タクティシャン

序章 訪れる始まり

 剣と剣が入り乱る混沌と戦乱の時代。そんな時代の中で、ある戦争が勃発する。

”渦雲の戦”

 数十年前。当時の関係者達が口を揃えてそう呼び、 二柱の国王が激しく対立したことによって、もたらされた戦争。 永きに渡る戦闘の末、片方の国が降伏するという形に終結を迎えた。 ところが、この戦争により命を落とした兵士は、誰一人としておらず、 皆、何事も無かったかのように、生還を果たしたというのだ。

 後に、この戦争は極秘裏に処理され、 「此度の戦は両国の対立が生じた誤解である」との報を民衆達に流し、 多くの謎を残したこの戦争は、やがて人々の記憶から”まるで雲が去るかのように”忘れ去られていってしまった。 現として唯一これを知る者は、当時の戦争に携わった全ての関係者達と当時の王。

……そして、一人の少年のみである。





 ――人々が寝静まる闇夜の空の中。 無数に浮かび上がる小さな星々は、この漆黒に染まった世界を点々と映し出している。

 遙か北の大地に位置する、とある城下町。 程なく深夜の訪れを迎える頃。異様な静寂に満ちたこの街もまた、街灯の淡い灯火だけが寂しく照らしているだけ。 全くと言っても良い程に人気は無く、話し声すら聞こえない不気味な静けさの街の中に、 ポツポツと、雪を踏みしめるような音は、どこからともなく聞こえてくる。

 一面雪景色の白い城下町の雪の上で、分厚い褐色の布着に身に包む黒髪の少年は、 城下町の大きな街門をくぐり、静まり切った街の中を黙々と、その歩を刻んでいた。 旅人を思わせる服装で、その風貌からは10歳前後の子供に見えるものの、 街の景色に目移りせず、表情一つすら変えず、ただ真っ直ぐの方向へと歩き続ける少年の表情は、 どこか大人びた雰囲気が醸し出されていた。

 少年が街の中で黙々と、ひたすらに歩き続けること、およそ10分。 街の中心部の大きな王城を前にすると、少年はようやくその足を止めた。 雪に覆われた外壁が、街灯の微かな灯りに照らされて輝きを増し、 凛々しくも燦然とそびえ立つその王城は、まるで1人の小さな旅人を、温かく出迎えるかのようであった。

「何か用かい? 少年」

 城を見上げるようにして立ち尽くす少年に、 門番と思しき2人の兵士は、少年の顔を覗き込むようにして顔を下げ、 警戒心の欠片も無く、呑気にあくびをしながら話しかけてきた。

「そちらの兵士を1人、護衛として雇いたいのですが」

 しれっとした表情の少年とは裏腹に、少年の言葉を耳にした門番達の表情は固まってしまう。 しばらくすると、彼らは少々疑問を抱くようにして眉をかしめる。

 ……城の兵士に護衛や警護の依頼をする者は少なく無い。 それは名の知らぬ傭兵を雇うよりも、遥かに信頼が高いとされているからだ。 特に”護衛”の依頼の割合は極めて多く、近辺の賊等の襲撃から身を守る為の手段として、 利用する者が跡を絶えないのだ。

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  しかし”国家の兵士を雇う”のに、それ相応の値が張るのも現実。護衛を雇う為の金額の量を知りながら、 それを依頼しようという者の中に”薄汚れた布着を纏った幼い子供”が過去の例に類を見ないのは、言うまでも無いことであろう。 外見にそぐわぬ少年の言葉に戸惑いながらも、ようやく警戒心を抱き始める門番達は、 疑わしくも睨みつけるような視線を、この小さな少年に向ける。

「金だったらあります。これでお願い出来ますか?」

 だが、こちらの面持ちなど気にかけるどころか、それすら察してみせるかのように、 少年は即座に懐から金を取り出しては、再びしれっとした表情で、門番達に見せつける。 小さな右手の上に、山のように積んだ溢れんばかりの大量の金は、少年の身形からは全く想像のつく訳が無く、 門番達は終始、思わず自分の目を疑うかのように、唖然としながらも息を呑むようにして、その山のような金を見つめていた。

「ひ、一人で来たのか? ……親は?」

「いません」

 即答する少年の短い言葉に、2人はまたも言葉を失った。 近年、賊による被害が相次いでいることから、彼もまたその手による被害を受けたのだろうと、 門番達は勝手な空想を頭の中で描いては、途端に重苦しい表情を浮かべ、 少年に対してこれ以上のことを詮索することはしなかった。

「……わかった。とにかく今日はもう遅いから、明日の正午、また此処に来るといい」

 それだけを言った後。門番は少年に一晩泊まるだけの宿賃を手渡し、 それを受け取った少年は、お返しと言わんばかりに、膨大な額の依頼料を門番に手渡すと――

「なるべく……有能な兵士の手配をお願いします」

 改まるようにしてそれだけを言い残し、微かにお辞儀をした後、 少年はゆっくりと門番達に背を向けて、静かにその場から去っていった。

……どこか寂しそうな彼の後ろ姿には、自然と門番達の心が締め付けられる。

「本当に一人で来たんだな……身寄りも無く、あんな小さな子供が」

 去り行く少年を見つめ、門番の1人が静かに呟いた。

「……俺達が深入りすることじゃない。  それより仕事だ、さっそく手配しなければ」

「この金額に見合う兵士か……いるのかねぇ、此処に」

 門番達の会話の後、一瞬だけ気まずい沈黙はあったものの、 2人はこうして、いつも見慣れた夜の景色を目に、あくびをしながら眺め続けていた。 今尚冷たく雪が降り続く暗闇の城下町の中で、どこからともなく聞こえる少年の足音は、

静かな街に、静かに響き渡っていった。





 タクティシャン序章 訪れる始まり





 街中が本当の鎮静に包まれるのは、少年が去った2時間後のことである。 少年とのやり取りを交わした門番達も、今は寝静まり、 雪を踏む音も、門番達の会話も無く、時間だけは止まる事を知らずに動き続けていた。

 刻一刻と、時は一定のペースを保ちながら刻み、やがて夜空の風景に変化をもたらし始める。 漆黒に染まっていた空は徐々に薄晴れて、高い山の奥から覗き込むようにして眩く照らし出す陽の出は、満天に広がる星空を覆い隠す。 変わり行く景色の中でも、時はせわしく過ぎて行き、誰にも止められぬまま、朝の訪れはあっという間にやって来る。





「……っ!」

   ゴト、という鈍い音と共に、少年の身体に思わぬ衝撃が走る。 寝返りを打つ拍子に寝台から転げ落ちた少年は、突発的に睡眠と一時の夢から目覚め、 目蓋を開けると、そこには見覚えのある木製の天井が、その視界に広がっていた。

   ――城下町の一角にある古い宿の一室にて、 綿毛布の掛け幕が、少年の体に巻き付いた状態で、硬い床の上に横たわっていた。 悪い夢でも見たのか、或いは未だ覚め切れぬ眠気で身動きが取れないのか、 何かを思い詰めるようにして、半開きの目蓋のまま、少年は微動だにしない。 しかし、そのままの状態がしばらく続くと、ふと目が覚めた少年は、巻き付いた掛け幕を手で払い、 薄いカーテンに覆われた窓を開けるべく、しっかりと目を開けて徐に立ち上がる。 窓の開け口に手を掛け、雪に塗れて凍りついた固い窓を強引にこじ開けるようと、少年はその指に力を込める。 やがてゴッという不自然な音と共に、窓の戸が開くその直後。 容赦無く射す陽の光と、途端に来る北の冷たい風が、少年の眠気を一気に取っ払い、 目の当たりにする外の眩しい景色に、一瞬目を背けてしまった。

   ……相も変らず雪に埋もれた城下町の銀景色。 窓越しに見る朝の風景は、純白の雪の色をより一層鮮明に映し出し、 陽の光に反射して積もった雪が点々と輝くそれは、まるで昨晩の星空の面影を思わせるような、神秘的な光景であった。 少年は、そんな街の景色を目に焼きつけながら、大きく息を吸って、ゆっくりと時間を掛けて吐いた後、 慣れた手つきで荷支度を整え、最後に褐色の布着を羽織ると、足早に宿を後にした。

   朝の城下町だけあってか、人気の無い静寂に満ちた夜の景色とは裏腹に、 宿の戸を開け、外に繰り出す少年の目に広がったのは、落ち着きの無い住人達の光景であった。 積りに積もった雪を取り除こうと、大きなかごを手に朝早くから働く男達の姿。 街婦人達が集団を成し、談笑に華を咲かせる姿。 おぼつかない足取りで街の中を駆け回り、案の定、積もった雪に足を取られて転ぶ子供達の姿。 溢れんばかりの賑わいに満ち、微笑ましくも温かい朝の街の中で、少年は妙に落ち着いた面持ちで宿の表前に佇んでいた。

   毎日のように雪が降り積もる城下町――”王都ハルエリ” 厳しい環境にも関わらず、商業が盛んで、治安も良く、何より多くの民衆達が挙って信頼を寄せる温厚な国王が、 まさしく平穏と秩序を、象徴的に表すかのようであった。 そんな朝のハルエリは忙しく、深夜から朝にかけて降り続けた雪を取り除く作業が早朝から行われ、 街中の人という人が一斉に雪を取り除くその様は、何とも慌ただしいの一言しか浮かばない。 早朝から昼にかけて民衆の大多数が除雪作業。考えるだけで頭が痛くなりそうな環境である。

   護衛兵士との待ち合い時刻は正午。予定よりも時間に余りあることから、 少年は暇を持て余すかのように、城下町の郊外の方へと徐に足を運びだす。 賑わう街の光景を目にしながら、少年は黙々と歩き続け、 ようやく街の入口の門をくぐると見えた先は、雪と枯れた木々達の織り成す、何とも殺風景な空間であった。 いかにも人気の無さそうな場所に辿り着いた少年は、ふと立ち尽くし、 ぐるりと辺りを一通り見渡すのだが、案の定、人の気配は微塵とも感じられなかった。

   しかし、そんな静けさ漂う光景も、そう長く保たれることは無く、 何もせずにしばらく時間を過ごしていると、微かな人の話し声が、背後から少年の耳に入り、 秒を刻む毎にその声がどんどん大きくなっていることから、間違い無くこちらの方に向かって来ているのだということが、何となく分かってしまう。 声の方向へ振り向くと、老若男女問わぬ大勢の住人達が、重そうに何かを両手に抱え、 少年が通った門をくぐって街の郊外へと、慎重に列を成して歩く姿がそこにあった。 少年とは離れた位置に住人達が集まり、その場で円を描くようにして大きな輪の形になって並び、 街から持ってきたと思われる、山盛りの雪を積んだ木製のかごを手に、その円の中心目掛けて、かごの中の雪を放り投げる。 1人が雪を放ったのをきっかけに、大勢の人達は次々と円の中心に向かって雪を放り始める。 ものの数秒で一点に集中して放たれた街の雪は、小さな山となって姿を変え、 山の近くで大勢の子供達がはしゃぎ回るその様子は、やはり慌ただしいの一言しか浮かばない。

  「よぉ、また会ったな少年」

  「!」

   突如として横から入ってくる声に、少年の耳はピクリと動く。 慌てて声の方に振り向くと、そこにいるのは昨晩に依頼のやり取りを交わした門番の兵士の姿だった。 木製のかごを右手に持ち、かごの中に少量の雪がこびりついていることから、既にあの人ごみに紛れて雪を放り投げたのだと推測させる。

  「どうして此処に……門番の仕事は?」

  「早朝に門番は必要無いからって、街の人達と一緒に雪をかき集めるのを手伝わされてる。  俺だけじゃない、大多数の兵士は毎朝こうして駆り出される」

  「では、僕が依頼した護衛の方も……?」

   少年が依頼した護衛兵士もまた、この除雪作業の手伝いをしているというのなら、 その兵士はこの街のどこかにいる可能性が高いと考えられる。 脳裏に浮かんだ”一つの可能性”に胸を膨らませ、咄嗟にそう質問する少年は、目の色を変えて門番に迫った。

  「あ、あぁ……あんたが依頼した護衛兵士なら……ほら、そこで居眠りしてる……」

  「居眠り……?」

   突然の質問に戸惑った門番が、徐に指をさし示す。 彼の指先の方向へと、少年は目を向けると、焦げ茶色の長い髪を曝け出した、20歳前後と思われる長身の若い女性が、 先程、少年が通った街門のすぐ隣の壁にもたれ込み、雪の上に座り込む形にして眠っていた。 だらしないと言われればそれまでだが、いかにも気持ち良さそうに眠る彼女の表情は、初対面であるのに何故か憎めない。 が、仮にも兵士である彼女が、街の中で居眠りをするというのは、やはり如何なものだろうか。 あれだけの大金をはたいて雇った護衛の兵士が、街の外で居眠りをしているなどとは、夢にも思わないことであろう。 皮肉なことに、それを夢ではなく、現実にこうして起きてしまっているという時点で、 それは夢であることの証明にはならないのだ。

  「い、いつもはああじゃないんだ。普段はもっと、何というか……しっかりしてる人だから……」

   そう言い切ってみせる門番の視線は、残念ながら完全に明後日の方向を向いていた。 そんな説得力皆無の彼をよそに、居眠りをする彼女に3人の子供達が忍び足で歩み寄る。 1人ずつ大量の雪が入ったかごを両手に抱え、彼女に気付かれないよう慎重に足を運び、ようやく至近距離にまで迫った子供達は、不敵にニヤついた直後―― 眠っている彼女の頭上に、いきなりその雪を被せたのだ。

  「ふえっ!? な、何……?」

   思わず甲高い声をあげる彼女に、子供達は指を指しながらケラケラと笑いだす。 突然頭から雪を被った彼女は訳が分からず、間抜けな声をあげたことも忘れて、ただ困惑するだけなのだが、 徐々に状況を呑めてきたのだろうか、纏わりついた雪をすぐさま払い、 イタズラをする子供を懲らしめようと立ち上がる。

  「やっ……!?」

   しかし、そんな彼女の行動も空回りしてしまうかのように、 立ち上がった傍から積もった雪に足を滑らせてしまい、無残にも転んでしまった。 咄嗟にあげるか細い悲鳴と同時に、打ちつけるような形で再び顔面に雪を被るその姿は――

  ……やはり慌ただしいの一言しか浮かばない。

  「あー……えっとー……ま、まぁあれだ。  う、腕だけは確かだから、腕だけは……」

  「……」

   後半の発言をやや強調させるようにして言う兵士の額にも、 燦然たる気まずい冷や汗が、輝かしく滲み出る。 彼女も依頼主を前に、その哀れな醜態を曝け出しているなど夢にも思わないだろう。

  ……出来ることならこの光景も、夢であることを切実に願うばかりである。

  「ほ、本当に! 実力だけは……実力だけは本物だから……!」

  「わ、わかりました……彼女に決めます」

   必死を通り越して死に物狂いの門番の説得と、 子供相手に泣き付くような思いである彼も彼で、哀れに思えてしまったのだろうか、 もはや苦い表情しか浮かべないまま、少年は渋々承諾する羽目となってしまった。

  「そ、それじゃ……俺はもう仕事に戻らないといけないから……」

  「……はい、色々とありがとうございました」

   半ば逃亡を図るかのように背を向けて去って行こうとする門番に、少年は軽くお辞儀をしながらそう言った。 その後、どこか落ち込んだ様子でぐったりとする少年も、同じように背を向けて、 壮大なため息を溢しながら、雪に塗れた彼女の元へと歩いていく。

  「!……あぁ、そうだ」

   開き直るかのようにして声をあげる門番に、少年の足が止まる。 彼の今の言葉は、少年の足を止めようとして咄嗟にあげたものなのだと、 口調で何となく察することが出来たからだ。

  「名前、そういえばまだ聞いてなかった」

  「……ラルです」

   門番に尋ねられるまま、 躊躇いも無く自分の名を名乗った少年――ラルはそれだけを言った後、手を振りながらその場を後にする。 尚も表情を変えずして、しっかりとした少年の足取りを見つめる門番の彼も、少し気が楽になったのか――

  「道中気をつけろよ、ラル君」

   門番の言葉に振り返ると、彼も同じように手を振って見送っていた。 それを見て、もう一度お辞儀をするラルは、ゆっくりと門番に背を向けて歩きだす。

 

 
 ――門番との別れを告げた後。雪に埋もれた彼女に向かって歩き出しながら、 ラルは改めて、遠目から女性のその容姿に目をやった。 安くも高くも無く、いかにも庶民的な茶色の厚い布のコートを身に纏う彼女のその姿からは、 まるで兵士という面影を感じ取ることが出来ないのだが、 彼女の腰から、チラリと覗かせるようにして曝け出す剣の鞘だけが、どことなく騎士らしい気品さを漂わせていた。

   一方。子供達のイタズラにまんまとしてやられ、体中雪塗れの状態の”女騎士”は、 何やってるんだろうな私は。とでも言いたそうな、どこか空しい表情を浮かべ、 自分への不甲斐無さに暮れるようにして、雪の上に伏せ込んだまま、ただ呆然としているだけであった。

  「……あの」

   子供の尋ねるような声が彼女のその耳に確かに伝わる。 声を聞いた彼女はふと埋もれた状態の体を起こし、徐に声の方向へと振り向いた。

  「護衛兵士の件で依頼させて頂いた、ラルと申します」

  「ごえい……へい……?」

   初対面にも関わらず、唐突に現れては若干早口の口調で言い放つ少年の言葉に、 訳の分からないまま、彼女は目を点にしながら黙り込む。 だが、その僅か数秒後。少年の言葉の意味を完全に理解してしまった彼女は、 飛び上がるかのようにして、表情を一変させてしまうのだ。

  「えっ、ちょ…………えぇぇっ!?」

   あまりの驚きに思わず大声をあげ、急にあたふたとし出す彼女は、体に纏わりついた雪を払おうとすぐさま立ちあがり、 終いには何を血迷ったのか、咄嗟に剣が収められた腰の鞘に、何故か一瞬だけその右手を添えた。

   ……一体、その右手で何をしようと思ったのだろうか。 危険を察知してか、自然とラルの足が彼女との距離を取ろうとすべく、後ろの方へ動き出す。 それと同時に瞬間的に我に返った彼女も、すぐさまその手を慌ただしくして元の位置に戻す。 混乱がもたらした行動とはいえ、少し乱暴なのではないか、ラルはそんなことを思いながら、遠ざけたその足を元の位置に戻すことは無かった。

  「……随分と活発な方なのですね。  頭に雪を被ってずっとそのままで居られるなんて、正気の沙汰とは思えないです」

  「やっ、あの……ち、違うんです!  これはその……ちょっとした理由があって、その――」

  「雪の上で居眠りをしていたのにも理由が?」

  「うぅ……! き、気付かれてた……っ」

   その言葉を最後に、彼女はこれ以上の言葉が浮かばずに頭を垂れ下げ、 未だ雪がこびり付いた焦げ茶色の髪を曝け出しながら、申し訳無さそうに唇を噛む。 ラルも、言い訳すらままならなくなった彼女が、流石に惨めに思えてきたのか、 これ以上、この件に関して口を出すことはしなかった。

  「……もういいです。僕もあまり気にしてませんから」

  「ほ、ほんと……?」

  「安全かつ迅速に護衛を務められるのなら……  というか、依頼金に相応する働きさえして頂ければ、良いだけなので」

   彼女を気遣うような発言に、ラルは一瞬だけ気だるそうな表情を浮かべるも、 今の言葉で、彼女のどんよりとした顔色が、少し晴れたような気がした。

  「よ、よかった……正直これで依頼が断られでもしたら、死活問題だったから……」

   それをこのタイミングで依頼主の目の前で口にするか。 彼女の言葉に、ラルはそう心の中で呟いた。

  「えっと……始めまして、カリスと言います。  見ての通り、頼り無い所もあるけど……よろしくね」

  「……ラルです。よろしくお願いします」

   既に頼り無い部分を目の当たりにしていたラルは、先が思いやられると言わんばかりに、 早朝から早速、ぐったりとその表情に疲労感の色を漂わせていた。 こんな調子で大丈夫なのだろうか。こんな間抜けな兵士で護衛が務まるのだろうか。 昨晩に言った『有能な兵士の手配をお願いします』という言葉が、完全に無視されているのではないか。 そんな考えが不安というものに形を変えて、少年の頭に重く圧し掛かる。

   だが、そんな少年の不安を取っ払うかのように、2人の挨拶の言葉が交わされた直後。 突然、護衛兵士の彼女――カリスは、ラルの手を取ると――

  「……親がいなくて、子供1人でここまで来たっていうから、正直言うと心配で眠れなかった。  だから、せめて貴方の身は、私がこの命に懸けても護り通す。  私は……貴方を1人にはさせない」

   そう声をかけるカリスの表情は、至極真剣な面持ちであった。 到底言い訳のようには聞こえない彼女の改まった態度に、今度はラルが少し困惑してしまい、 ギュッと握り締める彼女の手に、不覚にも安心感を抱いてしまったのだ。

  「!ねぇ……あれ見て」

   戸惑うラルをよそに、カリスは徐に指をさす。 さし示す指の方向へラルは目を凝らして見ると、見えたのは大勢の住人達の人だかりに囲まれた純白の大きな山だった。 大人達がせっせと街の雪をかき集めた甲斐があってか、小さかった雪の山はいつの間にか、人だかりを裕に超える程の大きな山となっていた。 仕事を終えたかのように、山を眺める街の住人達。街の門の横で立ち尽くす2人も、遠目でその光景を目にしていた。

  「……行きましょう」

  「うん」

   短い言葉を交わした後、2人はゆっくりと街を発とうとその一歩を動かした。 汗を拭きながらベタリと座り込む大人達と、いつまで経ってもはしゃぎっ放しの子供達。 そんな雪の街は、あの大きな山と共に――

  賑やかに2人の旅立ちを見送った。
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