それから数日後、オレはオランの町に戻ってきた。まずは、官憲によって今回の手配犯の件
を報告するついでに、ラルグに聞いた族長の娘について調べてくれと頼んでみた。 オレの話を聞いた顔見知りの衛視には、一応調べてみるが、あまり期待しないでくれと言わ
れた。まあ、ラルグにはああ言ったものの、冷静に考えてみれば、いくら入れ墨という目につく 手がかりがあっても、十八年前に行方知れずになった人を探すのは容易でない。第一、仮にも 世界最大の都市と言われているだけあって、オランの官憲は常に忙しい。それほど力を裂くこ とはできないだろう。 (しかたない、オレの方でも探してみるか)
オレは心の中でそう呟くと、町の端にある自宅に向かった。しばらく歩くと、屋敷と言うには一
回り小さいぐらいの家が見えてきた。オレの、正確にはオレ達パルサー家の邸宅である。 「ただいまー」
オレがドアを開けると、「お帰りー」と言うトキオ兄さんの声が旨そうな匂いとともに奥の台所
のほうから聞こえてきた。 「あれ?今日は兄さんの食事当番だっけ?」
台所に足を踏み入れると、トキオ兄さんが夕飯の支度をしていた。
彼がパルサー家長兄のトキオアダカード=パルサーである。年齢は二十七才。こうして台所
に立っている姿を見ただけでは誰も思わないだろうが、この若さでオラン国内、いや、アレクラ スト大陸東方部でも十本の指に入る凄腕の剣士である。そしてもうすぐ一児の父親になる男で ある。 兄さんはオレの方を振り向くと、もう一度「お帰り」と言うと、
「忘れたのか?お前がいきなりカゾフに行ったから、お前の当番の日はオレやキャリーが代わ
りにやる。その代わり帰ったあとしばらくお前がそのぶんやるって出発前に言っただろ」 と、少し顔をしかめながら言った。
「あ、そうだった。ってことはオレが出発して今日で五日だから‥‥」
「その間お前の当番の回数は六回だったから、明日と明後日は朝昼晩お前にやってもらうぞ」
指折り数えながら考えるオレに、兄さんはそう言ってから鍋の中身を味見した。
「うん、我ながらよくできたほうだな」
「料理の出来はいいとして、他のみんなは?」
一人うなずく兄さんに、オレは訪ねた。
「親父は二階の書斎で適当にくつろいでいるさ。セリスさんはキャリ−に付き添われて定期検
診に行っているよ」 「なるほどね。でも、普通こういうときは夫が付き添うものじゃない?」
オレが何気なく訪ねると、兄さんも平然と答えた。
「オレもそう言ったが、向こうが『ちょっと出かけるぐらい大丈夫だから』と言っていたし、キャリ
ーも『たまにはアタシが付き添いたい』と言ったんでね。まあ、あと半年足らずでキャリーも二人 目の妹か弟ができるわけだし今から楽しみなんだろう」 その時、玄関のほうから、「ただいま〜」という女性の声が二人そろって聞こえてきた。
「あれ、ガイ君もう帰ってきたんだ」
オレを見て少し驚いた声を上げたのが、キャリー=ルーン‥‥。おっと、母親が再婚したの
で今はキャリー=ルーン=パルサーだった。移籍荒らし専門の盗賊にして吟遊詩人である。今 年で十八になる。性格は世話好きでやや大人びている。双子の妹のメイがいなくなってから は、世話を焼く相手がいなかったが、母親が妊娠して以来、何かと気を配っている。食事の支 度を当番制にしたのも、「お母さんの負担を減らしたい」とキャリーが言い出したのがきっかけ である。 「お帰り、ガイ君。仕事早く終わったみたいね」
そう言ってきた薄い褐色の肌をしているのが、そのキャリーの母親にしてトキオ兄さんの妻の
セリス=ルーン=パルサーである。現在三十五才だが、ハ−フエルフで老化が遅いため、二 十前半ぐらいに見える。魔術士兼医者で、賢者の学院の導師兼医師という優秀な人である。さ らに付け加えるなら現在妊娠五ヵ月である。 しばらくして、夕食の席で、オレはみんなにカゾフの土産を渡しながら、ラルグと再会したこ
と、ラルグが人探しをしていたことをみんなに話した。 「手がかりは羽の入れ墨か‥‥。少なくてもワシの記憶にはないのう」
兄さんの作った料理を食べながら親父は首を傾げた。
父のラウドルフ=パルサーはパルサー家の現当主である。家では一番の博識で、いい加減
六十になるが記憶力も抜群である。その親父ですら、心当たりがないというのだ。 「それで、ガイ君がそれを手伝うってわけね。私も手伝いたいところだけど‥‥」
少し困った顔でセリスさんが言うのを兄さんが遮った。
「だめだよ、セリスさん。今大事なときなんだから」
「わかってるわよ、トキオ君」
トキオ兄さんの真剣な顔に、セリスさんはクスクス笑いながら言った。
「トキオ兄さんの言う通りよ。カール君とメイが帰ってきたときに、子供の元気な姿を見せて、
『メイももうお姉ちゃんだよ』と言うのが今から楽しみだっていつも言っているじゃない、お母さ ん」 キャリーもそう強い口調で言った。
「カールとメイか‥‥。今頃アイツ等どうしてるかな」
キャリーの言葉にオレはふと、一年半ほど前に姿を消した弟たちのことを思い出した。
「まあ、あの二人のことだから、元気でやっているじゃろう」
親父は軽い口調で言ったが、オレはもちろん、多分全員が同じ思いだった。
オレ達パルサー家がセリスさん達ルーン親子と出会ったのはもう八年も昔のことになる。トキ
オ兄さんはオレぐらいの年の頃に、南方にあるロードス島に武者修行にいったことがあるのだ が、その帰りの船に乗り合わせたのが、セリスさんとその双子の娘達であった。当時ロードス 島は、長年続いていた戦乱が一時的に収まっていた状態で、戦乱で夫を失ったセリスさんは 大陸に移住するところだった。その時に兄さんと知り合って、それがきっかけでルーン親子は パルサー家に同居することになった。 トキオ兄さんとセリスさんは、その時からお互いを意識していたようだが、セリスさんがハーフ
エルフの未亡人でしかも二人の子持ちのためか、あるいは兄さんが女性を相手にするのが苦 手なためか、なかなか二人の中は進展しなかった。結局二人が結婚したのは出会ってから六 年が経っていた。この時、オレとキャリー、それとオレの弟で魔術士兼戦士のカールブレイドと キャリーの双子の妹のメイの四人は、長い冒険の旅から帰ってきたところで、家に帰ればオレ 達がいない間に婚約していたと宣言されて本当に驚いたものだ。 そして、もっと驚いたことに、結婚式の翌朝にオレ達が気がついたときには、カールとメイが
自分たちの旅支度とともに姿を消していた。冒険の旅の途中で家宝であるパルサー家開祖レ イシェント=パルサーの剣を失ってしまったカールは、「レイの遺産の存在と場所がわかったの で探しに行く」という書き置きを残して姿を消してしまった。同時にメイも「カールお兄ちゃんにつ いていく」という書き置きを残して消えた。 それからもう一年半が過ぎた。時々手紙は送ってくれるから、二人とも元気で旅を続けている
ようだ。それによると、すでにいくつかの遺産は見つけたらしい。まだ遺産は残っているので帰 れないが、土産を楽しみにしてくれとも書いてあった。だからオレ達も「アイツ等が戻ってきた ら、笑顔で出迎えよう」ということにして、二人の帰りを待っている。 そうして二人を待っている間も、オレたちはオランで日々を過ごしていた。兄さんとセリスさん
の結婚によって、ルーン親子は正式にパルサー家の一員となったのだが、実際には、結婚前 とはそんなに変わったわけではない。当の兄さんとセリスさんも、先ほどの会話でもそうだった がお互いの呼び名も「セリスさん」「トキオ君」と、全然変わってない。変わったことといえば、セ リスさんが妊娠したぐらいである。 しかし、だからといって何も起こらないわけではない。冒険者の一族であるパルサー家の人
間は、色々な事件や冒険者の仕事に出くわす。セリスさんは妊娠中。カールとメイは今いない のだが、それでも仕事の合間などに冒険者稼業に出ることは多かった。 「それで、ガイ。人探しもいいが、カゾフに行っていた間肩代わりした家事当番。さっき言った通
り明日からやってもらうからな」 夕飯も終わって、後片付けをしながらトキオ兄さんはオレに言った。
「わかっているよ。返上になった休み、明日に取り直したから。だから明日は夫婦水入らずで
ゆっくりしていいよ」 オレがそう言ったとき、玄関からドアをノックする音と、
「たのもー!」
と言う大きな声が聞こえた。
「何かな、こんな時間に。それに『たのもー』なんて、道場破りじゃあるまいし」
キャリーがそう言って首をかしげた。
代々冒険者のパルサー家には、長年培われてきた一族特有の剣や格闘の術とかはある。
例えばオレはファリス神殿で教わった捕縛術に、家に伝わる格闘術でアレンジを加えてある。 しかし、別に家は道場をやっているわけではない。 「あ、兄さん。オレが出るよ」
片付けの手を止めようとした兄さんに声をかけて、オレは玄関に向かった。
「誰ですか?こんな時間に」
オレはそう言いながらドアを開けた。
「ここにトキオアダカードという‥‥」
ドアの向こうの相手はそう言いかけて絶句した。
パッと見た感じ二十チョイぐらいの女性である。栗色の髪をお下げにして額にバンダナをして
いる。使い込まれた皮製の胸鎧に頑丈そうなグローブをつけているが、他に武器の類いは見 られない。しかし、少なくても鎧をつけている以上は唯の客ではなさそうだ。 相手は一瞬言葉を失っていたが、すぐに我に帰って言った。
「ここにトキオアダカードという男がいるはずだが‥‥」
「え?兄さんに何のようですか?」
オレは怪訝そうに訪ねた。
「ロードス島での知り合いが訪ねてきたと伝えてほしいんだけど」
尚もそう言うので、オレは兄さんを呼んだ。
「兄さん、お客さんだよ」
「はいはい、誰?」
兄さんはそう言うと、片付けの手を休めて玄関の方に来た。
「‥‥お前は!」
驚いた声を上げる兄さんに、
「久しぶりだね、トキオアダカード」
そう言って兄さんを睨むように見る彼女に、兄さんは顔をポリポリと掻きながら言った。
「‥‥すまん、見覚えはあるんだが、誰かわからん」
その言葉に、オレも彼女も口をポカンと開けて、しばらく硬直していた。しばらくして女性は立
ち直ると、震える声で言った。 「き、貴様‥‥。この『溶岩弾のリサ』を忘れたと言うのか‥‥」
その言葉に、トキオ兄さんは少し考えると、「あ!」と声を上げた。
「思い出した!オレが大陸に帰る前に勝負を挑んできたガキか」
「誰がガキだ!あのとき僕は十五才だ。それほどガキではない」
コメカミの辺りをピクピクさせながら、リサと名乗った女性は兄さんに言った。
その後、居間に場所を移してリサは自分のことを説明しだした。
彼女はロードス島で育った格闘家だった。八年前、若くして傭兵をやっていた彼女は、ふとし
たことからすご腕の剣士であるトキオ兄さんの存在を知り、決闘を申し込んだ。しかし、兄さん に軽く一蹴され、「もう少し腕を上げてから出直してこい」とまで言われてしまったのだ。そこで、 兄さんが帰国した後も「打倒トキオ」を夢見てひたすら腕を磨き、リベンジのためこうして追いか けてきたのだった。 「と言うわけで、改めて勝負を申し込みたい!」
話し終えると、リサはトキオ兄さんに強く言った。
「‥‥なるほど、それなら受けるのが礼儀だな」
ボソッと兄さんが言うを聞いて、リサは顔を輝かせた。
「それでは‥‥!」
「と言いたいところだが、今は戦士としては休業中だ。家内が妊娠していてな。しばらく荒事は
避けたい」 セリスさんのほうを見ながらトキオ兄さんがそう言うと、リサは一瞬面食らったような顔をし
た。 「そ、そうか、それはおめでとう‥‥‥。じゃなくて!決闘ぐらいいいだろ!別に真剣で戦えとま
では言わんから!」 尚もそう言うリオに対し、兄さんは言葉を続けた。
「それに、お前が本当にオレと戦えるぐらい強くなったのか?」
「し、失礼な!これでも実戦経験もかなり積んでいるんだぞ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るリサ。
「チョット、言い過ぎよ、トキオ兄さん」
さすがにこれにはキャリーも顔をしかめながら言った。ちなみに、キャリーと兄さんは今や義
理の親子だが、こちらの呼び名も相変わらず「兄さん」である。 「キャリーの言う通りよ。でも、トキオ君もただ単にそんなことを言ったわけではないと思うけど」
セリスさんもそう言うと、兄さんのほうを見た。それに関しては悪いがオレも同意見だ。戦士と
しての技量の高い兄さんは、相手の大体の強さを読むことにも長けている。俗に言う「戦士の 勘」というやつだ。その兄さんのことだ。今のリサの力量を読んだ上であんなことを言ったのだ ろう。もっとも、オレも剣の腕は並みよりはあるほうだが、さすがに兄さんのような「戦士の勘」 を使いこなせるまでの域には達してない。 「確かに前よりは強くなっているとオレも思うが、オレと同等の域に達しているかどうかはわか
らん。そこでだ、オレが今から指名する奴と戦って勝ったら、オレと戦う権利を得るというのは どうだ?そうすれば、オレもどれだけお前が力をつけたかわかるしな」 トキオ兄さんはにこやかな顔でそう言うと、オレのほうを見た。
(チョット、何でそこでオレのほうを見る。‥‥‥まさか)
嫌な予感がオレの脳裏をかすめた。そして、その予感通り、兄さんはオレに向かってこう言っ
た。 「と言うわけで、頼んだぞ、ガイ」
次の瞬間、
「やっぱりぃぃぃっ!」
「そ、そんなぁぁぁっ!」
オレとリサの絶叫がパルサー邸に響き渡った。 |