時折吹きつける強風が、埋もれた雪をふわりと撫でるかのように巻き上げる。
北の方面に位置する雪国。多くもの街人で賑わうハルエリの城下街とは裏腹に、
街の外の景色は、延々と広がる殺風景な銀世界に満ち溢れていた。
良く言えば、趣のある閑寂に染まった風景。悪く言えば、ただ何も無い辺鄙な空間。
そんな真っ白の空間の上に、特に意味の無さそうな複雑な曲線を描いた、はっきりと土の色が見えていた筈の一筋の街道は、
降り積もった雪に覆われて、薄らと雪色に染められているのだが、
その道筋の上には、人の足跡と思われる痕跡がくっきりと残され、雪に隠された街道の存在を、かろうじで物語っている。
もはや、殆ど街道の役割を果たせていないのだが、そんな不確かな道を黙々と練り歩く”二人の旅人”の姿がそこにあった。
――黒髪の少年、ラル。
子供のようには思えない、大人びた風貌で、十歳前後という年齢にも関わらず、
たった一人で雪国まで足を運んだり、護衛兵士を雇う為の多額の金を所持していたり、
どこから来たのかも言おうとせず、親はいるのか? という問いには「いません」と即答。
何やら訳ありというか、謎めいた部分がみなぎって見えるのが、彼の最大の特徴と言える。いや、むしろそうとしか言いようが無く、
自身のことは勿論、護衛を雇って、どこに向かうのかということでさえ、あまり多くの事を語ろうとしない。
今はただ黙々と、一心不乱と言わんばかりに、ラルは護衛兵士を利用して、目的地へと目指していた。
道無き道、というよりは、道薄き道を進む折で、唯一、頼りになるのは、此処一帯の出身である、護衛兵士のカリスだった。
ついこの間まで、依頼者であるラルの目の前で、とんでもない失態を晒してきた彼女だが、
此処一帯の道案内が出来るとあってか、焦げ茶色の長髪が、活き活きと、左右にはねるように軽快に揺れる様は、
先程の名誉挽回をせんとばかりに、はりきっているといった様子が、彼女の表情を見ずとも、想像がつく。
――焦茶色の長髪の兵士、カリス。
ラルに雇われ、護衛兵士として同じくハルエリを発ち、行動を共にすることになる。
二十歳と、兵士にしては若く。それでいて剣の腕は確かなものらしいのだが、
街の一角で居眠りをしていたり、子供に雪をかけられ、終いには埋もれた雪に足をひっかけて、豪快に転んだりと、
不運なだけなのか、或いは、単純に間抜けなだけなのか、
果たして彼女が、護衛兵士として務まるのか? 雇い入れて未だ半日にも満たないにも関わらず、
ラルは早くも、そんな不安要素を抱える羽目となってしまいながらも、
延々と、先に続く人の足跡が残る道を辿るようにして、真っ白な雪原の上に、二人も新たな足跡を刻み残していった。
タクティシャン1章 雪と草原の境目
「……カリス」
「! はいっ」
冷たく呼びかけるような口調で、言い放ったラルの言葉に振り向いたカリスは、
十歳前後の子供が見せる表情とは思えぬ、鋭い目つきから向けられた視線に、
背筋が凍るような異様な感触にゾッとし、戸惑いを見せながらも、何とか返事をする。
かろうじで目視出来ていた街道を練り歩いてものの、無意識の内に街道から外れてしまい。
ふと背後を振り返れば、雪の上に刻まれた二人の真新しい足跡が、明らかに無駄な曲線を描き、
”前へ進んでいる”、というよりは、”周辺を彷徨っているだけ”といった表現が、あまりにも適当で、
土地勘の無い者が見ても、カリスが道を知っているようには、どうしても見えなかったのだ。
積もった雪に薄らと隠し、かろうじで土の色を伺わせていた街道は、いつの間にか途絶えていて、二人の足元は、完全に真っ白な雪の上。
……とどのつまり、道に迷ってしまったということである。
「……どうするんです、これから」
ふてくされた表情で、ラルはカリスに向かってそう問いかける。
そう問いかけてはいるものの、残念ながら「これからどうする」というラルの問いに対し、
間も無く、その口から放たれるであろうカリスの返答に、ラルが微塵とも期待を寄せることは無いのであった。
「と、とりあえず! 来た道を戻りましょう!
私達が残していった足跡を辿れば、いずれ街に――」
「着く保障があると?
生憎この風じゃ、この先に続く足跡なんて、とうに掻き消されていると思いますけどね」
「う……」
街を出て半刻も経たぬ内に、さっそく道を誤って遭難。
来た道を戻ることが不可能であることは、今尚も吹き付ける強風が何よりの証明であった。
とはいえ、案の定と言えば、案の定なのだろう。
強風の吹きつける降雪地帯ともなれば、迷わずに進むことがまず困難であり、
埋もれた雪を巻き上げて、頻繁に街道を覆い隠すこの環境では、土地勘など意味を持たないに等しい。
一方のカリスは、あれほど意気揚々とした面持ちとは、様変わりしたかのように、
どんよりとした、満面の曇り顔で項垂れていて、その様相は、見る者に哀れみを抱かせる程である。
ただそれは、命の危険を危惧するような面持ちというよりは、
護衛対象であるラルを、遭難に巻き込んでしまった事に対して、反省しているといった面持ちのように見受けられる。
「……もういいです。こうして立ち往生していても埒が明かない。
南東に向かいましょう」
カリスは口を開け、「南東? どうして?」と、そんな言葉を今まさに発言をしようと試みるも、それは失敗に終わってしまった。
ラルの今の言葉を最後に、何かを見つけたかのように目を凝らしたまま、
その視線を外すこと無く、突然小走りで、視線の先にあるものへ、向かって行ったからだ。
「ちょ、ちょっと!?
どこに行くのっ、ねぇ、待っ……」
カリスは声をあげてそう言葉を放つも、ラルはそれをよそにして、視線の先にあるものに向かって、ひたすら歩を刻む。
ラルの視線を釘付けにしたもの、それは街道も無い、銀世界の雪に覆われた、一面真っ白の光景の中に、
ポツリと、赤紫色の小指の先程の蕾のような、一輪の小さな花だった。
小さく、か細いながらも、埋もれた雪から陽に向かって伸びているのが、確かにそこにあった。
「ど、どうしたの……?」
戸惑いを隠せぬまま、ラルの元に駆け付けるカリスがそう言った。
花が咲いた場所の二歩手前くらいの所で足を止めると、ラルはその場でしゃがみ、花の方を指差して、駆け付けたカリスに指し示す。
「見てください、ワラモコウですよ」
と、ラルはそう答える。
後半の五字程度の言葉の意味に、カリスは理解することが出来ず、思わず首を傾げ、
聞いたことの無い、何らかの名称と思しき言葉に耳を疑ったカリスは、「ワラ……?」と、
ラルの言葉を復唱しようと試みるが、またもそれは失敗に終わってしまった。
恐らく”ワラモコウ”とは、ラルが指を指した、この花の名称のことなのだろう。
「……通常、ワラモコウとは、温帯の山地に咲く花なんです。
主に、東部の大陸に位置する、ダリア領の山地で見られることが多く、
このような寒冷地で、花を咲かせるというようなことは無い筈ですが……」
東部の大陸ダリアとは、文字通り、東の大陸に位置する国のことで、
降雪地帯の約八割を占める北のハルエリとは裏腹に、ダリアは通称”草原の国”とも呼ばれている。
どこの大陸や地方よりも自然が豊富にある、気候も穏やかな環境下で、ワラモコウと呼ばれる花もまた、
温かい日差しを浴びて、活き活きと育つ筈であった。
……確かに、雪の上で花を咲かせたこのワラモコウは、どことなく弱々しく、
環境が不適合であることが、その様相から何となく汲み取れる。
ラルは、花の前で急に立ち止まり、考えに耽るような姿勢に入り、
一方で、ラルの考えが読めず、全く訳が分からない状態のカリスは、ラルの顔を覗き込み、彼の眼前で手を振って見せるも、
残念ながら今のラルは、カリスの存在を眼中に留めていないようだった。
「あの…………ラル?」
「やはり南東に向かいます。
此処を抜けて、ダリア領へ」
「え?」という言葉が、カリスの口から放たれたのは、
ラルが確信と自信に満ちた表情で、再度言い放った「南東に向かいます」の言葉から、およそ十秒程が経ってのことである。
この空白の十秒間の間。カリスはラルの言葉を理解しようと、自分なりに考えようと頭を抱えたが、
結局、彼女の頭の中で納得のいくような答えが出ることはなかった。
枯れかけの花を見て、彼は何を思ったのか、そして何故南東なのか?
一字一句もの説明すら無いまま、ラルの言動に頭を抱えるカリスを置き去りにして、
ラルは一人、南東に向かって自信に満ちた表情で突き進んでいく。
当然、今のラルに、カリスがさっき言い放った「……え?」という言葉を聞いている訳も無く。
振り向きもせずに突き進んでいくラルを、カリスはただひたすらに、後を追うことに専念する羽目となってしまった。
だが――
「ひゃ……っ!」
ズボリという、雪が潰れる鈍い音と共に、カリスは小さく悲鳴をあげた。
街道近辺の人が行き来する度に踏みしめられ、硬くなった雪路とは違い、ここは街道とは大きく逸れた、野道の上。
人が通ることは無く、放ったらかしにされたまま、長い年月を経て降り積もった、まるで砂のように柔らかい雪は、
一度足を踏みしめれば、膝の辺りにまで、埋もれた雪にかかるほどの深さまで沈んでしまう程の積雪量に及んでいた。
いくら北国出身である彼女といえど、流石に膝下までの長さのブーツの中に、雪が入ってしまうなど、想像にもしなかったことである。
この雪原の上で歩を進めることすら、困難を極めていた彼女とは裏腹に
一方のラルは雪に足を取られること無く、軽々と歩を刻んでいた。
彼自身が軽いというのも一つだが、雪の上の歩き方を熟知しているようにも見え、
徐々に突き放されていく二人の距離に比例して、次第に湧き上がるカリスの焦りも、徐々に増していくのだった。
――遅れるカリスを放ったまま、容赦無く先へ進むラルは、ふと足を止めた。
どこを見渡しても真っ白な銀世界だったこの光景も、ひたすら南東へと歩を刻む内に、この見慣れた景色にも、ある大きな変化が訪れたからだ。
……森。
ハルエリ領内、最南端付近に位置する。広大な森。
大きな木々の枝や葉に覆い被さるかのように積もった雪が、太陽の光を殆ど遮断しているが、
白昼の空と言えど、中は洞窟のような異様な薄暗さを漂わせており、肉眼では奥を伺い知る事は出来ない。
時折、バサッという積もった雪が流れ落ちるような音が、より一層、この森の薄気味悪さと物静けさを感じさせる。
だが、銀世界の中で見つけた一輪のワラモコウを手掛かりに、ここまでやってきたラルは、
眼前に広がる森を目にすると、遭難しているとは思えない程の安堵に満ちた表情を浮かべ、
目の前に映るそれを見上げながら、「やはりここでしたか」と、満足げに独り言を口にする。
この不気味な森の先には何処へ繋がっているのか、ラルはそれを知っていた。
丁度、両国の領土の境目に沿って聳え立つ木々。通称”緑色の境目”とも呼ばれるこの森は、
北の雪の国、ハルエリと、東の草原の国、ダリア。雪と草原を隔てた、大自然が育んだ国境として、
街道を見失った旅人達の標としても、活用されている。
「はぁっ……はぁっ…………や、やっと……追いついた……」
雪に足……いや、膝を取られながらも、深く雪に埋もれた下半身を必死に持ち上げながら、懸命にラルの後を追い続けたカリスは、
ようやくラルの真後ろにまで到達すると、膝に手を当てて息を荒くしながらも、今の言葉の後に目にした森の光景に、暫く言葉を失ってしまった。
「何をしているのです。行きますよ」
そんなカリスをお構い無しに、ラルは薄暗い森の中へと足を踏み入れようとする。
「えぇっ!? ちょ、ちょっと待ってよ……!」
そんなラルを止めるべく、カリスはそう言葉を放つ。
ただ、言葉だけではラルは止まらないことを、先程の事で学習したカリスは言葉をかけるだけでは無く、
今度は彼女自身が腕を伸ばし、ラルの腕を掴んで、彼の歩みを止めることに成功した。
「……何です。何か問題でも?」
背後から強引に腕を引っ張られたラルの言葉と表情は、落ち着いたものだが、
「黙って僕について来ればいいのに」とでも言いたそうな目で、
心成しか面倒臭そうな顔色で睨みつけるラルに、流石のカリスもむっと来てしまったのか。
「問題大ありよ!
街道の無い所を練り歩いて、こんな得体の知れない森を進むなんて、賊がいるかもしれないのよ?
正気の沙汰じゃないわ」
と、つい子供相手に強い口調で言い放ってしまう。
大人げない。と言われればそれまで。本当にそう言われてしまえば、カリスは今の言葉を反省するしか無いのだが、
先程から彼の風貌や表情、口調などといったものを見ていれば、
十歳前後のラルを子供扱いすることが、どうにも失礼な気がしてならなかったのだ。
「でしょうね、中は薄暗いし、賊が獲物狙いで縄張りを張るには、この森は絶好の環境だと思います。
そうと分かっていてこの道を進むのは、確かに貴方の言うとおり、正気の沙汰ではありません。
しかし、来た道を戻る事が出来ない現状、此処を通る他に手はありませんし、
そもそもこんな事態を招いたのは誰だ? などと、今更どこの誰かを責めるつもりはありませんが、
賊が現れた場合は……貴方が何とかしてくれるのですよね?」
と、言い返すラルの口ぶりは、やはり淡々としたものであった。
子供のようには思えない博識っぷりや、淡泊な口調が、彼を子供であるとは思わせない最大の理由であるのだが、
時折、嫌味ともとれる発言を平気で言うその物腰は、楽観的に捉えれば清々しいものではあるのだが、
一方で多くの者は、それを”小憎たらしいクソガキ”と、苛立ちを込めて称することが極めて多い。
子供なのに可愛げが無い。ラルに関しては、そんなものは皆無に等しい。
いや、皆無であろう。
だが、悔しいことに彼が口にする発言は、いつも的を得ていて、正論なのである。
「だ、だったら……せめて、万全な態勢で進むべきですっ」
「……万全な態勢と言うと?」
”万全な態勢”と、自分が言いだした提案にも関わらず、その提案に疑問符をつけて、
そっくりそのまま言い返すラルの言葉に対し、カリスは言葉を失ったかのように固まった。
その二、三秒の後、彼女は急にもじもじと、躊躇いがちな姿勢になると――
「その、ちょっとだけ……休憩させて……」
「……」
夕暮れ時も近く、この森へ入るにあたっては、慎重且、迅速に行動しなければならない。
時間が経つにつれて、森の中は視界が悪くなる為、当然、こんな所で時間を潰している訳にもいかない。
森の中に賊がいるかもしれないと、ラルはこの時、危惧していたからだ。
――賊。
道行く者に危害を加え、財物を奪うことを生業とする者達は、
近年、縄張りを張って、迷い込んで来た者を襲うといった傾向が多い。
この薄暗い森も例外ではなく、視界が悪くて迷い易いという環境だけに、森の中で賊が縄張りを張って、
迷いこんで来た旅人を獲物としようとしているのではないかと、ラルは考えていた。
森の中は足場も悪く、雪に足を取られ易いこの環境では、もし賊に見つかれば、逃げ切れる可能性は皆無に等しい。
……いや、皆無であろう。
「もう行きますよ」
ラルの表情にも、ほんの少し焦りの色が浮かび、雪の上に座り込んで呑気に息つくカリスを、ラルはそう言って急かし立て、
一方、僅か二十秒足らずの休息に、不満気ながらも、重い腰を上げるカリスは、
心成しか、急ぎ足で森の奥へと入っていくラルを、渋々追いかけていった。
――森の中は、不気味という一言に尽きる。
薄暗く、薄気味悪い、雪に覆われた不気味な森。
奥へ進むにつれて、人の気配がするかどうかという以前に、人が住める環境とは思えない。
それでもラルとカリスは息と気配を殺し、低い姿勢で、森の中を慎重に進む。
「……それにしてもあの花、やはり妙ですね」
小声で且、カリスの耳には届く程の声量で、ラルは言った。
「ワラモコウ……のこと?」
カリスの返しの言葉に、ラルは頷いた。
「先程も言いましたが、ワラモコウはダリアの高山地帯で咲かせる花です。
ところが、僕達がワラモコウを目撃したのは、ハルエリの南部、降雪地帯の野道でした」
高山と降雪地帯。
いずれも気温の低い場所ではあるが、それでもやはり環境が違い過ぎる。
高山から吹いた強風が、ワラモコウの種子を巻き上げ、国境を越え、何千里もの距離まで流されて、ここまで運んで来たというのなら、
少々ぶっ飛んだ話かもしれないが、納得出来なくも無い。
だが、先程ラル達が目撃したワラモコウは、たった一輪だけ。
辺りを見渡したが、ワラモコウは愚か、その他の高山地帯で咲きそうな花などは一切見当たらなかった。
国境を超える程の強風に煽られて、一輪だけが上手い具合に飛んでくるなどというのは、
文字通りの意味で、万に一つと言っても過言では無い。
「……もしも」
考えに耽ながら移動を続けるラルの口から、言葉が零れる。
「もしも……あのワラモコウが風によって流されて来たのでは無く、
賊による手がかかっていたとしたら……?」
口にするラルの言葉に、彼の後ろでそれを聞いていたカリスは、疑問を抱く羽目となる。
それは彼の言葉を耳にした後、言葉の意味を理解しようと頭のした、その直後のことであった。
何故ラルは、人による手では無く、賊による手と言ったのだろうか。
「人」ではく、「賊」と特定する根拠はどこにあったのか。
今までのラルの発言の殆どが正論であっただけに、今のラルの発言が余計に疑問に思えたカリスは、
「……賊の手?」
と、聞き返す。
彼女の返しに、ラルはただこちらの方を見つめ、何も言わずに小さく頷いた。
もしも、高山地帯から吹いた風が、花の種子を巻き上げて運ん出来たのでは無く、
人の手――いや、賊の手が絡んでいるのだとしたら、一体賊側にとって、どのような利益をもたらすのだろうか。
何故賊は、意図してダリア高山地帯生息であるワラモコウの花を咲かせたのだろうか。
その問題の答えを出そうと、カリスは懸命に頭を抱えるのだが、
彼女の脳裏に、”ある一つの答え”が浮かび上がって来るのに、そう時間はかからなかった。
頭の中で答えが浮かんた直後、彼女は背筋が凍りつくような不快感にゾッとし、表情を一変させる。
もしもあの花が、二人のような旅人を、この森におびき寄せる為の罠だったら。
「!!まさ、か……」
カリスの言葉に、ラルは三度頷いた。
今の言葉に、確信を持って頷いた訳では無いのだが、
少なくともラルとカリスの考えが一致したのだろうという、根拠の無い確信を得たラルは、一先ず頷いて見せたのだ。
「……恐らく、貴方の想像通りでしょう。少なくとも僕が考えていることはそういうことです。
しかし、こういう状況に置かされれば、貴方の頭も冴えてくれるものなんですね。
そういった所は流石軍人、とでもいいましょうか」
こういう状況に置かされていても、そんな嫌味を口にするラルだが、
当のカリスは、そんな言葉を気にする素振りを見せず、それどころか、今の言葉を殆ど聞いていない様子であった。
「そんな……! それじゃ、私達が此処にいることを、賊はもう既に知って……!?」
「!……静かにっ」
声を荒げるカリスを、ラルはそう言って鎮めた。
言葉が止まり、森の中を異様な静寂が漂い、黙り込む二人に、異様な緊張をもたらす。
その刹那、草むらが不自然に揺れるような音が、森の中を不気味に響かせる。
……何かがいる。そんな直感が、ラルの脳裏を過った。
「カリス、構えて!」
ラルが逸早く、そうカリスに向けて言葉を放つも、彼女はそれよりも逸早く、腰の鞘から長細い剣を抜き取って両手に構え、
音の方向を見つめたまま、ラルに背を向けるような形で、勇ましく立ちはだかった。
遠くの方から、かろうじで聞こえていた、草むらが揺れる不自然な音は、
徐々に強くなってきていることから、少なくとも、こちらの方へ向かって来ているのだということが分かる。
迫り来る音と、強まる人の気配に、カリスもラルもじっと身構え、来る戦闘の瞬間に、二人は息を呑んだ。
「!」
じっと身構え、黙り込む二人に緊張の静寂が纏わりついた、その刹那。
草むらが揺れたのを、今度は耳だけでなく、目でもはっきりと捉え、
それと同時に現れた、人の影のようなものが、二人の目を捉えて離さなかった。
薄暗く、視界が安定しない為、人物の特定は計り知れないものの、すぐさまカリスは、二人に現れた人影を敵と見なし、
両手に携えた長細い剣を振りかざし、斬りかからんとすべく、人影の方へ向って飛び出した。
だが――