その2 すんばらしい変装のこと


「あ!思い出した!セイネね、うん。確かにあいつはあたしの妹だ!」
 悩み続けること12時間と34分。もはや夜も白み始め、酒場には泥酔者のみが転がるように
なった時刻。ようやくミリアはセイネという者を思い出した。
「あたしの二番目の妹で、職業は踊り子。いや、よかった、ようやく思い出せたよ」
 いかにも嬉しそうに大口を開けて笑うミリア。その横ではゲンブが徳利を傾けてポン酒をチビ
チビと傾けていた。代金はもちろん、さっきエスナからもらった金貨である。
「踊り子とは、また、貴殿の妹には似合わない仕事だのう」
 少し赤ら顔になったゲンブが酒をあおりながら呟いた。これで徳利も120本目が空である。
「まあ、昔からヘンテコな妹だったからね。百年ほど前に『可愛い男の子を捜す』って家を飛び
出したままそれっきりよ」
 人間とはまるで違う時間軸を平然と言い放つと、ミリアはカウンターで疲労困憊しているマス
ターに向かってパチンと指を鳴らした。
「マスター、ラムを一丁」
 やがて、へろへろになったマスターがラムの瓶を持ってやってくる。昨日から飲み続けてこれ
で瓶も52本目。たいがいにしておけという量の酒を二人で飲んでいる。
「あとは、そのセイネ殿とやらの行方を掴んで、この皇子とやらを取り返すだけか」
 ゲンブが机の上に広げられた手配書に視線を落とす。インク画だがかなり精巧に、少年の顔
が描かれている。くるくる巻き毛の可愛らしい、子供っぽい顔立ちだ。大きな丸い眼が特徴の、
ちょっと見たら女の子のようにも見える。
「そいつがセイネのさらった皇子とやらかい。どれどれ、ああ、なるほどね。こりゃあ、セイネが
欲しがるわけだ」
 ミリアは手配書を見て苦笑した。乾いた笑いが鼻から漏れる。
「なにゆえ、なるほどなのだ?」
「セイネには昔からちょいとやばい趣味があってね。酒より美少年が大好きなんだよ」
 かなり比較にならない対象を出してセイネの危険さを主張すると、ミリアはラムの瓶をラッパ
で銜えてイスの背もたれに背中を預けた。
「何しろ、踊り子になったってのも、世界を旅して美少年をかき集めるような訳でさ」
「ほとんど悪の大魔王みたいな人物だな。さすがは貴殿の妹だけはある」
「おいおい、そう誉めるなってば」
 遠まわしにに馬鹿にされたことも気づかず、頭の悪いミリアはゴクゴクとラムの瓶を飲み干し
て空にした。
「それで、セイネ殿とやらの行き先に心当たりはあるのか?」
「いや、全然、ない」
 しれっと言い放ったミリアに対し、期待を抱いていたゲンブはもろに顔をテーブルに打ち付け
た。
「では、考えるだけ無駄だったわけではないか」
「まあ、そう言わなくてもいいじゃないか。あたしもどうもひっかかっていたんだ。セイネっていっ
たい何者かってね」
 普通、自分の妹の存在を忘れる奴はいない。
「ともあれ、拙者達はこの少年を捜さねばならんな」
 真面目な顔で口を一文字に結んでゲンブはイスから立ち上がった。金貨一万枚。さすがにそ
れはなんとかして欲しい。
「そうだねぇ。セイネを探すよりはこの少年の行き先を探した方がよさそうだ」
 ゲンブの残した徳利を取ってミリアはゴクゴクと一気に呷った。どれだけ入るのか解らないウ
ワバミぶりである。
「よし、ここは拙者にまかせておけ」
 針金のようなナマズヒゲを捻りながら、ゲンブがポンと自分の胸を叩いた。
「おっ、何かいい考えでも浮かんだってぇの?」
 期待に満ちた顔でミリアが目をきらきらさせた。貧乏はしているが、ゲンブの頭はよく切れ
る。
「ふふふふ、拙者はただのアル中のサムライではないぞ。よいか、ミリア。拙者が今から言う品
物を買ってくるのだ」
 ゲンブは懐から短冊と筆を出すとすらすらとなにやら書き付けた。それを受け取るとミリアは
素早く走り出していった。


「おい、本当にこんなんで皇子が捕まるってんの?」
 怪訝な顔でミリアは手に持った扇を仰いだ。季節は初夏。そろそろ日中の暑さが厳しくなって
きている。額にはじんわりと汗がにじんでいた。
「間違いない。拙者の軍略に不正解はないのだ」
 巨大なウサギの着ぐるみに身を包み、ムサい中年面を露出させて、ゲンブは暑苦しく息を継
ぐ。
「まあ、涼しくていいか」
 金ぴかのメッキが張られた趣味の悪い扇でミリアはぱたぱたと風を送る。ミリアの方は着ぐる
みではなくて、バニーガールのいでたちをしていた。源には蝶ネクタイ。黒いボディスーツに紺
色の網タイツ。そして足にはブーツという王道ぶりである。しかし、プロポーションがいまいちな
ので、あまり色気はないが。
「拙者もそっちの方がよかったわい…」
 初夏の暑さに照りつけられてゲンブがあえぎながら恨めしそうにミリアを横目で見やる。
「ふふふ、ジャンケンに勝ってよかったよ。着ぐるみもバニースーツも一着ずつしか売ってなか
ったからね」
 そういう問題ではないようなことを平然と会話しながら二人は町を練り歩いた。白昼から、バ
ニースーツとウサギの着ぐるみ姿。かなり異様な光景に、町の人たちは慌てて逃げ出して姿を
隠す。
「しかし、いつまでこうやっていればいいんだよ?」
 色気もなく熱そうにぼりぼりとタイツの上から尻を掻きながら、ミリアは多少うんざりした調子
で息を継いだ。
「そんなもの、皇子がおびき出されてくるまでだ」
「まったく、アイディアはナイスだけれど、しんどいもんだね」
 決してナイスとは思えない作戦を頭悪くも褒め称えながら、二人は港の方向へ足を向けてい
った。
 ゲンブの作戦はこうであった。手配書を見れば、アレクサンドル皇子はウサギが大好きと書
いてあった。ならば、好物のウサギでおびき出そう。愚かにもそう考えたゲンブは、さっそくバニ
ースーツと着ぐるみを買ってこさせた。
 しかし、両方とも一着ずつしかなかったので、はじめはどちらがバニースーツを着るかという
論争が起こった。平和的にジャンケンで決着が付き、ミリアの方がバニースーツを着ることとな
った。こうして、おぞましい光景はなんとか避けられたのである。
 二人の変態はノシノシと波止場の方に向かっていった。ファウド大陸随一の港町であるガダ
ルには、各地からの船舶が集まり、活気のある様相を呈している。
「ぐわっ、なんだ、ありゃ!」
 二人が歩いていくと、積み荷の上げ下ろしをしていた水夫達が一様に手を止めて悲鳴を上げ
た。まあ、当然の反応である。人をおびき寄せないで追い払っているあたり、作戦としては完全
に失敗である。
「ふう、疲れた。そろそろ昼飯にするかのう」
「そうだねぇ。一つ、海風にでも吹かれながら食事としゃれ込もうか」
 二人は足取りを岸壁に向けた。まるで波を分けるモーゼのごとく、水夫達が両側に離れてい
く。あっという間に開けてしまった岸壁に腰を下ろすと、ミリアとゲンブは足を投げ出して腰を下
ろした。海からは涼しい風が吹き付けてくる。水平線に、かすかに大きな大陸の影が浮かんで
いた。海の向こうがレオリア共和国とバランヒルト帝国の熾烈な戦いが続くアルモラード大陸で
ある。
 ゲンブがごそごそと懐から朱色の棒を何本か取り出してミリアに渡した。いわゆる、人参であ
る。それをぶっきらぼうに受け取ると、ミリアは仏頂面でボリボリかじり始めた。もちろん、生で
ある。
「せっかく金がはいったのに、また野菜かじりか。まるでこれじゃあウサギだよ」
 かじる音も軽やかに、かなりウサギっぽい食し方でミリアは昼飯を食い始めた。これが今日
の弁当である。どこがしゃれ込んだ食事なのであろうか。
「まるでウサギ、ではない。拙者達はウサギなのだ。ウサギに成り切らねばならん。ウサギにな
りきらんと、皇子をおびき出せないぞ」
「ああ、そっか」
 周囲の人間が、「頼むから、本当のウサギになってどこかに消えてくれ」と心中で絶叫をして
いるのも知らず、二人は生の人参をどんどん平らげていった。これは市場の安売りコープで十
本で銀貨一枚。まあ、その程度のどうしようもない昼飯である。そんな訳で、生野菜をしっかり
と平らげ、食休みに二人はぼんやりと水平線の向こうに目をやった。雲のようにかすかな海の
向こうに、こことは違う大陸の姿が浮かぶ。
「この町で皇子が見つからなければ、向こうの大陸に渡らねばならんな」
 暑さで顔を汗びっしょりにしてゲンブが呟いた。海の向こうの大陸は南方である。当然、ここ
よりは暑さも上である。
「拙者も、もう一着バニースーツを注文しておいた方がよさそうだ。こんなに熱くては着ぐるみで
はたまらん」
 どっちかというと、見る方がたまらないビジュアルを連想させると、この迷惑な二人は腰を上
げた。
「やれやれ、気長に行くしかないねぇ。エスナからもらった金もあるから、まだ2、3日は暮らそう
だよ」
 昨日エスナがくれた金貨は百枚。普通に暮らせば一月くらいは十分持つはずの金額である。
どう考えてもおかしい金銭感覚でこれからの生活を計算すると、ミリアとゲンブは立ち上がって
倉庫街の方へ歩いていった。
 波止場には倉庫が建ち並んでいる。時折、柄の悪いような連中もたむろしているが、ゲンブ
とミリアの姿を見るとたちどころに姿をくらます。それだけ二人はガダルの町でも実力があるの
だが、今の外見はまるで不相応である。
「やめて、やめてよ!ウサギさん、助けて!」
 二人が倉庫街の随分奥まで来た時である。不意に耳をつんざくような少年の悲鳴が鼓膜を
突いた。
「むむ、ウサギだと!ならば拙者達の出番だ!」
「ああ、あたしたちはウサギだ。行くぞっ!」
 訳のわからない確認をして両者は顔を見合わせて頷く。そして一気にダッシュしていく。ミリア
はバニー姿なので普通に剣を構えて走っていく。変態のゲンブは四つん這いとなり、ウサギ飛
びでピョンピョン駆けていく。おかしな格好だが結構素早い。
 さっと裏路地を走り抜け、小さな噴水のある広場に出る。予想はドンピシャである。噴水の側
には屈強の男達が数人。全員が上半身裸であり、暑苦しい筋肉美を見せつけている。そして、
そんなマッチョ達に拉致されていようとしているのは、くるくる巻き毛の少年である。
「ちょっと待ったぁ!」
 錆びたオンボロのブロードソードを構え、ビシッとミリアは戦闘のポーズを取った。
「な、なんだ、お前は!」
 突然現れた珍妙なバニーガール姿を見て、男どもは一瞬動きを停止する。その後ろから今
度は着ぐるみのウサギが現れたのを見て、男どもの目は益々点になってしまった。
「ゲンブ、確認してよ」
「ちょっと待っておれ」
 ゲンブは着ぐるみのチャックに挟んでいた手配書を取り出した。そして何度も、捕まっている
少年と比較する。年の頃は12歳。金髪の巻き毛にぱっちりとした可愛らしいまなざし。アレク
サンドル皇子の特徴にピッタリである。
「まちがいない。あれは皇子だ」
 ゲンブの確証で力を得ると、ミリアは右腕に力を込めた。こんな馬鹿でも怪力だから筋肉は
相当着いている。力コブが上腕に盛り上がった。
「おうおう!あたしの一万金貨を横取りしようとは、いい度胸じゃないの!」
 全く身も蓋もない啖呵を切ってミリアは男どもをにらみつけた。皇子ではなく、一万金貨に見
えているあたりがこいつらしい。
「うわぁ、ウサギさん、助けて!」
 男に後ろ手で取り押さえられている少年がじたばたしてあえいだ。薄いローブを羽織り、腰に
短剣を差しただけの服装は、どこにもいる子どもと大差ない格好だ。しかし、あまりにもきれい
な巻き毛と品の良さが育ちの違いを表している。
「まってなよ、一万金貨。すぐあたしのものにしてあげるからね」
 なまくらなブロードソードを体の正面で構え、ミリアは素早く男の実力を見計らった。人数は7
人。普通の人間から見れば相当なレベルであることは間違いない。しかし、こっちはガダルの
町でもワンツートップのコンビである。
「いくぞっ!」
 ゲンブもまた、背中に背負った日本刀を抜きはなって、その束の部分を口でくわえた。ほとん
ど昔の忍者漫画のノリだが、本人は大まじめである。
「むむむ、変態め、返り討ちにしてくれるわ!」
 暑苦しい肉体を見せつけるようにポーズを取ると、男達のリーダーが攻撃の号令を発した。
そして筋肉塊と変態ウサギの、ちょっと他では見られない戦いが始まったのであった。


「ふん!」
 ゲンブは素早く跳躍すると、瞬時に間合いを詰めて、筋肉達の一人の懐に飛び込んだ。そし
てまたウサギ跳びでジャンプする。
「うげっ」
 同時に男の悲鳴が上がる。ゲンブが口にくわえた日本刀の刃が男の喉元を一瞬で切り裂い
た。一撃で男は絶命して地面に転がる。
「クリティカル・ヒットでござる」
 刀を着ぐるみの手に移し、ウサギの着ぐるみのままでゲンブはシブい表情を創った。当たり
前だが全然格好よくない。
「ええと、ひ、ふ、み…金貨二〇枚とは結構持ってるじゃないの」
 既に向こうでは男達四人をブッとばしたミリアが血の海に座り込んで、マッチョ達のズボンを
探っていた。激闘二分半。やや固めのカップラーメンが出来る程度の時間で、あっという間に
この戦闘は終わりである。
「くっ…我々を倒したところで、逃げ切られると思うなよ…」
 血の海に横たわっていた男達のリーダー格が、苦しい息の中から頭を上げる。
「我々の後ろにはあのお方が着いている…常勝無敗、無敵の将軍と言われたあのお方が…」
 苦痛の脂汗を浮かべながら男は喘いだ。
「うるさいよ」
 いい加減にうっとおしくなったミリアはブーツの踵で男の顔を思い切り踏み付けた。
「むぐっ…レ、レオリア共和国とエスナ・デ・リ・ホーゲンドープ閣下に栄光あれ…」
 ミリアに踏まれ、男はそのような台詞を残してガックリと力尽きた。何か、ひっかかるような台
詞である。
「は?なんか言ったか?」
 しかし、そんなものは頭の悪いミリアには届くわけがなかった。哀れ男。思い切り無駄死にで
ある。
「よし、全部で二四金貨か。さてと」
 すべての死体から金を巻き上げると、上機嫌でミリアは立ち上がった。噴水の側では、ガタ
ガタと巻き毛の少年が震えている。
「おい、もう大丈夫だよ、一万金貨。二四金貨達はもう倒したからさ」
 かなり間違った代名詞でしゃがみ込んでいる少年を呼ぶと、ミリアは肩を掴んで引き起こし
た。少年は顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、ハシッとミリアにしがみつく。
「うわぁぁ!怖かったよぅ、セイネさん…うぐっ、ひっく…」
「ちょ、ちょいと待った!」
 割と考えられる人違いを、ミリアは耳ざとく見逃さなかった。姉妹で同じハーフエルフだから、
似ていないこともないはずだ。ということは、やはりこの少年がアレクサンドルなのか?
「悪いが、あたしはセイネじゃないぞ」
「えっ、でも…僕の大好きなウサギさんの格好をしているよ…」
「ウサギが、どうかしたでござるか?」
 唐突に割り込むように、ゲンブの着ぐるみ頭がニョキッと突っ込んでくる。一瞬、少年の目が
まん丸になった。僅かな沈黙の後、少年の目から再度涙がこぼれる。
「こ、怖いよ…大きなウサギ、怖い…」
「おい、ゲンブ。その姿はちょいと刺激が強すぎるようだ。あっち向いていなよ」
「こんなに愛らしい拙者になんて言いぐさだ」
 ブツブツ言いながらしかめっ面で向こうの方へゲンブは離れていった。不気味な着ぐるみウ
サギがいなくなると、ようやく少年は泣くのを止める。
「よし、いい子だ。で、セイネの奴はどこにいったんだい?」
「ウサギさん、セイネさんじゃないの?」
「あたしはミリア。セイネの姉って奴さ。よく見てみなよ。セイネとは違うはずだよ」
 少年の上に上半身を乗り出し、よく見える様にミリアは顔を近づけた。ハーフエルフは個人個
人で目の特徴が違う。ミリアの場合は猫目が特徴である。
 次の瞬間、少年はガバッとミリアの胸元に抱きついていた。そしてその可愛らしい顔を黒い
バニースーツの胸部にすり寄せる。
「本当だ、セイネさんと違ってゴツゴツしている。別のウサギさんなんだね」
 少年は天使のような無邪気な顔に満面の笑みを浮かべてそう言った。次の瞬間、ミリアの頭
が即座に噴火する。
「なんだとぅ!このくそガキゃぁ!」
「うわぁ、怖い、怖いよ、こっちのウサギも怖いよ!」
 ミリアはすかさず少年にヘッドロックをかますと、その頭をポカポカと殴りつけた。児童虐待も
いいところの仕打ちである。
 その後しばらく、広場には泣き叫ぶ少年の、かわいそうな悲鳴がこだましていたのであった。

(続く)3 ウサギな妹登場のこと