その8 披露宴序曲


「こんな場所、とっととオサラバだ」
 言い捨てるようにして立ち上がると、ミリアはしずしずと鉄格子に近付いた。慣れないハイヒ
ールはやけに歩きにくい。いつもの軽快なフットワークが邪魔されているような感じである。
「むうっ」
 両手で鉄格子を掴み、ミリアは肩に力を入れた。鋼鉄製の鉄の棒は、たちまちアメのように
捻じまがってしまう。
「ふう、こんなものか」
 たいした苦労もせずに檻を破壊すると、二人は揃って牢屋の外の通路に躍り出た。この程度
のことはミリアにとって朝飯前である。素手で小石くらい軽く握り潰すほどの腕力だ。筋肉ダル
マ譲りの腕力は伊達ではない。
「よし、とっととズラかるぞ」
 二人は小走りに洞窟の通路を走っていった。一本道の通路が左右に折れ曲がりながら続い
ている。履き慣れないハイヒールとドレスのせいで、どうしもミリアの足取りが重くなる。しかし、
靴を脱ごうにも、洞窟の床はゴツゴツしていて危険である。素足でいくわけにはいかず、どうし
てもハイヒールを履き続けなくてはならない。
「おっ、ねーちゃん。階段だ」
 唐突にワイドが目の前の通路を指差した。ちょうどポケット状に洞窟が広場になっている。そ
の奥に、上へと続く階段があった。そちらの方から鳥肉を焼く匂いが漂ってくる。ここが上の結
婚式会場に続いてていることは間違いなさそうだ。
 しかし、階段の前にはしっかりと敵が配置されていた。それは身の丈三メートルはあろうかと
いう巨像だった。丁度立ち上がったトカゲのような形をしたそれは、どこから見ても怪しすぎる
の一言である。
「うーん、あれ、やっぱりガーゴイルかな?」
 さすがのミリアも足を止めて石像を見つめる。ガーゴイルと呼ばれる石で出来た魔法生物が
洞窟の要所に配置され、洞窟を守るということは、この手の世界においてはほとんど常識であ
る。
「ああ、どうもそうみたいだぜ。こいつはかーちゃんの仕業だな。まいったな、アイツは魔法も効
かないし、魔法の武器じゃないと傷つけられないぞ」
 目をこらして分析作業に入っていたワイドが困ったように視線を送る。ガーゴイルというのは
魔法生物なので、魔法の武器以外では傷つけられない。また、通常の魔法に対する抵抗力は
極端に強く、普通の呪文は通用しないのである。
「どうする、ねーちゃん?」
 困惑の表情を続けるワイド。ミリアは多少戸惑いながらも、笑い顔を絶やさなかった。ぐっと
握り締めた右手の拳をワイドの鼻先に突き付けると、彼女は白い歯を見せて笑った。
「そんなの、あいつを倒すしかないよ。こうなったら突撃って奴さ。見てな」
 そういうと、ミリアはスカートの裾を上げて、勢い良く石像目掛けて走り始めた。両手の指先で
スカートを摘むという、よく貴婦人がやるあの走り方である。
「とぅっ!」
 敵の侵入を感じてガーゴイルが動きだす。その瞬間を狙ってミリアは敵の懐に飛び込んだ。
丁度巨像の胸元の部分に入り込む形で間合いを取る。
「うぉりゃあ!」
 飛込みざま、ミリアは必殺の右フックをガーゴイルのトカゲ顔に食らわせていた。ゴチンと鈍
い音が洞窟内に響きわたる。
 ガーゴイルのトカゲ頭はミリアの一撃でフッ飛ばされた。そう、首から上が一瞬にして切り離さ
れ、トカゲ顔は洞窟の壁に激突した。そして濛々とした煙をあげながら破砕されてしまう。
「よしっ!、いくぞ」
 パンチ一発でミリアはガーゴイルを破壊した。恐るべき怪力である。あまりのことにワイドは
目を瞬かせたが、あっけにとられている余裕はなかった。今はとにかくここから脱出しなければ
ならない。
 二人は急いでガーゴイルの背後にある階段を駆け上がった。進むにつれ、鳥肉を焼く匂いは
だんだんと強くなってきていた。
「マズイな、もう結婚式が近いかもしれない」
「こいつは…やっぱり、結婚式で使うはずの料理かな」
「きっとそうだ。かーちゃんのことだ。コールの店まで抱き込んであるに違いない。きっと全部が
グルになってんだ」
 カンドレーン王国で随一と言われる料理店は、大きなホールを持ち、結婚式にも十分使える
規模である。おそらく、国王を抱き込んだサリナが、その権力でこの店まで自由にしているに違
いない。
「考えたらオイラ達、とんでもないのをかーちゃんに持ってねぇか?」
 ふと気が付いた不安をワイドは口にしたが、その意見はミリアには黙殺された。というよりも、
そんなことを考えたら、ますます絶望に落ち込むだけである。
 長い長い階段を駆け上がっていくと、小さな鉄の押し戸が天井になっているところで階段は終
わっていた。これから先はこの戸を開けなければ先には進めない。
「えいやっ」
 勢いに任せて、ミリアは天井となっている扉を押し上げた。ガタン、と音がして、天井が開く。
そして二人はそのまま外に飛び出していた。
「あっ、アンタ達!」
 サリナの驚いた声が響く。そこは広大なホールだった。白いテーブルクロスをかけられた長
机がいくつも並ぶ室内では、着々と結婚式の準備がすすめられていた。
「おう、ガキども。よくあの部屋から逃げ出せたもんじゃな」
 会場の椅子を並べていた筋肉ダルマが感心したように二、三度首肯いた。まだ結婚式は準
備段階のようだ。机、椅子共にまだ半分程度しかセッティングされていない。それを指示してい
るのが、真っ黒なドレスに身を包んだサリナだった。
「…よく、あのクサリを壊してきたわね」
 少し顔を引きつらせながら、サリナはハンカチで汗を吹いた。胸元をアピールする黒いドレス
が妙に色っぽかった。さすがに新郎新婦の母親らしく、すっきりとストレートに降りたスカートだ
ったが、ヘタをすると新婦より色っぽい。黒いハイヒールとストッキングも怪しい色気を増幅させ
ている。
「さすがはサリナの子供たちだけあるじゃないの」
 サリナの横ではドリンが薄い笑いを浮かべて、ミリアとワイドの二人を見つめていた。結婚式
に不釣り合いなほど、彼女は戦闘用の重装備をしていた。広い幅の肩当てに、胸と腰を守る
部分プレート。カブト代わりとなる、山羊の角で作ったサークレットを額にはめ、腰からは整った
装飾の施されたレイピアをぶら下げている。
 エルフの結婚式では、仲人となるものは、戦の時の正装で臨まなくてはならない。これは、結
婚は戦争だというエルフ族の諺にちなんだものであるという。そして、これが正式な作法なので
ある。族長の前で結婚をしたエルフは、絶対に離婚ができない。結婚の拒否もできない。結婚
式で永遠の愛が誓えないカップルは、その場で族長に切り捨てられてしまう。一説ではそのた
めのフル装備でもあるという。
「何笑っているの。なんのためにアンタを呼んだと思っているの?この子たちが嫌がっても、無
理遣り結婚させるためにアンタは居るのよ」
 冷ややかな、鼻で笑うようなサリナの声が響く。
「そ…そうね…」
 相づちを打つドリンの声はかすかに震えていた。うっすらと恐怖の感じられる答え方だった。
 ドリン・カ・ムといえば、過去の世界で邪神とまで呼ばれた実力の持ち主である。それが恐れ
るサリナの実力というものは計り知れない。
「ふう、ミリア、ワイド。アンタたちもなかなか聞き分けが悪い子供ね。せっかくこのわたしが、ア
ンタ達のために、すばらしい結婚式場をセッティングしてあげているのに、敢えてそれに逆らお
うとするなんて」
 やれやれ、という風にサリナは薄い目を細めて大きなため息を継いだ。
「かーちゃん…こんな茶番であたしの人生まで決められると思うなよ」
 久しぶりにミリアはマジになった。大きな猫目が細くなり、キッと表情を厳しくしてサリナを睨み
付ける。
「茶番ですって?まったく、親知らずとはこのことね」
 自信満々でわけのわからないことをサリナが言う。
「サリナ…それを言うなら、親の心子知らずよ」
 半分呆れ顔で横からドリンが突っ込みをいれる。親しらずでは、そのうちに虫歯になって抜か
れてしまう。
「そ…そうだったかしら。ま、まあいいわ。とにかく、ミリア、ワイド。あんたたちはどうやっても結
婚してもらうわ」
 少しだけ動揺の汗を頬に浮かべながら、サリナはビシッと二人に向かって指を指した。
「嫌だ
と言ったらどうするのさ?」
 かすかな殺気を額に浮かべて、ミリアがボソリと低い声で尋ねる。いくら相手が恐怖の母親と
いえども、こんな話を飲むわけにはいかない。
「そうね…力ずくでも結婚させるわ。なんのためにドリンを復活させてまで、この式を敢行させる
と思っているの?」
「うっ…」
 ミリアの表情は厳しくなった。気が付けば、二人は三方から囲まれていた。サリナを三角形の
頂点にして、あとの二点をドリンと父のヘンリーが押さえている。
「わたしだって馬鹿じゃないわ。アンタ達の実力がとんでもないことぐらい知っているわ。わたし
とヘンリーだけではアンタ達を押さえられるとは思っていない。けれども、そこにドリンが加わっ
たら?そう、全ての点でこっちが有利になるのよ」
 限りなく目を細めると、サリナは唇をわずかに開いて笑い声を漏らした。そうである。計画とし
てはほとんど完璧な状態だった。灰色エルフの長であるドリンを復活させることで、この結婚を
正式なものとする。そして、戦力的に考えたら、単純に3対2となる。ドリンも伝説の人物だか
ら、どう考えても弱いわけがない。
「…そ、そんな。ドリンさん、どうしてアナタはかーちゃんみたいな大悪魔の言うことを聞いてしま
ったんですか…」
 緊張感に耐えられないのか、ワイドが膝をついてヘタり込んだ。別に根性がないわけではな
いが、サリナの前ではどうしても萎縮してしまう。
 そんなワイドはドリンは一別した。少しだけ哀れそうな顔をすると、彼女はその濡れた唇を小
さくあける。
「まあ、仕方ないの。あんた達には復活させてもらった恩義はあるけれど、私にはサリナとの関
係が大事なの。だって、あんた達を結婚させたら、サリナがわたしを女王にしてくれるそうだか
ら」
「なっ、なんだって?かーちゃん、そんな無茶な約束までしてたのか」
 あまりのことに、ワイドは愕然としてしまった。別にこの国カンドレーンはサリナのものでもな
んでもない。それを勝手にくれてやるとはどういうことなのか。
「ふう、わたしもボチボチ女王さまも飽きてきたからね。後釜をドリンに譲ろうっていうことなの
よ」
 笑いながら言うサリナ。しかし、これには大きな勘違いがある。SMの女王さまの地位を譲っ
てもらったからといって、カンドレーン国がもらえるわけではない。
「ド…ドリンさんの女王さま…いいかも…」
  たちまち怪しげな妄想に浸るワイド。だらしなく開い
た口元からツウとヨダレが落ちる。
「ふふふ、やはり、いいと思うかしら?」
 嬉しげに笑うドリン。勘違いもここまでくれば喜劇である。もちろん、ワイドが想像しているの
は王冠をかぶった彼女ではない。
 しかし、つくづくサリナというのは狡猾な女である。サギもここまでくると、居直り強盗のような
感じがしてくる。そして、被害者のドリンがまるでそれに気が付いていないのがおかしい。
「さあ、ドリン。女王さまになりたいなら、とっととこの子達に言うことを聞かせて」
 鼻で冷笑しながらサリナが手を打った。軽い拍手が飛ぶ。それでほころんでいたドリンの顔
が急に引き締まった。
「そういうわけよ。私にも運が向いてきたというわけ。百五十年ぶりに娑婆に出て、こんなオイ
シイ話が待っているとはね。だから、全力であなた達をねじ伏せることにするわ」
  そう言いな
がらドリンは腰のレイピアを抜いた。瞬間、爽やかな風が剣から巻き起こる。ドリン
は風の魔法
戦士と言われていた。剣技を自在に操る以外に、風の精霊魔法も使いこなす。
「ふん、このミリアを舐めてもらったら困るね」
 苦々しくドリンに視線を合わせながら、ミリアは両手の拳を握り締めた。相手はフル装備なの
に、こっちは鎧も剣もない。状況は圧倒的に不利だが、とにかく戦うしかない。
「なら、いくわよ」
 両者との距離は一気につまる。そして一度にすさまじい殺気が辺りを支配した。ドリンとミリア
の二人はお互い相手に向かって突進する。
「死ねっ!このクソエルフめ!」
 ミリアの汚い暴言が飛ぶ。それを合図にして、ドロ沼のように果てしない戦いがここに幕を開
けたのであった。


「炎よ、刃となりて、敵を刻む剣を形づくれ。ファイア・ブレード!」
 ワイドが両手を高々と上げて叫ぶと、両手の手のひらから炎が吹き出した。それは一本のロ
ングソードの形を作り出す。
「ねーちゃん、これ使え!」
 炎で作られた剣が実体化すると、ワイドはそれを手にとって、ミリアの目の前に投げてよこし
た。
「サンキュー!これでなんとかなるよっ」
 素早くミリアは剣を受け取ってドリンの突撃に備えた。拳による戦いはどうしてもリーチの差
がついてしまう。どんな形にしろ、剣があれば、本職の剣士は魔法剣士にヒケはとらない。
「あら、ワイド。ミリアと呼吸もピッタリじゃないの。アンタ達、いい夫婦になれるわよ」
 椅子に座って細い紙巻きタバコをくゆらせているサリナが微笑した。
「そ、そんなんじゃない!もう、かーちゃんでも許さないぞ」
 口をヘの字にしてワイドはサリナへ向き直った。この最悪の女王さまエルフは、戦闘にも参
加せず、悠々とタバコを吸い続けている。本当に、女王さまという雰囲気である。
「あら、そうなの。まあ、お手並み拝見といこうかしら。ヘンリー、ちょっとワイドと遊んであげなさ
い」
「おう」
 ワイドは後に大きな気配を感じて振り返った。そこには父親のヘンリーが、ハーフ・プレートの
鎧を装備し、巨大な両手持ちの斧を持って突っ立っていた。
「げっ、とーちゃん、マジか」
 ワイドはあわてて身構える。残念ながら、こっちには装備がなにもない。もともとワイドは魔術
師なので、肉弾戦にはまるで向かないのである。辛うじて自分の身を守るくらいの体術は身に
つけているが、とても本職の戦士と戦って勝てるレベルのものではない。
「おう、ワシは本気じゃ。丁度いい機会じゃ。いっちょうお前に武器戦闘のやりかたを教えてや
ろう」
 そういうと、ヘンリーはワイドの目の前に一本のスタッフを投げ出した。
「あっ、オイラの杖」
 それはワイドが愛用しているマジックロッドだった。基本的に魔法をかける時に使う補助の杖
だが、殴られると相当痛いシロモノである。
「お前はワシにとって初めての男の子だったのに、とうとう戦士にはなってくれなかったな。しか
し、今からでも遅くはあるまい。ワシがみっちりと、武器の使い方を仕込んでやる」
 ヘンリーはうれしそうに笑いながらそう言った。この男も勘違いがはなはだしい。サリナは遊
んでやれと言ったが、ヘンリーが本当に遊ぶとは思わなかった。
 剣士の彼にとって、剣の稽古をつけてやることは、親子のキャッチボール程度の感覚であ
る。こんなことをやっていては、ワイドを相手にする意味がない。
「ふはは、さあ、かかってこい!」
 特大のグレートアクスを構えてヘンリーはワイドを促した。本当に心から嬉しそうである。
「くそっ!いくぜ、とーちゃん!」
 ワイドはスタッフを握り締めるとヘンリーに向かって突撃をしていった。しかしあっさり弾かれ
て地面に転がる。
「どうした、ワイド。そんなことではこのワシは倒せんぞ」
「なんの、まだまだ!」
 ほとんど緊張感がなく、親子の戦いは始まっていった。何しろヘンリーは別に本気ではない。
この男が本気を出したら、軍隊の一師団くらいは壊滅させることができる。たかが魔術師のワ
イドが肉弾戦でかなう相手ではない。
 しかしヘンリーはとても嬉しそうに息子に稽古をつけていた。彼は戦ってさえいれば幸せなの
である。
 そんな夫の様子を、啣えタバコで見守っていたサリナは、チラリともう一方の戦いに目をやっ
た。結婚式場となる大ホールの開きスペースでは、相変わらずミリアとドリンの死闘が続いてい
た。
「うぉりゃあ!」
 めずらしく片手剣を持ったミリアは、ドリスの裾を引きずりながらも、すばらしく早い連続攻撃
をドリンに食らわせていた。一撃、二撃と炎の剣がドリンに切り掛かる。
「あっ…あっ…」
 顔を青ざめさせながらドリンは必死でそれを受けとめていた。一度に五回の攻撃をミリアは
繰り出してくる。いくらドリンが剣と魔法の両方に長じていても、本職のファイターにはかなわな
い。
 ようやくのことで五回の攻撃を受け流すと、ドリンは息を継いで、ミリアに対して切りかかっ
た。
「行くわっ!」
 ひらり、と身体を横に開いて、ドリンはミリアの間合いに踏み込んだ。細身の剣であるレイピ
アが華麗に舞う。その刀身はわずかに風の幕でおおわれていた。灰色エルフ族の宝である魔
法剣ウインドレイピアは一度に三回の攻撃を可能とする。鋭い突きがミリアを襲った。ドリンは
間合いに飛び込み、強かにミリアを激しく突いた。
「その程度?」
 余裕の表情たっぷりでミリアはドリンの突きを回避する。ドリンの顔には汗が浮かび始めてい
た。いくら世界を戦乱に巻き込んだ英雄でも、魔法剣士は魔法剣士なのである。もちろん、こ
れは、ミリアが腕前だけでは一流の剣士ということもあるだろうが。
「ちょっと、ドリン、どうしたのよ。そんなことじゃ、アナタに女王さまの位は渡せないわよ」
 友人の腑甲斐ない戦いぶりに対して、サリナの発破が飛ぶ。
「サ…サリナ。あんたの子供たちって、こんな強いの?そんなこと、聞いてなかったわよ」
 全身を汗でびっしょりにしてドリンは荒い呼吸を継ぐ。そりにひきかえ、ミリアの方は汗一つか
いていない。
「何言ってるの。強いからこそ、アンタを復活させたんでしょう。簡単に女王さまになろうなんて、
虫が良すぎるわよ」
 ふう、と香辛料臭い煙をサリナは吐き出した。そして灰皿に灰を落とすと、またタバコを啣え
て観戦モードに入る。
「こ…このままじゃ私は負けるわ。サリナ、魔法を使わせてもらうわよっ」
 そう言っている間に、今度はミリアの反撃が来た。今度は六度の攻撃がドリンを襲う。「それ
それそれっ!」
 片手剣を軽快に操りながら、ミリアが間合いに飛び込んでくる。ミリアは本当は両手剣を使っ
て、一撃で相手を粉砕する戦法が得意である。しかし、片手剣を使ったスピード攻撃も苦手で
はない。
「きゃぁぁぁ」
 最後の六度目の攻撃を避け切れず、ドリンの胸のプレートを、ミリアの剣が強かに叩いた。
鈍い金属音がして、ドリンはもんどりうって引っ繰り返る。
「ぐっ…」
 幸い、致命傷にはいっていない。しかしダメージは大きかった。片膝をついて苦痛で顔を歪ま
せながらドリンは必死で苦しみに耐える。
「いくよっ、止めだっ!」
 タタタタとハイヒールで駆け付けながら、ミリアは剣を身体の前方に構えた。その瞬間、ドリン
は自分のレイピアを前に突出し、何やら魔法語のようなものを唱える。
「ウインド・バルカン!」
 すると、剣先から、いくつもの空気の固まりがミリア目掛けて飛んできた。それは、まさに空気
の弾丸だった。
「げっ」
 予想していなかった攻撃が直撃し、こんどはミリアが体勢を崩す。一度に十数発もの空気の
固まりが命中したのだ。ダメージも大きい。
 さすがは風の魔法剣士ドリン・カ・ムである。風を操っては当代一の呼び声が高い魔術師だ。
さしものミリアも怯んで身構える。
「トライアングル・カッター!」
 続いてドリンはレイピアを構えると、正三角形の形を描くにして、剣先で空間を切り払った。す
ると、一瞬だが室内に風が巻き起こる。
「ぐはっ!」
 ミリアの頬と首筋がパックリ裂けた。大きな切傷がそこに開いていた。ドリンの放った風の刃
がミリアを傷つけていたのである。
「や…やるじゃないの…」
 首筋の傷を左手で押さえながら、ミリアはドリンと正面きって対峙する。物凄い殺気が二人の
間には流れていた。こうなれば喰うか喰われるかの戦いである。
「私もフィルデ四天王の一人よ。舐めてもらっては困るわね。まあ、所詮、剣は魔法の敵ではな
いということよ」
 自分が剣で負けたことを取り繕うかのように、自信満面でドリンはミリア向かってそんな悪態
をついた。
「ふん、中途半端な剣しか持たない女が何をいうかな。ようし、いいだろうさ。かーちゃんの友人
だから、少しは手加減しようと思ったけれど、もうこうなったら手加減しないからね」
 憮然とした面持ちのままで、ミリアは剣を構えた。今や優位に立ったドリンは、嬉しそうにこの
ハーフ・エルフの戦士を見下ろしている。
「いいよ、かかって来たらどうだい?どうせ魔法を使うんでしょうが?最高の魔法で勝負してみ
なよ」
 大胆不敵にもミリアはドリンに向かってそんな言葉を吐いた。ドリンの形の良い眉がわずか
に歪む。
「そうね。じゃあ、半死半生になる程度にフッ飛ばしてあげるわ。私の最強呪文のウンド・バズ
ーカでね」
 ギリギリと怒りに歯を食いしばると、ドリンはレイピアの剣先を、再度ミリア向かって突き出し
た。左手を腰に当て、右手一本で剣を突き出すと、ドリンは呪文の詠唱を始める。
「偉大なる風の精霊王に告ぐ。我が剣にその力を宿らせ、そして全てを打ち砕く力を与え給え
…」
 少し長めの呪文詠唱は続いていた。呪文は大技であればあるほど、複雑な詠唱を必要とす
る。その間は魔術師にとって一種の隙となることが多い。
「かかったな!」
 ミリアは一声叫ぶと、やおら身体の正面に向かって足を蹴り上げた。長いフレア状のスカート
がはためく。そして、ミリアの足先からは、あのハイヒールが脱げて、一直線にドリン向かって
飛んでいった。ミリアの馬鹿力で飛ばされたハイヒールは、うなりを挙げて空中を突き進んでい
く。
「きゃあ!」
 コーンと鈍い音がして、ドリンの額にハイヒールが命中した。見事にヒールのカカト部分が突
きささっていた。
「あ…」
 そのままズルズルとドリンは地面に崩れ落ちる。情けないといえば情けない。しかし、実際、
ハイヒールをまともに食らうと、とてつもなく痛いのである。
 こうして風の魔法剣士ドリン・カ・ムは敗北した。片一方では相変わらず、ヘンリーとワイドの
お遊戯が続いていた。この二人は放っておいても問題はないだろう。となれば、残りはやはり、
一番の強敵だけである。
「仕方ないわ。やはり、わたしがやらなければならないのね」
 短くなったタバコを灰皿に押しつけると、サリナは気怠そうに立ち上がって背伸びをした。
「ヘンリー、今何時かしら」
 何気なく、サリナは傍らで戦うヘンリーの方を向いた。ヘンリーは右手でワイドをあしらいなが
ら、左手を胸元の時計にやる。
「十時前じゃ。あと二時間で結婚式じゃ」
「そう…なら、その前に片づけてしまわないとダメね」
 さも、それが当然というふうに言うと、サリナは手の関節をポキポキと慣らした。顔には不気
味な薄ら笑いが浮かんでいる。もう、かなりのレベルで本気になっていた。
「とりあえず、死なない程度に終わらせてあげるわ」
 恐ろしいことを軽く言うサリナ。全身を黒いドレスに身を包んだその姿は、まさに死の女王とも
いうべきことに相応しかった。

(続く)その9 余計な来賓祝辞