その7 ついにアノ男登場


 場所は変わってここはガダルの町。相変わらず暑い日々は続いていた。高原大地のカンドレ
ーンと違い、海に面したこの町は、夏になると始終蒸し暑い日々が続くようになる。 そんなガ
ダルの町のある安宿。そう、そこにまだ彼はいた。彼とは言うまでもなくヤードのことである。誰
もいない一室で、彼は相変わらず氷詰めになっていた。さすがは絶対零度で造られた魔法の
氷である。数日経ってやや小さくなったものの、ヤードは相変わらず氷柱として、クソ暑い部屋
の中に突っ立っているのであった。
 そんなどうしようもない彼を目指して、五つの光の弾が空を飛んでいた。ガダルの遥か西、魔
法王国カンドレーンの方からその光は突き進んでいた。やがてそれらは高度を落とし、宿の二
階のある窓を直撃する。
 ガラスが飛び散り、窓枠は破壊された。けたたましい物音を立てて、光球が部屋の中に飛び
込んでくる。風が音を立てて舞い、家具に蓄まったホコリと氷の溶けた水が、薄い霧となって部
屋中に飛び散る。
 そして、光の球は、氷柱と化していたヤードに突撃した。一瞬、眩しい程の閃光が奔る。その
後、一度に五つの光の弾がはじけた。その後、なぜか豪快に、チャペルの音が響きわたる。
「げっ、な、なんだぁ?」
 ヤードが意識を取り戻したのは、もうもうと立つ汚いミストの中であった。ホコリ混じりの水蒸
気が部屋に立ち篭め、うるさいほどにゴーン、ゴーンと鐘の音が響く。
 やがて、鐘の音が治まると、部屋の中にぼんやりとした人の映像が浮かび上がりはじめた。
「な、なんだ、いったい。何があったって言うんだ?」
 わけも解らずにヤードは目をこすって目の前のホログラフィを凝視した。それは男女の映像
であった。男は髭面の筋肉ダルマ。もう一人はラバースーツのSM女王さまスタイルである。し
かもエルフであるとなれば、この二人が誰かは簡単に想像が付く。
「どうも、こんにちわ。この招待状を受け取った方は、カジネット家の結婚披露宴に招待されま
した」
 映像のエルフ女がしゃべりだした。顔はニコニコ笑っているが、手に持ったムチとハイレグの
ラバースーツが妙にミスマッチである。
「サ…サリナ…?しかも、ヘンリー?」
 自分の息子とその嫁の姿をまのあたりにして、思わずヤードは身構えた。しかし目の前のも
のは実体ではなく、映像である。せっかくファイティングポーズを取っても意味はない。いや、そ
れ以前に、ランニングシャツと縦縞トランクスで身構えても、まったく意味はないのだが。
「この度、カンドレーン王国で、カジネット家長女ミリアと、長男ワイドの結婚式を執り行うことに
なりました。明日の正午から、鳥料理コールの店を会場にして行ないます。ぜひ出席をお願い
します。同封した金貨五枚で支度を整えてください。準備が出来ればチケットを破ってください。
チケットが風を巻きおこし、貴方をカンドレーン王国まで自動的にお連れします」
 どこかコマーシャルくさい文句を述べると、二人の夫婦の幻影は消え失せた。と、同時に光の
弾は五枚のチケットに変化した。
「おっ?」
 ヤードが驚くヒマもなく、チケットと一緒に金貨が二十五枚降ってきた。一枚のチケットにつき
金貨五枚だから、数的には合っている。
「ははあん、オレがちょいと昼寝している間に、あのバカ息子、何か企んだらしいな。ミリアが結
婚だと?なかなか面白いジョークじゃないか。四月バカには遅すぎるがな」
 今は八月。夏の盛りである。四月遅れのジョークにしては手が込んでいる。ヤードは散らばっ
た金貨とチケットを拾い集めた。チケット五枚の宛先は全てヤード宛になっている。
「おやぁ?」
 ふと、ヤードは目を細めてチケットを凝視した。チケットになにやら、ミミズののたくった字がい
っぱい書いてある。
「なんだ、この汚い字は。ミリアが書いたってことは解るが、何が書いてあるかさっぱりわから
んな」
 ミリアの悪筆はたいしたレベルである。何か、ミミズののたくったような字が羅列されていると
んでもない字だ。
「ええと…?」
 ヤードは目をこらすと、なんとか文字を解読しようと、その不気味なスペルを声にしてみる。
「サモン…ファイ…ホール…」
 何かよく解らないが、そう書いてあるように見えた。そうやってヤードが書かれた文字を朗読
していると、突然目の前の空間に大きな穴がぽっかりと開き始めた。
「はぁ?」
 唖然とするヤード。すると、その穴は周囲のものを手当たり次第に吸い込み始めた。風が一
度に穴に向かって吹き付けていく。というより、全てのものが黒く開いた空間の穴に引き寄せら
れていくのだ。
「ブ、ブラックホール?」
 仰天して目を丸くしたヤードだが、すぐに自分が危険な状態にいることに気が付いた。全ての
者を吸い込む空間の穴ブラックホール。一度吸い込まれれば、光さえ二度と出られない暗黒
の空間に閉じこめられてしまう。
 ヤードはすぐに気が付いた。あまりに汚いミリアの字の解読は不可能だということを。それな
のに、うっかり自分なりに解読してしまったら、強力な暗黒魔法を引き起こすスペルを読み上げ
たことになってしまったのだ。「ディ…ディ・スペル!」
 ヤードはあわてて手を胸の前で組むと、呪文を無効にする呪文を唱えた。両手からまばゆい
光が一瞬あふれ、ブラックホールを包み込む。
 効果はばっちりである。ディ・スペルの呪文によって、ブラックホールは中和された。吸い込ま
れたものも特になく、部屋には平和が訪れた。さすがは魔法剣士のヤードである。ランニング
シャツに縦縞トランクスという格好でも、中身の実力には関係がない。
「ふう、あぶなかったぜ。こんな文字、無理に読むのはヤバイな」
 ミリアの使っていたボロベッドに腰掛けて、ヤードはチケットの文字を見つめなおした。別にミ
リアには魔法の素養はない。いったいなぜ、こんなことが起こったのだろう。
「しょうがねえな。リード・センテンスの呪文で読むか」
 ヤードは目を閉じると、人差し指をその汚い字の上に乗せて、何やら呪文を唱えた。軽く指先
が光り、紙の上の文字もそれに伴って光り始めた。
 そして、光輝く文字から声がしはじめた。ミリア本人の声である。このリード・センテンスの呪
文は、書いた当人の声で喋ってくれるという、あまり意味のない呪文である。したがって、自分
に理解できない言葉で書かれた場合、まるでわからないという役立たずな呪文でもある。
 しかし、ここでは役に立っていた。ミリアの切羽詰まった声が部屋に響いていた。こんな回りく
どいことをしないと読めないメッセージを書いた方に問題があるのだが。
「じーさん、大変だ。このままじゃあたしは結婚されられちゃうぞ。頼むから、助けに来てくれよ」
 ミリアの声はそれだけ言うと、ふっつりと切れた。手間をかけて聞いた割には、説明も何もな
い文章だった。これではヤードも、何がなんやらよく解らない。
「助けに来いだと?どうやら、何か面白いことが起こっているみたいじゃないか」
 さわやかな笑顔の歯をキラキラ輝かせて、ヤードは楽しそうに笑っていた。そうである。楽し
いことが好きなヤードは、この話に妙に惹かれるものを感じていたのだ。
 今から百五十年前の世界。暗黒エルフ皇帝と呼ばれた魔術師フィルデがいた。彼とその部
下の四人は、好き放題に世界を荒らし回っていた。大陸を焼き払い、大地を腐らせながら、闇
の軍団は人間たちと戦いを繰り広げていた。
 人間側は三王国と呼ばれる古代王国を中心にしてフィルデと戦った。さすがに人間達の抵抗
は激しく、フィルデの軍勢も次第に押され気味になりつつあった。
 そんな時、ヤードはなぜか闇の軍勢に着いたのである。それは、何事も引っ掻き回そうとす
るそのいい性格のためであった。一説によれば、カツドン十杯で買収されたという話もある。
 とにかく、ヤードが闇の軍団に着いたおかげで、フィルデ軍は息を吹き返した。結局、人間側
はフィルデに勝ち、四人の部下とヤードは封印されてしまった。しかし、ヤードのせいで戦乱が
おかしなくらいに長引き、たいへんな被害を世界中に与えたのである。
「あのバカ息子め。こんな面白そうなイベントに、オレ様を放っておくとは許せんな」
 ひどく真面目な面持ちでヤードは口をへの字に曲げた。本気である。今から彼は、どうやって
結婚式に乗り込んでやろうかと考えていた。ミリアのことなんかすっかり頭から外れていた。
「そうだな…まずは質屋に行くとするか」
 左手の上には、掻き集めた金貨が二十五枚乗っている。チケットに付属してきた支度金がこ
れだ。この金貨があれば、質に入れた品物を出すことができる。このところの貧乏暮しで、金
目のものは全て質屋に突っ込んでいた。
「ミリアが結婚するんだから、祖父のオレがこんな格好で出るわけにもいかんな」
 ランニングとトランクス。そんな格好をしている、まだ外見二十代の青年は、不釣り合いなセ
リフと共に高らかに笑った。


 数時間後。とっぷりと日が暮れ、夕食の時間になった。ヤードは町からまだ戻ってこなかっ
た。
 時間がさらに流れ、月が白み始めた明け方近くなって、ようやくヤードは帰ってきた。出てき
た時と違って、立派な黒いスーツに身を包んでいる。しっかりとアイロンが入ったスラックスも真
っ黒。背中には深紅のマントがひらめき、首の部分には紫ラメ入りのストレートネクタイが絞ま
っている。そして腰には一本の細身の剣が下がっていた。
 これが黒博士と呼ばれたヤードの本当の姿である。剣と魔法を使いこなし、知識にも長けた
当代有数の賢者。惜しむらくは常識と良識が欠乏しているということである。
 ヤードの顔は少しゲッソリしていた。彼は腰を押さえながら、息を継いでベッドの上うつぶせと
なった。
「しまったぜ…媚館なんか行かなけりゃ良かった…」
 妙にけだるい腰を押さえてヤードは荒い呼吸をした。つい、うっかり、遊びすぎてしまったので
ある。
 金貨十五枚を使って、質入していた装備を一式ヤードは出した。その後、余った金で、風呂
屋に行ったのが失敗の元であった。
 風呂屋と言っても、もちろん普通の銭湯ではない。化粧をしたおねーちゃんが身体を洗ってく
れるアレである。
「久しぶりに命の洗濯と思ったが…これじゃあ漂白だ…」
 たしかに。ほとんど搾り取られているのだからそうである。ただし同情はまったく出来ないが。
「ふう、少しは落ち着いたか」
 しばらく横になっていたヤードはやっとのことで身体を起こして再度立ち上がった。紅のマント
が趣味悪くひるがえる。しかし、顔だけは誰もがうっとりするほどの美形ぶりだ。女好きのする
爽やかな顔がヤードの特徴である。そのおかげで、女に関するトラブルだけは絶えないのだ
が。
「ええと、今何時だ?」
 ヤードはスーツのポケットから、金色の懐中時計を取り出した。文字盤の数字は四時を少し
すぎていた。正午きっかりに結婚式が始まると息子と嫁の映像が語っていた。時間はあと八時
間もない。
「よし、なら、そろそろ向かうとするか」
 ヤードは例のマジカルチケットを手に取った。券から強い、風の精霊力が感じられた。このチ
ケットに封じられた風の力を開放することで、招待者は結婚式会場に導かれる。このタイプの
魔法の券を造ることができる魔術師はそんなにいない。
「こいつもサリナの仕業か。あいつ、相変わらずいい女だったな。やっぱり、ヘンリーなんかに
はもったいないな。ミリアの結婚式に出たら、ヘンリーからあの女を取り上げて帰るとするか」
 倫理もへったくれもない言葉を口にして、ヤードは数秒の間、妄想の世界に突入していた。も
ちろん、よからぬことを考えていたのは言うまでもない。
 百五十年以上前のことである。そう、それは、闇皇帝フィルデとの戦争が始まる一年ほど前
のことである。ヤードの長男のヘンリーが突然結婚すると言い出した。しかも、相手はエルフの
女である。それがミリアの母親であるサリナ・ル・ラだった。興味を持ったヤードは、こともあろう
に息子の婚約者にちょっかいをかけたのである。
 その結果、ヤードとヘンリーの、史上稀に見る親子喧嘩が起こったのであった。激闘は三日
続き、周囲の町の1/3を巻き込んで破壊してようやく終わった。最後にヤードは脳天をグレー
トアクスでカチ割られ、大流血と共に地面に伸びた。いくらバランスのよい魔法剣士でも、専門
戦士の筋肉パワーにはかなわなかったのであった。
 ヤードが重傷を負っている間に、ヘンリーとサリナはさっさとハネムーンに出掛け、無事に結
婚式は行なわれたのであった。
「そう思うと、こいつはいい機会だな。バカ息子も今はヨボヨボのジジイだ。あの時はオレが不
覚を取ったが、今度は必ず勝ってやるぜ」
 ヤードは不適に唇の端を上げて笑った。ほとんど私利私欲でしか動かない。それがヤードで
ある。
 ただ、この言葉には一つ誤解があった。カジネット家現行当主ヘンリー・ルドルフ。百七十近
くとも、その実力はほとんど衰えていない。しかし、ヤードは完全に舐めてかかっていた。
「さて、あの連中を一つからかってくるとするか」
 さらっと恐ろしいことを言うと、ヤードは手にしたチケットをゆっくりと二つに引き裂き始めた。
チケットが破れた切れ目から、少しずつ風の精霊力があふれてくる。そしてそれはゆっくりとヤ
ードの周囲を包み始めた。わずかずつだが、ヤードの身体は地上から浮かび上がり始めた。
「頼むぜ、風の精霊。途中でおっことさないでくれよな、ははは」
 目を細めて上を向き、カラカラとばかりにヤードは豪快に笑った。装備は万端である。あとは
結婚式の会場に乗り込んでかき回せばいいのだ。
「うーん、格好よく会場に乗り込むオレ。そして、そこからサリナを連れ出して愛の逃避行。サマ
になっているじゃないか」
 またわけのわからない妄言をヤードはほざいた。言っておくが、結婚するのはその女王さま
エルフではなく、娘の方である。
 そんな馬鹿なことを考えている間に、ヤードの身体は風に乗り、少しずつ加速をしながら東の
海の方へと進み始めた。ガダルの町からカンドレーン王国は遠い。海を一つ隔てた別の大陸
にあるのだから。
「さて、到着するまで一眠りするかな」
 ヤードは横になって左手で頭をささえて目を閉じた。そのままの格好で、彼は空を飛び続けて
いた。もっとも、彼の力で飛んでいるわけではなく、周囲を取り巻いている風の精霊がそうさせ
ているのだが。
 すぐにヤードはイビキを立て始めた。こうして、この世界で屈指の危険人物が、着々とカンド
レーン王国に近付いていたのである。

「チケット、無事についたかな」
 場所は変わって、地下の牢獄。相変わらずミリアとワイドは閉じこめられていた。筋肉ダルマ
のヘンリーでも壊せない鎖で繋がれているのだから当然壊せていない。
「無事についても、相手が読めるかどうかはわかんねぇよ」
 ワイドがブスッとして、そっぽを向いて答えた。先程そんなコトを言って、死ぬような目に遭わ
されたのを忘れたかのような発言である。
「ほう?あんた、まだそんなコトを言うのかい?」
 少し口元をヒクつかせて、ミリアはワイドの顔を掴んだ。いわゆる、アイアンクローの体勢であ
る。
「いてっ、いてて…や、やめてくれ、ねーちゃん。オイラが悪かった…」
「わかれば、よし」
 ミリアが右手の力を緩めると、ワイドはドサリと地面に落ちた。額からこみかめ、頬に至るま
で、くっきりと手形の跡が付いている。
「ところでさ、一つ聞くけれど、いったい、誰を招待したんだ?ねーちゃん、まるで秘策でもある
みたいだったけれど」
「秘策というか、毒を持って毒を制すというのかな…」
「はあ?なんだよ、それ?」
 不安そうにしてミリアを見上げるワイド。確かに、これだけの説明では何のことかよくわからな
い。
「あんた、ヤードじいさんって知っている?」
「あ…うん。もちろん、会ったことはないけれどな。あの、変態のカツドンマニアで女たらしの結
婚詐欺師。下半身先行行動の、最悪の魔法剣士って男だろう」
 酷い言われ方であるが、それがヤードという人間の性格を表している。というか、そんなこと
しかしてこなかったのである。
「あいつ、実は生きているんだよね。最近、封印が解けて、現世に甦ってきたんだ。なんかしら
ないけれど、面倒見てくれって、あたしの下宿に転がり込んでいたのさ」
「え…?ということは、ねーちゃん、まさか…」
「そう、そのヤードじいさんを呼び付けたのさ。確かにあいつ、馬鹿でどうしようもないパアだけ
れど、腕前の方は一流だからさ」
 馬鹿に言われてはヤードも悔しかろう。実際、ヤードは凄い男なのである。そもそも、魔法剣
士などという中途半端なものがあまり存在しない。なのにヤードは魔法剣士の道を貫いてしま
った。全てにおいてバランスを取って、一流の実力になっていた。魔術に通じ、精霊を操り、剣
技にも長じ、古今の知識を知り尽くした男ヤード。あとは常識を知れば本物の英雄である。
「マジかよ…あの伝説の男を呼び付けたとは…」
 ワイドは上を向いて口を開けていた。伝承でしか伝わっていないヤード・カジネット。まさに生
ける伝説があらわれるのである。
「ああ、確かに伝説だ。あたしと一緒に食い逃げしたり、乞食からカツアゲしたりするようなのが
かつての英雄だもんね。そりゃあ、伝説にもなるわ」
 呆れたようにミリアは言い捨てた。封印が解けて、現世に甦ってきたヤードがミリアの元に転
がり込んできたのが数か月前。それから、ほとんど同じ波長の行動パターンを繰り返してい
る。わずかな小銭を集めては、酒、宴会の暮らしであった。
「え…?なんだよ、それ?」
「いいから、いいから。さて、一応やることはやった。後はあたしたちもなんとかしないといけな
いな」
 尚も何か言いたそうなワイドを押し止めると、ミリアは両手を繋いでいる鎖に目をやった。特
殊合金の鎖は、怪力ミリアのフルパワーでもビクともしない。
「この鎖さえなんとかできればねえ…」
 苦々しそうな顔つきで、ミリアは鎖をジャラジャラさせた。昨夜からずっと引き千切ろうとしてい
るが、鎖は傷一つ付かないのである。
「ワイド、魔法でなんとかならない?」
「できないこともないけどさ…」
 ワイドは火の魔術を使いこなす上級の魔術師である。しかしこの合金は、よほどの超温度で
ないと溶けそうにはなかった。
「オイラの魔法の火力を使えば、鎖は壊せるかもしれない。でも、こんな至近距離で高熱呪文
を使ったら、オイラ達まで丸焼けになっちまう」
「じゃあ、何か他の方法を考えるしかないか」
 二人は顔を見合わせて考え込んだ。とりあえず、チケットは送り付けた。しかし、それだけで
はあまりにも心許なさすぎる。実際はここから逃げ出すのが一番の得策だ。そのためにはこの
鎖を壊さなければならないのだが、そうはいかないのが現実である。
「…そうだ。試しにあの魔法を使ってみるか」
 数分間の沈黙の後に、ワイドが一つの案を見付けた。
「魔法?」
 魔法には詳しくないミリアが興味ありげに口を開く。
「ああ、やってみるか。ちょいと時間がかかるかもしれないが、いいか?」
 ミリアは黙ってうなずいた。どんな方法でも、手枷が取れれば行動は起こせる。ここはワイド
が頼りである。単に力任せではできないことも、魔術師ならできるかもしれないと期待の眼差し
でミリアは弟を見つめた。
 ワイドは大きく息を吸い込んだ。ぐっと腹に力を込める。そして次に、彼は大声で喚き散らし
始めていた。
「おい、この鎖の馬鹿野郎。お前なんか所詮ミスリル銀にはかなわねえぜ。なんだ、せっかく金
属に加工されて、なったものが鎖か?シケてるもいいところだぜ。せめて戦士のシールドくらい
には加工されろってんだ」
 ワイドはなぜかクサリの悪口を言い始めた。まるで人間に対するように、彼はクサリを罵っ
た。まるで、頭がおかしいのではないのかという風である。
「ワ…ワイド…」
「ええい、この腐れクサリめ。なんだってんだ。お前なんかはオレ達を繋ぐくらしか出来ない、シ
ョボイ金属だな」
 あっけにとられて声も出ないミリアを歯牙にもかけず、ひたすらワイドはクサリを罵倒しつづけ
た。すると、不思議なことに、今まで傷一つなかった合金のクサリが、だんだんと錆びてきたの
である。
「えっ?」
 ワイドがクサリの悪口を言い続けること五分。クサリはすっかり錆びてボロボロになり、ガチャ
ンと大きな音を立てて外れた。無残な残骸が地面に転がる。
「ふう…ふう。疲れたぜ。ともかく、成功したらいしな」
 額にびっしょりと汗を浮かべてワイドは頭をボリボリと掻いた。ミリアがあれだけ引っ張っても
壊れなかった金属は、ワイドの言葉で錆びてしまった。
「な、なんだい、ワイド。こいつはいったいなんて魔法だ?」
 あまりにも不思議な出来事を目のあたりにして、ミリアは釣り上がった猫目を文字通り丸くし
た。
「いいや、正確にいえばこいつは魔法じゃねえよ。オイラはただ、物の持つ本質に言葉をかけ
ただけさ」
 少し疲労の色を浮かべてワイドが気怠そうに返答する。しかし、よく意味の解らない返答であ
る。
「どういうことだよ、いったい?」
 もちろんミリアは意味がよくわからない。そんな姉に軽く視線を送ると、ワイドは祖父ヤード譲
りの爽やかなスマイルで、歯をキラリと光らせながら答えた。
「まあ、簡単な話にすると、オイラの悪口でクサリがフテ腐れたというわけさ」
「…なんだ、それっ!」
 思い切りズッこけたミリアであったが、とにかくクサリの枷はなくなった。後は脱出するだけで
ある。しかし、この洞窟がどうなっているのか解らない。まだ、障害は色々控えていそうである。
 しかし、ともかく彼らは第一段の関門を突破した。そして二人で、待ち受けるであろう数々の
難問に挑んでいくはずなのであった。

(続く)その8 披露宴序曲