その5
フルコース、開始
「ふわぁぁ〜、よく寝た…」
パジャマ姿で階下への階段を降りながら、ミリアは大きなあくびを継いだ。
「ん〜、ねーちゃん、今起きたのか?」
後からワイドの声がしてミリアはふりかえった。そこにはまだ半分寝呆け眼でぼうっとしている
ワイドがいた。半袖半ズボンのラフな寝巻スタイルをしている。というか、これではいつもとほと
んど変わらない。
「うーん、よく寝たよ。やっぱり、腹にものが入っていると、睡眠の度合いが違うね」
ゴキゴキとミリアは伸び上がって間接の音を立てさせる。気が付けば十五時間くらい惰眠を
むさぼっていた。こんなに寝たのは久しぶりである。
「そうだよな。腹減っているのを忘れるために寝るのとは大違いだぜ」
なかなかシャレにもならない会話をかわすと、二人は一階への階段を降りていった。いくらミ
リアの親父の稼ぎが少ないとはいえ、カジネット家には二階くらい存在する。ドンドンと音を立て
て石畳の階段を降りて行くと、玄関口にサリナの後ろ姿が見えた。声はよく聞こえないが、何か
商談のような会話に聞こえる。
「じゃあ、あのハゲ国王に伝えてちょうだい。確かに約束の品物は受け取ったわ。この報酬に、
今度は濃密なプレイを期待してもいいとね」
もう少し近付くと、サリナがそう言っているのが分かった。玄関の前には一人の男が立ってい
る。立派なローブに身を包み、その服の胸にはカンドレーン王国の紋章である魔術杖が書き
込まれていた。魔法王国カンドレーンの誇る魔術騎士軍団の一員である。
「陛下はさぞお喜びでしょう。もう最近は、普通のマゾプレイではとても満足できぬとのことで
…」
中年を少し過ぎた年令の魔術師は、額に浮かべた汗をハンカチで拭きながら答える。
「わかったわ。今度は特別性のハイヒールを用意しておくと伝えておきなさい。新しいローソクと
ムチもちゃんと準備してともね」
「ははっ、確かに承りました」
何やらおかしい言葉に、男は深々と頭を下げて去っていった。ミリアとワイドは同時に顔を見
合わせていた。何があったのかは知らないが、今の会話が何事であるかは理解できていた。
カンドレーンの国王はハゲのスケベ魔術師である。サリナがその美貌でこの国王をたぶらか
しているらしいことは薄々想像が付いていたが、今の話からするとかなりとんでもない内容だ。
「…なあ…かーちゃんって、まだあんなことやってんのか?」
ぼそぼそとワイドは小声でミリアに耳打ちする。どうも幾つか思い当ったことがあったらしい。
「らしいね。この前も国宝のフライングカーペットを騙し取っていたからな。この調子だとこの
国、かーちゃんに食い潰されてしまうぞ」
恐ろしい会話を朝っぱらから交わすと、それでも二人は階下の食堂へと降りていった。とりあ
えず飯は食わなければならない。一食無料で浮くことを思えば、サリナと国王のSMプレイなん
かどうだっていい問題だ。
「かーちゃん、おはよう」
やる気のない声で右手をミリアは上げる。その声でゆっくりとサリナが振り返った。
「あら、おはよう。丁度いいときに起きてきたわね。朝ご飯が終わったら、この服に着替えてみ
なさい」
「えっ?」
ふと見れば、サリナの足元には大きな長持ちがドンと置かれていた。ビロードの布が外面の
装飾に施された立派なものである。そしてこれにもカンドレーン王国の紋章である杖が刻まれ
ていた。
「これ、何なのさ?」
「ああ、国王陛下がアナタたちのために、特別にくださったのよ」
いけしゃあしゃあとサリナは言った。どう考えても嘘である。先程の会話からすれば、SM女
王さまの代金代わりに受け取ったとしか思われない。
「あのう…かーちゃん…一つ質問していいか?」
少し頬を引きつらせながらワイドが手を上げた。うつむき加減で口元は呆れたように半開き
になっている。
「まだSM女王さまのバイトやっているのかよ?いい加減にそんな仕事辞めてくれよ」
どこか泣きだしそうな顔でワイドがサリナを見上げていた。まあ、当然といえば当然である。
どこの世界に自分の母親がSM女王さまであることを望む奴がいるというのだ。
「仕方ないじゃないの。ヘンリーの、お父さんの稼ぎだけじゃやっていけないもの。あの筋肉ダ
ルマ、強いけれど稼ぎはショボイのよ」
形の良い薄い眉を眉間に寄せて、サリナが口を尖らせた。自分の旦那に対して酷い言い草
である。
「けれどさ…女王さまのバイトってのは…」「ワイド、黙りなさい」
「うっ…」
尚も何か言いたそうなワイドをサリナは眼で殺した。キラリと吊り眼が輝いて威圧感が飛ぶ。
何も言えなくなってワイドは絶句した。これ以上の発言は危険であると野性の勘が告げてい
る。うっかり口を滑らせたら、とんでもないことが発生しそうだ。
一瞬で沈黙したワイドを見ると、サリナは眼力を解いて、少し目尻に笑いを浮かべた。しかし
どこか皮肉な笑いである。恐いという点では相変わらずだ。
「あのねえ、わたしはバイトで女王さまをやっているんじゃないのよ。今の国王は独身でしょう。
つまりね、この国に正式な女王さまは今はいないのよ」
カンドレーン王国の現行国王はハリルというハゲ魔術師である。貧相な顔と痩せてガリガリ
の中年国王は、数年前にお妃に愛想を尽かされて逃げられていた。なんでもそのマゾ趣味に
耐えられなかったというのがもっぱらの噂である。
「だから、わたしが雇われ女王さまになってあげないと、この国は格好がつかないというわけな
の。わたしの女王さまの仕事は、本当はとっても大切な仕事なのよ」
もはやサリナの理屈は理屈でもなんでもなくなっていた。王国の女王さまとSMの女王さま。
たしかにクイーンという発音は一緒だが、何かが違っている。
「わかった、ワイド?」
「う…うん…なんとなくは…」
アゴを落として口をあんぐりと開けてワイドはこの女王さまを見つめていた。威圧感S迫力は
超ド級である。確かに、どっちの女王も勤まる貫禄ではある。
全く言葉の出なくなった弟ワイドを横にして、ミリアはめずらしく一人で静かにしていた。冷静
というわけではなかった。こいつもあまりのことにすっかり呆れ果てて、声も出ない有様だった
のである。大きくため息をついて肩を落とし、ミリアは心中で呟いていた。
(かーちゃん…それじゃあアンタ、二またの不倫で、オマケに重婚だよ…)
さて、そんな一幕があったものの、カジネット家の朝食は無事に済んだ。朝飯が終わるとヘン
リーは、巨大なハンマーとヘルメットを持って町へ出掛けていった。なんでも今日は建物解体の
仕事が入っているという。戦争でもあれば強力なファイターとして活躍するのだろうが、ヒマな時
は土方のオヤジとして日銭を稼がなければならない。
「さて、ミリア、ワイド。ご飯も終わったことだし、国王からもらった服の試着をすることにするわ」
食卓の皿を片付けて水桶に放りこむと、サリナは大きく伸び上がってそんなことを言った。
「へ?なんだって?」
「さっきの品物よ。あれはアンタたちのために、国王がくれたものよ。」
「えっ…」
「どうせアンタたちのことだから、マトモな服なんかも持っちゃいないでしょう?」
確かに。二人は同時に照れ笑いをして頭をポリポリ掻くしかなかった。ワイドはそれでもまだ
ちょっとはマシな格好をしている。それでも半袖半ズボンはマトモな格好ではない。ミリアにいた
ってはもっとひどい。長袖が破れて半袖になったシャツと、アチコチが破れたボロズボンしか持
っていない。
「そんな格好で、コールの店に食事に行ったり、デートをしてもらったら困るわ。アンタたちも、こ
の天才精霊魔術師サリナ・ル・ラの子供なんだから、もっときちんとした服装をしなさい」
かーちゃんのきちんとした格好って、ラバースーツにウップ装備じゃないのかとミリアは思った
が、さすがにそれは口に出せない。「あれ、そういや、ドリンさんは?」
ワイドが辺りを見回して、昨夜は確かに居たはずの美人を探す。端正な顔にりりしい顔立ち
は、どこから見てもお姉さま然とした格好だ。ワイドの好みばっちりの女戦士は、どこともなく消
え失せていた。
「ああ、ドリンなら準備に帰ったわ。よかったわね、ワイド。アンタは今晩デートの権利を得たの
よ」
「ええっ!マジっ?やったね、これでオイラもあの美しいおねいさんをモノにできるのか。ありが
とう、かーちゃん。金貨一枚程度の価値しかない奴を押しつけられたらどうしようって心配して
いたんだぜ」
「どういうこと?」
「ううん、なんでもないぜ。やった!今日はオイラの人生最良の日だ」
この程度で最良の人生というワイドはどんなたかが知れた人生を送ってきたというのだろう
か。ミリアは少し冷ややかな眼でこのアボな弟を見つめると、勢い良くカップのスープを一息に
飲み干した。中身は野菜クズと塩の貧乏スープである。
「かーちゃん、おかわり」
「はいはい」
ミリアは飲み干したスープカップょ突き出すと、サリナがニコニコ笑いながらスープを注いでく
れた。どこにでもありそうな普通の家庭の朝食である。
ワイドではないが、確かに何かがおかしいような気がミリアにはしていた。こんな平和な光景
がこの家庭にあったはずがない。いつも朝っぱらから筋肉オヤジと女王様かーちゃんが喧嘩
を始めていたのが昔のカジネット家である。こんな平凡な朝食風景があったためしなどない。
(いったい、何なんだろう?)
少し疑惑と不安を感じながらも、ミリアはどんどん野菜スープを飲み干していった。それはも
う、物凄い勢いである。気が付けばワイドの分まで飲み尽くし、特大の鍋が空になっていた。
「あっ!オイラの野菜スープが」
ワイドが我に返った時はもう遅かった。目の前のスープカップまで見事に空っぽになってい
る。
「ねーちゃん、なんてことしやがるんだ!」 血相を変えてワイドは立ち上がった。歯を噛み締め
て彼は唇を剥く。たかがスープくらい、そんなに怒ることでもないのだが、この万年欠食児童達
には深刻な問題である。
「ちきしょう…オイラの朝飯を…たたじゃおかねぇぞ」
ワイドは拳を握り締めて身構えた。どうやら本気のようである。
「ほーう?なに、やる気かい?」
意地汚くミリアは大口を開けて笑った。前歯に野菜クズの残りが引っ掛かっているのがちょっ
と汚い。
「クソったれ!スープのカタキだ!」
ワイドは一声あげるとミリアに飛び掛かった。そして後はお決まりのように喧嘩が始まる。や
はりカジネット家の朝は喧嘩で始まる運命なのである。
「まったく、あんたたちもいい加減にいい年なんだから、少しは進歩しなさい」
激闘十三分と十五秒。クロスカウンターによるダブルノックアウトで頭の悪い戦いは終わりを
告げた。そして今、憮然とした表情で二人は鏡の前に立っていた。
貧乏なカジネット家にもちゃんと立ち鏡がある。昔サリナがヘンリーにせがんで買ったもの
だ。そのせいで一月の間、食事が野菜クズスープから沸かした塩水になったのも苦い記憶で
ある。
「いい年って、かーちゃん。あたしはまだそんな年でも…」
「百五十二歳なら十分よ。だいたい、わたしがあなたの年には、もうお父さんと結婚していたの
よ」
世間一般の母親並みのことをこの女王さまエルフが柄にもなく言う。しかし、年令だけが世間
一般とかけ離れている。
ハーフ・エルフの寿命は長い。純潔エルフよりは多少劣るがそれでも並みの人間の六倍程
度にはなる。ちなみにミリアの年令は人間に直すと二十五から二十六の間というところ。確か
に丁度クリスマスの年である。
「そうはいうけれどさ…」
ブツブツいう娘の髪をサリナはクシで解かしていった。女というにはあまりにもこの奔放娘の
髪型は酷い。ボサボサ頭を後ろで結んだだけの簡単な髪型である。ポニーテールというのもお
こがましい、汚い筆が後頭部にぶら下っている。そいつをサリナは解くと、ゆっくりとブラシと霧
吹きを使って髪の毛を伸ばし始めた。ミリアの元々の髪はサリナと同じ直毛である。しかしいい
加減な生活のために毛並みはかなりよくない。
「おーい、かーちゃん。オイラはどうするんだ?」
ブラッシングを続ける女王さまの後に立っていたワイドが肩を震わせた。気が付けば彼はパ
ンツ一丁になっていた。着替えるから服を脱げと命令されて、そのままに放っておかれていた
のである。
「ああ、あんたはその箱の中に入っている服を着ていなさい」
「箱って、この国王からもらった奴か?」
「そうよ」
ワイドの目の前には大きな長持ちが置かれている。その蓋を開けると彼はゴソゴソと中を漁
り始めた。小柄で童顔のワイドがそうやっていると、まるで風呂上がりの子供がオモチャ箱を
探しているように見える。
「かーちゃん、服って、このブレザーとか蝶ネクタイとかが着いているやつか?」
「そう、ちゃんとした格好をしないとデートできないわよ」
「そうか、そうだよな」
納得するとワイドはいそいそと着替えを始めた。そうしているうちにミリアのブラッシングも次
第に整い始めた。
「ほら、ちゃんと解かせばあんたの髪のまともになるのよ」
「だってさ、面倒臭くて」
そういう鏡の中のミリアの格好は今までと全然違ったものになりつつあった。ボサボサ頭が、
頭の両端に垂らしたストレートヘアになりつつあった。
「さて、仕上げね」
にこっと笑うとサリナは手のひらを軽く前に突き出した。低い声で呪文の詠唱が行なわれる。
「火の精霊よ、乾いた熱風を巻きおこしたまえ」
手の甲の呪文印が輝いたかと思うと、適当な熱風が指と指の間から吹き付け始めた。その
手でサリナは極道娘の髪をさっと撫でた。火の呪文をドライヤー代わりにしたのである。方法と
しては正しいが、何か呪文の使用方法が間違っているが。
「ほら、これでばっちりよ」
「げっ、なんだこりゃ」
思わずミリアは目を丸くした。ボサボサ頭は見事にストレートヘアになっていて頭の両側に垂
らされ、耳を隠して肩まで降りていた。
「うわっ、これじゃあゴロゴロした時に髪の毛がうっとおしてくて仕方ないよ」
「何いっているの。さあ、次はお化粧するわ」
「げっ、この上、顔に落書きまでされるのかっ」
「あんたね…そんな調子だから、いつまで経っても独身なんでしょうが」
化粧にまで抵抗を示す頭の悪い娘を取り押さえると、サリナはミリアの顔に書き込みを始め
た。ファンデーションにアイシャドウ、ルージュという風に、上手く書いていく。元が女王さまだけ
に化粧も手慣れたものである。
「はい、できたわ。じゃあ、その箱の中に入ってる服を着なさい」
「服?」
先程ワイドが引っ掻き回した箱の中をミリアは再度覗き込んだ。紫色をした、フリフリでヒラヒ
ラのたくさん付いたドレスが一着入っている。
「え、これを着るのか?」
「正装よ、正装」
「ん〜、こういう動きにくい服は好きじゃないんだけれどな」
「文句を言わないの」
こういう風に、サリナの強引さに引きずられながらも、ミリア、ワイドの両人とも着々と着替え
は進んでいった。そして気が付けば、二人とも実に変わっていた。いや、嘘ではない。二人とも
元はそんなに悪くはない。ただ無茶苦茶な生活とハードな人生のせいで、どうしようもない格好
になっていただけなのである。
「さあ、二人ともすっかり綺麗になったわ。それでこそこの天才魔術師サリナ・ル・ラの子供たち
ってものよ」
誇らしげに言うと、サリナはガラガラと立ち鏡を引いて二人の前に置いた。ワイドとミリアは互
いに両者を見た。どう見ても先程までのスタイルとは見違えている。
ミリアの方はサラサラのストレートヘアに紫色のフリルドレス。しかもハイヒール姿である。
そしてワイドの方は、紺色の三つボタンのブレザーに、紺色の半ズボンだった。白いソックス
に革靴という、まるで七五三のようないでたちである。しかも胸元には赤い蝶ネクタイ。これで
千歳飴の袋を持たせたら、まさしくそのまんまである。
「げっ、なんだ、ワイド、その格好」
「おい、ねーちゃんこそ、なんだよ」
互いに両者を見て驚く二人。そして彼には恐る恐る、ゆっくりと目の前の鏡に目をやった。
「げっ、なんだ、こりゃぁ!」
そして二人とも、鏡に映った自分の姿を見て、そう絶叫していたのであった。
タリンの町に夜が来る。ここは山中の町であるために、その日暮れはいくぶんか早いものと
なる。町の周囲を森林に囲まれ、人間以外の異種族との交流も盛んな町タリン。隠れ里という
までにはいかないが、どこかうらぶれた感じのある町なことは事実である。
町の真ん中を通るストル川。この川に沿って、タリンの町が広がっている。この川は南方の
湊町ドルチヒまで続いている。ここまで小舟が遡ってくるので、必ずしもこの町が閉ざされた町
というわけではない。
「あー、コールの店なんて百年ぶりだな」
夕暮に染まる町を、ミリアはひたすら南下していた。もちろん、例のヒラヒラ、フリフリのドレス
でである。髪の毛も見事にストレートをかけて左右に垂らしてあった。こうして見ると、いったい
誰なのかちょっと解らない。
「なにしろ、かーちゃんの実家の秘宝を盗んで売り飛ばした時以来だからなぁ」
またもや物凄いことを平然とほざいた。今を遡ること丁度百年前。当時五十二歳になってい
たミリアは、もう既に借金抱えまくりの、どうしようもない生活を送っていた。
そんな時、理由はなんだか知らないが、母親のサリナが集落に里帰りをすることになった。エ
ルフという種族は排他的で、自身の村に人間が入ることを好まない。たいていのエルフの集落
には魔法がかけてあり、一族のものだけが知る魔法の言葉によってのみ、村の中に導かれ
る。
ミリアはハーフエルフだし、町育ちなのでその言葉を知らない。仕方がないので母親の後を
付けた。そして結界が解かれた瞬間を狙って、エルフの集落に忍び込んだのである。 その結
果、炎属エルフの至宝であるフレイム・ダイヤを盗み出すことに成功した。後はもう、お決まり
のパターンでそれを質屋に売り飛ばし、しばらくの間豪遊生活を続けたのである。コールの店
はその当時から、鳥肉が美味い店で知られていた。代は変わっても、その味には変わらないと
評判である。
「いらっしゃいませ」
店をくぐると、タキシードを着た店員が恭しく頭をさげた。
「よう、こいつで頼むよ」
まったくこの場にふさわしくない言葉遣いをすると、ミリアは懐からクシャクシャになったタダ券
を取り出した。母のサリナからもらった、フルコースのチケットである。
「わかりました。では、特上席へご案内いたします」
ジロッと冷ややかな視線で一瞥すると、店員は一礼して歩きだした。コールの店には食事の
クラスによって席が決まっている。フルコースなら一等席だ。
「特上?そんなのあったか?」
ミリアは少し首を傾げた。百年前来た時は、一等から三等までのコースだった。しかし特等と
いうのは聞いたことがない。
「このチケットをお持ちのお客さまは特上ということになります」
先程渡したチケットを店員は取り出した。カンドレーン王室の紋章入りのタダ券。ならば特上
席にされても変ではない。
「なるほどね」
納得してミリアは店員の後をついて歩き始めた。しかし、歩きにくいことこの上ない。着ている
のがドレスというせいもある。しかし、一番不都合なのは、妙に背丈の高い紫色のハイヒール
である。
「こちらでございます」
ハイヒールのために数度転び、やっとの思いで辿り着いたのは、一段高くなった、横長のテ
ーブルだった。真っ白なテーブルクロスが掛けられたその前に、椅子が二脚並べられている。
立派な彫り物細工が施されたこれまた高そうな椅子だ。
「どうぞ」
店員に椅子を引かれたのでミリアはそこに腰掛けた。しかし、横の席が何か気になって仕方
がない。
「おい、あの空席はなんだよ?」
指先で店員を突くと、ミリアは肘で空いた席を指した。これまた行儀の悪いことこの上ない所
業である。
「お連れさまが間もなくいらっしゃいます」 能面の女のような顔つきの店員は、表情一つ変え
ずに対応した。言葉遣いは丁寧なだけにかえって不気味である。
「は?連れってなんだ?あたしは最初から一人の予定だぞ」
確かに。誰かと一緒に行くなんて予定外である。しかし、店員は連れが来ると言い張ってい
た。そして、確かに隣の席は空いているのである。
「ともかく、どうぞお待ちください。お料理の方は、お連れ様がいらっしゃってからということにさ
せていただきます」
あくまで丁寧に、しかし譲りはしないという風に店員は対応する。無表情な顔は相変わらず少
しも変わらない。
「むぅ…」
渋い顔をしたが、ミリアはそれを受け入れるしかなかった。ここでゴリ押しして摘み出されるも
のつまらない。なにしろめったに食べることの出来ない高級レストランである。しかもタダで食
べられる機会なんて、これからの人生でもそうそうない。
仕方なくミリアは待つことにした。両ヒジを床に付け、アゴをテーブルの上に乗せるという、実
に行儀の悪い格好でミリアはぼんやりと待ち続けた。実に不思議だった。いったい、誰が来る
というのだろうか。
待ち続けること数分。たいした時間は経過しなかった。ミリアの猫目は、ある一人の人物を捉
えていた。
「あれ、ワイドじゃないか。デートの約束はどうしたんだ?」
金ボタンが三つ付いた紺色のブレザーに半ズボン姿の少年が、店員に先導されて、こちらに
向かってきている。
「あれ、ねーちゃん?」
ワイドもすぐにミリアに気が付いて声をかけた。やはり、不思議そうな顔をしている。「特上席
はこちらでございます」
店員はワイドにもその空いた席を進めた。おもいきり怪訝な顔をするワイド。
「あれ?ねえ、間違いじゃねぇの。こんな汚い女じゃなくて、もっと格好いいおねーさんが来てな
いの?」
不満タラタラという感じでワイドはまくしたてると、ブレザーのポケットから一枚のチケットを取
り出した。カンドレーン王国の紋章入りのタダ券である。
「このチケットをお持ちのお客さまは特上席でございます」
相変わらず機械的に店員は対応した。彫像のような顔は少しも変わらない。
「お客さまが二人ともお揃いですので、当店としては特別コースを始めさせていただきます」
「お、おい、ちょっと!」
追いすがろうとするワイドを無視して、店員は一方的に話を打ち切った。黒いタキシードはお
盆を持ったまま一礼すると、厨房の奥に消えていく。
「なんなんだよ、いったい。くそう、オイラはドリンさんとデートするためにここに来たんだぞ。ね
ーちゃんとメシ喰いにきたわけじゃねぇのに…」
確かに。それは著しいランクダウンである。しかしワイドの横にはミリアが座っていた。格好い
いおねーさんはどこにも姿を見せていない。
「はっはあ、わかったぞ、ワイド。きっとこいつはアンタ、振られたってことだ」
大口をあけてガハハと笑いながら、ミリアは弟の背中をバンバン叩いた。慰めにもなんにもな
っていない。
「えっ…やっぱりそうかな…」
「そりゃ、そうだ。こんな席にやってきて、デート相手がいないってことは、すっぽかし以外のな
にものでもないよ」
「くっ、くそっ…」
がっくりと残念そうに頭を垂れるワイド。せっかく金ボタンブレザーでめかしこんでも、相手が
こなければどうしようもない。
「まあ、いいじゃないか。とりあえずタダでフルコースは喰えるんだから。どうせあんたのチケッ
トもタダ券でしょう?」
「ああ、出掛ける前にかーちゃんがくれた奴だな。くそっ、ヤケだ。こうなったらとことん飲み食
いしてやる」
やけくそ根性を丸出しにしてワイドは歯噛みをした。期待しまくったデートの相手は来ない。こ
うなればヤケクソになるしかない。まあ、気持ちは解らないでもない。期待しまくった挙げ句に
デートをすっぽかされては、無茶苦茶に飲み食いしたくなるのも当然ではある。
ふと気が付けば、先程の店員が、お盆を持ってこちらに近付いてきていた。
「おーい、ビール中ジョッキ二杯!」
ここをビア・ガーデンとでも勘違いしているのか。やけにオッサン臭いワイドの注文が飛ぶ。
「お客さま、食前酒はワインと決まっております」
無茶な注文を微動だにせずに退けると、店員はワイングラス二つとワインのハーフ・ボトルを
持ってきた。少しの動揺もしないあたり、こいつはプロである。
無表情のまま、ワイングラス二つに手際よく酒を注ぐと、店員はミリアとワイドの前にそのグラ
スを並べた。
「どうぞ、お飲みください。それで、フル・コースは始まります」
あくまでも丁寧に、しかしどこか威圧感を持って、店員はグラスを進めた。
「おっ、こいつも美味そうじゃねーか」
何もこだわらずにワイドがグラスをあおる。グイッと一気に酒を飲み干した。まるで居酒屋の
コンパ気分である。
「よっ、いい飲みっぷりだね」
ミリアの方も、下品丸出しにして一息でグラスを空けた。ドン、と空になったグラスをテーブル
の上に置く。
「かぁー、効くねぇ」
ここをいったい何処と思っているのか。普通ならば絶対に飲めない高級ワインをあっというま
に飲み、両者はご機嫌でグラスを空にした。
「飲みましたね」
そこで、急に能面のような店員の表情が変わった。ニヤリ、と確かに笑ったのである。鼻や口
のポジションに関係なく、ただ目だけが笑っていた。
「なら、フルコースを始めるわよ」
そういった店員の口調は明らかに変わっていた。声もなにか、今までのトーンとは違って、落
ち着いた女の声に変わっている。
「えっ、なんだって?」
眼を丸くした二人の前に、すくっと店員は立った。彼は右手を自分のアゴに這わせた。そして
ツルリと撫でるようにして顔を上げる。
音もなく、能面が外れていた。やけに無表情とおもったら、本当にお面だった。そしてそのマ
スクの下からは、端正な顔立ちの女があらわれる。
「ド、ドリンさん!」
思わず驚愕の絶叫をあげるワイド。そんな彼を見て、ドリンは唇の端にうっすらと笑いを浮か
べる。
「さあ、フルコースが始まるわよ」
パチリ、とドリンがウインクをした。瞬間、僅かに魔法の律動か起こり、微かな魔力が周囲に
走る。
「げっ!」
次の瞬間、ミリアとワイドは大声をあげていた。足元の地面がいきなり開いたのである。パッ
カリと床が内側に割れて、大きな落し穴が現われた。
「うわぁ!」
不意をつかれて、どこかに掴まるだけの余裕もなかった。あっという間に二人は穴の中に消
えていく。座っていた椅子ごと転がり落ちて、数秒後にはドシンという落下音が聞こえてきた。
もう一度ドリンはウインクをした。また小さな魔力の流れが起こり、今度は床が閉じて元通り
になっていく。どうやらこの床は魔力で開閉する落し穴になっているようだ。
「さて、肝心の日まで、あの坊や達には大人しくしていてもらうことにするわ」
タキシードにお盆を持ち、どこか似合いすぎるそのスタイルで、この謎の女は両手を腰に当て
て大笑いをした。
(続く)その6 カウント・ダウン
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