第三章 ガイの章
灼熱の模造精霊

その1
「ファリス神殿だ!麻薬密売、所持の容疑で全員逮捕する!」
オレはそう叫んで倉庫に踏み込んだ。
夜の港に並ぶ倉庫、その中の一つに麻薬密売組織のアジトがあって……というのはよくある話である。大都市であるオランなら尚更のこと
だ。オレはその時、そんな『よくある』倉庫に踏み込む衛士達の応援に、ファリス神殿から数名の同僚とともに派遣されていた。後は『よくあ
る』捕り物の末、一件落着……と、この時のオレは甘く考えていた。
倉庫の中は山積みの木箱と、ごろつきに毛の生えたような連中が十数人。箱の中身はまず間違いなく麻薬だろう。何人かはややこざっぱ
りとした格好をしている。おそらく、幹部クラスか。オレの口上で狙い通りに彼らがこちらを注目したところで、即座に『聖なる光』の魔法を唱え
る。本来は聖なる光でアンデッドを破壊するものだが、閃光による目潰し効果もあるので、こういう場面では重宝する。
大半の敵サンが目をやられているすきに、衛士達に取り押さえられた。もちろん、彼らにはあらかじめ光を直視しないように打合せをしてあ
る。
なんとか目潰しを免れたごろつきの一人が剣を手にオレに襲いかかってきた。オレは落ち着いた動作でそいつの斬撃を避けると、手にし
た剣の柄頭でそいつの手首を叩いた。手にした獲物を取り落とし、茫然とする男を即座に押さえ込み、慣れた手つきで縄を掛ける。法と秩序
の神ファリスの神官戦士である以上、このように衛士の手伝いをすることも多い。慣れて当然だ。
当たりを見渡すと、残りもほぼ全員取り押さえれれていた。体の緊張を解いた途端、倉庫の片隅、踏み込んだときには死角になっていた部
分に一人の人影が立っていた。フ−ド付きのマントで体をすっぽりと覆っていて、顔はよく見えないが、若い女のようだ。その場に立ったまま
で、逃げる素振りすら見せない。
「ん?おい、あの女はお前等の仲間か?」
オレはたった今捕まえた男に尋ねた。
「ち、違うよ。さっきこの辺りをうろついていたんだ。仲間が声かけたら、『自分と同じ顔の女を知らないか』って訳わかんねえこと言うから、興
味本位で連れてきたらしいんだ。下心もあったんじゃねえか?」
「そうか、ご協力感謝する」
オレはそう言って男を手近にいた衛士に任せると、とりあえず話を聞こうと女の方に歩いていった。女はこちらが切り出す前に「自分と同じ
顔の女を知らないか」と言った。オレは彼女の顔を覗き込んだ瞬間、何か違和感を感じた。
一見するとオレと同じぐらいの年のそこそこの美人で、こういう場所でこういう格好でなければ、どこかいいとこのお嬢様といった感じの顔立
ちだ。オレが違和感を感じた理由は二つ。一つ目はその顔に表情がないという点。しかし、目が虚ろだったりと言うわけではなく、むしろ『獲
物を捜す肉食獣』と言った感じの冷酷な目付きをしていた。人間の目とは思えないような。そして二つ目はその顔に何処か見覚えがあったと
いうことだった。幼い時に親しかった誰かに。しかし、それが誰かは思い出せなかった。
「答えろ。知っているのか。この女が何処にいるのか。」
女は冷たい声で再度尋ねた。見覚えがあると言っても、昔のことでよく覚えてない。それに女の雰囲気から何かヤバイものを感じた。それ
に、これは半分言い訳だが、ファリス神官は嘘を禁じているが、居場所を知っているわけではないから嘘ではない。オレはそう判断した。
「いや……、わからない」
「そうか、誰も知らないか……、なら用はない」
そう言って女はこちらを睨んだ。その瞳が赤く光り、次の瞬間オレの体は炎に包まれた。「な……?」
燃えたのは一瞬だけで、火は勝手に収まったがダメ−ジは大きく、オレはその場に膝をついた。そんなオレを尻目に、女は天井に吊してあ
ったランタンのほうを見た。すると、ランタンが独りでに割れ、中からトカゲの形をした炎が5、6匹飛び出した。
「まさか、サラマンダ−(炎の精霊)!?」
しかし、サラマンダ−を複数同時に召喚することなど、並み以上の精霊使いでも不可能なはずだ。だが考えている余裕はない。サラマンダ
−が暴れ回り、倉庫はたちまち火の海と化した。麻薬入りの木箱が燃えて、煙も発生している。
「くそっ、まずい。みんな下がれ!」
オレは騒然としている衛士達に叫ぶと、『聖なる光』を女と周囲のサラマンダ−に浴びせて全力で出口に駆け出した。もっとも、言われるま
でもなく衛士達は撤退を始めている。本当は女を捕まえたいところだが、ダメ−ジが大きすぎるし、急がないと倉庫が崩れる。(神官戦士とし
ては逃げたくないが、ここで倒れても犬死にだ!)
麻薬の燃える煙にむせて意識が朦朧としかけるが、それを振り払って出口をめざす。だが、もう少しというところで、先ほどの人体発火が、
再びオレを襲った。やはり一瞬で火は消えたものの、ドワ−フ並みとまで言われているオレの体力でももう限界だった。倒れ込むように倉庫
を転がり出たオレは、薄れゆく意識の中で、女が炎の奥に何事もなかったかのように歩き去っていくのをはっきりと見た。
「う………、ここは……。どうやらあの世じゃないようだが」
「何バカなこと言ってるんだよ、兄貴」
あきれ返った顔でカ−ルがオレの顔を覗き込んでいた。その横にはトキオ兄さんとキャリ−の姿も見える。どうやら、近くの衛士隊の詰め所
のようだ。他にも何人かが簡易寝台に寝かされて、セリスさんとメイの治療を受けている。枕元には、一匹の若い三毛猫が不安そうにこっち
を見ている。最近飼い始めたばかりのセリスさんの使い魔のニック(魔術士と五感を共有できるように術を施した動物)だ。
「一体どうしたんだ?ロム君から重傷を負ったって聞いたから駆けつけたんだが。相当ヤクを吸い込んでいたらしいぞ」
「まあ、助かって何よりでしたけど」
兄さんと話していると、セリスさん達と一緒に怪我人を見ていた神官の一人、神官戦士団の同僚であるロム=ア−デンがそう言ってこっち
に来た。オレとは違っておっとりした感じで言葉づかいも丁寧。これまたオレとは反対に神殿内の女性の人気も高いが、何故かウマが合う。
ちなみに、今回のガサ入れには参加してなかった。
「死者が出なかったのは幸いでしたが、重傷者多数。さらに、煙を吸ったことによる急性の麻薬中毒者も続出です。まあ、どちらも治療はほ
ぼ済みましたが」
ほっとした表情でロムは言った。
おれは思い出したように自分の体を確かめた。相当のやけどを負ったはずだが、きれいに治っている。おそらく回復魔法で治してくれたの
だろう。逆を言えば、魔法が必要なほどの重症だったということか。
「それで、何があったんですか?衛士達からある程度は聞きましたが、いまいち要領を得ないもので」
オレは、あの女のことを話そうか一瞬迷った。幼いころ見覚えのあるということが引っかかっていたからだ。しかし、だとしても、あんなことを
する存在を野放しにはできない。そう思い直し、オレは全てを話した。
「昔会った人に似ている、ですか。詳しくはわからないんですね」
オレは無言でロムに頷いた。しかし、メイが疑問の声を上げた。
「睨まれただけで体が燃えた?ガイお兄ちゃん、それって本当?」
「もちろん…、って、オレってファリス神官だぞ。嘘ついちゃ駄目なんだぞ」
「アハハッ、ゴメンゴメン。でもそれってかなりまずいよサラマンダ−を使ったんだから確かに精霊使いだと思うけど、人体発火もそのせいだと
したら……。燃えたのって人だけなんだよね」
「ああ、倉庫そのものはサラマンダ−が燃やしたんだ」
オレの答えにメイは表情を曇らせた。
「だとしたらおそらくそれは体内の炎の精霊力を一時的に暴走させたものよ。呪文を使わずにそんなことが、いえ、呪文を使ったとしても人間
には無理なことなのに」
真剣な顔でメイが言った。現役の精霊使い、その上いつものほほんとしているメイが真剣に言うだけに説得力があった。
「いずれにせよ、このままにはできんな。大惨事を起こす前に確保しないと」
怪我人の治療も終わり、後をロムに託すとオレ達は詰め所を後にした。外に出るとすでに昼近くになっていた。
「じゃあ、アタシは盗賊ギルドで情報を集めてくるわね」
キャリ−が申し出てきた。
「ならオレは町で聞き込みしてくるか」
兄さんの言葉に続いてカ−ルも提案した。
「ボクは学院の書庫でその能力について調べてみるよ。セリスさん、手伝ってくれない?」「あ、アタシも手伝う〜。家の書庫の整理で書物の
扱い慣れているから」
いつもの調子に戻ったメイが言った。その時、
「ガイ君?ガイ君じゃない?」
「ん?」
振り向くと、一人の女性がこちらに駆けてきた。オレと同じぐらいの年頃の、紙を一本の三つ編みにしたおとなしそうな感じの人だ。
(ん……、この顔……、まさか!)
その女性の顔が昨日の女と重なった。雰囲気や目付きこそ違うが、顔はそっくりだ。
(同一人物か!……いや、感じが違いすぎる。まさか、昨日の女が捜していたのって……、)
「ガイ君ってば!私のこと忘れちゃったの?エイミよ、エイミ=セ−ナ」
「え……?えええっ!エミか?マジで?」
彼女の呆れた声に我に帰ったオレは、驚愕の声を上げた。
「もう、6年ぶりで大人っぽく成長したとはいえ、幼なじみを忘れるなんてひどいよっ」「自分で言うか?エミちゃん、お久しぶり!」
抗議の声を上げる彼女に、カ−ルもそういって挨拶した。
彼女、エイミ=セ−ナは子供の頃に、パルサ−家の近所に住んでいた子である。家も同じ賢者ということで、よく一緒に遊んだものだ。た
だ、6年前、兄さんとル−ン親子がロ−ドス島から戻る直前に、家の都合で少し離れた町に引っ越ししてしまっていた。
「わ、悪い悪い。すぐには解らなかったもんで。でもすっかり女っぽくなったな」
「あら、あなたがそんなこと言うなんて。でも、あなたのほうこそファリス神官なんて。びっくりしちゃった」
そう言ってエミはクスリと笑った。
「エミちゃん、大きくなったなあ。でもなんでこんなところに?」
トキオ兄さんのその言葉に、エミは一瞬言葉に詰まった。
「そ、それは……。ちょ、ちょっと個人的な用事でオランに来たんだけど、何か騒ぎがあったって聞いて、来てみたらあなたたちと会って……。
あ、ところであなたたちは?」
そう言うと、エミは後ろのル−ン親子のほうを見た。まるで話をそらすかのように。
「あ、アタシ達は居候……。フガガッ」
「い、いえ。ただの冒険者仲間ってやつです。アハハハ……」
喋りかけたメイの口を塞いで、慌ててセリスさんが言った。もがくメイにキャリ−が小声で何か耳打ちしたが、おおかた、『変な誤解するでし
ょ!』といったところか。三毛猫のニックも、メイの足もとでニャアニャアとメイを攻めている。
「まあ、無事で良かったわ……。あ、いけない。用事が残っているからもう行かなきゃ」 そう言ってエミは立ち去ろうとした。
「え、もう行くのか?せっかく再会したんだし……」
引き止めようとするオレに、エミは真剣な顔で、
「ごめん、でも大事な用だから。ガイ君、会えて嬉しかったよ」
そう言って寂しそうな笑みを浮かべると、足早に雑踏の中に消えていった。メイが眉を潜めた
「えらくそっけないねえ。カ−ルお兄ちゃん、エイミさんって昔からあんな感じ?」
「いや、そんな子じゃなかったけど。特にガイ兄貴とは仲良かったし、てっきり『ここじゃなんだし、どこかで食事でもしながら』なんて言うと思っ
たのに」
「仲いいって、初恋ってやつ?ねえねえ、ガイ君?」
キャリ−が冷やかしの声を上げるが、それに答える余裕はなかった。昨日の女にうり二つに加えてあの態度。何もないと考えるほうがどう
かしている。
「彼女を追う。兄さん、キャリ−、手伝ってくれ。カ−ル達はさっき言った通り学院で調べてくれ。セリスさん、連絡用にニック借りてくよ!」
みんなに指示をだすと、ニックを拾いあげ、オレは駆け出した。
「お、おい。ガイ!」
トキオ兄さんの声がしたが、振り向かなかった。
その2
「じゃあ、エイミさんがその女が捜していた人ってこと?」
一緒になって走りながらオレから話を聞き終えたキャリ−は驚愕の声を上げた。オレの肩に乗っているニックを通じて、セリスさん達も聞い
ているはずだ。
「あるいは同一人物か。どっちにしてもこのままではマズイことになる。一刻も早く捜さないと。……せめて後者であってほしくはないが」
「ガイ、まだそうと決まったわけではないだろう。気持ちは解るがあせるな」
そんな会話を交えながら、オレ達3人は聞き込みをしながら、エミの足取りを追っていた。どうやら、ところどころ裏通りなどを経由しながら
賢者の学院をめざして進んでいるようだ。おかげで一時間以上は捜しているが、まだ追いつけない。
「しかし、学院に何の用があるんだ?」
オレがそうぼやいたとき、聞き込みを終えたキャリ−が慌てて戻ってきた。
「わかったわ、ガイ君、トキオ兄さん。急に苦しそうにうずくまると、裏路地の方にふらふらと入っていったそうよ。……それと、そのすぐ後にフ
−ド付きのマントを着た女が同じ路地に入っていったって。ちらりと見えた顔はうり二つだったって。どちらも時間はそれほど経ってないわ!」
キャリ−の情報を全部聞き終わる前に、オレはその路地に入っていった。しばらく走ると、道端に苦しそうにうずくまるエミと、彼女の首に手
を掛けようとするマントの女。間違いない、昨日の精霊使いだ。
「やめろぉ!」
オレはそう叫んで、『気弾』の魔法を唱えた。不可視の衝撃波がマント女の頭を直撃する。マント女は手を放し、よろめいた。だが、次の瞬
間オレは驚愕した。マント女だけでなく、エミのほうもまるで不可視の何かに頭を殴られたかのように吹っ飛んだからだ。
「何?兄さん、キャリ−、攻撃を待って!」
オレは追いついた二人にそう言うと、エミに駆け寄った。エミは額からわずかに血を流して倒れていた。マント女に魔法が当たったのと同じ
場所だ。
「……ガイ君、追いかけてきたの?……どうして?」
「あんな訳ありな様子で去られて、気にならないわけないだろう。……ごめん、よくわからないが、怪我させちゃったようだな」
青い顔のエミに誤ると、マント女に向き直った。エミに回復魔法を掛けたいが、相手がそれを許さないだろう。
「その『核』を渡せ」
マント女は冷たい声でそう告げた。
「『核』?エミのことか。悪いけど、この状況で『わかりました』なんてファリス神官として言うことはできないんでね」
強がっては見るが、これでは打つ手がない。兄さんとキャリ−も武器に手を掛けてはいるが、手詰まりのようだ。
「『核』を渡せ」
マント女がもう一度そう言って一歩踏み出した途端、オレと女の間に突然セリスさんと、彼女の白衣に捕まっているカ−ルとメイが姿を現し
た。
「カ−ル君!」
オレが我に帰るよりも早く、セリスさんの合図でカ−ルが『暗闇』の魔法を唱える。マント女の周囲が暗闇に包まれる。どうやら、ニックを通
じて状況を把握したセリスさん達が、『瞬間移動』の魔法を使って駆けつけたようだ。
「兄貴、撤退だ!エミちゃんの体内の『核』を除去しないと、エミちゃんも傷つく!」
「わ、わかった!」
十分状況を把握したわけではないが、それが一番のようだ。オレはエミを抱えると、マント女が態勢を整える前に全員でその場を離れた。
パルサ−邸にたどり着くとすぐに、セリスさんがエミに『魔力隠蔽』の魔法を唱えた。
「一時凌ぎかもしれないけれど、これで『核』を魔力を探知しにくくなるから時間稼ぎにはなるはずよ。それとメイ、手術の準備をして。『核』を
取り除くわ」
「ちょっと待ってよ、セリスさん。もう少し解るように説明してくれよ」
「ボクが話すよ。セリスさん準備で忙しいし」
状況をいまだ理解できないオレにカ−ルが話し始めた。
話によると、カ−ル達が学院の書庫で精霊魔法、付与魔術、魔獣創造など様々な面で大急ぎで調べた結果、『模造精霊』と言う魔法生物
があることを見つけたらしい。
模造精霊とは、古代王国期に作られた名前通り精霊を模して作られた存在で、能力、知能ともに普通の精霊を凌駕しており、様々な特殊
能力も身に付けていた。
「人体発火がメイの言った通り体内の火の精霊力の暴走だとすれば、火の模造精霊ならできるはずだ」
そう言ってさらにカ−ルは続けた。
さらに模造精霊は、人間に『核』を埋め込めば、それに乗り移ることもできるらしい。『核』にされた人間は、たとえ憑依されなくても、五感や
体のダメ−ジを模造精霊と共有することになってしまうのだ。
「ちょっと待て。ってことは……」
「うん。エミちゃん、どうしてかは知らないけれど、君は何者かに『核』を埋め込まれ、あの女は君を追いかけてきた模造精霊だった。苦しんで
いたのは、兄貴の魔法のせいじゃなくて、『核』が共鳴のようなものを起こしていた。そうじゃないの?」
「……ええ、そうよ」
カールの問いに、エミはゆっくりと頷いた。
半月ほど前、一人前の賢者となったばかりのエミは、オラン近くの発掘済みの遺跡の再調査に出かけた。すでに発掘済みだから危険もな
いはず。この仕事が終わったらついでにパルサー家に久しぶりに遊びに行こう。そう思って軽い気持ちで単身言ったのが間違いだった。そこ
には危険な魔獣実験をしていた魔術士が隠れ住んでいたのだった。
エミは捕らえられ、模造精霊の核移植の実験体にされてしまった。だが表意の実験の際に精霊が魔術士の意思に逆らいだし、魔術士を殺
害。その隙に逃げ出したものの、『核』の共鳴から自分を追ってくることを察したエミは、学院を頼ろうとオランまで逃げてきたのだ。町に入っ
たところで、騒ぎを聞いて、行ってみたら偶然オレに会ったというわけだ。
「実験室には人間そっくりに変身する能力を持つゴーレムも置いてあったわ。たぶんあいつはそれを私そっくりにして、仮の体に使っていると
思うわ。ごめんなさい、こんなことに巻き込んで」
そう言って頭を下げるエミに、オレは首を横に振った。
「謝ることなんてないさ。オレ達にまかせておきな。セリスさんはこれでもオランでもトップクラスの医者だ。あの人ならエミの体を元に戻せる
し、敵の正体さえわかれば、やりようはいくらでもあるさ」
そういってオレは微笑んだ。
「さてと、もうそろそろ手術が終わってもいいころだな」
いつ模造精霊が来てもいいように、パルサー邸の外で待っているオレに、同じく待っているトキオ兄さんが声をかけた。
「大丈夫、メイとキャリーが助手についているんだ。必ず成功するって」
そういってカールも愛用の三節棍を肩に担いだ。確かに、手先の器用なキャリーはいるし、メイの眠りの魔法や治癒魔法を応用すれば麻
酔や縫合も問題はない。だが、問題は手術のことではない。
「問題はこっちさ。さすがにもう撤退はできないし」
そう言って、オレは左手に持っている魔法の盾と、腰に吊るした予備武器の銀の小剣を確かめた。模造とはいえ精霊である以上、銀か魔
法の武器でないと効かないから、いつもの剣は使えない。カールの三節棍は銀製。兄さんは魔剣『修羅』を持っているが、それらに比べて明
らかにパワー負けしている。
「こんなことなら、魔法の盾じゃなくて銀の長剣でも買えばよかったかな。……さて、ぼやきはこのぐらいにしてどう戦うか考えないと。そう言え
ばカール、ご先祖は何て言っているんだ?」
オレはカールの腰の『レイシェントの剣』に目をやった。
「状況は伝えたんだけど、『それならもう手を貸すまでもなくお前らの楽勝だ』だって」
怪訝そうな顔でカールは首をひねった。どういうことか問いただそうとした時、兄さんが緊張した声を上げた。
「おしゃべりはそのくらいにしろ、来たぞ。……ん、様子が変だぞ?」
オレは即座に前方のこちらに歩いてくる人影を見た。確かにあのマント女だが、足元がおぼつかない。顔こそ相変わらずの無表情だが、今
にも倒れそうだ。
「貴様ら、何をした。『核』をどうした。……返せっ」
そう言うと、女の体から大きな炎のようなものが出てきて、それは二足歩行の人間より一回り大きなサラマンダーとなった。だが、その腹部
は大きく裂けていた。まるで手術で腹を切り裂かれたように。カールがそれを見て声を上げる。
「そうか!麻酔状態で痛みを感じないとはいえ、実際にはエミちゃんは体を切られているわけだから……」
そういうことか。麻酔も何もしていない模造精霊にとっては相当な深手のはずだ。
「相当弱っているようだな。これならご先祖が力を貸さないはずだな」
少しひょうしぬけた顔でトキオ兄さんが言った。もっとも、顔とは裏腹に、すでに『修羅』を抜いて、抜け殻となったゴーレムの体に駆けだして
いる。そのゴーレムのほうも、一瞬のうちに剣を持った兄さんにそっくりな姿になり、迎え撃つ。その腹部にも模造精霊同様に大穴が開いてい
る。
「こいつはオレに任せろ。なに、傷を負っているようだし、偽者でオレは倒せん!」
この手のゴーレムは変身した相手の身体能力なども模倣する。今のゴーレムは兄さんでないと太刀打ちできないはずだ。そう判断するとオ
レは剣を抜き、カールと共に精霊に向かっていった。
「……おのれ」
模造精霊がそう呻くと、オレ達の目の前に突然サラマンダーが4匹現れた。続いてこちらをギロッと睨めつけた。次の瞬間、オレとカールの
体が一瞬だけ炎に包まれる。また人体発火だ。だが、今度は以前ほどのダメージはない。やはり相当弱っているようだ。
「これなら何とか耐えれそうだな。行くぞ、カール!」
オレはそう言うと、『負傷治癒』の魔法を唱えて二人の傷を癒した。これなら人体発火や、サラマンダーの火炎攻撃にも十分耐えられそう
だ。
その時、キャリーが手術着のままの姿で、外に出てきた。手には小さな赤い宝玉。『核』に間違いない。
「みんな、手術成功したよ!」
そう言ってキャリーはゴーレムを追い詰めつつある兄さんに向かって『核』を投げた。兄さんはゴーレムを両断すると、返す刀で『核』を叩き
割った。いくら強力でも、偽者で兄さんを倒すことなどできはしない。
「ガアアアアアッ!」
『核』が破壊された瞬間、模造精霊が絶叫した。全身の炎の勢いが著しく弱まった。
「今だ!」
すかさずカールが『吹雪』の魔法を唱える。炎に吹雪は堪えるのか、次々掻き消えていくサラマンダー達をすり抜け、オレは盾を構えて模造
精霊に体当たりした。魔法の盾なら魔法の武器同様にダメージを与えられるはずだ。体当たりを受けて大きくよろめく模造精霊の顔面にオレ
は小剣を投げ捨てると右手をかざした。精霊の赤い目が驚愕に大きく見開かれた。
「……始末させてもらうぞ!」
魔力のすべてを注ぎ込んだ『気弾』の魔法をその言葉と共に放つ。至近距離で放たれた衝撃波は模造精霊の頭部を粉々に吹き飛ばして
いた。
数日後、オレ達は帰路に着くエミの見送りに来ていた。
「みなさん、本当にありがとうございました。セリスさん、手術代はいつか必ずお支払いしますから」
そう言って頭を下げるエミに、セリスさんはにこやかに言った。
「いいのよ別に。学院の給料だけで十分すぎるほどもらってるし。ところでガイ君、だいぶ眠そうね」
「ふああぁぁ。まあ、事後処理が色々あったからな」
オレは眠い目をこすって答えた。
神殿上層部や衛士への報告書の作成に、事情徴収のため衛士に連れて行かれたエミが早く釈放されるように奔走したりと、忙しい日々を
送っていたのだ。寝不足になるなというほうが無理な話だ。
「それじゃあ、いずれまた日を改めて遊びに来ますので」
歩き去ろうとしたエミは思い出したように足を止めた。
「ガイ君……、ありがとう」
そう言ってエミをオレにキスをした。…………。
「またね」
……………………………。
「あれ、どうしたの兄貴?顔真っ赤にして突っ立って」
「今のよっぽど刺激が強かったようね」
「まあ、パルサー家の男は代々色恋沙汰は苦手だからな」
「そうだね〜、トキオお兄ちゃんを見ているとよくわかるね〜」
横でみんなが何か言っているが、オレの耳には入ってなかった。オレはただ呆然とエミが歩き去っていくのを眺めているだけだった……。
(ガイの章・了)
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