、ミリアは華麗にステップを踏んで踊り始めた。両足を交互に上げ
る妙な踊り方。どうやらよっぽど嬉しかったらしい。
金貨一枚程度の報酬で顔を喜色で埋め、実に気色悪く踊る姉を見ながら、ワイドはひそかに
心中でこうつぶやいていた。
(まさかオイラがもらう女って、金貨一枚程度の価値しかないブっさいくじゃねぇだろうな…)
さすがにワイドにはまだ多少考える頭脳が搭載されていた。確かに、そんな女は願い下げで
ある。しかし、何か考える問題がズレているような気もする。
「じゃあ、ワシは今夜のおかずを買ってくる」
筋肉親父はたくましい両肩を揺すると、巨大な袋を持って市場の方へ歩きだした。いったい、
あの病気はどこに行ったのだという様子である。その様子を、二人の子供たちは唖然という風
に見つめていた。やがて、どちらともなく彼らはポツリとつぶやいていた。
「親父の奴、どう考えても寿命で死にそうになんかないねぇ…」
「ただいまっ!」
呆れ半分で二人は父親を見送った。そして玄関をくぐると勢い良く声を出した。とは言っても
狭い家である。玄関をくぐればすぐに居間だ。そして部屋の真ん中には小さなテーブルが置か
れている。そのテーブルに、二人の女性が着いていた。一人は母のサリナ。もう一人は、つい
きっきどこかで見たような女だった。灰色のアーマーに黒い髪。赤く輝く眼の色は、洞窟で見た
あの女とまったく同じである。
「あら、おかえり」
二人は机の上に何か地図のようなものを広げてブツブツと談義していた。しかしミリアとワイ
ドの姿を見ると、慌ててサリナの方はその紙を自分の懐にねじ込んだ。
「ん?かーちゃん、今の何?」
今の母親の行為を目ざとく見つけたミリアが尋ねる。
「え?何でもないわよ。まあ、今晩の料理の新メニューってところかしら。それより二人とも、お
客さまにあいさつしなさい」
少し引きつる顔で笑いながら、サリナは右手を広げて手先で傍らの女を差した。横に居る女
は、確かに洞窟で見たあの女だった。
「遅かったね、二人とも。わたしの方が先に着いてしまったわ」
薄く濡れた唇を軽く舐めて女が笑う。
「あれ?ひょっとしてあんた、根性の神様じゃないの」
ワイドがさも不審そうに眉を歪める。
「本名はドリン・カ・ム。ドリンと呼んでもらって結構よ」
にこりと女が微笑を顔に浮かべた。笑うとさらりと爽やかな風が吹いたような気がした。洞窟
の中ではよく見えなかったが、こうして見ればかなりの美人である。
「あっ、オイラ…ワイドです」
ワイドが少しだけ顔を赤めると、コチコチになって人形のようにかしこまり、右手を女の方に
突き出した。
「よく見れば、なかなか可愛い坊やじゃないの。年はいくつ?」
「は、はい…今年で十五歳です…」
「そうなの。まだとても若いのね」
ドリンが手のひらでワイドの顔を包んで正面から見据える。ワイドはぼうっとなって女に見入っ
ていた。綺麗なおねーさんに弱いのもワイドの特徴である。しかし、十五歳とは言ったものだ。
老化の遅いのがハーフ・エルフの特徴だが、ワイドは童顔と少年体型なだけで、年はそれなり
に喰っている。十五歳というのはあながち間違いではないが、本当は百と十五歳だ。
「なに、照れてんだか。こんちは、あたしはミリア。こいつの姉で、かーちゃんの娘です」
ミリアが軽くワイドの頭を小突きながらドリンの方に顔を向けた。こいつの挨拶も何だかよくわ
からない。
「ふーん、あんたがミリアだったの。この前会った時はまだ小さい子供だったのにね」
「へ?あたしに会ったことがあるの?」
「まあ、随分昔の話だけれど。百五十年くらいの話よ」
そりゃあ覚えてないはずだ。百年単位で動くのがエルフの世界である。一つの国家が興亡す
るほどの時間を経て、やっと一昔という程度の感覚なのだ。
「ドリンはわたしとは昔からの知り合いでね。今回、どうしても頼みたいことがあって来てもらっ
たのよ」
優雅にお茶をティーカップですすりながら、サリナが今までの会話を引き取った。年代ものの
ティーカップは渋い青色の釉薬で焼かれた立派なものである。こうして見ると、ちょっと上流階
級の女主人という風だ。
「かーちゃん、神様と知り合いなの?」
心底から不思議そうにミリアは視線を母親に向けた。ドリンは苦笑いを浮かべて傍らのサリ
ナを見つめていた。
「まあね、わたしも顔が広いから。それよりあんた達、わたしの言い付けた仕事をきっちりとこ
なしたようね。まあ、ここにドリンが居るのが証拠なんだけれど。頑張ったご褒美をあげるわ」
サリナは胸のポケットをガサガサと探すと、しわくちゃになりかかったチケットを一枚取り出し
てミリアに渡した。薄い黄色かがった紙に、何やら文字が印刷されている。
「なにさ、これ?」
拾って見ると、そこには「レストラン・コール優待券〜いくらでも食べ放題で飲み放題」と書か
れてあった。思わずミリアの猫目が真ん丸となる。
「えっ、これって…コールの店のタダ券じゃないの。あの、ローストチキンが最高においしいとい
う話の」
思わずじゅるっとミリアはよだれをすすつた。口中に唾が湧いてくるのがわかる。この店の名
前はタリン市では有名であった。王族や貴族クラスにまで食事を出す最高級の料理店がコー
ルの店である。特にそこのローストチキンは絶品とされていたが、あまりの値段の高さゆえに、
一般庶民にはとうてい値段の届かないものとなっていた。
「こんなすごいチケット、よく手に入れたね」
驚きの顔でミリアは何度もチケットと母親の顔を見比べた。間違いなく本物のチケットであ
る。しかも飲み食いがタダになる素晴らしい代物だ。恐ろしいのはこんな貴重なものを無造作
にポケットに突っ込んでおくサリナの方にもあるのだが。
「まあねえ。その辺は女の色仕掛けという奴よ」
少しだけ鼻を鳴らして、サリナは長い髪をさらりとかきあげた。へっ、というあっけに取られた
顔でミリアはポカンと口を開けた。そしてもう一度チケットに眼を通した。よく見れば券の右端の
方に「カンドレーン王室発行」とインクで印されている。
(これもやっぱり国王から巻き上げたのか。かーちゃんも相当の歳なのによくやるなあ…)
まあ、確かにサリナは美人である。釣り上がった冷たい視線に、純潔エルフ特有の通った鼻
立ちは険があるものの美しいことは美しい。ただしどっちかというと、SM女王様的な美しさな
のが気になるところだが。もちろんその分多少エロティックでもある外見だ。しかしその年令は
数百歳を軽く突破している。ただしそのことを本人の前で言うことは、禁呪を使うこと以上にタ
ブーとされている。サリナの年令を口にするなら、悪魔召喚の呪文を唱える方が遥かに安全な
のだ。
「今日は夕飯は出してあげるから、コールの店には明日の晩でも行ってきなさい。ただし、飲み
すぎて酔っ払って下水に流されても、わたしは拾いに行きませんからね」
表情一つ変えずにサリナは言い放った。どうやら、かなり苦い思い出があるらしい。
「はっはっは、イヤだな、かーちゃん。昔のことを」
ミリアは照れ臭そうに髪の毛を指先で引っ掻いた。ボサボサになった、女らしくもない髪の毛
がさらにかき回されてひどく乱れる。母親の容貌が容貌なので、こいつもどちらかといえば美人
の方に入るのだが、色気は全然感じられない。もっとも弟のワイドの方には、ショタ好きのお姉
さま方が好みそうな、困った雰囲気があるのだけれど。
「そうか。今日は夕飯があるのか。じゃあ、あたしは夕食まで飲みに行ってくることにしようっ
と。せっかくもらった小遣いを使わない手はないからね」
仕事をこなしてもらうものはもらった。そして手持ちには親父からもらった金貨が一枚。今日
と明日の食事は確保された。金に余裕があるならば、するべきことはただ一つ。飲みに行くし
かないというわけだ。こういう性格だから少しも女っぽくならない。
またもや軽快にステップを踏んで外に飛び出していく極道娘を見送りながら、サリナは小さく
舌を出した。
「さて、ワイド。ミリアにはあれでいいとして、あんたにも報酬をあげないといけないわね」
にこり、とご機嫌満点の笑顔でサリナはもう一人の子供の方を向く。ワイドといえば、さっきか
らぼうっとなって、謎の女性ドリン・カ・ムに見入っていた。キツイ美人のサリナと違い、こちらの
方はどこか中性的な美しさがある。僅かに灰色がかった白い肌は透き通るよ輝いている。形
の良い薄い眉の下にある細い眼は、どこか美しい青年のようにも思える美しさだ。
「えっ…うん…かーちゃん。オイラ満足です。こんな綺麗なおねーさんと知り合えたなんて…」
顔を上気させて、どこか焦点の合わなくなった眼をパチパチさせて、ワイドはドリンの姿に見
入っていた。
「あら、坊や。私を誉めてくれるとは、ありがとう」
持っていたティーカップを上げて唇を濡らしたドリンの口から吐息と共にその言葉が漏れる。
さらにワイドはドリンに近付いた。その端正な顔をしげしげと見つめる。
「かーちゃん…オイラに紹介してくれる女の人って、ひょっとしてドリンさんなの?オイラ、そうで
あったらとっても嬉しいんですけれど」
もはやすっかりワイドはこの女にイカれていた。相手の素性も名前も知らない。これはまさに
一目惚れという奴である。これもまた、ワイドが人並み外れて女好きであるから起こる現象でも
あった。さすがに一度は自分の母親を間違えて口説いたバカモノである。
「そう…ねえ…ドリン。いいかしら?」
サリナはゆっくりと紅茶を口に運びながら、何か意味有りげにめくばせをした。ふっ、とドリン
の方から、まるで合図のように吐息が漏れる。
「そうね…なにか、そういうことらしいわ。ワイド…気に入ったわよ…」
サリナの言葉に呼応して、ドリンはたっぷりと媚態を含んだ流し目をワイドに向けた。細い眼
の端から視線が流れ、このスケベ心満点の外見だけ少年を刺激する。
「えっ…そんな。じゃ、じゃあ、オイラとデートしてくれますか」
これまでのふてぶてしい態度はどこ吹く風で、ワイドはコチコチになって顔をテーブルの上に
乗せた。ちょこんと可愛らしい顔が白い板張の卓上に乗る。
「どう、ドリン?」
サリナが立ち上がってワイドの横に身体を寄せ、幾度か息子と友人の顔を見た。僅かにドリ
ンがうなずく。
「ワイド、どうやらOKのようね。なら、せっかくだからわたしが場をセッティングしてあげるわ。ど
うせあんたのことだから一文無しなんでしょう。食事の場から、何から何までわたしが準備して
あげるわ」
まるで苦労性の世話焼きの女のようにサリナはワイドの後頭部を撫でた。ワイドは机にかぶ
りついて、しつこくドリンに見入っている。
「あ…ありがとう…かーちゃん…」
ワイドはぼんやりとそんな返事を返した。やはり彼も頭の悪さという点でミリアの弟だった。ド
リンの登場してきた状況をまるで忘れてしまっている。だいたい、サリナという母親が、そんな
に世話をやいてくれるタイプだったのか。答えはもちろん違うのだが、今のワイドはドリンに夢
中になっていて、ことの重要性にまるきり気付いていない。
「さあ、これで全てがうまくいったわ。なら、ボチボチと夕飯の支度をしましょう」
サリナがそう言って大きく延び上がった時、丁度市場に買物に出掛けていたヘンリーが大き
な袋を担いで帰ってきた。その顔はかなり苦痛で歪んでいた。僅かに脂汗が額に浮かんでい
る。そしてその背中には小山のような買物の品が大袋に入って乗っかっていた。
「うう…重い…サリナ…あまりワシをコキつかわんでくれぃ…」
苦しい語調で言うと、ヘンリーは袋を地面に投げ出した。ドスンと地響きがして、ボロ屋が大
きく揺れた。身長二メートルの筋肉ダルマがヒイヒイ言って担いでいるほどの荷物である。いっ
たい、どれだけ買ったんだと聞きたくなるほどの食料品を彼は持ち帰っていた。
(相変わらず、とーちゃんは尻にしかれてんな)
ワイドは思ったが、それも口には出さなかった。年令のことを言うよりは危険度の少ないセリ
フだが、それでも大悪魔召喚呪文に匹敵するほどの危険度である。
「さあ、今晩は久しぶりにマトモな食事を作ることにしましょう」
そう言うと、この女王様スタイルの純正エルフは、似合いもしないエプロンを付けて台所の方
へ向かっていった。
(続く)その5 フルコース、開始
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