その9 余計な来賓祝辞


「さあ、あまり時間がないから本気でやらせてもらうわ」
 立ち上がると、少しドレスの胸元を気にしつつ、サリナは今日の予定新婦を見た。ミリアのド
レスは首筋の部分が自身の血で汚れていた。しかし元の色が紫なので、それほど目立って見
えていない。
「着替えの時間も残しておいてあげないとね。そんな格好で結婚式をあげたら、いくらミリアでも
かわいそうだから」
 思いやり、というには、あまりにも自分勝手な発言が飛ぶ。
「どうしても、あたしとワイドを結婚させる気なのかい?」
 ミリアは真顔でサリナを正面から見据えた。さも、当たり前という風に、彼女は頭を縦に振
る。
「当然よ。というか、それしか方法がないのよ。わたしが純血エルフの赤ん坊を手に入れるた
めにはね」
「どういうことだよ?少しとーちゃんから聞いたけれど、なんでかーちゃんは純血エルフの子供
が欲しいんだよ。やっぱり、悪魔召喚の材料にでも使う気なの?」
 少し引っ掛かっていたことをミリアは口にする。ヘンリーはそれが何か魔術に関係しているの
ではないかと予測していた。サリナ・ル・ラ。その実力はエルフ一族全体から見ても、三本の指
に入るほどのものである。悪魔や古代の魔神の召喚も不可能ではない。
「ああ、そのことね。みんな、同窓会が悪いのよ」
「は?同窓会?」
「この前、ガルメシア王国で、魔法学校の同窓会があったのよ。そうしたら、みんな、エルフの
孫を連れてきているじゃないの。それがもう、羨ましくて羨ましくて…」
「んがっ…」
 なんてことだ。思い切りミリアは足を滑らせてズッこけていた。
「あの時からわたしは堅く決意したわ。孫なら絶対純潔エルフだって。でも、わたしの子供は全
部ハーフ・エルフだから、純潔エルフの孫が生まれる可能性はほとんどないのよ。そこで、閃い
たのがアンタ達のことだったのよ」
 前にも述べたが、ハーフ・エルフは血液型のABのようなものである。基本的に人間とエルフ
の間に生まれる中途半端な種族である。純潔エルフはこの半端な種族の存在を極端に嫌う。
したがってハーフ・エルフはたいてい人間の間で成長する。そしてたいていは人間と結婚するこ
とになる。そうなるとその間に生まれる子供は、人間かハーフ・エルフしかなくなる。
「わたしも孫は何人かいるはずだけれども、それはエルフじゃないのよ。ハーフ・エルフ同士な
ら、1/4の確立でも、エルフの子供は生まれてくるわ」
 それなら、結婚相手にエルフかハーフ・エルフを探せばいいだろうという話だが、そうもいか
ないのが現状である。まず、たいていのエルフは人間を嫌っている。だから、人間と結婚する
エルフがそもそもほとんどいない。また、そうやって出来たハーフ・エルフの数もかなり希少で
ある。ミリアも百五十年生きてきて、自分の一族以外のハーフ・エルフを見た事は数度しかな
い。
 ならば自給自足。
 そういうヤバい考えに、サリナとしては落ち着いたわけであった。別に姉弟の婚姻でも、エル
フの感覚では全然問題ナッシングである。しかし、本人たちとしてはたまったものではない。
「だから、どうしてもアンタ達には結婚してもらって、わたしにエルフの孫を与えてくれなければ
ならないのよ。この当然すぎる理屈がわかったかしら?」
 この場合、当然というのはサリナの側からだけ見た理屈である。しかも、私利私欲に塗れた
発想である。
「ああ、よく分かったよ。そんな理由であたしはワイドと結婚させられるのか」
 忌ま忌ましい、苦々しい、怒り、呆れの全部が交じった気色の語調でミリアは大きくため息を
つぐ。
「そう、わかったわのね。じゃあ、結婚式を始めましょうか」
 ミリアの言葉尻をとらえて、サリナは強引に、凄味の効いた顔で笑う。わかった、というのと、
了承した、というのは基本的には違う。
「ちょっと待てい。あたしは理屈を理解しただけで、納得はしていないぞ!」
 さすがの馬鹿ミリアでも、すぐにそれがおかしい言葉であることには気が付いた。危ないとこ
ろであった。うかうかと丸め込められるところであったわけである。
「あら、そうなの。まったく困った娘ねえ。仕方ないわ。ここは一つ、オシオキしてあげないとい
けないかしら」
 サリナはパチンと腰のベルトを外した。ストンとスカートが落ちる。ドレスの下は。真っ黒なハ
イレグのスーツになっていた。しかも、右手には痛そうなムチを持っている。
「くそう。何がオシオキだ。いくらかーちゃんでも、もう許さん」
 八重歯を突き出して怒鳴り立てると、ミリアは手にしていた剣で、ドレスのスカートのひざ下を
ビリビリと破いた。その切れ端で、長くて邪魔になっている髪の毛を後頭に縛り付ける。片方だ
け残っているハイヒールも脱ぎ捨てた。たちまち、オンボロ戦士のミリア・カジネットが復活す
る。
「こうなりゃ、アタシとしても本気にならざるを得ないね。全力でかーちゃんを倒させてもらうぞ」
 ワイドが作ってくれた炎の剣を構え、ミリアは母親との間合いを詰め始めた。ギラギラと指す
ような視線をサリナが放つ。スゴイ迫力が両者にはあった。単純なパワーの恐さと、人間的な
迫力の恐さ。その相反したものが二人の空間の中でぶつかり合っている。
「わたしを倒す?ふふ、なかなかおもしろいことを言うじゃないの。この天才魔術師サリナ・ル・
ラに逆らうとはね。やっぱりミリア、あなたは所詮お父さんの子なのね。わたしに似たら、そんな
馬鹿なことを言わなかったでしょうに」
 遠回しに自分の旦那を馬鹿といってるが、ヘンリーは相変わらずワイドとの遊びに夢中で、ま
るでそのことに気が付いていない。ドリンは相変わらず部屋の片隅で伸びている。ある意味、
緊張感のあるのは一部分である。「あたしが馬鹿だって?ふん、確かにそうかもしれないけれ
ど、今のかーちゃんの方がよっぽど馬鹿だよ。別にいいじゃないか。そんなにエルフの孫が欲
しかったら、とーちゃん以外のエルフの男と浮気でもして作れよ」
 まるでゴーレムでも作り出すかのように、恐ろしいこと平然と言った。その考えもかなり馬鹿で
はある。
「そんな悠長なこと言っていられないわ。わたしはすぐに孫が欲しいの。というわけでミリア、あ
んたには犠牲になってもらうわ」
 もはやエゴというには凄すぎる身勝手ぶりを発揮して、サリナは力強く言い放った。両者の殺
気はますます強くなった。もはや戦いが避けられないところまで来ているのは明白である。
 サリナは両手を前に突き出した。右手の手のひらの甲には火の精霊の紋章、左の手には水
の精霊の紋章が刻んでである。
「ファイア・ウェポン!」
 サリナが呪文を口にすると、右手に持っていたムチが、たちまち魔法の炎につつまれた。
「ウォーター・シールド!」
 すると左手には、薄い水の幕で作られた、通常の盾ほどの防御壁が表れた。丁度手首の辺
りにそれは装着される。水がまとわりつくように楯が装備された。火と水。二つの相反する魔法
を同時に使えるのが、天才魔術師サリナ・ル・ラの特徴である。個人の戦闘力は突出している
わけではないが、魔法で強化もできる魔術師。こういうタイプはかなりやっかいである。
「さあ、あと三十分でケリをつけてしまうわ」
 炎の燃え盛るムチを手にして、シールドを構えながら、サリナは傲然としてミリアに言い放っ
た。しかしミリアは怯まなかった。気が強いところは完璧に母親譲りである。
「本当にそううまくいくかな?かーちゃん、あたしがただ地下牢でぼんやりしていたと思うなよっ」
 自信有りげにミリアも笑いを返す。カラカラとオヤジによく似た笑い顔と声が響く。しかしそうし
ていながらも、ミリアは窓の外にチラチラと視線を送っていた。外は抜けるような青空が広がっ
ている。
 その一角、視線の片隅に、小さな旋風のようなものをミリアは見付けた。それはだんだんとこ
っちに近付いてきている。
「来たなっ!」
 ホールの壁に連なる巨大な窓ガラス群。その一枚を目指して旋風がつっこんでくる。
「えっ?な、なに?」
 あわてて横を向くサリナ。次の瞬間、ガラスの割れる音がして、つむじ風がホールの内側に
つっこんできていた。


 大きくガラスの破砕される音が響いた。壊れた窓枠の破片がホール中に飛び散っていく。整
然としていたホールは、たちまち乱雑に、ゴミとガラスに埋もれてしまう。
「ふう、やっと付いたか。おや、どうやらみんな、揃っているみたいだな」
 爽やかな顔の男は、壊れた窓から差し込む光を背後に受けて爽快に笑った。笑うとキラリと
歯が光る。そのいでたちは黒いスーツにスラックス。背中には深紅のマントがひるがえる。
「じーさん、やっと来たね」
 グッド、というばかりにミリアは親指を立てる。
「ははは、もちろんだぜ。こんなおもしろいイベントを放っておくものか」
 確かに結婚式はイベントの一つである。しかし、それがおもしろいというものかどうか。少なく
とも、ミリアにとっては全然おもしろくない。
「あ…あんた。あの時冷凍にしたナンパな馬鹿男だわね」
 驚きの表情を顕にして、サリナは身構えた。まだ、解凍は終わらない時間のはずである。と
いうより、なんでこの男がここに来ているのかさっぱりわからない。
「そんな酷いことを言うなよレディー。オレのハートは君にゾッコンさ」
 頭の悪いセリフを言うと、ヤードはサリナの手をぎゅっと握り締めた。
「あちちち!」
 そして絶叫と共にあわてて手を離すサリナの手は燃える火の精霊が宿っているのだ。普通に
考えたら熱くてたまらないはずだ。
「ふう、熱かったぜ。燃えるキミの思い、確かに受け取ったよ」
 馬鹿もここまでくると立派である。その場にいるほとんどの人間が、冷ややかな眼でヤードを
見つめていた。
「おい、ちょっとまて…お前、もしかするとワシのオヤジか?」
 茫然として見守っていた筋肉ダルマヘンリーが、まさか、という口調でヤードの頭から爪先ま
でをジロジロと覗き込む。全身黒ずくめのホスト・スタイルは、記憶しているヤードの姿にそっく
りだ。
「よう、ヘンリー。やけに老けたな」
「な、なんでお前は老けてないんじゃ」
「この前やっと封印が解けて、娑婆に戻ってこれたのさ。さて、ここで会ったが百五十年目だ。
サリナを賭けて、お前に勝負を申し込むぜ」
 ますます事態を混乱させるようなことを言うと、ヤードは腰の細身のロングソードを抜いた。
「げっ、それはシャープソード。どうやら、本物のオヤジらしいな」
 ヘンリーは凄味のあるドスの効いた声で言い捨てた。ヤードの持つ細身のロングソードはシ
ャープソードと呼ばれていた。実に名剣で、ほとんどの物をシャープに切り裂いてしまう。この剣
を持つのはヤード・カジネットただ一人のみである。
「よかろう。また、脳天をこのグレートアクスでカチ割ってくれるわ。表に出ろっ!」
「望むところだっ。このヨボヨボめ。お前になんかサリナは合わないんだよ!」
 そう言いながら、なぜか父親の方が年下に見えるというこのおかしな親子は、剣とグレートア
クスをカチ合わせながら、ホールの外に転がり出ていった。そして、たちまち外では激しい戦い
が繰り広げられ始めた。
「なに、ミリア?ひょっとして、あれ?お義父さんなの?」
 訳のわからない展開に唖然としながら、サリナは外に転がり出ていく二人の男たちを指差
す。
「うん、まあ、どうやらそうらしい。せっかく結婚式に招待しても、着いた途端にとーちゃんと喧嘩
していたら意味がないや」
 外では早くも男たちの暑苦しい激戦が始まっていた。ヘビーファイター対マジックファイター。
どう考えても、親子としての共通点が無い二人が戦いを繰り広げている。
「ね、ねーちゃん。大丈夫か?」
 ヘンリーとの模擬戦でフラフラになっていたワイドがミリアの傍に駆け寄った。ワイドを救えた
ということを考えれば、ヤードを呼ぶ作戦は成功したというべきだろうか。
「ああ、大丈夫さ。かーちゃん、これでこっちは一対二だ。いくぞ、ワイド。かーちゃんを倒すん
だ」
「う、うん」
 勢いに押されてワイドも返事する。しかしその言葉には覇気がない。ワイドはミリアほど気が
強いわけではない。それに、やはりサリナは恐い。
「馬鹿ね、アンタ達。このアタシに二人がかりでなら勝てると思っているの?」
 ゆらり、と胸元を揺すってサリナは哀れみを含んだ目付きで二人の子供たちを見下ろした。
「だいたいねえ、なぜこのわたしが百五十年前の戦いで、闇の軍勢にも、人間軍勢にも協力し
なくて済んだか知っているの?」
 百五十年前の世界を巻き込んだ大戦争。ヤードやドリンは闇の側に立って戦った。しかし、ミ
リアの母親のサリナは完璧に中立を貫き、どちらにも手を貸すことがなかった。
「それはね、わたしが闇皇帝フィルデより、この世の誰よりも遥かに強いからよ」
 恐るべきことサリナは言った。しかし、一概に嘘とも思われなかった。確かに、サリナというエ
ルフの実力はそれだけのものがある。
「あの闇皇帝フィルデでも、扱えた精霊は光のモード一種類。二つのモードを同時に使いこな
せるのは、このわたしだけなのよ」
 右手に火の精霊。左手に水の精霊を従えてサリナは笑う。ここまでくるど、本当の闇皇帝と
はこの女のことだったかもしれないと思えてくる。
「さて、それじゃあ、かわいそうな友人でも甦らせてあげようかしら。ウォーター・ヒール!」
 サリナが左手を、角の方で倒れているドリンにむかって突出した。すると、手のひらから生暖
かいミストがあふれだしてドリンを包んだ。
「う…ううん…」
 その直後、額に突きささったハイヒールを振り払ってドリンが起き上がる。ハイヒールによって
致命傷を負った彼女は、水の魔法によって回復した。
「ドリン、これであんたに貸し一つよ。さあ、とっととわたしの護衛に回りなさい」
「わ、わかったわ」
 恐怖の表情で、あわててドリンは立ち上がった。かつての闇の軍団の四天王をアゴでこき使
う女サリナ。その実力恐るべしである。「あなたの実力ではミリアに勝てないことがわかった
わ。仕方ないから、ワイドの方を片付けて頂戴。わたしはミリアを片付けることにするわ」
 あまりにも冷徹な指示をサリナはてきぱきと行なった。ドリンは何も言わず、再度剣を抜き放
つと、ワイドの方に向かって戦闘体制を取る。
「ワイド、あの弱っちい四天王は任せた。あたしはかーちゃんを倒す」
 緊張感を持続させたまま、ミリアはワイドの耳元でささやいた。ワイドも言われるままに首肯
いていた。カジネット家の女性はやはり強い。こういうときにリーダーシップが取れるか取れな
いかで全ては決まる。
「行くよっ、かーちゃん!」
 ミリアは剣を構えるとサリナに向かって突進した。いよいよ最後の戦いである。まさに敵は大
悪魔である。
 ミリア対サリナ。ワイド対ドリン。そしてホールの外ではヘンリー対ヤードという、まさに三つ巴
の戦いが、こうして幕を開けたのであった。

(続く)その10 そして、疲労宴