その一 貧冒険の始まり


「腹…へった…」
 ここは宿屋、「無謀と貧乏亭」の四号室。この部屋のベッドでミリアは大の字になって寝っ転がっていた。ハーフ・エル フ特有の大きな眼が、のたれ死に寸前の野良猫のように半ば白目をむいていた。
ハーフ・エルフというのは人間と森の民エルフの混血である。人並以上の容姿をもち、老化は非常に遅く、寿命は五百 年を越える。
 ミリアの身体は抜群にダルかった。仰向けになった頭の下では、紐で緒わえた髪が馬の尻尾のようにだらしなく潰れ ている。
 全身がダルいのは当然だった。なにしろ、ここ三週間は水しか飲んでいないのである。
「うげえ〜」
 ごろりと気怠そうにミリアは寝返りを打つ。着続けてヨレヨレになったシャツが乾いた音と共にはためいた。こんな奴で も一応女である。しかし、あまりにも自堕落な生活のため、ここ数十年間男に言い寄られた事などない。年齢は百五十 二と、ハーフ・エルフの中ではそれなりには若いのだが。
この部屋にはベッドと机とその上に冒いてある剣と革鎧以外に何もなかった。後は全部質屋に突っ込んだ。
 財布は空だった。
 家賃も三ケ月滞納した。
 最後にカツドンを食ったのは半年前だった。
 つまり、間抜けにも、餓死する寸前の状態になっていたのだ。
 このところ仕事の口がなく、そのくせに連日宴会騒ぎで酒を飲みまくり、借金を作ってしまったのだ。
特に三ヶ月前の宴会で作った借金はひどかった。その時は、一晩に二十五メートルブール分を飲んだという伝説がで きる、史上最大の飲み争いになった。周囲の人周と飲みあいを続けて、財布の中身は一行に顧みなかった。そんな馬 鹿馬鹿しく果てしない飲み会は一晩中続き、当たり前だが翌朝財布の中は空となっていた。いや、目覚めてみれば逆 に借金の証文が押し込まれていたという有様だった。
「…しかたない、ないとは思うけど仕事でも探すか…」
 ボソリと言ってミリアはベッドより起き上がった。机の上でホコリまみれになっている剣と鎧を取る。この商売道具を手 放す訳にはいかない.うっすらと積もったホコリをはらい、久しぶりに鎧を身にまとう。皮で作られた鎧で非常に軽い。質 流れを二足三文で買ったブロード・ソードは多少錆びているが、相手をブッた斬って叩さ殺すにはまったく差し支えがな い。そして、こんな馬鹿でも腕はいいのだから、戦争でもあれば優秀な傭兵として務まりはする。ただここ十年ほどマト モな戦争が起こった事がなく、傭兵の仕事はちっともこないのだ。
 部塵のドアを開けて外へと出る。久しぶりに目のあたりにする太陽が眩しい。今まで自堕落な寝たきり生活を営んで いた身には昼聞の太陽光は堪える。ほとんどドラキュラのような体質に体が成り果てている。
その時、突如道端で何かが光った。
「ん?金目のものか!」
 素口らしい勢いでミリアは道の側に寄り、光の発射源を探索する。
「あっ!」
 角度を変えて覗き込むと、そこに落ちていたのは十ゴート銀貨であった。世界英雄の一人、クエスタの顔が描かれて いる。貨幣は貴金属で作られ、世界共通のものとして統一されている。ちなみに単位はゴートである.
「ラッキー!なんかいいことあるかもしんないねえ」
 そう冒って銀貨をつまみ上げた。十ゴートあれば大根一本位は員える。まあ、たいした金額ではない。
ミリアはしばらくそのコインに見入っていた。ゲンナマを見るのは久しぶりである。あまりのうれしさに小踊りする。
「へへ〜ん、やったねっ」
 そして、調子に乗って、ステップを大きく踏む。
「げっ!」
 飛び上がった拍子に手が滑った。コインは、再度道端を転がる。
エネルギー保存の法則にしたがってエネルギーが回転の力に変えられ、力強く硬貨は走って行く。そして行き着いた先 がドブの中であった。
「うえ〜」
 喜びは一瞬にして失われた。それから一時間、ドブでヘドロだらけになって銀貨一枚を探索しているハーフ・エルフの 姿を見る事が出来るのであった。
 通行人はそれをジロジロと軽蔑を持って眺め、ミリアは時々
「あっち行け!」
 と苛立ちを込めて怒鳴りちらしていた。
 家賃返済と空腹解消の道は遠かった。



 ミリアの足はとりあえず西の市の方へと向かって行った。こういった所で仕事の情報がよく手にはいる。
 金儲けの情報という奴は、シーフ、俗に盗賊と呼ぱれる連中が一括して管理している。彼らは手先の技術を身につけ ており、ちょっとした扉など簡単に開けてしまう。彼らはその技術を利用して、いかがわしい山師的な仕事もする。
 しかしその力を無闇に使う事はギルドと呼ぱれる組織で堅く戒められており、これを破ったものは破門の上、ムチう ち、ローソク垂らし、石抱きされた後、三角木馬のSMプレイという極刑である。しかし毎年この刑をされるを目当てに悪 事をはたらくマゾの盗賦が絶えないらしい。
 情報を手に入れるのにも当然金はいる。しかしそんな余分な金はない。となれば、誰か貧乏な盗賊を仲間に引き込 み、教えてもらうのが吉である。
「貧乏でどうしようもないシーフ…ランヌの奴なら大丈夫だな」
 どうやらお目当ての人物に思い当ったらしい。そして、ミリアの足は市場の端に向かって行った。
 だいたいにおいて端というのは場所が悪い。特に市場の端などというのは悲惨なものである。
 市場の端、それは口寂であり、寂れており、1凹だ賞椙である。
そこにいるのは商売が繁盛していない連中だ。場所が場所だか
ら物が売れないのである。
 ミリアはぐるりと辺りを見回した。
 一番奥の煎瓦堺の所に、小さな机と椅手を口き、よだれを垂らして寝ている貧相な顔の男がいる。歳はまだ若いよう だが、面が貧相のため、かなり老けて見えている。落ちて窪んだ煩といかにも苦労していそうな目の下の隈がまた貧弱 ぶりを一層醸し出している。客なんかちっとも来ていそうにない。
 ミリアはつかつかとその男の所に歩みよった。そして、爪で男の額をピンとデコピンする。
「あいてぇ!」
 デコピン一発で男の身体が吹っ飛んだ。男は後ろの塀に激突し、口から泡を吹いて気を失う。
「おいおい、なにを悠長に居眼りなんかしているんだよ!」
 ミリアは特大の大声で怒鳴った。辺りの空気が振動する。その衝撃で気絶していたランヌがむっくり起き上がった。後 頭部にはどうやったら出来るのかというくらいにでっかいコブができている。
「痛いっすよ!姐さん、なにするんですか!」
「ええい、こんな非常時に寝るな!このアホタレ!」
 非常時なのは自分だけなのに、なんて自分脳手な奴だ。
「何が非常時なんです」
 ランヌはどうせ金がなくなったんだろうと思った。この人、もとい、このハーフ・エルフの思考回路はとても単純だからで ある。また、金がある方が非常の事態であり、無いのが常時ということをミリア自身は理解していない。
「何って…金が無いのよ。家賃も溜めまくっているし、メシを食う金もないんだ」
「そりゃ、あっしより酷いですね。あっしも五十ゴートしか残っていないので困っていたんですが、姐さんはそれ以上です ね」
 ランヌはそこでクンクンと二、三回ほど辺りを嗅ぐ。
「ところで、なんか臭いですよ」
「ああ、悪い。金が無くて二ヶ月フロ入ってないんだ」
「げっ、それは汚すぎます。三日前に入ったばかりのあっしを見習ってください」
 どっちにしろ汚い事には変わりはない。
「だって、銭湯へいく金もないんだよ。だからさ」
「なんスか?」
「なんか仕事ない?ちなみに報酬は十ゴートだ」
 ランヌは渋い顔をした。何が悲しくて大根一本分で仕事の仲介をしなくてはいけないのだろうか。しかし彼は売れない 盗賊であり、その貧相な面と気弱な性格のために客商売はうまくない。どんな些細な仕事でも仲介せざるを得ないので ある。
「それだけっスか?」
「文句あるかい?」
 目を突き出して、ミリアがドスの利いた声で凄む。
「いえ…いいっス…」
 結局気迫で押し切られてしまう弱気なランヌである。
「えーと、冒険とアルバイトと二つありますけど、どっちがいいスか?」
「どっちって、それしかないの?」
「最近、親方がまともな仕事を回してくれないんですよ。今ある仕事は二つしかないっス」
 ランヌは一ヶ月前、親方より二つの仕事をもらった。その時の親方の台詞はこうであった。
「今までギルドの若い奴二十人程に回したけど、ちっとも売れん。いらんからお前にやろう。ここで腐らせるのも、売れな いお前が持っているのも、どっちも一緒だからな」
 そして、それ以来親方がランヌに商売用の情報を回してくれる事はなかった。全てはランヌの営業成績が極端に悪い ためである。
 ギルドの中では、どんなに売れ筋の情報でもランヌに任しておくと絶対に売れないという伝説が定着していた。いや、 事実そうなのである。なんたって顔が貧相すぎる。
「しかたないなあ。あんた、腕が悪いもんね。何年この仕事やってるのさ?はっきり言って下手すぎるね」
「十年です…同僚の連中はみんな親方になっちゃいました…」
 ランヌは後ろを向いてヘンヘンといじけ始めた。こうなるとこのタイプは手が付けられなくなる。人生を誤った男の姿は 見ていて楽しいが、いじけられるとたまったもんではない。
「こら、落ち込むな。それより、アルバイトの仕事を聞きたいんだけどさ」
「アルバイトですか、こういう内容です。『売春夫求む。高給保証、三食昼寝付き』というどうしょうもないやつなんですけ ど」
 ピキッと眉間に功きが出た.ミリアの怒りが爆発する前に起こる前兆である。あんまりいきすぎると眉間が噴火して溶 岩ならぬ血液が流れてしまうのだが。
「売春だあ!…」
ぐお〜とミリアの手が口えた。とは言ってもアル中ではない。
ミリアはしばらく怒りでワナワナと全身を贋わせた螢、平晒の表椚に戻って言った.
「そのバイトやるよ。紹介してくれ」
「は?」
 ランヌは口をあんぐりと開けた。結局金が欲しいのである。生活苦のためには敢えて大変な目に遭わなくてはならない のか。
 しかし、仮に売春をしていても、こんな奴に捕まった男の万が悲惨だと思うが。
「ええ〜、無理っすよ、姐さんには出来ませんよ」
ランヌが手を振って拒絶をする。
「なんで、あんた自分で紹介してなんで拒むのさ」
「ダメなものはダメなんす。条件的に姐さんは雇ってもらえませんよ」
「どうしてさ?どこにもハーフ・エルフお断りなんて書いていないじゃない」
 ランヌはその情報が書いてある羊皮紙を取り出し机の上に置いた。そして指でその一点を指さす。
「ここんとこよく見て下さい。[売春夫]って書いてあるじゃないスか。婦じゃなくて、夫なんス。つまり、採用は男だけなん スよ」
プチッとミリアの頭の中で何かが切れた音がした。次の瞬間、左アッパーが見事にランヌのアゴに決まり、彼は宙に飛 んだ。そして、短い滞空時間の後地面に泌突する。
「ぐふえ」
小さく悲鳴を上げてランヌは大地に転がった。その惨めな姿を見て、あっ、という風にミリアが我に返る。
「悪い、つい怒り心頭に達して我を失っちゃったよ」
 カルシウムの不足が原因と思われることを平然と述ぺる。しかし、これは仕事の内容があまりにも悪い。なんでそん などうしようもないものがあるのだろうか。どうしようもないネタだからランヌが持っているのだろうが。
「ちょ、ちよっと…さっきのは効きましたよ.あっしは軽業を知っているからいいけど、並の人同なら頭打って死んでます ぜ」
 貧乏した上に、こんなハーフ・エルフにとっつかまる方が悲惨だ。頭を打って死んでしまったほうがマシと思う。
「いや、本当に悪気はないんだよ」
 あったら恐い。
「それで、もう一つの仕事ってなんだい?」
 またもやランヌは渋い顔。そのままの顔で机の引き出しから小さな羊皮紙を数枚取り出す。それは数枚というより、も とは一枚だったものの破片だった。この情報が全然売れないので頭に来た親方がビリビリにしてしまったそうだ。
「これなんすけど、ほとんど詐欺に近いっす。フルーズの洞窟の探索ってやつです。ええと…難易度は」
 ランヌは羊皮紙の一枚を手に取った。それを目の高さまでに上げて詳細を調べて読み出す。

難易度  特A扱 ベテランで生還率20%
依頼主  なし  自由に探索して良い
宝存在率 5%   何かがあるかもしれない

「ほんとに詐欺だね。よくこんな物件、平気で紹介できるねぇ」
 あまりのバカバカしさにミリアも口をあんぐりとして声を詰まらせる.
「だから売れ残っているんす。これなら5ゴートでいいですよ」
 ミリアは腕組みして考えた。どうすればよいものであろうか。しかしあまり長く考えていると知恵熱が出るしょうもない頭 なので、すぐに考えるのはやめた。こうなったら行動あるのみである。
「よしっ、その情報買った。はい、10ゴート」
「では5ゴートのおつりを…」
 途端、ランヌはミリアに首根っこをむんずとつかまれた.
「いっ、なにするすんか」
「なに、5ゴートはあげよう.ただしあんたの身体を暫く借りるよ。冒険に盗賊が居ないとなにかと不便が多くてね」
「ええっ、まさかあっしも一緒に洞窟の探索に…」
「ご明答。一名フルーズの洞窟にご招待というわけさ」
「ひえ〜!あわ〜、こめ〜っていうかイヤっすっ!」
 ランヌはじたばたして離れようとしたが、恐ろしい力で首を掴まれていて逃げることは出来ない。ミリアは喉が吃いた 時には石を搾ってその水分を飲む。そんな噂が巷では流れている。それは多分真実である。
「たすけて!人さらい!」
「ええい、黙れ!」
ゴチンと大きな音がランヌの頭蓋骨に加わった。ゲンコツの後、見事に泡を吹いたランヌはミリアに引っ張られて市場 を引き回されるのであった。
(続く)その二へ