タクティシャン

第二章 戦慄の少女

鳥の羽音。小動物達の鳴き声。時折吹き抜ける北の冷たい風が、木の枝を揺らし、それに纏わりついた雪は垂れ落ちる。
朝は街道を通る人々の姿や、荷馬車の引く音、無数の賑わいと、地面には無数の足跡が散らばっている。
ハルエリ=ダリアの国の間を結んだ、広大な森。
一見賑やかで、平穏を印象付ける一面を持つ森なのだが、それはあくまで、”街道の上”での話。
街道から大きく逸れた森の一角。そこに賊の一団が住み付いている、という
大きな木々と、その木の上に振り積もった雪のせいか、陽の影響は少なく、夕刻ですら何も見えない闇に染まる。
その不気味な一面性も相まってか、以来、人々が不用意に森へと入ることは無くなってしまった。
……のだが、
今まさに、そんな森の中へと足を踏み入れる二人の人物――ラルと、その護衛兵士であるカリスは、 目の前の”ある障害”によって、さっそく足をすくわれる羽目となる。

突如、二人の視線の前方の茂みが、不自然に揺れたのだ。
風に吹かれて揺れた、というよりは、何らかの力が働いて揺れた、と言っていいだろう。
茂みの先に人の気配すら感じられ、漂う緊張の空気に、すぐに二人の足は止まった。
カリスはラルを退かせると、自分の腰の鞘に手をかけた。体勢を沈め、ゆっくりと、人の気配のする茂みの方へと、足をのばす。
沈黙する二人と、風で揺れる木の音。そして、尚も茂みのがさつく、耳障りな不快な音。
いつの間にか動物達の鳴き声は止み、不気味な静寂に二人の緊張感が増した。
息を呑みながらじりじりと、慎重に茂みに向かって歩みを進め、やがて五歩手前にまで接近したところで、 カリスは土を踏みしめ、一気に飛びかかった。

次の瞬間。

「――きゃああああぁっ!?」

突如の悲鳴が、一人取り残されたラルの耳を刺激した。
咄嗟にラルは地面に手をつき、低姿勢になって、息を殺す。誰の悲鳴なのかは分からない。だが、これだけははっきりと分かる。
甲高い、女性の悲鳴だ。
嫌な予感がラルの脳裏を過る。茂みはもう揺れてはいない。身の危険を感じたラルは、すぐにその場を離れようと試みた。だが、 茂みの揺れる音は途端に激しさを増し、間も無く人影が、ラルの前に姿を現した。
最後の抵抗と言わんばかりに、ラルはうつ伏せになって、身体を地面に密着させて、顔を伏せる。
のだが、

「ラル君!」

ラルの行動も空しく、人影から発せられたと思われる声は、地に伏せる彼の名を呼んだ。
……女性の声だ。

(……君?)

自分のことを君付け呼ばわりされたことに、疑問を抱えながらも、ラルは聞き覚えのある声に警戒を解いて、渋々と正面を括目する。
焦げ茶色の髪と軍服に、茂みの葉が纏わりついたまま、現れたのはカリスだった。
名前を呼んだと否や、徐に地に伏せたラルの腕を拾い上げるようにして掴みかかると、

「ち、ちょっと来てっ」

と、向こうも何故か困り果てた様子で、茂みの方に向かって腕を引き寄せる。
突然の彼女の行動に呆気に取られるまま、大人の力に成す術も無く、ラルは彼女の思惑通りに、茂みの中へと引き擦り込まれていった。
果敢に飛びかかっていった筈のカリスが、何故困惑の表情を抱えて戻ってきたのか?
茂みの先には何があったのか? 何故、君付け呼ばわりなのか?
様々な戸惑いと疑問と、そしてカリスの言動に理解が出来ぬまま、ラルが茂みの中、その先に見たものは――

一人の、小さな少女の姿だった。





タクティシャン二章 戦慄の少女





「……誰?」

と、ラルが戸惑いを込めて言うのも、無理は無い。何故なら初対面だからである。
一方のカリスも、目の前にいる少女とはやはり初対面である様子。ラルの短い一言に、小さく首を傾げてみせた。

――黒髪のショートヘア。衣服は土や木の葉が纏わりついて汚れていて、小柄な方であるラルよりも、もう一回り小柄で、恐らく八歳くらいかと思われる。
腰が抜けてしまっているのか、その場から動こうとせず、両膝を抱え、顔を隠すように埋めて、震えている。
……カリスの姿を見て、酷く怯えているようだ。

(なるほど……)
状況を察したかのように、ラルは人知れず、軽く頷いた。
揺れる茂みに警戒し、カリスだったのだが、
当の少女からしてみれば、”剣を持った女が襲いかかってきた”という風にしか見えなかったのだろう。恐がるのは当然である。
これでラルが抱えている疑問の一つは解決した。それをよそに、カリスは怯える少女に、声をかけようと試みていた。
しかし、震えながら顔を埋めている少女の様子に変化は無く、それでも再度試みようとするも、 尚も怯える様子の少女を見てか、カリスは言葉を発する前に、諦めてしまった。

「うぅ……どうしよう……」

深い罪悪と後悔に暮れるカリスに、ラルは息を吐く。

「……仕方ないでしょう、彼女のことは放って先に進みますよ」

カリスの言葉に応えるようにラルはそう言って、この場から離れようと足を運んだ。
だが、

「ちょっ、ちょっと待ってよ、こんな小さな子を置いていくつもり?」

先を行こうとするラルの腕を、またもカリスは掴みかかり、そう言った。

「言葉をかけても答えない。貴方を見て恐がっている。
 そんな状態で、彼女がまともに動けるとは思えないし、かえって危険です」

「それなら此処に留まって、護ればいい。
 この子を放っておくことなんて、私には出来ない!」

いつになく本気で言い迫るカリスだが、森の危険性を密かに知るラルもまた、黙っている訳にはいかなかった。
ささやかな二人の口論が、始まった。

「留まる? いつまでこの場で立ち往生しろと?」

「それは、私があの子を説得して、動けるようにするまで」

「……それには、どのぐらいの時間を要するんです?」

「ど、どのぐらいって、それは」

「夕刻はもう近い、もう時間が無いんです。夜になればこの森一帯は、何も見えなくなる程に暗くなるんですよ」

「! だったら、尚更放っておく訳――」





「騒がないでっ!」

二人の口論の間に、一人の甲高い声が割り込んできた。
少女の声だ。
突如の声に驚き、二人は口を止めて、咄嗟に少女の方へと視線を向けた。
初めて少女の声を聞けたのが嬉しかったのか、カリスの顔色に笑みが浮かぶのをよそに、 少女は二人の視線がこちらに向けられていることに気付いてか、すぐに顔を膝に埋めながら、
「し、静かに、してください……」

と、小さな声で、恥ずかしげにそう言った。





――茂みの中に三人。狭い空間の中、ほぼ密着状態の中で、ラルとカリスの静かな喧騒は、終わらない。

「――ですから、貴方はこの森の危険性を何一つ、分かっていないのです」
「危険なら尚更、連れてくべき」
「こんな森に小さな女の子が一人で来る訳が無い。僕達が関わらなくても、他の仲間がいる筈」
「……ま、迷いこんでここに辿り着いたかもしれないでしょ?」
「そんな、貴方じゃあるまいし」「なによ!?」「騒がないでっ!!」

次第に大きくなる喧騒に、二度目の甲高い声が割り込んだ。言うまでも無く、少女の声だ。
二人はまた口を閉ざし、反省する。こうして、約五分間にも及ぶ二人の長き口論は、幕を閉じた。

だが、その刹那。

「!」

二人は口を閉ざしたまま、表情を一変させて、咄嗟に身を伏せた。
茂みの外から、どこからか聞こえる”不審な音”。だが、今度は茂みの音ではなかった。
……人の足音だ。先程の音のそれよりも、強く、速く、そしてなによりも、慌ただしい。
間違い無い。複数人いる。
男の声と思しき「探せ!」といった怒号が、森の中を響き渡らせる。その無骨な声に、少女の震えが増す。
それを心配そうな視線を送るカリスがとうとう見かねたのか、低姿勢を保ったまま、ゆっくりと少女の元へと動き出すと、 徐に手を差し伸べ、そっと少女の右手に触れた。

「大丈夫」

そう言ってにこやかに、笑みを浮かべた。

「……ぁ」

カリスの言葉、行動に、少女が初めて反応して見せた瞬間であった。
すかさずカリスは少女の隣に寄り添い、手を握り、肩を寄せた。
少女の震えが肩を通して、身体に伝わってくる。尋常では無い程の恐怖感に、カリスはやはり放っておける訳もなく、

「さっきは、ごめんね?」

と、カリスは互いの肩を密着させたまま、そう話しかけてみた。
少女は膝を抱えて俯いたまま、首を横に振った。

「……」

「……」

「……ロ、ローラって言います……」

暫くの沈黙に重い空気が漂う中、少女がかしこまりながらも、呟くようにして言った。
突然の言葉にカリスは首を傾げ、「え?」と応えてしまうも、すぐにその言葉の意味を察し、

「あ、私はカリス。よろしくね」

と、言った。
言葉の後に見せる笑顔も、忘れない。

「……ねぇ、ラル君も自己紹介して」

カリスの言葉が。ラルの耳に届く。
渋々と振り向き、少女と目が合った途端、ラルは即座に視線を外すと、ふてくされた表情で、

「ラルです。お見知りおきを」

と、無愛想な言葉が飛び出した。
すかさずカリスの、ふてくされた表情で「ちゃんと目を合わして挨拶して」という言葉が飛ぶも、彼の視線は尚も、何も無い茂みの方を向いていた。
が、それをよそに一方の少女――ローラは深々と頭を下げ、

「はい、ローラです。よろしくお願いします」

と、丁寧に挨拶をする。彼女の視線は、しっかりとラルの後ろ髪に向けられた。
照れ隠しをしているともとれるぐらいに、一向にローラと目を合わさないラルと、そんなラルに気を悪くすることもなく、 恐怖に怯えていたかつての表情とは、まるで嘘のように、挨拶の後、上げたその顔に満面の笑顔が浮かせるローラ。
そんな光景を目の当たりにするカリスもまた、ラルを叱るのを諦め、微笑まざるを得なかったのである。
尚も、冷たく、静寂で、重苦しい空気と、時折風が吹き抜ける空間に、三人は静かに身を潜め、 緊迫した状況なのにも関わらず、三人は、それとは相応しくない表情で、 カリスやローラ、そして、恐らくラルにとって、少しばかり、和やかなひとときであったに違いない。





――やがて、賊達の声、足跡は遠ざかる。
静寂と緊迫だけが残る森の中、一体どれぐらいの時間を無駄にしただろうと、気焦りするラルは、人の気配すら無くなった所で、ゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡した。 が、その直後にカリスが、「危ない!」と言って、止められてしまったのは、言うまでも無いのだが、 一瞬だけ見た茂みの外の光景に、やはり人の姿は見られなかった。
そして、それと同時に分かった事が、もう一つある。森の中が、もう殆ど暗闇に包まれているということである。
賊達からやり過ごす為に、長く時間を費やしてしまい、橙色をした夕刻の日差しすら無く、もう完全に、陽は落ちてしまっていたのだ。
随分森の中を進んでいた為に、引き返そうにも引き返せない状況の中。
カリスが不安気な顔をしながら、「……朝まで待つ?」という提案を、即却下したところで、 ラルは茂みの外の様子を、もう一度確認した所で、

「進みましょう。出口はもう近い筈ですから」

と、南東の方角と思しき方向に向けて、ラルは指を差した。
だが、生憎「出口は近い」という言葉にも、正直言って自信は無い。
ついでに白状をするならば、指を差した方向が、南東であるという保証すらないのである。

「ローラ、立てる?」

と、カリス。
コクリとはっきり頷いたローラは、か細い身体を持ち上げ、立ち上がる。
やはり小柄だ。と、直立状態の彼女を初めて目の当たりにするラルは、改めてそう感じながら、 カリスはローラと手を握ったまま、音をたてぬよう、ゆっくりと茂みから抜けだした。
だが、

「っ……!」

まともに吹き抜ける冷たい風が、直後に二人を襲った。薄着の服一枚だけのローラが、思わず声をあげた。

「だ、大丈夫?」

と、カリス。

「は、はい……」

その言葉とは裏腹に、ローラの身体は素直に身震いしていた。
一方のラルは、二人に続いて早々に茂みを抜けだした後、「早く森を抜けますよ」と言って、早々に暗い森を突き進む。
足取りに焦りの色が浮かんでいるのか、すぐに二人との距離が開いてしまい、 すると、「ラル君、そんなに先進んだら危ないってば!」という、カリスの二度目の引き止める言葉が、容赦無く耳に突き刺さり、 満面の渋々とした表情を浮かべながらも、ラルは足を止め、止む無く二人が追いつくのを待った。
……その刹那。
どこからともなく、暗闇から雪を慌ただしく踏むような音が、三人の耳を刺激した。
それは、ほんの一瞬の出来事であった。

「!」

ラルと二人の間。離れた距離の間に、数人の男が飛び出してきたのだ。
手には、物騒な武器の刃が、剥き出しになっている。紛れも無い、賊だ。
思わずの出来事に、ローラは言葉に出来ず、すぐさまカリスの後ろに身を潜めた。
だが、その背後にも、賊と思われる数人の男達が、茂みの中から現れる。
男達の視線は二人に、否、ローラに向けられていた。

「ラル! 逃げて!」

計4人の賊に囲まれながらも、カリスは大きくそう叫んだ。
一方の賊は、カリスの言葉に反応すること無く、ラルには目もくれず、無防備な背中を曝け出していた。
狙いはあくまで、ローラだということなのか、彼女とは正反対の位置にいる自分の方を見向きもしてくれないのは、少々寂しい気がしないでもないのだが、
「……ご無事で」

と、言い残したのを最後に、自分が無力であることを自覚しているラルは、 ただ、カリスの言葉に従うまま、振り返ること無く、一人、暗い森を駆け抜けていく羽目となるのだった。





――暗闇の森の中へと消えていくラルを、密かに見送ったカリスは、ふと自分の腰の違和感に気付き始める。
ローラだった。
正面と背後に現れた賊に逃げ場を失い、恐怖が蘇ってしまったのか、カリスの身体に、がっしりとしがみついていた。
少女の震えが身体を通して、再びカリスに自らの恐怖心を伝えた。

「ロ、ローラ?」

と、声をかけてみるも、恐怖に怯える彼女の耳は、完全にその機能を麻痺させてしまっているのか、まるで反応が無い。
案の定、カリスの表情に戸惑いの色が浮かぶ。これでは、足の自由が利かない。
”森の一角に、賊が住みついている。”という、噂の真実を目の当たりにする羽目となった今の状況を噛み締める。

(……仕方ないなぁ)

そう心の中で呟きながらも、カリスはどっしりと膝を曲げ、 来る敵を迎え撃とうと言わんばかりの姿勢で、その場から一歩も動こうとはせず、腰にぶらさがる鞘に、カリスはゆっくりと手をかけた。





”――いい動きだわ、太刀筋も悪く無い。”

”ほんと? やった!”

”えぇ、成長したわね、カリス。”

”うん! わたし、おおきくなったら、ししょうみたいにつよいきしになるの!”

”……そう。”

”ししょう?”

”カリス、よく聞いて。実戦において、生き延びる為には、ただ剣を振り回してるだけじゃ駄目なの。”

”?? ……ししょうのいってること、むずかしくてわかんないよ。”

”ふふ、そっか。まだ七歳のあなたには難しいか。……わかった、じゃあこうしましょう。
 これからやること、教えることは、今じゃなくて、将来のあなたに活かしてほしいの。”

”しょうらいの、わたし?”

”うん、大きくなって、あなたが騎士になった時、思い出して。”





――お互いに黙ったまま、睨み合う時間が暫く続く。
緊張の空間の中、ローラの怯えるような視線が賊から賊へと右往左往するのをよそに、カリスは目を閉ざし始めた。

”――いい? 今からあなたに教えるのは、剣術じゃない。
 様々な状況に対応し、考え、的確に判断する能力を身につける、これは……戦術よ。”

カリスに動きが無いまま、硬直状態が続く。ローラの不安そうな視線が、カリスの方を突き刺した。
ローラだけでは無い。ほんの少し、じりじりとこちらに向かって近づいて来るのが、雪を擦る音で分かる。
賊だ。
まるで動きを見せない様子にしびれを切らしたか、ようやく賊達も動きを始めたのだ。
視界の悪い森だからというのもあるのだが、視覚に頼るよりは、音の方が正確で、より広範囲である。
動けない二人に向かって近づいて来たのは、正面の方では無く、背後の方だった。

「カリスさん……っ!」

カリスの背後。近づき様に小ぶりの手斧を大胆に振り上げる賊の一人と目が合ったか、たまらずローラが口を開く。
だが、それよりも前に、カリスは既に動きを始めていた。

”さぁ、構えて。”

「分かってる」

と、口にしながら、素早く鞘から剣を抜き取り、手斧を振り上げる賊の無謀備な右脇腹に、一刀。
瞬く間に、「ぐぁぁ!」という男の鈍い悲鳴が、暗闇の森の中を轟かせる。
致命傷に至らしめる程では無かったものの、武器を落とし、地に伏せて傷口を抱えてもがく様を見る限りでは、この戦いで武器を振るう事は、恐らくままならないであろう。
完全に死角であった筈の、”背後からの接近”を読まれてしまったことをきっかけに、周囲の賊達もどよめきを始めた。
が、それも束の間。今のは偶然だと言わんばかりに、すぐに切り替える賊達は動きを止めることは無かった。

「!」

カリスの真正面。今度は二人の賊が、一斉に飛びかかる。

”あなたの武器は剣だけじゃないわ。周りにあるものをよく見て、あらゆるものを自分の武器にするの。
 ……そう、例えば――”

二人の相手に臆することも無く、カリスはしっかりと正面を見据えると、 右足をあげ、それを強く踏み下ろし、積もった雪の中に足首が埋まる程までに、深く沈めた。
グッという、雪が押し潰される音が響いた、その直後。今度はその雪に埋めた足を持ち上げるかのように、勢いよく、真上に蹴りあげた。

”――地形。”

カリスの蹴りが、正面の賊達に命中することは無かった。だが、それと同時に舞い上がった冷たい雪が、賊達の顔面に直撃。
大きく怯んだその隙を、カリスは見逃さない。
舞い上がる雪の中へと腕をのばし、一人の賊の服に掴みかかると、自分の方へと一気に引き寄せ、その首元に剣を突き付けた。
もう一方の賊も、すぐさま顔面に纏わりつく雪を取り払い、再度カリスに向かって接近するも、 彼女のすぐ手前で、命の危険にさらされている無抵抗な仲間を見てか、あえなく攻撃の手を止めた。

”――あと、相手の心理。”

「今なら命までは取らない。武器を棄てて立ち去りなさい」

カリスの言葉が、賊に向けて放たれた。だが、賊達がその言葉の通りに従ってくれようなど、カリスは微塵とも期待を寄せてはいなかった。
相手の表情はもちろん、まるで、他の仲間と目で合図を送っているかのような、過剰なまでの目の動き。
その違和感を、カリスはやはり見逃さなかった。
人質を取っている状態のまま、攻撃してくるとすれば、正面からはまず無いだろう。
仲間の身を案じない程までに、相手が闘争本能剥き出しの状態ならば話は別だが、特にそのような様子は見られない。
となると――

「! う、後ろ――」

「分かってる」

危険を伝えるローラの言葉も空しく、背後から伝わる雪の踏む音を察知するカリスは、もう既に反応していた。
腕に抱える人質を後ろに押し倒し、襲い来る賊を巻き込き、二人とも、地面に押し倒す。
カリスの反撃は、これだけでは終わらない。
雪に伏せる一人の賊の無防備な背中に足をかけ、もう一人の人質だった賊の首元には、またもしても剣が突きつけられる。
不利になった状況から打開してやろうと言わんばかりのニヤついた背後の賊も、今やカリスの足に踏まれ、雪の中に顔を埋める羽目となってしまった。
これで人質は二人。遠くの方で脇腹を抱えてもがいているのが一人。残るは――

「まだ、やる?」

先程から人質によって攻撃の手を封じられしまった、カリスの正面にいた賊、ただ一人。
数の利から一転して、成す術が無くなった哀れな賊達は、カリスの先程の言葉の通り、あえなく武器を棄て、カリスの方を一睨みした後、悔しそうにこの場を去っていった。
ローラによって身動きが殆ど取れないまま、四人の賊達に囲まれた状況を、見事に無力化することに成功したのだ。

”はい、今日の稽古はここまで! お疲れ様”

”はい! ありがとうございましたっ”

(……ありがとうございました)

目を閉じ、心に小さき日々の思い出を抱かせたまま、カリスはどこか哀愁の色を浮かべて、小さく呟いた。
が、ふと我に返った後にカリスは気付く、”腰の違和感”は、未だに離れてくれようとはしなかった。

「あ、ローラ? もう終わったよ」

ぶるぶると震えながら、尚もカリスの身体にしがみついていた。
あまりの恐怖に耳が届かない上に、今度は目までつむっていたのだ。これでは鞘に剣を納めることが出来ない。
それ以前に、動く事すらままならない。

「あの……ほら、もう大丈夫だから、ね?」

戸惑いの色を浮かべながら、カリスは再度声をかけてみるも、やはり無反応。
賊の姿は無く、気配すらも感じられないのだが、今度はカリスが成す術を失い、立ち尽くす羽目となってしまった。
のだが、

「いや、お見事」

と、聞き慣れた男の子の声が、カリスの耳にはっきりと伝わった。
人の影の正体は、言うまでも無くラルなのだが、 消えて行った暗闇の森の中から……ではなく、すぐ近くの茂みから、その姿を現した。

「ラ、ラル君。ずっとそこにいたの?」

「一人で遠くへ逃げるよりも、貴方の近くにいた方が安全かと思いまして」

ごもっともな言い分だが、それならそうと言ってくれればいいものである。
そう言わんばかりのふてくされた顔で、カリスは鼻でためいきをつくのだが、今はそれどころでないことに気付き、再び我に返るカリスは、

「えっと、この子どうしよう?」

と、ラルに向けて一言。
ラルはローラの様子に暫く目を向け、事情を把握したのか人知れず頷いた後、しがみつくローラに歩み寄ると、

「えい」

と、ラルの小さな手刀が、怯える彼女の後頭部に命中。
あえなく、ローラのしがみつく手は緩み、無言のまま、崩れ落ちるようにして気を失ってしまった。
突然の行動に三人の空間の中に、沈黙が走る。言うまでも無く、カリスの表情は唖然となってしまっていた。

「え、ちょっ、何を――」

「怯えさせたままにしておくより、こうした方が楽かと思いまして」

ラルの躊躇の無い、淡々とした言葉が放たれた。
気絶させてしまった方が楽なのかどうかは、定かでは無いのだが、 ラルの一撃でぐったりと地に伏せるローラが、どうしても不憫に見えてしまうのだ。

「……後でローラに謝ってね」

カリスが一言の後、雪に埋もれたローラを拾うようにして、抱き上げる。
が、そんな行動をよそにして、ラルの反省の色の無い態度が、カリスを横切っていく。

(本当に謝ってくれるのかな……)

そんな心境を胸に、すかさずカリスもラルの後を追う。
間も無く、暗闇に慣れた二人の視界が、徐々に明るくなってくるのが分かる。
一筋のやわらかい月の光が、差し込んだ。

「外、ですね」

「はぁ、やっと出られる……もう夜なんだよね? 私、お腹すいて来ちゃったんだけど」

「我慢して下さい。ここから街まで三日はかかりますから」

「ええっ……」

安堵する二人の、気の抜けた会話が弾んだかのようにも見える。
戦いの後、賊の出没の心配も無く、長い緊張や諸々もあってか、カリスの疲れ切った表情がにじみ出る。
ラルの言葉に落胆し、気を失った少女を背に、とぼとぼと歩くカリスの視線の先。
暗闇の森に覆われていた眼前に広がる外の景色。夜空を仰ぐ彼女は、思わず手をあてがって、一つ、呟いた。

「……まぶしい」
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