第二章 エンカウント・オブ・ガンナー


 幼いパメラは、女の人に抱かれていた。
 赤い髪、赤い瞳、どこか悲しみを帯びた白い顔。
 その女は若い夫婦にパメラを手渡すと、首から下げていたペンダントをそっと彼女の胸元に置いた。
「この石があなたを守ってくれるわ」
 女の瞳から大粒の涙が流れ始める。
「あなたを残していく母さんを、あなたはきっと恨むでしようね」
 女の顔が霧にかき消えるように、ゆっくりと霞み始める。
『母さん!』
 心の中で叫ぶが、パメラの声は女には届かなかった。
「許してくれなくてもいい。あなたさえ無事に生きていけるなら」
 女の姿が霧の中へと遠ざかっていく。パメラは必死で呼び止めようとした。
『母さん!!』


 しかし声は届かず、女の姿は完全に霧の中へ溶け込んでいってしまった。
「ごめんなさい…メ…ナ…」
 女の声がフェードアウトしていく暗闇の中に響く。
『母さ−−−ん!!』

 目を覚ましたパメラの目線の先には、安宿特有の薄汚れた天井が何事もなかったかのようにたたずんでいた。
「また、あの夢…」
 つぶやきながら粗末な木製ベッドから体を起こす。窓の外では山の向こうから静かに太陽が顔を出そうとしていた。
「夜明けね…」
 窓を開けると、パメラは外を空気を胸いっぱいに吸い込んだ。冷たい朝の空気と共にかすかに潮の香りが感じられ る。
 大陸北部の海岸線に造られたリトルスノーの街は、貿易の中継地点としての役割も持っているため、街の中心も港に 近い場所に建設されている。そのため潮の香りが常に街の中にもただよっていた。
「今日こそ手がかりを見つけなくちゃ」
 パメラはかけていたペンダントをたぐりよせ手のひらにのせる。それは、夢の中に出てきたものと同じ星空を凝縮し固 めたような黒い宝石のペンダントであった。
「母さん…」
 ペンダントをギュッと握り締めると、パメラは迷いを振り切るようにガバッと両手を天に向かって突き止げた。
「やるぞー!」
 自分に向かって喝を入れると、パメラはテキパキと身仕度を始めた。
 顔を洗い、歯を磨き、携帯用の化粧箱を出して化粧の準備をする。
『女の子は、どこに行っても身だしなみには気をくばるものよ』
 育ての母の口癖である。旅に出る時、真っ先にこの化粧箱を手渡してくれた。
 血はつながっていなくともパメラはそんな母が大好きだった。
 それからゆっくりと寝間着を脱ぐと、壁にかけていた白い旅装束を手に収る。これも旅に出る前の夜、母が手渡してく れたものだった。
 パメラがズボンをはこうと右足を通したその時、

 バタンッ!

 勢いよく開かれた扉の前で、ラニーが大きなアクビをかきながら立っていた。
「う〜ん、まだ眠いや…トイレトイレ…えっ?」
 ラニーは頭を掻くポーズで、パメラは半裸でズボンに足をつっこんだ状態のままで固まってしまった。
 目があったまま二人ともピクリとも動かない。鳥の鳴き声だけがやけに軽やかに窓の外を流れていく。
 二十秒ほど経っただろうか。パメラはゆっくりとスボンから足を抜くと、先程まで自分が寝ていたベッドに歩み寄った。 そして、少し大きめの枕の下から何かを取り出し、静かにラニーに向かって振りかえった。
「ラニー…」
 ハッと我に返ったラニーは、慌ててドアの前から後ずさる。
「ごっごっごめんっ!!とっトイレだと思って開けたら…そっそっその…わざとじゃないんだよわざとじゃ!!」
 滝のように流れる汗を拭いながら必死に弁明をするラニーを尻目に、パメラは手に持っていたモノをスラリと抜き放っ た。
 パメラの右手にはよく手入れされた見事なショートソードが握られていた。これは護身用にと父が持たせてくれたもの である。
「見たわね…」
 静かに歩み寄ってくるパメラ。前髪で顔の表情はよくわからないが、すさまじい怒りのオーラが全身から発せられ、そ れはビシビシとラニーの全身を突き刺していた。
「見てない!ぜーんぜん見てない!!」
 必死でかぶりを振りながら否定するラニー。もっともパメラは下着姿のままなのだから、現在進行形でバッチリ見てし まっているのだが。
「パメラが白い下着をつけてるなんて、ぜんぜん知らないからねっ!!」
 この言葉が引き金となったようであった。怒りを爆発させたパメラは顔を真っ赤にしてラニーに向かって突進した。
「殺してやる!!」
 突き出されたショートソードを寸前でかわすと、ラニーは真っ青な顔をして走りだした。
「ひえええええええっ!助けて!!」
「待て−−−!」
 階段を駆け下り、一階の酒場を駆け抜け、二人の過激な鬼ごっこは早朝の霧の浮かぶ路地裏に舞台を移して展開さ れた。
「ごめんなさい、ゆるして−−−!!」
「ゆるさーん!!」
 開店準備をしていた店のおじさんや、水をくんでいた若い女性も何事かと振り返る。
 ラニーの悲鳴とパメラの怒号が響く中、リトルスノーは普段と変わらぬすがすがしい朝を迎えようとしていた

 パメラとラニーがこのリトルスノーの街にやってきてから、ちょうど四日が過ぎようとしていた。
 リトルスノーの街には王立図書館である『知識の箱庭』以外にもたくさんの図書館や蔵書資料館が立ち並んでいる。 一軒家を借りたごく小さいものまで含めると、その数は千を越えるとも言われている。
 二人はその中で名の通った所を二十箇所ほどを回ったが、確かな手がかりとなるような情報は得られなかった。
「あんまり知ってる人いないね」
 公園のベンチに座ってパメラが空を見上げる。
「ものしりで有名な隣村の村長でも名前しか知らなかったんだ。そう簡単にわかりっこないさ」
 顔中に引っ掻き傷をつけたラニーの手にはパメラのペンダントがのせられていた。
 アビスフィアーの首飾り
 通称『暗黒竜の涙』と呼ばれる宝石である黒い光沢を発する宝石なのであるが、おもしろいのはその光沢が光の当て 具合によっていろいろな形に変わるのである。どういった仕組みになっているのかはまったくわからないし、何の意味が あるのかもまったくわかっていない。数も確認されている限りでは大陸に三個しかない。
 普通ならばこれだけの代物にはかなりの価値がつくはずなのであるが、不思議な事にこの宝石は三流並みの宝石と 同格に扱われている。呪いがかけられているためであるとか持ち主の生命力を吸い取って輝きを保っているためであ るとかいろいろな説があるが、はっきりとした事はわかっていない。一つだけはっきりしているのは、この宝石が人々に とってさほど興味を引くものではないという事だけである。
 そんな価値のないものでもパメラにとっては実の母親を捜すための唯一の手がかりなのである。この宝石をくわしく調 べてみれば何かつかめるかもしれない。そのためにこのリトルスノーまでやってきたのだ。
「まだまだ回ってない所はたくさんあるんだから、きっと見つかるよ。さあ、行こう」
「うん」
 腰を上げた二人はまだあたっていない西地区に向かって歩いていった。

 リトルスノーに再び夜がやってきた。
 学者と観光客が大半を占めるこの街でも歓楽街はそれなりに賑やかである。
 貿易の中継地点だけに食べ物を扱う店もたくさんあり品揃えも豊富である。特に魚貝類などの新鮮な海の幸は特産 品でもあった。
 魔法の明かりに照らされた店先には、それら特産品をふんだんに使った自慢の料理たちがずらりと並び、道行く人々 の食欲を盛大にかきたてている。
「パメラ〜、お腹空いたよう」
 昼抜きで一日中歩き回ったラニーの胃袋は、メインストリートに入る前から大演奏を始めていた。
「あたしもお腹ペコペコなんだけど…」
 サイフ代わりの小袋の中身と、店先の品の値段を見比べてパメラはため息をつく。
「はっきり言ってこの通りにあるメニューなんか、これっぽっちも食べられないわ」
「そんなにお金なくなってきてるの?」
「四日目だしね。明日何か仕事を探して路銀をかせがないと、路地裏で野宿って事になっちゃうわ」
 さすがのパメラも冗談を言う余裕がなくなってきている。
「僕はいいとしても、パメラはまずいよなあ」
「あたしも街の中で野宿なんて嫌よ。しばらく調べものは中止ね」
「そうだね」
 賑やかな明かりの灯るメインストリートを抜け、二人は歩くのに困らない程度の明かりの灯る路地裏に出てきた。
 昼間は学者や研究生、古本屋の親父などがいそがしく行き来している道なのだが、夜になればほとんどの店は閉じ てしまい、人通りもさびしくなってしまう。
「なーんか暗いわよね…」
 パメラはポツリとつぶやいた。
 最初から順風満帆に進むとは思っていなかったが、ここまで悪戦苦闘するとは思わなかった。
「ゼルテニアの頭脳の二つ名もたかが知れてるわね。これくらいの事がすぐにわからないなんて」
「お腹が減ってるからってヤケにならないでよ、パメラ」
 ブツブツ文句を言うパメラをなだめるラニー。
「まったく…んっ?」
 大きな古めかしい建物の近くに来た時、パメラがふと何かに気づいたように顔を上げた。
「どうしたの、パメラ?」
「今、何か黒いものがあの建物に入っていくのが見えたの」
 パメラの指し示す先には大きな建物の正面門があった。
「入っていったって、あそこはもう閉まってるみたいだけど?」
「でも入っていったんだもん。こうスーッと…」
 身振り手振りを加え、しごく真両目な顔で説明するパメラ。冗談で言っているわけではなさそうだ。
 ラニーはもう一度目をこらして建物を眺めてみたが、特に怪しげな所は見られなかった。
「僕には見えなかったけど?」
「あたしには見えたのよ」
「ひょっとして、いつものアレ?」
 背筋に寒いものを感じるラニー。故郷の村にいた時からパメラには普通の人には見えない何かが見えてしまうという 事がたびたびあった。最初は冗談だと思っていた大人たちも、ある事件を機に彼女の言っている事が真実だと思い知 らされることになった。(その『ある事件』については、いずれ語ることにする)
「やだなあ。リトルスノーって古い街だから、その手の幽霊なんかが術使っててもおかしくない場所だし……」
「でも、さっきのはいつもと感じが違ってたよ。何かこうピリピリくるような感じがして」
「いつものはゾクゾクなんだよね」
「うん」
 二人は目前にそびえたつ古めかしい建物を見つめる。
「ちょっと話だけでもしておこうか」
「そうよね。何かこのまま通り過ぎちゃうのも悪いような気がするし」
 二人は頷きあうとその建物に向かって歩き始めた。
 暗さのため二人は気づかなかったが、門のレリーフにはこう書かれていた。
『エルカレナ王立図書館 知識の箱庭』


 フォレスト・ゴルファウスが蔵書の整理を始めてからも同じく四日が過ぎていた。
「今何時やねんやろ…ちゅうか、今日は何日やねん」
 げっそりとやつれた顔でつぶやくフォレスト。
 資料倉庫に山積みされた本は、整理を始めた日からほんのわずかではあるが減少していた。しかし頂上までの道は 遥か先であり、言わばやっと麓に着いたというような状態であった。
「ゆっくりとやっとったら、いったいいつ終わるねん」
 本人はけっこう急いでやっているつもりであったが、本の山は次から次へと新しい斜面を作り出し、フォレストに整理 を強要していた。一応食事と用足しの時は一階に上がっているが、その時以外はずっとこの場所につめっぱなしであ る。いいかげんストレスも溜まってきた。
「だーっ、くそったれ!!」
 手に持っていた蔵書の束を叩きつけたくなったが、寸前でその気持ちを仰さえる。


「あかんあかん。また雪崩に遭うてしまうわ」
 二日前に癇癪を起こして雪崩に遭い本に潰されそうになった時の事を思い出し、フォレストは左右に頭を振った。
「真面目にやろ、真面目に」
「精がでますね」
 振り向くと、チェリオがランタンと包みを持って階段から下りてくるのが見えた。
「差し入れを持ってきました。ちょっと休憩にしませんか?」
「えらいすんません」
 少しホコリの積もった木の床にランタンを置き、テェリオは持ってきた包みを開ける。中には色とりどりの具がはさみ 込まれたサンドイッチが入っていた。
「どうぞ」
「おおきに。いただきます」
 タマゴとハムを包んだサンドイッチを一個つまみ、口に入れる。
「うん、うまい。今日のもごっつうイケてますよ」
「本当?よかった」
 チェリオはニコニコしながら持ってきた水筒でお茶をいれる。
「毎日毎日ほんまにすいません。チェリオさんの方がいそがしいはずやのに、わいの方にまで気をつかわしてしもて」
 申し訳なさそうに頭を掻くフォレスト。
「そんなことないですよ。実を言うと、わたしもすごく助かってるんですよ。今まで夜はずーっと一人だったんですけど、フ ォレストさんがいてくれるお陰でさびしくないですし、それにやっばりゴーレムだけじゃ警備も不安だったんですよ」
 そう言いながら彼女は満面の笑顔をたたえる。その笑顔に、フォレストは思わず赤面してしまった。
「そ、そういう事やったら、わいまだまだここにおりますさかい安心してください」
「本当ですか?うれしい」
 胸の前で手をあわせ、チェリオは無邪気に笑った。
 いくら王立図書館の館長だと言っても十八歳の女の子である。こんな広い建物の中でひとりぼっちの夜を過ごさせる のは酷というものである。着任からフォレストが来るまで相当寂しい思いをしてきたのだろう。
「じゃあ、わい仕事に戻りますさかい…」
 あたふたとしながら腰を上げる。自分でもおかしいくらい慌てているのがわかった。
−−−-何で慌てなあかんのや?
 そんな自分を見てクスクス笑っているチェリオを見る。
−−−まさか…な。
 心の中でひとりごちるむ
「では、わたしは先に休ませていただきます」
 水筒を肩にかけ、チェリオも立ち上がる。
「あんまり無理はしないでくださいね」
「おおきに。ほな、おやすみ」
「おやすみなさい」
 丁寧に頭を下げ、チェリオは一階へ向かおうとした。その時、
「?!」
 強烈な負の魔力を感じ、チェリオは右手に魔力を集中させ始めた。金属が擦れ合うような甲高い音と共に、彼女の手 のひらに緑色の魔力の固まりが形成される。
「マインド・ファルート!」
 魔力を解き放つ掛け声が響き、彼女の手のひらの魔力の固まりは緑の光沢を持つ無数の楯となって、彼女が昇ろう としていた階段に襲いかかった。正確には階段に潜んでいる何かに対して。

 バリバリバリッ!

 ガラスを爪で引っ掻くような身の毛もよだつ音が響き渡り、雷光のような輝きが周囲を包んだ。
「何や?!」
 何が起こったのかわけもわからず、フォレストはただあっけにとられていた。
 チェリオの突然の魔法攻撃。しかも何もない空間に向かって魔術をぶっばなしたのだ。正気を失ったとしか思わない だろう。フォレストも最初はそう思った。
 しかし次の瞬間彼にもはっきりと感じられた。全身を貫かれる戦場のような感覚。しかもこれは魔力と殺気が入り交じ った独特の感触だ。それも相当強い。
「幻術を使ったって無駄よ。あなたの殺気がビリビリと感じられるもの!」
 光が収まり何事もなかったかのようにたたずむ階段に向かって油断なく構えをとるチェリオ。
「なかなか強力な精神攻撃術を使うんだね。感心しちゃったよ」
 階段の景色が歪み波打ったかと思うと、それは人の形へとゆっくりと姿を変えた。
「ボクの術を見破るなんてなかなかやるじゃないのさ。伊達にリムサリア・ソーレスの称号をもらってるわけじゃないん だ」
 黒い覆面で顔を隠してはいるが明らかに女性である。身長、体格、声の質からして少女と呼んでもおかしくない年齢 であろう。
「こんな夜中に当図書館に何の御用ですか?所用でしたら明日の昼間にでも出直していただきたいのですが」
 チェリオも負けてはいない。不敵な笑みを浮かべつつ皮肉たっぷりの言葉を浴びせる。
「あいにく昼間に出来るような仕事じゃないんだ。だからこんな夜中にお邪魔させてもらったんだけど‥」
 少女はチラリとフォレストを見る。
「本当にお邪魔だったようだね」
 笑う口元から牙のような八重歯がキラリと光った。
「まあいいや。ボクには関係ないし。さてと、本題に入ろうか」
 少女は腰のベルトと一体になっている鞘からショートソードを抜き放った。その刀身は刃の部分を除いて真っ黒に塗ら れている。
「ノエル・レポートの保管場所に案内してくれるかな」
 少女の言葉にチェリオはピクリと眉を動かした。
「あなた…どこでその事を?」
「質問しているのはボクの方だ。痛い目を見たくなかったらさっさと吐いちゃったほうがいいと思うよ」
 血の色のような少女の瞳がチェリオをジッと見据える。
 −−−この子、本気のようね…
 自分ではこの少女に勝てない。チェリオが冷静に分析した結果だった。
 先程チェリオが放った精神攻撃の呪文は手加減したとは言え魔族にすらダメージを与えることが出来る高レベルの 術である。よくて気絶、悪くとも目まいくらいは起こしていると考えたが、少女には毛ほどのダメージも与えてはいなかっ た。おまけにこの『知識の箱庭』の中では強力な結界のためにほとんどの魔力が封印されてしまう。ゼルテニア大陸の 中でも五人しか存在しない一級西方魔術師のチェリオですら一つの術を放った後、しばらく間を置かないと次の術を組 み上げる事ができない。そんな状況の中であの黒ずくめの少女はチェリオの術を弾き返す防御結界を組み、あまつさ えSクラスのゴーレムのセンサーがまったく感知できないほどの高レベルの幻露の術(おそらくレベル8の『ディテクト・ミ ラージュ』であろう)をこの場所まで持続させ続けてきたのである。
 −−−レベルが違いすぎるわ。でも…あれを渡すわけにはいかない!
絶望と不安に苛まれながらも、チェリオは再び魔力を練り上げはじめた。
「答えは………これよっ!!」
右手の魔力を光の矢に変え、少女に向かって撃ち放つ。しかし矢は少女に届く前に壁に阻まれたように四散してしまっ た。
「やれやれ。ちょっとは頭の回る人かなと思ってたのに、見込み違いだったかな?」
 少女の姿が掻き消えるように消減したかと思うと、身構えていたチェリオの眼前に現われる。
「ばあっ♪」
「えっ?!」
 少女の黒塗りの剣が音もなく突き出され、サクッという小さな音と共にチェリオの肩にやすやすとめりこんだ。
「………!!」
 すばやく剣が引き抜かれ、傷口から鮮血が噴水のように吹き出す。
「きゃああああああっ!!」
 肩を押さえ転げ回るチェリオ。血は押さえた指の隙間からなおも溢れだしている。
「だから言ったのに。痛い目を見る前にとっとと話しちゃえばよかったのにって」
 倒れたチェリオの元まで歩いてきた少女は、彼女の傷口を押さえた手ごと踵で踏み躙った。
「うあああああああっ!!」
 悲痛な叫びが館内にこだまする。
「ほら。さっさと言いなよ。そうしたら楽にしてあげるから」
「このクソガキッ!!」
 突如銃声が四発轟き、光輝く弾丸がうなりを上げて少女に襲いかかった。
「なにっ?!」
 剣をかざしとっさに魔力の壁を張るものの、少女は弾丸の爆圧で吹き飛ばされてしまった。
「マジカルブリッド?」
 ゆっくりと体を起こしながら少女がつぶやく。
「お前……魔銃使いだったのか?」
「見りゃあわかるやろ」
 苦しげにうめくチェリオを抱きかかえながら、フォレストはつぶやくように言った。
「すまんなあ。わいがついとりながらこんなことになって…」
 着ていたシャツを破りチェリオの肩をきつく縛る。応急の処置だが何もしないよりはましだろう。
「フォレストさん。あの子…危険です。早く逃げてください」
 荒い行きの下でチェリオが懇願するようにつぶやく。しかし、フォレストはその言葉を聞き入れるわけにはいかなかっ た。
「すまんなあチェリオさん。目の前で女の子が傷つけられたっちゅうのに、黙って逃げるわけにはいかへんのや」
 右手に持った灰色の魔銃『コンバットマグナム“マギウス”』に新しい魔力の弾が装填される。
「まあ見ときや。おい、そこのクソガキ!ようもチェリオのか弱い肩に剣なんぞぶっ刺してくれたなあ。どないなるかわか っとるやろな」
「どなるのかな?」
 小馬鹿にしたように口端を歪める少女。
「挽き肉になりさらせっ!!」
 マギウスの銃口からフォレストの怒りの弾丸が次々と撃ち出される。
 だが少女は慌てる様子もなくすばやい動きで右に左にと弾丸をかわす。その様子はまるで舞を舞っているかのように 軽やかであった。
「ウソやろっ!!」
 フォレストが呻く。彼の腕が悪いのではない。事実、彼は戦場では狙撃手として数えきれないほどの勲功を上げてき た。至近距離からでも望遠距離からでも、ほぼ確実に敵を打ち抜くテクニックを身につけている。
「こいつ…バケモンか!!」
 唇を噛みながら引き金を引いた瞬間、激鉄が甲高い音をたてる。
「しもたっ!弾切れか!!」
 マギウスはリボルバー型魔力装填式の六連発銃である。装填にはグリップに描かれた魔力集中点から約十秒で薬 爽に魔力が注ぎ込まれる。しかし今回の敵は十秒も待ってはくれなかった。
「つーかまーえた」
 フォレストの眼前に少女の黒塗りの刃がピタリと突きつけられる。後一押し加えられれば間違いなくあの世行きであ る。
「くそったれ…」
 くやしげに呟くフォレスト。
 −−−また守られへんのか、わいは…
 覚悟を決めて目を閉じる。だがいっこうにとどめの一撃はこなかった。
「何をする、離せっ!」
 少女の怒声が響いてくる。その声はフォレストにではなく別の誰かに向けられているようだった。
「いやよっ。誰が離すもんですかっ!」
 今度はまったく聞いた事がない女の声がする。不思議に思ったフォレストはゆっくりと目をひらいた。そこにはいつの 間に現われたのか黒い髪を背中の辺りまで伸ばした細身の女性が黒ずくめの少女の背中にはりつき、カケラの筋肉も ついてないようなその腕で少女の首を羽交い締めにしようとしていた。
「パメラっ、大丈夫かい!!」
 天井から男の声がした。見ると階段の上の降り口からこれまた平凡な一般市民にしか見えない男が心配そうな顔で 下を見つめていた。どうやらあの女性はそこから階段を使わず、少女に向かって飛び降りてきたらしい。
「ラニー、早く!こっちよ!!」
 少女に振り回されながら必死に叫ぶ女性。
「このっ!!」
「きやああああっ!」
 少女は首に巻き付いていた女性の腕を取ると軽々と投げ飛ばした。
「パメラッ!」
 腰の鞘から剣を抜くと、ラニーと呼ばれた男は上段に振りかぶりながら少女に向かって飛びかかった。
「でやああああっ!」

 ガキンッ!

 金属を打ちつける音が響き、ラニーの剣は寸前で少女の剣に受け止められていた。
「いたたたた…」
 強引に振りほどかれ壁ぎわまで飛ばされたパメラは、ふと自分の胸元を探ってみた。
「あれっ?ないっ!」
 身につけていたはずの黒い宝石のペンダントがなくなっていたのだ。
「ど、どこにいっちゃったの?」
 必死で周囲を探し回るがどこにも落ちていなかった。
「そんな…いったいどこに…」
 反対側でつばぜり合いをしているラニーが目に入る。その時、飛びかかった少女の背中がキラリと光った。
「あった!」
 少女のショルダーアーマーの金具に引っかかっていたのだ。
「ラニー。ペンダントがその女の子の鎧に!」
「そ…それどころじゃないよっ!!」
 ラニーはジリジリと押されていた。自分でも力はある方だとは思ってはいなかったが、こんな細身の女の子に押し返さ れるような程弱くはないつもりだった。
「くっ…すごい力だ…」
「よくも邪魔してくれたね」
 少女の膝がラニーの下腹部に突き刺さる。
「ぐっ!!」
 体をくの字に折り曲げ、ラニーはパメラのいる場所まで吹っ飛ばされた。
「ラニー、大丈夫!!」
 激しく咳き込むラニーに駆け寄るパメラ。
「強い…あの子すごく強いよ」
 ランタンの明かりを背に仁王立ちしている少女を、ラニーは畏怖の眼差しで見つめていた。レベルの違いどころでは ない。根本的に違うのだ。剣の扱い方。格闘術のやり方。どれを取っても、平和な世界で過ごしてきた自分たちのもの とはまるで威力が違うのだ。
「今回はスムーズに進めようと思ってたけどもういいや。お前たちみんな殺した後に探すことにしようっと」
 まるで古い玩具に飽きた子供のように少女は笑いながら言い放った。
「まずは、ボクに飛び掛かるなんて無礼な真似をしてくれたお姉ちゃんからだよ」
 獲物を射程に入れた獣のように、少女の赤い瞳がぬめるように光った。
「ひっ…」
 強烈な殺気にパメラは金縛りにあってしまったようにその場にへたりこんでしまう。
「恐がらなくてもいいよ。楽に死なせてあげるから。心臓を一突きがいい?それとも喉を掻き切ろうか?」
 黒い剣を構え、ゆっくりと歩み寄ってくる少女。しかし、

 ドンッ!

「ぐああああっ!!」
 一発の銃声が起こり少女はうずくまった。その脇腹から鮮血が吹き出している。
「わいの事を忘れとるんやないで!」
 フォレストの一撃が少女を捉えたのだ。
「ぐっ…くそっ」
 手に広がる鮮血を見ながら少女は岬く。致命傷ではないにしろ戦闘を続行するのは不可能だった。
「おのれ…」
 脇腹を押さえたまま、少女は目にも止まらぬ速さでチェリオが倒れている場所まで移動する。
「きゃあああっ」
 悲鳴を上げるチェリオのみぞおちに一撃を入れる。そしてぐったりとしたチェリオを小脇に抱え、一階に通じる階段の 下までジャンプした。
「しもうたっ!」
 フォレストがマギウスの銃口を向けるが、チェリオがいるため発砲することが出来なかった。
「このお姉ちゃんを返してほしかったら、この建物のどこかにある『ノエル・レポート』を明日の夜の十一時にグラドリエル の洞窟まで持ってきなさい。ちょっとでも遅れたりしたら…」
 右手の剣でチェリオの頬をスッと撫でる。赤い筋が走りスゥっと血が流れ始める。
「顔に傷がつくだけじゃすまないよ。じゃあね」
 不気味な微笑みを残し、少女はあっと言う間に姿を消してしまった。

「あ…あたしのペンダント…」
 ようやく金縛りから解かれたパメラは、ヨロヨロと穴の下まで歩み寄り、再びその場に座り込んでしまった。
「な…何もできなかった…」
 いまだ震えの止まらない両の手を凝視し、ラニーは呆然とつぶやく。

 ドカンッ!

 フォレストは白分の拳を床に叩きつける。そして、全身から絞りだすように絶叫した。
「くそったれがー!!」
 呆然とうなだれる三人を何事もなかったように燃え続けるランプの明かりだけが赤々と照らしていた。

(続く)第三章 ワンダーガール・ メイムへ