第3章
 
 その翌々日、オレは疲れ切った顔でファリス神殿の神官戦士詰め所のドアを開けた。
「あ、ガイ。お早う。楽しめましたか、休暇は」
 部屋に入ってきたオレを見て、金髪の男が声をかけてきた。オレと同じ神官戦士のロム=ア
ーデンだ。美形な上にオレとは対照的におとなしく優しい性格のために、女性神官のあこがれ
の的である。しかし、ラルグのときもそうだが、何故か性格の全然違うオレとウマが合うのであ
る。
「それどころじゃなかったよ‥‥」
 疲れた顔でそう言うと、オレは自分の机についた。そして簡単に、リサについての話をした。
 二日前、兄さんにリサとの決闘相手に指名されて、オレはもちろんリサも兄さんに反論した。
しかし、兄さんに、
「ガイに勝てるかどうかで、お前がどれだけ力をつけたかの目安になる。つまりガイに勝てれ
ば、オレも全力で戦ってもいい‥‥‥ということだ。オレが下手に全力出すと、真剣を使わなく
ても相手が並程度の腕ならよくて再起不能、最悪なら死んでも不思議はないんでな」
 と、真顔で言われては意見を押し通すことはできなかった。実際に、兄さんの剣の腕なら、そ
のぐらいできる実力があるのだ。今の兄さんの実力を知らないはずのリサも、そのことは察し
たのか、
「少し考えさせてくれ」
 と言って、その日は去っていった‥‥。
「なんだ、別にパルサー家にとっては普通のことじゃないですか」
 そこまで話をすると、ロム平然とした顔で言った。
「まあ、そこまではな。問題はその翌日だ‥‥」
 尚も疲れた顔で、オレは続けた。
「ふっきれたのか、次の日の朝からリサがオレに『私と戦え〜』と追い回すようになってな。一方
のオレはまだ完全に心の準備ができてないのに、そんなことされると余計にやる気が失せてし
まってな。
 まあ、兄さんの言うこともわかるが、いきなり『オレの代わりに戦ってね〜』って言われても、
まだ納得できかねるしな。それにオレって女と戦うのは苦手だし」
 そういってため息をついたオレに対して、ロムはクスクス笑いながら
「確かに、いつかの植物スキュラの件といい、ガイにはどうも女難の相がありますからね。家で
もキャリーちゃんやセリスさんにますます頭が上がらなくなっているとか?」
と、痛いところを突いてきた。
「大きなお世話だ!だいたい、植物スキュラ退治は元々お前の問題だったろう!」
 オレがそう言ったその時、玄関のほうから詰め所中に響き渡るような大声が響いてきた。
「いるかー、ガイアット=パルサー!いい加減勝負しろー!」
「ゲゲ、ここまで追いかけてきた!」
 オレは裏口のほうに向かうべく、席を立った。
「悪ぃ、ロム!司祭様達にはパトロールに行ったとでも言ってくれ!」
「・・・・ガイ。ファリス神官の私がそんなウソ言えると思いますか・・・・」
 苦笑しながらツッコミを入れるロムを尻目に、オレは大慌てで駆け出していた。

「・・・・一応は撒いたみたいだな。やれやれ・・・・」
 リサに追いかけられて町中を逃げること数十分。オレはため息をつきながら一軒の『冒険者
の店』の扉を開けた。
 有名な『古代王国の扉』亭ほどではないが、オランの『冒険者の店』でもかなりの老舗の『古
ぼけた文献』亭である。なんでも、創始者がそこそこ名のある学者で、何を思ったかドロップア
ウトしてこの店を始めたとか。その創始者が当時のパルサー家と懇意だったらしく、今でもパ
ルサー家御用足しとなっている店である。あちこち逃げ回った挙句、どうやら自然と馴染みの
店に足が向いてしまったようだ。
 オレは中に入ると、念のために店内で酒を飲んでいる冒険者の中にリサの姿がないか見回
すと、ほっとため息をついた。
「あれ、ガイ君どうしたの?こんな時間に」
 店内に流れていた軽やかなギターの音が止むと、店の奥からキャリーの声が聞こえてきた。
そういえば、ここはキャリーがよく歌を歌いに来る店でもあったっけ。
「リサに追いかけ回されていたんだよ。あ、店長、少しかくまって」
 ぶ然とした表情でキャリーにそう言いながらも、カウンターの店長に声をかけた。グラスを磨
いていた店長はオレの言葉に軽く頷くと、開いている椅子のあるテーブルを目で示した。テーブ
ルには先客が一人いた。
「お疲れさん、ガイ。なんか飲むか?」
「一応勤務時間だから、酒はまずいしな・・・・。って、何でここに兄さんがいるの!」
 声をかけてきた先客に答えようとして、オレは思わず飛び退いた。先客の招待はトキオ兄さ
んだったのだ。
「『私の世話もいいけど、少しは気分転換したら』ってセリスさんに言われてね。散歩していたら
いつもの癖でここに来ていた。それはそうと苦労しているようだな」
 微笑を浮かべながらそういう兄さんに、おれの機嫌はますます悪くなった。
「誰のせいだと思っているんだよ、誰の!オレが女の子(と戦うのが)苦手なの知ってるだろ
っ。その上職場にまで押しかけられるし・・・・。本当はカゾフの事件の書類、今日のうちに片付
けて官憲に提出したかったんだぞ」 オレは珍しく兄さんに食ってかかった。
「悪い悪い。でもマジメな話力量がつかめてない相手にいきなりオレがしばき倒すのもマズイか
らな。・・・・それに、既婚者であるオレではリサと戦うわけにはいかないんでな」
「・・・・チョット待った。なんで結婚と決闘が関係あるの。『何度も戦っているうちに腐れ縁を経て
相手のほうが惚れちゃった』なんて、コメディみたいな話になったとでもいうんじゃないだろう
ね?いくらなんでもそんなことになるわけ・・・・」
 俺はそういって笑い飛ばそうとしたが、続く兄さんの言葉にその笑いは凍りついた。
「そうだな。だったらよかったんだけどな・・・・」
 兄さんの顔には、まるで『何か嫌なことを思い出した』と書いてあるようだった。
「それってどういうこと?トキオ兄さん」
 いつの間に近づいていたのか、キャリーが俺のとなりに座って兄さんに尋ねた。
(なんかとーっても嫌な予感がするな・・・・)
 オレがそう思ったのを知ってか知らずか、兄さんは語り出した。
「『溶岩弾のリサ』。ロードス時代の傭兵の中ではあらゆる意味で有名な奴だったからなー。
 あいつはな、本人は全く気づいてないんだが、ホレっぽい性格なんだ。しかもどうやら男に惚
れたときのドキドキ感と、自分より強い相手に出会ったときの戦士としての高揚感の区別がま
ったくつかないって噂だ。そしてそれを裏付けするかのように、ヤツに決闘を挑まれて張り倒さ
れた戦士たちは全員が男。それもルックスがよかったり、人望にあつかったりと、某かの魅力
を持っている奴ばっかりだったからな」
「それって微妙に自分を褒めてない?ねえ、ガイ君・・・・。あれ、顔が青いよ?」
 この段階でオレにはこのキャリーのツッコミに答える余裕はもうなかった。オレの脳裏に、一
昨日オレと初めて会ったときに、リサがオレの顔を見て一瞬だが立ちすくんでいたことが思い
出されたからだ。そして今の兄さんの言葉。ついでに言えば、自覚はないがオレもルックスは
ロム程ではないが水準以上はあるとロム本人や親父にはよく言われる。
 ・・・・・・もしもリオが絶句した理由がオレの考え通りだとしたら・・・・。
「まあとにかく、あいつと腐れ縁になる前に何とかしたほうがいいぞ。リサは猪突盲進な上にも
のすごくしつこいしな。惚れられるにせよ、ライバル視されるにせよ、そうなってからでは遅い
ぞ」
「あ、ありがとう、兄さん。でも、そういうのは最初に言ってほしかったな・・・・。あ、店長、厨房の
裏口通らせてくれない?」
 そう言いながらオレはそーっと裏口に歩き出した。なぜならたった今、窓の外からリサがオレ
を探して通りをうろついている姿が見えたからである。ここにいることがバレるのも時間の問題
だ。店長も無言で(クスクス笑いながらだが)カウンターの通用口を開けてくれた。
「最初って・・・・。あ、確かにガイ君なら見た目そこそこいいし・・・・」
 オレの言いたいことを察したのだろう。キャリーがポンっと手を打った。トキオ兄さんもハッと
気づいたような顔をした。・・・・どうやら完全に失念していたようだ。リサの『目的』がオレにすり
代わるかもしれないということを。
「スマン!この埋合せは必ずするから!」
「約束だからね、兄さん!」
 オレは頭を下げる兄さんにそう言うと、裏口を開けて裏路地へと駆け出した。いずれにせよ、
兄さんの話を聞いて余計に決闘をやる気がなくなった。だったら答えは一つ。
(とにかく今日は逃げる!)
 オレは逃げながら心に強く誓った。
 ちなみに、リサの追跡は執拗を極め、オレは結局辺りが完全に暗くなるまでオランの町中を
逃げなければいけなかった。

 次の日、オレは仕事にも行かず・・・・いや、行けないと言ったほうが正解だろう。とにかくその
日は家にいることにした。
 いくらリサでも何度も人様の家にまで押し入る気はないようだ。それとも、いい年した父さん
や、妊娠中のセリスさんもいることを配慮したのか。どっちの理由か聞いてみたくはあるが、と
ても聞く気にはなれない。家の外でこちらを伺っているリサ本人には。
「しっかし、よく続くわねー、あの子も。これ以上は気の毒だし、決闘受けてあげたら?ガイ君」
 居間の窓から彼女の様子を見ながら、セリスさんがオレに言った。
「う〜ん、確かにこのままつきまとわれるのも嫌だしな〜。・・・・ふうっ、どうしたものかな」
 オレはため息交じりでこう返した。
 毎日逃げ回るにしろ、家に立てこもるにせよ、この状態が続くようでは、たまった書類整理ど
ころかラルグに頼まれた人捜しもできない。そうなると、残った手段は決闘に応じるしかないと
いうことになる。しかし、仮にも兄さんにリベンジを挑むぐらいだ。戦うにしても楽に勝てる相手
ではないだろう。それに何より、オレはまだ決闘を受けて立つ気にはなれなかった。そんな中
途半端な気持ちでは戦いたくないし、彼女にも失礼だ。
 昨日は「恋愛のドキドキと強い相手と出会ったときのドキドキの区別もつかないような奴と戦
えるか」なんて思ったが、まあ、彼女なりに真剣なんだし、結局のところオレがしっかりと気持ち
を受け止めてやらないといけないわけで・・・・。
「あれ、あそこにいるのラルグ君じゃない?」
 あれこれ考えているオレの耳に、セリスさんの声が聞こえた。窓からそっと見てみると、パル
サー邸のほうに、鳥の羽を肩あてに指した男が歩いてくるのが見えた。間違いなくラルグだ。
 ラルグはこちらにまっすぐ歩いていたが、途中で足を止めて家のほうを伺っている怪しげな
女・・・・つまりリサの方を見た。遠目からでもいぶかしげな顔をしているのがわかった。
「あちゃ〜。こりゃ、こっちから出迎えたほうがよさそうだな・・・・」
 オレはそう言って家の外に出た。リサとラルグが何か一悶着起こす前に彼を家の中に非難さ
せないといけない。そう思ってオレが二人に近づいた時にはラルグがリサに詰め寄っていると
ころだった。切れ切れに「何をしていた?」「お前には関係ない!」とかいうのが聞こえてくる。
「はいはい、そこまで。すまないな、ラルグ」
 オレはそう言って二人の間に入った。
「おお、ガイアットか。この女がお前の家をじろじろ見ていたぞ」
 ラルグはそう言ってリサを胡散臭そうに見た。まあ、確かに人の家を除いていた以上、誰が
どう見たって怪しい。
「僕をそんな目で見るな!僕はただ、ガイアットが出てくるのを待っていただけだ。とにかく、出
てきた以上は今度こそ勝負してもらうぞ、ガイアット=パルサー!」
 そう言ってリサは身構えた。
「やっぱりこうなるか・・・・。とりあえず・・・・」
 先にラルグを家に連れていって休ませてやりたいんだが。そう言おうとしたのだが、先にラル
グの方がリサに向かって口を開いた。
「勝負?事情は知らぬが嫌がっているようではないか。見たところ腕は立つようだが、決闘の
無理強いはあまり褒められたものではないな」
 カチンと来たのか、リサも言い返す。
「うるさい!部外者が横ヤリ入れるな!」
 そう言うと同時に、リサはラルグに正券をたたき込もうとした。しかし、拳がラルグの顔に到達
する前に、オレの手がそれをなんとか受け止めていた。受け止めた手がジンジンとしびれる。
かなり力とスピードの乗った一撃だ。
「いいかげんにしろ。まだ受けると決めたわけではないが、それにしても殴る相手が違うだろ」
 オレは痺れる手で彼女の拳を掴んだまま、少し強い口調でリサを睨つけた。
「くっ・・・・」
 リサは微かにうめくと、手を振り払った。その拍子に彼女がしていた手袋がすっぽ抜けた。そ
して、露になった手の甲には・・・・。
「え・・・・?」
 オレとラルグは茫然とした。彼女の右手の甲には、三色に塗りわけられた鳥の羽の入れ墨
があったからである。
「な、何だ、この入れ墨がどうかし・・・・」
 予想外のオレ達の反応に戸惑うリサも、途中で硬直した。彼女の視線の先には、ラルグの左
手、正確にはそこに彫られた鳥の羽根の入れ墨があった。
「リ、リファリサ様・・・・?」
 魂の抜けたような顔でラルグが呟いた。この男のそんな顔を見たのは初めてだ。
「マジかよ・・・・・・・・・・・・」

 オレは頭が真っ白な状態になってしまい、そう呟くのが精一杯だった。このときわかっていた
ことは、状況がとんでもない展開になってきたということだけだった・・・・。

(続く)第四章へ

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