第1章
ボクは暗い道をひたすら逃げていた。
追いかけてくる『それ』がいったい何なのか、何で追われているのか、そもそも、今ボクの走っているここがいったい何
処なのかも何故かわからなかったが、何かに追われているのは確かだった。
ボクは全力で走り続けていたが、追いかけてくる『それ』の持つものであろう強大な殺気が、ものすごい勢いで近づい てくるのがわかった。このままでは確実に追いつかれる。飛行の呪文なら何とか振り切れるかもしれないが、呪文を唱
えようと立ち止まっている間に追いつかれるかもしれない。そう思った瞬間に、背中に殴られたような衝撃が走ってボク
は地面に転がった。
「ぐわっ‥‥‥‥!」
痛みにこらえて身を起こしてボクは振り返った。そこには、黒い人型の影のようなものがたたずんでいた。人影といっ
ても、身長は普通の人の倍近くはある。背中の痛みはそれほど大したものではなさそうだが、こんなデカブツの攻撃を
背後から受けて、よくこの程度のダメ−ジで済んだものだ。
『影』はゆっくりとこちらに近づいてきた。顔の辺りも黒いので、表情も読めない。だが間違いなくこちらを敵視している
のが、感じられる殺気から想像できた。
<カ−ル、『剣』を使え!こいつはお前の思っている以上に強いぞ!>
腰に吊してある『レイシェントの剣』から、ご先祖の声が聞こえてきた。「なんだって!」
ボクは、そう言いながら、『影』から振り下ろされた腕を何とか避けた。目標を失った黒い腕は、地面を大きくえぐっ
た。
<そうだ!さっきのは、たまたま当たりどころがよかっただけだ。まともに食らえばタダではすまないぞ!>
そうご先祖が言う間にも、『影』は両腕を交互に腕を振り下ろしてきた。ボクはそれを避けるのに精一杯で、攻勢に転
じるチャンスがつかめないでいた。
「‥‥‥確かにその通りだな。‥‥‥行くよ、ご先祖!」
ボクはそう言って『剣』を抜いた。抜いた瞬間、『剣』の封印が解け、刀身が鋼から光の刃に姿を変えた。
ボクは『剣』を構えて『影』に切りかかろうとした。だが、ふと気がつくと、『剣』はもう光の刃を生み出してはいなかった。
いや、それどころか、発動中には強く感じた魔力が、全く感じられなかった。「えっ‥‥‥。どうしたんだ、ご先祖!」
必死に語りかけても、『剣』からご先祖の声が聞こえてくることはなかった。茫然とするボクに、『影』は再び腕を振り上
ろした。目の前に真っ黒な腕が迫ってきて‥‥‥‥‥‥。
「うわあぁぁっっ!」
慌てて跳ね起きると、そこは、昨日泊まった宿の一室だった。どうやら夜が明けて間もないらしく、窓の外は少し明る
い。
「‥‥‥‥夢か。‥‥‥‥しかし、縁起の悪い夢だったな‥‥」
ボクはそう呟いて、額の汗を拭った。
ボクの名はカールブレイド=パルサー。アレクラスト大陸東方部最大の国オラン。その首都オランにある賢者の一 族、パルサー家の三男坊であり、武術も使える魔術士、つまり魔法戦士である。年齢は現在一七才である。パルサー
家は賢者であると同時に、一代に最低一人は優秀な冒険者を生み出す、言わば『代々賢者にして冒険者の家』なので
ある。まあ、賢者が見聞を広めるために冒険に出ることは珍しくはないのだが、パルサー家の人間はそれが徹底して
いると言うわけだ。そんなわけで今も旅の最中なのだが‥‥それにしても不吉な夢だ。
ボクは部屋の壁に立て掛けてある三つの武器に目をやった。一つ目は一見すると、銀で出来た大きめの杖に見え
る。しかし、これは内蔵の鎖を伸ばして、三節棍、つまり三つの棒をつないだフレイルになるスグレモノだ。以前稼いだ
金で手に入れた特注品で、ボクとの付き合いもこれらの武器の中では最も古い。
二つ目は、こちらもかなり大型のクレインクイン(巻き上げ機付きのクロスボウ)で、こちらは三節棍とは逆に武器屋で
売っている市販品で、最近になって手に入れたものだ。しかし、市販品といっても、大きさも弦の強さも自他ともに認め
る馬鹿力であるボクの筋力に合わせてあるため、その威力は馬鹿にならない。巻き上げ式のため、連発がきかない
が、冗談ではなく小型の攻城兵器ぐらいの威力があるのだ。四ヵ月程前のベルダインでの事件では、その威力にずい
ぶん助けられた。
そして三つ目が、先ほどの夢にも出てきた『レイシェントの剣』である。ボクの家、パルサ−家の当主の証にして、初
代当主レイシェント=パルサ−の愛剣でもあった強力な魔法剣である。さらに、この世界の何処かにあるレイシェントの
意識(この剣そのものに封じられているわけではないらしい)と交信することもできるという、まさにパルサ−家の守り神
(少し大げさかな?)ともいうべき剣だ。
ボクはベッドから起きると、『剣』を手に取った。見ためは何ともないが、普段は魔力が封印されているために魔剣か どうかの判別はできない。「ま、こんなとんでもない剣が朝起きたら魔力が消えてましたってことはないか」
ボクがそう納得して、剣を再び壁に立て掛けた時に、どんどんと扉が激しく叩かれた。
「お、お兄ちゃん!大丈夫?さっき悲鳴が聞こえたけど?」
扉の向こうから少し慌てた様子のメイの声が聞こえた。‥‥確か、メイの部屋はここからかなり離れていたはずだ が。
今扉をたたいたのがメイ=ルーン。パルサ−家と同居してるル−ン親子の双子の妹で、精霊使いにして、母親のセリ
スさんの助手として医術も学んでいた。性格はやたら食いしん坊で、甘えん坊で、‥‥とにかく子供っぽい。ボクが彼女
たちと兄弟同然に暮らし出したのは六年前からだが、今になっても一才年上のボクを「お兄ちゃん」と言ってなついてく
る。ただ、いざという時にはうって変わって真剣な顔で取り組むのだから、女の子というのは全くよくわからない。
「大丈夫、変な夢見ただけだよ。そんなに慌てることもないよ」
ドア越しに安心させようと声をかけると、
「だってぇ〜、また危ない目にあったのかと思って‥‥」
少し安心した声が帰ってきた。数ヵ月前にベルダインで魔人によるテロに巻き込まれた一件でボクが囮になって以 来、ずっとこの調子なのである。まあ、心配してくれるのは嬉しいんだが、ことあるごとに大騒ぎするようになってしまっ
た‥‥。やれやれ。
数時間後、ボクとメイ、それとガイ兄貴とキャリーの四人は、宿の一階の酒場のテーブルで朝食を食べていた。朝早く
にあんなことがあったせいで、兄貴とキャリ−はともかくボクとメイは明らかに寝不足といった顔をしていた
「ふあああぁ、眠うぅ〜」
「ふあああぁ、眠いよぉ〜」
ボクとメイがそろってあくびをするのを見て、キャリ−が呆れたようにため息をついた。
「なによ、二人とも。寝たのそんなに遅くないでしょ」
彼女がメイの双子の姉のキャリー=ルーン。盗賊兼吟遊詩人でダーツ投げの達人である。多少世話焼きで大人びた
部分が以前からあったが、今回の旅の間に子供っぽいメイをたしなめたり、母親役が次第に板に付いてきた。まあ、本
来メイをたしなめる役の母親のセリスさんがいないのだから、当然の流れかもしれない。
どうやら、キャリーも兄貴も、今朝のボクの悲鳴にはまったく気づいてなかったようである。兄貴の部屋はメイよりはボ クの部屋に近いはずだったんだが‥‥。まあ、悲鳴をただの寝言だと思った‥‥としておこう。
あの後、なおも心配するメイをなんとかなだめて寝直したのだが、すっかり目が覚めてしまっていて、寝つけなかった のだ。おかげで寝不足というわけである。どうやら、メイも同様のようだ。
そのことを二人に告げると「なるほど」と納得したが、その後でメイが「ううん、アタシは『夢の中でお兄ちゃんは一体ど んなひどい目にあったのだろう』とずっと思っていたんで寝るどころじゃなかったんだもん」
というのを聞いたときは、さすがにボクを含めて全員テーブルに突っぷしそうになった。
「‥‥‥メイ、最近カール君にたいしてチョット神経質すぎるわよ」
頭を押さえながらキャリーが言ったが、メイは「だって〜」とごねるだけだった。まあ、そんなところもメイの性格の一つ なんだけれど。
「ま、まあいいか。それより‥‥‥」
と言って、ガイ兄貴は机に地図を広げた。そこには、アレクラスト大陸を東西に伸びる『自由人の街道』と、街道沿い の町や村が描かれていた。以前の冒険の報酬で購入した『自由人の街道』の東方部分の宿場の地図である。
「今いるのがこの町だから、オラン国境まであと三日。遅くても一週間弱ってところだな」
地図上の町の部分にペンにチェックを入れながら、兄貴はその先の街道と国境線の交わる地点を指さした。
彼がボクの下の兄であるガイ兄貴ことガイアット=パルサー。至高神ファリスの神官戦士で、オランのファリス神殿に
いたときは神官戦士団で活躍していた。ただし、熱血漢で、たびたび上司と衝突することも多かった。ちなみにボクとは
年子である。
「この調子だと、オランの町に着くのはあと二ヵ月弱ってところねっ」
嬉しそうにキャリーが言うのを聞いて、メイがパッと顔を輝かせた。
「と言うことは、お姉ちゃん!あと二ヵ月で家に帰れるの?」

目をキラキラさせながら尋ねるメイにキャリーは苦笑しながら答えた。「ま、そうゆう事ね。でも、まだ二ヵ月もあるの よ。浮かれるのはまだ早いわよ」
そう言ってメイをたしなめるキャリーをボクは(まだ眠いせいもあるが)ぼんやりと見ながら、物思いにふけっていた。
(そうか、もうそんなところまで来たんだな‥‥)
ボクがメイ達と知り合って六年以上がたつ。きっかけは、上の兄であるすご腕の戦士のトキオアダカード=パルサー
が南のロ−ドス島での武者修行から帰ってきたときに同じ船に乗っていた未亡人と双子の姉妹の世話をしたのが始ま
りである。母親のセリス=ルーンは、ベテランの医者兼魔術士だったのだが、ロ−ドスで起きた戦乱のために幼い娘二
人と共に大陸から逃げてきたのだ。確か今年で三十三才になるのだが、ハ−フエルフで老化が遅いため、現在二十五
才のトキオ兄さんよりも若く見える。
そして、トキオ兄さんと会ったことが縁で彼女たちル−ン親子はパルサー家に居候することになった。
月日は流れて、ガイ兄貴、ボク、メイ、キャリーの四人は相次いで成人し、トキオ兄さん、セリスさんと共に代々のパル
サー一族がそうしたように冒険者としてオランの自宅を根城に活動していた。
そして、ボクの17の誕生日のときに、ボクは父さんのラウドルフ=パルサ−から『レイシェントの剣』を渡され、いきな
りパルサー家の次期当主に任命されてしまったのだ。どうやら、『剣』との相性が兄さん達よりボクのほうが良いからら
しいが、とにかく、あまりにも唐突なことだった。かくして、ボクは次期当主の肩書きと『剣』を手に入れたわけである。
その後、時には『剣』や仲間たちに助けられながらいくつかの冒険をこなしていた。そんなとき、大陸の西方部の都 市、ベルダインでのちょっとした調査にセリスさんの代役にボクが行くことになった。
この調査の旅をボクが引き受けたのは、このときセリスさんの仕事が忙しかったからというのもあるが、「このところ兄
さん達に頼りすぎではないか」と思い始めていて、いい機会だからと兄さんとセリスさんに留守を頼んで、ガイ兄貴、メ
イ、キャリーと共にセリスさんの瞬間移動の魔法で旅立ったのである。
しかし、そのベルダインで魔神によるテロ事件に巻き込まれ、兄さん達がいない上に、前の仕事で魔力が弱体化して
修理中だったため『剣』が使えなかったボク達はかなり苦戦した。
結局、魔神が町を破壊するために使用しようとした魔法の道具を逆に魔神に使うことでボク達が勝利したが、その一
件で自分は力不足だと思ったボク達は、セリスさんの迎えを断って、西方からオランまで続く『自由人の街道』を渡っ
て、自力でオランまで戻る武者修行を兼ねた旅に出たのだった。もちろん、その道中も盗賊ギルドの抗争に巻き込まれ
たり、お化け屋敷の探索をするはめになったりといろんな事件に巻き込まれ‥‥‥。
「‥‥カール。おい、カール!」
ふと気がつくと、ガイ兄貴がボクの名を呼んでいた。
「え?」
「え、じゃないだろう。寝不足なのはわかるが、これから出発しようというときに椅子に座ったままで居眠りするなよ」
兄貴はあきれ顔で言うと、居眠りしてる間に持ってきたのだろう、ボクの背負い袋と武器を手渡した。
「あ、ゴメン、ゴメン」
そう言って慌てて『剣』と三節棍を腰に差し、クレインクインを背中に背負って、バッグを肩に担いだ。
チェックアウトを済ませて宿を出ると、空はきれいに晴れ渡っていた。まあ、絶好の冒険日和というやつだ。
(ねえ、ご先祖‥‥)
兄貴達と町の門まで歩きながら、ボクは腰の『剣』、正確には『剣』を通してご先祖ことレイシェントに話しかけた。
<ん?どうした、カール>
ボクの心に直接声が聞こえてきた。ご先祖であるレイシェントの声だ。(この『剣』って、ある日突然使えなくなったりし
ないよね)
<なんだ?この前まで『剣に頼らなくてもいいようになりたい』って言ってなかったか?>
(あ、いや、そう言う意味じゃなくて、仮にも家の家宝だしもし壊れてたりしたら‥‥)
慌てて言うボクの心に、ご先祖の苦笑したような声が響いた。
<心配するな。そんなヤワには作ってないさ>
(そうか、そうだよね‥‥)
「何してるの、お兄ちゃ〜ん。もう行くよ〜」
いつの間に先に行っていたのか、町の門からメイの元気な声が聞こえてきた。
「あ、すまない、今行く!」
ボクはそう言って門に向かって駆け出した。
(続く)第二章 へ